Crusader Kings Ⅲ Shogunate プレイレポート
北条(きたじょう)高広。 こんな名前だが北条(ほうじょう)氏とは何ら血縁関係はなく、むしろ毛利家との関係の方が深い・・・というよりも毛利元就を含む安芸毛利氏よりも正嫡ですらある由緒正しき家柄だ。 そんな彼は戦国時代の真っ只中で、上杉輝虎(の…
天正6年(1578年)7月21日。織田信長、遠行。本能寺にて休まれている間に、何者かにより襲撃され、身柄不明に。 この混乱の中、織田家の実権を巡り、その筆頭勢力であった明智光秀と羽柴秀吉が全面対決。柴田を味方につけた明智方優位に進むも、天正9年(158…
明智家。 清和源氏土岐氏の流れを汲むとされるこの一族は、美濃国の斎藤家内紛に巻き込まれ滅亡間際に追いやられるも、そこから逃れた光秀なる男がのちに天下人・織田信長の側近となったことで歴史の表舞台へと登場する。 その出自においては不明な所の多い…
永禄3年(1560年)の桶狭間の戦い以降、破竹の勢いで勢力を伸ばしていた尾張の大名・織田信長は、天正6年(1578年)7月21日に起きた本能寺焼失事件にてその消息を絶った。 以後、織田家はその嫡男・信忠を新たな当主に据えるも、有力家臣たる明智光秀・羽柴…
永禄3年(1560年)の桶狭間の戦い以降、破竹の勢いで勢力を伸ばす尾張の大名織田信長。 元亀年間(1570-1573)には浅井・朝倉・本願寺・武田らが加わった「信長包囲網」によって窮地に陥るが、これを救ったのが信長重臣の一人、明智十兵衛光秀であった。 浅…
元亀2年(1571年)9月。織田弾正大弼信長は、浅井・朝倉・本願寺らによる信長包囲網を打開すべく、近江国滋賀郡に位置する聖山・比叡の焼き討ちという前代未聞の所業を果たす。 その後、この滋賀の地を与えられたのが明智十兵衛光秀。出自不詳で織田家への合…
関東最強の家宰としてその名を轟かせた太田道灌は、史実においては主君・上杉氏により暗殺され、その一族はその名声を超ゆることなく歴史の中に埋没していき、道灌亡き後混乱した関東はやがて、伊勢宗瑞と呼ばれし部外者によって蹂躙されていった。 しかし、…
文明十一年(1479年)。 すでに管領・細川勝元らの反乱や、側近・伊勢貞親の裏切りもあり、その権威を大きく失墜していた室町幕府は、越後上杉家当主・上杉顕定が中心となった大規模な反乱により、その命脈を実質的に絶たれる事態に陥っていた。 天下はこれ…
室町時代末期。 当時の関東は関東管領に任ぜられた上杉家と鎌倉公方との対立が激化しており、これが上杉方の勝利で終わったのちも、上杉家内での内紛が巻き起こるなど、五十年以上にわたる混乱が続いていた。 この状況を憂えた扇谷上杉家家宰・太田道真は、…
時は室町時代末期。 天下は八代将軍・足利義政の代であったが、嘉吉の乱以降の混乱により既に幕府の権威は地に堕ちており、地方では地場の有力諸侯がほぼ独立した権力を握り始めていた。 ここ関東も例外ではなく、関東管領に任ぜられた山内上杉家が関東一帯…
1582年。本能寺の変、勃発。 天下統一を目前としていた織田信長が嫡子・信忠と共に自害。 天下は千々に乱れ、混乱は極みに達した。 1585年。妹背山の戦い。 信長次男・織田信雄が三男・信孝に対し、伊勢国領の所有権と当主・三法師の後見役を巡り宣戦を布告…
1604年、天下分け目の大決戦「大坂の陣」に勝利した織田信雄は、最大の敵、羽柴を服属させ、日ノ本の最大勢力へと伸長する。 その後、毛利をも服属させ、西国への影響力を存分に高めた織田家であったが、その前に立ちはだかったのが、かつて妹背山の戦いで信…
本能寺の変以降の混乱を収拾し、旧織田家領内の勢力争いを制したのは、史実の羽柴秀吉でも、柴田勝家でもなく、織田信長が次男、織田信雄であった。 1604年冬に巻き起こった「大坂の陣」にも勝利し、最大の敵であった羽柴家と徳川家の双方に勝利したことによ…
織田信長の死以来、統一されることなく分離し続けていた旧織田領。 その最大勢力を担うのは「明智討伐の最大武功者」羽柴秀吉。次いで筆頭家老柴田勝家の一族が担っていたが、そこに「織田家当主」織田信雄が第三勢力として存在感を示しつつあった。 そんな…
少しずつ、歴史に歪みが生まれつつあった。 まずは、3年間続いた明智光秀討伐戦争。これを制し、織田家中最大勢力を握ったのが羽柴秀吉という点は史実同様であったが、その後彼が柴田や徳川を下し織田家を乗っ取る・・・という図は、この世界では描かれるこ…
1582年の本能寺の変以降、織田家中における内紛が暫く続くこととなった。 まずは信長を殺した男、明智光秀を1585年に羽柴秀吉が討ち取り、同年に清洲会議にて一旦の「信長後」体制について取り決めが行われる。 が、その取り決めもすぐさま反故にされ、同年…
1582年6月21日(天正10年6月2日)。 天下統一を目前としていた織田信長が、突如として家臣の明智光秀に討たれる「本能寺の変」が勃発する。 中国地方にいた羽柴秀吉、北陸地方にいた柴田勝家の両方がそれぞれ敵対していた勢力(毛利、上杉)との二正面作戦を…
16世紀後半。 100年前の応仁の乱以降進展し続けていた「戦国時代」は、いよいよ収束の時を迎えつつあった。 その立役者として最も期待されていた男が織田信長。将軍・足利義昭を追放し室町幕府を滅ぼした後、畿内を中心に随一の影響力を誇り、その有能な家臣…
平家――平氏の中でも特に平正盛に連なる血統――は、壇ノ浦の戦いにおける敗北を経て平頼盛を除き全滅し、事実上の滅亡を迎えた。 その頼盛の血統は史実においてははっきりとした記録が残ってはいないものの、その一つの可能性として語られるのが、越後の山奥・…
12世紀末、平安の終わりと共に滅亡した「平家」。その生き残りが、池と名を変えて越後の山奥、古志の村に存在していた。 彼の名は池成清。南朝の総大将であった新田義貞の家臣として、討幕軍の中にもその名が記録されている男である。 彼自身は33歳の若さで…
平家――平氏の中でも伊勢平氏、とくに平清盛に代表される権勢を振るった平正盛の系統のことを狭義にそのように呼ぶ。 この意味での平家は、壇ノ浦の戦いにより実質的に滅亡した。ただ一人、清盛の弟の1人であった平頼盛を除いて。 平家の残党による都落ちに同…