~前回のあらすじ~
宿敵ブルゴーニュがイングランドたちと争っている間に、横から殴りつけたフランス王ルイ11世。
ブルゴーニュの同盟国ブルターニュから領土をいくつか奪い取り、またブルゴーニュのネーデルラント地方の属国をいくつか独立させることに成功した。
しかしこれは、フランスの遠大なる野望の第一歩に過ぎなかった。
ブルゴーニュ戦争でフランスの人的資源も底をついたため、暫くの間、内政モードに移ることに。
獲得した賠償金を用いて、主要都市に寺院を建設したほか、船舶建造ミッションを選択して小型船を大量生産し始める。
また、規律+5%のレベル2軍事顧問は解雇して、改めて税収+10%のレベル1統治顧問と、陸軍維持費-10%のレベル1軍事顧問を雇用した。
さらに、聖職者階級が領土を要求してくるため、イングランドから奪ったばかりで自治度(Autonomy)の高いノルマンディーを下賜する。
1462年10月30日。
内オーストリア(Styria)公かつ神聖ローマ皇帝であったフリードリヒ3世が崩御。
帝位はその息子のフェルディナントに無事、継承されたものの、彼はまだ5歳の幼子であった。
よって、フェルディナンドの母エリシュカ・フォン・ハラーハが摂政として帝国の舵取りを任されることとなったわけだが、彼女はまず、我が子の権力基盤を確実なものとするために、フェルディナントの姉でありまだ16歳であったイダを、フランス王ルイ11世の妃とすることに決めた。
完全なる政略結婚であったわけだが、ルイ11世は、この23歳も年下の妻の、その落ち着いた(Calm)性格を気に入り、それまでの妻たちとは違い、常に近くに置くようになったという。
・・・というような妄想を可能とさせる、この、新DLCからの「王妃」システムおよび「君主の性格」システムは非常に気に入っている。
しかし、史実のルイ11世はこのときサヴォイア公の娘と結婚していたはず(であり、実際にゲーム上でもサヴォイアとは婚姻関係にある)だが、その辺りはどうなんだろう。
1467年には最初のアイディアとして「影響(Influence)」アイディアを取得。
アイディアそれ自体の効果もさることながら、強力なフランスのナショナルアイディアを解禁していくためにも、積極的にアイディア取得に外交点を注ぎ込んでいきたい。
なお、新パッチから導入された「制度(Institution)」システムであるが、今回の1453年スタートにおいては、すでにヨーロッパ全土はもちろんオスマン帝国やロシアの奥地にまで、ルネサンスが広まり切っていた(一方で北アフリカにはまだ侵食途上であった)。
いくらなんでも3年でこの状況はありえないと思うが、この辺りは、あまり普通ではないプレイに対して新システムが対応し切れていないことを表しているのだろうか。
1500年まで、技術獲得コストペナルティが0の状態でゲームが進行する羽目になった。
1469年5月9日。
幼帝フェルディナント擁するエリシュカ・フォン・ハラーハ摂政政権が、オーストリア公ラディスラウスと戦争状態に突入。
ハプスブルク家によるお家騒動に、教皇庁やスイス、ハンガリー、宮中伯などが巻き込まれ、大規模な戦争に発展する。
ハラーハからは当然、娘婿であるフランス王ルイ11世に対して援軍要請が届けられる。
が、ルイはこれを断固拒否。
彼にとって最優先事項となるのは、目の前に迫った、対ブルゴーニュ第二次戦争であったのだ。
ブルゴーニュは現在、フランスの同盟国でもあるサヴォイアと同盟を結んでいた。
よって、フランスは、まずはブルゴーニュの同盟国であるブルターニュに戦争を仕掛け、ブルゴーニュを釣り出す作戦に出た。
1473年2月8日。
ブルターニュとの講和が切れた直後を狙って宣戦布告。
敵はブルゴーニュ(とその属国ホラントなど)とロレーヌ公のみ、ということで、サヴォイアの助力さえあれば大丈夫だろう、とそれ以外には参戦依頼をせずに戦争を開始した。
この選択は最終的に大きな過ちであったことを後に知ることとなる。
開戦から2日後に、いきなり神イベントが発生する。
「最後の馬上槍試合」という、なんだか、感傷的なテキストで彩られたイベントである。
「栄光へ突き進め!」という選択肢を選ぶことで、30統治点と少々の資金を犠牲に、陸軍士気+10%に加え陸軍伝統と威信の上昇を得ることができるというイベント。
とくにこれから戦争というタイミングでの士気上昇はありがたい。迷わず開催する。
気分が高揚したところで2月24日。
最初の戦いであるアルトワの戦いで、幸先のよい勝利を掴む。
しかしよくよく見れば、歩兵の損害が敵軍の2倍。
崩壊はこのときからすでに始まっていた。
10月21日に行われた、エノーの戦い。
兵数は互角。しかし将軍の力量の差で、敵軍の3倍以上の損害を出したうえで敗走。
さらに、この後、こちらも白兵4の将軍ジャン・ビューローに率いさせた軍勢でブルゴーニュ軍に戦いを挑んだが、このとき、敵軍の1.5倍以上の兵力をぶつけながらも、あっという間に士気が失われ、敗走してしまったのである。
あまりのショックにスクリーンショットを獲り忘れていたが、その後も何度か突撃を繰り返したものの、常に、兵数では上回りながらも、士気を大幅に奪われて敗走を続けてしまった。
のちにこの原因が判明する。
こちらが未だ陸軍技術レベルが4であったのに対し、ブルゴーニュ公国の陸軍技術レベルは6に達していたのである。
これに気付いたのち、慌ててレベルを5に上げ、最低でも、ということで陸軍歩兵をメンアットアームにアップグレードする。
さらに、同盟国サヴォイアが、スイスに攻め込まれてこちらに援軍を要請してきた。
フランスは泣く泣くこれを拒否。
こうして、対ブルゴーニュにおける重大なパートナーを失う羽目になってしまった。
ここに来て、フランス王ルイは開戦当初の思惑が完全に過ちであったことを認めざるをえなかった。
そして彼はついに、カスティリヤへの援軍を要請する。
ここからは大逆転劇を開始することに。
カスティリヤの軍隊は、遠路はるばるネーデルラントにまで進軍し、次々と敵主力を葬り去っていく。
一度は壊滅に追い込まれたフランス陸軍も、大量の傭兵雇用によりその軍勢を整え直し、ブルターニュの完全制圧のうえ、再びネーデルラントのブルゴーニュ軍へと挑みかかる。
そして1477年3月17日。
エノーにて、かつての雪辱を晴らす一戦が行われた。
すでにこちらの勇将ジャン・ビューローはこの世からいなくなっていたが、しかしカスティリヤと合わせた4万超えの軍隊が、名将シャルル率いる2万のブルゴーニュ・ホラント連合軍を見事敗走させた。
さらにルイ11世と王妃イダとの間に新たな子が生まれたことが、戦争に疲れた民に癒しを与える効果をもたらし、戦争疲弊度を2ポイント下げるという神イベントが、2回、立て続けに起こった。
王家の子の誕生が民の癒しとなるというこの出来事は、ナショナリズムひいては国民国家としてのフランスの誕生を予感させる出来事となった。
そして1477年の7月5日。
ついにブルゴーニュとの講和が成立した。
こちらとしてもこれ以上の戦争続行は苦しい立場であったため、今回の戦争はブルゴーニュ州の割譲だけで講和を結んだ。
今回の戦後報告書。
11万を超える損害。
とにかく用兵と決断があまりに稚拙すぎた。
そして軍事技術レベルの差異、とくにユニットランクの差異による影響を甘く見過ぎていた。
このあたり、やり直しの効かない鉄人モードでプレイすることによって、その重大さを初めて理解することができた。
「勝兵は必ず勝ちて、而る後に戦いを求め、敗兵は先ず戦いて而る後に勝ちを求む」と孫子も述べている。
現実の戦争とは、「必ず勝つ」という状況を準備してから始めるべきであり、その認識が甘いがゆえの今回の結果であった。
フランスという大国でなければ滅んでいた。
いい勉強になった。
さて、その3日後、当初の目的であったブルターニュの完全併合を実現。
さらに、次なる戦いに向け、ピカルディ公国を属国として設立した。
ブルゴーニュとの講和が切れるのは12年後の1489年。
ブルゴーニュ地方の完全併合も、決して遠い日の話ではないだろう。
第3回へ続く。