イヴァン4世(Ivan IV)。史実では「雷帝」と呼ばれ、残虐さで知られた。この世界ではイヴァン3世の息子として成人。
1461年に生まれ、1485年に24歳で即位した。
能力値は5/2/1。性格は「執拗な完璧主義者(Obsessive Perfectionist)」と、史実の雷帝らしい性格ではある。建築物生産コスト増という、悪い性格ではあるけれど。
(ちなみにのちに得られる追加の性格もLoose Lipsという、酷い性格である)
史実においては、アストラハン国やカザン=ハン国を始めとしたタタール諸部族を併合し、東方に勢力を拡大。
一方で西方では、リヴォニア戦争の長期化と失敗により国内を大きく疲弊させてしまったという。
国内政治ではツァーリズムの源流となる専制的な政治を行い、大貴族の権力の抑制に努めたが、結果として粛清や恐怖政治も横行し、のちに「雷帝」の名を与えられるほどに恐れられたという。
この第3回では、この史実に少しでも沿うような形で、西方への拡大とタタール諸国の平定を目指す。
また、「ツァーリ」になること——すなわち、ロシアの成立を目指したい。
今回のプレイレポの目標:ランキング1位になること
現状のランキング:5位(前回9位)
↓前回はこちら↓
リヴォニア戦争
イヴァン雷帝の失政の一つは、「リヴォニア戦争」の失敗にあるという。
これは1558年、ときのモスクワ大公イヴァン4世が、バルト海への進出を目論んでリヴォニア帯剣騎士団に宣戦布告して始まった戦争である。
初期の戦争こそモスクワ優位に進むものの、やがてスウェーデンやポーランド=リトアニア連合の介入を受けたモスクワは敗戦を重ねていくことになる。
結果、大公国の国力は一気に疲弊し、その復活はのちのロマノフ王朝の登場を待たねばならなくなったというが・・・。
イヴァンの敗北のきっかけは、多数の同盟関係の中に巻き込まれてしまったがゆえである。
このプレイレポでは、歴史に反逆してみせる。
1493年10月21日。リヴォニア帯剣騎士団(Livonian Order)に宣戦布告!
リヴォニア帯剣騎士団は、直前にブランデンブルクとポーランドの同盟軍によって、ドイツ騎士団ともどもボロボロにされていた。
よって、同盟国もリガしかいない状態。これは好機である!
当然、何の問題もなく1年後には講和を結び、ナルヴァ(Narva)を直接併合。
さらに奪った3州を種にしてリヴォニア公国(Livonia)を属国設立した。
史実と違い、この世界でのリヴォニア戦争はイヴァンの大勝に終わった。
気をよくした彼は、さらなる攻勢に出ることに決める。
お、リトアニアに宣戦布告すると、ポーランド以外は救援に駆けつけてこないじゃん!
これは行くしかないでしょ!
こうして、イヴァン雷帝は、史実通りの泥沼へと沈み込んでいく・・・
第1次モスクワ・リトアニア戦争
1496年春。
早速、モスクワ・リトアニア国境のルーシ人居住地域であるポロツク(Polotsk, リトアニア語ではPolockas)およびスモレンスクに侵攻。
ルーシの民の解放を目指すぞ!
って、あれ?
あーーーー!!
リトアニア軍との戦いではギリギリ勝てた・・・。
慌てて戦力図を確認。
戦力差は6万vs6万の、ほぼ互角。
完全に油断していた。
どうせポーランドとリトアニアでは束になってもモスクワに勝てないだろう、と台帳(Ledger)も見ずに適当に侵攻を決めてしまった。
しかも軍事レベルも、彼らよりも1段階下という状態で・・・
とんでもない。
たとえ同盟国がいなくとも、やはり近世初期のポーランド=リトアニアは強力だった・・・!
はっきりと目が覚めた。
こうなっては、全力で戦う必要がある。
幸いにも、マンパワー・資金ともに潤沢。
総力を挙げれば勝てないことはない!
まずは、一戦終えた兵団では、兵の統合(Consolidate Regiments)を行う。
これをしないとマンパワーが一瞬のうちに消滅してしまう。
さらに、失った兵の実数を補うべく、ついにストレリツィを招集する!
マンパワー・資金の消費なしに、ストレリツィ・ユニットを陸軍保有限界の20%分、ただちに首都に召喚する能力だ。
現在の陸軍保有限界は52なので、合計で10ユニットのストレリツィが召喚される。
ストレリツィは、招集時にコストを必要としないこと、射撃ダメージに10%のボーナスを持つこと、そして存在している間は安定度上昇コストが高まること以外は、傭兵ではなく正規兵と同じ特性を持つ。
今の時代はまだ射撃のボーナスが意味をなさないので、基本的には「招集時安い」だけのユニットである。なお、招集直後は士気が0の状態なので注意。即戦線投入することはできない。
あと、グラフィックは特に変化なしなのね。
あと足りない分は傭兵の大量雇用で賄う。
2番目のアイディアとして「量」を採用しており、その中の1つの効果で傭兵雇用上限数を押し上げているため、44連隊まで傭兵を雇用可能だ。
こちらの資金は2700。通常時の月間収入は陸軍維持費最大で11ドゥカート。マンパワーは28000ある。
ポーランド=リトアニア連合はマンパワーは合計で33000だが、資金は合計でも250ちょっとしかない。
とにかく、大量の金を消費して、ひたすらゾンビ兵で押しまくるしかない!
どうせそのために集めた金だ。使って使って使いまくれ!
1497年春。ポロツクでのリベンジ戦。勝利。
同じく1497年の夏。ポロツクでさらなる勝利。ここは激戦区である。
基本、相手の2倍の兵力でぶちのめせている。これなら負けることはない(フラグ)
言ってるそばから、あー!
なんとかギリギリで勝利。
敵の2倍の損害を出しているが気にしない。
すぐに傭兵を再招集し、兵の不足を補充。
開戦から2年目にして傭兵維持コストが12.5ドゥカートまで膨れ上がっているが、いまだに収支は黒字。
マンパワーも、主力となりリトアニアとポーランドはもはや虫の息といったところ。
なんとか、持ちこたえたようだ。
これ以上、無駄に長引かせても益はないので、1498年8月27日。
リトアニアと講和を結ぶ。
こちらの要求は、ポロツクとスモレンスクAreaのヴァジマ(Vyazma)の割譲のみ。
この2州はそれぞれ、ポロツク公国とスモレンスク公国の種となる州であり、ここだけ奪っておいて次回の戦争の際には彼らのコア州回復を目論みる、というわけだ。
大量の金を費やした戦争にしては、実入りが少ないという思いはあるものの、大事なのはリトアニア征服に向けた重要な橋頭保を確保できた、ということだ。
次回は準備万端で臨むぞ!
第1次露土戦争
ポーランド=リトアニア連合との戦争の後、イヴァン雷帝は間髪入れずにノヴゴロドとの4度目の戦争、そしてカザン=ハン国との2度目の戦争に赴く。
目的は彼らの領土はもちろんだが、大量に抱え込んだ傭兵とストレリツィの「消費」にあった。敵主力に彼らだけで突っ込ませ、戦闘後に「統合」することで、無駄なくその量を減らしていく。
傭兵は戦争の後、わざと遠方に送り込んで自滅するのを待つ、というのは史実においてもよく使われた手法である。
そんなこんなで1502年には、ノヴゴロドの完全併合と、カザン=ハンの半分以上の制圧を終えた。
そして随分と巨大化したリャザン公国も、いよいよ併合を行うことにする。
そのあとはこちらも巨大化させているアストラハン=ハン国の併合も行って・・・
と、思っていたそのとき。
おおう!?
おおおう!!??
つまり、アストラハン=ハン国がオスマン帝国を味方につけてこちらに独立戦争を挑んできたのだ!
こちらには一応、同盟国のボヘミアがいるが・・・それでも互角、いやそれ以下。
いつかは戦わなければならないと思っていた相手ではあるが・・・まさかこのタイミングでそれが来るとは。
とりあえず、やるしかない。
・・・・・・
・・・
ん? あれ?
開戦から1年近くが経とうとしているが、オスマンが攻め込んでくる気配がない。
同盟国ボヘミアの方を確認しても、とくに戦闘があるわけではなさそう。
・・・どうやら、オスマンは支援はすると言ったが、口先だけだったようだ。
それにまんまと乗せられ、無謀な賭けに出たアストラハンが馬鹿を見ただけだった。
可哀そうだが、同情はしない。1505年4月7日。結局、オスマンとは一戦も交えぬままに、アストラハンと講和。
独立保証を外すためには、「オスマンとの関係を断絶させる」を選ばなくてはならないのかな? それに必要な戦勝点まで貯めるのに時間がかかった。
予定通り、カザン=ハン国の併合を開始。
そして、それが完了したあとはアストラハン=ハン国の併合も開始した。
第2次モスクワ・リトアニア戦争とリヴォニア帯剣騎士団の消滅
1510年7月22日。
今度は軍事レベルも敵方と同等の9にまで上げ、「聖ミカエルのイコン」も設定しなおし、準備を万端にした。
CBはスモレンスク公国のコア回収に設定。
落ち着いて、被害を最小限にする戦い方を行っていく。
要塞占領舞台と、その周辺、すぐ駆けつけられる位置に後詰を設定。
少兵の舞台に誘われてのこのことやってきた敵主力を、後詰で包囲して殲滅。
この辺りは、常に俯瞰図で戦場の様子を見られるプレイヤー側のある意味チートである。
開戦から2年後にはリトアニアの大半を占領する状態にまで侵攻。
ちょっと早いが、この辺りで講和を結ぶことにする。
スモレンスク公国のコアを全回収し、さらにはシヴェーリア公国(Severia)をあらたに属国設立。
次の戦争への伏線を用意しておく。
そして、間髪入れずにリヴォニア帯剣騎士団に再度の宣戦布告。
2年後には、リヴォニア帯剣騎士団を消滅させた。
そして1517年1月21日。
イヴァン4世は32年間の治世を終えた。
56歳という、モスクワ大公としては長生きをした方であった。
史実同様、西方戦線においてはやや苦戦してしまったものの、なんとかポーランド=リトアニアに対して優位を保てるようにはなった。
また、カザン=ハン国の滅亡とツァーリへの就任が間に合わなかったのが心残りではあったが、それは次代に任せることとしよう。
次代はアンドレイ4世。イヴァン大帝に匹敵する能力の持ち主である。
彼のもとで偉大なるロシア帝国は産声を上げることになるだろう。
第4回に続く。
※1517年までの経済推移※
生産収入が大幅に増えているのは、毛皮の商品価格を35%増加させる "Felt Hats" のイベントが起きたから。1600年までに発生するようなので、こんなに早く発生したのは運が良かったのかな。毛皮はボーナスをもらえるくらいにシェア率が高いので大儲けしている。
毛皮は最終的には価格が2倍にまで吊り上がるのでなかなかいい資源である。