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Europa UniversalisⅣ プレイレポート:フランス 第9回「第二次欧州大戦」(1609年~ 1626年)

~前回のあらすじ~

フランスを中心としたカトリック大同盟と、皇帝を中心としたプロテスタント大同盟とが激突した第一次欧州大戦は、6年間にわたる激戦の末に、カトリック側の勝利に終わった。

しかしフランス皇帝ルイ13世は、さらなる領土拡大を目指し、次なる戦争への準備を淡々と進めていた。

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1.戦間期(1609年~1618年)

1609年4月15日。

新たな後継者が誕生する。

名前はルイ。今は亡き「神の子」ルイの生まれ変わりを願い名づける。

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しかし能力は平凡。まあ、今のルイ13世よりはマシではあるが。 

 

 

さらに、神イベントが立て続けに発生。

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それぞれ、統治顧問のユーグ・デストレと、軍事顧問のガレアッツォ・スピノラが、天文学における革命的な発見と、攻城技術および要塞防衛戦略の改革を行ったよ、というイベント。

彼らの活躍を称賛し、支持することで、ともに安定度+1および関連する技術の獲得コスト割引がかかるという素晴らしい効果だ。

 

 

包囲網も解除され、再び開戦をしたいと思いつつも、北も東も南もすべて、同盟国が複雑に絡み合っており、さらにはこちらの同盟国もまだFavorが貯まり切っていなかったりスペインも相変わらず北アフリカ諸国と戦争をしていたりで付き合ってくれない。

 

ので、仕方なくヴェルサイユを建造していたりする。

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分かってはいたけど、ぽちっと押すだけで何のエフェクトもウインドウすらも現れないのは少し残念。

マップ上にも表示されないみたいだし。

 

それにこういう建築物系はもうちょっとお金かかったり建造期間が必要だったりしたらそれっぽいのにな。ってそれはもはや運河だな。

 

 

とりあえず現状の首都パリはこんな感じ。

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宗教が改革派によって乗っ取られているのは悲しいが、異端寛容度が高いおかげでまったくの無問題。

相変わらずフランス本土はほとんど異端に支配されているにも関わらず、宗教統一度は100%を超えているし、人間主義を取らずにこれなのだから、本当にフランスはチートである。

 

 

 

2.第二次欧州大戦(1618年~1626年)

いつまで経っても開戦に適した状況にならないことに、皇帝ルイ13世はついに痺れを切らした。

そうして1618年7月7日。

ルイ13世は、単独で再び大同盟へと挑んだ。

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ルイ13世は軍隊を南北に分け、それぞれ対プファルツ選帝侯軍、対シュタイアーマルク公軍の2正面作戦を仕掛けることにした。

対プファルツ方面軍はマルグリット元帥が、対シュタイアーマルク方面軍はテリエ元帥が指揮することになった。

 

そして、

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8月31日にプファルツの戦いが、9月6日にチロルの戦いが行われ、それぞれフランス陸軍が快勝した。

やはり敵同盟軍の取るに足らず。

そう意気込んだルイ13世は、選帝侯領およびシュタイアーマルク公領の包囲制圧に取り掛かった。

 

 

 

しかし・・・

 

 

 

1620年1月27日。

選帝侯領南部のサングオにて、フランス軍3万が敵同盟軍6万に補足され、大敗を喫した。

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さらに3月1日。

今度は南方チロルにて、テリエ元帥率いる5万の方面軍が、敵同盟軍6万と争って圧し負けてしまうという事態に。

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これを機にフランス陸軍は南北それぞれ各個撃破の憂き目に遭い、ルイ13世は方針を転換せざるをえなくなった。

 

 

まず、南北に戦力を分けることをやめ、一点集中でプファルツ選帝侯領に侵攻を仕掛け、まずは彼の国を脱落させることを優先した。

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それによって北イタリア方面が蹂躙されることは致し方ない。

戦争とは時に、忍耐が必要となるときがある。

そしてフランスはあまりにも強大な国であり、持久戦に持ち込んだ場合、この国に勝てる国などもはや欧州に存在しない。

 

さらに、

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コモンウェルス(ポーランドリトアニア連合王国)とナポリ王国とがそれぞれ救援に駆けつけてくれるようになった。

これで戦争がぐっと楽になる。

やはり持つべきは同盟である。

 

1621年4月30日時点での状況。

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戦勝点がひどいことになっているが、なんとか兵数差をつけられるようになってきた。

 

さらに5月にはリシュリューを雇用するイベントが発生。

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少しずつフランスに運気が向いてきた。

 

 

そして6月。

コモンウェルスの力も借りて、アルザスにて反撃戦の開始。

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この勝利を契機に、選帝侯領を次々制圧していく。

 

 

戦争が長引くことによって上昇する戦争疲弊は、外交点を使って削減していく。

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1622年5月1日にはここまで状況を好転させた。

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そしてその7月に、ついに選帝侯と和平。

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プファルツを割譲させ、ヴュルツブルクを独立させた。

(本当はトリールを独立させて外交併合を仕掛けるべきだったかもしれない。帝国領の一部であることのペナルティにより属国化は無理かな、と考えていたが、あくまでもペナルティなので、無理ではない、ということに後で気が付いた)

 

今回の戦争の報告書。

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アホみたいに死んでる。

反省すべき点が多すぎる結果となった。

 

 

次は南方。シュタイアーマルク公領に攻め込む!

 

 

1623年8月5日。

コモンウェルスにぼこぼこにされたハンガリーが降伏宣言。

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1625年8月17日。

いやらしくこちらの北方領土を制圧して回っていたオーストリアにも退場してもらう。

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スクリーンショットを撮り忘れているがもちろんシュタイアーマルクとも講和している。

シュタイアーマルクからはヴェネツィアの玄関口にあたるトレヴィゾを頂いている。

 

 

 

そしてついに1626年9月13日。

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ついにブラバントとも和平条約を結び、7年間にわたる長き戦乱は終結した。

 

 

ブラバントとアーヘンは属国化。

ブラバントはブリテン島にも領土をもっていたため、これを併合すればイングランド征服が容易になる。

 

 

もちろん、AE上昇度は半端なく、早速大包囲網に囲まれたため、暫くは平和を堪能することにする。

 

 

2度にわたる大戦を乗り切ったフランス。

学ぶべきところも多かったが、存分に楽しめた半世紀であった。

 

第10回に続く。