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【Victoria3】アメリカ「経済的支配」目標プレイレポート第2回 自由を巡る戦いとフロンティアの消滅(1839年~1850年)

 

前回に引き続き、今回もアメリカ合衆国で「経済的支配」を目指していくプレイを行っていく。

前回は史実より30年早く奴隷解放を成し遂げ、史実より10年早く米墨戦争に勝利しカリフォルニアを手に入れ西海岸まで到達したところまで見てきた。

 

今回はその続きから。

アメリカ中部に位置する原住民たちの土地をすべて奪い尽くし、かつ現在は英国によって奪われている北西部の地を取り戻すことを目標にしていこう。

目指すは史実より40年早く達成する「フロンティアの消滅」である。

 

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目次

 

前回はこちらから

suzutamaki.hatenadiary.jp

 

 

初見プレイ時のスウェーデン・プレイレポートはこちらから

【Victoria3】初見スウェーデンプレイ雑感レポート①(1836〜1856) - リストリー・ノーツ

【Victoria3】初見スウェーデンプレイ雑感レポート②(1856〜1876) 財政再建と産業革命、そして列強へ - リストリー・ノーツ

【Victoria3】初見スウェーデンプレイ雑感レポート③(最終回、1876〜1896) 2つの大戦とスカンディナヴィア統一 - リストリー・ノーツ

 

 

自由を巡る戦い

第9代大統領「改革論者」アトリー・ミノット

少し過去に遡り、米墨戦争の真っ只中、まさにウィンフィールド・スコット少将がメキシコ中部に上陸し、メキシコシティにてアルヴァレス将軍と激戦を繰り広げていた1838年12月23日。

政権与党・進歩党のリーダーでもあったヘンリー・クレイ大統領が、61歳でまさかの急死を遂げた。

 

新たに第9代大統領となったのは、副大統領でもあったアトリー・ミノット

35歳とまだ若いながらも、改革論者であり自由に対するクレイ以上の強い意欲と意志をもったこの男は、知識人層インテリゲンチャ)を直ちにまとめ上げ、その目指す重要法案「保証された自由」の制定に向け力を尽くしていた。


しかし、クレイの盟友とも言える存在であったブルジョア集団の指導者であったエイブラハム・リンカーンは、このミノット大統領の自由主義政策に真っ向から反対。

政策審議に異議を唱え、その制定の引き延ばしをかけていった。

 

さらに、1840年6月10日。

自由に関する意見の断絶から小ブルジョア集団と知識人層との対立は決定的となり、ついに進歩党は解散。

新たに知識人層はホイッグ党*1と単独で形成し、リンカーン率いる小ブルジョア集団はそこからの離脱を図った。

 

これにより、政権与党の力は大幅に弱体化。正当性も失われ、「保証された自由」の制定はもはや非現実的な水準にまで落ち込んでしまっていた。

 

 

そこで迎えたのが1840年12月7日の選挙。

ここでミノット大統領率いるホイッグ党本当にごくわずかの差民主党に勝利。何とか2期目を迎えることに成功した。

 

 

自由を求める声は民衆の中からも湧き出てきている。首都ワシントンでは警察の腐敗に対する抗議運動が巻き起こり、「保証された自由」の制定を支持する強い意思表示が行われた。

 

しかし、警察(そしてその背後に立つ軍部)はこれを武力で弾圧。民衆の声を力で叩き潰す政策を取ったのである。

 

ミノット大統領はこの事態を聞き、激怒。

ただちに連邦警察に対しこの顛末を公式に謝罪することを強要。

だがこのことは、彼ら警察を支持する軍人階級らの激しい怒りを買うこととなってしまった。

 

1842年3月2日。ついに「保証された自由」を制定完了。

 

ただちにつづく本命の「多文化主義」制定に取り掛かる。

 

このミノット大統領およびホイッグ党の政策に対し、いよいよリンカーン率いる小ブルジョア集団は怒りを露にし始め、彼らの支持者たちは街中で外国人排斥の実力行使に出始める。

 

だが、ミノット大統領にとっても、この多文化主義の制定は一刻の猶予もない状態であった。未だインディアンに対する強制移住は続いており、同じ時期にはナヴァホ族による反乱も巻き起こっている。

 

そして1842年11月23日。クレイ大統領時代からの悲願であった「多文化主義」がついに制定される。

 

これによりジャーナル「インディアンの強制移住」が達成。

 

ジャクソン大統領によって制定された「インディアン移住法」制定以来苦しめられ続けてきたインディアンはこれでようやく自由を獲得。

悪名高き「インディアン準州」も廃止され、アメリカ合衆国の州の一つであるオクラホマ州として合衆国に併合された。


差別は失われた。

クレイ大統領の夢は、その夢を継いだ若者によって実現されたのである。

 

が、このことは、アメリカ国内の分断を決定的なものとする結末を生むこととなった。

 

政権交代と革命の危機

1844年の選挙を前にして、ミノット大統領の自由主義政策に対する反感が頂点に達した軍部およびブルジョア集団民主党に合流。


そのまま1844年12月7日の選挙にて、この民主党議席の4分の3を奪い取るという圧倒的勝利を達成。政権交代が実現した。

 

そしてアメリカ合衆国第10代大統領として、この民主党を代表するエイブラハム・リンカーンが就任することとなった。



さらにこの民主党を構成する4党はそのまま自由主義的な法案の破棄を求めて「革命」への機運を高めていく。

ニューヨークやマサチューセッツなど、主要な東部州を中心に独立の動きを見せようとする「反自由主義連邦」陣営の怒りを前にして、アメリカ合衆国は今まさに「南北戦争」の危機の直前にまで達していたのである。

 

だが、下野したアトリー・ミノット率いる知識人集団は、この民主党勢力を切り崩しにかかる。

所詮は反ホイッグ党のために結集しただけの烏合の衆。

たとえばその一角を構成する南部プランテーション農家は革命への参加を辞める代わりに譲歩を迫ってきており、ミノットはこれを受け入れることに決めた。

 

この動きもあり、革命への連合した動きは消滅。

 

 

その後も小ブルジョア集団だけが変わらず革命への動きを見せようとすることもあったが、結局これも芽は育たずに潰えてしまった。

 

 

そうこうしているうちに1849年3月7日。

2期目に入ったリンカーン民主党政権も混乱する自政党内の統率に苦しんでいる中、政権内部に残ったミノットの息のかかった知識人官僚たちによって審議が続けられていた「任命制の官僚」が、7年越しの制定へとついにこぎつけた。

 

これで小ブルジョア集団の政治的影響力は減少し、代わりに知識人層が再び力をつけていくことが可能になっていく。

あとはなんとか実業家集団をホイッグ党に取り込み、民主党勢力に対抗できるように勢力を拡大していければ。

 

利益集団が政党に所属するメカニズムは良く分かっていないが、とりあえず現状の実業家集団は「自由主義またはレッセ・フェール的イデオロギー」によるプラス要素しかないためにホイッグ党に入ろうとしていない。

 

たとえば知識人層における「法廷後見人法」の存在のように、実業家集団も「自由市場」や「レッセ・フェール」といった法律を制定することでもしかしたらホイッグ党側に入ってくれるかもしれない。

 

そんな風に考え、とりあえず彼らの機嫌を取るためにも「自由貿易」法の制定を開始していこう。

貿易ルートの取扱量増大・官僚制コスト減少の効果も普通に嬉しいものがある(関税もなくなるが現状の関税収入は国庫の1%程度なので影響は少ないはずだ)。

 

自由への火は決して絶やさせない。

政権を追われても、ミノット元大統領による自由への戦いは続いていく。

 

 

進む産業革命

さて、国内政治の混乱をよそに、技術革新とそれによる産業の発展は続いていく。

まずは1839年12月21日に生産系技術「缶詰工場」がアンロック。

これで解禁される食品の製法「缶詰工場」によって、常に不足状態であり中流以下の階級の支出を増やしていた食料品の生産性を一気に向上させる。穀物も不足気味だったため、その消費が減るのも嬉しい。

 

さらに缶詰工場を前提技術にもしている「機械化工房」も1843年1月1日にアンロック。

これで織物工場の製法を「ミシン」に変えることで、同じく中流以下の階級の支出の大半を占めていた衣類商品の価格高騰を一気に抑えることができる。

 

だが・・・問題点もある。

この「ミシン」製法は、「染料」の消費を一気に増大させてしまう。

 

さらに、より重要度を増してくる技術研究を加速させるため、すべての大学の基礎製法を「哲学部門」に変えることや、同じく官僚制ポイントを増大させるためにすべての行政府の基礎製法を「規格化された書類整理システム」に変えることは大量の紙消費を発生させるが、その紙の生産量を増やすために生産系技術「科学的漂白」獲得後に製紙工場の基礎製法を「まっさらな紙」に変えようとすると、ここでもやっぱり染料が必要となってくる。

 

アメリカは生地を生み出す綿やタバコ、砂糖などは自給できるものの、この染料は自国内で自給することができない。

そして、今回のプレイではモンロー主義を重視して、アフリカに植民政策を行っていない。

一応アフリカに黒人解放奴隷を「帰還」させるために作ったリベリアが属国として存在しているが、属国の建造物を宗主国が建てることのできない現バージョンでは彼らがこれを全く育ててくれず、頼りにすることができない。

 

結果、国内市場では染料が圧倒的不足。

仕方なく、染料を余らせていて価格が減少している国からの輸入を考えるほかない。

その意味で、最適といえるのがイギリスのようだ。ロシア、清もそれぞれ大量に染料を余らせているようだが、その中心市場からアメリカの市場までの距離が遠いため必要な護衛船団量が多くなるため、ここはイギリスとの交易を行うようにしよう。

このあたりの貿易メカニズムについてはまだまだ奥深そうで、さらなる理解が求められていく。

 

1847年8月14日には「ベーキングパウダー」をアンロック。

これでさらに食料品の生産性を増大させることができる。

とにかく経済発展のためにはこれら生産系技術の獲得が欠かせないため、このコストを安くさせてくれる実業家集団の機嫌を取り影響力を増大させていくことは非常に重要となる。

 

 

こういった軽工業だけでなく、重工業も当然、発展が求められる。

1844年にはベッセマー法アンロックし、さらに1849年7月25日にはジャーナル「最初の大陸横断鉄道」が有効化。

5つの西部州に鉄道を敷設せよというもの。早速利益度外視して必要な州に鉄道敷設を命じる。なお、ネバダですでに敷設されているのはここで金が発見されたため。このジャーナルの出現条件は、5つのうち1つで鉄道が敷設されること?

 

1850年6月12日。上記条件を達成し、イベント「最初の大陸横断鉄道」が実行される。

 

大陸中央部と西海岸と、どちらかの移住求心力を3倍にするという神イベント。

ここはカリフォルニア含む西部の人口を一気に増やすようにしていこう。

なお、史実における大陸横断鉄道の開通は1869年。

史実より約20年早い実現となった。

 

 

とはいえ、まだ人口2,180万人のうち自給農家を営む小作農の数は1割の211万人にも上っている。

あまりにも生産性があり過ぎて逆に戸惑いがあったせいで、このアメリカという国のポテンシャルはまだまだ生かし切れていない。

さらなる工業化を、より迅速に推し進めていくこととする。

知識人層の支持者を集める目的もあり、教育制度もレベル3に上げて識字率の向上に努めており現在は52.59%にまで成長している。そして大学を各地に建造し、現在の獲得革新度は114.3。これは列強1位のイギリス(107.8)を上回る数字となっている。

 

 

フロンティアの消滅

最後に、本来のアメリカ合衆国の姿を取り戻すべく、北西部のハドソン湾会社所有領土の獲得を目指すこととする。

前回のラストに紹介したジャーナル「オレゴン国境紛争」の達成のために、まずは1846年11月28日に「キニーネ」の技術を獲得。

そしてこれで解禁されるディシジョン「アメリカ西部のフロンティアを測量」を実行。探検隊のリーダーを選べるようなので、「探検家」能力をもっているトーマス・ジェスプ准将を選択する。

 

このディシジョンは探検系ディシジョンということで、測量ミッションの最中に様々なイベントが発生し、その選択肢次第で「危険度」や「進行度」が増減していく。

おそらく危険度が上昇しすぎると探検が失敗してまた初めからになったりすると思うので、それは優先的に上げないようにしつつ、可能な限り進行度にバフをかけ早期に達成できるように心がけていく。

 

探検の結果、グレートソルトレイクを発見。国威が大きく上昇するイベントも。

 

2回の探検を経て1850年7月1日にようやく測量が完了。

これを受けて、オレゴン国境紛争は解決。

イギリスとの間に友好的な条約を結び、オレゴンワシントンアイダホの3州がアメリカ合衆国に割譲された。


これで合衆国本土は現在と同じ国境線を形成することとなる(アイダホに、ハドソン湾会社が取りこぼしていた先住民居住地が残っているが、これはのちに吸収することとなる)。

 

 

これにて、フロンティアは消滅。

史実で宣言された1890年から40年早い達成となった。

 

それでは、アメリカの拡張はこれで終わるのか?

 

いや、ここからアメリカは、結局は西欧列強と同じ「帝国主義」への道を進んでいくこととなる。

 

次回は太平洋への進出、そしてペリーによる「黒船来航」を実現させていきたいと思う。

 

第3回へ続く。

suzutamaki.hatenadiary.jp

 

*1:現在の共和党の前進。