~前回のあらすじ~
空白の20年間を挟みつつも、ヴェネツィア征服や帝国化など、順調に勢力拡大を続けるフランス。
類稀なる才能を持った皇太子ルイも登場し、行く先は順風満帆、に思えたが・・・
1600年。17世紀に突入。
と同時に、フランス領リグーリア(旧名ジェノヴァ)にて、新たなInstitutionである「国際交易(Global Trade)」が出現する。
自国でInstitutionが出現するのは初めてだったが、結構なボーナスを得られた。
そしてこのInstitionを受容できると商人が追加されるため、一刻も早く受容したいところである。
しかし、このInstitionはおそらく北ドイツで生まれるだろうな、と思っていたので、それを得るために低地地方に侵攻しようと思っていた矢先だったので驚いた。
しかし低地地方への侵攻自体はやめるつもりはない。
1603年5月4日。
エノー伯に宣戦布告。
皇帝オーストリアと小国どもがついてくるが敵ではない。
と、思っていたのだが・・・
よく開戦時画面を見直してみるとオーストリアにチェックついているね確かに。
皇帝参戦の場合は必ずそうなるの?チェック外せるの??
いずれにせよちょっとしたピンチだ、これは。
ということで頼れるコモンウェルス兄貴に救援を要請。
2つ返事でOKくれる。
さすが!
その頃長年の同盟国であるスペインはモロッコやチュニスと戦争中でそれどころではないようだ。
仕方ない、こっちがポルトガルをいじめ過ぎたせいでグラナダとか復活してしまっていたからね・・・。
戦争は思いのほか順調に進んでいたのだが、勇んでイングランド上陸しようとしたら間違えて4万の反乱軍が占領するプロヴィンスに上陸作戦をしかけており、こちらの兵隊が3万規模で消失するアクシデントが。
その隙を狙って敵陣営が北東フランスに攻勢を仕掛けてくるものだから、大急ぎで傭兵をかき集めて反撃に出る。
1605年7月1日。メスの戦い。
ハンガリーの遠征軍3万2千に対抗するは寄せ集めの傭兵まじり軍隊2万4千。
しかしこれでも勝ってしまうのがフランスの強さ。
直前に士気向上効果を持つ軍事顧問を雇用したのも良かった。
また、この戦いの直後に、スペインが参戦要求に応えてくれるようになる。
まさにギリギリ。
だが、このおかげで、当初はギリギリで負けていたくらいの軍量の差を、2倍以上にまで広げることができた。
陸軍だけ比較すると約23万vs約11万である。
ちなみにそれは上の数字なのだが、戦勝点バーの下にある数字はなんだろう。死者数か?
この調子なら、問題なく勝利できそうだ、と喜んでいる最中・・・
まさかの皇太子病気イベント。
祈る気持ちで上の選択肢を選び、皇太子の生存を願うも・・・
世の中そんなに甘くない。
能力値合計14の神の子が、いとも簡単に昇天してしまった。
悲しんでばかりはいられない。
1606年1月16日。
ナミュールに攻め込んできた敵同盟軍4万6千に対し、フランス単独軍3万5千でもって迎え撃つ。
神の子ルイの弔い合戦である!
問題なく勝利。
その後は大した侵略軍もなく、オーストリア、ハンガリーの領土を次々と占領していき、
1606年4月と1607年1月に、それぞれオーストリアとハンガリーと講和した。
輸送船が十分でなかったために本土上陸作戦を展開することはできなかったイングランドとも、8月に講和。
そして年が明けた1609年1月30日。
ついに、欧州の大国を大きく巻き込んだ、6年にも及ぶ大戦は幕を閉じた。
今回の戦後報告書は以下の通り。
戦死者数はほぼ互角。
共に20万規模の戦死者を叩き出した。
とはいえ、こちらはイングランド上陸の際にかなりの数(6万近く・・・)を無駄に犠牲にしてしまった。
だがまあ、終戦直前に敵同盟国のリガ・ハンブルク・ブレーメンからかなりの量の賠償金を獲得していたのと、戦争が終わってもなお9万近いマンパワーが残っていたため、早速傭兵を全解雇したのち、正規軍を上限ギリギリまで雇用する。
また、今回の戦勝時にルクセンブルクとエノー伯領を共に属国化したこともあって、世界中から嫌われてまた大包囲網を組まれてしまった。
ヨーロッパをぐるりと取り囲むようにして完成したフランス同盟連合。もちろんすべてカトリックだ。
このあとは、包囲網を解除したのちに、エノーとルクセンブルクを併合し、そしてその先のネーデルラントを狙おう。
なお、その頃の東欧。
ボスニア王国が勢力拡大。
ハンガリー王国が弱体化している。主にフランスのせいだけど。
第9回につづく。