読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

リストリー・ノーツ

歴史ゲームのプレイレポートが中心。https://twitter.com/SuzuTamaki

Europa UniversalisⅣ プレイレポート:ポルトガル 第1回「15世紀 -対モロッコ戦争とブラジル植民地の成立-」(1444年~1500年)

Europa UniversalisⅣ プレイレポート:ポルトガル

フランスに引き続き、鉄人モードのプレイレポート第2弾はポルトガル

相変わらずの強国。

今度は植民地経営に力を入れていこう。

f:id:SuzuTamaki:20161206113844j:plain

 

 

 

1.状況確認

ポルトガルの初期君主はアフォンソ5世。

ただし、1444年当時まだ12歳ということで、叔父のコインブラ公ペドロが摂政についている。

f:id:SuzuTamaki:20161206114150j:plain

ナショナルフォーカスが外交に入っているので、これを解除。

現状、統治・外交・軍事それぞれのポイントをバランスよく獲得できる状態にしておく。

 

 

外交画面ではチュニス・モロッコ・グラナダをライバル指定。

陸軍維持費と海軍維持費を最低にした状態で、3隻の小型船に探検家を乗せて西アフリカに派遣。

f:id:SuzuTamaki:20161206120353j:plain

 

残る2体の小型船は私掠船にしてサフィ交易圏に派遣。

大型船および輸送船はリスボンの陸軍を乗せてセウタに向かわせたうえでモスボール化する。

要塞のモスボール化も忘れぬよう。

これで月5.41デュカートの黒字となったので、威信増加効果のある「哲学者」統治顧問と、陸軍維持費削減効果のある「大部隊長」軍事顧問を採用しておく。

 

あとはカスティリャに同盟締結の誘いをしたうえでモロッコとチュニスに禁輸措置を行う。

 

ミッションは「教皇庁との関係改善」ミッションを選択。

 

ここまでしてポーズを解除する。

 

 

 

2.第一次モロッコ征服戦争(1449年~1552年)

f:id:SuzuTamaki:20161206224014j:plain

ゲーム開始直後に貴族の機嫌を取るイベントが発生。

約50デュカートと20年間の税収入-10%と引き換えに年間上昇威信を向上させる。

 

f:id:SuzuTamaki:20161207011951j:plain

もちろんそれだけでは割に合わないので、上昇した貴族の忠誠心と引き換えに50軍事点を獲得しておく。

50デュカートと引き換えに50軍事点・・・適切な選択だったかどうかは不明。

 

 

f:id:SuzuTamaki:20161207012118j:plain

1447年1月8日にアフォンソ5世が成人し親政を始める。

 

いざ開戦、と思ったが、同盟国カスティリャのFavorが貯まっていないため一緒に戦ってくれない。

これが十分に貯まるまでに20年近くかかる計算になる。

それまで何もせずひたすら待ち続けるしかないのか?

 

f:id:SuzuTamaki:20161207012535j:plain

そうこうしているうちにコインブラ公のイベントが発生。

史実では陰謀に巻き込まれ内戦の末に命を落とすコインブラ公だが、ここでは彼を生き残らせ、引き続き王政の補佐を任せることにした。

何しろ金が増えるのだ。割と悲劇の人っぽいし、気持ち的にもこっちが正解である。

 

 

さて、1449年9月11日。

f:id:SuzuTamaki:20161207014043j:plain

モロッコではなくグラナダに宣戦布告し、カスティリャに領土を約束してやれば参戦してくれることに気づき、早速実行。

 

過去のバージョンと違って、参戦が面倒にはなったものの、現実的になったとも言えるし、また、その国が本当に欲しい領土でなければ簡単に占領権を譲渡してくれるようにもなったので、いろいろと便利である。

f:id:SuzuTamaki:20161207014148j:plain

こちらに代わってタンジールを包囲してくれるカスティリャ軍。

このあとちゃんと占領権を譲渡してくれるとわかっているので安心である。

 

 

 1452年4月16日に和平。

f:id:SuzuTamaki:20161208021612j:plain

タンジールとフェズを割譲させる。

タンジール征服ミッションの達成により200統治君主点&5威信という大きな報酬も獲得できた。

 

8月7日にグラナダとも和平完了。

f:id:SuzuTamaki:20161208021813j:plain

こちらはカスティリャが制圧してくれていた2州を割譲させる。

ご機嫌取りも十分である。

 

 

 

3.グラナダ征服戦争(1464年~1467年)

9月28日に王太子フィリペが誕生する。

f:id:SuzuTamaki:20161208021926j:plain

能力値が6/6/5とほぼマックス値に近い神ステータス。

これは譲位不可避である。

フィリペ1世って、スペイン王フェリペ2世に征服されたときの彼の名でしょう。

確かに有名な君主ではあるがポルトガルにとってはあまりよくない思い出だと思うのだが、凄い能力であるならば問題はない。

 

1458年8月7日にブルゴーニュ継承危機勃発。

しばらく見ない時期が続いていたがここ最近また頻発するようになった?

f:id:SuzuTamaki:20161208022114j:plain

 

 

と思ったら、ネーデルラントカスティリャが継承。

f:id:SuzuTamaki:20161208022205j:plain

そういえばそんな感じになるんだったっけ。

いずれにせよ同盟国が強力になるのは歓迎である。

 

 

そんなカスティリャのご機嫌も十分に高まったので、1464年1月29日にグラナダに宣戦布告。残り1州を奪いに行く。

f:id:SuzuTamaki:20161208022305j:plain

 

 

なお、それに先立つ61年に、最初のアイディアである「探検」を獲得し入植者をゲット。

f:id:SuzuTamaki:20161208022352j:plain

早速カーポベルデに入植しようとするが、入植前に対原住民政策を選ぶ必要があるらしく、とりあえず開拓者増加の政策を選択した。

 

 

 

グラナダ自体は速攻で制圧するも、やはりそれだけでは降伏してくれないので、その同盟国であるチュニスに上陸。

f:id:SuzuTamaki:20161208022457j:plain

最初のモロッコ戦の前に馬上槍試合イベントで獲得した白兵5の将軍フランシスコが強すぎる。

白兵の高さもよいが、攻城3というのも、大砲のないこの時代においてはかなり役に立つ。

 

 

 

 

しかし、順調さも束の間。

1467年にアラゴンカスティリャに宣戦布告。

カスティリャがこちらに参戦依頼を送ってきた。

 

相手には、イングランドを大陸から駆逐し、宿敵のブルゴーニュも滅ぼして絶好調のフランスの姿も。

しかし、同盟国を裏切るわけにもいかず、これを了承した。

 

 

 

カスティリャブリタニアポルトガル教皇庁神聖同盟vsフランス・アラゴンナポリモンペリエ同盟の戦いの火蓋が切られた。

f:id:SuzuTamaki:20161208022635j:plain

 

 

 

4.モンペリエ同盟戦争(1467年~1471年)

4月17日。とりあえず慌ててチュニスとは講和条約をまとめ、兵を引き上げさせる。

f:id:SuzuTamaki:20161208023927j:plain

チュニスからは領土を奪う気はないので、とにかく大金をせしめる。

 

5月3日にはグラナダとも講和。

f:id:SuzuTamaki:20161208024052j:plain

その残されたグラナダ州を奪いしっかりと滅ぼしたうえで終戦する。

 

 

さて、対モンペリエ同盟戦ではあるが、ポルトガルとしては余計な損害を出すわけにはいかず、北アフリカの地に兵を引きこもらせたうえで様子を見ていた。

 

最初期こそ神聖同盟側優勢に進んだものの、やはり青い悪魔ことフランスの陸軍の前に、少しずつ戦線が崩壊し、やがて神聖同盟側の劣勢は明らかなものとなっていった。

 

 

よって、1471年3月1日。

ポルトガルアラゴンに対し、単独講和を申し出る。

f:id:SuzuTamaki:20161208024246j:plain

条件はカスティリャとの関係破棄と179デュカートの賠償金の支払い、また、10年間にわたり収入の10%をアラゴンに納めることで合意した。

世にいうバルセロナの和議である。

 

 

 

数年後、カスティリャの降伏により戦争は終結するが、その際にマドリードを含む多くの領土がアラゴンに奪われてしまったようである。

f:id:SuzuTamaki:20161208024903j:plain

いずれにせよこれで、カスティリャとの関係は断絶。

約束の期間が過ぎれば再び同盟を結ぶことは容易ではあるようだが、新たな同盟相手は別に求めた方がいいのかもしれない。

 

 

 

 

なお、戦争中の1467年5月5日に、「探検」アイディアの2つ目、「新世界への冒険」を獲得。

f:id:SuzuTamaki:20161208025251j:plain

これで探検できる領域が一気に増え、南アメリカ大陸やカリブの群島を発見する。

 

 

 

早速、南米北部のリオグランデに入植する。

f:id:SuzuTamaki:20161208025636j:plain

 

 

 

 

そして1474年8月1日。

アフォンソ5世の統治も長きに渡り、王太子フィリペへの譲位が可能となった。

f:id:SuzuTamaki:20161208025506j:plain

 

 

 

 

こうして生まれた名君フィリペ1世。

f:id:SuzuTamaki:20161208025858j:plain

彼の導きにより、ポルトガルは戦後復興への道を歩むこととなる。

 

 

 

 

 

 

とは、簡単にはいかなかったようだ。

 

 

 

 

 

5.苦難の時代

1478年4月1日。

モロッコがこちらに宣戦布告。

完全に油断して維持費を0にし続けていたポルトガル陸軍は全滅。

さらには同盟国0の状態であったため、即座に降伏を宣言。

f:id:SuzuTamaki:20161210024115j:plain

北アフリカ領土とグラナダ、さらにはアルガルヴェを割譲し賠償金を支払うことで和平を実現させた。

実に屈辱的な敗北であった。

 

さらには1483年8月18日に、神君フィリペが崩御

息子のアントニオがまだ幼年であったため、フィリペの妃であったイサベルによる摂政政治が始まる。

f:id:SuzuTamaki:20161210024122j:plain

大量の威信と正統性を犠牲にして譲位したフィリペが、まさかの、たった15年の治世で終わってしまうなんて・・・

 

踏んだり蹴ったりとはまさにこのことである。

 

 

気を取り直して1484年3月21日。

2番目のアイディアである「拡張」アイディアを獲得。さらなる植民者をゲットする。

f:id:SuzuTamaki:20161210024401j:plain

 

 

 

そして、本土の領土を大きく失ったポルトガルは、新たな戦略に出る。

すなわち、新世界における原住民たちを征服し、その領土を広げるという方法である。

f:id:SuzuTamaki:20161210024438j:plain

 

 

半裸の原住民たちをぼこぼこにするコンキスタドールの鑑。 

f:id:SuzuTamaki:20161210024520j:plain

 

 

3つの原住民国家を滅ぼした結果、こんな感じで領土が拡大していった。

f:id:SuzuTamaki:20161210024554j:plain

 

 

 

この後、コア化が完了し、ポルトガル領ブラジル植民地が成立することに。

f:id:SuzuTamaki:20161210024714j:plain

 

 

 

 

6.危機と友情

1497年8月18日。

モロッコが再び攻めてきた!

f:id:SuzuTamaki:20161210024741j:plain

もはや与える領土などない・・・

植民地に駐留するポルトガル陸軍を輸送し、本土での迎撃に向かわせる。

 

 

と、そのとき。

 

 

ぬぬ? カスティリャ??

f:id:SuzuTamaki:20161210024935j:plain

 

 

いつの間にかモロッコが、カスティリャと戦争状態に。

 

 

なぜ? と思ってログを調べてみると・・・

 f:id:SuzuTamaki:20161210024953j:plain

なんと、カスティリャがモロッコに停戦要求を突き付けていたようで、それに対してモロッコが拒絶をしたため、カスティリャがこちら側で参戦してくれたようなのである。

 

まるでプレイヤーのような巧みな戦略。

一度裏切ったにも関わらず繰り返し同盟締結を求めてきたカスティリャを、一度フランスに負けた奴など相手にせんとばかりに突っぱね続けてきたポルトガル

 

しかし、カスティリャはそんな我々を見捨てるようなことはしなかったのだ。

 

f:id:SuzuTamaki:20161210025224j:plain

「陛下、驚くべきことではありません。カスティリャは栄光ある同盟国であり、我々とモロッコとの戦争に参加してくれるというのです」

 

いや、それは驚くべきことだよ!

同盟国ではなかったのに、同盟国であるかのように助けに来てくれたのだ。

 

ありがとう、カスティリャ

そしてもう2度と裏切らぬ。一生ついていこう。

 

 

なお、カスティリャはすでにイベリアンウェディングを済ませており、アラゴン及びナポリを配下に従えていた。

f:id:SuzuTamaki:20161210025427j:plain

なんと有能な!

完全に形勢逆転。

あとはモロッコから可能な限り奪うのみである。

 

 

戦闘は完全に同盟国に任せきり。

f:id:SuzuTamaki:20161211233026j:plain

 

 

16世紀に突入し、2番目のInstitutionである「植民地主義」が生まれる。

f:id:SuzuTamaki:20161211233105j:plain

生まれる場所は当然、ポルトガル領内である。

発生地ボーナスも非常に大きいため、これはかなり美味しい。

 

 

そして1500年9月11日。

モロッコ軍の反撃も激しくなってきたので和平。

f:id:SuzuTamaki:20161211233147j:plain

アルガルヴェ、セウタ、そしてタンジールを回復。

カスティリャが「うちにも領土寄こしてよ」と主張してくるが、申し訳ない、ここは許してください。

実際これでトラストが-10されたものの、その後の同盟などにはまったく支障がなかった。

 

講和条約の中身はこんな感じ。

f:id:SuzuTamaki:20161211233327j:plain

賠償金は55デュカート手に入れたものの、そのうちポルトガルが手に入れられたのは10デュカートのみ。

そりゃそうだ。戦闘はほぼすべて同盟国に任せていたのだから。

 

 

何はともあれこれで、最大の危機は脱した。

この後は、植民地から得られる収入を元手に、少しずつ強大化していくしかない。

f:id:SuzuTamaki:20161211233626j:plain

 

第2回に続く。