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聖イシュトヴァーンの帝国 第2回「リベンジ・フォー・モハーチ」(1489年~1557年)

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ハンガリー王兼ボヘミア王オーストリア大公マーチャーシュ1世は、ハンガリーの最盛期を築いた王として今でも人気が高い。

ハンガリーの紙幣にもその肖像が使われているほどだ。

 

彼の功績はいくつかある。

たとえば前回でもイベントで紹介した常備軍「黒軍」の創設。

あるいはポジョニ(現プラチスラヴァ)に大学を建てたこと、

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あるいは国家の財政を根本的に健全化するための税制改革など、

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とにかく素晴らしい政策を立て続けに行ったことにより、ハンガリーという国家は着実に成長を遂げていった。

 

 

そして史実のマーチャーシュは、ただ内政的に国家を強くしただけに留まらず、外征においてもその力を発揮した。

 

すなわち、ウィーン制圧と、ボヘミア南部征服である。

 

ウィーンは前回制圧し、その領域を奪い取った。

今度は、ボヘミアである。

 

 

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折よく、ボヘミア南部のモラヴィア地方、及びシュレジア地方のフス派カトリック教徒たちが、ハンガリー王への救援を求めてきた。

デウス・ウルト!(神はそれを望まれる!)」の言葉とともにマーチャーシュはこれを承認。

両地方の永久請求権(Permanent claim)を獲得する。

 

 

そして、前回の対オーストリア戦争の傷も癒えた1489年11月。

マーチャーシュは、ボヘミアへの宣戦布告を決断する。

これは征服行為ではなく、正統なるボヘミア王として、土地と民衆を不当に支配するイジー・ス・ポジェブラトとその一族に対する懲罰である。

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皇帝を務める「内オーストリア公」フリードリヒも当然出張ってくるが、こちらはローマ教皇・フランス王・ブルゴーニュ公・ポーランドリトアニア連合王国そしてワラキア辺境伯すべてが参戦してくれる。

 

よって、戦力差も歴然。敵同盟軍の2倍以上の戦力でもってあたることとなった。

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開戦から5年後の1494年7月。

敵同盟国を1国ずつ引き剥がしながら、やがて最終的にボヘミアオーストリア全土を制圧した。

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まずは「内オーストリア公」と講和。

オーストリアの名が世に残ることを嫌うマーチャーシュは、まずオーストリアの領土からシュタイアーマルク(Styria)公領とチロル伯領を分離独立させる。

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そのうえで要塞を持つケルンテルン州を獲得。

「内オーストリア公」にはリンツ州とシュタイアーマルク州のみが残された形となる。

いい気味だ。

 

さらに12月にはボヘミアと和平。

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こちらもモラヴィアを分離独立させ、ブジェヨヴィツェ(Budejovice)州を割譲させる。

これでボヘミアの王都プラハと隣接することができた。

ボヘミア王位も完全にハンガリー王の手中に収める準備が整ったということだ。

 

 

オーストリアと同盟を結んでいたラグーサも制圧・併合し、史実に負けない最大領土を記録した。

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もちろん、「聖イシュトヴァーンの帝国」はこれで満足するつもりはない。

さらなる帝国の強大化を目指し、版図を広げていくつもりだ。

 

 

だが、マーチャーシュの命は今まさに尽き果てようとしていた。

史実では1490年に没したこの「正義王」も、戦争を終えた直後の1495年1月。冬の王宮にてその生涯を閉じようとしていた。

 

 

心残りがないわけではない。まだ「内オーストリア公」は生き残っているし、ボヘミアもまだまだ勢力を保っている。

何よりも南部のオスマン帝国がいつ侵略を開始するかわからない。

だが、マーチャーシュには、その使命を継承することのできる息子がいた。これが、史実とは違うところであった。

 

史実ではマーチャーシュ亡き後再び貴族の力が高まり混乱に陥ったハンガリーは、オスマンとの戦いに敗れバラバラにされてしまった。

だが、この世界ではマーチャーシュの信念を受け継ぐ息子アンドラーシュがいる。

マーチャーシュは彼に全てを託し、天寿を全うした。

 

1495年1月。「正義王」マーチャーシュ崩御

享年53歳であった。

 

 

 

 

アンドラーシュ4世の治世

新たにハンガリーの王位に就いたのは、アンドラーシュ・ヤーノシュ。ハンガリー王としてはアンドラーシュ4世となるこの男は、能力値4/4/3と父・祖父ほどではないものの中々の能力を持ち、性格も「慈悲深い(Benevolent)」と恵まれたものであった。

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即位したばかりの彼はまず、旧オーストリア公領であった地域に燻る反乱軍を弱体化させるため、"Feudal De jure Law(特権法?)"の布告(Edict)を旧オーストリア公領に発布した。

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これは「発見の時代」に選ぶことのできるAbilityの1つで、各Stateに発布できる布告(Edict)の1つとしてこの"Feudal De jure Law"を解禁することができる、というものだ。

 

 

布告とはState単位に効果を及ぼすコマンドで、いずれの布告も最低1年間は効果が継続するが、その間はState維持費が3倍になる、というものだ。

今回のFeudal De jure Lawは、State全体の不穏度を-5するというもの。

戦争で奪ったばかりの土地で、自治度上昇と組み合わせて使うことで、反乱軍の勢力を一気に削ることができる。

実際、今回のプレイでも当初31連隊分だったオーストリア反乱軍の規模を、最終的に17連隊にまで縮小させることに成功した。 

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The Mandate of Heavenから導入されたこのEdictシステム。

これまでのプレイでは開発度コストを減少させるそれくらいしか使ったことはなかったが、色々使いこなすと面白そうだ。最低1年ですぐ解除できるのも嬉しい。

 

 

その土地の封建貴族たちに特権を与えるこの布告の発布により、反乱の芽をあらかた摘むことに成功したアンドラーシュ4世は、父の遺志を継いで積極的な対外政策へと出る。

 

1505年:ボスニアセルビア併合

1507年:内オーストリア公領全てを併合

1509年:第一次ヴェネツィア戦争開始。

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1511年に終戦し、ダルマチア州を割譲させたほか、大量の賠償金とともにザクセン選帝侯の属国化を承認させた。

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1516年:第2次ボヘミア征服戦争開始。17万vs5万という圧倒的兵力差で押し潰す。

1535年:第2次ヴェネツィア戦争。フリウリとトレヴィゾを併合。

1538年:第3次ボヘミア征服戦争。

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ボヘミアから奪った領土を属国ザクセンに食べさせて巨大化させる。

なお、旧オーストリアバイエルン領を食べてザルツブルクが巨大化している。司教領のくせに生意気である。

また、オーストリア亡き後の神聖ローマ皇帝は、1プロヴィだけで存在しているシュタイアーマルク公が代々継承している。

ボヘミアなどに喧嘩を売るたびに出張ってくるが、同盟国も含め弱小なので、制圧しても併合はせずそのままにしている。ひたすら虐めても健気に構成国を助けにくるあたりは、皇帝としての責務をよく理解したお人よしといったところである。

 

 

さて、これだけの征服事業を成し遂げ、ハンガリー王国の領土をさらに拡大させたアンドラーシュ4世は、1538年、43年間という長い治世を終えた。

享年75歳。この時代としては長生きであった。

 

 

 

ヤーノシュ1世の治世

フニャディ朝3代目の王は、初代マーチャーシュの父と同名の人物であった。

その「大ヤーノシュ」はあくまでも摂政であり王とはならなかったため、ハンガリー王としては「ヤーノシュ1世」として、この「小ヤーノシュ」は即位することとなった。

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能力値は代を重ねる毎に少しずつ弱くなっているようにも見えるが、それでも十分強い方である。

ちなみに性格は父王アンドラーシュも持っていた「慈悲深い(Benevolent)」と、祖父王マーチャーシュの持っていた「公正(Just)」を兼ね備えている。まさに名君である。

 

 

そして彼の治世の途上で、いよいよ運命の時が来たのである。

すなわち、オスマンとの対決である。

 

 

 

きっかけは、1552年。

当時、オスマンの同盟国であったロシアと戦争していたコモンウェルス(ポーランド=リトアニア連合王国)に対し、オスマンが単身で宣戦布告したことへの救援依頼である。

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もともと、オスマンには手を出しあぐねていた。

同盟国のフランスもブルゴーニュも「距離が遠い」といって参戦しようとしてくれない。教皇庁も借金でダメ。コモンウェルスはついてきてくれるが相手にはロシアがいるので、世界2位の軍事大国となったハンガリーにとっても簡単には手を出しづらい相手であることは間違いなかった。

 

そのタイミングで訪れたこの救援依頼。

腹をくくるしかなかった。

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幸いにも、敵はオスマンのみ。

もちろん、すでにロシアとデンマークコモンウェルスと交戦中とはいえ、こちらにはコモンウェルスの同盟国であるポメラニアやスウェーデンもついてきている。

オスマンの兵数も少なくなっている。これがチャンスである!

 

 

全力で戦争準備を行う。

まずは「信仰の守護者」になる。

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さらに「黄金時代」も発動。

これで陸軍・海軍ともに士気+15%である。

もちろん、規律+5%の軍事顧問の雇用は忘れない。

十字軍の対象がオスマンでなくモロッコなのが残念だ。

 

 

さらに貴族Estateのコマンド「Grant Generalship」を使って白兵5の有能将軍キニズシ・ジグモンドを召喚。

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まだ17歳の息子フニャディ・イシュトヴァーンも将軍化。

ハンガリーを生み出した偉大なる王の名を継ぐこの少年は、攻城2という破格の能力を持っていた。戦死はさせないように慎重に扱おう。

 

軍事レベルも、オスマンより1つ上となるレベル13(大砲が「鋳鉄砲 cast iron canon」になる)に無理してあげて、いよいよ準備万端だ。

 

 

1554年6月6日。本格的な戦闘は、オスマンイルバサン(現アルバニア領エルバサン)での戦いで幕を開けた。

オスマン軍4万vsハンガリー軍6万。

兵力では勝るも、指揮官の能力差で劣ったこの戦い。

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激戦の末、敵にまずは1.5倍近い損害を与えることに成功。

勝てる。

 

史実における、ハンガリー最大の屈辱たるモハーチの戦いへのリベンジは、十分果たした。

あとは、戦線を拡大し、勝利するだけだ!

 

 

イシュトヴァーン王子の攻城部隊で敵主要都市を一つずつ落とし、襲い掛かってくるオスマン軍7万やら6万やらは、緊急増産した傭兵部隊を加えたジグモンド軍で撃破していく。

毎月30デュカートほど失われるが、元々国庫は6000近くある。借金覚悟での戦いだ。

f:id:SuzuTamaki:20170511180313j:plain攻城戦では"Artilley Barrage"のコマンドを惜しみなく使う。

 

 

1557年6月6日。奇しくも「イルバサンの戦い」から丁度3年後。

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敵首都のコンスタンティノープル(イスタンブル)の制圧も完了。

海軍をほぼ持っていない我が軍が海峡を越えてアナトリア半島に侵攻することは難しい。

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さらに、この画面だけでは見えないが、この奥にもオスマン軍は30連隊ほどおり、合計で10万もの兵力を編成して首都奪還作戦を展開している。

 

この辺りが潮時だと判断。

戦勝率は24%。

コモンウェルスには悪いが、ここで分離和平させてもらう。

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オスマン領のヤニア(Yanya)とケスリイェ(Kesriye)を割譲させる。

 

 

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この5年に及ぶ激しい戦いによって、ハンガリー軍は7万もの死傷者を出した。

だがオスマン帝国にはその倍以上の犠牲者を出させた。ハンガリー軍は敗けてはいない。あとは兵力を十分に蓄えた後、2度、3度と侵攻を仕掛けよう。

 

 

そのための橋頭保として手に入れたヤニア改めエピルス(Epirus)、そしてケスリイェ改めカストリア(Kastoria)を、属国として独立させる。

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こうして、1世紀の時を経て、古の帝国は蘇った。

もちろん、「聖イシュトヴァーンの帝国」の傀儡として。

この後、この属国ビザンツは、そのコアを持つ領土を回収し、巨大化。やがて帝国に併合する予定である。

問題は、この地域に残るビザンツのコアが1594年頃から少しずつ消滅してしまう、ということだ。すでにコンスタンティノープルのコアも消滅してしまっている。

 

以外と急がなくてはならない。

しかし、それでも「聖帝国」は、まさにその第一歩を踏み出すことになったのだ。

数奇なことに、イシュトヴァーンの名を持つ王のもとで。

 

 

第3回に続く。