11月16日、新DLC「Cradle of Civilization」が発売された。
「文明のゆりかご」という名のこのDLCは、そう呼ばれることとなった地域、すなわちチグリスとユーフラテスに挟まれたメソポタミア地方を中心とした拡張となっている。
たとえばオスマン、黒羊朝と白羊朝、そしてティムールの帝国。さらにはイスラム教・・・そういった部分に大きな変化をもたらしたのが今回のDLCだ。
そして、同時に公開された最新パッチ「1.23」の別名は「ペルシアパッチ」。
今回のプレイでは「ペルシア帝国の復活」を目指すこととする。
では、どの国でプレイするべきか。考えた結果、以下の国で始めることにした。
真ん中に存在する紫色の国。
これが、今回プレイする「アジャム(Ajam)」という国だ。
気づいているとは思うが、元々この国があった場所には上記の赤色の国――ティムールの帝国が存在していた。
実際、アジャムというのも、本来の歴史上ではあくまでもティムール帝国の一部。ティムールの一族の者が支配する、ティムール帝国の地方政権のようなものだ。
だが、この1444年の頃にはティムールの息子であり帝国の最高指導者であるシャー・ルフの影響力が落ち込んでおり、アジャムを含む帝国周縁の諸侯は実質的な独立状態にあった。
今回のパッチでは、その辺りを反映し、このアジャムを始めとしたいくつかの国が独立国としてプレイ可能国家となっている。
せっかくの新国家ということもある。今回の新DLC紹介プレイでは、この新国家アジャムでペルシアの復活を目指すことにする。
ちなみに、新国家の中でもアジャムを選んだのは理由がある。
その1つが、以下の「ペルシア成立の為の条件」だ。
- 独立しているか朝貢国(Tributary)であること。
- 遊牧民国家でないこと。
- 平和状態であること。
- 部族国家でないこと。
- ペルシアが既に存在していないこと。
- ハマダン(Hamadan)を所有していること。
- イスファハーン(Isfahan)を所有していること。
- ヤズドを所有していること。
- コム(Qom)を所有していること。
- ガズヴィーン(Qazvin)を所有していること。
- アモール(Amol)かシラーズのいずれかを所有していること。
- タブリーズ(Tabriz)かケルマーン(Kerman)かマシュハド(Mashhad)のいずれかを所有していること。
最低でも7つのプロヴィンスを所有していることがペルシア成立の条件となるわけだが、アジャムはそのうち上記太字の4プロヴィンスを最初から所有している。
そして、それ以外のプロヴィンスに関しても、アジャムの領土に隣接しているプロヴィンスが多い。
よって、現環境において、最もペルシア復活に近い国がこの、アジャムなのである。
そしてアジャムとは、元々アラブ人から見たペルシア人のことを指す言葉であった。
ゆえにアジャムの民=ペルシアの民である。
そういった理由から、今回はこのアジャムでゲームを開始し、ペルシアを復活させ、そして願わくば、その最大領域――すなわち、北部ギリシャからエジプト、東はインドに到達するまでを支配下に置いた帝国を形成したいと考える。
それではやってみよう。
1.Mushasha征服戦争(1444年~1446年)
1444年時点のアジャムの支配者は、シャイフ(首長)ムハンマド・ビン・バイスングル。
ビンとはアラビアの言葉で「息子」を意味する。ビン・バイスングルとは「バイスングルの息子」を意味する言葉であり、ムハンマドの父バイスングルは、現ティムールの君主シャー・ルフの息子である。
つまり、ムハンマド・ビン・バイスングルはシャー・ルフの孫にあたる。
能力値は至って平凡。特性は陸軍指揮官の白兵能力を+1する "Bold Fighter"。
次に政府画面を見てみる。
シャイフダム(首長国)であるアジャムは「イクター制」を採用している。封建家臣に対し、給与の代わりに徴税権(イクター)を付与していたという制度であり、中世後期以降の近東ではメジャーな体制であった。
そして、新DLCにおいては、このイクター制に新たなシステムが加えられた。
下記、追加された3つの「徴税政策(Iqta Taxation Policy)」アイコンである。
左から順に
-
効率的な徴税方法(Efficient Tax Farming)
-
土地の買収(Land Acquisition)
-
寛大な徴税(Lenient Taxation)
の3つである。
それぞれ採用すると、
-
一定額の資金を獲得し、20年の間税収+15%
-
一定量の人的資源を獲得し、20年の間コア化コスト-5%
-
20年の間外交評判+1、属国の独立欲求-15%
という効果をもたらす。
いずれの徴税政策も、採用するにあたって特にデメリットは存在しない。
1つ採用すると別の政策を採用するまで20年待たなければならないというくらいだ。
非常に使いやすく強力。ペルシア化すると別のシステムに切り替わるため、今回のプレイでは2回ほどしか使用しなかったものの、ティムール帝国などもすべてこの制度に切り替わっているため、それらの勢力を使用する場合には活用したい。
最後に外交画面を確認しておく。
東のティムール帝国、西の黒羊朝(Qara Qoyunlu)、そしてチグリス・ユーフラテス河口に位置する新国家Mushashaがアジャムをライバル視している。
このMushashaは新政体であるFeudal Theocracy(封建的神権政治)を採用している。イスマーイール派の宗教的指導者であるムハンマド・イブン・ファラーによって率いられる神権国家である。
初期の段階でティムール帝国や黒羊朝に喧嘩を売るつもりは一切ないので、まずはこのMushashaを攻撃していきたい。
実際、Mushashaはアジャムの属国であるルリスタン(Luristan)のコアを所有しているため、ゲーム開始直後に宣戦布告できるというメリットもある。
また、交易路的にも上流に位置しているため、これを支配下に置くメリットは大きい。
早速、1444年12月11日。宣戦布告が解禁された瞬間に開戦。
1年半後の1446年5月12日、とくに問題なく征服完了。
開戦事由にしたシューシュタル(Shushtar)の回収のほか、Mushasha全体を属国化することに成功した。
しかし・・・
直後、黒羊朝から宣戦布告される。
2.黒羊朝との戦争(1446年~1448年)
あらかじめ白羊朝(Aq Qoyunlu)と同盟を結んでいたおかげで、戦力は拮抗状態。
とりあえず余計な敵戦力を削るためにも、北方のギーラーン(Gilan)をまず潰す。
1447年4月30日に講和。領土は奪わず、98デュカートの賠償金を得る。
そして、対黒羊朝軍との最前線となるのは、アジャム・黒羊朝国境に位置する都市イーラーム(Ilam)。
白羊朝の援軍のおかげで何とか撃退。
このイーラームの地で2度、3度にわたる決戦を経た後に、なんとかこれを占領。
最終的には1448年5月30日、56デュカートの賠償金を獲得する有利な形での講和を結ぶ。
領土を1つ明け渡すことすら覚悟していたので、この結果は僥倖だった。
3.内政期
立て続けの2つの戦争で疲弊した国内体制を立て直すべく、暫しの内政期間を取ることとする。
合わせて、新DLCによる追加要素をいくつか見てみよう。
まず紹介するのが「陸軍の訓練(Army Drilling)」。
これまでのバージョンでは内政期においては陸軍の維持費を最低値にするのが基本だった。
しかし今回のこの新要素によって、その時期の選択肢が1つ増えることとなる。
条件は「指揮官のいるスタック」であること。
このボタンを押して訓練を開始すると、維持費最低時と同様に士気値が0になる。
そしてそのスタックにいる陸軍ユニット全ての「訓練値」が上昇し、その度合いによってその度合いによって白兵・射撃で与えるダメージの上昇や受けるダメージの減少などのボーナスが、それぞれ最大10%ずつ付与される。
また、指揮官の能力値も一定確率で上昇することがあるらしい。
大体10年ほどで最大値まで上昇するイメージ。訓練中は維持費を最大にするのと同じくらいコストがかかってしまうので、内政期に常にこれを行うべき、とは言い切れないが、AIも大体どの国も訓練しているようなので、いざ戦争になった時に訓練値の差がそれなりに出てくる可能性がある。
可能な限り最大にしておきたいところ。
また、もう1つ、イスラム教に加えられたいくつかの新要素を見ていこう。
そもそもアジャムという国は、国教はスンニ派でありながら、その領土の大半がシーア派という、異様な状況を持つ国でもある。
初期状態での宗教統一度(Religious Unity)が5%。これはひどい。
よって、アジャムはゲーム開始と同時に、以下の「シーア派への改宗」ディシジョンを選択するのが良いだろう。
周辺の国もほとんどがシーア派のため、外交関係の為にもこの改宗は必須となる。
シーア派への改宗と同時に、次のイベントが発生する。
これは新DLCの追加要素の1つ「イスラム法の学派(Muslim School of Law)」に関連するイベントである。
イスラム教を国教とする国は、スンニ派・シーア派共にいずれかの「学派」に所属しているが、この学派は基本的にゲーム中に変えることができない。
しかし宗派を変えた場合には、上記のように学派を選択することができる。シーア派の場合「マズハブ(Maddhab)」と呼ばれるのがその学派であり、以下の3つが存在する。
選択肢の上から順に、
の3つである。
効果自体は大したことはなく、基本的には学派同士の関係をふまえて選択するのが良いだろう。異端ほどではないものの、相性の悪い学派同士では関係性が悪化する。
今回、アジャムはジャアファル法学派を選択することにする。特別相性の悪い学派が周辺にいないのと、ジャアファル法学派というのが、のちのペルシア=サファヴィー朝が奉じた十二イマーム派とほぼ同一の教義を持っていることが、選択の要因である。
各学派の、別の学派との関係性は下記画像の黄色枠の位置に記載されている。
この関係性は固定ではなく、ゲーム中の状況により常に変化する。
とりあえず現状、ジャアファル法学派はスンニ派のハンバリ学派(Hanbali)、シャーフィイー学派(Shafi'i)と険悪な関係にあり、同じくスンニ派のハナフィー学派(Hanafi)、マーリク学派(Maliki)、そしてシーア派のイスマーイール派、ザイド派とは良くも悪くもない関係にある。
今回はなかったが、この他に「尊敬」の関係もあり、この場合は同じ学派であった場合と同様に友好度が上昇する。
今プレイ時では、アジャムの属国であるアルダラン(Ardalan)がスンニ派かつシャーフィイー学派であったため、合計で-65の友好度ペナルティがついてしまった。
それ以外では特に問題はなかったが、状況によってはこの関係性をうまく利用した学派選びをするようにしよう。
ちなみに、同盟関係にあり関係も良好な他国の学派の学者(Scholar)を招聘することができる。
今回は、先の戦いで属国にしたMushashaが採用しているイスマーイール派の学者を招聘ができる。
統治ポイントを50消費する必要があるものの、招聘することでイスマーイール派のもつ「年間正統性上昇+1」の効果を20年の間もつことができる。
今は正統性で困ってはいないが、将来的に正統性で困ったときには活用したいと思う。
異端の宗派の学派からも招聘ができるため、うまく活用していきたい。
最後に、「シーア派への改宗」ディシジョンの副産物により、Pietyが負の方向に振り切れる。
Pietyはイスラム教独自のシステムであり、(国の、ではなくて)君主の「信仰心」を表していた。
しかしこのシステムが、新DLCによって変化。負の方向は「神秘主義(Mysticism)」への傾倒を、正の方向は「律法主義(Legalism)」への傾倒を表すようになった。
この数値を正か負かどちらかに偏らせる方がいいのは旧バージョンと変わってはいないが、新要素ではこの数値の絶対値が75以上のとき、上記画像の黄色い枠の中にあるボタンを使用可能になる。
Pietyの値が-75以下(神秘主義の方向に75以上)のときに使用可能になるのは「信徒への呼びかけ(Calling on Religious Followers)」。即座に一定の人的資源を手に入れられる。
Pietyの値が75以上(律法主義の方向に75以上)のときに使用可能になるのは「信仰の順守の徹底(Enforce Faithful Adherence)」。汚職を2ポイント減らすことができる。
いずれの場合もそのときのPietyの絶対値を50減らす。
今回のプレイ時は、度重なる戦争の後で人的資源が枯渇していたため、「信徒への呼びかけ」を即座に実行した。
なお、「神秘主義」に傾倒しているときは絶対値に応じて布教力が最大3%、陸軍士気が最大10%、要塞防御力が最大20%上昇する。軍事に有利な志向と言える。
「律法主義」に傾倒しているときは絶対値に応じて税収や人的資源が上昇し、技術獲得コストも減少する。主に内政に有利な志向と言えるだろう。
君主が変わればPietyの値もリセットされるため、基本は偏らせつつ、状況に応じてどちらに偏らせるかを考えていこう。
4.ティムール帝国との戦い(1453年~1474年)
黒羊朝との戦いから5年後の1453年8月。
トランスオクシアナやホラーサーン、アフガニスタンといった国も、元々はアジャムと同じくティムール帝国の一部だった国だ。ホラーサーンなんかは今のバージョンでも最初から属国扱いになっているが、今回のプレイ時には早々に独立したようだ。
そこに明も加わっているため、さしものティムール帝国も、これはかなり危機的な状態と見受けられる。
よって、便乗参戦。ペルシア化に必要な領土の1つであるヤズィド(Yazd)を攻略目標にする。
2年後の1445年4月に、目的のヤズィドと100デュカート以上の賠償金を獲得して講和。
まだまだティムール帝国軍主力に正面からぶつかるだけの力はないため、必要なものだけ奪ったらさっさと退散するのが吉である。
ホラーサーンらとの戦争も間もなく終わり、ティムール帝国はその領土を随分と減らしてしまったようだ。
落日は近い。
1456年~1458年の間に、カスピ海沿岸のシーア派国家マーザンダラーンに攻め込み、ペルシア化に必要な土地アモール(Amol)と、交易中心地でもあるサーリー(Sari)を奪い取る。
その後は再び内政期を過ごしつつ、ティムール帝国のライバルであるトランスオクシアナとアフガニスタンとの同盟を結びながら、ティムール帝国包囲網を徐々に形成していく。
そして、1471年9月3日。
トランスオクシアナ・アフガニスタンと共に、ティムール帝国とその属国・同盟国への宣戦布告を行う。
敵同盟国のBiapasをまずは電撃制圧し戦勝点を確保しつつ、ティムール帝国の要塞のあるヘラート(Herat)を巡り攻防戦を繰り広げる。
ティムール帝国軍だけならまだしも、HaasaやYasといったアラビア半島諸国も結構な軍量を持って入り込んでくるため、すべてを迎え撃とうとする厳しい。
敵主力の打倒はトランスオクシアナら同盟国に任せ、自軍は確実に欲しい領土の占領維持に専念する。
各地でギリギリの戦いをこなしつつ、3年後の1474年8月31日に講和。
ペルシア化に必要なケルマーンと、交易中心地であるシラーズを頂いて講和。
これで、ペルシア化に必要な領土が全て手に入った。
5.ペルシア帝国の成立
1476年3月7日。いよいよ、ティムール帝国の一部であったアジャムは、古のペルシア帝国の復活を宣言する。
からの、
ペルシア成立!!
文化も「ペルシア(イラン)」文化として統合され、周辺地域の文化はすべて受容文化となった。
これは強い。
君主の称号も「シャーハーン・シャー」すなわち「王の中の王」へと変わり、ティムール帝国から名実ともに独立したことになる。
ちなみに先代のムハンマド・ビン・バイスングルはすでに崩御しており、息子のシャー・ルフがティムール朝ペルシアの初代君主となった。
能力値も高く、有望な君主。
この君主のもと、ペルシアはメソポタミアの新たな支配者を目指すこととなる。
第2回へ続く。