長きに渡るスルタン制を廃止し、西欧に倣い近代化を進めたアチェ共和国。
今やインドネシア地域における最大国家であることはもちろん、世界においても7本の指入るほどの実力を持った国家として成熟しつつあった。
それがいまだ「列強」として認められない謂れなど何一つない。
その承認を求め、そして19世紀初頭に奪われた「インドネシア」の土地「シンガポール」の奪還をかけ、アチェ共和国の首相トゥアンク・ベンダーラは憎きイギリスに宣戦布告する。
が、そこに介入してくるのが列強3位アメリカ合衆国。
富国強兵を果たしたアチェのさらに3倍の戦力を誇るこの超大国を前にして、果たしてアチェは無事、勝利を手に入れられるのか――?
Ver.1.1.2(Earl Grey)
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目次
前回はこちらから
東洋の覇権国家
と、大袈裟に煽ってはみたものの、実際には何ということはない。
「こちらが動員するまで敵AIは本格的な動員をしない」という習性を悪用した結果、開戦の瞬間にはまだアメリカの95大隊は到着まで随分時間がある状態を作り出せている。
敵軍が到着する前に無人のシンガポールを陥とし、これを制圧した。
あとはもう、戦線は存在しないため、上陸作戦を狙ってくる敵兵を薙ぎ倒すだけ。
さしものアメリカ軍も色々ペナルティも多いこの時代の上陸戦ではアチェ共和国軍の防衛兵たちを打ち破ることはできなかった。
イギリス軍も2回ほど上陸作戦を仕掛けてきたがいずれも撃退。
すると戦争支持率が-100%に達するよりもずっと早く向こうから降伏を申し出てきた。
このあたりさすが腐っても列強。思い切りが良くて素晴らしい。
1896年10月3日、メダン条約を締結。シンガポールの獲得と総額808万ポンドの賠償金、そしてアチェ共和国の国家としての「承認」を獲得した。
列強ランキングでもそのまま列強6位の位置に。名実ともにイギリスを超える存在となった。
さらにこれを受け、何とプロイセンの方から恩義と引き換えに防衛協定を結んでほしいと申し出てくるほどに。
すぐさま受託。これでアチェ共和国は本当に西欧と対等に渡り合える存在となったのである。
あとはもう、好き放題であった。
1896年11月にはごく小さな島だけを残して生き残っていた(文字通り)1プロヴィンス国家であったブトゥンを脅しつけて併合。
翌1897年2月にはポルトガル領スンダ列島も併合。これでまた1つ、西欧国がインドネシアから消えた。
順調に見えてはいたが、内部ではやや問題も。
産業革命の結果、ついに手に入れた「電気」。このアチェ共和国でも早速広げるべく発電所を建てたのだが、これが全く利益を出してくれず、人が集まらずに機能しない。
レッセ・フェールから干渉主義に変えて無理やり助成するか?とまで思ったが、もしかしたら前回労働者組合の圧力に負けて通すことになった「労働者の保護」法律による最低賃金の上昇が悪さをしているのかもしれない。
よって、最低賃金のルールだけ撤廃し「危険な労働環境」削減効果だけは残る「規制機関」の法律に切り替えるべく審議を開始。労働者組合の反発も強くなく実業家集団の機嫌も取れるので悪くない。
1898年12月には無事これも制定され、ようやく発電所も利益を出してくれるようになった。
結局最低賃金が原因だったのかはよく分からないが、とりあえずは一安心だ。
なお、この後も発電所は生産性はイマイチなのは変わらず、常に価格が高止まりしていないとすぐにまた赤字を出してしまうような状態は続いていた。
最終的には「蒸気タービン」の技術を獲得して「石炭火力発電所」の製法をアンロックしてようやく安定した利益を出せるようになった。
この発電所の利益の出しづらさは結構問題になっているみたいで、Twitterでは「発電所以上の生産性を出す施設がない州に隔離して揃える」というアドバイスをもらった。なるほど。。。
さて、同じタイミングで「縦深防御」の技術をアンロック。塹壕歩兵や自転車伝令もすでに解禁しており、軍事的にも世界トップクラスに追い付きつつある。
1901年8月にはクタイを征服しようとした際にオランダ領東インドとシャム、清までついてくるという状況に。
スペインがシャム市場を開放するという条件だけで参戦してくれるということで、これも誘い込んで戦争に突入。オランダ領東インドの傀儡化、そしてシャムが1州だけ持つ大インドネシア固有の領土の割譲を要求する。
これで悪名は50を超えて「顰蹙」に至る。だがもう、ここまで来たら気にすることはない。
戦争自体は何の問題もなく推移し、半年後の1902年3月にはオランダ領東インドが傀儡化。
事実上、これでインドネシア地域から国家としてのオランダの影響力は消滅した。
かつては国境を接する陸軍国家として恐れていたシャムも、最新の武器戦術を揃えたアチェ共和国軍の前に成すすべもなく侵略を許してしまっている状態。
開戦から1ヵ月も経たない1902年7月20日には、アチェ・スペイン側のすべての要求を呑む形で講和が結ばれた。
もはやアジアの地に敵はいない。
東洋の覇権国となったアチェの下に、その報せは届いた。
女王同盟戦争
さて、その話をする前に少しだけ国内の話を。
1877年の共和制発足以来、30年近くこの国の首相を務めあげてきていたトゥアンク・ベンダーラも70を迎えた1904年に入るとさすがに引退し、その後を引き継いだのが実業家集団の指導者であるサフィウッディーン・ムルシドゥル。
そんな折、父トゥアンクの後を受け政界入りした娘のアディバー・ベンダーラが、世界に先駆けて女性参政権を求める訴えを開始。首都メダンを中心に、その動きは大きなうねりとなって人々を飲み込んでいった。
ムルシドゥル首相もこれに賛同し、彼自身も女性の権利を拡充する運動に身を投じることを決断。早速、女性参政権制定に向けた審議を開始する。
同年7月にはアディバー・ベンダーラが女性の権利を主張する著書を発表。これもまた、大きな熱狂を生んだ。
10月にはこの女性参政権を支持するグループの過激派による暴力騒動も巻き起こるが、ムルシドゥル首相自ら権力を使って速やかに鎮圧。
困難を伴いながらも翌年4月に何とか制定されることとなった。
そしてその勢いでもってアディバー・ベンダーラがアチェ共和国第3代首相、そして初の女性首相となったのである。
「建国の父」トゥアンク・ベンダーラの娘にして世界初の女性参政権を実現させた英雄として国民から絶大な人気を誇るアディバー・ベンダーラ首相。
そんな彼女のもとに、その報せは届いた。
それは、アチェ共和国最大の同盟国であるプロイセン改め北ドイツ連邦「女王」マルガレーテ・フォン・ホーエンツォレルンからの救援依頼であった。
メクレンブルク=シュヴェリーン大公率いるこの革命軍は労働者組合だけでなく軍部の支持も受けており、いわゆる「小モルトケ」など、名だたる精鋭ドイツ軍の中心人物たちがこぞって女王軍に牙を剥いた形となる。
元より防衛協定を結んでいたアチェ共和国唯一の同盟国。
同じ女性君主のよしみもあり、国民の強い支持を背景に、ベンダーラ首相の最初の仕事はこのプロイセンへと精鋭アチェ共和国軍を送り出すこととなった。
アチェ共和国軍にとって、初の海外遠征。
そして、世界の最先端を行くおよそ最強とも言える陸軍との、初の本格的な戦争となった。
首都ベルリンを守る最重要戦線は、我が国最大の英雄一族出身であるジャーファール・ラージャ・イヌ将軍による9万の防衛兵が固く守り、敵軍も膠着。
その隙にデンマーク海峡での海戦を勝利したリアヤト・ラージャ・アハマド提督によって率いられたユースフ・ジャムルライル将軍が北ドイツ・ポンメルンの敵地に上陸。
ここに列強2位北ドイツ連邦の精悍なる精鋭陸軍たちとの最初の戦いが開始される!
まずは防戦。これは有利に進行中。
敵軍は塹壕歩兵はもちろん、戦闘機まで実戦に投入してくる最先端部隊。但し、どうやら借金が嵩んでしまっていたようで、そのペナルティがじわじわ拡大している様子。
問題の攻撃戦だが、前回も少し触れたように、ポイントは「敵の侵攻戦が終わった直後にこちらの侵攻戦が始まるようにバーの進捗を調整する」こと。
通常、防御側は攻撃側よりも多くの大隊を戦闘に参加させられることが多く、これがこのゲームにおける防御有利の一端を担っているわけだが、上記の通り相手が攻勢を跳ね返されて疲弊しているところにすぐさま反撃を食らわせることができると、疲弊した敵の兵が参加できないため防御側でも大隊数が少ないという状況を作ることができる。
おそらくこれが、現行のバージョンでの陸戦での最善手・・だと思う。
次回のプレイではこのあたりをもっと検証することを目的にしたプレイをしてみたいと思っている。
さて、此方が首都ベルリンを守っている一方、反乱軍はその戦略目標を占領できずにいるため、着実に戦争支持率を失っていってしまう。
結果、女王連合軍側もほとんど相手領土を奪えないながらも、1908年3月8日に反乱軍は降伏。もしかしたら、借金の重さに耐えかねて潰れてしまったのかもしれない。
いずれにせよ、2人の女性君主による同盟は危機を脱した。アチェ共和国軍にとっても初の海外遠征、列強上位の陸軍との真っ向からの勝負にも勝利したことは、大いなる誇りとなった。
もはや、本当に世界に敵はいないのかもしれない。
アチェ共和国はアディバー・ベンダーラ首相の下、いよいよ「大インドネシア」の統一へと歩みを進めることとなった。
「大インドネシア」統一と理想の果て
1913年5月、ティドレに併合要求。清が介入するも返り討ちに合い、ランファンの独立を認めさせると共に条約港として香港をアチェ共和国に割譲。
1915年9月、バンジャールへ併合要求。どの国も介入せず、12月に屈服。
続けざまにランファンへ併合要求。こちらもどの国も介入せず、3月に屈服。
これにて、「インドネシア」成立に必要な11の州を確保。
1916年3月14日、「インドネシア共和国」成立!
史実より30年早い「インドネシア」の実現であった。
だが、もちろんこれで完成ではない。
いまだ「未回収のインドネシア」は残っている。それらも含め、完全なる「大インドネシア」を成立させなければならない。
1917年にはフィリピンの密林の中を、新兵器である戦車や戦闘機、さらには毒ガスまでも使用したインドネシア共和国軍が蹂躙。
そして1921年4月16日。
停戦が明けたところで、最後に残された「未回収のインドネシア」を求め、東インド会社に要求を突きつける。
1921年8月26日。最後の戦争が始まる。
マレー半島に出張ってきたイタリア軍はさすがの軍量。こちらの3倍近い兵力でもって襲い掛かってくる・・・が、戦闘力の差がけた違い。
最終的には6倍のキルレシオで勝利する。
そしてイタリア軍がマレー半島にそれだけの兵を送っている間に本土では当然、上陸軍が侵攻を開始。
半年後の1922年3月15日にイタリアは降伏する。
ロシア軍も同様に上陸によって殲滅され、しかもフィンランドでは独立運動が巻き起こって滅茶苦茶に。
1922年9月7日にロシアも降伏。
最後に残った東インド会社も1923年0月30日に降伏。
これにて、「大インドネシア」は完全に統一されることとなった。
これを成し遂げた最後の首相はトゥアンク・ベンダーラ。第3代首相であるアディバー・ベンダーラの嫡男であり、祖父の初代首相と同名のこの男は、母にも劣らない圧倒的な国民的人気を誇っていた。
しかも「虚無主義者」でユダヤ教徒でもあるこの男の手によって、スンナ派による統治すら否定する「完全分離」も制定された。
これですべての民族のみならずすべての宗教も差別されることなくこの「インドネシア共和国」に住むことができるようになったのである。
しかし、残虐な手段による戦争によって手に入れた統一、信仰の破棄、そして公正な選挙による民衆の選択とはいえ、実質的なベンダーラ家による世襲統治――この「大インドネシア」の姿は、果たしてあのトゥアンク・イブラヒムが夢見た姿と等しいものと言えるのだろうか。
その答えは、誰にも分らない。
1923年の大インドネシア帝国の姿
それでは最後に、1923年の大インドネシア帝国の状況を見ていこう。
なお、この大インドネシア統一をもって本プレイは終了としたいと思う。すでに目的はすべて達せられ世界一の国家にもなったため、これ以上は蛇足と言えるだろう。
まずはGDP。当然の如く圧倒的な成長率で1位を獲得。総額11億ポンドである。途中内戦で一度国が割れたはずだがそれを感じさせるような様子は微塵もない。
列強ランキングでも圧倒的・・・と思ったが最後はオーストリアが結構追い上げてきた。フランスは内戦でオクシタニアが分離し列強落ち。
また、この世界では珍しく日本が開国を果たしており、大正天皇による統治が行われている。
生活水準でも列強各国を突き放しているが、残念ながら1位は取れず。
人口は世界4位の6,512万人となった。現代のインドネシアの2億にはさすがに全然届かなかったね。
財政はこんな感じ。
所得税はもちろん高いが、今回の目玉である利益配当税による税収は18万ポンドに到達し、取引所からの税収は6万ポンド/週に到達。市街地や家具工場、茶園の利益配当税収も高くなったため20年前のように取引所だけで4割を超えるといったことはないが、この世界も前回の大地主経済とはまた違った意味で貿易が鍵となったと言えるだろう。
とはいえ、その交易路を維持するための港の公務員給与・商品代金が合計76万ポンド/週に達していることを考えると、実は赤字とも言える。すべての取引所の合計所得税収も30万ポンドくらいなので・・・。
このあたりは全ての交易を航路に頼る島国国家の致命的な弱点と言えるだろう。
次回とは言わないがその次あたりで、一回交易を完全になくした(孤立主義)プレイをしてみて、交易路なしでの経済の作り方を検証してみるのも面白そうだ。
全体の収支状況の変遷も確認しておく。
あれ、そういえば救貧法は制定しているけれど福祉の支給が項目として記載されていないな・・・失業者に支払われていることはPOP画面からは確認できるんだけど、総額が小さすぎるからかな?
職業別状況はこちら。前回までは資本家が最も政治力を持っていたが、全体の平均生活水準が爆上がりしていった結果、数で勝る労働者が結局最強となった。
文化・宗教は以下の通り。東南アジア人の中に混じってアメリカ北部人が結構な存在感を示している。また、オランダ人は完全に消えてしまっており、現地人に同化することとなったようだ。
あと今回のプレイでちょっと特徴的だったのが最終的な体制派の数。生活水準を上げていったのもあるが、そこに加えて常に80%以上あった正当性がさらに追い打ちをかけた。
最後にいつも通り、このインドネシア共和国で最も多数派と言えそうなPOPを紹介しておこう。1200万人の住むアチェの労働者で最大のPOPは・・・ヤンキーだった。
「苦境」から始まった、今回のアチェの民の未来は、ひとまず幸福そうな状況で終えることができた。
この国の姿はもしかしたら最初の改革者トゥアンク・イブラヒムにとっては理想的とは言えない姿かもしれないが・・・そこに住む(少なくとも大インドネシア帝国に住む)人びとにとっては満足しうる世界とは言えるかもしれない。
と、いうことで今回は終了。
最後に、現代のインドネシア国歌「大インドネシア」を聴いて終わりにしよう。
それでは、さようなら。
また次回のプレイレポートを読んでくれたら幸いだ。
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