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【Victoria3 AAR/プレイレポート】神聖ローマ帝国の復活② 諸民族の春/帝国の復活(1853-1870)

 

一度失われた神聖ローマ帝国の栄光を再び求め、その復活を目指すオーストリア帝国宰相フィケルモントと陸軍大臣ルートヴィヒ大公

そんな彼らの前に立ちはだかるのが、宿敵プロイセン王国。彼らは1845年7月11日、英露を味方につけた上でオーストリアに宣戦布告した。

開戦早々に同盟国フランスが革命で脱落するなど、危機に瀕したオーストリア帝国だったが、英雄ヨーゼフ・ラデツキーや神速の侵攻戦を見せるラヴァル・ヌゲント・フォン・ヴェストミースらの活躍により、激しい攻防戦の末に1852年7月6日、オーストリア側の要求を全て認めさせる形での「プラハ条約」を締結。

普墺国境の重要拠点シュレジエンを獲得し、ドイツ統一の主導者がオーストリアを置いて他にないということを全ドイツ諸侯に認めさせることに成功したのである。

 

そしてここからが本当の戦い。

「帝国の復活」に向けた、新たな戦いが幕を開ける。

 

Ver.1.5.13(Chimarrao)

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目次

 

前回はこちらから

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第四話 シュレースヴィヒ=ホルシュタイン戦争

1853年1月15日。

神聖ローマ帝国最後の皇帝フランツ2世の子であり、第二代オーストリア帝国皇帝であったフェルディナント1世が60歳で崩御。

子を成すことのできなかったフェルディナントの後継は、弟のフランツ・カール大公の嫡男フランツ・ヨーゼフと早くに決まっており、すでにフェルディナント存命中から病弱な伯父に代わり政務を経験し始めていた彼は、22歳と若年ながらも堂々たる姿で見事な即位を果たしてみせた。

とは言え、幼少期より帝国宰相のフィケルモントと行動を共にすることの多かった彼は、フィケルモントやルートヴィヒ大公を始めとする改革派軍人の影響を色濃く受けており、実質的な政治の実権は引き続き彼らが握ることとなった。

そして、1853年春。

彼ら改革派が後ろ盾とする実業家集団の意向を受け、オーストリア帝国はニジェール・デルタ植民地に隣接する先住民国家ベニンに対し、その従属を要求した。

 

「――やれやれ。先の大戦からまだ1年も経っていないというのに、もうこうして遠くアフリカの地に飛ばされるとはな。人遣いの荒い大臣だ」

陸軍大臣を務めるルートヴィヒ大公の指示を受け、ニジェール・デルタ植民地へと派遣されたヴェストミース元帥は、同じく派遣された将校たちを相手に愚痴をこぼしていた。

「そもそも、たかがアフリカ人たちを相手に、これだけの兵が本当に必要なのか? 一体大臣は何を考えているのか――」

元帥の言葉は、部屋の扉をノックする音によってかき消された。

「元帥、ベニンとの国境線の向こうに、西欧のものと思われる兵の姿を確認。どうやら、デンマーク軍のようです」

「――ほう?」

元帥は愉快げに口元を歪めた。

「成程、デンマークか。大臣はこれを読んでいたのか? 確かに、かの地の支配権を握る彼らをアフリカの地に引きずり込むことは、理に適った戦略ではある。ふん・・・意図したものだとしたら、恐ろしいな、我らが宰相は」

 

「――予想通り、介入してきたな」

「ああ。奴らがニジェールに興味を持っていることは知っていた。そして、先の七年戦争の末に『疲弊しているはず』の我々が、アフリカの植民地紛争に大軍を動員するなどとは、思ってもいないのだろう。ましてや、陸路では繋がっていないユトランド半島に、我らが反撃の軍を出すなどとは。

 奴らの軍部が嬉々としてこの参戦を決定し、国王に進言したであろうその瞬間の喜色満面の笑みが容易に思い浮かべられる」

フィケルモントの言葉に、ルートヴィヒ大公は苦笑する。

「そういうフィケルモント、君も似たような笑みを浮かべているではないか。亡きラデツキー元帥の言葉を思い出せ。油断するな、と」

「ああ。だからニジェールには十分な兵を送り込んだ。想定と異なるこの事態に、デンマーク軍も慌てて追加の兵を用意することだろう。彼らには、『善戦』してもらわねばならぬ」

「ヴェストミース元帥の軍には、言われた通り徹底した待機と防戦の指示を出している。やろうと思えばすぐにベニン全土を平定できるとは思うが」

「ああ、それで良い。デンマーク軍の全てを引き付けた上で――バンディエラ提督とヘス大将に、動いてもらう」

 

 

1853年9月5日。

オーストリア領ニジェール・デルタ植民地を舞台とし、オーストリア軍とデンマーク軍が激突する「ニジェール戦争」が開幕する。

本国から遠征してきたデンマーク王国軍・シュレースヴィヒ=ホルシュタイン両公国軍はニジェールのオーストリア軍と対峙するが、双方共に積極的な動きは見せず、早くも戦線は停滞する。

その隙に――も抜けの空となったデンマーク本国南部、シュレースヴィヒ=ホルシュタインの地に、オーストリア海軍の姿が現れた。

 

「随分と無茶な要求をする。だが、確かに言われた通り、敵の姿はほぼないな」

オーストリア・ヴェネツィア海軍のフランツ・フォン・バンディエラ提督の言葉に、陸部隊を指揮するイタリア方面軍総司令官ハインリヒ・フォン・ヘス大将は応える。

「ああ。海の上ですらその通りで、陸においては最低限の守備隊の姿さえ、ないのではないか?」

「先の大戦に比べれば、随分と楽な仕事になりそうだな」

と、笑いながらヘス大将は続けた。バンディエラ提督も頷く。

「――だといいが。さあ、船を近づけるぞ! しっかりと捕まっていろ!」

 

1853年12月末。

ほとんど妨害のないまま、バンディエラ提督率いるヴェネツィア海軍はデンマークの南方に位置するホルシュタインにヘス大将らイタリア方面軍2万5千を上陸させる。

海の上以上に障害のないこの地をヘス大将は瞬く間に蹂躙し、制圧。そのまま北のシュレースヴィヒ全土も征服下に置いたのである。

デンマーク政府はもちろん慌ててアフリカの遠征軍を呼び戻そうとするも、そこでそれまで消極的だったオーストリア軍が一気に活性化。撤退しようとするデンマーク軍を脅かし、さらにはベニン全土を一気に平定することとなった。

もはや成す術もなく、デンマーク政府は翌年6月27日に降伏。

ベニン全土をニジェール植民地に併合したほか、300年以上にわたりデンマーク王国の「同君連合」として隷属していたシュレースヴィヒ・ホルシュタイン両公国をデンマークから「独立」させることに成功したのである。

 

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「実に見事でしたな、フィケルモント殿。ドイツ民族の長年の懸案であったホルシュタインの解放。やはり、ハプスブルク家こそが、ドイツ統一の指導者に相応しい」

ニジェール戦争勝利の祝賀会に列席していたバイエルン王ルートヴィヒ1世は、腰を低くしてひたすらにおべっかを述べ続けていた。

「此度の実績を受け、我々バイエルンも国民一同、貴国の傘下に入ることを決断致しました。何卒これより、共に伝統ある『帝国』の復活へと進みましょう」

前回の普墺戦争での勝利、そしてシュレースヴィヒ=ホルシュタイン問題の解決により、南ドイツ統一の条件が揃った。

 

バイエルン王国のみならず、ヴュルテンベルク王国バーデン大公国といった、南ドイツ諸邦は次々とオーストリア帝国への「編入」を決めていった。これは旧来の「緩やかな国家連合」としてのドイツ連邦の単なる再確認に留まらず、かつて確かに(ある意味ではウェストファリア条約以前において)存在していた「神聖ローマ帝国」の復活、即ち、ハプスブルク家の皇帝の名の下に統治される連邦国家の復活の礎となる出来事であった。

同じタイミングで実績「ハプスブルクの再興」も達成。


これで、オーストリアは「帝国」の復活へとさらに近づくこととなった。

だが、その前に、国内の「問題」を解決する必要にもまた、迫られていた――。

 

 

第五話 諸民族の春 Spring of Nations

北イタリア独立戦争とルートヴィヒ大公の漸進的改革

フランス革命とナポレオンによってヨーロッパ中にばら蒔かれた自由主義の理念は、ウィーン体制によって一時期の抑圧を被るものの、19世紀前半の50年を経て再びその力を取り戻し、やがて欧州全体を覆う民族主義の高まりともリンクし、大きなうねりを作り出しつつあった。

ある意味で、オーストリア帝国によるドイツ統一運動は、そのナショナリズムの高まりを後押しする結果にもなっていた。

フィケルモントもルートヴィヒ大公もそれは気づきつつも見て見ぬふりをしていたが、ついに1856年6月19日。それは最悪な形でオーストリア自身に牙を剥くこととなった。

すなわち、北イタリアにおける帝国からの独立を求めた武力蜂起である。

 

「――話は聞いているぞ、ルートヴィヒ・・・さらに、サルデーニャ王国がこのサン・マルコ共和国側について参戦を決めたということも、な・・・」

「いつまでもこんなところにいるべきではない・・・お前が陸軍大臣として先頭に立ち、指揮を執らねば・・・」

「ああ、分かっている」

ルートヴィヒ大公は応えながら、目の前の友の変わり果てた姿を呆然と見つめていた。

カール・ルートヴィヒ・フォン・フィケルモント。神聖ローマ帝国崩壊後のハプスブルク家を、メッテルニヒと共に支え続けてきた男。その80年にわたる生涯が、今幕を閉じようとしていた。

「行け、ルートヴィヒ・・・」

これが最後になるであろうフィケルモントとの会話を、ルートヴィヒは沈黙で切り上げた。立ち上がり、踵を返し、そして部屋を出るその間際、一言だけ呟いた。

「さよならだ、フィケルモント。帝国は、必ずや復活させてみせる」

 

戦い自体は、何も問題ではなかった。

所詮は北イタリアの小国が2つ。今や欧州随一の国家へと成長を遂げたオーストリア帝国にとっては何ら障害にもなり得なかった。

1857年5月16日にはサルデーニャ王国も早くも降伏。

後ろ盾を失ったサン・マルコ共和国も抵抗を続けられるはずもなく、間もなくして北イタリアは平穏を取り戻すこととなった。

 

とは言え、根本的な問題の解決が図られたわけではない。

中世的な帝国の形態を維持し続けてきた神聖ローマ帝国とその後継者オーストリア帝国においては、民族問題というのは常に内部に抱えた込んだ時限爆弾のようなものであり、全人口の3割程度しかいない南北ドイツ人「以外のすべての民族」が差別されているという歪んだ統治体制はすでに限界が来ていることをルートヴィヒ大公も痛感していた。

ゆえに、この分野における改革も必要不可欠であったのだが、未だ帝国の半分近い影響力を保持している貴族階級が、これを決して許そうとはしない。

オーストリア貴族階級が固有で保持している特殊イデオロギー。南北ドイツ人以外の差別を撤廃しようとする動きに対し強硬な反対姿勢を見せる。

 

よって、フィケルモントに代わり新たな帝国宰相となったルートヴィヒは、彼らの力を削り取るための改革に着手することとなる。

その第一手として、貴族が利権を持っている地方警察の制度を廃し、専門的な警察機構を整備する改革を断行。

当然、貴族階級たちからの反発は根強くあったが、技師出身の運動家グスタフ・マーグライターの力も借り、これを促進。

さらにはルートヴィヒ大公とその影響下にある軍部の有力者たちによる「裏取引」を積極的に行い、貴族勢力の中にも少しずつ支持者を増やしていくこととなった。

汚職は政権を運営する貴族階級たちによって露見したが、露見した勢力もまた同様に取り込み、改革をさらに前進させることとなった。

 

かくして1859年4月には無事、新法案が制定。

多少なりとも、貴族階級の勢力を減衰させることには成功した。

続いてルートヴィヒは、貴族に課税免除を廃し、彼らからも税を徴収することで、下層階級たちの税負担を緩和させるための税制改革にも着手。

 

ルートヴィヒは少しずつ、国家の安定を維持したまま貴族の権利を解体し、国民全体の不満を緩和させる漸進的改革を進めようとしていた。

しかし、そのような猶予はもはやあまり残されてはいなかった。すでに国内には1,000万人を超える「急進派」が現れており、その勢いはある一点に向かって収束しようとしていた。

すなわち、「革命」への動きである。

 

 

諸民族の春

1859年頃から徐々に拡大を始めていた知識人・カトリック教会を中心としたその「人種差別撤廃」を求める急進的運動は、帝国第二の都市プラハを中心に今や帝国全土にまで広がり、危険な水準へと達しつつあった。

その中心に立ったのは、童話作家として名を馳せ、ベルリンの大学でも教鞭をとっていたヴィルヘルム・グリム

彼は1860年にフランクフルトで開かれた「ドイツ国民会議」にも出席し、南北ドイツの統一と合わせ、「『ドイツ地域』に住むすべての民族が共に平等に扱われ、真の意味での統一が図られること」を強く主張。

この会議で最終的に採択されることとなる「統一ドイツ憲法草案」の中にもこの文言が盛り込まれることが決まり、「多民族統一ドイツ」の中心的存在としてみなされ、オーストリア帝国内でも大きな影響を及ぼすこととなった。

 

最初、ルートヴィヒはこの運動に対する徹底的な抑圧を基本方針としていた。

グリムの主張に賛同し、これを広めようとする冊子の発行を行っていた教会付の出版社に対してはその活動を強制停止。

ウィーン市内で大規模なデモ行進が行われ始めれば、即座に警察部隊を配置してこれを抑圧する動きを行っていった。

だが、このルートヴィヒ大公の動きに反発し、オーストリア帝国内のあらゆる作家や芸術家・大学教授たちが一斉に辞職・ストライキを起こすなど、社会的不安はより一層高まりを見せていく。

最終的にこの急進的運動家たちが――しかも、かつて専門的な警察機構制定のためにルートヴィヒ自身が味方に引き入れたはずの運動家マーグライターが中心となって――皇帝陛下の命を狙う暗殺未遂事件が発生した段になり、いよいよルートヴィヒも限界を覚え始めていた。

そんな中、1862年6月17日に税制改革法案が成立。

これで更なる貴族階級の抑圧が成されたと判断したルートヴィヒは、ついにその改革に着手することとなる。

これまで純粋なドイツ人にのみ十分な権利を認めてきた帝国臣民法を改正し、広く帝国の民に権利と自由を求める大改革。

もちろんこれは、新たなる――そしてより危険な――動きを呼び起こすものとなる。

 

 

独りの海軍将校が、辺りを注意深く見回しながら、その部屋の前に立った。

小さく数回ノックし、中から聞こえてきた返答に応じて扉を開ける。

その先に座る老人の姿を認めた将校は、背筋を伸ばし口を開いた。

「――叔父上、お待たせ致しました」

「ああ・・・よくぞ来てくれた、フリードリヒよ」

部屋の主、ルートヴィヒ大公は皺だらけになったその口元を柔和に開き、来訪者――ルートヴィヒの甥にあたるフリードリヒ大公――を出迎えた。

「儂ももう長くはない・・・しかし、今この目の前の改革を何としてでも断行せねばならない。他の貴族連中はこれを帝国の崩壊を招くものだと悪し様に喧伝するが、そうではない。ハプスブルク家の帝国を永遠のものとし、そして偉大なるローマの帝国を真に復活させるためにこそ、この帝国の在り方に対する果敢な変革は、もたらされねばならぬ」

「ええ、分かります、叔父上。私たちは叔父上の意志を継ぎ、改革の先頭に立つ準備ができております」

「私だけでなく、私が総司令官として任命されている帝国ヴェネツィア海軍内の将校たちの中においても、すでにその支持者は多数派となっております。彼らも大半はドイツ人ですが、生活の多くを共にするイタリア人やスロベニア人たちには同情的であり、彼らが真に同胞として帝国の海を守る未来を、強く願っております」

「その通りだ」

と、フリードリヒ大公の言葉にルートヴィヒは頷く。

「我々はやがて、プロイセンそしてフランスとも決戦を迎えねばならない。その時に向けて、帝国内で対立を抱えたままでは決して望ましい結果は生まれえぬ。10年前のあの地獄の七年戦争を繰り返さないためにも――」

咳き込むルートヴィヒ。フリードリヒはすぐさま駆け寄り、その身体を支える。

「叔父上。我々にお任せ下さい。必ずや叔父上の意志は引き継ぎます。そしてそれは、叔父上の盟友であったフィケルモント閣下や、メッテルニヒ閣下の遺志をも継ぐことであることは理解しております。そして皇帝陛下とハプスブルク家の栄光を永遠のものとする、そのお約束を」

「――そうか・・・分かった、ありがとう。

 必ずやこの手で、という思いでここまでやってきた。多くの仲間たちの意志を引き継ぎながら、ここまで来たのだから・・・だが、間に合わないかもしれぬという段になって、強い不安を抱き続けてきたこの10年であったが、最後にこうして、お前と出会えて幸せだった・・・

 帝国を、頼むぞ、フリードリヒ」

ルートヴィヒの言葉に、フリードリヒ大公は力強く頷く。

 

そして、メッテルニヒ、ラデツキー、フィケルモントに続き、また一人、帝国の偉大なる存在が天に召されることとなった。

それでも、改革は続く。

帝国を真の永遠なるものへと昇華させるためのその改革は――。

 

 

「――あの若輩者が、随分とのさばっているようだな」

「ああ、せっかくルートヴィヒ大公がいなくなったというのに、厄介極まりない。全く、皇族様は、我々貴族がいかにこの帝国を支えてきたのかを理解していないようだな」

「幸いにも、ルートヴィヒ大公の後を継ぎ新たな帝国宰相となったバンディエラ閣下は、我々の味方をしてくれている」

「閣下も先は長くはないだろうが、今のうちにしっかりと、この悪しき改正案を廃案にしなければな――」

男の言葉が終わりきる前に、部屋の外から何やら騒々しい物音と叫び声が聞こえてきた。何事かと男たちの視界が集まった先の扉が乱暴に押し開けられると、そこから物々しい装備を身につけた屈強な兵士たちがぞろぞろと入り込んできた。

「警察だ! 全員大人しく席に着け! 少しでも怪しい動きを見せれば容赦はしない! 貴様らが帝都の騒乱の首謀者だという証拠はすでに集まっているのだからな!」

 

「――ご協力、感謝致します、ハフナー将軍」

フリードリヒの言葉に、バルカン半島方面軍総司令官のクリスティアン・フォン・ハフナー大将は頷く。

「・・・仲間たちを裏切ることに抵抗はあったが、私もフィケルモント中将やルートヴィヒ大臣のことは尊敬していた。彼らが蘇らせようとしていた栄光の帝国への道が再び埋められてしまう可能性があるのであれば、私もまた彼らの信念と共に、戦う必要があると思ったのだ」

「――ええ、ありがとうございます。先日の急進派貴族の一斉逮捕、そして今回の将軍の助力により、反乱の芽は大きく抑えることができました。あとは改正法案の成立を急ぐのみです」

 

なんとかギリギリで武力蜂起への勢いを抑え込みつつ、1863年9月8日に帝国臣民法の改正が実現。帝国に住むドイツ人以外の権利が平等に認められることとなった。

さらに、フリードリヒは自身の元上官でもある帝国宰相バンディエラを説得し、とある提案を皇帝陛下に奏上することを求めたのである。

 

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「――フリードリヒ、久方ぶりだな」

にこやかな笑顔でフリードリヒを出迎える皇帝フランツ・ヨーゼフ。従伯父と従甥の関係ではあるものの、比較的年齢は近く、フランツ・ヨーゼフが即位する前などは、フリードリヒもよく一緒に遊んであげていたりもしていた間柄であった。

「先日の暗殺未遂事件以来、公の場に出られることは控えられておりましたからな。その後は何事もありませんか?」

「ああ、何とか。そなたの尽力もあり、帝国内の混乱も随分と抑えられたと聞く。感謝するぞ」

「いえ、滅相も御座いません。逆に古い貴族の方々には受け入れづらい改革の数々を強いることとなり、申し訳なく思っております」

「ハハハ、バンディエラ殿もかなり困っていたようだが、最後は余の一存で押し通した。古くからの慣習も重要だが、ある程度の改革を進めなければ、帝国の存続も危ういというのは、余もフィケルモント殿やルートヴィヒから散々聞かされてきたからな」

笑う皇帝の姿を見て、フリードリヒも意を決し進言する。

「陛下」

フリードリヒの改まった様子に気が付き、皇帝も真剣な表情を見せる。

「陛下、此度の臣民法の改正により、国内の混乱は一定の落ち着きを得られる見通しが立っております。ですがこれをこのまま放置していても、またやがて民族主義の高まりと共に、分離独立の動きが巻き起こりかねません。

 その先鋭に位置するのが、我が国でドイツ人に次ぐ多数派を占めるハンガリー人たちです。先達ての暗殺未遂事件も、彼らが手を回していたとも言います」

「何と・・・」

絶句する皇帝。

「今、臣民法の改正により彼らの態度は軟化しております。これを機に、彼らを正当に帝国の一部であると宣言すべきです。『オーストリア』の一部に彼らハンガリーがあることを、改めてここではっきりとさせるべきです。それこそが、我らにとっても彼らにとっても『アウグスライヒ(妥協)』となるでしょう」

 

1863年10月。

先の臣民法改正に続き、皇帝フランツ・ヨーゼフ1世は、オーストリアとハンガリーの王冠を共にハプスブルク家の皇帝が冠していることを改めて宣言し、両国は従属関係ではなく対等な「二重君主国」であることが宣言された。

これによって新たにハンガリー人貴族たちも正式な貴族の一員として帝国運営に加わるようになり、結果として臣民改正法に批判的だった勢力を貴族全体から追いやることに成功したのである。

文化的排斥に強く反対する「オーストリアの覇権主義者」イデオロギーが消滅。支持度が-20近くあったものが一気に緩和されることとなった。


「もはや、我々はオーストリアではありません」

フリードリヒの言葉に、フランツ・ヨーゼフは頷く。

「また、ドイツという名称も正しくはないでしょう。

 我々は再び、『神聖ローマ帝国』の名を取り戻すべきなのです。それは、単なるドイツ語を話す人々の集まりというだけでなく、このドイツ地域、あるいはその周辺に至る、欧州全域を統括する『欧州帝国』を意味します。それは単なるナショナリズムを超えた存在となることでしょう」

この「中央ヨーロッパ」を目指していく。


「うむ・・・だがその為にはまずは、ドイツの統一を成し遂げねばな」

「ええ。そしてその為には・・・我ら固有の領土、エルザス=ロートリンゲン地域を領有するフランスとも、真正面からぶつかる必要もあるでしょう」


「いよいよ、戦いの時です。

 我らの『帝国』を取り戻すための、最後の戦いの――」

 

 

第六話 墺仏戦争

軍備と外交

1865年2月25日。

オーストリア・ハンガリーの「合同」以降、新たに軍部大臣に就任したフリードリヒ大公の指導の下、帝国は急速な軍備拡張を進めつつあった。

その一つの成果が、世界に先駆けての蒸気機関採用による「装甲艦」の実用化。

これはフリードリヒ大公の部下としてヴェネツィア海軍の実質的な最高司令官の地位にあったヴィルヘルム・フォン・テゲトフ中将の主導によって実現したものであり、これによって英仏のような海軍大国とも対等以上に渡り合える地盤を作ることに成功した。

さらに陸軍分野においても、フリードリヒ大公の兄にあたるアルブレヒト大公の指導の下、新兵器の導入が実現した。後装砲の解禁と、この技術を応用した「榴散弾砲」の実用化である。

攻撃力45。この時代の歩兵の基本である散開歩兵が防御力35であることを考えると、この技術の獲得を他国に先んじて行うことで、攻勢における圧倒的優位を手に入れられるはずだった。


準備は万端。あとは機会を待つだけ。

そう思っていたフリードリヒの下に、その報せが届いたのは同年5月のこと。

宿敵プロイセンにおいて農民を中心とした不満が増大し、これに応える形で国王ヴァルデマールが自営農法の制定を決定。

これに不満を抱いたユンカー(地主)層が一気に反乱を起こし、その勢力基盤だったエルベ川以東を中心に反乱を起こしたのである。

反乱軍の中心に立ったのが、プロイセン王国宰相にして最大の外交巧者であったオットー・フォン・ビスマルク

反乱自体はすぐに鎮圧されるだろうが、これはオーストリア=ハンガリー帝国にとっては最大のチャンスであった。

 

1865年8月。

オーストリア=ハンガリー帝国皇帝フランツ・ヨーゼフ1世は、「ドイツの統一」を掲げ、ドイツ領域内のすべての領邦に対し、ハプスブルク家の下につくか、もしくは敵対するかを選ぶよう要求した。

その中にはドイツとの国境に位置する係争地エルザス=ロートリンゲンを有するフランスも含まれており、もはや列強の地位から引きずり降ろされていたプロイセンに代わり、フランスが中心的な対抗馬としてオーストリアの前に立ちはだかることとなった。すなわち、「墺仏戦争」の開幕である。

フランスの側には海の向こうのアメリカ合衆国が加勢を宣言。

これに対抗すべく、オーストリアの側も、同盟国を何かしら引き入れる必要があった。

 

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9月。

オーストリア=ハンガリー帝国の外務大臣と務めるロタール・フォン・ピレメントは、単身サンクトペテルブルクを訪れていた。

彼の目的は唯一つ、この戦いにロシアを引きずり込むことであった。

 

「――しかし、我々の要求は前回のときと変わらぬ。モルダヴィア、もしくは西ガリツィアの地を明け渡してさえくれれば、加勢しよう」

「だが、前回のときは君たちがそれを突っぱねたと記憶している。今回も受け入れてくれるとは思えぬが?」

ロシア帝国の評議会議長、実質的な首相を務めるヴァシリー・ザヴォイコ提督は、見下したような表情でピレメントを睨みつける。

だが、ピレメントは臆せず、言い返す。

「いえ。今回はその要求を呑みましょう。モルダヴィアの地を、貴国に割譲することを認めます」

「――ほう」

ザヴォイコは驚いた表情を見せる。

「但し、貴国にはひたすらに東方戦線を担当して頂きたい。プロイセンの反乱軍、そして我らの傘下に入ったポンメルンの軍と合流し、ベルリン方面に向けて陸海から総攻撃を仕掛け、これを占領して頂きたい」

「それは容易なことだ。だが、その間、フランスと接している西方戦線はどうするんだ?」

「我々のみで押し留めます。それは十分に可能なことだと判断しております」

「ふむ。良いだろう。我々にとって、何も不利益なことはなさそうだ。

 我らがロシア帝国は、貴国と手を組み、普仏米の連合軍に対し兵を挙げることを約束しよう。20年前とは、真逆にな」


かくして、1865年12月1日。

ドイツ統一の盟主を賭けた、そして『帝国』の復活に向けた、最後の戦いが幕を開けた。

 

開戦

開戦と同時に、国境線に詰めていたオーストリア=ハンガリー帝国軍20万弱が一気にエルザス=ロートリンゲン地域に攻め込んでいく。

最大の激戦地の1つ、シュトラースブルクストラスブール)では、クリスティアン・フォン・ハフナー元帥が、かつての英雄ヴェストミース元帥の率いていた帝国最強の侵攻部隊「バルカン半島方面軍」を8万を率いて一気に侵攻を開始していく。

ハフナー元帥の「攻撃戦略家」「几帳面」補正も加わり、榴散弾砲の攻撃力は脅威の50台にまで到達。堡塁や精鋭特性で強化された敵散開歩兵の防御力50をも超える数値にまで達していた。


さらにその南方ミュールハウゼンミュルーズ)でも、ハンガリー方面軍のバレンティン・フォン・ナイペルク中将率いる10万の兵で一気に押しつぶす。

一ヶ月に及ぶ戦いは凄惨を極め、オーストリア=ハンガリー帝国側にも相応の被害を出しはしたが、これでミュールハウゼンも帝国の手に落ちることとなった。

開戦からわずか一ヶ月の電撃戦で、エルザス=ロートリンゲン地域東部を完全制圧したオーストリア=ハンガリー帝国軍。この激戦地を何とか抑えようと、アメリカ・フランス両軍が一気にこの地に兵を集中させていく。

 

だが、これがフリードリヒ大公の狙いであった。

西方戦線でフランス・アメリカ両軍が引きつけられている間、東方から攻め込んでくるロシア軍をプロイセン軍は単独で対応せざるを得ず、軍量の圧倒的差を前にして成す術もなく、あっという間にベルリンも占領されてしまったのだ。

そして1866年6月1日。

プロイセンは早々に降伏を選び、ハプスブルク家主導の統一ドイツに組み入れられることを受け入れることとなった。

これでドイツは実質的に統一され、戦いは墺仏一騎打ちの状況へと雪崩れ込んでいった。

 

が、ここで思わぬ苦戦。

シュトラースブルク、ミュールハウゼンに続き、エルザス=ロートリンゲン地域西部の中心都市・メッツ(メス)を攻略しようとする帝国軍に対し、仏米連合軍の抵抗が激しくなってきたのである。

 

「大臣、緒戦は敵の準備も万全ではなく、快進撃を続けられてきたが、特にアメリカの軍が大量に上陸してきたからは、その無尽蔵とも思える物量を前にし、戦果は芳しくない。先日もナイペルク中将の軍がアメリカ軍によって押し戻され、撤退している」

「ふむ・・・」

ハフナー元帥の報告に、現地視察に来ていたフリードリヒ大公は右手を口元に当てながら考え込む。

「我が軍の犠牲はいかほどですか?」

「すでに死者数は20万近くに達しており、経済的な損失も800万ポンドに上る計算に」

「赤字額も毎週35万ポンドを垂れ流している状況であり、先の戦いのように長期化すれば、財政破綻も免れないだろう」

「そうですか・・・」

フリードリヒは顔を顰める。

「先の大戦のように、課税率を最大にすることで当面は凌げるとは思うが」

「――いえ、それはなりません。国民のための戦いが、国民を苦しめることになってしまっては本末転倒です」

元帥の提案に、フリードリヒはすぐさま首を振る。

「パリに特使を送ってください。この戦いに、落としどころを見つけましょう」

 

そして1866年8月2日。

何度かの討議を経て、ついにフランスから「白紙和平」が提案されることとなった。オーストリア=ハンガリー帝国の、ドイツ統一事業に対しフランスが一切の介入を行わないことを約束する代わりに、係争地エルザス=ロートリンゲンはフランスのまま、フランスに対しての賠償金も求めないという結論に至った。

そして翌8月3日。フランクフルトにて講和条約が結ばれ、七年間もかかった先の普墺戦争とは打って変わり、一年に満たない非常に短い「墺仏戦争」は終わりを告げた。

 

8月27日。帝都ウィーンに、ドイツの全諸侯・要人が集まっていた。

その中には、この男の姿も。

「我々が仕えるべきは、全統一ドイツの皇帝陛下であります。

 南北のわだかまりはもはや失くし、世界に羽ばたく偉大なる国家としてここに君臨致しましょう」

プロイセン王国の宰相としてその辣腕を振るったビスマルクとフリードリヒ大公は手を握り、そしてこれを象徴的な出来事とし、その場にいる一堂に呼びかけた。

 

「今こそ、ドイツ統一の時! エルザス=ロートリンゲン以外のあらゆるドイツ領邦が、今やハプスブルクの皇帝の下に参集せしめている。これは避けられない歴史的事実となるだろう!」


「だが――諸君も分かっているとは思うが、これは通過点に過ぎない。

 我々が目指すは、栄光の帝国、半世紀前に失わされたあの『ローマ帝国』を取り戻すことである!」


「そのために――あともう一押しが必要だ」


1869年春。

フランス共和国内で、先の敗戦に対する共和主義者たちに対する批判が高まり、カトリック教会を中心とした大規模な反乱が勃発。

「哲人王」と称する謎の男イッポリト・ギヨーマを推戴する反乱勢力が、共和制政府を追い詰め、新たなフランスを形成しようとしていた。

その隙に――フリードリヒ大公は、大国の狭間で中立を宣言していたスイスへと攻撃を仕掛ける。ハプスブルク家の故地たるこの地は、『帝国』の復活のためには必要不可欠な土地であった。

1870年5月23日。スイスの救援に駆け付ける国はどこにもなく、彼らにとっては絶望的な戦争が開幕した。

半年後の11月16日には成す術もなく降伏。

これで、ドイツ帝国は「完全なる姿」となった。

 

そして。

1870年12月25日。

アーヘン大聖堂にて、「それ」は行われた。

ドイツ諸侯のみならず、イギリスやフランス、ロシアといった諸外国の要人たちも招き、盛大に開かれたその式典は、自由主義とナショナリズムに吹き荒れる激動の19世紀に対する一つの「回答」であった。

ここに――「神聖ローマ帝国」が復活する。

「最後の神聖ローマ帝国皇帝」フランツ2世の孫にあたるフランツ・ヨーゼフは、祖父のその称号を打ち消し、帝国を再び未来のものへと繋いだのである。

 

 

「――いやはや、ついに実現させたのだな」

式典会場から少し離れたところで、夜風にあたりながら物思いに耽っていたフリードリヒ大公のもとに、彼の兄にあたるアルブレヒト大公がやってくる。

「政治はお前に任せきりだったが、ここまでやりきってみせるとは。感服したよ」

「いや・・・僕はただ、与えられた責務を果たすべく、無我夢中で采配を振るっていただけに過ぎない。その実現に向けては、君やハフナー元帥の現場での尽力あってのことだ、感謝するよ」

フリードリヒの声と表情に何かを感じ取り、アルブレヒトは訊ねた。

「――どうした? 何か浮かない顔をしているようだが」

アルブレヒトの言葉に、少し驚いたような表情を浮かべながらフリードリヒは応える。

「そんなことないよ。達成感に満ちている。ナショナリズムで細かく分断させられそうだったこのドイツを、再び普遍的な価値の下に統一することができた。それは叔父上やフィケルモント閣下の望みを繋いだというのみならず、人類と歴史についての偉大なる到着点であると思っているよ。ただ――」

「ただ?」

アルブレヒトは訊ねる。フリードリヒは少し考えた後に呟く。

「まだまだ、この国には課題が山積している。それらをどう乗り越えるか。

 我々は理想と共に、この帝国を創り上げた。しかし、これを良しとしない国民もまた、数多くいるのは間違いないんだ」

「そうだな。だが、お前のことだ。すでにこれをどう解決していくべきか、考えはあるのだろう?」

笑みを浮かべながら声を掛けた兄に、フリードリヒもまた、弱々しくではあるが笑みを浮かべながら応えた。

「ああ、そうだな――そう、すでに取るべき道については検討がついている。

 この普遍の帝国を真に永遠のものとするために、

 僕たちが取らなければならない改革は、もう一つだけある」

 

 

双頭の鷲は半世紀の時を経て、欧州に再び君臨した。

しかし、その栄光の前には、大いなる壁がなおも立ちはだかろうとしていた。

 

 

次回、「ドイツ革命」へと続く。

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