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【Victoria3】コンゴを自由にする第5回(最終回) アフリカの自由?(1916年~1936年)

 

1916年9月。

大アフリカ戦争を終えたばかりのコンゴローンベ・キンラザは、ベルリンの地で行われた世界会議にて列強国の1つとして招待された。

 

列強1位フランス共和国ヴィンセント・クノン主席(40歳)。

 

列強2位ドイツ帝国ヨアヒム・フォン・ホーエンツォレルン皇帝(58歳)。

 

列強3位軍事独裁政権オーストリアジュリウス・フォン・ハルトマン将軍(48歳)。

 

列強4位イタリア帝国のフランチェスコ・ディ・ボルボーネ・デッラ・ドゥエ・シチリエ皇帝(81歳)。

 

列強5位東インド会社バイロン・ゴードン・レノックス大統領(61歳)。

 

列強6位スペイン王国フェリペ・デ・ブルボン王(66歳)。

 

そしてコンゴ王国のローンベ・キンラザ(38歳)

 

世界に君臨する7名の君主たちが一堂に会したこのベルリン会議で話し合われたのは、主にヨーロッパにおける集団安全保障と軍縮、アジアにおける交易の自由化と奴隷制の廃止、労働者の権利といった事柄であり、主に独仏2大国が中心となって話し合いは進められた。

その中でローンベ・キンラザも人種差別撤廃とアフリカに対する不干渉を提言したものの、コンゴに対して融和的であったオーストリア以外の強い反対に遭いあえなく否決。その後も最年少かつ最も序列の低い彼の言葉はまともに聞き入れられることなく、単なる「アフリカの小国」を国際社会の場に招いたというアピール以外の意味はそこにはなかった。

 

コンゴは自由を手にした。それはローンベ王にとって、祖父・父の代から続く悲願の達成ではあった。

しかし、アフリカの自由は今なお遠い。そしてその達成は不可能であるかのようにすら思えた。

 

それでも、彼は最後までもがき続ける。

 

Victoria3、コンゴ・プレイレポート最終回。

アフリカの盟主となったコンゴの、最後の戦いが始まる。

 

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目次

 

前回はこちらから

suzutamaki.hatenadiary.jp

 

当シリーズはこちらから

【Victoria3】コンゴを自由にする第1回 スタートラインに立つまでの20年(1836年~1856年) - リストリー・ノーツ

【Victoria3】コンゴを自由にする第2回 繁栄と動乱、そして独立戦争(1856年~1876年) - リストリー・ノーツ

【Victoria3】コンゴを自由にする第3回 成長と拡大、そして生まれゆく歪み(1876年~1896年) - リストリー・ノーツ

【Victoria3】コンゴを自由にする第4回 アフリカ自由貿易圏の成立と大アフリカ戦争(1896年~1916年) - リストリー・ノーツ

【Victoria3】コンゴを自由にする第5回(最終回) アフリカの自由?(1916年~1936年) - リストリー・ノーツ

 

軍備増強期

失意を抱えてコンゴに戻ってきたローンベ王は、ただちに国内の退役軍人顧問らに呼びかけ、海外の最新軍事技術の積極的収集とそれに必要な各物資の供給網の増築を図っていくこととなった。

独立戦争、そして先の大アフリカ戦争で活躍し続けてきた英雄ムヴォウドウコウサラ・マンカラ将軍も、87歳にしてついに前線を退きながらも、最期まで国家のために尽くし続けた。

 

ベルリン会議でのあの列強諸国の態度から、彼らが未だなお、アフリカの分割を狙い続けていることは明らかだった。

これまで手を付けていなかった海軍の増強を中心に、ローンベ王はコンゴ軍の強化に力を入れていくこととなる。

 

 

1918年3月。

案の定、まずはイギリス共和国がAFTA加盟国であるマダガスカルのメリナ王国に対して征服戦争を仕掛けてきた。

 

当然、コンゴ王国もAFTA盟主としてこれに防衛側で参戦。同じくAFTA加盟国のザンジバル、そしてブガンダ、ブルンジと共にこれを迎え撃つ。

 

いよいよ本格始動となるコンゴ海軍の総司令官として、ムヴォウドウコウサラ・マンカラの息子であるポアティ・マンカラ海軍中将を任命。

最初から超強力な特性である「艦隊指揮の達人」を有している神指揮官を獲得することができた。

 

かつての大英帝国ロイヤルネイビーも、このマンカラ提督率いる新生コンゴ海軍の前では形無しである。

相手も装甲艦こそ出しているものの、こちらは一段上の「モニター艦」を採用。数でも圧倒しており、大損害を与えながらイギリス無敵艦隊を沈没させた。

 

そのまま制海権を奪い続け、イギリスのマダガスカルへの上陸を阻止続けた末に、開戦から1年も経たずしてイギリスは降伏。

 

だが、所詮は列強から落ちたかつての大国。

より強大な敵はすぐさまやってくる。

軍事技術「戦闘作戦」で解禁された兵舎の新方式「攻城砲」を採用し、軍事力のさらなる増強を図る。

ドイツからディッケ・ベルタを導入・・・みたいなイメージかな。


そうして来るべき時に備えていると・・・

 

 

第2次大アフリカ戦争

1919年10月。

列強1位フランスが、AFTA加盟国のダホメの従属を要求。

ただちにコンゴ、オヨ、ソコトベナンのAFTA加盟国およびダマガラム、ワダイといったその他のアフリカ諸国もダホメ側についてフランスに対立。

列強2位ドイツ帝国ももしかしたらこちら側についてくれるかも・・・と期待したが最後まで動くことはなかった。

結局のところ、アフリカのことはアフリカで決めなければならない。

前回の大アフリカ戦争で共に戦ってくれたACTO加盟国エジプト、エチオピア南アフリカの助力が得られないのは不安ではあるが、ここはやるしかない!

 

1920年1月27日。第二次大アフリカ戦争開幕。

欧米の列強の悪意を挫くための戦いが始まる。

 

 

早速ギニア湾で繰り広げられる近代海戦。フランス海軍はすでに弩級戦艦や空母を導入してきている!

ただ、フランス海軍側の弩級戦艦の防御力補正が40になっている(本来は80)。

フランス市場を覗いてみると装甲艦の生産が0ということで、そのペナルティがかかっているようだ・・・この辺りは1.1パッチでの改善があるのだろうか?

 

ということで、戦闘力でも負けず、かつ数では圧倒していることもあり、フランス相手でも制海権は問題なく確保。

 

 

だが陸戦ではやはりエジプトやエチオピアがいないのは厳しい。開戦から半年。同盟国ワダイの領土が次々と奪われていき、ダマガラムも侵攻されている。

しかも、戦線が地続きではないために助けに行きたくても助けに行けない。

 

とはいえ、ワダイやダマガラムは今回の戦争でとくに何か要求されているわけではないので降伏してもらっても構わない。

1921年1月21日にはベナンが降伏。これも奴隷制廃止だけなので痛手はない。

 

このあとワダイ、ダマガラム、ソコトと次々と降伏していくが、すべて要求なしなので放置する。

問題は降伏するとフランスの属国になってしまうダホメである。すでにその戦争支持率は-72。フランスもマイナスに突入しているが、果たして間に合うか。

 

1921年3月。イギリス共和国がフランスに対して宣戦布告! フランスのアフリカ植民地各地に奇襲を仕掛けている。

フランス側にはスペインもついているし、イギリスに勝ち目はないだろうが、正直助かる。

 

ギニア湾からはコンゴ第2海軍のヌテーヴェ・マン・サンゴウ提督がフランスの補給艦を撃沈させたとの報告が入ってくる。

 

これにより、象牙海岸のフランス遠征軍に対する補給が半分以下にまで落ち込むことに。

 

ダホメ戦線のフランス陸軍の士気が軒並み激減。

 

増強した海軍は5年前の2倍近い93隻にまで膨れ上がり、海軍も2部隊に分けてそれぞれ近隣拠点の輸送船団保護と敵輸送船団襲撃とに振り分けることができている。

これは非常に強い。敵遠征軍に対して制海権を握ることの重要性を強く実感することができた。

 

あとは補給ままならないフランス陸軍に対して反撃の時間である。

制圧されたダホメの領土を奪い返すべく、進軍開始!

引退したはずのムヴォウドウコウサラ・マンカラ将軍も、92歳にして再び戦場に舞い戻り、その歴戦の経験を活かしてフランス軍に対して攻勢を仕掛ける。

 

これまでは無防備な敵領土を大きく奪ってから徹底防戦で戦勝点を稼ぐ方法しか採れていなかったが、制海権確保からの敵士気の減衰、そこからの反撃という戦略を取ることで、ようやく攻撃戦においてもフランス相手に勝利を重ねていくことができるようになった。

今回、防戦一方では先にダホメが折れてしまう恐れがあっただけに、この機会でこれができたことは大きかった。

 

そして1921年9月21日。

ついにフランスが降伏。


双方の死者数が50万を超える激戦となった第二次大アフリカ戦争も、振り返ってみればわずか1年半の出来事であった。

 

 

コンゴの限界

エジプトらの力を借りず、ほぼ独力でフランスを撃退することのできたコンゴ王国。

しかし、そのための軍拡は、コンゴ王国財政に危機をもたらすことにもなっていた。

フランス陸軍の数が凄すぎて防戦でも苦戦していたため、戦争中にも追加で増強した結果、290大隊もの陸軍、94隻の海軍を保有するようになってしまった。

膨れ上がった軍事費は収支を圧迫し、ついに赤字財政へと突入した。

 

軍需品のインフレ抑制のための積極生産も敵わず、軍人給与の低減も大した効果をあげられないため、仕方なく軍縮を進める。

最終的には大隊数を150にまで減らしようやく黒字転換。信用枠を使い切る、本当にギリギリのところだった。

海軍はまた増やそうと思った時に時間がかかるうえ、制海権は陸軍以上に重要なため維持。

本当にギリギリだった・・・。


だがこの財政危機の中、アフリカを守るというコンゴの使命もまた危機にさらされる。

 

1926年3月。

列強2位ドイツ帝国が、AFTA加盟国ザンジバルに対し従属を迫る。

 

当然コンゴもすぐさま支援を表明し、陸軍を動員。海軍もシーレーン防衛のため配備にかかる。

だが、3月29日。ザンジバルはドイツへの従属を受け入れ、屈服。ドイツ帝国の一部となる道を選んだ。



さらに同年10月には列強4位東インド会社がオヨに対して条約港割譲要求。

オヨは先だって自らAFTAを脱退しており、デンマークの関税同盟下に入っていた。

すでにAFTAでもACTOでもない彼を助ける義理はない・・・そうローンベ王は自らに言い聞かせ、アフリカの同胞の危機に対して駆けつけられない我が身を納得させることしかできなかった。

 

「アフリカの盟主」コンゴ王国。それはまだ、この国には早すぎる称号だったのかもしれない。

 

 

それでも、1930年1月。フランスが再びダホメやダマガラムにその食指を伸ばしてきたときは、さすがにコンゴも黙っているわけにはいかなかった。

 

今回もガンガンギニア湾で敵補給艦を襲撃し、フランス遠征軍の補給を0に。

 

おかげでダホメの非正規兵たちでも、数でも質でも圧倒するフランス軍を次々と殴り倒していく光景が出現。

 

半年後の9月20日に早くもフランス降伏。

圧倒的な勝利であった。

 

 

この勢いならば、いけるかもしれない・・・!

 

残り時間はあと5年。

もはやアフリカの解放者となることは叶わず。

それでも、乾坤一擲の策には出たい。

 

 

最後の戦い

1931年1月25日。

先のフランスとの3度目の戦いの直後、その関税同盟下に入っているベルギー合衆国に対して領土割譲の要求を突き付けて開戦。

停戦状態のフランスもここに参戦してくることを見越しての開戦である。

コンゴ王国の残された旧領であるカタンガ、そしてフランスの属国となっているモロッコ、マッシーナの解放を要求に追加。

さらにベルギーの本土も奪い取り、歴史への復讐たる「ベルギー自由国」創設を目指す!

 

先ほどの戦いでの補給路破壊の影響はまだ残っており、開戦直前にも関わらずフランス植民地軍の士気はボロボロ。

 

とはいえ、今回はモロッコやマッシーナを要求に加えているため、そちらの領土も制圧しなければフランスの戦争支持度も0以下にすることはできない。

よって、頃合いを見て象牙海岸へと上陸戦を仕掛けるが・・・

こっちのフランス軍は士気が十分で全く上陸戦が成功しない。

現地軍を使っているからか?

 

仕方なくフランス本土へと強襲を仕掛ける。

ノルマンディー上陸作戦に成功。無防備なフランス本土を突き進み、パリを目の前にする!

 

がっ、ダメ・・・!

小国と侮っていたベルギー合衆国軍が、一気に兵舎を建てて兵を増やし、数でもって防戦に挑んできた。

こちらも逆に遠方への補給が十分にできず、補給艦の撃沈もされ、最終的にはあっという間にフランス占領地を奪い返されてしまった。

 

 

戦争目標に掲げたステートを征服できなければ、ベルギーもフランスもその戦争支持度を0以下にすることはできない。

このままでは、どうしようもない。

赤字も再び膨らんできており、これ以上の無益な戦いの継続は意味をなさない。

 

かくして1932年8月21日。

コンゴはフランス、ベルギー両国と、白紙和平を結ぶことに同意することとなった。

 

 

これが今のコンゴの、限界であった。

 

 

自由なるコンゴよ、永遠であれ

アフリカの自由は果たされることはなかった。

それは史実のようにこの先の数十年を待つ必要があるのかもしれない。

 

それでも、あの小国コンゴは19世紀を生き残り、そして世界に名だたる王国となったことは間違いない。

 

最終的な列強順位は3位。オーストリアも内戦により落ちたことでこの地位につけることができたが、フランス・ドイツの2強とは大きく離されての結果ではある。

 

GDPは最終的には1億8,500万ポンドに。100年前の実に994倍にまで成長した。

なお、長らく1位であり続けていた1人あたりGDPでは最後の最後でベルギーに抜かれる結果に。よりによってベルギー。悔しい。

 

人口については王国領の拡大に伴い増えていき、最終的には1,549万人に。100年前と比べ29倍となった。

 

王国首都キンシャサ、そしてその隣のブラザウィル。史実における現代では2つの国に分け隔てられたこの2つの都市も、この世界では共に手を携える偉大なるコンゴの中心都市となっている。

 

 

 

さて、最後に検証したいことがある。

今回、最後の軍拡に向けて兵を増やした結果、一気に財政赤字へと転落しどうしようもなくなったわけだが、果たして列強1位フランスは500を超える軍隊をどのようにして確保できていたのか。

 

キャンペーン終了後オブザーバーモードでフランス国内を覗いて確認してみた。

これが1936年時点のフランスの収支状況である。

 

一方、同じく1936年のコンゴの収支状況を見てみるとこんな感じだ。

 

所得税と鋳貨の合計の差は約37万ポンド。これはGDPの圧倒的な差ゆえに仕方ないところではあろう。

だが一方であれ?と思ったのが人頭税の項目。確認してみるとフランス、いまだ人頭課税を採用している。

 

人頭課税を採用してあの所得税なのか・・・そのうえで人頭税も20万ポンド近く稼いでいるのであれば、確かに財政も豊かになる。

 

そして合わせてコンゴと比較して大きく異なるのが消費税関税

消費税に関して調べてみると、なんと7品目も採用している。

 

そのための権力はどこから・・・と思って確認してみると、「異議の禁止」を採用しているらしい。さすが共産化フランス。

 

関税については以下の通り。なお、法律は保護主義でとくにどの品目も国内産業の保護にも輸出促進にもしていないため、輸出入への関税率は一律で10%となっていた。

 

輸送船団の数も意外にも並といったところ。コンゴが10,574隻なのでずっと多いくらいだ。

むしろ補給網強度74%であの関税額を保っているのか・・・

 

 

この事実は色々な可能性を感じさせる。

すなわち、多文化主義・比例課税制最強という現在の風潮が「必ずしもそうではないのでは?」という可能性だ。

 

そこで、Ver.1.1がリリースされてからにはなるが、次回のプレイではその可能性を追求してみたいと思う。

すなわち、権力を山盛りにした圧政かつ知識人や労働者といった終盤の定番利益団体を政権から外した資本主義・反自由主義プレイ。

 

その上で帝国主義を拒絶する、非拡張プレイに徹した場合に、どれだけの可能性を探れるのか?

 

企画斃れにならなければ良いが、もし気が向いたらぜひ、覗いてみてもらえると幸いだ。

 

 

それでは、最後までお読みいただきありがとうございました。

いつかコンゴで、再びリベンジしてみたいと思います。

(そのときはできれば、植民地解放とかもできるようになっているといいなぁ)

 

 

コンゴを自由にする」シリーズはこちらから

【Victoria3】コンゴを自由にする第1回 スタートラインに立つまでの20年(1836年~1856年) - リストリー・ノーツ

【Victoria3】コンゴを自由にする第2回 繁栄と動乱、そして独立戦争(1856年~1876年) - リストリー・ノーツ

【Victoria3】コンゴを自由にする第3回 成長と拡大、そして生まれゆく歪み(1876年~1896年) - リストリー・ノーツ

【Victoria3】コンゴを自由にする第4回 アフリカ自由貿易圏の成立と大アフリカ戦争(1896年~1916年) - リストリー・ノーツ

【Victoria3】コンゴを自由にする第5回(最終回) アフリカの自由?(1916年~1936年) - リストリー・ノーツ

 

前回の「アメリカ合衆国・経済的支配目標プレイ」はこちらから

【Victoria3】アメリカ「経済的支配」目標プレイレポート第0回 ポーズ解除前の状況確認と各種方針 - リストリー・ノーツ

【Victoria3】アメリカ「経済的支配」目標プレイレポート第1回 奴隷解放と米墨戦争、そして太平洋岸への到達(1836年~1839年) - リストリー・ノーツ

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最初のスウェーデンプレイはこちらから

【Victoria3】初見スウェーデンプレイ雑感レポート①(1836〜1856) - リストリー・ノーツ

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