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【Victoria3】アメリカ「経済的支配」目標プレイレポート第1回 奴隷解放と米墨戦争、そして太平洋岸への到達(1836年~1839年)

 

前回に引き続き、アメリカ合衆国で「経済的支配」を目指していくプレイを行っていく。

前回はポーズ解除前の状況確認と方針確認のみ行っていたので、いよいよ今回から実際のプレイを開始していく。

 

果たして、アメリカ合衆国は現実と同じく超大国へと確かな歩みを進めることができるのだろうか。

 

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目次

 

前回はこちらから

suzutamaki.hatenadiary.jp

 

初見プレイ時のスウェーデン・プレイレポートはこちらから

【Victoria3】初見スウェーデンプレイ雑感レポート①(1836〜1856) - リストリー・ノーツ

【Victoria3】初見スウェーデンプレイ雑感レポート②(1856〜1876) 財政再建と産業革命、そして列強へ - リストリー・ノーツ

【Victoria3】初見スウェーデンプレイ雑感レポート③(最終回、1876〜1896) 2つの大戦とスカンディナヴィア統一 - リストリー・ノーツ

 

 

政権交代奴隷制の廃止

1836年5月28日。

イベント「奴隷制廃止論者の受難」が発生。

熱心な奴隷制廃止論者であった作家が、家の前に集まった奴隷制支持派の群衆との銃撃戦で死亡したとのこと。

18世紀半ばから巻き起こり、今やアメリカ全土を包み込むこの奴隷制支持派と奴隷制廃止論者との対立が、いよいよ深刻さを増してきていることを表す事件であった。

奴隷制擁護派を強化する方向の選択肢を選ぶ。

結果、ブルジョア利益集団のリーダーであるダニエル・ウェブスターイデオロギーが「廃止論者」へと変更。

ヘンリー・クレイ、ジョン・カルフーンと並び「偉大な三頭政治」と呼ばれたこの時代の有名な政治家の1人である。

史実通りホイッグ党の一員でもあった彼は、今後の政権運営の中心となる人物であることは間違いなく、そんな彼が奴隷制廃止論者へと変わってくれたことは心強い。

 

 

1836年6月7日。

最初に審議していた「専門的な警察機構」が可決したため、次なる法律としていよいよ「奴隷禁止」に手を付ける。

政権与党・民主党ジョン・カルフーンは強烈にこの法改正に反対の意を示すが、今や議席においてはこれを逆転しているホイッグ党のウェブスター、そして民主党に所属しているはずの福音主義派のチャールズ・フィニーまでもが奴隷制廃止論者ということで、この法律を支持。

支持率は46%に達し、180日ごとに成功率44%という高い数値で、奴隷制廃止に向けて審議が加速していくこととなる。

 

と、思ったら6月9日。

12月の選挙を前にして、ホイッグ党がまさかの分裂。

奴隷制に対して明確な意見を持たない実業家集団を排斥し、ホイッグ党創設者のヘンリー・クレイ、そして今や誰よりも先鋭的な廃止論者となったダニエル・ウェブスターとが手を組み、より急進的な「進歩党」を結成。

一方のホイッグ党は元民主党福音主義者たちが新たな構成メンバーとなって存続することとなった。

勢力が細分化されたことで正当性は35%に・・・。

法案成立に向けてマイナスの効果となってしまったが、12月の選挙を迎えればこの状況は改善できる。それまで待とう。

 

1836年7月3日。

そのホイッグ党の新党首チャールズ・フィニーが、西部の新開拓地では例外なく奴隷制を禁止する法案を提言する。奴隷制廃止に向けた着実な前進である。

当然、これは賛成する選択肢を選ぶ。南部プランテーション農家集団の容認度はさらに低下するがもうすでに手遅れな状態のため問題なし。

 

 

そして1836年12月7日。

待ちに待った選挙が終了! 

当然の如く、進歩党が圧勝。議席の7割を獲得し、民主党も、腰抜けのホイッグ党もすべて政権から追放する。

 

これにより、進歩党の最大勢力である知識人層のリーダー、ヘンリー・クレイが第8代アメリカ大統領として就任。

ジャクソン大統領の専制政治に対抗しホイッグ党を創設。史実では何度も大統領選に挑みながらもついに大統領になれずに終わった彼が、このゲームの中ではしっかりとその地位を手に入れることに成功した!

 

さらに、その年のクリスマスに、このクレイと共に進歩党を結成し、奴隷廃止に向けて熱心な活動を続けていたダニエル・ウェブスターが54歳の若さで死亡。

代わって小ブルジョア集団のリーダーとなったのが、なんとまだ27歳であったエイブラハム・リンカーン

当然の如く奴隷制廃止論者。

これは将来大統領になりそうな器である。

 

 

より盛り上がりを見せていく与党・進歩党に対し、政権から落ちた民主党内部では内紛が発生。

南部プランテーション農家集団のリーダー、ジョン・カルフーンと、民主党の一員ながら穏健派に属していたザカリー・テイラー陸軍准将とが街中で決闘。

テイラー「ふん、お前は友だちもいないクズ野郎だ」

カルフーン「その侮辱は聞き逃せないな。武器を取れ」

 

所詮は奴隷制支持派の内紛。好きにさせておけという選択肢を取ったが、その結果、テイラーが死去。

このザカリー・テイラー、調べてみるとこの先の米墨戦争の英雄となり、そのまま第12代大統領にまで成り上がる傑物であった。

普通に軍事特性も非常に高いし、ちょっと惜しい人を亡くしてしまった。

 

 

さらに年が明けて1月3日。

今度はホイッグ党党首チャールズ・フィニーが、ジョン・カルフーンと言い合いになり、杖で殴られて大怪我が負い、公職を引退せざるを得なくなるというイベントが発生。

先の決闘といい、この暴挙といい、もはや我慢ならない。

カルフーンを傷害の罪で逮捕。これにより民主党を元々構成していた南部プランテーション農家集団も福音主義者たちもそれぞれ指導者が変わることとなり、かつての中心勢力は鳴りを潜めていくこととなる。

 

 

かくして、政治改革は進み、いよいよ1837年8月31日。「奴隷禁止」の法律が制定される。史実より30年近く早く、しかしその時と同じくリンカーンの主導でもって、アメリカ合衆国全土から奴隷制が全面的に廃止された。

 

もちろん、現実の歴史がそうであったように、この法律をもって差別がなくなったわけではない。

事実、まだまだアメリカ合衆国の中には黒人の元奴隷たちに対する差別が残存している。

 

この差別を完全になくすために、次なる目標となる法律は「多文化主義」である。これは奴隷制禁止の法律が制定されることによってアンロックされる法律であり、これを通すことで移民を多く集め、現実のアメリカと同じ繁栄へと突き進む基盤となってくれるはずだ。

なお、あらゆる文化差別を撤廃するこの多文化主義リンカーンの所属する小ブルジョア層は反対の姿勢を示している。

微妙にこの辺りも、実際の彼の思想に近いリアルさがある?

 

いずれにせよ、これでアメリカ合衆国の大きな目標の1つ、奴隷禁止が制定された。

そしてこの法律の制定により、ジャーナル「奴隷制論争」がアンロックされる。この奴隷禁止法を10年間保持することによって、1820年に締結された「ミズーリの妥協」の効果を消滅させることができるようになり、南部プランテーション農家集団の政治力を一気に失わせることに繋がるジャーナルだ。

 

アメリカ合衆国は新たな時代へと早くも突き進んでいくこととなる。

 

 

インディアン問題

一方、こちらの解決はそう簡単ではない。奴隷制を巡る問題と共に、19世紀のアメリカ合衆国の抱える問題の一つであった原住民インディアンの問題。

 

1836年2月24日。

1832年の合衆国最高裁判所が出した、ジョージア州におけるネイティブアメリカンに対する不当な抑圧を禁じる裁定に対し、このときはまだ大統領であったアンドリュー・ジャクソンが拒否権を発動。

チェロキー族に対する、インド準州(これは完全な誤訳で、正しくはインディアン準州)への強制移住が実行に移される。

これにより、ジャーナル「インディアンの強制移住」が有効化。

  • 「植民地なし」法律を制定する。
  • チェロキー族が差別の対象にならない
  • アメリカ合衆国からチェロキー族がいなくなる

の「いずれか」を実現すれば達成?

「植民地なし」はあまり取りたくない法律なので、基本は多文化主義法を制定して2番目の条件を満たすことで達成を目指すことになるだろう。

 

果たしてインディアンをその差別から守れるか。

 

1836年7月3日は「ジョン・ロスの請願」イベントが発生。

できれば下を選んでやりたいが、これは結局強制移住の執行を3年間遅らせるだけの効果に留まるため、泣く泣く上の選択肢を選ぶ。

奴隷制はまだしも、インディアンについてはなかなか解決までに時間のかかる問題でもある。多文化主義の制定を急ぐほかない。

なお、上の選択肢を選べば「農村民」集団の容認度が上がり、逆に下はそれを下げる効果がある。

 

8月1日。いよいよ移住を強行するイベントが発生。

援助すると大量の支出が発生してしまうため、ここは武力によって強制。

 

9月23日には「涙の道」イベントが発生。強制移住により、多くの死者が発生してしまう。

 

インディアナ準州オクラホマに住むチェロキー族の農民。

その生活水準は「飢餓(4)」となり、彼らが非常に苦しい生活を余儀なくされていることが強調されている。



このインディアン強制移住イベントはその後もいろんな地域でしばしば出現。

アメリカ合衆国の避けては通れない「闇」の部分の歴史も、この19世紀を舞台にした歴史ゲームの重要な一部分である。

 

 

米墨戦争1838年~1849年)

さて、そんな風にして奴隷制廃止、そしてインディアン問題について触れながら時を過ごしていると、1838年4月20日

関係改善を続けていたテキサス共和国との関係が+20に達し、ジャーナル「テキサス州」を達成した。

 

これにより、テキサスの地がアメリカ合衆国編入することが決定する。

史実(1845年)よりも7年早い達成である。

 

そして史実においては、このテキサス併合が、テキサスが元々所属していたメキシコ共和国とアメリカ合衆国との関係性に決定的な断裂をもたらし、そして1846年からの米墨戦争へと繋がっていくきっかけとなる。

 

このゲーム内においても、8年早いが、この米墨戦争へと早速突き進んでいき、そして西部開拓への第一歩としていきたいと思う。

 

なお、史実同様にニューメキシコやカリフォルニアを併合しようとしたら、関心を「グレートプレーンズ」や「太平洋沿岸」地域へと向けなければならない。

初期ではこの2つは関心の対象とされていないため、交易相手としてもあまり重要ではない「ラ・プラタ」や「アンデス」地域から関心を外し、上記2地域に振り分けるようにしよう。

 

1838年5月21日。

関心が十分に溜まったため、早速メキシコに対して外交プレイを仕掛けていく。

その前にまずはメキシコの外交画面を開き、メキシコに対する西洋列強の「態度」を確認していく。

たとえば上記の通り、列強2位のフランスがメキシコに対して「守護」の態度を示している。

これは彼の国がメキシコを保護しようとしている態度を表し、この状態でフランスが関心を示している地域を狙った外交プレイを仕掛けると、高い確率でフランスがメキシコ側について参戦してしまう。

 

よって、画面下部のマップモード選択画面から戦略的重要地域を選び、その中で各戦略的重要地域に関心を持っている国を探していく。

すると、グレートプレーンズに関心をもっている国がアメリカ以外にいない!

これはチャンス! 絶対に列強に干渉されない夢の国である。

 

そうと分かれば早速、グレートプレーンズに位置するニューメキシコを対象にした征服のCBで外交プレイを開始する。

この「最初の要求」の対象が外交プレイの対象となり、誰も関心を持っていない地域の領土を主張した外交プレイならば邪魔者はいなくなるのだ。

そのうえで、きっちりと戦争目標を追加し、グレートプレーンズに限らない領土を幅広く要求していく。

目標はテキサス州コロラド州アリゾナ州ニューメキシコ州カリフォルニア州ネバダユタ州、すなわち史実の米墨戦争講和条約であるグアダルーペ・イダルゴ条約(1848年)で実際にアメリカに割譲されたすべての領土をこのタイミングで要求する!

なお、これで悪名を37.8ポイント手に入れてしまう。

 

1838年7月12日。

外交プレイの数値が半分に達したところで、陸軍の動員を開始する。

アメリカ合衆国は初期状態で「国有軍」の陸軍モデルを採用しており、常備軍が13大隊しかいない一方、徴兵可能な兵が265大隊とべらぼうな数だけ存在する。

とはいえ、この徴兵を行ってしまうと軍の装備品に対する支出も天文学的に増えてしまうので、あくまでも今回は常備兵だけで戦うこととする。メキシコ共和国も常備兵は10大隊しかいないので問題ないだろう。

 

その上で、将軍を雇用する。先ほど、ディキシー(南部軍)の将軍だったザカリー・テイラーが不慮の事故で死んでしまっていたため、新たにトーマス・ジェスプ准将を雇用することに。このゲーム、自分が気づいていないだけかもしれないが、将軍を別の戦略的重要地域に移動させることができない? 本来であれば10大隊程度は一人の将軍に率いさせたかったのだが、これが7大隊と3大隊とで分割されているため、7大隊存在するディキシーの方に仕方なく将軍を用意するしかないのだ。

そしてニューイングランド(北部軍)の方には史実でも米墨戦争の英雄であったウィンフィールド・スコット少将が最初からいるため、そのまま3大隊を率いてもらうことに。

 

そして南部プランテーション農家集団の影響力を削ぐために元々いた二人の提督は解雇していたために、新たに提督を採用する。

その男の名はマシュー・ペリー! 彼もまた史実の米墨戦争でも活躍しており、胸躍る人選である。


早速、南部軍のトーマス・ジェスプ准将を、7大隊を率いさせてニューヨーク・ユタ戦線へと派遣する。

 

一方、3大隊を有する北部軍のウィンフィールド・スコット少将はとある狙いのためにしばらく待機させておく。

 

そして1838年8月9日。

ついに、米墨戦争が開幕した。

 

9月4日。

最初の戦いがユタ戦線の北方、コロラドの地で繰り広げられる。

メキシコ軍の指揮官は「西半球のナポレオン」と恐れられた、歴史的な大英雄アントニオ・ロペズ・デ・サンタ・アナ

しかし歩兵も砲兵も時代遅れのメキシコ軍では最新の装備を整え、かつ「経験豊富な防衛戦略家」であるアメリカ軍のトーマス・ジェスプ准将を前にして、攻撃力27vs防御力62という圧倒的な大差。

 

21日後の9月25日にはアメリカ軍が勝利。

アメリカ軍は現状、この戦線における数的不利に立たされているため、しばらくはこのような防衛戦を繰り広げて敵軍の兵数・士気を削っていくことに専念しよう。

 

そして、南部軍がユタ戦線で戦果を挙げる中、北部軍を指揮するウィンフィールド・スコット少将は、マシュー・ペリー提督と共に、ある任務を今まさに実行に移そうとしていた。

すなわち、上陸作戦

しかも、史実の米墨戦争でもまさにこのペリー提督とスコット少将によって行われた、敵首都メキシコシティを眼前に据えるベラクルスへの上陸作戦である。

 

1938年11月14日。

ベラクルスへと上陸したウィンフィールド・スコット少将は、そのまま敵軍の全くいない平野部を次々と進軍していく。

 

メキシコ軍も慌ててユタ戦線に派遣していた将軍を一人、ベラクルスへと向かわせるが、その間にスコット少将は次々と都市を制圧。

上陸から半月後には、メキシコシティの喉元に迫る勢いで進軍しつつあった。

 

12月7日。

ようやく駆け付けたメキシコ軍のジュアン・アルヴァレス将軍とメキシコの地で初の本格的先頭を繰り広げるスコット少将。

史実においてザカリー・テイラーの活躍に嫉妬してもいたスコット少将。今回も、戦争の序盤においてはより充実した軍隊を引き連れた南部軍のジェスプ准将の活躍に良い思いはしていなかっただろう。なにせ、8歳の少年にチェスで負けて腹を立てるような男なので。

自らの誇りを取り戻すかのように、兵数互角のメキシコ軍を相手取り奮闘。

そして1月5日、アルヴァレズ将軍との戦いに見事勝利し、チアバスとオアハバの地は完全に征服。

そして1月17日。上陸からわずか2ヵ月で、メキシコシティは陥落した。史実では半年かけたこの大征服を、このゲームの中では見事な奇襲によって実現したのである。

 

実際、この方法は有効のように思われる。

元々、戦線における戦闘では常に将軍1人ずつが戦いに駆り出され、どういうルールが働いているのかわからないが、十数大隊引き連れている将軍であっても戦場では7~8大隊のみしか連れていかず、全体の兵隊数で大きく上回って/下回っていてもあまり一つ一つの戦闘の勝敗には影響しない。

よって、今回のようにある戦線を一人の将軍が担当し敵兵を引き連れている間に、離れた戦線に奇襲を仕掛けることは、一気に敵領土を征服してその戦争支持度を下げていくうえではかなり有効であると言える。そしてそれを実現するのが今回のような海軍による上陸作戦なのである。

 

史実でもこの後、アメリカ合衆国が多用することになる「海上での側面攻撃」。ゲームの中でもこの後、積極的に使っていこうと思う。

 

 

さて、快進撃を続けていたアメリカ軍だが、3月に入ると次第に戦線は膠着状態に。

徴兵も開始したメキシコ軍は数を揃え、また敵陣深くに入り込んだスコット少将の軍も元々少数だったこともあり疲労が溜まってきている。

北方戦線・南方戦線共に、戦線の防衛の指示を与えて深入りせずに現在の状況の維持に専念させている。

それでも、防衛線のたびにこちらの2倍以上のメキシコ軍が死傷し、すでに首都含む多くの領土が占領されていることもあって、メキシコ軍の戦争支持度はみるみるうちに下がっていく。

あとはもう、時間の問題である。

 

 

そして、1839年7月18日。

ついに、メキシコの戦争支持度が-100%に達し、メキシコが完全降伏。

開戦から1年も経たずしての、完勝であった。

史実のグアダルーペ・イダルゴ条約よろしく、ニューメキシコからカリフォルニアに至る広い範囲の領土を割譲させたアメリカ。

メキシコとの国境を、現代と同じ形に整理し、かつ念願の太平洋へのアクセスを手に入れたのである。史実よりも9年早く。

 

そして、この達成によりジャーナル「オレゴン国境紛争」が有効化される。

 

アメリカ西部のフロンティアが測量されました」という条件は、ジャーナルの「判断」タブの中にある「アメリカ西部のフロンティアを測量」を発動させることで達成できる。

太平洋沿岸に関心を持っていること、平和であること、将軍および提督を合計3名以上雇用していること、という条件はすべて満たされているため、あとは社会系技術の「キニーネ」を獲得しさえすれば発動可能となる。

 

そのうえでモンタナワイオミングを完全領有すれば良いということで、それは現在の植民地化が完了されれば自動的に達成されるはずだ。

 

 

開始からまだ3年。

アメリカ合衆国の「超大国」への道はまだ、始まったばかり。

次回はさらなるフロンティアへの前進、そしてその「消滅」を目指していきたいと思う。

 

第2回へ続く。

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