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【Victoria3 AAR/プレイレポート】神聖ローマ帝国の復活④(最終回) The Third Empire(1905-1936)

 

西暦800年に生まれ、1806年に息の根を止められた「神聖ローマ帝国」。それは半世紀の時を経て再び1870年に蘇ったものの、議会導入を求める急進主義者たちの台頭により、早くも危機に瀕してしまっていた。

帝国宰相オットー・フォン・ビスマルクと閣僚たちは、彼らの要求を呑み込み、議会と選挙制度を導入。

しかし成立した極左党政権は、間髪入れずに皇帝の退位と帝政の廃止を要求。

これに反発した保守派勢力が武器庫を襲撃し、帝都に迫る中、共和派政府は皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の処刑を断行。

反乱の理由を失った保守派勢力の蜂起はこれで立ち消えになり、国民同士の激しい内乱こそ避けられたものの、大きな犠牲を伴う形で「帝国」は消滅し、新たにヨーロッパ合衆国が成立することとなった。

その後、この新たな「普遍の帝国」ヨーロッパ合衆国は、10年の時を経て世界1位の経済大国に押し上がるなど、急成長を遂げる。

やがて極左政権による急進的改革に飽き飽きした民衆により右派政権が成立するが、かつての帝国宰相ビスマルクや、旧皇族のアルブレヒト・フォン・ハプスブルク=ロートリンゲンが参加したこの政権は、英仏の対立に乗じフランス帝国に宣戦布告し、20年前の墺仏戦争で獲得し損ねていた「未回収のドイツ」エルザス=ロートリンゲンの奪還を試みる「ラインラント戦争」に突入する。

3年に及ぶこの戦いは最終的に1891年12月4日に終戦を迎え、合衆国はエルザス=ロートリンゲンを含めた完全な姿を手に入れることとなったのである。

 

その後、この合衆国はさらなる繁栄の時を過ごすこととなる。

かつて、帝国の復活と終焉を見届けた英雄たちも次々とこの世を去る中、もはや記憶の彼方へと消えた帝国についての物語は、すでに筆を置くべきときが来ていた。

 

 

だが、それでもなお。

この「帝国」の「三度目の」復活を試みるものが、このドイツには存在した。

 

最後に、その男についての物語を語ろう。その男が登場せねばならなかった、その経緯となる最初の20年の話と、そしてその男が現れてからこの国が辿ることとなる10年の運命を。

 

Victoria3 AAR/プレイレポート第19弾「神聖ローマ帝国の復活」最終章。

帝国を巡る、最後の物語が幕を開ける。

 

 

Ver.1.5.13(Chimarrao)

使用DLC

  • Voice of the People
  • Dawn of Wonder
  • Colossus of the South

使用MOD

  • Japanese Language Advanced Mod
  • Visual Leaders
  • Historical Figures
  • Japanese Namelist Improvement
  • Extra Topbar Info
  • East Asian Namelist Improvement
  • Adding Historical Rulers in 1836
  • Interest Group Name Improvement
  • Western Clothes: Redux
  • Romantic Music
  • Cities: Skylines
  • Beautiful Names
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目次

 

前回はこちらから 

suzutamaki.hatenadiary.jp

 

 

第九話 バルカン戦争

ナチスの台頭

ラインラント戦争」終結の直後、3年に及んだ激しい戦争と、その結果得たものがエルザス=ロートリンゲンの僅かな土地だけであったという事実に、この戦争の間ひっ迫した国家財政の煽りを受けることとなった国民の不満は爆発。

1892年8月1日に行われた選挙では再び政権交代が行われ、極左党が再度政権を握ることとなった。

極左党党首で、合衆国の第3代大統領に就任したのは、墺仏戦争でも活躍した元軍人のバレンティン・フォン・ナイペルク

「平和主義者」である彼はラインラント戦争中も戦争反対論者の中心に立っており、軍事費の削減を公約として勝ち取った大統領の座を有言実行で進め、課税なき財政再建を成し遂げることとなった。

終戦からわずか5年で、財政を黒字化する見事な政策をやってのけた。

 

そんなナイペルクも1900年1月に亡くなり、副大統領であったジリ・スネダレクが新たな極左党党首兼大統領となるも、主に農民の権利を重視し過ぎるその政策は党内の支持を幅広く集めることができず、求心力を失いつつあった。

そして彼にとっては不運なことに、就任直後に彼の所有する競走馬が、当時活発化していた女性参政権運動の活動家を蹴り殺すという痛ましい事件が発生。

これを契機とし、スネダレクの政策では恩恵を得られないと判断した都市労働者たちを支持基盤とする議員たちが極左党から離れ、新たにSPE(Sozialdemokratische Partei Europe, ヨーロッパ社会民主党)を結成。

その党首として、議会を通して緩やかに社会主義革命を成し遂げていこうと考える社会民主主義者ヤネズ・ドゥレティクを据え、1900年選挙へと挑むこととなった。

8月1日。投開票が行われ、見事SPEは初参加の選挙にて勝利。ドゥレティクが第5代大統領として就任することとなった。

この新たな社会民主党政権は、女性参政権の実現官僚の選挙制導入など、政治の民主化をさらに推し進めていくこととなる。

さらに1907年11月には、選挙における財産制限を撤廃した「普通選挙」を実現する選挙制度改革を断行。

翌年8月の選挙ではみたび勝利し、三選を果たすなど、SPEとドゥレティク大統領の人気は絶大なものとなっていった。

 

一方で、国民の全てがこの政策を支持しているわけではなかった。

例えば1910年には賃金助成法を制定されるなど、下層労働者に対する手厚い福祉政策は充実するものの、公務員や商店主といった中流階級たちは、自分たちの労働の果実が、不当に「怠け者たち」に奪われているとして不満を募らせつつあった。

さらに、1912年にはノルウェーで共産主義者たちによる革命が勃発。

これを受け、国内でも暴力的な共産主義者たちに対する過剰な反発と恐怖が広がり、思想的に近いとされるSPEの社会民主主義者たちも槍玉に挙げられることとなった。

この反社会主義勢力は当初は右派党が受け皿となっていたが、次第により過激な保守派政党として誕生したナチス(Nationalsozialistische Europe Arbeiterpartei, 国家社会主義ヨーロッパ労働者党)が、主に都市中流階級や若者の支持を集め、勢力を拡大していった。

1912年の選挙ではSPEが四勝目を果たすも、そのすぐ背後にナチスが迫りつつあった。

 

この「普遍の帝国」を巡る環境は少しずつ――だが確実に、変化しつつあった。

 

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「――我々を取り巻く状況は、日々悪化している」

会議室のテーブルの一番奥に座る男ーー合衆国イタリア方面軍最高司令官にしてナチス党首(第一議長)でもあるピエトロ・ポッレーリ元帥は、同じテーブルを囲む一同に語りかけた。

「先日統一されたばかりのイタリアは、我らの領土であるヴェネツィアやイストリアを狙い、軍備の再増強を図っていると聞く」

「さらにアフリカの植民地においても緊張は高まっており、特にニジェールで国境を接するオランダは、随分と挑発的な行動を繰り返しているようだ」

「奴らの背後にはフランスの存在が見え隠れする」

そう言ってポッレーリの言葉に続いたのは、ナチス党副議長の立場にあるレオン・ド・メロードという男。

「先日もエルザス=ロートリンゲンで、奴らの工作員の活動が認められたばかりだ。フランスは20年前の敗戦から『哲人王』が失脚し、新たに『ナポレオン3世』を名乗る男による帝政が開始されている」

「分かるか? 100年前、我々の栄光の帝国を滅ぼしたあの忌まわしきナポレオンが、再び、我らの隣に現れたのだ。

 この国家的危機に対し、政府は何をやっているのか。極左党政権から引き続き軍縮を続け、諸外国との宥和と連帯を嘯いている。いざ開戦となった際、このような軟弱な政府を戴いていたのでは、国家は破滅してしまうだろう!

 諸君、今こそ我々が立つべきなのだ! 偉大なる歴史的産物、普遍の帝国たる我らヨーロッパ合衆国こそが、この欧州に真の秩序をもたらす! そうは思わないか!」

メロードの扇動的な言葉に、会議室に集まっていたナチ党幹部たちは皆一斉に拳を突き上げ、声を張り上げた。

このレオン・ド・メロードという男、前世紀末のパリ・オペラ座で一世を風靡し、ベルギー王レオポルド2世とのスキャンダルゴシップなどでも注目を集めていた美しきバレエダンサー、クレオ・ド・メロードの弟であり、姉の評判と自身の口の巧さとで一気に支持を集め、今やナチ党の宣伝頭となっていた。

官僚気質のあるポッレーリが実務と政府軍部における影響力を、メロードが一般市民における幅広い影響力を担い、この両輪でナチスは勢力を拡大していったのである。

「――その為にも、我々は目の前の選挙に勝たねばならぬ。例えどのような手段を使ってでも。これが我らの破滅を逃れる、最後の手段である!」

 

メロードの言葉に感化された党員たちは、党を象徴する黒色の軍服や制服を身に纏い、反対勢力の支持者たちを襲い、暴力と恐怖でもって政敵を排除し始める。

この働きと、暴力に対し有効な手段を持てずに中途半端な対応に終始していた政府与党に対する批判は高まりを見せ、ついに1916年8月。

ナチスはSPEを上回り、第一党の座に就くこととなった。

大統領に就任したポッレーリはすぐさま国家の再軍備を主張。

合衆国の各地で製鉄所や爆薬工場、そして戦争兵器産業に対する活発な投資が行われ始めるようになった。

 

「――と、言うことで閣下。こちらが開発中の新兵器『戦車』で御座います。小癪な塹壕をいとも簡単に突破し、まさに動く要塞であり動く攻城砲とも言うべきこの存在が、欧州の戦場を全く異なるものへと変えてしまうでしょう」

クルップ社第4代社長のグスタフ・クルップは、誇らしげに彼らの新兵器を宣伝する。プラハのシュコダ社と共同で開発中だというその巨大な鋼鉄の塊は、確かに時代を変えうる迫力を持っていた。

「さらに我が国で発明された航空機を戦闘用に改造するアイディアも生まれております。これを戦艦に載せて運用する計画もあり、空も海も大地も、我々合衆国の支配に染まることとなるでしょう」

クルップの説明に、ポッレーリ大統領は満足気に頷く。

「素晴らしい。これらの力があれば、欧州を我らが理想の上に統一することも不可能ではないだろう。ぜひとも実用化、そして量産を急いでくれ」

「ええ――ただし、閣下。実は一つ、問題がありまして」

クルップの言葉に、ポッレーリは眉根を寄せる。

「問題? 何だ?」

「ええ。こちらの戦車や航空機はいずれも内燃機関を用いており、その動力源として、石油を多く必要としております」

「ある程度の原油は合衆国内でも産出できますが、十分な量とは言えません。今後の戦車・航空機の量産に伴い増大するであろう原油需要を賄うだけの供給源を、早期に獲得していく必要が御座います」

「なるほどな。実際、原油はどこに多く眠っているのだ?」

「は。アメリカ合衆国内やコーカサス地方、またサヘル地帯にもそれなりに埋蔵しているようですが、いずれも仮想敵国の領域内であり、我々がその利権を得るのは難しいでしょう。一方、我々のごく近くに、非常に多くの埋蔵量の見込みが存在する土地が、御座います」

そう言ってクルップは机の上に地図を広げた。

「――ほう」

地図上でとりわけ色濃く塗られたその地域――ルーマニア王国首都ブカレストの位置するワラキア州を、ポッレーリは食い入るように見つめる。

「バルカン半島はその宗主国たるオスマン帝国の弱体化に伴い、諸民族の独立への機運が高まりつつある。いつ爆発してもおかしくない、火薬庫の如きだ。介入の口実はいくらでも見つかるだろう」

背後に控えていたメロードの言葉に、ポッレーリは頷く。

「うむ。それでは、我らが『正義』を執行しよう。これはかの異教の大国に対する400年越しの逆襲であり、そして我らが帝国の再度の復活に向けた、大いなる前哨戦である」

 

バルカン戦争

1919年4月10日。

ポッレーリ大統領率いるヨーロッパ合衆国は、オスマン帝国に対しボスニア・ヘルツェゴビナの独立を認めるよう強要。

当然オスマン帝国はこれを拒否するも、続けてヨーロッパ合衆国はブルガリアの解放も追加で要求し、軍隊の動員を開始する。

ここに、オスマン帝国と防衛協定を結んでいたルーマニアが参戦*1

そしてこれこそが、ポッレーリ大統領らナチ党の狙いであった。彼らはすかさず、ルーマニア王国に対してもワラキア州の割譲を要求として加える。

当然、このヨーロッパ合衆国の動きが、民族の解放などという白々しい大義名分のためではなく、資源獲得を目指した実に帝国主義的なふるまいであることは諸列強も十分に理解していた。

だが、その諸列強の代表格たる英仏二大国はまさにこのとき、正面からぶつかり合う事態となっており、バルカン半島での紛争に関わる余裕など失ってしまっていた。

そもそもこの英仏戦争自体が、資源の宝庫たるインドネシアでの利権争いによるものであり、ヨーロッパ合衆国をことさらに非難する資格は持ち合わせていなかった。

 

だが、オスマン帝国もルーマニア王国も、このまま黙って蹂躙されるのを待つほど大人しくはなかった。彼らは、ヨーロッパ合衆国に対し常にその寝首を掻いてやろうと画策していたイタリア共和国に接近。これを対ヨーロッパ合衆国戦争に参戦させることに成功した。

かくして1919年8月14日。

ヨーロッパ合衆国vsオスマン・ルーマニア・イタリア同盟による「バルカン戦争」が幕を開けた。

形成された戦線は3つ。東からルーマニア戦線・ボスニア戦線・イタリア戦線である。

まずは主戦場となったバルカン半島のルーマニア戦線・ボスニア戦線。

ここでは精鋭揃いのライン方面軍ウィーン防衛軍がそれぞれ、ルーマニア王国やオスマン帝国の旧式兵たちを文字通り蹴散らしていく。

すでにヨーロッパ合衆国は「分隊歩兵」を採用しており、未だに戦列歩兵を一部取り入れているような旧式軍に抗えるものではなかった。


イタリア戦線ではさすがに列強の一角。装備は散開歩兵が中心の旧式ではあるものの、数も17万も連れてくるなど鉄壁の防衛網を敷いており、簡単には突破させてくれない。

そこで、ポッレーリは「航空機」を初の実戦投入。

無線機も活用し、空からの敵布陣情報を集めて作戦本部に伝達。さらには航空機から手榴弾を落とすなどして、敵には手出しのできない空からの一方的攻撃を繰り出していく。

これで混乱した敵本部を一気に押し込んでいき、イタリア戦線でも次第に優勢となっていった。

11月になる頃にはルーマニア全土をほぼ平定したほか、ボスニア・ヘルツェゴビナ地域もその殆どを占領下に置いた。

イタリア戦線でも合衆国軍がポー平原を突き抜け、ルッカではラトヴァン・トマシク元帥が9万の兵で12万のオスマン皇帝軍を粉砕する劇的勝利を達成した。

合衆国軍の優勢は海でも変わりなく。こちらの補給路を断ちに来たイタリア海軍を、ハインリヒ・ヴェラー提督率いるバルカン艦隊が迎撃する。


そうこうしているうちに1920年1月にルーマニアがまずは降伏。

続いて3月20日にオスマン帝国が降伏し、ボスニア・ヘルツェゴビナとブルガリアの独立を認めることとなった。

そして5月20日にはイタリアも降伏を受け入れ、ミラノの地で講和条約が結ばれることに。

ヨーロッパ合衆国は再び、その強さを世界に知らしめることとなったのである。

 

戦勝に湧き、直後の1920年選挙でも再選を果たすなど勢いに乗るナチス。

彼らは次第に、この国がかつて復活させ、二度目の滅亡を迎えさせた「帝国」の、再度の復活を望む機運を高めていく。

 

そんな折、新たにナチスの門戸を叩く男がいた。

上オーストリア出身の元軍人、アドルフ・ヒトラーを名乗る男であった。

 

 

第十話 世界最終戦争

1920-1928

「先のバルカン戦争に勝利した我々は、バルカン半島のキリスト教徒たちを異教徒から解放することに成功し、その普遍の帝国の領域をより広げることとなった」

議場の中央に立ち、居並ぶ党員たちを鼓舞しているのは、現役の陸軍大臣であるブルクハルト・フォン・ヴァルデック・ウント・ピルモント元帥。彼もまた熱心なナチ党党員であり、軍部への影響力の強い彼の存在は、ナチス政権の更なる拡大に貢献していた。

「しかし一方で我らの行いを非難し、敵対する諸外国の数も増えている。イギリス、フランス、スペイン、そしてロシア――彼らは恐れているのだ。帝国の理念がやがて、狭小なナショナリズムに基づいて自国の統治に精一杯になっている、自分たちの秩序をも飲み込んでしまうことを」

「やがて、奴らは束になって我らを潰しにかかるだろう。かつてナポレオンがそのようにして潰されたように。我々はうまくやらねばならない。

 今回のバルカン半島への介入はその第一歩だ。同地に権益を得ていたスカンディナヴィア帝国とも、先達て『バルト海同盟』の締結を実現させた」

「同時にバルカン半島の小国たちとも同盟を結び、ストックホルムからベルリン、ウィーン、そしてサラエヴォ、ベオグラード、ソフィアへと続く『普遍の枢軸』が、世界に新たなる秩序をもたらすこととなるだろう」

「その日に向けて、我々は一丸とならねばならぬ! そしてその秩序の展開が実現したその時、我々の帝国は二度目の復活を遂げ、ついに永遠のものとなるだろう!」

 

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「素晴らしい演説でした、ピルモント元帥」

議場を後にした元帥のもとに、拍手をしながらその男が近づいてくる。

「伍長殿か。貴殿の弁舌に比べれば、児戯の如きもの」

フン、と鼻を鳴らす元帥に、男――アドルフ・ヒトラーはクックと笑う。

「正確には伍長ではありませんし、もう除隊をしておりますが、弁舌を褒められるのは有り難いことですな。しかしお世辞では御座いません。先のバルカン戦争でも活躍された元帥のお言葉は、あらゆる愛国的軍人を奮い立たせ、その臣民的義務を思い起こさせるに十分なものであったでしょう」

「そうだと良いがな」

と言って、元帥は少し表情を曇らせる。

「しかし新議長にこそ、奮い立ってもらいたいものだ。何故、前議長はあのような男を後継者に指名したのか」

前議長――ピエトロ・ポッレーリ元帥は、戦争中の1919年末に急死しており、代わってナチ党の党首(第一議長)にしてヨーロッパ合衆国大統領となったのはチェコ人のコンスタンティン・ジブルトという男であった。それはポッレーリの遺言によるものだったと言うが、傲慢なところがあり、社会主義的側面を持つコーポラティズムという思想を持つこの男に対し、ナチ党の急進派たちは不満を募らせつつあった。

「新議長も、『合衆国の』大統領としては、適切な人材かとは思いますが」

と、ヒトラーが返す。

「しかし、いざ『世界の危機』に瀕したときには、より強い主導力をもった存在が国家の指導者となるべきだとも思っております。そして国家もまた、混乱する世界を牽引し、これを統一する『帝国』であるべきだとも」

ヒトラーの言葉に、ピルモント元帥は興味をそそられたように耳を傾ける。

「――元帥、その際は私も御協力致します。ともに、帝国の再度の復活と、理想の世界の実現に向けて、正しき道を進みましょう」

ヒトラーの笑顔と言葉に、ピルモントは満足気に頷いた。

 

そして、ヒトラーの言う「世界の危機」は、間もなく訪れることとなった。

 

1923年12月10日。

アメリカ合衆国・ペンシルベニア州にて、致死性の高いインフルエンザの爆発的な感染が認められる。

政府は直ちにアメリカ合衆国との輸出入の禁止を実行に移そうと試みるが、時すでに遅し。翌2月にはウィンドワード・コースト、続けてカタンガ東アンゴラベニンと、アフリカの各植民地へとこの「アメリカ風邪」の拡散が一気に広まることとなった。

ナチ党政権とコンスタンティン・ジブルト大統領は、この封じ込めのための徹底的な封鎖対策を5月に発令。植民地群を経済的に犠牲にしつつも、実質的に本国から切り離すという政策を取るに至った。

が、ダメだった。

7月1日に、本国――それも、首都ウィーンや経済的中心地プラハにもほど近いシュレジエンの地にて最初の発症者が発見される。

しかもそれが「封鎖されているはずの」アフリカ植民地から「密かに」政府が帰国させていたジブルト大統領の親族であったという事実が「どこからか」リークされてしまったことで、国民から政府・与党への批判が急激に増大。

「奴らは既得権益に溺れた支配者階級であり、戦争にしか能のない連中だ! 自分たちの利益を脅かすと分かれば平気で同胞を切り捨て、そして今、我々の本国にあの恐ろしき疫病がやってきたとき、彼らはどうするつもりだろうか? 我々の隣人すらも、切り捨てるのか?

 そうではないはずだ! 今こそ我々は連帯を! そして肥え太った資本家階級たちに断罪を叩きつけよう!」

労働組合の指導者、ヤン・オームスがウィーンの街頭に立ち、都市労働者たちを相手に高らかに宣言。鎮圧を図ろうとした軍隊と市民との間で激しい睨み合いが続き、最終的にはこれ以上の人気失墜を恐れたジブルト大統領の命令で軍部の撤退が行われ、衝突は回避された。

だが、結果としてこのジブルトの弱腰は目前に迫っていた選挙に対してはマイナスにしか働かなかった。

8月1日に投開票された1924年選挙では僅差でナチ党が敗れ、ヤン・オームス率いる「共産党」によって政権交代が果たされることとなったのである。

 

「ジブルトは予定通り失脚。とは言え、共産主義者たちに政権を奪い取られてしまったのはやや誤算だったな」

ピルモントの言葉に、ヒトラーはかぶりを振った。

「いえ、それも含めて予定通りです。今は、政権を担うことが最も難しい時期。ほどなくして彼らも自滅することでしょう。そうしてすべてが灰燼に帰したとき、新たに立ち上がる希望にこそ、人々は群がる。

 焦る気持ちも分かりますが、元帥。暫し雌伏の時をお過ごし下さい。今この時期に、少しずつ影響力を広げ、来るべき時に備えるのです」

 

ヒトラーの予言は再び的中した。所詮は人為の及ばぬ自然の業。政権を担う者が変わったと言え、劇的に何かが変わるわけではない。むしろ公約によりナチ党政権時の苛烈な経済封鎖策を緩和せざるを得なかった共産党政権下において、アメリカ風邪の拡大は治まるどころか広がる一方であった。

さらには首都ウィーンでは産業界を中心に、中途半端な政府の対応と長期化する疾病流行に辟易した一部の勢力が「反マスク同盟」なるものを結成し、暴動を起こす始末。

この状況が重なり、一時は10億ポンドもあったGDPも、新政権に対する評価と並行して着実に低減していった。

 

そして運命の、1928年選挙の日を迎える。

 

「今こそ! 正しき指導者を選ぶべき時だッ! 何よりもまず、実際的な効果を! 苛烈に、確実に、そして絶対的に! やがてどこよりも早く立ち直った我らが帝国が、この欧州に、正しき秩序を広めるのだッ!!」

議会で拳を突き上げ、声を高らかに響かせ続けるナチ党「党首」ブルクハルト・フォン・ヴァルデック・ウント・ピルモント。

しかし、彼はその演説の途中で突然言葉に詰まったかと思えば、そのまま顔面蒼白となり、やがてその身を崩れ落としてしまった。

ピルモント元帥、享年69歳。その栄光の頂点を掴み取る瞬間が眼前に迫っていたまさにその時に、天へと召されることとなったのである。

 

では、それに代わる党の代表は――?

ここに来て、着実に勢力を伸ばしてきていた男が、アドルフ・ヒトラーであった。

元軍人とはいえ軍人としての功績はほぼ持ち合わせていない彼はピルモントのように軍部の支持もなく、また公務員や商人などの都市中流階級はどちらかといえば理性的・中道的なジブルトを支持する勢力が多かった。

その中でヒトラーは都市から離れた農村部を巡り、農民や農場主たちの支持を取り付けることに成功した。純朴な彼らを、合衆国経済の先行きの不透明さと、対外的な危機、そして旧き栄光の帝国の復活というイデオロギーによって少しずつ焚きつけていったのである。

さらに彼は、資本主義化の進んだ合衆国農業政策から、農家が自らの土地を持ち個人経営することを後押しする法制度への改革を公約したこともまた、彼らの支持を集める大きな契機となった。

これらの動きを経て、1928年選挙に向けた情勢においてはナチ党が共産党を上回るだけでなく、党内の勢力争いにおいてもヒトラーを支持する農村民勢力が先頭に立つこととなった。

何故か農村民の指導者として設定されているヒトラーは、党内で最大勢力となることが結構難しい。今回はそれを実現するため自営農の制定のほか、農村民出身の指揮官を雇用し元帥にまで昇格させたり、ワイン畑を大量に建築するなど結構無理をした。


そして、1928年8月1日。

ナチ党は見事勝利し、再び政権を獲得するに至る。

そして党内の最大勢力となったヒトラーは、晴れて当主の座と、そして「大統領」の地位を手に入れることとなった。

 

1928-1931

「――聡明なる合衆国国民諸君」

就任演説の場にて、ヒトラーは駆け寄った支持者たちに呼びかける。

「諸君らの賢明なる判断により、私は今、この偉大なる国の指導者として信託された。それ故、私は甘えを許さず、妥協を許さず、徹底的に、絶対的に、この国を正しく改革していくことを約束する。

 その為には、まずは、今この国を覆うあらゆる危機を切り抜けるための、絶対的な指導者の権力が必要となる。自己をあらゆる武器で守ろうとしない制度は、事実上自己を放棄している。そうならぬために、我はここに、『国民および国家の苦境除去のための法』の制定を宣言する」

この宣言は当然、ナチスに反対する勢力はもちろん、党内においても激しい反対運動を巻き起こした。

だが、すかさずヒトラーは、彼と親和性の高いイデオロギーを持ち、美しき声と演説の力に長けていたソフィー・アルバータイン・ファレントラップを国民啓蒙・宣伝大臣に任命し、ヒトラーが苦手としていた都市中流階級を中心に法制定への支持を集めていった。

議会主義の否定を是とする「統合主義者」のファレントラップに「主導権を付与」し小ブルジョアの指導者とすることで、一党独裁国家制定の可能性を上げる。


党内での支持を固めたヒトラーの前に、今度は最大の対立勢力である社会主義・共産主義勢力が立ちはだかる。

ヒトラーはファレントラップと共に彼ら共産主義勢力を口汚く罵り、この抵抗に対する攻撃を過激化していく。

1928年10月17日。「国民および国家の苦境除去のための法」通称「全権委任法」は、議会での検討段階へと進む。

社会主義者ニコラウス・ブレナーを中心とした議会のナチ党党員以外の全てに呼びかけ、歴史に対する冷静な判断を下すよう、引き返すことのできない過ちへと国民を巻き込むことのないよう、強く、強く、訴えかけていく。

ヒトラーはそれらの反対論者の名を「非国民的サボタージュ者」として記録し、これをナチ党の息のかかった新聞社に手渡し、その勢力の弱体化に注力していくこととなった。

さらに――ファレントラップのもとに、「いまだに、党内や軍部に、党の最優先事項であるこの法律の制定に反対する勢力が残存しているようです」という報告が届けられる。

「――その中には、突撃隊幕僚長アンドレアス・エグリ大将、党全国指導者のマリウス・ファン・ハーレン中将、そして元党首コンスタンティン殿の親族でもあるヴラスティミル提督のお名前も・・・」

「――そうか」

ファレントラップからの報告を受けたヒトラーは毅然とした顔つきでその命令を下した。

「敵はすべて、絶滅させねばならぬ。怯む必要はない。我らが目的のために、冷酷であることを忘れるな。命は決して、弱さを許すことはないのだから」

のちに「長いナイフの夜」という名で知られることとなるその大粛清の後、党内外にもはや「全権委任法」に反対する勢力は残っておらず、1931年8月に法律は投票段階へと進む。

そして1931年8月7日。

ついに、その、歴史を大きく動かすこととなる法律は制定の時を迎えた。

 

「――諸君。ついに我々はこの時を迎えた」

国民全員に低価格で販売されたラジオを通して、この国の絶対権力者となった男の声が届けられる。

「今から1100年前。アーヘンの地にて、最初の帝国が生まれた。偉大なるカール・デア・グローセは蛮族によって葬られた西ローマ帝国の帝冠をここドイツの地にもたらし、以後その継承者によって最初の偉大なる帝国は1000年間にわたり常に欧州の普遍の象徴として君臨し続けてきた。

 それが100年前に形の上で消滅したのち、ハプスブルクの血統によって帝国は再び息を吹き返した。だが、そこで我々は一度、過ちを犯してしまったのである。

 すなわち、皇帝の処刑と、帝国を自らの手で終わらせてしまったこと。ここ10年、このライヒを覆い続けてきた疫病の惨禍は、その我々の過ちに対する神の罰であったことは明白であろう。

 だが、この惨禍も、我々の手で終焉を迎えた。先達てファレントラップから宣言された通り、この忌まわしきパンデミックは完全に鎮圧されたのである」

「続いて、我らの領域の外に存在する、より大きな『敵』へと立ち向かうべき時が来た。それは決して簡単ではない道だが、また同時に、我々が通らざるをえない道である。平和は剣によってのみ、守られるのだから。

 その為に、我々は再びこのライヒに、『帝国』を蘇らせる必要がある。私が皇帝を名乗るつもりはない。だが、君たちをこの栄光の帝国の臣民であることの誇りを感じられるように、この帝国を強く、正しく、そして豊かに、先導していくことを約束しよう!

 ここに宣言する!

 我々はヨーロッパ合衆国という名を脱ぎ捨て――これより、『ヨーロッパ第3帝国』であることを!」

 

そしていよいよ始まる。

ナチス・ヨーロッパによる、「世界最終戦争」が。

 

1932-1933 イタリア戦役

1932年3月5日。

ヨーロッパ第3帝国と名を変えたナチス政権のヨーロッパ合衆国は、突如としてイタリア共和国に対し「エミリア州」の割譲を要求。

さらにトスカーナ、ピエモンテ、ウンブリア、果てはローマのあるラツィオ州まで・・・ヒトラー・ナチス政権は、北イタリア一帯の全領土を割譲を叩きつけた。

イタリアはすぐさま各国に支援を要求。同盟国であったメキシコのほか、資金援助を餌に東の大国・清そしてロシア帝国も、イタリア側についてナチス・ヨーロッパと敵対することを決定した。

一方でアメリカ、スペインなどの他列強はナチスに対する禁輸のみ対応。

イギリスに至っては各地の反乱対応に追われ手が離せないという理由でナチスに対する対応は「玉虫色」。

最終的には数の上ではナチスに対し優勢となったイタリア連合ではあるが、その質においては圧倒的に不利であり、イタリア陣営側には未来に対する厚い不安の雲が浮かんでいたという。

そして1932年7月24日。

ナチス・ヨーロッパによる「世界最終戦争」の第一幕、「イタリア戦役」が開幕する。


「イギリスもアメリカも、参戦はしないと」

「は。イギリスの首相はあの腰抜けのチェンバレンです。何か動くにしても、すべてが手遅れになったときでしょう」

ナチス外務大臣のアンドレアス・シュピーゲルの言葉に、ヒトラーは満足気に頷く。

「では当面の敵はイタリア、そしてロシアというわけだな。シュレーサー将軍」

「は」

ヒトラーの言葉に、国防軍総司令官兼国防大臣のアデルバート・シュレーサー元帥が説明を開始する。

「戦線は主に二つに分かれております。南部のイタリア戦線および東部のロシア戦線の二つとなります」

「まず、今回の戦争目標はあくまでもイタリアの領土獲得。イタリア戦線に我が軍最高の侵攻部隊『バルカン方面軍』を始めとし、125大隊の重戦車部隊を含めた76万の兵を動員しております。数の上でも敵の2倍。質においては3倍近い差があり、我らの進軍を阻むものは何一つないでしょう」

「一方のロシア戦線は、先のイタリア侵攻部隊が予定通りローマまで占領し反転してくるまでの間、敵兵を押し留める役目を与えます。重戦車や機械化歩兵を有する侵攻部隊はこちらには置かず、分隊歩兵を中心とした陣地防衛部隊を中心に配備しております。シベリア鉄道を使って清の援軍が続々と向かってきておりますが、機関銃も配備した我が鉄壁の防衛部隊を前に、数で勝ったとしても突破することはまず不可能でしょう」

「うむ。問題ないな。

 それでは、作戦を開始せよ。根こそぎに、容赦なく、断固として、敵を絶滅させよ!」

 

 

1932年8月1日。

まず最初に戦線が開かれたのは、スイス-イタリア国境に位置するグラン・サン・ベルナール峠。かのナポレオン1世も使ったというこの象徴的な峠を乗り越えようとしたマッテオ・カドルナ准将率いる20万の機甲師団と、イタリア第2軍のルイ=アデラール・ルブラン少将率いる16万の歩兵部隊とが激突した。

機甲師団の機動力を活かすことのできない山岳地帯の戦いなれど、ナチス・ヨーロッパ軍は新兵器の火炎放射器も利用して敵防衛部隊を殲滅。

1ヶ月の激戦を経て、敵軍に4万もの犠牲者を出した上でこのアルプス防衛網を突破。トリノへと進軍した。

さらには同時並行でナチス・ヨーロッパ領北イタリアからポー側を渡ってパルマに侵攻を開始。こちらは精鋭「バルカン半島方面軍」を任されたアンジェロ・ディ・サルムール元帥が21万の圧倒的兵力で、弱体のメキシコ陸軍の防衛部隊を蹴散らしていく。

戦車部隊も実戦投入したこの戦いはまさに電撃戦の如く都市を破壊していき、わずか12日間でパルマの制圧を完了させた。

その後もナチス・ヨーロッパ軍の快進撃は続く。

9月30日には北イタリア・ロマーニャ州の都市ボローニャを攻略。

10月11日には続けて隣のトスカーナ州・フィレンツェを攻略。

10月22日に同じくトスカーナ州の南部アレッツォの街を占領した。

進軍は順調に進んでいき、12月にはアドリア海沿いのアンコーナ、ペーザロなども次々と攻略していく。

1933年に入る頃にはついにはローマに侵入。

対する敵軍は、竜雲率いる清軍の精鋭・両湖緑営軍。しかし度重なる敗戦の連続でまともに動ける兵の数は5万にも満たない。

これに20万のナチス軍精鋭バルカン半島方面軍が襲い掛かれば、抵抗らしい抵抗などできるはずもなく、この「ローマ攻防戦」はわずか8日で終わりを迎える。ナチス軍の犠牲者は900名弱となった。

この結果、イタリア共和国政府はついに心を折り、降伏。ナチスの要求する全領土の割譲を認めることに。

シュレーサー元帥はただちにイタリア方面の全軍を東のロシア戦線へと差し向けることを指示。愚かなるロシア帝国に対する反撃の時を迎える。

こちらでも状況は変わらず。ロシアの空を帝国空軍が覆い隠し、遮るもののない平原をライヒの鋼鉄の獣が蹂躙する。一帯は硝煙と毒ガスによって人の住める土地でなくなる地獄と化しつつあった。

6月11日。犠牲に耐え兼ねた清軍が降伏。

さらに防衛網が削り取られてしまったロシア軍は成す術もなく戦線を後退させ、帝国との国境線沿いを南北の別なく制圧されていってしまう。

このままでは首都サンクトペテルブルクも危険に晒される。

そのことを理解したロシア皇帝アレクサンドル3世は、ついに9月10日。ポーランド地域の領土の割譲を受け入れて降伏を宣言。1年2ヶ月に及んだ「イタリア戦役」は終わりを告げた。

 

1933年9月25日。

未だ戦禍の痕が生々しく残る旧イタリア共和国首都・ローマにて、アドルフ・ヒトラーは幹部たちと共にローマ式の「凱旋式」を敢行していた。

「諸君、我々はついに、このローマを手に入れた。それは、かつての第二帝国はもちろん、第一帝国においてさえ、長らく果たせなかった悲願である。

 この日、このとき、まさに我々第三帝国は、欧州の頂点に立つ資格を得たのだ!」

ハイル、ヒトラー! ハイル、ヒトラー!

熱狂する民衆の歓声に包まれながら、ヨーロッパ第三帝国「総統」アドルフ・ヒトラーは高らかに宣言する。

「まだ戦いは終わっていない――次なる敵は、かつて我らが帝国を滅ぼし、そして今もなお、帝国の旧領土を不当に占拠し続けている永遠の仇敵・フランスである」

 

「世界最終戦争」は、第二幕へと続く。

 

1934 フランス戦役

1933年10月25日。

先の「イタリア戦役」終戦からわずか1ヶ月。

殆ど存在の無いまま勝利に至ったナチス・ヨーロッパは、間髪を入れずにフランス第三共和国へと宣戦布告した。

今回も英米その他列強は手を差し伸べることもなく、植民地軍以外の援軍を見込めないフランス共和国政府は徹底抗戦を唱えはするもののそれが無謀なことであることは誰もが理解していた。

ナチス・ヨーロッパはそんなフランスに対し、容赦なく領土割譲要求を上乗せ。

かつての神聖ローマ帝国の旧領土すべての「返還」を強要したのである。

かくして1934年2月13日。

「世界最終戦争」の第二段階、「フランス戦役」が幕を開ける。

ナンツィヒナンシー)、リヨンブザンソン・・・欧仏国境線を南北に広く兵を展開し、多方面同時攻撃を仕掛けるナチス・ヨーロッパ軍。

フランス軍は塹壕を掘り、決死の防衛網を築いてはいくものの、そこを無数の重戦車軍団が踏み潰し、侵攻していく。

それはもはや、戦闘と言えるものではなく、一方的な虐殺に過ぎなかった。
開戦から半年も経たぬうちに国境線沿いの主要都市はすべてナチスの支配下に置かれ、フランス軍の死者数は50万を超えるほどにまで膨れ上がった。

そして7月31日。

フランス共和国政府は降伏を宣言。

神聖ローマ帝国の最大版図をほぼ取り返すことに成功した。

 

 

「――実に見事だった、シュレーサー将軍。貴公はまさに、帝国軍人の鑑だな」

「は、勿体なきお言葉。帝国の栄誉のため、この老体が役に立つこと、光栄に思います」

「して、占領した土地の統治はどのように?」

シュレーサーの言葉に、ヒトラーは答える。

「ああ、新たに創設した親衛隊秘密警察(ゲシュタポ)長官ヴィルヘルム・フーバッチュに一任している。奴なら問題なく『対応』してくれることだろう」

「ああ、あの男ですか――」

シュレーサーは少しだけ眉根を寄せる。その表情の意味を、ヒトラーは別の意味で解釈した。

「将軍の懸念は分かる。確かに奴はまだ若年ではあるが、しかし党内でも随一の、我らが思想の理解者であると私は判断している。誰よりも迷いなく、適切に、混乱を治めるだけの才はあるだろう」

ヒトラーの言葉に、シュレーサーはそれ以上の言葉を呑み込んだ。

「占領地はフーバッチュの指揮の下、徹底した奴隷化を実施する。欧州帝国は最終的には広く普遍的な価値観の下統治する予定だが、今なお帝国の危機が残存する以上、『後から傘下に加わった』劣等人種たちには暫し、懸命なる帝国臣民達のために働いてもらう必要がある」

「まだまだ、戦いは終わらぬのだ。次はニーダーランデ、そして停戦期間が終わればロシアに再び攻め込み、その領土を奪い取る必要があるだろう。そのための『四か年計画』も、ファレントラップの指揮の下、力強く進めていかねばならぬ!」

ヒトラーがそこまで告げたとき、会議室の電話が鳴る。

「私だ」

ヒトラーが受話器を取り、報告を聞く。その表情はいつもの固いそれから決して変わることはなかった。

「そうか、ようやく動き出したか。問題ない。シュレーサーを通して全軍に総動員体制を敷かせる。フーバッチュにも強制動員の準備をさせろ」

受話器を置いたヒトラーは会議室の一同を見渡す。シュレーサー元帥も、閣僚会議議長のファレントラップも、外務大臣のシュピーゲルも、海軍総司令官のユリウス・クラツァイゼンも、皆「その時」が来たことを、雰囲気から察していた。

「イギリスがようやく重い腰を上げた。我々に対し、直近の戦争で奪った全領土の返還を要求してきたのだ。スペイン、アメリカ合衆国もこれに同調するようだ」

「しかし、あまりにも遅い。せめて、イタリア・ロシアと我々が二正面作戦を強いられているときに、フランスと共に攻め込んでくればまだ幾何か勝利の可能性もあっただろうに」

ヒトラーは笑みを零す。

「敵軍は総勢200万を超える量となるだろう。シュレーサー将軍、全軍に総動員命令を発令せよ。ゲシュタポも活用し、劣等人種たちも含めすべての予備役を戦線に投入するのだ。これで、我が軍は300万を超える兵員を用意することができるようになるだろう」

「諸君、これが正真正銘の最終戦争だ。これに勝利すれば、もはや我らに抵抗できるものはこの世界に存在しない。

 我々の真の、そして永劫の帝国の復活に向けて、このラグナロクへと邁進せよ!」

 

1935年9月7日。

イギリス・アメリカ・スペイン連合軍200万vsヨーロッパ第三帝国300万。

世界の命運を決する、文字通り「最終戦争」が幕を開ける。

 

1935 世界最終戦争

開戦と同時に、帝国海軍総司令官のクラツァイゼン提督はイギリス本土ポーツマスへの上陸作戦を指示する。

イギリス海峡で繰り広げられた海戦では、帝国バルト艦隊を指揮するベネデット・プジョーニ提督が、2隻の弩級戦艦カイザー・フランツアルブレヒトを中心とした大船団によって、この地を守るイギリス・シェアーネス艦隊を蹂躙していく。

イギリス連合側も帝国領ポンメルンへの上陸作戦を狙ってスペインの大艦隊が襲来。

これをドラホスラフ・マコスキー提督率いるアドリア海軍および北海海軍の連合で、デンマーク海峡にて撃退する。

ポンメルンへと向かう敵駆逐艦艦隊を、海峡に忍ばせていた潜水艦部隊によって次々と撃沈していく。

 

かの海洋帝国国家イギリス、スペインを相手にしてもなお、帝国海軍は常に優勢を保ち続けている。

もはや、陸海空すべてにおいて、帝国の覇権は侵されざるものとなっているのである。

 

 

「――どうだ、クラツァイゼン提督。『アシカ作戦』は順調か」

ヒトラーの言葉に、海軍総司令官ユリウス・クラツァイゼンは表情を固くしたまま応える。

「は・・・1つ1つの海戦では問題なく。しかし敵艦隊が次々と、雨後の筍のように散り散りに集結しており、これらすべてを駆逐するのには相応の時間が必要そうです」

現行の上陸戦システムでは、上陸戦に指定した単一の艦隊で、これを防ごうとするすべての艦隊を倒さないと上陸作戦を始められない。


「懸念となるのは、その期間の間、我が帝国の財政が果たしてもつのかどうか。すでに400万体制での総動員。毎週600万ポンド以上の赤字が垂れ流されており、盤石なる帝国財政においても、これを受け止め切るには限界があるものかと」

クラツァイゼンの言葉に、ヒトラーは頷く。

「提督の心配も分かる。故に、すでにファレントラップに指示を出している。戦時臨時税を最大限に発行し、全国の都市の産業奨励布告も解除した上で、消費税の課税も可能な限り実施している。これであと5年は戦うことができるだろう」

「成程・・・」

クラツァイゼンはまだ何か言いたげではあったが、それを呑み込み、続けた。

「分かりました。何としてでも、早期に上陸戦を成功させ、帝国に勝利をもたらしてみせます」

「ああ、頼んだぞ、提督。

 いよいよ、我が帝国の勝利が目前に迫っているのだ。ここで諦めるわけにはいかぬ。

 この大地に、この大陸に、我らの栄光の翼を広げ、帝国を真に永遠のものとするのだ」

 

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1936年1月1日。

二度滅び、三度目の復活を遂げた「欧州帝国」は、その繁栄を永遠のものとするための「最終戦争」の只中にあった。

果たしてその先にあるのは勝利か、それとも破滅か・・・この物語はここで終わりを迎え、続きは読者の想像に任せることとする。

最後に、終了直前の各種データを見ていくこととする。

まずは、最終的な国家ランキング。

威信・GDPともに抜きんでての世界1位。

1人当たりGDP順位では3位だが、上位4か国がすべて汎ヨーロッパ(ヨーロッパ第三帝国)の市場内国家であり、生活水準についても1位が同じく関税同盟下にあるベルギー。それに次いでの2位である。

1935年末時点での収支状況は下記の通り。課税は普通・消費税もほとんどついていない状態でのものだが、所得税282万・消費税181万に対して軍事費が合計840万弱という状況。

軍事施設の内訳は下記の通り。徴兵を歩兵中心にしたのもあるが、全体的に新バージョンで小火器・弾薬の消費が激しくなったため、その二つの支出が抜きんでる形となった。

職業分布は以下の通り。社会主義にはあまり傾倒しなかった結果、資本家の力はまだまだ強く、またヒトラーの権力を上げるために農場を多く建てた結果農家の力もそこそこにある。

文化と宗教は下記の通りだ。最終的に民族国家を通したことで、汎ヨーロッパの主要文化(南北ドイツ、チェコ、オランダ、フラマン、ワロン、アレマン、北イタリア、スロベニア)以外の政治力は低くなっており、それら以外の人口が多い正教会の政治力も合わせて低くなっている。

最も人口を抱えるPOPはオーストリア(ウィーン)のガラス工房で働くカトリック南ドイツ人労働者。70万人いる。229個もある建設局のためにガラスの需要は天井知らずとなっており、ウィーンには126個ものガラス工房が建設されている。

労働者だが生活水準が高いこともあり、半数以上が小ブルジョワIGを指示しており、ナチ党の支持基盤となっていることが分かる。

なお、POP求心力の計算方法がよく分からない。この「185.65」はどこから来るんだろう?

比較のために労働組合のPOP求心力も。抑圧の効果が結構強いことが分かる。「異議の禁止」などを通せばさらに強力となるだろう。

この労働者POP70万人の消費内訳。生活水準は高めでも衣類や穀物の基本商品の消費がまだまだ多い。一部はワインや自動車などの高級品を手に入れているようだ。

逆に最も裕福なPOPは誰かと探すと、やはり石油産業の担い手。ポーランド人なので被差別身分なのだが、逆に働いているPOPも被差別身分で比較的支払う給料も安いからなのか、かなり儲けているようだ。

この資本家たちの消費品目一覧。際限なく高価な美術品を買い漁っている。

軍事態勢下で高騰する石油の価値。労働者たちも被差別身分ながら首都の労働者よりも良い生活が出来ている。


今回のプレイは新バージョンにおける軍事などに焦点を当てつつプレイしていたが、次回はより経済に注目したプレイを行い、新バージョンでの経済の動かし方について学んでいくのも良いかもしれない。1.6でPOPの詳細がより可視化されていくというのも良い変化だ。

 

最後に世界の状況について。北米や南米は比較的史実通りの状況に。アラスカもアメリカ合衆国が手に入れている。インディアン準州がフランスの支配下に入ったことで現在に至るまで残存しているのがちょっとした違いか。

アフリカ大陸は南アフリカが独立したほか、トリポリがアメリカ合衆国のものに。今後地域には汎ヨーロッパの巨大な植民地が広がっていたはずなのだが、汎ヨーロッパの保護下になったポルトガルがいつのまにか宗主国になっていた。何故だ?

アジアではイギリスが北京周辺と遼東半島を領有。そして日本は大日本帝国化を果たしていたがこの終盤で大規模な内乱に見舞われている。

長生きしている大正天皇は「大衆の敵」となってしまっており、まさかの鷹司家に反旗を翻されてしまっている。

 

以上、最後までお読みいただき、誠に有難う御座います。

次回ももしよろしければ、御覧になって下さい。

 

 

~おまけ~

 

 

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*1:ゲーム上ではルーマニアに対しワラキアの割譲を要求して宣戦布告し、オスマン帝国があとで支援する形となったが、物語上はより自然な形になるよう少し脚色を加えている。