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リストリー・ノーツ

歴史ゲームのプレイレポートが中心。https://twitter.com/SuzuTamaki

日の沈むことなき帝国を目指して 第2回「イベリアン・ウェディング」(1454年~1485年)

Europa UniversalisⅣ プレイレポート:カスティリャ

前回のあらすじ~

無事、レコンキスタを完了させ、イスラム勢力を半島から追放することに成功したカスティリャ王フアン2世。

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しかしこの戦いの中で最愛の息子エンリケを喪ってしまい、家系は断絶の恐れを抱えてもいた。

 

また、カスティリャの同盟国フランスも、宿敵イングランドとの戦いに勝利し、国内の統一を進めていく。一方で同じく同盟国のポルトガルは、カスティリャが去った後の対モロッコ宣戦で敗北し、かつて手に入れた北アフリカ領のセウタを手放す結果となってしまった。

 

激動のイベリア情勢。さらなる困難が、カスティリャの前に立ちはだかろうとしていた。

 

目次

 

アルプハラスの反乱

先の戦いでカスティリャが手に入れた上アンダルシア地方。

いまだにイスラム教徒が根強く残るこの地で、カスティリャ政府は激しい弾圧と共に強権的な改宗策を取っていた。

そのことに反発したイスラム教徒たちは、この上アンダルシアの地で大規模な反乱を起こした。

これが、史実においては1568年に勃発するアルプハラスの反乱である。

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安定度-1と共に総計31連隊もの反乱軍が出現。

その指揮官の能力も4/3/1/0と強力。

 

ZOCの効果で敵軍がうまく動けないのを見計らって各個撃破していく。

 

 

鎮圧後、出現したのがこのイベント。

史実におけるモリスコ追放を行うかどうかの選択肢らしい。

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追放を行えば旧グラナダ領におけるグラナダのコアはすべて消滅。

その文化もすべてカスティリャ文化に。

宗教もカトリックへと変化する。

ただし安定度-2

 

一方、追放を行わない選択肢を選べば、安定度が+1される。

 

しばらく迷いつつも、

  • グラナダ領のアンダルシア文化は元々受容文化の1つであること。
  • 改宗作業も時間はかかるが進めることはできる。
  • 安定度の回復のために使えるほど統治君主点に余裕はない。

といった理由で、今回は追放を行わないという選択肢を選ぶ。

 

フアン2世は、異教徒たちの追放ではなく、共存の道を選ぶこととなった。

(なお、史実ではフェリペ2世がこの追放を行っている)

 

 

仏英戦争、再び

さて、反乱も鎮圧し、しばらく内政を進めるカスティリャ王国。

1459年8月には、ナヴァラ王国の併合を果たした。

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海外植民も順調に進め(後述)、繁栄に向けて邁進するカスティリャ王国。

しかし、そんなカスティリャ王国がこの後、悲劇に巻き込まれていくことになる。

 

1472年5月11日。

フランスがイングランドに宣戦布告する。

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狙いは大陸に残ったイングランド領ラブール。

百年戦争はまだ終わっていなかったようである。

 

 

カスティリャは断るわけにはいかずこれを承諾。

戦力差は五分五分といったところである。

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次々とイベリア半島に上陸するイングランド軍。

フランス軍はラブールの占領にかまけ・・・まったくこちらを手伝おうとしない。

 

ギリギリの戦いを数回こなし、イングランド軍を撃退していくものの、その兵数は減るどころか次々と増え、やがてこちらの戦術ミスによりカスティリャ全軍が溶けるという事態に。

 

 

こうなってはどうしようもない。

被害が拡大する前に、イングランドに降伏することにした。

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かくして、1474年2月14日。

カスティリャ王国はイングランドビスカヤナヴァラを割譲する。

その他、フランスとの同盟破棄も承諾。

 

この2州の経済力は大したことなく、賠償金もそこまで要求されなかったことで、この敗戦によるダメージはあくまでも限定的である。

気を取り直し、戦後復興の道を歩むことにする。

 

カスティリャ成長の道は十分にある。

その1つが植民地経営であり、もう1つが「イベリアン・ウェディング」である。

 

 

新世界の発見

時は戻って1468年7月28日。

「探検」アイディアの2番目「新世界への探検(Quest for the New World)」を獲得。

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これで「探検家(explorers)」の雇用が可能となり、すなわち植民可能な土地を探し出すことが可能になる。

 

 

早速、探検を開始。

もちろん最初の目的は、西アフリカ沖に位置するカーポ・ヴェルデ。

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アフリカ・南アメリカ入植の橋頭保となるこの土地の重要性は非常に高い。

カスティリャが奪うことで、ポルトガルその他の入植を抑制する効果も持つ。

 

1471年5月3日には「新世界発見」ボーナスを獲得。

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威信+50は非常に大きい。。

 

 

イングランドとの敗戦後は国力のすべてを植民に注力。

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植民者1名で3つの植民地を育成するという禁じ手を活用し、潤沢な国庫を酷使しながら拡大をはかる。

 

 

トラスタマラ家の命運

さて、カスティリャ王国の悩みの種はもう1つあり、それは後継者問題であった。

モロッコとの戦争において、愚昧なるフアン2世の嫡男エンリケ無事、戦死

しかし期待した新たな後継者は現れず、トラスタマラ家は新たな危機を迎えることとなる。

 

そんな危機を打開するチャンスは1467年に訪れる。

ポルトガル王アフォンソ5世が35歳の若さで崩御

21歳の弟ホセ1世が新たな王として即位する。

そして、そのホセ1世の娘マリアが、フアン2世の新たな妻として宮廷入りを果たす

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このときマリアは26歳。そしてフアン2世は62歳。

まさに、後継者を生むというその1点のみを求めた政略結婚であった。

 

 

そして3年後、待望の男子が誕生。

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狂喜乱舞したフアン2世は、この息子に自身と同じ名をつけることにした。

 

この愛すべき息子がよりよく統治できる体制を整えるべく、フアン2世はその後なんと10年もの間、生き永らえた。

そして1480年11月11日。フアン2世は75歳という、当時としては驚異的な長寿を全うすることとなった。

 

10歳となったフアン3世は母マリアの摂政のもと治世を開始。

さらにその1ヶ月後、ついに待望のイベント「イベリアン・ウェディング」が発動する。

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英語版wikiの記述によると、アラゴンカスティリャの両者の君主の性別が異なること以外に、いずれかが摂政政治であることもまた、発動の条件であるようだ。

 

これでアラゴンと同君連合となったカスティリャ王国。

50年後にその領土の併合が保証されたわけである。

 

 

そして1485年3月19日。

フアン3世が無事、成人を迎え、親政を開始。

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新たな王の下で、カスティリャ王国は更なる繁栄を目指していくこととなる。

 

第3回へ続く。

日の沈むことなき帝国を目指して 第1回「レコンキスタの完了」(1444年~1453年)

Europa UniversalisⅣ プレイレポート:カスティリャ

1.20パッチ及び新DLCの情報が続々と出ている中で新たなプレイを始めるのは不安ではあったが・・・久々に開始する。

再度、アイアンモードでの挑戦。今度はフランスに次ぐ強国カスティリャで開始。

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レコンキスタの完了、新大陸への入植、そしてイベリア半島の統一を経て「日の沈むことなき帝国」を実現させよう。

 

ver.は1.19。DLCはRights of Manまですべて導入しております。(MODは一切なし)

 

目次

 

現状の確認 / ポーズ解除前にやること

カスティリャの1444年当時の君主はトラスタマラ家のフアン2世(39歳)。

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能力値1/1/2という非常に残念な能力。

その後継者エンリケは0/0/0とさらに残念な能力。

ただ、カスティリャは初期状態でプロヴィンス数21、合計開発度234、税収合計8.88と非常に恵まれている(さらに金山も保有している)ため、要塞全破棄・小型船以外全破棄・陸軍維持費を最低にすると、月13.3ドゥカートの黒字となる。

そのため、顧問を3種類すべて固有することで、なんとか君主の能力の低さをカバーすることに。それでも月10ドゥカートの黒字なので素晴らしい。

そしてナショナルフォーカスは当然統治に。序盤はグラナダ領の併合などで統治君主点はいくらあっても足りないくらいである。

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初期状態から要塞と小型船以外をすべて破棄し、陸軍維持費も最低にした状態で顧問3人を雇用したあとの経済状況。とにかく収入が莫大である。

 

 

外交状況を確認すると、現在イングランドアラゴンチュニスからライバル視されている。まあ、これはいつも通りである。

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よってこちらからも彼らをライバル指定し返す。そしてそれぞれのライバルであるフランス、教皇庁ポルトガルとの同盟締結を目指す。

ポルトガルは即座に同盟を結んでくれたが、教皇庁とフランスは即座に、というのは難しかったため、まずは外交官を派遣して関係改善を行う。

とくに教皇庁は関係改善ミッション(Solidify our Papal Relation)があるため、それを事前に選択しておく。

 

これで準備は完了。あとはポーズを解除し、時間を進めるだけだ。

最初の標的はもちろんグラナダ。しかし彼の国とはすでに停戦条約が結ばれているため、それが切れる1448年2月まで待たなくてはならない。

 

 

グラナダ・モロッコ戦争(1448年~1452年)

教皇庁との同盟締結は問題なく進んだが、なんとフランスがアラゴンと同盟を結んでしまったために、こちらとの同盟締結に応じてくれなくなった。

さらに面倒なことに、アラゴンの君主アフォンソ5世がいきなり崩御し、その後釜として19歳のフェラン2世が即位した。・・・これがなんとヴァロワ家である。

これは、イベリアンウェディング発動に何か支障があるのだろうか。

(一応、英wikiでは、イベリアンウェディング発動の条件に、同家系であることは載っていなかったが・・・)

 

1445年段階での外交関係は以下の通りである。  

これ以外にも、ナバラ王フアン2世が同盟締結と婚姻を要請してきたのでこれを了承。

数年後に属国化が完了したため、最終的には外交併合を行おう。

 

 

そうこうしているうちに、1448年の2月を迎えて・・・

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レコンキスタCBを発動して、グラナダに宣戦布告!

カスティリャ軍は総兵数2万9千。

対するグラナダ・モロッコ同盟は、グラナダ7000にモロッコ1万8千。

さらにモロッコは海峡を隔てているため、軍隊の輸送には時間がかかる。

 

よって、カスティリャ単独で十分制圧しうる。

そう踏んで開戦を決意した。

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施政者としては最悪なエンリケ王子も、将軍としての能力はなかなか。

戦死してくれたら言うことはないし、さっそく前線に送る。

 

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グラナダを舞台に繰り広げられる、異教徒殲滅戦。

緒戦は問題なく大勝利。

カスティリャ軍を分散させて、グラナダ全土の包囲制圧に取り掛かる。

モロッコ軍もちまちま上陸軍を派遣してくるものの、輸送船の数量限界のせいで取るに足らず、各個撃破。

属国となったナバラ王国軍も協力してくれる。

 

グラナダ全土の制圧が完了した1450年頃に、ポルトガルも便乗参戦。

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彼らのおかげで制海権を得ることができるようになったので、イベリア半島からモロッコに向けて次々と陸軍を送り出す。

(というか、彼らが出てこないとある意味詰んでた。開始時に小型船以外をすべて破棄するのは悪手だったのか?)

 

フェズ山岳地帯での対モロッコ戦争。

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こちらも問題なく勝利。

 

と、思ったらエンリケ王子が戦死してしまった。

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いやー、しまったなー。悲しいなー(棒)

 

アフリカの地で勇敢に戦い、勇敢に散っていた彼はアフリカ王子と名付けよう。

 

 

しかし代わりの後継者が出てくるかな、と期待したが出てこず。

やばい・・・もしかしたらこのまま断絶する可能性も???

 

とりあえず1452年2月。モロッコと和平を結ぶ。

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90ドゥカートの獲得と10年間、毎月1.12ドゥカートの賠償金を払い続けること(War Reparations)を約束させる。

 

その数日後にグラナダも降伏。

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その全土がカスティリャ領に併合されることが決まり、これにてレコンキスタ完了!

 

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イベリア半島カトリックによって染まることとなった。

 

 

対イギリス包囲網戦争(1452年~1453年)

さて、戦争も終わって外交関係を覗いてみると、なんとフランスがこちらとの同盟を受け入れてくれる状態となっていた。

喜んでこれを締結。

すると、

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いきなりの参戦要求(Call to Arms)。

 

どうやらフランスはメーヌの継承権を巡ってイングランドと戦争を始めていたらしい。

一瞬、ポルトガルが敵になる可能性も考えて身構えたが、どうやらイングランド側の同盟国はこの戦争に一切参加していないらしい。そしてすでにフランス側の戦勝点は70%を超えている。

 

ということでカスティリャも喜んでこれに飛び乗る。

これでイングランド1国vsフランス・アラゴンナポリカスティリャナバラ同盟という構図が出来上がる。

 

これはもうどうしようもなく、翌1453年にイングランド降伏。

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イングランドはフランスにボルドー、メーヌ、アレンコン、コーそしてノルマンディーを割譲することに。

これでイングランドに遺された大陸領土はカレーとラブールだけに。

奇しくも、時は史実と同様の1453年。

英仏の長きにわたる100年戦争がここに終結したのである。・・・たぶん。

 

 

この勝利でカスティリャはフランスからFavorを2手に入れた。

たった2ではあるが、現在フランスのFavorは3年に1ポイントしか上がらない状況。

その中での2ポイントは、6年分の価値があるため、結構大きい。

 

さらに、PowerProjectionも大量に手に入れられ、列強ランキングも1ランク上がって7位となったため、PowerProjectionが60に到達。各君主点+1の美味しいボーナスが手に入る。

 

 

まずは第一の目標たるレコンキスタを完了させたカスティリャ

次の目標は、イベリアンウェディングを待ちつつ、海外植民を開始することである。

また、隙を見て北アフリカの領土も奪っていきたい。

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1453年時点。フランスもカスティリャも領土を広げることに成功した。

 

第2回へ続く。

Europa UniversalisⅣ プレイレポート:オリッサ 第1回「第1次ジャールカンド征服戦争」(1444年~1450年)

Europa UniversalisⅣ プレイレポート:オリッサ

オリッサ(Orissa)とはインド北東部の地域であり、東ガンガ朝とそれを受け継いだガジャパティ朝によって繁栄したものの、のちにムガル帝国、次いでイギリスの支配下に入り、インドの一地方へと成り下がった。

歴史上では決して著名な地域ではないが、ゲーム開始時(1444年)の君主が有能であることと、周辺諸国とのパワーバランスが絶妙であることから、インド統一プレイにおけるスタート国として推奨されることの多い国家である。

 

今回はこの国でプレイし、統一インド形成を目標とする。

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1.第1次ジャールカンド征服戦争(1447年~1448年)

オリッサの君主はカピレーンドラ・ガジャパティ。
元々この地にあった東ガンガ朝の宰相であったが、1000年続いたこの王朝の衰退を見て取って、王位を簒奪し新たにガジャパティ朝を開いた。

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そんな、建国の父たる君主だけあって能力値は非常に高い。
性格も分離主義-5の効果をもつ「征服者(Conqueror)」と陸軍士気+5%の「指揮官への鼓舞(Inspring Leader)」という有能なもので、さらに初期状態から将軍化しているのだが、その能力は以下の通り。

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白兵5という神がかった能力値を持つ。

後継者のハンヴィーラも攻城2と十分に強い。

 

これで29歳とまだ若いのだからチートである。
・・・というところまで思い至って、一つ疑念が生まれる。

確か、カピレーンドラが王位簒奪したのは10年前だったはず。
さらに後継者ハンヴィーラが24歳となっているが、史実ではこれはカピレーンドラの息子のはずである。
・・・もしかしてこの29歳というのは、何かのミスなのだろうか。

 

 

周辺国の様子を見てみると、北にベンガル王国、西にバフマニー王国、南にヴィジャヤナガル王国といった強国に囲まれており、見事そのすべてにライバル視されている。

一応、ガルジャート(Garjat)という属国を抱えているが、保有軍隊が3連隊しかないという小国家なのであまり役に立たず。


最初の攻撃目標は近隣の小国ジャールカンド(Jharkhand)とバスタル(Bastar)。

そして重要な交易拠点を抱えるベンガル王国の征服を狙う。

 

その準備のために、ベンガルをライバル視するアヴァ(Ava)との同盟、およびバフマニー朝をライバル視するグジャラートとの同盟を狙い外交官を派遣する。バフマニーとベンガルのライバル指定も忘れない。

 

 

1445年5月7日に「カピレーンドラの戦争」なるイベントが発生。

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1434年のガジャパティ朝創始以来、北へ南へと戦いに明け暮れたカピレーンドラ。

その結果として領域を拡張できたのはよかったものの、戦争の傷により民衆は苦しみを覚えているという。

ここで、オリッサの地にて伝統的に定められていた「塩税」を撤廃するか否かの選択を迫られる。

撤廃を選べば経済的なマイナスと引き換えに不穏度減少と正統性向上のボーナスが。

一方でこの継続を望めば、経済的には潤うものの不穏度が大きく上昇してしまう、というものである。

経済マイナスは痛いものの、反乱を起こされると厄介だし、やはり名君としてのふるまいを見せておきたい、という思いもあり、ここは塩税の撤廃を選択する。

 

 

1446年1月には「祭礼」イベントが発生。

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今年は繁栄の年だ!とのことらしく、地域の祭礼に手を加えるかどうかの選択を求められる。

拒否すればミドナープル(Midnapore)税収開発度が1上がるらしいが、手を加え、安定度+1の報酬を手に入れることにする。

何しろ税収開発度1上げるのに必要な君主点は82であるのに対し、安定度上昇にはそれが100必要なのだ。

しかもせっかくなので手動で1つ安定度を上げてからこのイベントを選択してみることにする。そうすることで君主点150ポイント分の利益を得たことになった。

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安定度2の恩恵で税収+10%もあるし、選択としては十分間違ってなかったと言えるだろう。

ついでにナショナルフォーカスを統治に合わせる。

 

 

1447年4月4日。ジャールカンドの請求権捏造も終え、ついに宣戦布告することに。

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敵はバスタルおよびネパールと同盟を結んでいる。

総兵力は1万6000。こちらの兵力は属国ガルジャートを加えても1万5000。

だが、有能な君主カピレーンドラの存在がこの数的劣勢を簡単にひっくり返してくれるだろう。

それにネパールの地は遠い。各個撃破すれば問題ないはずだ。

さらに宣戦布告前に帰依する神としてシャクティ神を選択している。

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規律+5%および攻城能力+5%と、征服戦争にはなくてはならない能力。

軍事顧問にはいい人物がいなかった分をなんとか埋め合わせてくれた。

 

 

まずはジャールカンドにて緒戦。

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何の問題もなく、敵全軍を壊滅させた。

 

これで数的にも優位に立つ。

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6月9日にカリンガンドラの戦いでバスタルの全軍も壊滅させる。

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攻城力2をもったハンヴィーラに4000の兵を与えバスタルの包囲任務に就かせる。

一方、カピレーンドラ率いる8000の主力軍は北上させ、いよいよ南下してくるネパール軍の迎撃に向かう。

 

7月23日。ジャールカンドにて敵同盟の主力と激突。

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兵数ではこちらが不利ではあったが・・・

 

7月27日。白兵フェイズに入った途端、一気に敵の士気と兵力を奪い取っていく。

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数の上でもこちらが有利に。

 

8月7日に決着がつく。

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また、この戦いでカピレーンドラは、白兵戦術+10%の能力 Master of Arms を手に入れた。

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ただでさえ強い勇将がさらに強くなっていく・・・

 

 

こうして、優位に立ったまま、あとは必要な都市を制圧完了したら終わりだな、と思っていると・・・

 

1447年10月3日。バフマニー朝が宣戦布告をしてきた!

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2.対バフマニー防衛戦争(1447年~1450年)

突如として襲い掛かってきたバフマニー朝。一応こちらの同盟軍との総数では相手を上回ってはいるものの、同盟国はいずれも遠方のためどれくらい頼りになるかわからない。

いきなり迎えた最大級の危機。

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1448年2月25日。とりあえずジャールカンドと和平。

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何も得られないことも覚悟していたが、なんとかインド成立に必要なジャールカンド州の獲得と36ドゥカートの賠償金は得られた。

 

ぎゃー、バフマニー軍1万9000がやってくる!!

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とりあえず、要塞のある首都の前で主力を待機させ、敵軍の出方を見る。

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この間に同盟軍がバフマニー国内に侵入。

 

これに誘い込まれた敵主力が北上した瞬間を狙い・・・

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傭兵をかき集め陸軍上限以上に増やしたオリッサ全軍で追撃!

 

1448年10月4日。ここに、バフマニー軍主力との激突が開始される!

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象さんがいるのがどことなくシュールである。

 

そして10月15日。以後と勝利! 敵全軍を壊滅させ、16ポイントもの戦勝点を獲得した。

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その後、1450年5月4日にようやく和平条約を結ぶ。

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171ドゥカートの賠償金(うちオリッサの取り分は80ドゥカート)。

正直、戦費とは釣り合わない結果ではあったが、とにかく生き延びたことが大義である。

 

 

なんとか最初のヤマを越えたオリッサ-ガジャパティ朝。

次の目標は1455年に停戦が切れるジャールカンド? もしくはいよいよベンガルに攻め込むか、のいずれかである。

 

第2回に続く。

Europa UniversalisⅣ プレイレポート:デンマーク 第4回「クリスチャン1世とクリスチャン2世の治世」(1532年~1573年)

~前回のあらすじ~

偉大なる王カール1世の後を継いだのはその孫、フレゼリク1世。

その治世は28年と先代に比べると短かったものの、モスクワ・オスマン同盟に対する勝利や、ハンザ同盟に対する勝利など、今後に繋がる大きな成果を出すことにも成功した。

そして彼は34歳という若さで崩御

後を継いだのは、16歳という若さの少年王クリスチャン1世であった。

 

 

1.クリスチャン1世の治世(1532年~1546年)

1532年8月7日。

フレゼリク1世は34歳の若さでこの世を去った。

後を継いだのはその嫡男クリスチャン1世。

即位当時は16歳であった。

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摂政を置くほどではないにせよ、若い年齢による即位という点で、名君カールの再来か、と人々は彼の即位を喜んだ。

何しろ先の王フレゼリク1世は、カールと比べるとひどく凡庸で、愚鈍でさえあった。

それと比べこのクリスチャンは、外交値5ポイントと、今デンマークにとって最も必要な能力に優れた君主であった。

一刻も早く外交レベルやアイディアを獲得し、北米植民地を拡大しなくてはならない。

そんなデンマークにとっては、待望の存在であったといえるだろう。

 

問題があるとすれば、先代に引き続き継承権が脆弱であったため、即位直後の正統性が非常に低い、ということだろう。

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教皇への影響力を消費して年間獲得正統性を向上させ、なんとか回復に努める。

 

 

そしてクリスチャンの即位直後の9月1日。

ついにスウェーデンの併合が完了した。

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これにてデンマークは、バルト海沿岸を完全支配する、巨大な帝国へと成長したのである。

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そんな誉れ高きタイミングで君主となったクリスチャンがまず手掛けたのは、待ち望まれていた、新大陸植民である。

1535年5月11日に、「探検」アイディアの3番目にあたる「海外探検(Overseas Exploration)」を獲得。

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植民距離が一気に増え、ついに新大陸植民が可能となった。

 

 

その第一歩として、まずはニューファンドランド島のプラセンシアに入植。

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ここを踏み台として、北米大陸の奥地へと向かっていくことにする。

 

 

 

 

2.北米植民と侵攻

と思っていると、1546年4月6日。

いきなりクリスチャン1世が崩御。まだ30歳だったのに。

新たに即位したのは5歳年下の・・・同名のクリスチャン2世。

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普通、5歳年下であれば弟、などを考えるところだが同じ名前というのは謎。

継承権は十分に強かったため、正統性は問題なし。

 

 

ほぼ同時期にマンハッタンの植民作業をスタートしている。

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さらに1551年5月1日。

マンハッタンの隣に居住していたモヒカン族に宣戦布告。

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「文明の味を思い知らせてやる!」

とばかりに弱い者いじめ。

 

彼らの領土を奪うのはもちろん、原住民部族を叩くと結構な額の賠償金を手に入れられるため、ここ最近金欠気味だったデンマーク財政の改善に一役買ってもらった。

 

 

 

3.第2次ハンザ戦争(1554年~1560年)

1554年11月6日。ハンブルクに宣戦布告。

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どうしたって皇帝がついてくるのだが、すでに皇帝はフランスやハンガリーと戦争中であり、その隙を狙うことにした。

リューベック征服も狙っており、その同盟国は限られているため、彼の国も主要攻撃相手に指定する。

 

戦力差は十分。20連隊くらい北米大陸にいるが問題ないだろう。

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開戦と同時にハンブルクリューベックを一気に包囲。

 

 

楽勝楽勝・・・と思っていると、

 

 

 

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皇帝の仕様を忘れていた。(前回のフランスAARに続き2度目)

 

皇帝の同盟国であるイングランドポーランドリトアニア連合王国、そしてプファルツ選帝侯などが加わり、絶望的な戦力差となってしまった。

 

 

これは終わったか?

 

 

しかし、なかなか攻めてこない敵連合軍。

 

どこから、ハンガリー軍によってオーストリアがどんどん占領されたり、

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フランス軍が超がんばったりしてくれているお陰で、分は悪くないどころか優勢に進められている。

さすがフランス。素晴らしい。

 

 

とりあえずユトランド半島やスカンディナヴィア半島にもイングランド軍が中途半端に上陸してくるので片っ端から引きつぶす。

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そうこうしているうちに開戦から半年。

まずはリューベックと和平する。

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1729デュカートという莫大な賠償金を獲得。

 

 

さらに朗報。

1555年11月9日にオスマン帝国がこちら側に立って参戦してきた。

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これはもう勝ったも同然じゃないだろうか。

 

 

しかし、かつての大東方戦争では敵側に二度も参戦してきたオスマン帝国が、ここでは心強い味方となってくれる。

そのときこちら側に味方をしてくれていたオーストリアが今は敵なのだ。

まことに、ヨーロッパの同盟・戦争関係は複雑怪奇である。

 

 

デンマーク主力軍3万は、各個撃破されぬよう、同盟軍のブランデンブルク3万の兵につねに付き従う形で動かしていく。

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相変わらずフランス軍は心強い限りである。

 

 

1557年1月25日にボヘミアと白紙和平。

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これで兵力差において形勢逆転が果たされる。

 

4月にはプファルツ選帝侯も降伏する。

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フランス海軍がイングランドを海上封鎖し、オスマン陸軍がポーランド・モスクワ連合軍を撃破する。

 

各地で同盟国が連戦連勝を重ね、着実に勝利に近づいていく。

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1559年7月5日にポーランドリトアニアと和平条約を結ぶ。

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賠償金と共に、オーストリアとの関係断絶を強制する。

 

そして1560年2月14日にオーストリアとも和平。

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そしてついに1560年5月5日。

ハンブルクとの講和条約を結んだ。

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これにて、6年にも及んだ第2次バルト戦争が終結した。

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戦果としてはリューベックハンブルクの獲得。

そして莫大な賠償金を獲得できたことである。

 

 

 

4.内政状況確認(1562年)

戦争中の1559年に、デンマーク領北米植民地、通称「ニューデンマーク」が誕生する。

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合わせてここで、現状の経済状況を確認する。

 

まずは収支状況。

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税収入20デュカートの内訳は、首都のあるシェラン島から1.72。

開発の結果、税収開発度は13に達している。

2番目がシェラン島の隣にあるフュン島。ここも税収開発度を10にまで上げているほか、聖職者に下賜しているため税収が高い。

そして3番目に元ドイツ騎士団領ダンツィヒ。ここも税収開発度10および聖職者支配の土地である。また、プロイセン文化も既に受容している。

 

生産収入内訳は以下の通り。

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「ダーラの森(Dalaskogen)」?

と思ったが、調べてみると、世界遺産ファールンの大銅山地域」の中心地となっている「ストラ銅山(Stora Kopparberget)」が存在するとのことである。

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銅の交易価値も4.5と高く、意外な高生産地域となっていた。

まったく気づいていなかったのでTerritoryのままだったため、試しにState化してみると3.52という阿呆みたいな生産収入と化した。

この後、「武器工場」も建造し、さらに開発なども進めていく予定である。

 

なお、かつてルンド(Lund)にあった「スコーネ市場」はすでに消滅しており、生産品も魚に変わってしまったことで、生産収入は大きく没落してしまった。

 

続いて交易状況を見てみる。

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バルト海交易圏はほぼ掌握しており、基本的には北米が流し込んだ富を北海から移送させてリューベック交易圏で回収する、という交易図を作ることを意図していく。

 

そのためには北海交易圏のシェア率とリューベック交易圏でのシェア率が重要なのだが・・・まだまだイマイチである。

一応今のところ、70隻近い小型船を北海交易圏に派遣しており、商人にも任務に就かせている。(この後、いろいろ試してみたところ、小型船はリューベック交易圏に派遣した方が遥かに効率がいいことがわかったためそちらに移動させている。6デュカート近く変わった)

ブランデンブルクリューベック交易圏に商人を派遣してシェア率を高めていたため、こちらも対抗してバルト海交易圏から商人を呼び戻し、リューベックに派遣。

一時は2デュカートも収入が増えたが、またしばらくしたら17デュカートに戻った。

交易における覇権争いはまだまだ続きそうだ。

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北海交易圏では交易額の移送合戦でイングランドと競り合っている。

スコットランドの地域吸い上げ額が3番手に来ている。

 

 

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北米交易圏の要である「セント・ローレンス湾交易圏」。

現状では流出交易額の半分をフランスのボルドー交易圏に持っていかれている。

商人が増えたら早速派遣し、北海交易圏に流し込んでいく。

もちろん、上流のチェサビーク湾交易圏の強化も進めていく。

 

 

以後の征服戦争の戦略としては、まずはバルト海交易圏の上流であるモスクワ地域の交易中心地を狙っていく。

具体的にはネヴァとノヴゴロドを狙っていきたい。

しかしモスクワにはオスマンイングランドという同盟国が控えているため、簡単には手出しできない。

こちらにはフランスとブランデンブルクがいるとはいえ・・・とりあえずポーランドと再び同盟を組みなおして、チャンスを窺うことにする。

 

また、近い将来、ハンザ同盟の残党であるブレーメンと、エムス河口を保有するブルンズウィクを征服し、リューベック交易圏の更なる拡大を目指す。

そして、北海交易圏の拡大を目指すとなると、イングランドとも戦っていきたいところだが、請求権の捏造などが不可能なため、どうしたものか、といったところである。

そして植民においてはカナダへの拡大を目指し、セント・ローレンス湾交易圏を豊かにしていこう。

 

 

5.皇帝即位

1567年8月22日。

なにげなく帝国ウィンドウを開いてみると・・・ 

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なんと、選帝侯たちがデンマーク王の皇帝即位を支持し始めているではないか!

 

 

ただちに、フランスを支持する選帝侯たちとの関係改善にとりかかる。

 

結果、

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こうなって、

 

 

1572年11月9日。

皇帝クリスチャンが生まれた!

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皇帝であることのメリットは、帝国諸侯への攻撃に対し、皇帝が出張ってこなくなる、ということである。

 

 

これで、ハンザ同盟の残党であるブレーメンやブルンズウィクに攻撃することができる・・・と思って準備を進めていたら、

 

 

 

 

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1473年5月14日。

クリスチャン2世崩御

 

そして、皇帝の座は再びオーストリアの手に。

 

 

 

正直、万全を期するという名の臆病すぎる慎重さがなければ、さっさと開戦することができていた。

 

こうなりうることはわかっていたのに・・・あまりにも後悔が強すぎる結果となってしまった。

 

しかし次の皇帝になることも十分可能なようだ。

このことを教訓として、次こそは皇帝として、リューベック交易圏の完全支配を目指していきたい。

 

第5回に続く。

Europa UniversalisⅣ プレイレポート:デンマーク 第3回「フレゼリク1世の治世」(1504年~1532年)

Europa UniversalisⅣ プレイレポート:デンマーク

前回のあらすじ~

ドイツ騎士団に続き、リヴォニア帯剣騎士団を属国化し、さらにはノヴゴロドにも侵攻していくデンマーク王カール1世。

ノルウェーの併合も開始し、すべて順調のように思えた。

そんな中、同盟国ポーランドが大オルド-モスクワ大公国の同盟に宣戦布告。

それだけならまだしも、そこに加えてオスマン帝国が参戦してきたため、デンマーク-ポーランド-リトアニア同盟は危機に陥る。

4年間に及ぶ抵抗の末、デンマークは戦争から離脱を決意。

そして、ノルウェーに続き2大騎士団領の併合も開始する。

 

 

1.摂政時代(1504年~1513年)

デンマーク王領域の拡大を実現した偉大なる王カール1世は、1504年に崩御する。58歳での死であった。

彼は晩年に最愛の息子クリスチャンを失っており、デンマーク王位はクリスチャンの遺児であるフレゼリクに継承された。

しかし当時フレゼリクはまだ6歳と幼く、カールの妃であったカタジーナ(Katarzyna)が摂政となって政治の実権を握った。

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カタジーナがまず取り掛かったのはフランスとの同盟構築であった。

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というのも、同君連合下にあるスウェーデンイングランドに独立保証されており、いつ反旗を翻してもおかしくない状況であった。

そのとき、イングランドの宿敵であるフランスと手を結んでおくことは、十分な抑止力になり得ると、カタジーナは考えたのである。

 

また、当時のフランスはすでにイベリア半島にも勢力を伸ばしており、西ヨーロッパ最強の国家であることは間違いなかった。

この後、デンマークプロテスタントに染まり、オーストリア皇帝と対立していくことを考えると、その片腕としてのフランスの存在は大きな価値を持つことは間違いなかった。

 

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1506年11月1日。リヴォニア騎士団領を併合。

また、1510年7月12日にはドイツ騎士団領も併合。

 

 

属国がなくなったことと、デンマークの国力が強大化されたことによって、ようやくスウェーデンの併合を開始することができるようになった。

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カタジーナはスウェーデン王国デンマーク王国への併合開始を宣言する。

バルト海帝国は一つに纏まらなくてはならない――120年前にマルグレーテが実現したカルマル同盟結成以来の悲願が、ついに果たされようとしていた。

 

 

 

2.親政前半期・内乱時代(1513年~1522年)

1513年3月1日。

フレゼリク1世が成年に達し、いよいよ親政が開始された。

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しかし、継承権に疑義を持たれていたフレゼリクの即位に対し、ヤコブ・グリップという王位僭称者が反乱を起こす。

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先の大東方戦争でも活躍した歴戦の将軍ポール・ホーグ率いるデンマーク軍が、ルンドに上陸し、これを殲滅する。

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あっけなく鎮圧。

無意味な反乱は起こすべきではない。

 

しかしこの反乱はこの後巻き起こる大内戦の序章に過ぎなかった。

 

 

1521年6月1日。

フレゼリクの治世もようやく軌道に乗ってきた頃、突如として巻き起こった内戦。

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すでにホーグ将軍はこの世にいなかったため、フレゼリク1世自ら指揮を執り、反乱鎮圧に出向く。

 

 

内戦中に様々なイベントが発生。

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地域の自治度を上げたり、新たな反乱軍を出現させたり、資金を支払ったりすることで少しずつ正統性を上昇させていく。

 

 

そして1522年11月10日になんとか内戦が終了。

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安定度が一気に+3となり、思ってもいない遺産を手に入れることができた。

 

 

3.親政後半期・第二次大東方戦争とハンザ戦争(1523年~

1523年5月12日。

ポーランドから対モスクワ戦線に誘われる。

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前回同様にオスマンが敵方に参戦したものの、今度は皇帝率いるオーストリア軍がこちら側の陣営についたことでぐっと優位に。

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デンマークスウェーデン・ポリ連合・オーストリアの西方同盟及び、モスクワ・ノガイ・オスマンの東方同盟の大激突。

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この戦争の最中覗いてみると、一時は100近くあったポーランドの「お前の領土を欲しがっている」ペナルティが消滅していた。

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これは、ポーランドとの永久同盟の可能性も出てきた。

 

 

1525年12月6日。ポーランドが敵同盟と和平を結ぶ。

とくに領土のやり取りがあったわけではないが、これによりデンマークポーランドから大きな信頼を勝ち取ることができた。

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さらに1527年5月19日。

今度はブランデンブルク選帝侯デンマークに対し、対ハンザ同盟戦争への協力を呼び掛けてきた。

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ちょうどリューベックの領土も欲していたデンマークにとってこの申し出は渡りに船。

早速参戦することに。

 

 

兵力差は歴然で、デンマーク軍は早速リューベックホルシュタインを占領。そしてリューベック市もただちに包囲し始める。

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そして1529年1月16日。

ベルリン条約が結ばれ、リューベックホルシュタイン州をデンマークに、ホルシュタインリューベック市以外のすべての領土をブランデンブルクに譲渡することを承諾した。

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ブランデンブルクに恩を売るためとはいえ、デンマークにとっては、ホルシュタインリューベック市2つともを獲得したうえで単独和平する道もあった。

ブランデンブルクへの義理立てを優先し大きな魚を逃したとも言える。

ここは反省点の一つであった。

 

可能ならば1544年の講和条約切れを狙って、再びリューベックに攻め込みたいところだ。

そしてリューベック交易圏の完全支配を目指すのである。

 

そしてフレゼリク1世の治世中に、「探検」アイディアを獲得し、最初の探検家を大西洋に派遣している。

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まだ植民可能距離が短く、実際の植民には至ってはいないものの、いよいよ植民地政策もスタートできる状況になってきた。

 

第4回に続く。

Europa UniversalisⅣ プレイレポート:デンマーク 第2回「カール1世の治世」(1465年~1504年)

Europa UniversalisⅣ プレイレポート:デンマーク

前回のあらすじ~

バルト海交易圏の支配を目論んで、デンマーク王クリストファ3世はドイツ騎士団、およびリヴォニア帯剣騎士団への攻撃を開始した。

結果としてダンツィヒやリガといった重要な貿易港を手にしたデンマーク

しかし、拡大する彼の国の前には、ポーランドリトアニア連合王国モスクワ大公国といった、強大なライバルたちが立ちはだかろうとしていた。

 

 

1.内政期

1465年6月1日。

クリストファ3世が崩御。享年49歳であった。

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そして息子のカール1世が即位。能力値は父以上のものがあり、待ってましたという即位である。

 

まだ19歳と若い少年王は、しかしその若さにも関わらず「君主の性格」がいきなり3つある。

即位直前は1つだけだったのに、これは何の効果なのだろう?

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その性格は以下の通りである。

  • 「勤勉」(Industrious)・・・商品生産量+10%
  • 「臆病」(Craven)・・・陸軍士気-10%
  • 「慎重」(Careful)・・・攻撃的拡張(Aggressive Expansion)の増加量-10%

 

なんというか、イメージしやすい組み合わせである。

いずれも少年らしい性格とも言える。成長とともに変化は・・・まあ、しないのだろうけれど。

 

 

10月18日には、Østjylland(東ユラン?)の貴族クラーベ家の娘マルグレーテと結婚。

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そして王太子クリスティアン誕生。

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能力値もまずまずだ。

 

 

ノヴゴロド公国モスクワ大公国に随分攻撃されている。

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ノヴゴロド公国、とくにその重要な貿易港であるネヴァ(Neva)はデンマークの将来の標的である。

おそらくはこの後、その地も含めてモスクワのものとなるだろう。

そうすればデンマークにとって、このモスクワは倒すべき重要な相手の一人になるはずだ(実際、向こうからこちらをライバル指定してきたので、こちらからもやり返している)。

 

 

1467年3月9日。

「ベルゲン騒動」なるイベントが発生。

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ノルウェーの商人とハンザ同盟の商人たちとの対立、ということらしく、ノルウェー側につくかハンザ同盟側につくかの選択肢となる。

 

ハンザ同盟側につけば威信マイナスとノルウェーの友好度が大幅に減少する。

逆にノルウェー側につくとハンザ同盟諸都市との関係が大幅に悪化する。

 

 

迷いつつ、ハンザ同盟側につくことに決める。

ハンザ同盟は帝国領内に属しており、暫くの間は手を出すつもりがない。

よって、基本的には関係改善を行い、包囲網が形成されないように気を遣っている最中なのだ。

一方ノルウェーは50程度のマイナスであれば、十分にIntegrateが可能な値を維持することはできる、と判断し、上記の選択肢を取ることにした。

 

 

1468年10月にはナショナルフォーカスを変えることができるようになったため、外交にフォーカスを当てる。

この後は「影響」アイディアをガンガン取っていき、外交併合を活用していくタイミングとなる。

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また同じタイミングで統治技術レベルを6に上げ、工房を首都シェラン島とルンドに建造。

内政力の更なる強化に努める。

 

 

2.北方侵略戦争(1477年~1481年)

1477年1月1日。

停戦明け直後のリヴォニア騎士団に宣戦布告。

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属国設立したエストニアのコア回収を大義名分とする。

 

カール1世の初陣。父にも負けぬ能力。攻城がないのが残念だが。

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戦争は10か月で終了。

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エストニアのコアを持つ州を割譲させたうえで属国化。

 

そしてリヴォニア騎士団がノヴゴロドの領土に請求権を持っていたため、それを利用して1480年の10月に宣戦布告。

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放っておけばどのみちモスクワに取られるのだから先にやっちゃったもん勝ちである。

 

戦争中に各種デンマーク固有のイベントが発生。

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史実におけるハンス王が建てた聖クレア修道院、そしてクリスチャン1世が建てたコペンハーゲン大学の建設イベント。

地味だがそれなりの効果をもたらしてくれる。

 

また、1480年4月1日にはエストニアの併合が完了。

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そして1481年の10月に、ノヴゴロドと和平する。

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ノヴゴロドからはリヴォニアが請求権を持っていたインゲルマンランドのみ割譲させる。

そして十分な賠償金を得て和平。

やがてリヴォニアを属国併合したあと、ネヴァなどほかの領域を獲得していこう。

 

バルト海沿岸部を囲むようにして勢力圏を広げていく。

バルト海交易圏のシェア率は40%に達した。

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一方でポーランドの「お前の領土を欲しているぞ」値が大変なことになっている。

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いつ同盟破棄されてもおかしくはない。

オーストリアとも関係を改善し、いつでも同盟を結べるようにしよう。

 

 

いずれにしてもしばらくは拡張を止め、大人しくしていよう。

ドイツ騎士団領の併合やリヴォニアの併合。

そしてノルウェースウェーデンの併合を目指していく。

 

 

3.内政期

1482年7月26日。

2つ目のアイディアである「防衛」を獲得。

とにかく対ポーランド、対モスクワの防衛線をしっかりと強化する必要がある。

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1484年2月2日。

馬上槍試合イベントが発生。

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威信と正統性とを引き換えに陸軍伝統100相当の将軍が手に入る良イベント。

しばらく戦争する予定もないので少し迷ったが、やはり採用を選択。

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強い将軍を見るのはいいものだ。

 

 

ところでドイツ騎士団モスクワ大公国によって独立保証されている。

このままでは併合できない。どうしたものか。

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そんなモスクワが、ノヴゴロドをさらに侵食。

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このあと、ノヴゴロドは滅亡し、すべてモスクワ領となってしまった。

いよいよモスクワと国境を接することに。

 

 

1494年1月3日。

ついに、ノルウェーの併合を開始する。

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そんな矢先に訪れたCall to Arms!

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どうやらポーランドがモスクワに喧嘩を売るらしい。

 

 

 

4.大東方戦争(1497年~1501年)

正直、参戦するかどうかは迷った。

モスクワを相手するのはやはり、少々不安があるのだ。

 

よって、戦力データを確認。

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モスクワ・ポーランドリトアニアの総戦力を比較し、ポリ連合だけでモスクワを相手取ることが可能であると判断し、参戦を決める。

 

 

 

うむ、問題ない。

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は?

 

 

 

 

 

 

 

 

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なん・・だと・・?

 

 

 

まさかのオスマン参戦。

 

 

 

 

どうする?

 

 

 

 

とりあえず侵攻してきているモスクワ軍を殲滅することにする。

ホーグ将軍の初陣である。

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問題なく勝利。

さっきまで近くに敵の援軍がいた気がしたのだが結局来ることはなかった。

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もしかして意外とイケるんじゃないか?

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1500年3月9日にモスクワが脱落。

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しかしこれにより逆に戦勝点が大きく減少することになり、さらにポーランド軍マンパワーも底をつき、南方戦線は今にも瓦解し、オスマン軍がこちらに流れ込もうとしていた。

 

 

よって、1501年1月28日。

敵の大オルドと分離和平。白紙和平となった。

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結局、ほぼ何も得られずの戦いに終わった。

こんなんだったらさっさと和平しておくべきだった。

 

 

 

 

5.戦後

戦争中にいろいろとイベントが起きていた。

 

まずは「スカンディナヴィア憲法」。

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史実におけるハンス王が、カルマル同盟強化のために制定した憲法、なのだろうか?

調べてもそれらしきものは出てこないが・・・

 

いずれにしても、非常に大きな効果をもたらす代わりに、スウェーデンデンマークに対して大きな態度ペナルティを持つことになる。

 

併合の妨げになる危険もありうるか・・・と決断を遅らせていたら時間経過で自動で制定となってしまった。

 

それでも関係度は180程度までしか下がらなかったので、最悪現金を渡すことで態度向上させて併合することは可能そうだ。

 

 

 

また、「カール1世の改革」なるイベントも発生。

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これも非常に高い効果をもたらしてくれた。

 

ほかにもスクリーンショットを撮り忘れたが巨大艦隊の創設なるイベントもあり、こちらも大きな効果をもたらす良イベントであった。

 

 

そういった良いニュースばかりが飛び込んでくる中で・・・

 

 

 

1501年1月27日。

大事に育ててきた後継者クリスチャンが死去する。39歳であった。

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と、同時に出現する孫のクリスチャン。

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神能力じゃないか!

と、狂喜乱舞していると、

 

 

 

 

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え?

 

 

 

 

 

何が起きたのか。

神能力のクリスチャンが後継者となったのではないのか。

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実際に正規の後継者となっているのはこの、ひどい能力のフレデリックである。

しかも継承権「弱い」ときたものだ。

 

 

 

一体なんなんだ。これは、バグか?

 

 

 

とりあえず、気を取り直し、バルト海沿岸地域大併合を開始する。

 

まずはリヴォニア騎士団。

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そしてドイツ騎士団

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さらにはスウェーデンの併合も開始する。

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外交官をすべて貼り付けて大併合大会の開始である。

1回併合するごとにほかの属国の友好度がダウンしているため、こんな風に一気に併合してしまうのがよい。

あまりに必要外交力が高すぎてスウェーデンの併合はしばらく開始できない状態だが、仕方あるまい。

 

ゆっくりと併合していこう。

 

 

 

最後に、1501年時点での経済状況を見てみる。

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統治ポイントがあまり気味だったため結構税収開発を行っていた。

その結果もあり、税収入は合計11.18。

シェラン島からは単独で1.72も獲得している。

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生産収入ではルンドが高い

スコーネ市場(Skåne Market)という特別なボーナスがついていて、商品生産量が多いがゆえである。

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貿易状況も見てみる。

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ハンザ同盟の影響力が強く、最も重要なリューベック交易圏でのシェア率がイマイチなおかげで、思った以上の収入を得られていない。

 

ここは宗教改革以後、ヨーロッパ全土を巻き込んだ宗教戦争の最中になんとか奪っていきたいところである。

 

 

1500年段階のデンマーク領土。

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ノルウェーの併合を果たし、いよいよアイスランドを獲得。

 

やがてバルト海周辺全域がデンマーク王家のものとなるだろう。

 

 

第3回に続く。

Europa UniversalisⅣ プレイレポート:デンマーク 第1回「クリストファ3世の治世」(1444年~1465年)

Europa UniversalisⅣ プレイレポート:デンマーク

ver.1.19.2の別名は「デンマークパッチ」。

各種デンマークの固有イベントが追加されたらしい。

 

ということでデンマークプレイのレポートを新たに上げる。

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1.ダンツィヒ征服戦争(1446年~1448年)

デンマークの君主はクリストファ3世。

カルマル同盟によりノルウェー王位とスウェーデン王位も継承しており、さらにホルシュタイン伯領を従属下においた状態からスタートしている。

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「君主の性格」はInfertile。後継者誕生確率-25%。

実子なく崩御した史実を反映しているのだろう。

顧問は外交評判を上げる「政治家」と、規律+5%の「司令官」を雇用する。

 

 

外交関係はハンガリーイングランドスコットランドからライバル視されているので、こちらからもライバル指定をし返しておく。

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また、教皇庁との関係改善ミッションを選択し、外交官を派遣しておく。

そして、ドイツ騎士団にスパイ網構築を仕掛け、そのライバルであるポーランドとの関係を改善しておく。

 

最初の目標はドイツ騎士団が領有するダンツィヒ

そのために、ポーランドリトアニア両国には十分に協力していただくつもりだ。

 

 

ちなみにデンマークはゲーム開始直後からゴットランド島を反乱軍によって占領されている。

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デンマークが保有する輸送船は10隻しかないので、上陸戦を仕掛けるのは得策ではない。

この反乱軍はこの後、Gøngeに移動するため、あらかじめそこに軍隊を置いておいて迎え撃つことにする。

 

その際に国王を将軍化。

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各パラメータがバランスよく配置。

とくに攻城能力が高いのは、大砲のない序盤においては非常に価値が高い。

有能である。

 

 

Gøngeに上陸してきた反乱軍を迎撃。

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敵将軍の能力はそれなりに高く、思ったよりも被害を受けてしまった。

 

 

また、ハッランド地方の小貴族であるスキール家の娘マルグレーテと婚姻を結ぶ。

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そして後継者カールが生誕。

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史実とは何だったのかというくらいに簡単に生まれた後継者。

しかもそれなりの能力なのが嬉しい。

 

 

1446年7月20日。

ポーランドとも同盟を結び、早速ドイツ騎士団に宣戦布告。

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リトアニアと同盟を結んでいたようだが、もちろんこの後、リトアニアはこちら側での参戦となっている。

ポーランドには領土割譲を約束している。

 

戦争自体は問題なく推移。

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最初、ユトランド半島に攻め込まれたものの、本土を侵略されたことで引き返してきたドイツ騎士団軍を、デンマーク陸軍2万で迎撃する。

 

1448年6月20日。

ドイツ騎士団領全土を制圧し、講和条約を結ぶ。

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予定通りダンツィヒを獲得。

ポーランドはクルム(Kulm)*1のみで満足してくれるようだ。

その他、264デュカートの賠償金(うち、デンマークは148デュカートを獲得)と、デンマークに対し10年間、毎月の収入の10%を納めることを約束させた。

 

間違いのない大勝利。

幸先の良いスタートとなった。

 

 

2.内政期

次の戦略を検討するが、やはり引き続きドイツ騎士団領を襲うことにする。

標的はネマン河口部の都市メーメル。

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ここを占領することで、さらなるバルト海交易圏争いにおける優位性を高めていこう。

 

とりあえず1460年の停戦明けまではすることもないので、陸軍維持費を最低にし、船舶もモスボール化し、浮いたお金で統治顧問の雇用などを行い内政の強化を狙う。

(陸軍維持費は、ダンツィヒの反乱率が上がってきたら回復させよう)

 

 

1449年8月10日。

ホルシュタイン伯アドルフ8世が死去し、その遺領を巡るイベントが発生する。

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史実ではデンマーク王はここで「リーベ条約」を結ぶのだが、ゲーム上でそれを実現するにはそれなりの額の資金(ここでは139デュカート)が必要となる。

また、それをしない場合は、ホルシュタイン伯領が属国から外れる代わりに、シュレスヴィヒを無償で獲得できる。

わざわざホルシュタイン州まで無理して手に入れる必要もないので、ここは後者を選択。

そもそもホルシュタイン州は帝国領土の一部である。

余計なことはしない。少なくとも今は。

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シュレスヴィヒ獲得。

しかし国力は決して高くないので、まだState化はしないでおく。

(と思っていたが、元よりコアを持っているのだからさっさとState化するべきだったと後で気づいた)

 

ドイツ騎士団ボヘミアと同盟を結んだため、こちらも同盟網を強化しておく。

とりあえずブランデンブルクと同盟だ。

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その他、各技術のレベルを上げ、主要都市に寺院や市場を建設していく。

陸軍維持費を最低にしていれば毎月5デュカート近くの収入が得られるため、結構なペースで内政改善を図ることができる。

 

1459年7月1日に最初のアイディアである「影響」アイディアを獲得。

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同君連合と属国とを混同していて、すでに属国は存在しない状態であるにも関わらず慌てて上記のアイディアを獲得してしまった。

まあ、有用なアイディアは多いので問題はないだろう。

 

1460年時点での経済状況。

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プファルツ-ノイマルクト公だった父の遺領を受け継ぐというイベント(「Bavarian Inheritance」)によって税収入に+0.66のボーナスがついている。

州都コペンハーゲンのあるシェラン島(Sjælland)は各種開発イベントで税収入開発度が11に達しており、合計の税収入が1.08に及んでいる。

その他、ルンド(Lund)とダンツィヒが0.56、フュン(Fyn)が0.54の税収入を得ている。

(ルンドは貴族階級が、ダンツィヒとフュンは聖職者階級が統治している)

これらの都市はすべて寺院を建造している。

 

同じく1460年時点での交易状況は以下の通り。

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シェラン島ダンツィヒに市場を建造しており、交易力はそれぞれ48と39.6。

リューベック交易圏とバルト海交易圏の交易シェア率はそれぞれ17%と22%である。

 

 

 

3.北ドイツ戦争(1460年~1463年)

 1460年9月1日にリヴォニア騎士団との講和が切れる。 

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陸軍士気を高める効果を持つ「軍事改革者」を雇用。

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レベル2の顧問だったこともあり、財政は赤字となるが、貯金は十分にあるため問題ない。

早く軍事レベルを5に上げて歩兵をグレードアップさせたいというのもある。

すでにボヘミアはレベル5なのだ。

 

そしていよいよ宣戦布告。

リガとリヴォニア騎士団にもチェックを入れて、可能な限りの収奪を行う予定でいく。

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デンマークブランデンブルクポーランド同盟vsドイツ騎士団リヴォニア騎士団・リガ・ボヘミア同盟。

総兵力24万の大規模戦争となった。

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しかしこちらと相手方の兵力差は5倍。

これならば負けないだろう。

 

 

 

開戦と同時にマリエンブルクに侵攻し、騎士団軍を殲滅。

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そして騎士団領各地に兵を展開し、包囲戦を開始する。

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さて、対ボヘミア戦線を任せている同盟軍の方はどうかというと・・・

 

 

 

 

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ガンガン敗北中。

おいおい、大丈夫か。

 

 

それでも1463年の春にはボヘミア以外の全領土を制圧。

ボヘミア方面もその後反撃を行い、その領土を次々制圧しているようではある。

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3月29日。リガを併合。

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4月19日。

リヴォニア騎士団領のエーゼル島(Ösel)を獲得。これはミッションの関係である。

またゴルディンゲン、ミタウ(ラトビア語ではイェルガヴァ)スウェーデンに割譲。

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そして5月1日にボヘミアと和平。

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159デュカートの即時賠償金(うち、93デュカートをデンマークに)と、デンマークに対する10年間の継続的賠償金のみを約束させる。

領土の移動などはなし。どのみちポーランドブランデンブルクは、そう遠くない未来において敵となるだろう。不必要に彼らを強大化させる必要はない。

 

そして5月10日。

騎士団とも和平条約を結ぶ。

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ダンツィヒの地で結ばれたこの条約において、騎士団のデンマーク王国への従属が定められた。

 

 

今回の戦後報告書は以下の通り。

双方で10万以上の死傷者を生んだ戦争となった。

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リガの獲得、そして騎士団領の属国化など、当初予定した以上の戦績を挙げることができた。

また、ボヘミアブランデンブルクポーランドも激しいぶつかり合いを経験し、彼ら3国すべてに十分な消耗を与えることもできたようである。

十分な成果と言えるだろう。

 

 

ミッション達成したのちに不必要となったエーゼル島を種に、エストニアを属国設立させた。

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次の戦争の目的は、このエストニアのコアを持つリヴォニア騎士団である。

 

可能ならば属国化を。無理であってもエストニア領を回復させる。

 

リヴォニア騎士団との休戦条約が切れるのは1477年の1月。

そこまではまた内政期間とし、その間に影響アイディアなどもしっかりと進めていこう。

 

 

ここまでは順調。

だがポーランドリトアニアがいつ敵となるかわからない。

次なる同盟相手なども、少しずつ探っていく必要があるだろう。

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デンマークポーランドの色がほぼ同じなので紛らわしい・・・

 

第2回に続く

*1:ポーランド領有後は、ポーランド語のヘウムノ(Chełmno)に名前が変わった。