西暦800年に生まれ、1806年に息の根を止められた「神聖ローマ帝国」。それは半世紀の時を経て再び1870年に蘇ったものの、議会導入を求める急進主義者たちの台頭により、早くも危機に瀕してしまっていた。 帝国宰相オットー・フォン・ビスマルクと閣僚たちは…
神聖ローマ帝国。 それは1806年にナポレオンによって敗北せしめられた皇帝フランツ2世によって終焉が宣言され、1000年以上の歴史に幕を閉じることとなった過去の遺物であった。 だが、オーストリア帝国と名を変えたハプスブルクの帝国は、なおもこの普遍の帝…
一度失われた神聖ローマ帝国の栄光を再び求め、その復活を目指すオーストリア帝国宰相フィケルモントと陸軍大臣ルートヴィヒ大公。 そんな彼らの前に立ちはだかるのが、宿敵プロイセン王国。彼らは1845年7月11日、英露を味方につけた上でオーストリアに宣戦…
神聖ローマ帝国。 全フランクの王、シャルルマーニュが西暦800年にローマで戴冠したことを原初とし、以後1,000年にわたり西欧に君臨し続けた巨大なる帝国。 ローマでありながらローマでなく、統一国家ですらなく、神聖ですらなかった中世の遺物、異形の怪物…
天正6年(1578年)7月21日。織田信長、遠行。本能寺にて休まれている間に、何者かにより襲撃され、身柄不明に。 この混乱の中、織田家の実権を巡り、その筆頭勢力であった明智光秀と羽柴秀吉が全面対決。柴田を味方につけた明智方優位に進むも、天正9年(158…
明智家。 清和源氏土岐氏の流れを汲むとされるこの一族は、美濃国の斎藤家内紛に巻き込まれ滅亡間際に追いやられるも、そこから逃れた光秀なる男がのちに天下人・織田信長の側近となったことで歴史の表舞台へと登場する。 その出自においては不明な所の多い…
永禄3年(1560年)の桶狭間の戦い以降、破竹の勢いで勢力を伸ばしていた尾張の大名・織田信長は、天正6年(1578年)7月21日に起きた本能寺焼失事件にてその消息を絶った。 以後、織田家はその嫡男・信忠を新たな当主に据えるも、有力家臣たる明智光秀・羽柴…