リストリー・ノーツ

歴史ゲームのプレイレポートが中心。https://twitter.com/RestoryNotes

第3のローマが世界の頂点を目指す 第2回「イヴァン3世の治世(1456年~1485年)」

f:id:SuzuTamaki:20170618201937j:plain

イヴァン3世ヴァシーリエヴィチ(Ivan III Vasilevich)。1440年生。

ノヴゴロドを始めとして周辺の大国に次々と侵略し、「タタールのくびき」から抜け出したことによって、のちに「大帝」の名を冠することになる名君中の名君。

f:id:SuzuTamaki:20170618202314j:plain

ゲーム上の能力値も3/4/5と高めで、今回のプレイで獲得したTraitもアイディア獲得コストを5%削減する強力な「自由思想(Free Thinker)」。母マリア・ヤロスラヴナも同じTraitを持っていたため、彼女の教育の賜物かもしれない。

 

このイヴァンの若くしての即位は、モスクワにとっては非常に大きな幸運となる。

早速、領土の拡張を目指して行動を開始しよう。

今回のプレイレポの目標:ランキング1位になること

現状のランキング:9位(前回12位)

↓前回はこちら↓

suzutamaki.hatenadiary.jp

 

 

 

第2次ノヴゴロド征服戦争

1457年に、リャザン公国を攻め滅ぼした大オルドと一線を交えており、旧リャザン公領の大半を奪い取っている。

また、1461年には「ロシアの能力」のうち、「スデブニクの改正」と「ストレリツィの編成」に必要なポイントが貯まったため、「スデブニクの改正」の方を発動する。

f:id:SuzuTamaki:20170618223934j:plain

これによりノヴゴロド州のAutonomyを25%以下に減少させることができたので、早速ボヤール(貴族)の影響力を失わせる。

 

ペナルティなしで気軽に使えるという点で、本当に使いやすい効果である。

ストレルツィの方は、本当に必要な時まで貯めて待っておこう。

 

同じころに最初のアイディア獲得が可能になったので、迷った末に「影響」を取得することにした。

外交官を即座に増やせる「外交」とどちらを取るか迷ったが、比較的広範にボーナスが得られ、最終ボーナスも有用な「影響」を選択するに至った。

このあたり、どういったアイディアが適切か、何かアドバイスがあればコメントにいただけると幸い。

 

 

そして1462年12月19日。

ノヴゴロド共和国に対する2度目の征服戦争を仕掛ける。

f:id:SuzuTamaki:20170618232925j:plain

f:id:SuzuTamaki:20170618233012j:plain

名将ドミトリー・シェミャーカは既に亡く、新たに "Grant Generalship" のコマンドでボヤール(貴族)階級から将軍ナザレー・シェレメーチェフを任命している。

このコマンド、陸軍伝統40相当の将軍を手に入れられるだけでなく、ボヤール階級の影響力を20%向上させることもできる。

基本、マンパワー不足が慢性化している初期のモスクワでは、ボヤール階級に対する優遇政策こそが基本線となる。代わりに商人階級あたりが割を食うこと多し。このあたりはイヴァン大帝らしいというか何というか。

 

攻城3という大砲のないこの時代においては破格の能力でもって、次々に進軍していくモスクワ大公軍。

戦争開始から約1年後の1464年1月には、ノヴゴロドのほぼ全土を制圧し、講和条約を結ぶに至る。

f:id:SuzuTamaki:20170618234839j:plain

f:id:SuzuTamaki:20170618234913j:plain

すでにState化しているノヴゴロドArea・南カレリアAreaを中心にノヴゴロド西部を大量獲得。これでも聖二コラのイコン崇拝の影響もあってか、リトアニアに対するAEも20%台までしか上がらない。

早速、Estateの張替えも行う。反乱軍をあらかた鎮圧したあとは陸軍維持費も最低にし、マンパワーの回復など、次の戦争に向けての準備を進めよう。

 

ちなみに戦争中、反乱の進行度が80%近くまで上昇し危機に陥ったが、これも「ロシアの能力」の1つ「オプリーチニナの支援」のポイント蓄積がギリギリで間に合い、反乱進行度を軒並み30%減らすことができた。

本当に便利な「ロシアの能力」。

 

 

タタールのくびき

タタールのくびき」という言葉がある。これは13世紀以降、ロシア諸部族に対するモンゴル民族(タタール)の侵略と支配を指す言葉として、主にロシア側で使用された言葉である。

13世紀後半には、当時ロシアで最も勢力の大きかったキエフ大公国も滅ぼされ、ノヴゴロドを除く全てのロシア諸部族がタタール支配下に置かれた。

 

この、タタールの支配を終わらせるきっかけを作ったのが、のちに勢力を伸長するモスクワ大公国である。

1480年、当時の大公イヴァン3世によって、伝統的に続いていたタタールへの貢納が廃止され、その他のロシア諸部族も、少しずつタタールの支配を脱していった。

13世紀~15世紀前半までが、モンゴルによるロシア支配の全盛期であるとすれば、このEU4が舞台とする15世紀後半以降は、まさにロシアのモンゴルからの独立を達成していく過程である、と言えるのだ。

 

 

今回のプレイレポでも、まさにこのイヴァン3世によって、タタールに対する反撃を開始する。

最初の標的は大オルド(Great Horde)である。ジョチ・ウルス、キプチャク=ハン国と呼ばれた国々の後継国家でもあり、黄金のオルド(Golden Horde)と呼ばれたことも。

いずれにせよ「タタールのくびき」の主犯とも言える勢力であり、ロシアにとっては最も憎むべき相手と言える。

f:id:SuzuTamaki:20170619013156j:plain

そんな大オルドが、同じくジョチ・ウルスの後継国家であるカザン=ハン国と交戦中。これはチャンスである。

 

聖二コラのイコンはすでに効果が消えているので、改めて今度は「聖ミカエルのイコン」を選択する。

f:id:SuzuTamaki:20170619013435j:plain

これはマンパワーの回復速度が向上し、さらに規律もアップする、戦争国家にうってつけのイコンである。

 

そして1473年5月。いよいよ、大オルドに宣戦布告。

f:id:SuzuTamaki:20170619013348j:plain

相手同盟国には、やはりジョチ・ウルスの後継国家であるノガイ=ハン国がついているが、まとめて相手をしてやろう。

 

実際、戦力差は圧倒的であったため、1年半後に講和。

f:id:SuzuTamaki:20170619013542j:plain

 

獲得した領土をもとに、「リャザン公国」と「アストラハン・ハン国(下図濃青)」を属国設立。

f:id:SuzuTamaki:20170619013641j:plain

アストラハン・ハン国は、この後の大オルド戦2回戦およびカザン=ハン国戦において、「再征服」の火種として使用する。

 

 

そして1477年1月10日。カザン=ハン国にも宣戦布告。

f:id:SuzuTamaki:20170619153111j:plain

クリミア=ハン国がついてくるが敵ではない。

およそ2年後に敵全領土を制圧し、講和。

f:id:SuzuTamaki:20170619153442j:plain

直接併合しても、異文化・異宗教に加え上限の所為でState化もできないので、一応首都で交易中心地でもカザン州だけ直接併合し、残りはめいっぱい、リャザンとアストラハンに土地を与える。

 

リャザンに土地を与えることで、彼らによってイスラム教圏が浄化されることを狙う。

このあたりの、直接併合と属国を利用した外交併合とのバランスが、いまだに試行錯誤である。

ロシア化するにあたっては、リャザンAreaとスモレンスクAreaのいずれかを直接領有していなければならないので、それまでには併合しないといけないとは思うが・・・。

 

 

このあと、ノヴゴロドに3度目の戦争を仕掛け、さらに領土を奪う。

f:id:SuzuTamaki:20170619181750j:plain

この結果、毛皮の市場シェア率が20%を超え、月毎の威信増加+0.5のボーナスを得ることに。

 

 

では、そろそろ大オルドに対する2度目の侵略をしようか、というときに・・・

f:id:SuzuTamaki:20170619183137j:plain

まさかの、イヴァン3世崩御

まだ45歳である。

史実よりも、20年も早い。

名君だったのに、これはあんまりだ・・・。

 

だが、後継ぎは問題なくいる。既に24歳になっている、同名のイヴァン。イヴァン4世である。

f:id:SuzuTamaki:20170619183411j:plain

その名前は、歴史上では「イヴァン雷帝」と呼ばれている人物だ。

カザンを含むタタール諸部族を完全に平定し、「ツァーリ」の公称を開始した人物としても知られる。

 

ロシア史上きっての暴君とも呼ばれる彼だが、果たしてこのゲーム上ではどうなるか。

 

 

第3回に続く。

 

おまけ:各期間ごとの経済状況の推移

f:id:SuzuTamaki:20170619183959p:plain

1456年~1485年の、イヴァン3世統治期間において、プロヴィンス数は実に2倍に増加。大帝の名に恥じぬ事績であった。