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【Victoria3】初見スウェーデンプレイ雑感レポート③(最終回、1876〜1896) 2つの大戦とスカンディナヴィア統一

 

Victoria3初回スウェーデンプレイ第3回。

前回までで無事列強入りを果たし、世界に冠たる大国へと成長したスウェーデン

産業革命も進展し、内政についてはある程度やりきった感を得たところで、いよいよ「戦争」を体験していきたいと思う。

 

目指すは、実績の一つでもある、スカンディナヴィアの建国。

 

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目次

 

前回の記事はこちらから

suzutamaki.hatenadiary.jp

 

 

スウェーデンデンマーク戦争(1876年)

外交プレイ(1月~5月)

まずは、スカンディナヴィアの建国条件から。

左のメニューバーの中から「文化(あるいはF8)」を押し、開かれたウインドウの「国家の形成」タブを選択する。

文化ウインドウは開くことがあまり多くないのもあり、結構ここを見つけるのに苦労しているプレイヤーもいるみたいだ。

 

するとスカンディナヴィア建国条件一覧が出てくる。対象となる国・地域はスウェーデンノルウェーデンマークアイスランドフィンランドにまたがる15ステート。

そのうち11ステートを領有することができればスカンディナヴィアを建国できるのだが、現在すでにノルウェーを同君連合下においているスウェーデンは8ステートまでを領有している。

残り3ステートを奪い取ることができれば、無事スカンディナヴィアが建国されるというわけである。

 

 

必要なステートは直接支配しなくとも、従属下におけばそれで問題ないため、傀儡政権樹立の戦争目標で外交プレイ(Diplomatic Play)を開始しようと考える。

 

しかし敵側には同君連合を組んでいるシュレスヴィヒ・ホルシュタインはもちろん、同盟を結んでいるベナン、防衛協定を結んでいるダホメ・ベネズエラも参戦してくる様子。

そうなると陸軍58大隊+予備役71となりこちらがかなり劣勢。

まずは軍拡を急速に進めていく必要があるだろう・・・

 

と、思っていたところで、1875年12月14日。

北ドイツ連邦(旧プロイセン)から同盟のお誘いが!

フリードリヒ・ヴィルヘルム率いる北ドイツ連邦は、順調にドイツ統一への道を突き進んでおり、現在は陸軍349大隊(34万9,000人)+予備役89大隊(8万9,000人)&海軍169隻の強力な軍隊を有してくれている。

 

彼らがいれば千人力。

早速、予定よりずっと早く、デンマークに対して宣戦布告を行う!

 

もちろん、本作はいきなりの宣戦布告はできない。

まずはデンマークに対し、傀儡化の要求を突き付けて1876年1月22日、外交プレイを開始。

 

だが、2月に入り、外交工作フェーズに突入すると、列強6位のロシア帝国デンマーク側につくと宣言。

217大隊(21万7,000人)を有しスウェーデンにも隣接するロシア帝国が敵に回るのは怖い。

 

よって、すでにデンマーク側についているロシアに対し、外交的な揺さぶり(Sway=懐柔と訳しても良い気はする)を仕掛ける。

デンマーク側についているベネズエラの、ミランダ州にロシアの条約港を設けるという条件で懐柔を行う。

 

これが見事成功。3月13日にロシアはスウェーデンを見捨て、中立の立場に戻ることを決定した。

 

これで再びスウェーデン&北ドイツ同盟軍でデンマーク同盟軍を殴れる・・と思っていたら、4月4日。

今度は何と列強4位オーストリア帝国デンマーク側につくと宣言!!

 

オーストリアを懐柔してデンマークから手を引かせる、もしくはフランスを懐柔して共同で開戦してもらうという方法も行える状態ではあったが、すでにシュレスヴィヒ=ホルシュタイン宗主国の地位をスウェーデンに渡すという戦争目標も追加してしまっていたため、工作値(下画像黄色枠の数値)が足りなくなってしまいこれ以上の懐柔が行えない!

この工作値を使って各国への工作や戦争目標の追加などを行える。あまりに早く工作を行ってしまうと、その先のフェーズで思わぬ後出しの動きをされて身動きが取れなくなることも多いため、タイミングなどが非常に難しい。もちろん工作を遅らせれば完了する前に戦争に突入してしまう恐れもある。

 

オーストリアの軍量は北ドイツ連邦を上回る陸軍417大隊+海軍112隻と非常に強力。

だが、ここで引き下がるわけにはいかない。

 

かくして1876年5月16日、バルト海の覇権をかけたスウェーデンデンマーク戦争が勃発する!

 

戦争の経過(5月~11月)

外交プレイのときからすでに戦争は始まっている。

あらかじめヘルマン・ブライトホルツ将軍を任命し、官僚制ポイントを支払って中将にまで昇進させる。そうすることで60大隊(6万人)まで率いることができるようになるため、現在のスウェーデン正規陸軍55大隊(5万5,000人)をすべて彼に任せることにする。

性格/特性は快楽主義者(士気回復+5%、物資消費量+10%)、野盗(人気度-50、士気に対するダメージ+10%)、アルコール依存(人気度-10、個人の体力-5%、士気に対するダメージ-10%)とろくでもない奴だが、もう一人の将軍候補も腎臓結石(個人の体力-20、攻撃力・防御力-10%)とより厳しい特性持ちだったため、仕方なくこちらを採用。

海軍提督も軍部出身のオットー・オルソン提督を任命し、準備は万端。

ブライトホルツ中将に率いさせた55大隊をあらかじめスウェーデンデンマークの国境に位置するスヴェアランド・ジーランド戦線に送り込み、開戦と同時にこれに侵攻開始した。

 

デンマーク側はその部隊のほとんどを北ドイツ連邦との国境沿いの戦線に貼りつけさせていたため、ブライトホルツ中将はさしたる抵抗なく次々とジーランド州内の3都市を陥落。開戦から2週間の間に繰り広げられた電撃戦であった。

 

しかし、ここでこのスヴェアランド・ジーランド戦線に、オーストリア帝国軍のハインリヒ・フォン・ヘス元帥率いる99大隊がやってくるとのお知らせ。

 

当然、まともにぶつかっても勝ち目はないため、攻勢はここでストップ。

ブライトホルツ中将に対する指示を「戦線の進行」から「戦線の防衛」へと切り替えさせる。

基本的にこのゲームの戦闘は防御側有利であるため、劣勢に立たされている場合は無理に攻勢を仕掛けるのではなく、まず防衛戦を行って敵兵力を削ってから反転攻勢を仕掛けるのがセオリーのようだ。

実際、数的に不利な現状、こちらの攻撃(80)と敵側の防御(73)はあまり差がなく微妙だが、敵側の攻撃(59)に対してのこちらの防御(73)は圧倒的に高く有利な状況となっている。

 

そしていよいよ6月14日。

スウェーデン軍の初の本格的戦争が巻き起こる。

ブライトホルツ中将はヘス元帥の侵攻を必死で食い止め、戦況は圧倒的に優勢。

何しろ、軍隊の質の差が決定的に違う。

133.6の革新値を毎週産出しているスウェーデンに対し、オーストリアは99の革新値しか産出していない。

結果、技術の差がかなりできており、オーストリア軍がいまだ戦列歩兵を連れてきているのに対し、スウェーデン軍は散兵および自転車伝令を戦場に送り込んでいる。

結果、1ヵ月に及ぶカロンボーの戦いでスウェーデン軍は勝利。

オーストリア軍の攻勢を防いだと同時に、こちらに対して2倍近い損害を敵軍に与えることに成功した。

 

さらに8月のデンマーク海峡での海戦も、オルソン提督率いるスウェーデン海軍がオーストリア海軍を打倒。制海権も確保する。

 

さらに何度かジーランド戦線での防衛線に勝利しつつ敵兵を削っているうちに、この戦線に同君連合下のノルウェークリスティアン・クロウマン准将に22大隊を率いさせて駆けつけてくれた。

純粋な兵数ではまだ劣勢だが、質の差もあり、これで攻勢を仕掛けるには十分。反転攻勢だ!

 

9月21日。

ジーランド州のすべての都市を占領下に置き、ジーランドを制圧。

北ドイツ連邦軍もユトランド半島を次々と北上し、支配地域を広げていく。

デンマーク側の戦争支持率もついにマイナスに突入し、降伏へのカウントダウンが始まっていく。

スウェーデン・北ドイツ同盟側の戦争支持率は未だ90%以上。

北ドイツ連邦も南部の対オーストリア戦線は防衛中心で押しとどめているため、戦争は常に優位状態を保ちつつ推移できている。

 

 

終戦、スカンディナヴィア帝国の建国

そして開戦からちょうど半年となる11月12日。

デンマーク全土をスウェーデン同盟側が制圧完了したと同時にデンマークの戦争支持率が-100%に達し、強制降伏となった。

 

これを受けて戦争主導国の地位を継承したオーストリアも、これ以上戦う理由はもちろんないため、11月23日、関係国との間にヘルシングポリの和約が締結され、デンマーク、シュレスヴィヒ、ホルシュタインすべてのスウェーデン属国化が認められることとなった。

 

こうして、スカンディナヴィア建国に必要な11ステートの条件が達成。

 

いよいよ、スカンディナヴィアを建国する!

 

 ↓

 

 

スカンディナヴィア半島から北海を越え、アイスランドグリーンランドにまで跨る北の海の大帝国がここに完成する。

オスカル1世の夢見た全スカンディナヴィア人の統一帝国が、今まさに実現したのである。

 

 

・・・いや、それはまだ「完成」ではない。

半世紀前、ロシアに奪われたフィンランドの地を奪還してこそ、真の意味でのスカンディナヴィア人の帝国の完成である。

 

次なる目標はロシア。

フィンランドの奪還を、実現させる。

 

 

戦間期

スカンディナヴィア帝国の状況確認

もちろん、すぐにロシア帝国に宣戦布告するわけにはいかない。ロシア帝国は革新値50しか産出できていない技術後進国ではあるものの、その陸軍の数は予備役含めて658大隊に及び、戦力投射は1,194。

さらに、清と防衛協定を結んでおり、その清の陸軍総数は予備役含め1,564大隊、戦力投射は4.132に達するのである。

 

ここは入念な準備を行い、万全の態勢で対フィンランド奪還戦争へと挑む必要があるだろう。

 

 

そのためにまずは建国されたばかりのスカンディナヴィア帝国の状況を確認していく。

ノルウェーデンマークを飲み込んだスカンディナヴィア帝国のGDPは直前の6,730万ポンド(世界8位)から8,690万ポンド(世界7位)へ成長。

総人口は745万人(世界18位)から1,240万人(世界13位)へと一気に飛躍。

威信ランクでも6位につけ、ロシアがすぐそこにまで迫りつつある。

前回6位だったアメリカは革命により分裂中。

 

 

ただし、人は増えたが貧しい生活をしていたデンマークアイスランドグリーンランドの人々が入ってきたことで、平均生活水準は2ポイント下がって堅実(20)に。

さらに所得税の増収に増して「国家公務員の給金」による支出が飛躍的に増大、その他の項目も全体的に2~3倍になっていることから、収支が急速悪化。毎週4万3千ポンドを垂れ流している状態となっている。

 

まずはこの経済状況の整理、立て直しが必要となるだろう。

 

 

経済再建策

そのためにも、旧ノルウェーデンマーク領をいくつか「併合」していく必要がある。

下記まとめられている通り、併合されていないステートは税収が0なのに対し、支出だけは立派にかかっていく。

規模に応じた税収を確保すべく、人口の多いジーランドカメルーン東西ノルウェーユトランドシュレスヴィヒなどはすべて併合していくこととする。


そしてこの大規模併合のために官僚制ポイントを確保する必要があるので、交易の見直しも行う。


とりあえず不足しているのに輸出している5番石炭と8番工具を消す。

さらにこれは(貿易協定を結んでいるので)官僚制に影響しないが、1,000ユニットも不足しているのに2,070ユニットも輸出している4番酒類の輸出を停止。

これで市場に大量の種類が溢れかえることになるので、すべての食品工場の蒸留酒製法を食料品を優先する「ポットスチル」に変更。これで酒類の供給が削減される。

 

さらに逆に食料品の供給が過剰になるので、それを今度は缶詰製法を「真空缶詰」から「缶詰工場」に変更。これで石油の需要を一気に減らせる。

1ユニット70ポンドから10ポンドへという恐ろしい変化である。

そして、これを受け、イギリスとフランスからの石油輸入ルートも消去。

合計で60ポイントもの官僚制ポイントを節約することができるようになった。


あとは、仮想敵国のロシアが随分と軍需品をスカンディナヴィア帝国から輸入しているようだったので、彼の国に対して禁輸措置を実行。

 

あとは、のちのちフィンランド大公国併合のための外交プレイを仕掛けるべく、フィンランドとの関係悪化を進めていくことは忘れないように。

てっきりロシアに対する外交プレイで宗主権を奪えるのかと思ったらそうではない様子。仲良く併合したかったが仕方ない。

 

 

経済再建のために国家公務員の給与も2段階下げて「非常に低い」に設定。

ver.1.0.4から国家公務員の給与を下げることで国威が20%減少するようになったが、20%減少しても列強の地位から落ちるわけではなさそうなので構わず選択する。

 

あとは経済再建のために「国際為替基準」の技術獲得や、扶養者所得を上げることのできる「老齢年金」法の制定、また「磁器」あたりに消費税をかけて少しでも収入を増やすよう努力しよう。

あと、旧ノルウェー領で鉄鉱山や鉄道、自動車産業などが助成を受けていたのでそれらも解除する。助成金だけで2万ポンド近くも支払っているのはちょっと厳しいので。

 

それらの対応を終えたあとは、ひたすら先ほどのステートたちが編入されるのを待つばかり。

 

2年経過したあとの収支状況がこちら。

所得税は3万ポンド/週の改善ということで、思ったよりも伸びはしなかったが、それでもなんとか黒字へと持っていくことができた。

 

しかしこの後、スカンディナヴィア帝国は危機の時代に突入する。

そして、北欧諸国はそれぞれの国が建国されて以来の大変革を経験することとなるのである。

 

 

革命の時代

ことの始まりは同盟国北ドイツ連邦であった。

1881年9月25日。

唐突に、「共産主義的な北ドイツ連邦」なる勢力からの参戦依頼が舞い込んでくる。

 

なんと、北ドイツ連邦共産主義者たちによる革命が発生し、真っ二つに割れてしまったようだ。

革命ドイツを率いるのは「大統領」ハインリヒ・ディーステル。この人物自体は共産主義者ではないというかむしろ敵対するはずの実業家集団出身のようだが、まだ29歳と若いのによくぞこれほどの勢力をまとめ上げた。

国力では今のところ革命勢力が上。北ドイツ連邦のフリードリヒ王の方にはオスマン帝国がついているようだが心もとなさそうだ。

ここで北ドイツ連邦が倒れると、対ロシア戦争での同盟国がいなくなる。

ここは革命勢力に肩入れし、義務(借り)を得ることで、対ロシア戦争での同伴者を維持する方法を選ぼう。

 

 

戦争自体は、予定通り革命勢力が優勢に進め、ただちにドイツ統一を成し遂げる。

 

しかし、この戦争によって、元々石炭や工具など、経済発展に必須の商品を大量に北ドイツ連邦から輸入していたスカンディナヴィア帝国は、ここで未曾有の商品不足と急激な経済悪化に見舞われてしまう。

戦争開始後はさらに補給網の破壊にも遭い、すぐさま革命勢力との新たな交易の開始やスカンディナヴィア海軍による補給網回復などの策に出たものの、GDPは急激に落ち込み、合わせて国民の平均生活水準も急落。それによって所得税収も一気に半減するという、大不況時代へと突入してしまう。

さきほどまで21万6,000ポンドあった所得税収入が、半分近くにまで下がることに・・・。

 

 

その結果、巻き起こったのが政治動乱である。

それまでひたすら強い勢力を維持していた労働者勢力が、急激な経済的危機の中、党首ウクリク・ベルガーを中心として急進化。

ギロチンをロゴマークにするという恐ろしい「急進人民党」へと変貌を遂げる。

 

 

だが、すでに富を失った労働者勢力を中心としたこの政党は影響力10%と弱小勢力に。

今回の選挙での勝利も望むべくないはないだろう。

 

 

一方、これまで知識人層によって支持されていたはずの共産党が、新たにコミュニストとなったオットー・オルソン提督を中心とした武装勢力軍部によって強く支持されることに。

 

 

そして1883年8月15日。

選挙の結果、この共産党が異様な得票率で躍進。与党・急進人民党は一気に議席を失うこととなってしまった。

 

 

そして新たに組閣された共産党政権。

このあとの対ロシア戦争のことを思えば、軍部が影響力を持つことはたしかに望ましくはあると言えるだろう。

 


だが、彼らの支持をより強く集めるためには、ある決断をしなければならない。

すなわち、君主制の廃止である。

共産党の指導者オルソン提督も、知識人層のリーダーであるシャーロッタ・メルナーも、この君主制の廃止を強く支持している。

 

 

カール14世が始め、史実では現在まで連なるこのベルナドッテ王朝も、2代目オスカル1世の代で早くも途絶えることとなる。

願わくば、彼の夢であった真のスカンディナヴィア統一を、彼自身の手で果たせてあげたかったが、しかし彼もまた進歩的な思想の持ち主である。

父カール14世がこの世を去った年齢に近づきつつある中、おそらく彼は彼なりに、自らのこの運命を受け入れ、そしてスカンディナヴィアの人民による未来を祝福してくれることだろう。



かくして、最初にして最後のスカンディナヴィア皇帝オスカル1世の名のもとに、大統領共和政施行に向けた審議を開始。

ドイツと違い、この国は平和裏に革命を起こしてみせる。

 

 

そして1884年10月14日。

ついに、大統領共和政が制定される。

オスカル1世は退位し、初代大統領に就任したのは共産党党首にしてスカンディナヴィア帝国海軍提督のオットー・オルソン

 

 

大恐慌時代も終わり、GDPも反転回復。


いよいよ、全スカンディナヴィアの夢を叶えるべき時が来た。

 

 

第三次ロシア・スウェーデン戦争(1887年~1889年)

外交プレイ(1886年12月~1887年4月)

1886年12月1日。

ゲーム開始からちょうど半世紀が経ち、スカンディナヴィア人民共和国初代大統領オットー・オルソンは、熱烈な軍部の支持を背景に、80年前のロシアとの戦争で奪われたフィンランドの奪還を高らかに宣言する。

 

こちらの要求はただ一つ。

ロシアの同君連合下にあるフィンランド大公国の宗主権を、スカンディナヴィア人民共和国に引き渡すこと。

ロシア側には東の大国「清」およびロシアと友好的な関係にあるオランダがつく。

こちらは先の革命戦争で得た借りを用いて北ドイツ連邦を味方につけているほか、直前までフランスも自陣営に引き込んでいたのだが、交渉可能フェーズ終了直前に突如これを撤回するというプレイヤーが入っているかのようなムーブで綺麗に裏切った。

 

よって、総兵力ではわずかに劣勢。

但し、敵側は技術後進国の集まり。軍量はともかく、軍質で負けることはないだろう。

 

 

かくして1887年4月19日。

80年の時を経て、2度にわたるロシア・スウェーデン戦争へのリベンジを果たす時が来た!

 

 

戦争の経過(1887年4月~1889年5月)

戦線は北部フィンランド国境地帯に位置する北部戦線と、オランダ国境沿いに位置する西部戦線、そしてロシアと隣接する東部戦線の3つに分断される。


北部戦線では先のスウェーデンデンマーク戦争でも活躍したヘルマン・ブライトホルツ元帥(64歳)率いる100連隊がフィンランドに侵攻。

西部戦線北ドイツ連邦に任せるが、東部戦線は北ドイツ連邦軍に合わせて新たに登用したブライトホルツ元帥の後輩、エルカース・ムンテ少将(44歳)に42連隊を率いさせて参戦させる。

 

 

北方戦線はブライトホルツ元帥が圧倒的な戦力差で次々と領土を征服していく。

榴散弾砲に散兵、自動車を利用した自動偵察に加えて武装勢力の高支持率ボーナス「愛国熱」にブライトホルツ元帥の優秀な司令官特性が加わり、最大で112ポイントもの攻撃力を発揮。

対するフィンランド軍は戦列歩兵に自走砲と、時代遅れの軍備しか用意できておらず敵ではない。

 

 

一方の東部戦線では、北ドイツ連邦軍の至宝、モルトケ元帥(御年87歳!)が率いる1万8千の部隊で侵攻しているが、こちらは劣勢気味。

 

何せこの清軍のチエン・ナラン将軍は、武装こそ旧式だが司令官特性として「防戦一辺倒」「経験豊富な防衛戦略家」といった、とくに防御戦にひたすら特化したまさに「壁」のような存在。

 

モルトケ元帥の敗走後、今度はスカンディナヴィアのムンテ少将がナラン将軍に挑みかかるが、こちらも厳しい。

ただし、死傷者数では拮抗しており、1回や2回の攻勢では勝てなくとも、繰り返し攻め続けることで着実に敵の兵力を削っていくことはできるはず!

 

なお、同時期に繰り広げられていたデンマーク海峡での海戦は圧勝。

陸戦以上に圧倒的な技術力の差が発揮され、キルレシオ10倍の快勝。

100大隊連れて行っても戦闘では20ちょっとしか加われない陸戦と違い、海戦では用意した艦隊すべてを使用でき、数的にも圧倒的優位を保てたのも勝因か。

この辺りの先頭幅?的なルールはまだよく分かっていない。

ただ、陸戦ではそのおかげで、戦前での数の差による劣勢感はほぼなく、軍質でほとんど差をつけることができたのはやりやすいと言えばやりやすかった。

 

 

しばらく、北方戦線では連戦連勝で支配領域を広げ、西部戦線では北ドイツ連邦軍がオランダ軍を次々と打ち倒して同じく支配領域を広げ、東部戦線では膠着するも少なくとも劣勢ではない状態で推移すること数か月。

1887年9月12日。開戦から5か月で、ようやく東部戦線にて大モルトケ元帥がナラン将軍の軍を打ち破った!

死傷者数は拮抗しており、この勝利で手に入れた領土も1地方に過ぎず辛勝の域を出ないが、それでも勝利は勝利。

このあとムンテ少将も同様に辛勝し、少しずつだが、東部戦線でも戦線を前進させていくことに成功しつつある。

 

 

そして11月15日。開戦から7か月。

領土をすべて占領されたオランダが早くも降伏を宣言。

これで西部戦線に貼りつけられていた戦力を東部戦線や北方戦線に振り分けることができるようになった。

着実に状況は良くなってきている!

 

1888年6月8日。

北方戦線ではフィンランドの大部分を占領下に置き、戦線も拡大し3地域で戦闘が巻き起こっている。

東部戦線はほとんど動いてはいないが、ここで敵主力を引き付けている間に北方戦線で戦果を稼いでいる状態である。

 

1888年12月14日。

戦争開始から2年目も暮れようとしている中、ようやくロシア側の戦争支持度がマイナスに。こちらも苦戦している。だがこれで折り返しだ。

 

と、思っていたところで、1889年5月29日。

まさかの、北ドイツ連邦が降伏!

余りのショックにスクリーンショットを撮り忘れていた・・・。

まあ、さすがに経済的にも苦しくなっていたのだろう。

 

これで軍質はともかく軍量的には圧倒的不利に。

戦争支持度を-100に持っていっての強制降伏ではなく、和平の道を探れないか模索する。

 

 

ヴィーポリの和約とフィンランド併合

かくして、1889年5月31日。

フィンランドの都市ヴィーポリで、2年に渡り繰り広げられた第3次ロシア・スウェーデン戦争の講和条約であるヴィーポリの和約が結ばれる。

こちらが提示していた条件のうち清からの賠償金だけを取り下げる必要があるだけで、それ以外のすべての条件は丸のみするという、ほとんど完勝といってよい内容。

当然、これでフィンランドもスカンディナヴィア人民共和国の一部となることが決まった。

 

と、思った次の瞬間。

ノータイムでいきなり同君連合から抜け出して独立するフィンランド

何? 何があったの?

 

 

仕方なく、すぐさま間髪入れずフィンランドに対し、今度は傀儡化を戦争目標にして外交プレイを開始。

今度もまたロシア帝国フィンランド側についたので、こっちはスペインを味方に引き入れて全力動員。

すると・・・

 

1889年9月4日。

開戦直前にフィンランドが降伏。ロシアもほとんど動員できておらず、さすがにもう、これ以上限界の戦争を続ける余裕はなかったようだ。

 

 

これでようやく、フィンランドも含めた真のスカンディナヴィア統一を実現することができた。

今や一般市民の地位となったオスカル・ベルナドッテも、心穏やかな気持ちでこの民族の運命を祝福してくれていることだろう。

 

なお、戦後ずっと、この「スカンディナヴィアが支配しています」表記とマップ上の国旗が消えなかったんだけど、これどうしたらいいんだろう?

 

 

 

最後に・1896年の状況

これにて、本ゲームの目標はすべて達成された。

すでに19世紀も終盤に差し掛かり、ゲームの進行スピードも遅くなってきてしまい、あとはもうひたすら内政をし続けるような状況になってきたので、きりの良い1896年まで進めたうえで、今回の初回スウェーデンプレイは終わりにしたいと思う。

 

一応、1896年までに起きたイベントとしては、滅茶苦茶人気のあるジークムント・フロイトさんが現れたり、


知識人層の支持する政党ヴェンスタ*1が選挙において共産主義勢力を攻撃するキャンペーンなどが行われたりもした。



 

さらに、ゲーム終了直前、選挙期間中に共産党の党首であり現大統領でもあるオットー・オルソンが急死するイベントが発生。

1884年にスカンディナヴィア人民共和国の初代大統領となって以来、11年に渡りその座に君臨し続けていた「国父」は、62歳という若さでこの世を去ることとなってしまった。

イベントではその後継者を探す選択肢が発生。

ここは、「信念を持ちながらも、傲慢な若者にその座を与えよう」という選択肢を選ぶ。

 

すると、ロシア・スウェーデン戦争において東部戦線を維持し続けていたエルカース・ムンテが、その後継者として選ばれ、スカンディナヴィア人民共和国の新たなる大統領の座に。

実は戦争のあと、彼を英雄として祭り上げ昇進させるイベントが2回も発生しており、最終的な階級は陸軍大将、そして人気度も一気に上がっていた。

 

スカンディナヴィア人民共和国の政権は今なお軍部が力を持ち続け、戦争の英雄に舵取りを任せ続けるこの国は、もしかしたらこのあとも拡大戦争へと突き進んでいく運命なのかもしれない・・・。

 

 

さて、そんな1896年のスカンディナヴィア人民共和国の各種データを確認しつつ、このレポートを締めていきたいと思う。

 

まずはGDP

途中、大恐慌に見舞われる時期も何度かあったが、そこからもしっかりと立て直し、最終的には1億6,200万ポンドにまで成長。ゲーム開始時点の1836年時点(500万ポンド)から60年間で30倍以上の経済規模にまで膨れ上がった。

 

人口は最後は伸び悩み、1,791万人に。こちらはおよそ6.4倍となった。

 

全国民の平均生活水準は、大恐慌時代に一時期17ポイントにまで後退した時期もあったが、そこからまた持ち直し、最終的には20ポイントにまで。

但し、最も高かった23ポイントという時期に戻ることはできずに終わった。

 

それでも所得税収は最後右肩上がりで成長し、採取的には33万ポンド/週もの税収に。

デンマーク完全併合&編入後でも21万ポンドだったので、そこからさらに1.5倍以上にまで成長させ、国庫は完全に余裕を持てる状態となった。

 

国家ランクでは最終的に5位。

人口の差もあり、なかなか上位4か国には届かなかったが、それでも国民の平均生活水準は世界1位。国民が幸せな国家であるとは言えるのかもしれない。

 

 

貿易状況もみておこう。なお、こちらはMODの「Dense Trade Routes Tab」を導入している。

食料品を北ドイツ連邦を中心に合計1万1,800ユニット輸出しており、酒類も3,780ユニットを輸出。まさに世界の食糧庫といった様相の産業を活発化させている。

ただ、それがゆえに作っても作っても食料・酒類の品不足が続き、常にインフレ状態だったのは大変だった。

食料品工場は最終的に全土に79個も建造され、毎週1万2,500ユニットの食料品を生産し続けることとなった。

 

 

政治の状況はすでに見せたとおりだが、施行している法律一覧も出してみよう。

普通選挙多文化主義、政教完全分離・保証された自由・言論の自由・労働者の保護など比較的リベラルな法体系になったが、実業家集団の反発を恐れて児童労働の禁止などはなかなか手を出せずに終わった。

財政不足から行政府を終盤まであまり増やしたくなく、官僚制の数値が枯渇気味だったこともあり、制度周りもあまり強化できなかったのは残念である。

 

 

人口の分布も確認しよう。

まずは職業別割合と政治力。

 

最後まで労働者が人口割合でも政治力割合でも多数を占めていたが、その支持する利益団体が労働組合に集中するわけではなく軍部や農民集団へも多く流れ込んだことが、終盤労働組合の勢力が失われ軍部が台頭する理由となっていった。

 

次に、文化の割合。

多文化主義を制定していること、そしてデンマークノルウェーも併合していることもあり、かなり多種多様な文化が国内に流れ込んでいる。

 

そして、宗教。

ほとんどが北欧の人々の信仰するプロテスタントだが、次に多いのがアフリカの植民地の人々の信仰する精霊信仰。

かなり早い段階で完全政教分離を施行したため、改宗への動きはほとんど起きなかった。

 

 

最後に、世界の状況を見ていこう。

まずはヨーロッパ。

北ドイツ連邦が2度にわたる内戦を繰り広げており成長が停滞。

いまだバイエルンの地も併合できず、ドイツ完成が実現していない。

一方でイタリアは(両シチリア王国主導によるものだが)無事統一が完了しており、オーストリアバイエルンバルカン半島以外はおおよそ現在の国の形とそう変わらない状況になっている気はする。

 

南北アメリカ大陸もそう違和感はない。カナダがイギリスから完全独立を果たしており、アメリカの北西部までカナダ領が広がっているくらいか。

 

アフリカはこんな感じ。

今作、アメリカ合衆国がかなり積極的にアフリカに植民を行っているようで、モンロー主義とはいったい何だったのか・・・となっている。

 

最後にアジア。日本は当然の如く幕府体制が続いており、ニュージーランドの南島をフランスが我が物としている。

 

 

なお、アメリカ合衆国では途中、35歳の女性大統領なんかも誕生しており、現実世界以上に進歩的な様子がうかがえた。

 

 

 

と、いうことで、Victoria3初見プレイ「スウェーデン」はこれにて完結としたいと思います。

 

次回は経済目標でアメリカ合衆国なんかをやっていければと思っているので、もしよろしければご覧ください。

 

それでは、さようなら。

 

次のプレイレポート:アメリカ合衆国プレイ

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*1:史実では1870年に設立されたデンマーク自由主義政党。