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リストリー・ノーツ

歴史ゲームのプレイレポートが中心。https://twitter.com/SuzuTamaki

Europa UniversalisⅣ プレイレポート:フランス 第13回「最終回・世界をきれいにするための戦争」(1749年~1821年)

前回のあらすじ~

18世紀に入り、帝国主義を笠にフランスは急拡大。

ついに、同盟国スペインの誘いに乗じ、永遠のライバルであったイングランドへの侵攻も開始する。

結果として1749年12月。

イングランドにおける領土拡大に成功したフランスは、大陸における最後の拡張に向けて動き出す。

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1.帝国解体

1765年3月12日。

ボヘミアの皇帝に対し、最終決戦を挑む。

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兵力差は10倍以上。完全に弱い者いじめである。

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各種軍事アイディアを獲得し、軍事技術も最大限にしており、将軍の性能も高いフランス軍は、各地で敵軍団を全滅させるだけの戦果を挙げている。

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1765年から1766年にかけて、ザクセン=ラウェンブルグ、バーデン、アンハルト、ナッサウと次々併合していく。

 

 

 

そして1766年6月1日。

ついに選帝侯であるブランデンブルクの領土も、コモンウェルスとの間で分割することに。

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その数日後にはボヘミア領を、コモンウェルスとの間で分割。

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これにて、ボヘミアの皇帝はその所領をすべて失った。

もはや彼は皇帝を名乗れなくなったのである。

 

 

あらたにバイエルンの王アルブレヒト4世が皇帝を名乗るが、もはや選帝侯は3人。

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帝国解体も秒読み段階である。

 

 

過剰拡大が100%を超え、各地で反乱祭り中。

即、平定していくものの、マンパワーがゴリゴリ削られていく。

戦争するよりも反乱鎮圧の方が国力を消費するというのはリアルなのかどうか。

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まあ削られたマンパワーも数か月で元通りになってしまうのだが。

 

 

 

 

同じ年の11月にはコモンウェルスから対オスマン戦争へのお誘いが。

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その半月後にはスペインから対イングランド戦争へのお誘いが届く。

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もちろん共に承諾。

もはやフランスに怖いものなどないが。

二正面・三正面作戦どんとこいである。

 

なお、フランスはフランスでそんな状態の中、バイエルンの皇帝に宣戦布告をして自ら戦争を始めている。

 

 

1768年9月19日。

バイエルンを完全併合したい、と思いつつ・・・

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ハイエナをしたアウクスブルクバイエルンの都市を1つ占領しているため併合できず。

仕方なく、1州残して属国化する。

 

 

そして戦争状態になったアウクスブルクを併合。1769年10月6日。

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これにて、アウクスブルク選帝侯も失われ、バイエルン選帝侯も属国化し、残るブレーメン選帝侯もフランスの従属下に置かれているため、ついに「帝国解体」ボタンが解禁されることに。

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なんか苦し紛れにイギリス王が皇帝になっているが無視である。

 

 

そして達成! 帝国の解体である。

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1769年10月の世界地図。

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Franceの文字が偏ってしまって美しくない。

原因は、400を超えるAEを抱え属国併合できずにいるオーストリアの存在だ。

これを地図上から消滅させるほかない。

 

 

 

2.世界をきれいにするための戦争

1769年11月11日。

属国を解除するコマンドがあることに今更気づき、実行。

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そして宣戦布告。

79年の5月1日に、まずは同盟国のハンガリーを征服する。

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1州だけ残ってしまった。

 

 

その1年後にオーストリア全土を併合。

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これで随分きれいになった・・・

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いや、まだブリテン島が汚い。

 

 

よって、1788年1月8日。大ブリテン

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北米植民地も侵略しつつ、1796年7月20日にブリテン島を完全併合。

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フランス領ブリテン誕生。

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北米植民地をぼこぼこにした結果、1797年1月26日にアメリカ独立戦争が勃発。

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と思ったらフランス国内でも反乱が発生。

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あっという間に全土に広がる。

これは・・・フランス革命の一種なのか?

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並大抵の国であれば崩壊のきっかけとなりうるが、フランス帝国にとっては問題ない。

次々と蜂起する反乱軍を武力で鎮圧。

3年後には獲得領土のコア化が完了し、反乱は収まった。

 

 

 

1806年10月6日。

スカンディナヴィアがモスクワ大公国の方に喧嘩を売ったように見えたので何の気なしに参戦依頼に応じてみると・・・

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向こうの同盟国にコモンウェルスの姿が。

長きに渡りフランスの重要な同盟国であったコモンウェルスとまさかの対決を強いられる羽目に。

 

泣きながら殴り続けて3年。

ダンツィヒなどを頂いて分離和平する。付き合ってられるか!

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このあとボスニアなどを併合。

ハンガリーの残り1州も併合した。

 

 

1811年8月23日。

せっかくだから北米もきれいにしたいということで独立したばかりの合衆国に宣戦布告。

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射撃5の将軍に率いられた大砲部隊が強く、10倍近い損害を与える。

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1815年6月1日には、カナダにも宣戦布告。

とにかく時間切れまでできるだけ領土拡張を狙う。

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そうして迎えた1821年。

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フランク王国旧領の回復とブリテン島の征服を果たす。

 

 

北米はこんな感じ。

合衆国は巨大すぎて1回の戦闘ではさすがに全部は奪えず。

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首都パリはこんな感じ。

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アジアでは朝鮮が勢力伸長していたほか、日本は幕府と斯波氏が対立し統一が果たされぬまま終わった。

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世界地図はこんな感じ。

ペルミってこんなにでかくなるものなの?? ロシアの一都市でしょ??

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3.総括

フランスの強さを実感できるプレイであった。

その強さの本質は金。

途中、オスマンとの戦いが最大の危機ではあったが、あの場面も、どれだけの傭兵を雇用したとしても赤字にすらならないほどの収入を保持できていたことが強かった。

そしてその金は、交易ではなく、ほぼ土地からのみ吸い上げた金であった。

土地の強さを堪能できるのがフランスという国の強さなのだと思う。

(そしてその土地収入の強さは、「経済」アイディアとの相性が抜群。ヴェルサイユを解禁するためだけのアイディアではなかった!)

 

強すぎて後半ダレるのが玉に瑕。

次はもうちょっと弱い国でいこう。

Europa UniversalisⅣ プレイレポート:フランス 第12回「大ブリテン連合王国の征服」(1701年~1749年)

前回のあらすじ~

帝国主義」CBも獲得し、フランスはルイ14世・15世の2代に渡って、ネーデルラントプファルツ選帝侯、スイス、サヴォイアと次々に侵略を進めていく。

旧シュタイアーマルク公の領土も併合し、巨大化したフランス帝国は、やがて18世紀へと突入していく。

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ゲーム終了まであと120年。

果たしてフランスはどこまで拡大できるのか。

 

 

1.オーストリア征服戦争(1711年~1715年)

皇帝がボヘミアオスマン帝国の保護を受けている。

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実に情けない姿であるが、実際にこれは効果的。

もはや敵なしのフランス帝国にとって、オスマン帝国こそが最も敵対したくない相手である。

 

勝てるか、勝てないか、ではない。

得られるものが少ない割に、受ける損害が大きいからである。

 

 

よって、1711年2月10日。

オスマンを相手取らない形を狙っての宣戦布告をする。

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すなわち、独立保証している国を呼びたくなければ、同盟相手としてボヘミアを呼べばいいのである。

 

2年後にボヘミアと、

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その翌年にブランデンブルクと、

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さらにその翌年の1715年5月9日に、オーストリアの属国化を決めて終戦する。

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やりすぎてAEが469まで高まる。

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これだけ帝国主義を推し進める終盤戦になってくると、属国化というのは悪手なんだろうか。

どんどん直接併合していくべきなのだろう。

 

当然、Liberty Desire が常にマックスのオーストリアは各国から独立保証される。

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むしろさっさと独立戦争してもらいたいくらいである。

 

7番目のアイディアとして「質」アイディアを採用。

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これでほぼ軍事アイディアを取りつくした感ある。

時期的にもこれがほぼラストのアイディアとなるだろう。

 

 

 

2.ブランデンブルク征服戦争(1729年~1732年)

1729年10月29日。

何があったか知らないが、皇帝と非常に仲の悪いブランデンブルク選帝侯に対し、宣戦布告。

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ボヘミアが再びオスマンの独立保証から抜け出して同盟を結んでいたため、ボヘミアを参戦させないことを第一に考えた結果、この標的となった。

 

3年後に和平。

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ブランデンブルクの領地を取れるだけ取る。

この後、ブランデンブルク選帝侯位も剥奪されたようで、踏んだり蹴ったりである。

 

 

 

3.ボスニア征服戦争(1736年~1737年)

1736年10月24日。

ボスニア王国に宣戦布告。

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ボヘミアが同盟国となっているが、この国は帝国諸侯ではないため、ボヘミアが皇帝として、その同盟国を引き連れての参戦ではない。

となると相手はボスニアボヘミアだけなので相手にならないレベルである。

 

速攻で1年後に講和。

ボスニアを属国化する。

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ところで、オーストリア戦争中の1713年に前帝ルイ15世崩御し、その息子ルイ=フランソワ1世が即位していた。

当初、その後継者は12歳年下の弟アンリに定められていたが、1742年4月28日にこのアンリが急死。

新たに能力値6/1/4の有能な後継者シャルルが現れる。

 

いや、6/1/4は驚くべき程の有能さ、というわけでもないのだが、それでもルイ=フランソワ1世が4/0/0と唾棄すべき無能さに満ち溢れていたため、まもなく死ぬであろうが一刻も早くという思いで、本レポ2回目の「譲位」を行う。

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合計で7ポイントも君主力が変わるのだからこの違いは大きい。

そしてまだまだ22歳なので、ぜひ長生きしてもらいたいものだ。

名前はシャルル8世。

史実ではイタリア王国を始めた王としては、さほど評価が高いわけではないのだが。

 

 

 

 

4.大英帝国征服戦争(1743年~1749年)

1743年6月23日。

スペインから参戦依頼が飛び込む。

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ブリテン連合王国オスマン帝国を巻き込んだ大戦争は、いつかは行うべきものと考えてはいた。

しかしそのときは、こちらの同盟国総参戦での世界大戦にするつもりであった。

 

この参戦依頼に応えては、コモンウェルスやスカンディナヴィアといった同盟国が参戦してくれるわけではなくなる。

 

迷いつつも・・・

 

 

しかし、ここまで多くの同盟国を裏切り続けてきた。

今ここで、数百年にわたる同盟関係を築いてきた盟友スペインを裏切るわけには、やはりいかない。

 

 

 

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だから、参戦を決めた。

コモンウェルスなどがいなくとも、戦力差は83万vs49万。

フランス単独で、敵同盟国すべてを凌駕する軍量を持っている。

 

およそ半年後の2月7日に早速皇帝ボヘミアが脱落。

情けない。

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1745年6月1日。フランス本隊がブリテン島に上陸。

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大英帝国の海軍がやはり強く、上陸させるのも一苦労。

しかも、2回にわけで軍隊輸送したにも関わらず、現状上陸させられた陸軍は7万ほどで、英国陸軍は10万以上。

 

これはやばい、壊滅させられる・・・と思ったが、なぜか英国陸軍、攻めてこず。

 

 

これはチャンスとばかりに全力で傭兵雇用 → 敵海軍の隙を狙って輸送、で12万近い兵力をブリテン島に送り込んだ。

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12万で足りるか?と思ったが、射撃4の有能将軍ジャン・デ・ゼルビエの力も借りてなんとか敵陸軍を敗走させる。

 

2年後にはロンドンも制圧し、順調に侵略を続けていく。

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その年の12月にはついにオスマンも陥落。

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オスマンから分捕った1482デュカートもの賠償金の9割近い額をフランスがいただく。

 

まあこんな状態だったしね。

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1748年3月27日。エセックスの戦い。

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快勝。これで英国陸軍の主力に大打撃を与えることができた。

強いぜジャン元帥!

 

 

 

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しかし海戦では敗北続き。

大型船も敵数以上あっても壊滅させられる。

まあ、こちらは旧式の船も多いからね・・・この敗北は、旧式を処分するためのセールだと思えば安いもんだ。

 

 

 

そしてついに1749年12月12日。

ブリテン征服戦争が終結する。

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途中、ロンドンあたりを奪って分離和平をしようかとも考えたが、請求権がないものの外交画面で「欲しい領土だよ!」指定したところをちゃんとくれるのかを実験したかったこともあり、そのまま戦争を継続させてみた。

結果として、その土地の高さゆえにロンドンまではもらえなかったものの、その周辺の領土をいくつかもらうことはできた。

 

それと、「参戦ありがとう!」とTrustを20くらいボーナスでもらった。

やはり、信頼に応えるのは嬉しいものだ。

 

 

ブリテン連合王国との講和条約マドリッド条約」の中身は以下の通り。

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  1. ブリテン連合王国は、オックスフォードシャーエセックスをフランスに割譲する。
  2. ブリテン連合王国は10年間、スペインに毎月の収入の10%をスペインに貢納する。
  3. ブリテン連合王国はスペインとその同盟国に合計1356デュカートの賠償金を支払う。なお、フランスはそのうちの1159デュカートをもらい受ける。

 

もちろん世界大戦はこれで終わりではない。

ゲーム終了まで残り70年ほど。

まだまだ大きい戦いを巻き起こすことは可能だ!

 

第13回に続く。

Europa UniversalisⅣ プレイレポート:フランス 第11回「フランス帝国主義時代」(1653年~1701年)

前回のあらすじ~

オスマン帝国をも巻き込んだ、総勢50万以上の軍隊が激突した世界大戦。

これを制したフランス皇帝ルイ14世は、新たにシュタイアーマルク公国を属国化し、またイングランドの大陸からの完全追放に成功した。

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双方に80万以上の死者をもたらした大災厄となった世界大戦。

しかし、皇帝ルイ14世はなおも、その侵略の手を緩めるつもりなどなかったのである。

 

 

 

 

1.ネーデルラント征服戦争 -ルイ14世の治世-

1666年8月11日。

皇帝不参加を見計らってプファルツ選帝侯に宣戦布告する。

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2年後の7月25日には講和。

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アルザスをフランスに割譲、サングオを属国シュタイアーマルクに割譲、

そしてアンスバッハ・バーデン・クレーフェ・フランクフルトなどを独立させる。

これらは属国化したかったが、帝国の一部を侵略しているペナルティなどで断念。

 

 

 

 

その後は、スイスやらネーデルラントやらに宣戦布告をしたかったものの、つねに皇帝がしゃしゃり出ようとしてきて、彼が不在になったと思った次の瞬間に皇帝位がボヘミアに移ってやはりダメになる、となかなか開戦できずにいた。

皇帝自体は怖くもなんともないのだが、その同盟国にオスマンがいるのが厄介だった。

イングランドオスマンと同盟を結んでいるため手が出せず。

 

 

そうして1670年代後半。

ボヘミアの皇帝ヴァーツラフ7世がオスマンとの同盟を断絶。

 

これ幸いに、とばかりにいよいよルイ14世は侵略の魔の手を伸ばそうとする。

 

最初の標的はネーデルラント

しかし、同盟国のコモンウェルスが参戦を拒否。

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理由は借金ということなので・・・

 

 

気前よく肩代わりしてやる。

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そうして1679年2月18日。

問題なく共に宣戦布告。

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10月30日には早くもオーストリアを脱落させ、その領土の大半をシュタイアーマルク領に編入させる。

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3年後。1682年6月28日。

ボヘミアの全土を制圧し、シュレジアを独立させたうえで、コモンウェルスがコアと請求権を持つ領土すべてをコモンウェルスに譲渡させた。

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コモンウェルスは、対ボヘミア戦争において十分な壁役を担ってくれた。

その労に報いる形である。

これからもよき同盟相手であってほしい。

 

 

そして1683年の11月1日。

当初の戦争目的であったネーデルラントを降伏させ、その主要領土を大量に割譲させた。

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AEが100を超えるという異常な事態に発展するも、包囲網が組まれることはなかった。

もはやここまで来ると、誰もフランスに立てつけないでいるわけだ。

 

なお、ボヘミア降伏直後の1684年8月14日には、ルイ14世崩御

享年74年。ゲーム開始以来最長の記録を誇った。

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後継者はルイ15世

先だって生まれていた同名の後継者は途中で事故死している。

そちらは優秀だっただけに残念。

 

ルイ15世は即位当初すでに41歳。

15歳年下の後継者アンリは2/2/6とやや偏りつつも悪くない能力だった。

全収入-10%という効果を持つ「強欲」な性格なのは残念だったが。

 

 

 

 

2.スイス征服戦争 -ルイ15世の治世-

1689年3月6日。

今度はスイスに宣戦布告。

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スカンディナヴィアと名前を変えた旧スウェーデンを含め、同盟国全員参加での開戦。

 

 

翌年2月18日にサヴォイアを併合。

これまでスウェーデンと同盟を結んでいてなかなか手が出せなかったのだ。

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10月30日に突如舞い込んできた「京都発見!」の報。

だからどうした。

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1691年1月30日にスイスと講和を結び、属国化を承認させる。

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この辺りでようやく包囲網が組まれ始めるが、何も起きることなく、数年ですぐ解体されていく。

 

 

1695年に外交技術レベル23に達し、最強CBの「帝国主義」を獲得する。

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AE上昇およびコア化コストを25%カットしてくれるすぐれもの。

もちろん、請求権捏造していなくてもどんどん攻め込めるという点も嬉しい。

帝国主義を備えたフランス帝国がやることは一つだけである。

 

 

 

1699年3月12日。プファルツ選帝侯に再度宣戦布告。

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1年後に和平し、その領土の大半を一気に奪い取る。

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この後、シュタイアーマルクも外交併合が完了し、1701年段階での世界の姿はこんな感じに。

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ゲーム終了まであと120年。

果たして、フランク王国旧領回復は間に合うのか。

 

 

 

 

余談だが、1700年に、最後のInstitutionである「啓蒙主義」が生まれた。

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が、その生まれた場所がアフリカ。

 

アフリカで生まれた啓蒙主義・・・非常に興味深い。

 

第12回に続く。

Europa UniversalisⅣ プレイレポート:フランス 第10回「対仏大同盟戦争」(1645年~1653年)

前回のあらすじ~

17世紀最初の20年間において欧州全土で巻き起こった2度の大戦。

フランス帝国は、ヴェネツィアへの玄関口にあたるトレヴィゾを獲得。

さらにエノー伯領、ルクセンブルク大公領、ブラバント公国、アーヘンをすべて属国化した。

しかし犠牲者も2度の大戦でフランス側だけでも50万を超える規模となり、暫くは平和に過ごさざるを得ないかのように思えた。

だが、平和というのは決して長くは続かない。

それは望むと望まぬとに関わらず、すぐに消えてなくなってしまうものなのだ。

 

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戦間期

今回の大包囲網は規模が大きいため、すぐに次の戦争を始めることはできない。

その間に、枯渇したマンパワーを回復させるほか、その他の軍備も整えていきたい。

 

ということで、5番目のアイディアとして「攻撃(Offensive)」アイディアを獲得。

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白兵や射撃の将軍能力が向上したり、攻城戦性能がアップしたり、陸軍保有限界を増やしたりと良効果が揃うアイディア。

これでさらなる規模の戦争においても十分な効果を見込めるはずである。

 

 

また、陸軍伝統が上がるイベントがあったため新たに将軍を雇用。

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射撃5も凄いが機動が6というのが半端ない。

(防衛アイディアと君主の性格によるものだが)

騎兵部隊を率いさせて平原での野戦で力を発揮してもらうか? いや、白兵が低いのでそれは微妙か?

 

 

そして1640年1月28日に「戦争王」ルイ13世崩御

30歳になっていた皇太子ルイがルイ14世として即位した。

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そのルイ14世の後継者ルイがまた、なかなかな能力。

建造コスト削減効果をもつ「建築における想像力(Architectural Visionary)」という良い性格も保有しており、即位が楽しみである。さすがに譲位するほどではないが。

ルイ14世自身も、将軍の機動能力+1という「戦術の才能(Tacrical Genius)」という性格を持っており、戦争に強い能力だ。

 

 

 

――そして、戦いの幕が上がる。

 

 

 

 

 

 

 

開戦

1645年3月23日。

スウェーデンがテューリンゲン選帝侯に攻められ、救援要請を飛ばしてくる。

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こちらがちょうど攻撃したかったプファルツ選帝侯も相手にいるとのことなので、二つ返事で了承。

早速プファルツ選帝侯領に侵攻しようとするが・・・

 

 

 

 

5月13日。

ボヘミアを盟主とする反フランス連合が宣戦布告。

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フランスを中心とした同盟軍は総勢47万。

ボヘミアを中心としてオスマンを含んだ連合軍は52万。

敵陣営の方が約1割兵数が多い。

 

 

 

親仏同盟にはポーランド=リトアニア連合王国ハンガリー、スペイン、ポルトガルスウェーデンおよびそれらの属国たちが。

対仏大連合にはボヘミアのほかイングランドオスマン帝国が主戦力てして含まれている。

 

 

 

正真正銘の、世界大戦だ。

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外交関係MAP。薄い緑が自国、濃い緑が同盟国、そして赤色が戦争相手国である。

 

しかしオスマン単体で16万の歩兵という時点ですでにおかしい・・・。

 

 

 

 

1645年

とりあえず本気の戦闘準備を行う。

まずはオスマンの軍事技術レベルが19になっていることを確認し、こちらもそのレベルまで引き上げる。

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軍事技術レベル19で解禁される3種類の歩兵のうち、「改良型テルシオ(Reformed Tercio)」を選択する。

重視したのは「士気防御(Defensive Morale)」。

とにかく敗戦しないことが大事、という考えだ。

 

しかし、一回一回の戦闘で少しでも多く敵兵を削る、という観点では白兵/火器攻撃力を優先して「グスタフ式歩兵(Gustavian Infantry)」にするべきだったかもしれない。

 

 

また、軍事君主点が再度貯まり次第、「攻撃」アイディアの最後の1つを解放してコンプリートを目指す。これで規律+5%と陸軍士気回復+5%が手に入る。

軍事顧問は規律+5%と迷ったが、現在雇用している要塞防御向上の顧問をそのまま使うことにした。

 

1645年12月9日。フリウリの戦い。

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開戦初年の本格的な激突がこれのみで終わった。

ボヘミア軍2万6千を、ナポリ・フランス連合5万5千で打ち破る。

だがこんな戦いは、まだまだお遊び程度のものでしかなかった。

 

 

 

1646年の戦い

1646年2月5日。ブラバントの戦い。

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同年3月9日。ベルンの戦い。

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4月26日。チロルの戦い。

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南北で各方面軍が敵連合軍を各個撃破していく。

しかし、いずれの戦いも敵陣営以上の損害を被り、さらに戦勝点は大して稼げてはいない。

このままではじり貧である。

 

そしてまだ、敵の本命であるオスマン帝国軍は来ていない。

その大軍がこちらに来れば、状況は一変してしまう。

 

コモンウェルスがそれを足止めしてくれればいいが・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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残念ながらコモンウェルスはこんな状態。

いつ、脱落してもおかしくはない。

 

 

 

 

そして9月22日。

いよいよオスマン帝国軍がフランス領に侵入した。

まさかの北方から!

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総勢12万とか・・・

 

これを見てフランス各方面軍は内地に集結。

迎撃態勢を取る。

 

オスマン軍もこの年はあくまでも威力偵察のつもりだったらしく、本格的な侵攻は行わずに撤退した。

 

 

フランス陸軍全軍、気を引き締めた状態で翌年を迎える。

 

そして・・・

 

 

 

 

 

1647年の戦い

1月14日。上シュヴァーベンの戦いでオスマン帝国軍と衝突。大敗を喫する。

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敵の司令官はスルタン・オスマン1世その人。

まさかの総大将自らのお出ましである。

 

 

 

5月19日。負けじとフランス全軍、北東フランスに集結。

 

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うおおおおおおおおおお!

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6月3日まで続いた戦いの果てに、なんとかこれを撃破する。

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しかし死傷者数は敵を上回っているうえに戦勝点も少ない。

実入りの少ない勝利だったというわけだ。

 

 

 

6月19日にはオスマン軍の別の舞台をプファルツで捕捉。

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これも勝利。

だがやはり損害はこちらのほうが大きく、戦勝点も少ない。

 

 

 

8月8日。ブラバントの戦い。

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ここでようやく、敵軍にそれなりの損害を与えることができた。

戦勝点も高かったのだが、これはキルレシオに比例しているのだろうか。

 

 

 

この後、戦線は膠着状態に陥る。

一進一退の攻防を繰り返しながら、双方の陣営において決めてを欠いたまま時だけが過ぎていく。

 

 

 

 

1648年12月時点での状況は以下の通り。

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開戦から3年が経ってようやく総兵数を上回るようになった。

戦勝点では負けているが、それでも、持久戦に持ち込むことができれば最後には勝つことができるのがフランスだ。

 

 

 

事実、軍事台帳を開いてみれば、オスマンマンパワーがすでに枯渇していることがわかる。

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所持金はフランスが4531デュカートに対しオスマンは776デュカート。

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フランスはまだまだ戦える!

こちらが苦しいときは、敵はそれ以上に苦しいはずなのだから!

 

 

 

 

1649年の戦い

8月2日。

南方、オーストリア領ケルンテルンで、2年ぶりに本格的な会戦が行われる。

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始めは2万から4万程度の軍勢同士で始まったこの戦いも、周辺から同盟国が駆けつけ、双方10万以上の軍勢を動員し、2か月以上にわたって激突を繰り返した。

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そして結果はフランスの大敗。

およそ4万近い兵を失った。今回の戦争におけるもっとも大きな損害であった。

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少しずつ兵力差を取り戻していった中で、この年はフランスが再び危機に陥った年であった。

やはり、敵本拠地に入り込むような進軍はまだ時期尚早である。

まずはじっくりと内地にて兵を集め、敵軍勢が近寄ってくるのを待つのが吉であると判断する。

 

 

 

1650年の戦い

そうして待って待って時機を得たのが、8月3日。フランシュ・コンテの戦い。

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フランスの内側で単独行動をとっていたオスマン軍を、同盟国の軍隊で包囲して袋叩きにすることができた。

敵に1.5倍近い損害を与え、戦勝点も十分に稼いだ。

 

そしてこれが契機となったのか。

ついに、待ち望んでいた事態が到来した。

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オスマンからの和平要請。

もちろん白紙和平ではあるが、願ったり叶ったりである。

慎重に審議をしたうえで、これを受諾。

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10月26日。

ついにオスマンが対仏大同盟戦争から離脱。

歴史が動いた瞬間であった。

 

オスマンにしてみれば、叩いても叩いても無尽蔵の資金で傭兵を雇って復活してくるフランス軍は、悪夢のような存在であっただろう。

 

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オスマンが抜けただけで戦勝点は振り出しに戻り、総兵数は2倍近い差にまで広がった。

形勢は完全に逆転した。

 

12月25日。すべての発端となったスウェーデン征服戦争が、スウェーデンの全面的降伏によって終戦。

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スウェーデンはこの後、対仏大同盟戦争からも離脱する。

だがまあ、これは仕方ない。こちらも結局、まったく救援にいくことができなかったのだから。むしろよく持ったほうである。

 

翌年4月7日にはコモンウェルスも退場。

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続々と、大国たちが離脱していき、この長き戦争も終わりが近づきつつあることがわかる。

 

 

1652年に入ってすぐ、ボヘミア側から和平の使者が訪れるようになる。

だが、フランス皇帝ルイ14世はこれを拒否。

 

ここまで苦しめられたこの戦争、何も得ずに終わるわけにはいかない。

ギリギリまで敵を追い詰め、引き出せるすべてのものを引き出して終わりにしたい。

 

 

1652年の戦い

ボヘミア軍も、こちらと和平ができないとわかると、5万を超える大軍でもって反撃に出てきた。

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フランスもすぐさま援軍を向かわせるが、削れる削れる。

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ギリギリまで苦しい戦いが続いた結果・・・

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10月4日に1か月半の戦闘が終了。

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相変わらず損害はひどいが、戦勝点を稼ぐことはできた。

キルレシオは関係ないのか?

 

 

 

1653年 -終戦-

4月25日。今回の戦争における最後の本格的な会戦が始まる。

しかし、もはや趨勢は完全に決まり切っていた。

12万を超えるフランス同盟軍が3万のボヘミア軍を蹂躙する。

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9月28日。ついに講和条約の調印式が開かれ、戦争終結に向けた本格的な話し合いがスタートする。

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そして9月30日。

正式な講和条約である「ザルツブルク条約」が結ばれ、8年間にわたる世界大戦が終結する。

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この条約によって取り決められたのは以下の通りである。

  1. アクイレイア公はフリウリをフランスに譲渡。公位は廃止される。
  2. イングランドは大陸に残っていたイングランド領であるカレーとフランドルをブラバント公に譲渡する。
  3. シュタイアーマルク公はフランスに従属する。
  4. ボヘミアザルツブルク公の独立を承認する。
  5. スイスはラーベンスブルク公の独立を承認する。
  6. ボヘミアはフランスとその同盟国に合計で100デュカートの賠償金を支払う。

 

最後に、この戦争における死傷者数の総数を確認する。

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結果として双方に80万以上の死傷者数を生むことになった。

先の2回の欧州大戦の犠牲者も含めると、合計で250万以上にもなることがわかる。

 

まさに「17世紀の危機」といったところか。

しかし史実における三十年戦争の死者数は(戦場におけるものだけではないようだが)400万人を超えるというのだから、やはり現実とは凄まじいものなのだなと感じる。

 

敵陣営において損耗による死傷者数が多いのは、防衛的な戦争であったがゆえだろう。

開戦における死傷者数の多さは、戦略的な甘さが招いたものである。

ここに関しては改善の余地がまだまだありうるというわけだ。

 

 

いずれにしても戦争は終わった。

もちろん、まだまだ平和には程遠い。

何しろ、当のフランス皇帝自身が、更なる領土拡大を狙っているのだから・・・

 

第11回に続く。

Europa UniversalisⅣ プレイレポート:フランス 第9回「第二次欧州大戦」(1609年~ 1626年)

~前回のあらすじ~

フランスを中心としたカトリック大同盟と、皇帝を中心としたプロテスタント大同盟とが激突した第一次欧州大戦は、6年間にわたる激戦の末に、カトリック側の勝利に終わった。

しかしフランス皇帝ルイ13世は、さらなる領土拡大を目指し、次なる戦争への準備を淡々と進めていた。

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1.戦間期(1609年~1618年)

1609年4月15日。

新たな後継者が誕生する。

名前はルイ。今は亡き「神の子」ルイの生まれ変わりを願い名づける。

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しかし能力は平凡。まあ、今のルイ13世よりはマシではあるが。 

 

 

さらに、神イベントが立て続けに発生。

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それぞれ、統治顧問のユーグ・デストレと、軍事顧問のガレアッツォ・スピノラが、天文学における革命的な発見と、攻城技術および要塞防衛戦略の改革を行ったよ、というイベント。

彼らの活躍を称賛し、支持することで、ともに安定度+1および関連する技術の獲得コスト割引がかかるという素晴らしい効果だ。

 

 

包囲網も解除され、再び開戦をしたいと思いつつも、北も東も南もすべて、同盟国が複雑に絡み合っており、さらにはこちらの同盟国もまだFavorが貯まり切っていなかったりスペインも相変わらず北アフリカ諸国と戦争をしていたりで付き合ってくれない。

 

ので、仕方なくヴェルサイユを建造していたりする。

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分かってはいたけど、ぽちっと押すだけで何のエフェクトもウインドウすらも現れないのは少し残念。

マップ上にも表示されないみたいだし。

 

それにこういう建築物系はもうちょっとお金かかったり建造期間が必要だったりしたらそれっぽいのにな。ってそれはもはや運河だな。

 

 

とりあえず現状の首都パリはこんな感じ。

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宗教が改革派によって乗っ取られているのは悲しいが、異端寛容度が高いおかげでまったくの無問題。

相変わらずフランス本土はほとんど異端に支配されているにも関わらず、宗教統一度は100%を超えているし、人間主義を取らずにこれなのだから、本当にフランスはチートである。

 

 

 

2.第二次欧州大戦(1618年~1626年)

いつまで経っても開戦に適した状況にならないことに、皇帝ルイ13世はついに痺れを切らした。

そうして1618年7月7日。

ルイ13世は、単独で再び大同盟へと挑んだ。

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ルイ13世は軍隊を南北に分け、それぞれ対プファルツ選帝侯軍、対シュタイアーマルク公軍の2正面作戦を仕掛けることにした。

対プファルツ方面軍はマルグリット元帥が、対シュタイアーマルク方面軍はテリエ元帥が指揮することになった。

 

そして、

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8月31日にプファルツの戦いが、9月6日にチロルの戦いが行われ、それぞれフランス陸軍が快勝した。

やはり敵同盟軍の取るに足らず。

そう意気込んだルイ13世は、選帝侯領およびシュタイアーマルク公領の包囲制圧に取り掛かった。

 

 

 

しかし・・・

 

 

 

1620年1月27日。

選帝侯領南部のサングオにて、フランス軍3万が敵同盟軍6万に補足され、大敗を喫した。

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さらに3月1日。

今度は南方チロルにて、テリエ元帥率いる5万の方面軍が、敵同盟軍6万と争って圧し負けてしまうという事態に。

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これを機にフランス陸軍は南北それぞれ各個撃破の憂き目に遭い、ルイ13世は方針を転換せざるをえなくなった。

 

 

まず、南北に戦力を分けることをやめ、一点集中でプファルツ選帝侯領に侵攻を仕掛け、まずは彼の国を脱落させることを優先した。

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それによって北イタリア方面が蹂躙されることは致し方ない。

戦争とは時に、忍耐が必要となるときがある。

そしてフランスはあまりにも強大な国であり、持久戦に持ち込んだ場合、この国に勝てる国などもはや欧州に存在しない。

 

さらに、

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コモンウェルス(ポーランドリトアニア連合王国)とナポリ王国とがそれぞれ救援に駆けつけてくれるようになった。

これで戦争がぐっと楽になる。

やはり持つべきは同盟である。

 

1621年4月30日時点での状況。

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戦勝点がひどいことになっているが、なんとか兵数差をつけられるようになってきた。

 

さらに5月にはリシュリューを雇用するイベントが発生。

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少しずつフランスに運気が向いてきた。

 

 

そして6月。

コモンウェルスの力も借りて、アルザスにて反撃戦の開始。

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この勝利を契機に、選帝侯領を次々制圧していく。

 

 

戦争が長引くことによって上昇する戦争疲弊は、外交点を使って削減していく。

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1622年5月1日にはここまで状況を好転させた。

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そしてその7月に、ついに選帝侯と和平。

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プファルツを割譲させ、ヴュルツブルクを独立させた。

(本当はトリールを独立させて外交併合を仕掛けるべきだったかもしれない。帝国領の一部であることのペナルティにより属国化は無理かな、と考えていたが、あくまでもペナルティなので、無理ではない、ということに後で気が付いた)

 

今回の戦争の報告書。

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アホみたいに死んでる。

反省すべき点が多すぎる結果となった。

 

 

次は南方。シュタイアーマルク公領に攻め込む!

 

 

1623年8月5日。

コモンウェルスにぼこぼこにされたハンガリーが降伏宣言。

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1625年8月17日。

いやらしくこちらの北方領土を制圧して回っていたオーストリアにも退場してもらう。

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スクリーンショットを撮り忘れているがもちろんシュタイアーマルクとも講和している。

シュタイアーマルクからはヴェネツィアの玄関口にあたるトレヴィゾを頂いている。

 

 

 

そしてついに1626年9月13日。

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ついにブラバントとも和平条約を結び、7年間にわたる長き戦乱は終結した。

 

 

ブラバントとアーヘンは属国化。

ブラバントはブリテン島にも領土をもっていたため、これを併合すればイングランド征服が容易になる。

 

 

もちろん、AE上昇度は半端なく、早速大包囲網に囲まれたため、暫くは平和を堪能することにする。

 

 

2度にわたる大戦を乗り切ったフランス。

学ぶべきところも多かったが、存分に楽しめた半世紀であった。

 

第10回に続く。

Europa UniversalisⅣ プレイレポート:フランス 第8回「第一次欧州大戦」(1603年~1609年)

前回のあらすじ~

空白の20年間を挟みつつも、ヴェネツィア征服や帝国化など、順調に勢力拡大を続けるフランス。

類稀なる才能を持った皇太子ルイも登場し、行く先は順風満帆、に思えたが・・・

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1600年。17世紀に突入。

と同時に、フランス領リグーリア(旧名ジェノヴァ)にて、新たなInstitutionである「国際交易(Global Trade)」が出現する。

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自国でInstitutionが出現するのは初めてだったが、結構なボーナスを得られた。

そしてこのInstitionを受容できると商人が追加されるため、一刻も早く受容したいところである。

しかし、このInstitionはおそらく北ドイツで生まれるだろうな、と思っていたので、それを得るために低地地方に侵攻しようと思っていた矢先だったので驚いた。

 

 

 

しかし低地地方への侵攻自体はやめるつもりはない。

1603年5月4日。

エノー伯に宣戦布告。

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皇帝オーストリアと小国どもがついてくるが敵ではない。

 

 

 

 

 

 

と、思っていたのだが・・・

 

 

 

 

 

 

 

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敵陣営にイングランドハンガリーまでついてきて大所帯に。

 

 

 

よく開戦時画面を見直してみるとオーストリアにチェックついているね確かに。

皇帝参戦の場合は必ずそうなるの?チェック外せるの??

いずれにせよちょっとしたピンチだ、これは。

 

 

 

 

 

 

ということで頼れるコモンウェルス兄貴に救援を要請。

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2つ返事でOKくれる。

さすが!

 

 

その頃長年の同盟国であるスペインはモロッコやチュニスと戦争中でそれどころではないようだ。

仕方ない、こっちがポルトガルをいじめ過ぎたせいでグラナダとか復活してしまっていたからね・・・。

 

 

戦争は思いのほか順調に進んでいたのだが、勇んでイングランド上陸しようとしたら間違えて4万の反乱軍が占領するプロヴィンスに上陸作戦をしかけており、こちらの兵隊が3万規模で消失するアクシデントが。

その隙を狙って敵陣営が北東フランスに攻勢を仕掛けてくるものだから、大急ぎで傭兵をかき集めて反撃に出る。

 

 

 

1605年7月1日。メスの戦い。

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ハンガリーの遠征軍3万2千に対抗するは寄せ集めの傭兵まじり軍隊2万4千。

しかしこれでも勝ってしまうのがフランスの強さ。

直前に士気向上効果を持つ軍事顧問を雇用したのも良かった。

 

 

 

 

また、この戦いの直後に、スペインが参戦要求に応えてくれるようになる。 

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まさにギリギリ。

 

 

だが、このおかげで、当初はギリギリで負けていたくらいの軍量の差を、2倍以上にまで広げることができた。

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陸軍だけ比較すると約23万vs約11万である。

ちなみにそれは上の数字なのだが、戦勝点バーの下にある数字はなんだろう。死者数か?

 

 

 

 

 

この調子なら、問題なく勝利できそうだ、と喜んでいる最中・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

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まさかの皇太子病気イベント。

祈る気持ちで上の選択肢を選び、皇太子の生存を願うも・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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世の中そんなに甘くない。

 

能力値合計14の神の子が、いとも簡単に昇天してしまった。

 

 

 

悲しんでばかりはいられない。

1606年1月16日。

ナミュールに攻め込んできた敵同盟軍4万6千に対し、フランス単独軍3万5千でもって迎え撃つ。

神の子ルイの弔い合戦である!

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問題なく勝利。

 

 

その後は大した侵略軍もなく、オーストリア、ハンガリーの領土を次々と占領していき、

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1606年4月と1607年1月に、それぞれオーストリアとハンガリーと講和した。

 

 

輸送船が十分でなかったために本土上陸作戦を展開することはできなかったイングランドとも、8月に講和。

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そして年が明けた1609年1月30日。

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ついに、欧州の大国を大きく巻き込んだ、6年にも及ぶ大戦は幕を閉じた。

 

 

 

 

 

今回の戦後報告書は以下の通り。

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戦死者数はほぼ互角。

共に20万規模の戦死者を叩き出した。

とはいえ、こちらはイングランド上陸の際にかなりの数(6万近く・・・)を無駄に犠牲にしてしまった。

 

だがまあ、終戦直前に敵同盟国のリガ・ハンブルクブレーメンからかなりの量の賠償金を獲得していたのと、戦争が終わってもなお9万近いマンパワーが残っていたため、早速傭兵を全解雇したのち、正規軍を上限ギリギリまで雇用する。

 

 

また、今回の戦勝時にルクセンブルクとエノー伯領を共に属国化したこともあって、世界中から嫌われてまた大包囲網を組まれてしまった。

こちらも対抗すべくナポリスウェーデンと同盟を結ぶ。

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ヨーロッパをぐるりと取り囲むようにして完成したフランス同盟連合。もちろんすべてカトリックだ。

 

このあとは、包囲網を解除したのちに、エノーとルクセンブルクを併合し、そしてその先のネーデルラントを狙おう。

 

 

 

 

なお、その頃の東欧。

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ボスニア王国が勢力拡大。

ハンガリー王国が弱体化している。主にフランスのせいだけど。

 

 

第9回につづく。

Europa UniversalisⅣ プレイレポート:フランス 第7回「不測の事態、からのフランス帝国創設」(1575年~1591年)

前回のあらすじ~

ミラノ・ブルゴーニュを巡る争いの中で、ついに皇帝と矛を交えることとなったフランス。

しかしすでにフランスの力は強大すぎており、もはや皇帝たちですらまったく歯が立たない状態となっていた。

そうして北イタリアも含め勢力を拡大していくフランス。

その野望は果てることを知らない・・・

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大変なことが起こった。

プレイ中、何気なくウインドウを最小化し、別の作業を行っていた。

そのとき、あろうことかポーズをかけ忘れていたのだ。

 

気が付いたのは、すでに20年近く経過してからであった。

幸いにも破滅的なことは起きてはいなかったものの、この期間に起きた出来事としては、

 

  • ブルゴーニュ内で反乱が起きてヌヴェールが独立していた。
  • ヴェネツィアがミラノを征服していた。
  • 教皇庁トスカーナナポリから殴られて領土を失っていた。おそらくこのときこちらに援軍要請していたのだろうがこれを我が国が(不本意ながら)無視をしたことになっており、教皇庁との同盟が切れたうえに威信が減衰していた。
  • 当然のことながらアンリ2世は崩御しており、その息子のフランソワ1世が即位していた。
  • そして、これが一番大事なことだが、30年戦争が既に勃発していた。

 

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カトリック同盟は皇帝レオポルド2世を頂点にして、ミュンスターやオーストリア、トスカーナカスティリャなどが含まれている。

一方のプロテスタント同盟はプファルツ選帝侯を筆頭にボヘミアブランデンブルクデンマークスウェーデンザクセンイングランド、そしてオスマン帝国が含まれていた。

 

とりあえず焦るがままにヌヴェールとかろうじて請求権が消えずに残っていたフェラーラを征服しつつ、ブルゴーニュとシエナマントヴァを外交併合していく。

動きまわるフランス陸軍の合間を縫って、カスティリャの軍勢がオスマン帝国に壊滅させられたり、同じ陣営のはずの皇帝に対し攻撃を仕掛けその全土を占領していくオーストリア軍の姿が見える。

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これは・・・カスティリャとの同盟を裏切ってでも、プロテスタント側につくべきだろうか?

実際、フランス国内にも、恐ろしい勢いでプロテスタントが広がっているのだ。

というか、フランス国内にプロテスタントの信仰の中心地すら生まれている。

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とりあえず選択を保留し、1584年。

トスカーナに宣戦布告し、これを属国化する。

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また同時期、宗教戦争が終結し、いつの間にかプロテスタントに改宗していたオーストリア大公レオポルド8世が新たな皇帝となった。

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・・・ふむ、やはりプロテスタントが皇帝になるというのは違和感しかない。

フランク王国の旧領回復も考えるのであれば、ドイツはやがて手に入れたいわけだし、このまま帝国は解体してしまおう。フランス王が皇帝になるというのも悪くなかったが、フランスはやはり独自の帝国を築くべきである。

 

 

とりあえず4番目のアイディアとして「経済(Economic)」アイディアを獲得する。

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アイディアの獲得は成長のボトルネックをカバーするものを選ぶ、という方針でやっているのだが、現状、少なくとも欧州においては軍事面で困ることはなく、あるとすればそれは経済面、それも交易ではない国内収入であると考えていたため、このアイディアを選んだ。

事実、元より高い税収入や生産収入が、これでさらに爆発的に増えることになり、経済状況は一気に超出力となった。フランスとの相性がよいアイディアだと思われる。

のちにヴェルサイユ宮殿を建てる条件ともなるしね。

 

1588年1月18日。

北イタリアを支配するヴェネツィアに宣戦布告。

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先立ってマントヴァを併合していたため、きれいな青色が広がっている。

 

1年半後に敵同盟国であった教皇庁と講和。属国のトスカーナにアンコナを渡す。

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ローマも併合可能であったが、取りやめる。

確かローマ併合するとペナルティが大きかったし、教皇庁画面からのボーナスも選べなくなるような予感があったから。

まあ、ローマは1州だけ残して仲良くしておきたい。

利用できるものは手足を塞いで利用すべしである。

 

さらに半年後、ヴェネツィアとも講和。

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ヴェネツィア及びヴェローナをトスカナに割譲させ、ミラノ(フランス領としてはロンバルディ)およびクレモナをフランスが直轄支配することに。

当然、AEは爆上がりである。画面は見づらいが55まで上昇している。

 

だから当然、包囲網も加わる。

手始めにオーストリアや領土拡大しているプファルツ選帝侯、そしてデンマークネーデルラントなど。

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のちにハンガリーナポリも加わる事態に。

 

まあ、来るなら来い。

どうせ威勢だけがいい、烏合の衆である。

 

と強がりながらもさすがにびびるのでコモンウェルスと同盟を結んでおいた。

 

ただ、やはり高開発度地域であるロンバルディアを併合していったことで、ついに政体が帝国レベルに。

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フランス地域の文化がすべて受容文化となる。

 

1590年1月1日。

フランス帝国爆誕。

 

時を同じくしてフランソワ1世が崩御し、15歳の皇太子ルイが皇帝ルイ13世として即位する。

 

そしてその後継者が、8歳年下の弟ルイ。

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のちの「太陽王ルイ14世となるこの皇太子が、史上最高レベルの才能を持っていた。

 

これは、2度目となる「禅譲」も辞さない構えである。

 

第8回に続く。