ver.1.19.2の別名は「デンマークパッチ」。
各種デンマークの固有イベントが追加されたらしい。
ということでデンマークプレイのレポートを新たに上げる。
1.ダンツィヒ征服戦争(1446年~1448年)
デンマークの君主はクリストファ3世。
カルマル同盟によりノルウェー王位とスウェーデン王位も継承しており、さらにホルシュタイン伯領を従属下においた状態からスタートしている。
「君主の性格」はInfertile。後継者誕生確率-25%。
実子なく崩御した史実を反映しているのだろう。
顧問は外交評判を上げる「政治家」と、規律+5%の「司令官」を雇用する。
外交関係はハンガリー、イングランド、スコットランドからライバル視されているので、こちらからもライバル指定をし返しておく。
また、教皇庁との関係改善ミッションを選択し、外交官を派遣しておく。
そして、ドイツ騎士団にスパイ網構築を仕掛け、そのライバルであるポーランドとの関係を改善しておく。
そのために、ポーランド・リトアニア両国には十分に協力していただくつもりだ。
ちなみにデンマークはゲーム開始直後からゴットランド島を反乱軍によって占領されている。
デンマークが保有する輸送船は10隻しかないので、上陸戦を仕掛けるのは得策ではない。
この反乱軍はこの後、Gøngeに移動するため、あらかじめそこに軍隊を置いておいて迎え撃つことにする。
その際に国王を将軍化。
各パラメータがバランスよく配置。
とくに攻城能力が高いのは、大砲のない序盤においては非常に価値が高い。
有能である。
Gøngeに上陸してきた反乱軍を迎撃。
敵将軍の能力はそれなりに高く、思ったよりも被害を受けてしまった。
また、ハッランド地方の小貴族であるスキール家の娘マルグレーテと婚姻を結ぶ。
そして後継者カールが生誕。
史実とは何だったのかというくらいに簡単に生まれた後継者。
しかもそれなりの能力なのが嬉しい。
1446年7月20日。
リトアニアと同盟を結んでいたようだが、もちろんこの後、リトアニアはこちら側での参戦となっている。
ポーランドには領土割譲を約束している。
戦争自体は問題なく推移。
最初、ユトランド半島に攻め込まれたものの、本土を侵略されたことで引き返してきたドイツ騎士団軍を、デンマーク陸軍2万で迎撃する。
1448年6月20日。
予定通りダンツィヒを獲得。
ポーランドはクルム(Kulm)*1のみで満足してくれるようだ。
その他、264デュカートの賠償金(うち、デンマークは148デュカートを獲得)と、デンマークに対し10年間、毎月の収入の10%を納めることを約束させた。
間違いのない大勝利。
幸先の良いスタートとなった。
2.内政期
次の戦略を検討するが、やはり引き続きドイツ騎士団領を襲うことにする。
標的はネマン河口部の都市メーメル。
ここを占領することで、さらなるバルト海交易圏争いにおける優位性を高めていこう。
とりあえず1460年の停戦明けまではすることもないので、陸軍維持費を最低にし、船舶もモスボール化し、浮いたお金で統治顧問の雇用などを行い内政の強化を狙う。
(陸軍維持費は、ダンツィヒの反乱率が上がってきたら回復させよう)
1449年8月10日。
ホルシュタイン伯アドルフ8世が死去し、その遺領を巡るイベントが発生する。
史実ではデンマーク王はここで「リーベ条約」を結ぶのだが、ゲーム上でそれを実現するにはそれなりの額の資金(ここでは139デュカート)が必要となる。
また、それをしない場合は、ホルシュタイン伯領が属国から外れる代わりに、シュレスヴィヒを無償で獲得できる。
わざわざホルシュタイン州まで無理して手に入れる必要もないので、ここは後者を選択。
そもそもホルシュタイン州は帝国領土の一部である。
余計なことはしない。少なくとも今は。
シュレスヴィヒ獲得。
しかし国力は決して高くないので、まだState化はしないでおく。
(と思っていたが、元よりコアを持っているのだからさっさとState化するべきだったと後で気づいた)
ドイツ騎士団がボヘミアと同盟を結んだため、こちらも同盟網を強化しておく。
とりあえずブランデンブルクと同盟だ。
その他、各技術のレベルを上げ、主要都市に寺院や市場を建設していく。
陸軍維持費を最低にしていれば毎月5デュカート近くの収入が得られるため、結構なペースで内政改善を図ることができる。
1459年7月1日に最初のアイディアである「影響」アイディアを獲得。
同君連合と属国とを混同していて、すでに属国は存在しない状態であるにも関わらず慌てて上記のアイディアを獲得してしまった。
まあ、有用なアイディアは多いので問題はないだろう。
1460年時点での経済状況。
プファルツ-ノイマルクト公だった父の遺領を受け継ぐというイベント(「Bavarian Inheritance」)によって税収入に+0.66のボーナスがついている。
州都コペンハーゲンのあるシェラン島(Sjælland)は各種開発イベントで税収入開発度が11に達しており、合計の税収入が1.08に及んでいる。
その他、ルンド(Lund)とダンツィヒが0.56、フュン(Fyn)が0.54の税収入を得ている。
(ルンドは貴族階級が、ダンツィヒとフュンは聖職者階級が統治している)
これらの都市はすべて寺院を建造している。
同じく1460年時点での交易状況は以下の通り。
シェラン島とダンツィヒに市場を建造しており、交易力はそれぞれ48と39.6。
リューベック交易圏とバルト海交易圏の交易シェア率はそれぞれ17%と22%である。
3.北ドイツ戦争(1460年~1463年)
1460年9月1日にリヴォニア騎士団との講和が切れる。
陸軍士気を高める効果を持つ「軍事改革者」を雇用。
レベル2の顧問だったこともあり、財政は赤字となるが、貯金は十分にあるため問題ない。
早く軍事レベルを5に上げて歩兵をグレードアップさせたいというのもある。
すでにボヘミアはレベル5なのだ。
そしていよいよ宣戦布告。
リガとリヴォニア騎士団にもチェックを入れて、可能な限りの収奪を行う予定でいく。
デンマーク・ブランデンブルク・ポーランド同盟vsドイツ騎士団・リヴォニア騎士団・リガ・ボヘミア同盟。
総兵力24万の大規模戦争となった。
しかしこちらと相手方の兵力差は5倍。
これならば負けないだろう。
開戦と同時にマリエンブルクに侵攻し、騎士団軍を殲滅。
そして騎士団領各地に兵を展開し、包囲戦を開始する。
さて、対ボヘミア戦線を任せている同盟軍の方はどうかというと・・・
ガンガン敗北中。
おいおい、大丈夫か。
それでも1463年の春にはボヘミア以外の全領土を制圧。
ボヘミア方面もその後反撃を行い、その領土を次々制圧しているようではある。
3月29日。リガを併合。
4月19日。
リヴォニア騎士団領のエーゼル島(Ösel)を獲得。これはミッションの関係である。
またゴルディンゲン、ミタウ(ラトビア語ではイェルガヴァ)をスウェーデンに割譲。
そして5月1日にボヘミアと和平。
159デュカートの即時賠償金(うち、93デュカートをデンマークに)と、デンマークに対する10年間の継続的賠償金のみを約束させる。
領土の移動などはなし。どのみちポーランドやブランデンブルクは、そう遠くない未来において敵となるだろう。不必要に彼らを強大化させる必要はない。
そして5月10日。
騎士団とも和平条約を結ぶ。
ダンツィヒの地で結ばれたこの条約において、騎士団のデンマーク王国への従属が定められた。
今回の戦後報告書は以下の通り。
双方で10万以上の死傷者を生んだ戦争となった。
リガの獲得、そして騎士団領の属国化など、当初予定した以上の戦績を挙げることができた。
また、ボヘミアとブランデンブルク・ポーランドも激しいぶつかり合いを経験し、彼ら3国すべてに十分な消耗を与えることもできたようである。
十分な成果と言えるだろう。
ミッション達成したのちに不必要となったエーゼル島を種に、エストニアを属国設立させた。
次の戦争の目的は、このエストニアのコアを持つリヴォニア騎士団である。
可能ならば属国化を。無理であってもエストニア領を回復させる。
リヴォニア騎士団との休戦条約が切れるのは1477年の1月。
そこまではまた内政期間とし、その間に影響アイディアなどもしっかりと進めていこう。
ここまでは順調。
次なる同盟相手なども、少しずつ探っていく必要があるだろう。
第2回に続く