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【CK3】「きつね」の一族の物語 第五話 哲人帝アルブレヒトの理想と悲劇(1146年~1183年)

 

神聖ローマ帝国の辺境に現れた無名の下級貴族「ルナール家」は、その後半世紀の間に帝国北東端の異教徒たちを駆逐し、キリスト教のポンメルン王国を建国するほどとなった。

初代ポンメルン「慈悲王」ゲロの嫡男オトゲルは、度重なる戦争の果てに勢力を拡大し、ついには神聖ローマ帝国皇帝の地位にまで辿り着くが、最終的には東方のギリシア人の地で戦場において没する。

この後を継いだのが、ゲロ慈悲王の弟で第1回十字軍の英雄ルートヴィヒ。その寛大な心でも尊敬を集めるルートヴィヒが新たな神聖ローマ帝国皇帝として推戴され、1134年に発令された第2回十字軍においても活躍しキリスト教国としてのエジプト王国を建国するなど、その威容を世に知らしめた。

そしてルートヴィヒは歴史的な偉業に着手する。すなわち、異教徒と「ギリシア人の異端者」に奪われている五大総主教区の完全なる解放と、分裂したキリストの教義の統一。

ギリシア帝国(ビザンツ帝国)をも打ち負かし、1144年に開催した第5回コンスタンティノープル公会議にて、この「大分裂の修復」は見事達成され、ルートヴィヒとルナール王朝の名声は頂点に達した。

 

しかし、その晩年においてルートヴィヒは苦しみをも経験する。第2回十字軍の英雄として活躍し、次期皇帝の座も約束されていた第2皇子フロリベルトの突然の死。

自らの命ももう長くないことを悟っていたルートヴィヒはすぐさまフランクフルトでの選帝侯会議を招集し、急ぎ第1皇子アルブレヒトのローマ王内定を確定させる。

その1年後、彼は深い雪の降る夜に旅立った。世間では全キリスト教世界の英雄として讃えられる「大帝」ルートヴィヒであったが、彼自身はその目的達成のためにその手で流してきた血の多さから、自らが地獄に行くことになることを十分に理解していた。

 

一つの時代は終わり、また新たなる時代がやってくる。

果たして英雄ルートヴィヒの理想は、無事継承されていくのだろうか。

 

 

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目次

 

第四話はこちらから

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最初の政治(1146-1147)

アルブレヒト・フォン・ラーヴェンスブルクは、1104年5月26日にリューネブルクで生を享けた。彼の父は当時まだヴェレティア公爵であったルートヴィヒであり、母はザクセン公マグヌスの次女ヴルフヒルデ。彼には10歳年上の兄マルクヴァルトがおり、ラーヴェンスブルク家の家督およびヴェレティア公位は彼が継ぐ予定であった。

しかし1109年、このマルクヴァルトがヴルフヒルデの姉イーダによって暗殺される。イーダはその後何者かによって暗殺し返され、アルブレヒトら兄弟にまで危害が及ぶことはなかったが、アルブレヒトは兄に代わる家督継承者として認識され、その為の教育が始まっていった。

だが、父親譲りの公正さと野心、そして人に好かれる「愛らしさ」とを持つ兄と違い、アルブレヒトは好奇心旺盛だが自分の世界に閉じこもりがちな性格でもあり、およそ外交的な政治や統治には向いていなかった。

父ルートヴィヒもそんな彼の性格を良く理解しており、弟のフロリベルトが成長し父に匹敵する戦略家としての才能を見せ始めるに従い、次第にラーヴェンスベルク家の家督は弟が担うことが暗黙の了解となりつつあった。

そのときにはすでに父が皇帝として即位しており、後継者については年長者かどうかは重要ではなくなっていたのである。

 

父について世界中を駆け巡るフロリベルトを尻目に、アルブレヒトは旧首都ヴィスマールや母の居城リューネブルクに滞在し、専ら彼の好む古文や医学化学天文学などの専門書、そして哲学書などを読み耽る日々を過ごしていた。

アルブレヒトは世界最高峰の学堂における高名な教授にも匹敵するほどの知の才を有していた。幼児からの好奇心の成せる業であった。

 

そんな彼の許に届けられた、弟フロリベルトのまさかの死の報せ。

頭は追いついていなかったが、ひたすらに急かす父皇帝の特使に従い、兎にも角にも全速力でコンスタンティノープルへと向かった。

しかしその途上、ウィーンに辿り着いたアルブレヒトはさらにもう1つの報せを受け取り、進路を反転、フランクフルトへと向かうことになる。

 

1145年12月23日。

17年ぶりに開かれた選帝侯会議の場において、アルブレヒトは次期皇帝(すなわちローマ王)の地位が約束される。それは当然予期していた結果ではあるが、しかし彼はまだ、その実感を持てずにいた。

その後、父に連れられてコンスタンティノープルへと辿り着いた彼は、父からこれまで免除されてきたすべての皇帝としての知識、作法、政治のことについて、ありとあらゆるものを叩き込まれ続けていった。

もとより、父譲りの聡明さを継承し、造詣も深かった彼は、常人であれば幾年も掛けねば覚えきれぬものもものの数ヶ月でものにし、最初は不安がっていた周囲も次第にその器量を認め、アルブレヒトは少しずつ皇帝としての権威を身につけていくようになった。

 

そして秋が始まる頃には、父は政務の場に出ることも少なくなり、共同皇帝たるアルブレヒトが専らこれを執り行うようになった。

アルブレヒトも首も回らぬ多忙さに父に声をかけることも能わなかったが、時折り目にするその横顔は、この世の全ての呪いを一身に背負ったかの如くやつれ、往年の面影は一切見当たらなかった。

あれほどの傑物であり、子であっても近寄りがたく思われていた父でも、最後にはこのような姿になってしまうのか。

世界を束ねる皇帝という責務の重さを思い知り陰鬱な思いを抱えながら机上に向かい続けていたアルブレヒトの元に、12月16日朝、ついに父の死が告げられた。

 

 

1147年1月25日。

父の死からおよそ1ヵ月。

この1ヵ月の間、それまで以上にアルブレヒトは忙しく、余計なことなど何一つ考えることができずにいた。

父の死の当日、彼はすぐさま側近たちに命じ、その死を知らせる極秘の使者をドイツやイタリアの諸侯たちに急派した。

翌日には防腐処理を施した父の遺体を金色の棺に納め、馬車に乗せ、大量の護衛たちを引き連れてコンスタンティノープルを出発。12月25日の生誕祭の日にドナウ川を越え、ドイツ領へと入った。

1月1日の新年の日にフランクフルトへ到着し、父の遺体を大聖堂に安置したのち、事前に集まっていたドイツ諸侯や教会指導者たちと面会し、そして事前の取り決め通り、アルブレヒトのローマ王即位が認められた。

1月6日の公現祭の日、父の遺体はフランクフルト大聖堂から出発し、最後の目的地であるアーヘンへと向かった。

1月12日にアーヘンに到着した父の遺体はそのまま「皇帝の大聖堂」へと安置され、新皇帝アルブレヒトと帝国諸侯・教会指導者・教皇エウゲニウス3世など数多くの貴人たちが参列し、盛大な葬儀が執り行われた。

父は最終的に金色の棺から取り出され、白い石棺へと納められた。そして聖堂内の高い位置に置かれ、先代皇帝たちとともに永遠の眠りについたのである。

 

そして1月25日。

ようやく喧騒は止み、アルブレヒトはアーヘンを離れ懐かしき母の居城リューネブルクへと到着。ようやく一息吐けるようになった。

とはいえ、あまりゆっくりもしていられない。彼は帝国宰相を務めるボヘミア王メインハルドを呼びつけると、執務室の机に帝国領内の地図を広げさせた。

 

「さて、どこから手をつけるべきか」

「やはり、帝国最大勢力であるところのロタリンギア王かと」

アルブレヒトの言葉に、メインハルドが応える。アルブレヒトにとっては年上の従甥にあたるこの男は、アルブレヒトの父ルートヴィヒの手によってボヘミア王位を獲得し、そして反乱の危機においても助けてくれた恩を持つ。その子アルブレヒトに対しても高い忠誠心を持っていた。

「現在、帝国内には4つの『王国』が存在しますが、そのうちの3つ――ポンメルン王国、ブルグント王国、そして我らがボヘミア王国――は、ルナール王朝によって統治されております。一方、帝国北西部のこのロタリンギア王国だけは、外来の一族によって支配されている、いわば外様となるのです」

「シャトノワ家、だったか。彼らは元々は上ロレーヌ公に過ぎなかったはずだが」

「ええ、ヴィゲリヒ家*1のフォルクマール氏が復活させたロタリンギア王国の家臣の1つに過ぎませんでしたが、現ロタリンギア王フンベルトの父『剛腕公』が反乱を起こしこれを簒奪したのです」

「メヒティルト女王は父ルートヴィヒ皇帝にとっても重要な同盟相手だっただけに、その意味でも我々ルナール王朝の宿敵とも言える相手というわけだ。

 向こうとしても、我々と友好関係を結びたいと思っているわけではないのだろう?」

「それについては私から説明させて頂きます」

そう言ってメインハルドの背後から姿を現したのは、帝国の密偵頭を務めるギュンター・フォン・ブラウンシュヴァイクであった。父ルートヴィヒの頃から仕える、一族の「影の部門」を支える存在である。

「我々の調べによると、すでにルートヴィヒ前皇帝の晩年より、このロタリンギア王が主導する派閥が形成されつつありました。現時点で明確にこれに加わっているのは4名。ロタリンギア王自身とヘルレ公カールマンイストリア辺境伯アルブレヒトバイエルン公ダゴの1王3公爵となります」

「一門のバイエルン公までもか・・・」

「『無知公』と称されるほどの愚か者です。何も大したことは考えておらず、口車に乗せられて同調しているだけでしょう」と、メインハルドは吐き捨てる。

「それより厄介なのは、やはりヘルレ公です。かつてオトゲル戦争王やルートヴィヒ寛容帝の仇敵でもあったザーリアー家のベラールの嫡子であり、彼の怨念を継承している人物となります。西フランケン大公の地位を剥奪されながらもヘルレ公にまで登り詰めたこの男を、侮るわけにはいきません」

「一方、イストリア辺境伯について私にお任せください」

と、口を挟んだのは、「残酷公」の名で知られるマイセン公フィリップである。

「イストリア辺境伯は私の縁戚にあたる人物でもあります。わが父ゴットシャルクはかつてラウジッツ辺境伯の人質として捕らえられていたところを、その暴虐を誅した『隻脚伯』オトゲル様に救い出していただいた過去を持ちます。私としても隻脚伯様のお孫様にあたる陛下には忠義を尽くす義務がありますから、ヴァイマール王朝の当主として、責任をもってイストリア辺境伯への『説得』に当たらせていただきます。

 もし、平和的な解決が望めないのであれば・・・また『別の方法』を取る必要もありますでしょうが」

と言って、ニッと笑顔を見せるマイセン公。その場の空気が一瞬凍り付き、誰も何も言えなくなってしまう。

「いやいや、冗談ですよ。いずれにせよ、これは王朝内の問題だけで片付けますゆえ、陛下並びに帝国の同輩たちの御手を煩わせることは御座いません」

「コホン・・・とりあえず、マイセン公の仰る通り、南方のイストリア辺境伯については一旦置いておきましょう。バイエルン公についても、先手を打ってこちらから陛下と共に窺うとして、やはり問題はロタリンギア王とヘルレ公ですね。両者は地理的にも近く、容易に連合して我々への反旗を翻すことになるでしょう」

「それについてはすでに、工作を開始しております」

メインハルドの説明に対し、ギュンターは自信満々に応える。

「ロタリンギア王の次男にあたるシモンを懐柔し、メヒティルト様の御子息であられますヴィゲリヒ家のポッポを推戴する反乱戦争を行わせております。ここにはブラバント公や南イタリアの先端に位置するアプリア女公も加わっており、1万を超える兵力でもって王を追い詰めている形になります」

「とは言え、現状ではロタリンギア王が優勢と聞いているが」とアルブレヒト。

「ええ、仰る通りです。ゆえに、我々としても次の手を考えております。間もなく、その成果は現れるでしょう」

 

ギュンターの言葉通り、その『成果』は1か月後には現れた。ロタリンギア王フンベルト2世が『行軍中の病』によって倒れたのだ。

その後を継いだのは嫡男のフンベルト3世。だが祖父や父のような武勇を受け継ぐことができずにいた彼に分裂する国内をまとめることはできず、その勢力は一気に減衰していくこととなる。

ロタリンギア王はこれで戦闘不能になるはずだ。彼が動かなければ、ヘルレ公も単独では抵抗は難しいだろう。

あとは、一族の「大莫迦者」バイエルン公をどうにかするだけだ。

 

 

1147年春。

神聖ローマ帝国皇帝アルブレヒトは、バイエルン公の宮廷のあるレーゲンスブルクを訪問した。

それは事前の予告なしの訪問ではあったが、数日前にそれを知らされたバイエルン公は慌てて準備を進め、精一杯の対応をもって従叔父を出迎えるほかなかった。

「唐突な訪問、実に申し訳ない。たまたま近くに寄ったものだから、折角と思ってね」

「いえいえ、叔父上・・・いや、陛下にとっての、最初の行幸の目的地に選んでいただけたことは、実に光栄であります」

ちょうど地元で開催されていた祭りの中を、二人で並んで練り歩く。アルブレヒトは常に柔和に、まるでバイエルン公が謀略に加わっていることなど露も知らぬかの如く振る舞い、バイエルン公の方はひたすら恐縮しきりであった。

「迷惑をかけたことの謝罪と、素晴らしい歓迎への御礼として、バイエルン公にぜひともお贈りしたいものがあるんだ」

アルブレヒトは言いながら、近くに控えていた従者に呼びかける。彼が持ってきたものを見て、バイエルン公は驚愕の表情を見せる。

「こ、これは・・・!」

バイエルン公に手渡されたのは、半世紀前、かの慈悲王ゲロがポンメルン族との戦いの中で奪い取ったとされる伝説の槍であった。ルナール朝の栄光を示す宝物の1つとして、代々その当主に受け継がれる貴重な品であった。

「こ、こんなものを・・・い、いいのですか?」

明らかにうろたえている様子のバイエルン公に、アルブレヒトは笑顔で応える。

「ええ、年代物のため、状態は決して良くはないが、気に入って頂けたら幸いだ。バイエルン公は、こういったものがお好きだと聞いていたのでね」

アルブレヒトの言葉に、バイエルン公は折れてしまいそうに見えるくらい首を何度も縦に振る。そして両手でしっかりと、アルブレヒトの従者から手渡された宝槍を抱き抱え、しげしげとそれを見つめている。まるで子どものような純粋さだ。

「陛下・・・私は陛下のことを誤解しておりました。私はとある者たちから、陛下はこの国を治める器量がないとか、ルナールの嫡流から謀略で帝位を奪い取った分家の子だとか・・・あ、いえ、私ではなく、その不届きなるその輩が言っていたということですが・・・!」

「ああ、分かっているよ。そうやって、我々の一族を引き裂こうとする者共がこの帝国内に蔓延っていることは、我々も承知している。大方、過去の皇帝の一族の末裔だったり、伝統ある王権の簒奪者だったり、大体調べはついている。

 大切なのは、そういった流言に惑わされることなく、同じ一族同志、真心をもって協力し合うことだ。そうではないかね?」

アルブレヒトの言葉に、バイエルン公はもう一度深く、大きく、頷いた。

 

これで問題なく、バイエルン公は派閥から抜け出してくれることだろう。

 

 

「・・・ふう、やはり政治というのは向かんな。疲れて敵わん」

リューネブルクに戻ったアルブレヒトは椅子に深く腰掛け、大きくため息を吐く。それを見てメインハルドがすぐさま得意の「おべっか」を使ってくる。

「いえ、ご立派でしたよ。あのルートヴィヒ陛下が乗り移られているかのごとくでした」

「お前の言っていることはいつも大袈裟で信じられん。

 ――私は父のようにはなれんよ。それは十分に、よく理解しているつもりだ」

苦笑するアルブレヒト。「そんなことは」とメインハルドが言いかけたところで、慌ただしく部屋に入ってきた男が血相を変えてアルブレヒトに報告した。

「へ、陛下! すぐにコンスタンティノープルにお戻りください! 

 ――ギリシア帝国で、大規模な内乱が勃発しており、反乱軍の一部は真っ直ぐにコンスタンティノープルヘと向かってきているとのことです!」

 

平穏は、まだまだ遠い。

アルブレヒトにはもう少し、「政治」を頑張ってもらう必要がありそうだ。

 

 

ギリシア内戦(1148-1150)

1148年春。

冬の荒波を掻き分けつつ、急ぎコンスタンティノープルに戻ったアルブレヒト。そこには、「戦争王」オトゲルの次男(つまりバイエルン公の兄でもある)ゲロが待っていた。

ゲロはアルブレヒトとも年齢が近く、子どものころにいじめられていた彼をアルブレヒトが助けて以来、二人は常に友人として親しい間柄を続けていた。

そんな彼は「戦争王」の息子たちの中では唯一所領を持たない男であった。元々はポンメルン公として兄のポンメルン王マグヌス1世の臣下であったが、その暴政の一環として領土をすべて取り上げられる憂き目に遭っていた。

しかし「お人好し」な性格の彼は兄に反抗するでもなく大人しくこの要求に従い、その後はその武勇でもって自由気ままに諸国を遍歴。

モラヴィア公の元帥として仕えていたときもあれば、直近ではなんとセルジューク朝の首都ニハーヴァンドに滞在していたこともあったという。

そんな、経験豊かな友であり軍師でもあるゲロをアルブレヒトは即位の際に呼び寄せており、帝都で留守を守らせると共に、兵士たちの訓練を任せていたのである。

「状況はどうなっている?」

「まあ、あまり良くはないな。先だってもアナトリア東部のヒュプセイエの地にてギリシア皇帝ルーカス率いる軍勢が反乱軍に敗北。バルデヴィーク将軍率いる5,000の兵を援軍に向かわせたが間に合わず、その敗北を見て将軍も引き返さざるを得なかったという」

「コンスタンティノープルに向ってきている軍というのは?」

「一度は我が軍で押し返した。ちょうど精鋭のチュートン騎士団も滞在しており、彼らの力を借りることもできた」

通常正教徒は「迷信」扱いとなり聖戦騎士団派遣の対象とならないが、大分裂の修復を成し得たことでカトリック以外のキリスト教勢力は軒並み「敵対的」となり、祓うべき大敵となっている。

 

「しかしその後、敵はさらに兵を再編し、より多くの数を集めて再び我らが城に押し入らんとしている。海からもその援軍は近づいてきており、敵軍の総勢は8,500。対するこちらは6,300。いかにチュートン騎士団の兵たちが精強であるとはいえ、この数的劣勢を覆すのは難しいだろう」

「そこで、だ」とゲロは苦い顔をしながら提案する。「我々の軍はコンスタンティノープルを離れ、東進。バルデヴィーク将軍の軍勢と合流することを考えている」

「コンスタンティノープルを捨てるのか?」アルブレヒトは友人の提案に驚きを隠せない。

「もちろん、最低限の守備兵は残していく。コンスタンティノープルは天下の堅城であり、そうやすやすと落ちることはないだろう」

「それよりは籠城戦で兵を必要以上に削りたくはない。むしろ奴らがコンスタンティノープル包囲で疲弊している間に、バルデヴィーク将軍と合流した1万超の軍勢で、一気にその包囲軍を蹴散らしていく。ドイツ方面からも、ヘッセン公率いる4,000の部隊が近づいて来てくれている。こちらと合わせれば圧倒的な兵力差で敵を挟撃することができるだろう」

「ただ・・・」と次の言葉を口にするのをためらうゲロ。アルブレヒトはすぐにそれを察し、助け船を出す。

「分かっている。私はここに残る。苦しい籠城戦を耐え抜くためにも、その旗印が必要だ。父ほどではないが、私も一応皇帝という名誉を頂いている。その権威を有効活用させていただくさ」

ゲロは沈黙したまま頷いた。二人の間には、何も忖度などない。アルブレヒトが心から信頼する友人の戦略を心から信じ、そして友人もまた、そんなアルブレヒトを信じて最高の手を考えていくだけだ。

 

ただ、そのゲロの戦略を、敵側は見抜いていたのだろうか。

敵軍の陸戦部隊7,000はそのままコンスタンティノープルを素通りし、真っ直ぐにゲロの部隊を追いかけていく。

敵軍を指揮するのはフィリッポポリス女公ドロテアの家臣であるフィリッポス・セムノス。ギリシア人の中でも随一の戦略家として知られる名将だ。

彼の軍に捕らえられ、ゲロの軍勢が壊滅してしまえばそれこそコンスタンティノープル陥落の危機が現実のものとなりうる。

 

だが、そこに現れるバルデヴィーク将軍率いる4,000の部隊。早馬で事態を報せ援軍に来てくれるよう要請はしていたが、こんなにも早くやってくるとは。5,000超いたはずの軍勢も強行軍によって随分数を減らしてはいるが、それでも反乱軍を打ち倒すには十分な数である。

セムノスに負けぬ軍才で知られる帝国軍一の名将ヴァルデヴィーク。「聡明」な男でもあり、今回も冷静な判断力と決断力で友軍の危機を見事救ってみせた。

 

プラハからやってきたヘッセン公の軍も加わり、帝国軍の兵力は合計1万6千弱。敵軍も慌ててバラバラになりながら逃げ惑い始めるが、もう遅い。

タルソスの地で、この戦争最大の野戦が繰り広げられる。

結果は、帝国軍の圧勝。この戦いだけで敵軍の半数近い兵が物言わぬ屍となり、反乱軍全体に対し帝国軍の威容を見せることには成功した。

しかし、犠牲も大きかった。

ドイツ遠征軍を指揮していたヘッセン公はその片目を失い、そしてチュートン騎士団を率いていたゲロはその片腕を失ってしまった。

それでも、この勝利の価値は大きかった。当初、ギリシア皇帝軍を打ち破った反乱軍は勢いに乗っていた様子だったが、このタルソスの戦いにおける敗北で次第に内部分裂を開始。

最終的には反乱軍の指導者であったフィリッポポリス女公の夫アンテミオスを戦場で生け捕りにしたことで、その勢いは一気に減衰。

1150年12月10日。

2年にわたり帝国を苦しめてきたこの大内戦はようやく終わりを迎えることとなったのである。

 

「いやはや、助かったよ、ドイツの皇帝陛下。まさかあれほどの勢力に一斉蜂起されるとは思ってもおらず、我も対応が後手後手に回ってしまった。貴公らが来なければ、矢もなく降伏せざるを得なかったかもしれぬ」

緒戦に早々に敗北し、以後はアナトリアの山中をひたすら逃げ回っていたというギリシアの皇帝ルーカス2世が、恥ずかしげもなくコンスタンティノープルを訪れ、アルブレヒトに感謝を述べた。2m近いその長身は威圧的ではあるが、その胸板同様に面の皮も相当に分厚いようだ。

「ところで、実に見事な宮廷ですな。我が父が治めていた時よりも調度品も整えられ、侍従の数も増え、今や世界で最も輝かしき宮廷と噂されるのも納得だ」

しげしげと無遠慮に辺りを見渡し、聞いてもいないことをべらべらと喋っていく様はアルブレヒトには不快で仕方なく、さっさとこの時間が終わってくれればいいのに、と心の底から感じていた。

こんな時にメインハルドがいてくれたら、とつい思ってしまうが、さすがに一国の主たるメインハルドにわざわざここまで来てもらうのも忍びない。それにここ最近、ボヘミア国内もやや不穏な様子が出てきているとは耳にする。

ここは自分一人で切り抜けねばならない。

「とにかく、これを機に、帝国内の正教徒勢力の一掃を図る必要がある。もうこれ以上このギリシアを不安定化させないようにしてくれ」

「分かっているとも。かつてならともかく、今はもう我も実に模範的なカトリック教徒であり、その信仰のためにこの命も燃やし尽くする勢いだ」

耳障りな声で豪快に笑うギリシアの皇帝。我慢、我慢だ。父ルートヴィヒ帝が、彼にアンティオキアと皇帝位を与える条件として、彼の嫡子カリストスをルナール家の娘に婿入りさせている。

この婚約を破棄すればどんな運命になるかは彼自身もよく分かっているだろう。近い未来において、このギリシアの帝国も全て一族のものとなる。それまでは我慢である。

 

ギリシアの皇帝が去り——すなわちこの世の終わりかと思うくらいの苦痛の時間が去り——ようやく人心地つくことのできたアルブレヒト。

宮廷の執事からもたらされるドイツの状況も安定しているようで、暫くは安泰と言えるだろう。

ようやく、アルブレヒトは自分の好きなことができるようになるというわけだ。

 

「父上、私はあなたのようにはなれませんが、私は私なりのやり方で、この帝国を統治してみせます」

 

彼は聖ソフィア大聖堂上階のバルコニーから街を見下ろしていた。

金角湾には世界中から運び込まれる貴重な商品を山積みにした商船が並び、街中には無数の教会や修道院が立ち並んでいる。

経済においても、文化においても、世界最高峰の歴史と規模をもつこの街コンスタンティノープル。

 

ここから、皇帝アルブレヒトの改革が始まる。

 

 

コスモポリタニズム(1151-1156)

アルブレヒトはその改革の手始めとして、この首都コンスタンティノープルの大改造を手掛けようと考えていた。

そのために必要な石材を見繕うべくクテニアの採石場を訪れていたところで・・・その男と出会った。

男の名はグレゴラス。まだ若くして、一流の「建築家」の才を持つ男であった。

男と少し話しただけで、アルブレヒトは彼のその深い知識と探求心とに魅せられた。彼は高い芸術的野心を持ち、人の手では現実不可能なようにすら思える様々な建築物についてのアイディアと具体的な図面とをその手で描き出していた。

それは、アルブレヒトにとって、まさに必要としていた人材であった。

「グレゴラス、ぜひ我が宮廷に来ていただけないだろうか」

 

「王室建築家」グレゴラスはすぐさまアルブレヒトの改革の中心人物となった。彼の手により首都コンスタンティノープルには次々と新しい先進的な建築物が立ち並ぶようになった。

その中でも最も先進的な施設として注目を集めたのが、風の力を利用して製粉や原材料の加工を大幅に効率化するという「風車」。

グレゴラスが諸国を放浪していた際にサラセン人たちから得た知見をもとに、アルブレヒトがその高い学識能力を活かして着想し、共に発明した新技術である。

学識能力驚異の36を記録するアルブレヒト。続いて木造櫓という新たな技術について学びを進行させている。

 

グレゴラスはその能力だけでなく、その知見、知識、そして発想力において常にアルブレヒトを愉しませた。これまで正直、彼と対等に話ができる人間というのに出会ったことがなかっただけに、彼は初めて人と話すというのがこれほどまでに楽しいものだという実感を得るに至ったのである。

結果、彼はグレゴラスを宮廷の家令にまで任命し、重用することとなる。

そんな家令グレゴラスにアルブレヒトが命じたのが、「文化受容の促進」。

すなわち、ギリシャとオーバーザクセン(上ザクセン)の文化的融合である。

 

 

「珍しいですな。ザクセンの方々は領地をすべて自国の文化にしないと気が済まない性質があると思っておりましたが」

「確かにそうかもしれん。私の祖先も、未開の地・異文化の地を征服し、これを自文化に取り込んでいくことを得意としていた。ルナール家の繁栄の礎はその伝統にあったと言っていいだろう」

「だが、それだけでは限界がある。もはや我々はドイツの辺境の一地域を支配する一族ではなく、今や世界中にその領域を広げる大帝国の支配者なのだから。異文化と敵対するだけでなく、それと融合し、融和していく責務があると、私は思っている」

支配階級伝統を、新たに異国趣味伝統へと置き換える。

 

「なるほど・・・コスモポリタニズム、ですね」

「コスモ・・・なんだ、それは?」

「古代ギリシャの哲学者ディオゲネスが唱えたとされる思想です。かつて小規模なポリス(都市国家)に分立していたギリシャにおいて、その枠組みを破壊する偉大なる大王アレクサンドロスの登場により広まった世界市民思想です。

 あらゆる文化、人種、言語の枠を超え、一つの国家のもとに全人類が統合されるべきという思想ーーそれを現実世界に誕生させたのが古代のローマ帝国でした。

 陛下、陛下はローマをこの地上に甦らそうとしているのですか?」

 

まさか、とアルブレヒトは苦笑しながら応える。一方で、グレゴラスのその言葉は彼の心の中に強い印象を与えた。

コスモポリタニズム、ローマの復活・・・

 

そんな大それたこと、この私には決して無理だろう。

しかし、偉大なる先人ゲロ慈悲王やルートヴィヒ寛容帝を輩出した我らがこのルナールの一族であれば、まさかそのような遠大な夢も、叶えられるのではないだろうか。

 

そして私がその礎に少しでも貢献できるのだとしたら――。

 

 

皇帝アルブレヒトは成長する野心を胸に、新たなる試みへと挑戦する。

1156年5月。彼はギリシャとザクセンの更なる文化的統合を目的とし、コンスタンティノープルを会場とした一大「グランドトーナメント」の開催を決定する。

ただし、欧州のように野蛮なレスリングだとか決闘だとかの血生臭いものが中心のそれではない。

より文化的で、平和的、かつ知略に富んだ「総合格闘技」を催すこととする。

 

よって、アルブレヒトは次の演目での開催を決めた。

まずは「独唱」大会。大会の開幕を飾るにふさわしい、文化的な催し。これこそ、両文化の統合を目指す本大会のテーマに相応しい緒戦となるだろう。

続いて「ボードゲーム」大会。盤上の駒を操る頭脳戦。戦争とは、武力だけでは勝利は得られぬ。むしろ、机上の闘争でこそ、大きな決着は決まるものだ。

そして最後はやはり花形の馬上槍試合「ジョスト」。シンプルな武勇の一騎打ち。純粋に最も強いものが最高の栄誉を勝ち取るのである。

アルブレヒトはこの大会の開催のために莫大な資金を提供することに決める。とにかく、両文化の融和、そして未来のコスモポリタン帝国の完成に向け、ここに全てを賭ける価値があると彼は判断した。

 

3カ月の猶予期間を経て、集まったのは100名を超える参加者たち。距離の関係でほとんどがギリシャの諸侯たちに限定されたものの、皇帝ルーカス2世をはじめとして、ギリシア帝国の各地を治める有力諸侯たちが勢揃いしている。

中には先の反乱において敵側として戦った正教徒も足を運んできている。アルブレヒトはそんな彼らをも――いや、彼らをこそより一層丁寧に――歓迎し、迎え入れたのである。

 

そして1156年8月。

いよいよ最初の競技、「独唱」大会が始まる。

最も有力視されている本命は、イタリアからやってきた「ルーニのアメデーオ」。

歌声もさることながら、その美しさによって、ギリシャ人が多数を占める観客席の審査員たちを大会前から魅了し続けていた。

このまま、前評判通り、アメデーオが勝利を奪い取ってしまうか?

 

しかし、ここで思わぬ番狂わせが起きる。

クロアチア王からの人質としてコンスタンティノープルに滞在しているハンガリー人のエメシュが、誰もが聞いたことのない美しい歌声で機知に富んだ独創的な詩文を披露し、一気に聴衆を虜にしたのである。

それまでも数多くの実力者たちがその歌声を披露し続けてきたものの、事ここに至り、彼女の勝利は誰の目から見ても明らかであった。

多少のミスはありながらも、最後まで観衆を熱狂させ続けたエメシュの独唱。

そのすべてが終わったとき、万雷の拍手が辺りを包み込んだ。

決着はついた。優勝はエメシュ・エステルハージ。

きっと彼女も、故郷の兄王に持ち帰る大きな土産話ができたはずだ。

 

続いて、ボードゲーム大会だ。

そして、この大会には皇帝アルブレヒトが自らサプライズ参加することが発表された!

 

予選を勝ち抜き、いよいよ準決勝。シード扱いのアルブレヒトは、ここから参加することとなる。

準決勝の相手は、ギリシア皇帝ルーカス2世の弟(三男)、オプティマトーン公エウスタティオス。

正直、ここまで運だけで勝ち上がってきたのだろう。見るに堪えない駒の動かし方を見て、少し可哀そうにさえ感じ始めてしまう。アルブレヒトの巧みな操駒術を前にして見るからに焦り始め、冷静さを欠き始めたがゆえだろう。致命的なミスに気が付いたエウスタティオスは思わずテーブルをひっくり返してしまったのだ!

明らかにあってはならない狼藉に、和気藹々としていた周囲の空気も一気に緊張感に包まれる。相手はこの世界の支配者たる神聖ローマ帝国皇帝アルブレヒト。遠巻きに眺めていたエウスタティオスの兄ルーカス2世もいつもの弛緩した表情を見せることなどできず、眉間に皺を寄せてこれを眺めていた。「斬りますか?」ルーカスの脇の側近が、そう囁いた。

しかし、当のアルブレヒトは落ち着いて、散らばった駒を拾い集め始めた。そして青ざめ縮こまっていた目の前のエウスタティオスに向けて、笑顔と共に告げた。

当然、それで勝敗が変わるわけではなかった。すぐさま再度の決着はつき、アルブレヒトの決勝進出が決まった。

だが、単純な御遊びの勝利だけには留まらない価値が、この一戦には存在していたようだった。

 

騒然としたこの1つ目の準決勝戦を終えたのち、ようやく落ち着きを取り戻した会場で2つ目の準決勝戦が行われていた。

勝利したのはプルサを首都とするオプキシオン公国を支配する、ルーカス皇帝の右腕オプキシオン公テオドロス

ルーカスと気が合うだけあり似たような豪放磊落な性格の持ち主で、部下にも分け隔てなく接する人たらしの才で多くの仲間たちを持つ一方、その信頼を裏切り敵とみなされた相手に対しては容赦のない残酷さも併せ持つ、まさに「政治の男」。アルブレヒトが苦手なタイプである。

とは言え、盤上において政治は意味をなさない。そこにあるのはただ純粋な知と知の勝負である。先ほどの戦いで皇帝として寛大さを見せつけることには成功した。続いて、皇帝としての威厳をこの勝利によって手に入れて見せる!

 

だが、この男は盤上においても中々の手練れであった。こちらは常に相手の三手・四手・五手先を読んで駒を動かしていたのだが、そこに唐突かつ致命的な、予想もしていなかったような一手を繰り出されることになる。

――だが、そこで私は勝機を見つける。

相手の駒は確かに、定石では考えられないような大胆な一手を繰り出したことで、確かに私(キング)を追い詰めている。

だが、それは逆を言えば、大きな隙を作っているということでもある。そのことに、彼が気づいていなければ—―。

思わずガッツポーズをしてしまった。それだけ、この戦いは苦しかった。それこそ、先のギリシア内戦以上に・・・。

アルブレヒトを讃える拍手が辺り一面を包む中、冷静さを取り戻した皇帝アルブレヒトはすぐさま気恥ずかしくなって手を下ろすも、その一挙一投足を含め、彼に対する人びとの親近感と愛情とを膨らませる糧となった。さすがの彼もそこまでは読んでいなかったが。

 

いずれにせよ、主催者皇帝の飛び入り参加というサプライズがありつつも、このボードゲーム大会は大きな盛り上がりを見せた。

そして最後、競技会の花形たる「馬上槍試合(ジョスト)」が始まる。

 

 

アルブレヒトは盛り上がりを見せる準決勝戦から観戦を開始した。

1つ目の準決勝戦はザクセン人のジェロールと先ほどの独唱大会にも出場していたイタリア人のアメデーオ。

平民ではあるが幼い頃から戦場で戦い続けてきたというジェロールの実力を見事発揮し、彼はいとも簡単に若きアメデーオを打ち破った。

そしてもう1つの準決勝戦は、地元ギリシャ人の騎士マタイオスと、ブルガリア人のラドゥ。

僅差の戦いではあったが、最後はやはり同じように子供のころから武勇で鳴らしていたマタイオスが、歴戦のつわものとしての迫力を見せて見事勝利を掴んだ。


いよいよ、決勝戦だ。奇しくも、勝負はザクセン人vsギリシャ人。客席に詰めかける大多数のギリシャ人たちと、皇帝一族の近親者たちを中心としたザクセン人たち。それぞれの民族としてのプライドをかけた白熱の決勝戦が、まさに今始まろうとしていた。

激突する騎士と騎士。最後に勝ったのは――我らがザクセンの騎士、ジェロールだった!

見事なり、ジェロール!

そしてこの勇敢なる騎士たちによる決闘は会場全体を大いに盛り上げ、やがて隣同士に座るザクセン人もギリシャ人も、あるいはブルガリア人もペチェネグ人ですらも、皆、言葉は通じなくとも互いに抱き合い、喜び合い、何事か感想を話し合い、熱狂の中で打ち解ける姿を見せていることにアルブレヒトは気付いていた。

これで良い。こうして少しでもギリシアとザクセンとが融和する機会が増えていけば――きっと、理想のコスモポリタン帝国の完成も、そう遠くない未来になることだろう。

そしてそれは、強大なる父ですら望めなかった理想世界の在り方ではないか。この方法を取ることで、私はまた違った方法で、父を超えられるかもしれない。

 

アルブレヒトは手ごたえを感じていた。

このままこのコンスタンティノープルを理想の都として発展させていくこと——それが彼の進むべき道であるように感じていた。

 

だが、そんな折。

彼のその思いを挫くこととなる報せが、1158年の春に届けられる。

 

それは、母ヴルフヒルデの危篤を知らせる内容であった。

 

 

皇帝として(1158-1168)

手紙を受け取ってすぐ、アルブレヒトは帝都のことを嫡男のヴィヒベルトとゲロそしてグレゴラスに任せ、自らは必要最低限の供回りと荷物だけをもって母のいる故郷リューネブルクへと向かった。

全速力の旅ではあったが、それでもリューネブルクに辿り着いたのは6月16日。すでに母は寝たきりの状態で身動きが取れず、その命の灯火は消えかけていた。

「遅かったわね、アルブレヒト」

アルブレヒトが部屋に入るなり、すでに中で待機していた妹のゲイラナが言い放った。その表情は憔悴しきっており、声にも力がなかった。アルブレヒトが到着するまでの間ずっと、彼女が母の傍にいて看病していたのだろう。

「すまない。これでも全力で来たつもりだったんだが・・・母の様子は、どうだ?」

「今は静かに眠っているわ。時々痛みにうなされて、起き上がろうとするけれども、寝ているときの方が長いわね。・・・多分もう、数日も持たない」

「そうか・・・」

部屋の中には沈黙が漂う。皇太后ヴルフヒルデの最期を見守ろうと、数多くの訪問客でごった返していたこのリューネブルクの宮殿であったが、この部屋の中にはアルブレヒトとゲイラナの二人だけとなっていた。

皇太后ヴルフヒルデの子どもたちはもう、この二人しか残っていなかった。幼き頃に命を奪われた長兄マルクヴァルトはもちろん、末弟フロリベルトも10年以上前に戦場で命を散らし、次女フロトゥヴィナも末妹ビシナもすでにこの世を去っていた。

「寂しいわね。世界最大の帝国を築いた皇帝の妃であり母である人の人生の最期だというのに」

「そうだな・・・」

ゲイラナもまた、嫡男タクルフが治める南イタリアのサレルノから駆け付けていると聞いている。比較的近くにあるヴェレティア公を治めるフロリベルトの子、グンツェリンは足繫く通ってくれていたようではあるが、やはり最も血の繋がりの近い子どもたちが傍にいられなかったことは母にとっては辛いことであっただろう。

10年前、ギリシア内戦に対応すべくリューネブルクを発ったときのことが思い返される。あのときは、一時的な対応のつもりでもあり、その後も何度かこちらに戻ってくるつもりではいた。しかし思いのほか内戦が長引き、さらにその後、コンスタンティノープルの改造と文化的改革への熱意にかまけている間に、この10年一度たりともこちらに戻ることをしなかった。

それが皇帝としての責務であると言えばそれまでではある。しかし、それにしてもギリシアとこの北ドイツは、あまりにも遠い。

そのとき、静かに眠っていた母が何かを呟こうとしていることに気が付いた。アルブレヒトは慌てて彼女の顔に自分の顔を近づける。

「母上、母上、私です。アルブレヒトです。お近くに居れず申し訳ありません。たった今、駆けつけました」

「・・・アルブレヒト・・・アルブレヒトか・・・よく来てくれた」

母は搾り出すようにして声を出す。アルブレヒトは母の目をまっすぐ見据えるが、母の視線は定まっておらず、既にほとんど目は見えていないようだった。

「アルブレヒト・・・お前はお前の父を、偉大なる皇帝であると、考えているのだろうが・・・それは、違う。

 お前の父もまた、愚かな一人の人間であり、そして多くの罪を、犯し続けていた・・・誰もそうとは、知られない中で。

 もちろん私も、多くの罪を犯し続けてきた。それゆえに私もお前の父も、きっと、地獄へと誘われることになるだろう・・・。

 だが・・・お前は違う、アルブレヒト。お前は、我々と違って・・・聡明なる心と神聖なる目的とをもって、この世界に永遠の帝国を築き、導いてくれるはずだ・・・。

 アルブレヒト・・・我が最愛の息子よ・・・そして、偉大なる、皇帝よ・・・

 ——祝福あれ」

か細く、弱弱しい母の言葉の、その最後の一節だけは、力強く、部屋中に響いた。

そのまま母は瞼を閉じた。寝息も途絶え、全身の力が急速に抜けていくのが分かった。

アルブレヒトは何も言えなかった。傍らのゲイラナも、同じように何も言えなかった。

 

栄光のビルング家最後の生き残り、ヴルフヒルト・フォン・ザクセン。最後まで責任をもって治め続けたオストファーレンの地で、彼女は82年の生涯に終止符を打った。

 

 

 

—―母の最期の言葉が、いつまでもアルブレヒトの中に引っかかっていた。

あの偉大なる父ですら、罪を犯していたと、母は告げた。

その上で、「お前は違う」と。

 

果たして本当にそうだろうか。

私は偉大なる父には追いつけない代わりに、父とは異なる方法——すなわち、コンスタンティノープルの発展とギリシャ人との文化の混淆という彼なりのやり方で、皇帝としての責務を果たせるものと、考えていた。

 

だが、その結果、彼は最愛の母の傍に居てやれなかった。

それが罪でなくて、何だというのだろうか。

 

そして合わせて、彼が今まで見てきた世界の小ささを、改めて理解することとなった。

本当に、これまでと同じやり方で、真に理想的な皇帝と言えるのだろうか。

 

彼は部屋の中央に飾られたラーヴェンスベルク家の紋章を見上げ、その脇に刻まれた、父ルートヴィヒが遺した言葉を睨みつけた。

強力たれ」――最初、その言葉は、父がその子や孫に対し、父のような強力なる存在になるよう、告げているものだと理解していた。

だが、今や彼の中には、それまた別の異なった意味として流れ込んでいた。

 

父は、私たちに、父ですら成し得なかった「強力たる」帝国を築き上げることを、望んでいたのではないだろうか。

それは彼の中に横たわり続けていた思想——コスモポリタニズム——と結びつくことで、より具体的な形となって現れ始めていた。

 

母上、承知いたしました。

私は今こそ、父を超える。あなたが愚かな人間と呼んだ父を超え、そしてあなたが期待する理想の皇帝となるべく、私は私の成すべきことをやってみせます。

 

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こののち、アルブレヒトは人が変わったようにして、これまで避けてきた皇帝としての外交政策を自ら執り行うようになっていく。

コンスタンティノープルは引き続き嫡男のヴィヒベルトに、ゲロとグレゴラスに補佐をさせる形で政務を執り行わせる。アルブレヒトは母から継承したオストファーレン公領に拠点を起き、そこから諸外国への外交を行った。

まずは対イングランド。かつてアルブレヒトは娘のティエドブルガをイングランド王の嫡子「巨人のウィリアム」と婚約させていた。

しかしそのティエドブルガが、1152年に何者かにより暗殺された。

当時ティエドブルガはロンドンの宮廷に滞在しており、アルブレヒトはコンスタンティノープルからイングランド王ロジャーに向けて調査を要求したが、イングランド王はすでに婚姻は無効となり同盟は破棄されたとしてこれを拒否。アルブレヒトはロンドンに密偵を送り込み独自の調査を行うも、これもうまくはいかなかった。

以後、イングランド王との関係は急速に悪化。デンマーク王とも同盟を結ぶイングランドとの関係悪化は帝国の危機にも結びつきかねないとして、帝国内諸侯からも対応を求める声は強く上がっていた。

アルブレヒトは暫くの間その声を黙殺し続けていたわけだが、今回の心変わりによりその方針を転換。

イングランド王と対立するウェールズ地方の諸侯と交流を重ね、彼らの求めに応じる形でこれを臣従させ帝国の一部に組み入れる。

当然英王からの抗議が行われるも、これにより対英戦略の橋頭堡を得ることとなった。

アイルランドもコンホヴィル家によって統一されており、アルブレヒトはこのアイルランドの王とも親交を深めていくこととする。

 

さらに、隣国フランスとの関係もとある事件により悪化をきたしていた。

元々、アルブレヒトの次男ルドルフはフランス王の臣下であるフランデレン女公レイモンドと結婚しており、将来的に二人の間の子であるラーヴェンスブルク家の男子がフランデレン公領を継承する手筈であった。

しかしそのレイモンドが1161年12月15日に、フランス「憤怒王」フィリップの手により投獄され、その領土をすべて没収された。

理由は、彼女がオルレアン伯ティエリとの不倫関係にあった、というものだ。

このオルレアン伯はフィリップの娘であるメリザンドと結婚しており、愛娘の夫を誑かしたとして、フランス王の逆鱗に触れた、というわけだ。

しかし、将来のフランデレン公領獲得の可能性を潰された次男のルドルフは怒気を孕んだ様子でアルブレヒトに詰め寄った。

ルドルフは短気かつ癇癪持ちであり、なおかつ人一倍野心が強かった。

 

「陛下、これはフランス王とオルレアン伯による陰謀に間違いありません。同じ姦通の罪を持つオルレアン伯が無罪放免されていることがその証拠です。奴は元々全くの無名な家系の出でありましたが、奴の父のアダルベルトがかつて王の牧草地を改良したという理由でフランス王の友人となったのち、オルレアン伯領を授与されたという経緯があります」

「これはフランス王とその盟友たるオルレアン伯とによる、ラーヴェンスブルク家のフランデレン公領継承を阻む陰謀に間違いありません。

 さらに言えばオルレアン伯の妻であるメリザンドは元々ブルターニュ公と結婚しておりましたが、そのブルターニュ公は数年前に『不可解な死』を遂げております」

「その公位は妹のコンデーレウに継承され、そのコンデーレウが若輩にも関わらず王の密偵頭に任命されているのです。ここにも、あの王とその周辺による陰謀の兆しが見えます」

「陛下、私が我慢ができません。フランス王に対し、帝国としての威厳を見せ、復讐をするべきです!」

 

ルドルフの言い分は最もであった。だが、その方法についてアルブレヒトはやや冷静に考えてもいた。

下手に動けば数年にわたる戦争、あるいは何世代にもわたる家同士の争いにも繋がりかねない。そうなれば帝国の安定など望むべくもないだろう。

ゆえに彼は彼なりのやり方でことを進めることにした。憤るルドルフには教皇に執りなして婚姻の無効を宣言させた上で、新たに下ロレーヌ女公と結婚させることで宥めることにした。

そして1162年3月9日。フィリップ憤怒王が崩御。元々高齢でいつ遠行してもおかしくはなかった。

別に今回は手をかけてはいない。

 

新たに即位したフンベルト2世とは、前王の生前より密かに関係構築を進めており、即位と同時にその関係を再確認。対イングランド開戦時には共に協力し合うことを明確にした。

フンベルト2世は太っ腹で社交的だが臆病で「間抜け」な男。父王のことは兼ねてより軽蔑していたものの、文句をつける勇気はなかったが、その心の隙間にアルブレヒトが巧みに入り込んだ。かつての彼であれば喜んでしようとは思わなかったであろう外交の業だ。

 

さらに、これは意図せぬことではあったが、「戦争王」の四男であるヴェローナ公マティアスが、兄のバイエルン「無知公」ダゴの協力を得ながらスウェーデン王からの王位簒奪を画策*2

これは見事成功し、スウェーデンもルナール家の、そして神聖ローマ帝国の版図の一部となる。イングランド-デンマーク同盟に対する重要な牽制として働くこととなったわけだ。

そして嫡男のヴィヒベルトの嫡子たるヴァルペルトをポーランド王女ユディタと結婚させることで、東側の守りも頑強なものとする。

 

こうしてアルブレヒトはこれまでにない積極的な外交政策を展開することで、帝国の「外側」にも強固なる影響圏を創出していくことに成功したのである。

 

 

1165年5月。

久方ぶりにコンスタンティノープルへと帰還したアルブレヒトを、今やすっかりとその王代としての貫禄の付いてきた嫡男ヴィヒベルトが迎える。

かつてであれば、次期皇帝を巡る選挙の行方においても、「聖王」と称され崇められたロタリンギア王ポッポに対して劣勢であった彼も、直近では(そのポッポが早くに亡くなったからというのもあるが)しっかりと筆頭候補者として票を集め始めている。

この情勢の変化は、おそらくはアルブレヒトが異邦コンスタンティノープルにかまけてばかりだった10年前と比べ、しっかりと帝国全体に視点を向けるようになったことへの評価の現れとも言えるかもしれない。

 

「先のギリシア内戦においては見事活躍をしたようだな」

「ええ、ゲロ殿の御助力のお陰もあり」

アルブレヒトの褒めに、ヴィヒベルトは応える。先だって巻き起こったギリシア帝国内での独立戦争。アルブレヒト不在の中ではあったが、ゲロが軍勢を主導してこれを対応。最終的には全面勝利とはいかなかったものの、反乱を主導したエフェソス公が神聖ローマ皇帝に臣従することで一定の解決を見ることとなった。

また、ギリシアの一部も独立し、ウクライナ地方で勢力を広げているテュルク系のザポロージャ・ハン国の傘下に入ることとなった。

 

「ただ、その戦いの既にゲロ殿は・・・」

「ああ、聞いている。最後まで誇り高き男であった」

独立戦争において、隻腕でありながらも最前線で勇敢に戦ったゲロはそのまま戦場でその命を散らすこととなった。彼の墓は彼の望み通り、故地のドイツではなく、コンスタンティノープルで最も高台に位置し、世界を見渡せる場所に作らせている。

最大の友人の死の際にすら、その傍にいてやれないこと。母のときと同様に、心を痛める思いはあったものの、それでもそのとき以上に、アルブレヒトは自らの成すべきことを成した上での結果であるという思いは抱いていた。

 

「到着早々で申し訳ございませんが、客人が来られております」

「ジクベルトだろう? 私が呼んでいたのだ。中々会うこともない従兄弟だろうに、お前も少しは話しておいた方がいいのではないか?」

「いえ、私は彼のことはあまり得意ではなく・・・」

歯切れの悪いヴィヒベルトに苦笑しつつ、アルブレヒトは客人の待つ応接室へと足を踏み入れる。

そこには、アラブ世界特有の香水の香りを漂わせた一人の男が座っていた。ジクベルト・フォン・ラーヴェンスブルク。アルブレヒトの弟フロリベルトの次男にして、現エジプト女王アーデルハイトの王配である。

「遠方よりよくぞ参られた、わが甥御よ」

「いえ、こちらこそ、このようなお時間を頂けて恐悦至極で御座います」

顔に似合わぬ恭しさで深く頭を下げるジクベルト。明らかに緊張していた。それはもちろん、ここに呼ばれた理由故だろう。

「異教徒との戦いには、苦戦しているようだね」

「ええ、恥ずかしながら」

第2回十字軍の成功により、神聖なるエジプト王国の支配者となったアーデルハイトの母フロトゥビナであったが、そこから間もなくしてムルシドなる異教徒を中心とした反乱が巻き起こり、大部分を彼らによって奪い取られてしまっていた。

そのときは前帝ルートヴィヒの活躍によりアレクサンドリアを奪還し、以後は平和な状態が続いていたが、直近でアブールを名乗る氏族がムルシド朝を簒奪。新たにアブール朝を建国し、再びエジプト王国との対立を深めつつあった。

もちろん、ジクベルトもエジプト王国軍を率いて異教徒への反撃に赴き、スルムの地だけは奪い取ることができたものの、以降はその戦果も芳しくなく、苦戦を強いられていた。

「今日ここに呼んだのは、このエジプトの奪還に際して、我々帝国が助力することを申し出るものだ。いつまでもエジプトが異教徒の支配に落ち続けていても、カトリックの守護者たる皇帝としても面目が立たないからね。

 ただし、それには条件がある」

アルブレヒトの言葉に、ジクベルトは不安気な表情を見せながらも無言で頷く。どんな条件が来ようとも、彼には選択肢などないことは理解していた。

「我々の力によって獲得した領土は当然、我々のものとさせていただく。そうなれば当地における力関係はエジプト王国よりも帝国の方が確実に上になるだろう。その際、エジプトの王位は我が息子に譲ることを約束してもらいたい。君とアーデルハイトにはカイロの公爵としての地位は認めるので、エジプト王ひいては帝国の傘下として臣従することを求めるというわけだ。イェルサレムのようにね」

ジクベルトはすぐさま頷いた。彼にとっては予想通りの展開であったし、決して悪い選択肢ではないとも理解していた。ただし妻アーデルハイトの実家であるヴェッティン家は決して良い顔はしないだろうが・・・その説得は、彼自身がやらざるを得なかった。

 

「ジクベルト殿は帰られましたか」

「ああ、随分と顔色が悪かったためもう少しゆっくりしていくよう言ったのだが、遠慮されてしまった。彼も大切なラーヴェンスブルク家の者ゆえ、身体は大事にしてもらいたいものだがな」

「そうですか・・・」

言いながら、心あらずの様子のヴィヒベルト。何か言いたそうだ。

「どうした?」

「いえ・・・父上は最近、どこか先代の、ルートヴィヒ大帝に似ているところが出てきましたな」

ヴィヒベルトの言葉に、アルブレヒトは少し驚いた様子で返す。

「御父上に? それは光栄なことだな。もちろん、御父上のような偉大なる皇帝に少しでも近づけているのであれば嬉しいことではあるな。

 そのためにも、此度のエジプト遠征は、成功させねばならぬ」

頷くヴィヒベルトを見やりながら、アルブレヒトは息子に言われた言葉を頭の中で反芻する。

これまで決して追いつけはしないと思っていた父に、似ていると言われたことはもちろん、望ましいことであるはずだった。

しかし彼は彼の中に、一概に喜びだけとは言えない、複雑な感情が渦巻いていることに気が付いていた。

 

 

1166年5月21日。

準備を終えたアルブレヒトは帝国軍全軍をアレクサンドリアに集結させた上で、エジプトの地を不法に占拠する異教徒たちに対する聖戦の発動を宣言する。

帝国軍とエジプト王国軍、そしてギリシア帝国の軍も加えた大軍勢は瞬く間に異教徒の領土を蹂躙していき、戦いはわずか9か月で終結。

約束通りエジプトの王位はアルブレヒトが取り上げ、元エジプト王ワルタルド*3にはカイロ公の地位だけは安堵された。

摂政に父のジクベルトが就いている。

 

エジプト王の地位は次男のルドルフに譲渡。野心的で先のフランデレン公を巡る件についてもいまだ納得していない様子だった彼も、これでようやく気を落ち着かせられたようだ。

将来的に帝国とイェルサレム王位を継承する予定の長男ヴィヒベルトには今は一旦、ギザとデルタ地域の肥沃な伯爵領だけを渡し、一時的に弟の臣下となってもらう。アルブレヒトほどではないが聡明な男で足ることをよく知る彼であれば、父の意図も理解し、粛々とこの決定には従ってくれるだろう。

三男のディーデリクには亡き母の遺領オストファーレン公領を分け与える。ギリシア皇帝の娘「巨人のアンナ」と結婚しており、聡明な子アルブレヒトも生んでいる彼の系統は、欧州でしっかりと一族の基盤を固めていってくれることだろう。

 

これでエジプト一帯は帝国の直属下に置かれ、自らの一族による支配権も固めることができた。「皇帝」として真に目覚めたアルブレヒトは、この成果にそれなりの満足はしていた。

だが、まだ足りない。

偉大なる父に追いつき、それ以上の成果を残すためには。

 

そのアルブレヒトの渇望に応える報せが、1168年の8月にようやく届いた。

教皇ハドリアヌス4世による、アンダルシアを対象とした「第3回十字軍」である。

 

 

旅立ち(1168-1183)

30年前、父帝ルートヴィヒの代に発動された第2回十字軍の頃、アンダルシアの地は主に、北アフリカ一帯を征服していたムラービト朝が大きな勢力を誇っていた。

しかしエジプトを対象とした第2回十字軍に参画したムラービト朝が大きな敗北を喫すると、内部でマグラワの民による反乱が勃発。最終的にムラービト朝はその後継国家であるマグリブとマグラワの2つに分裂することとなる。

よって、アンダルシアにおけるムラービト朝勢力の優位も崩れ、当地はマグリブ(旧ムラービト朝)・マグラワ・そしてムワッラド派と呼ばれるキリスト教徒との混血を含んだ土着の信仰集団が中心となって形成されたセンシールとの分立状態になっていたのである。

ハドリアヌス4世は――そしてもちろん、その意思決定に大きな影響を及ぼすアルブレヒト*4は――この分立状態の隙を突いて、この地域の「レコンキスタ」を成功させようとしたわけである。

もちろん、それはアルブレヒトの皇帝としての栄誉に大きく資することになるだろう。

 

早速、アルブレヒトはコンスタンティノープル、アレクサンドリア、カプア、リューネブルクの4軍令部にて軍勢を招集。それぞれの地からアンダルシアへと兵を向かわせた。

そしてアルブレヒトもまた、この栄光の瞬間をいち早く得るべく、宮廷を息子のヴィヒベルトに任せ、自らアンダルシアの地へと渡ったのである。

 

「皇帝陛下、まさか御自ら戦場まで足を運ばれるとは。哲人帝と呼ばれた陛下も、武人としての目が覚めたというところですかな」

今回の十字軍に際し、皇帝アルブレヒトの次に大きな勢力を派遣してきているクロアチア王ドブロミルが話しかけてくる。クロアチア女王の母と彼女に婿入りしたハンガリー人(エステルハージ家)の父との間に生まれた男である。10年前のグランドトーナメント歌唱大会で勝利したエメシュの兄でもある。

「いや、戦闘そのものはあくまでも我が帝国が誇る本物の武人たちに任せてはおりますがね」

「ああ、陛下の一族は実に武勇に優れておりますからな。かの『戦争王』の御子息たちはとくに」

「ええ、今も堅城と知られるグラナダ包囲の指揮を、我が従姪孫のポンメルン王が立派に果たしてくれております」

ルナール家の嫡流は戦争王以来悲劇に見舞われてきたが、戦争王の曾孫にあたるこのマグヌス3世はその武勇で名を知らしめていた。

 

「同じく戦争王の子で先だってスウェーデン王も手に入れられたというマティアス王殿も向かってきておられるとのこと。いやはや、今回もルナールの方々に名誉を取られてしまいそうですな」

「何、私たちだけでは何もできません。先だってのモトリルの戦いでも、当初苦戦をしていた教皇軍を、駆け付けてくれた貴公の軍が支援してくれたおかげで勝利したと聞いております」

「うむ、運も良かったのはある。たまたま上陸した地点の近くで教皇軍が異教徒軍の奇襲に遭っていたようだったからな。犠牲も大きかったが、これで敵軍の数も大きく削ることができた。しばらくは大人しくしているだろう」

「そうですね。もとより11万対2万という、過去の十字軍と比べても圧倒的な兵力差での開戦となっていると聞きます。勝利は必定。あとはいかに犠牲を少なくしてこれを成し遂げられるか、というだけに過ぎません」

「その通りだな。だからこそ私も陛下もこうして気楽に戦場まで出てこられるというもの。

 然し、注意しなくてはなりませんぞ。大きな凶事とは、そのような安寧の中にこそ現れるもの。常に油断せず身構え、あらゆる出来事に備えるべきです」

 

 

そのドブロミルの言葉は、すぐさま現実のものとなった。

ドブロミルとの会話の数か月後、陥落したアルハンブラ宮殿を訪れその偉容に目を奪われていたアルブレヒトの許に、その絶望的な報せがもたらされた。

 

「宮廷において曲者が現れ、皇太子ヴィヒベルト様が暗殺されました・・・併せて宮廷にお越しになられておりましたエジプト王ルドルフ様も共に・・・」

 

 

第3回十字軍の決着を見ることも叶わず、アルブレヒトはすぐさまコンスタンティノープルへと引き返していく。

 

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「なぜこんなことになった! 我が息子、そして帝国の大いなる後継者となるはずのヴィヒベルトが、ルドルフが、どうして我が宮廷で殺されなくてはならない!?」

滅多に怒りを見せることのないアルブレヒトの、恐るべき剣幕を前にして、側近たちも誰一人、これを発することができない。

彼の最も側近であり、信頼を置かれ諫言することも許されていたはずのグレゴラスですら、平伏してただ素直にその怒声を一身に受けているのみであった。

もちろん、アルブレヒトは彼を責めても何も意味がないことは分かっていた。むしろ自分の信頼する護衛であるバルバラやパンクラティオスらを戦場に連れていき、自らも意味もなくその地へと赴いていたからこそ、このような悲劇が起こったのだ。

それにしても、なぜヴィヒベルトが! ルドルフが! 我が最愛の息子たちがこのような目に遭わなければならないのか・・・

アルブレヒトはすぐさま、密偵頭に命じて宮廷内で探索を行わせる。少しでも手掛かりが見つかれば・・・

そして犯人が分かった際には・・・決して許さぬ!

 

 

数か月後。

密偵頭のイストリア辺境伯アルブレヒトが、衝撃の事実を持参してきた。

「陛下・・・この度の両殿下殺人の証拠では御座いませんが・・・かつて陛下のご息女様でおられますティエドブルガ様のお命を奪った犯人は見つかりました。それは・・・陛下の従甥であられます、シュタイアーマルク公ボッディク様で御座いました」

シュタイアーマルク公・・・!

かの戦争王の子息の一人。やはり、あの家系はラーヴェンスブルク家にとって呪われた一族なのか!

「もちろん、この古き事実が今回の事件と関連性があるかどうかは分かりません。ただ、彼についてはほかにもいくつかの殺人に関わっていると思わしき噂も御座います。今回のことも何かしら、知っているやもしれません」

イストリア辺境伯の言葉にうなずきながら、アルブレヒトはすぐさま侍従たちに命じる。軍勢を揃え、シュタイアーマルクへと赴くこと。

ボッディクを捕えるのだ。

 

当然、この行いに対しては、宗家ルナール家からの抗議が入る。彼の又甥にあたるポンメルン王マグヌス3世はボッディクの解放を要求するも、アルブレヒトはすぐさまこれを拒否。

それどころか、アルブレヒトはボッディクの「拷問」を行うことに決める。

彼がもしも息子たちの死にも関わっているのであれば・・・その真実を絶対に白日のもとへと晒してやる!

 

・・・結局、どれだけ拷問を行ったとしても、ボッディクは口を割らなかった。ただ彼の身体を傷つけ、精神を破壊しただけに終わった。

アルブレヒトは彼の罪を公のものとした上で、その所領を全て剥奪。友人であったゲロの遺児マティアスへとその権利を渡すこととなった。

それは、アルブレヒトにとってはすべて公正なふるまいであると信じていた。だが、この一連の行いについて、諸侯からの評判が決して良くはないということも、どうしても彼の耳に入ってこざるを得なかった。

そして彼自身もまた、自らの行いに対する罪悪感を感じていなかったと言えば、嘘になるだろう。


不幸は重なる。

1170年の12月。

まだ息子たちの死による心の傷も癒えていない頃に、自分にとっての最後の兄妹でもあり信頼のおける友人でもあった妹のゲイラナの死。

さらには最愛の妻、エリザの死がこれに追い打ちをかけることとなった。

 


これは、我が拭い切れぬ罪に対する大きな罰なのだろうか。

 

この30年間、私は自らの信じるところを貫いてきた。

一時期は帝国を顧みぬ時期を過ごしていたことに母の死を通じて気が付かされ、以後は皇帝として相応しい――父にも恥じぬ統治を果たしてきたと、信じている。

しかし、にも関わらず――むしろ、それ故か?――神は我が行いに対する大いなる試練を与えられようとしている。

 

果たして、何が正しかったのか? どこから私は間違っていたのか?

 

「陛下、陛下は何も間違ってはおりませぬ」

寝所に横たわる私の傍らから、グレゴラスが声をかける。私は目を閉じたまま、その言葉を耳にする。

「陛下は偉大なるものを遺されました。陛下の叡智により、世界の首都となるべくこのコンスタンティノープルは見事なまでの発展を遂げられております。それは陛下が誇るべき偉業で御座います」

「それに、陛下の夢で御座いました、ザクセンとギリシャの文化的融合も見事果たされました。ヘレニシェと呼ばれるその文化は少しずつ世界へと広まりを見せ、ザクセン由来の無骨さとギリシャ由来の優雅さとが交じり合った、新たなる文化的伝統を世界首都から発信し続けることになるでしょう」

「ああ・・・だが、その結果として私は母を、帝国を見捨てることになったのだ。赦されざる罪を贖うべくその後は皇帝としての責務に邁進した積りであったが、結局のところ神はそれを認めては下さらず、我が最愛の息子たちをこの手で奪い取ることとなった。

 そして、ああ、聞いているぞ・・・今や、次の皇帝を巡って囁かれている噂を。ドイツの諸侯たちは、もはや私をドイツの皇帝としては認めておらず、私が死んだときの皇帝にも、我が孫ヴィヒベルトではなく、バーベンベルクの血筋であるエッシェンローエ伯を推戴しようとしていることを・・・!」

かつて2代に亘り皇帝を輩出したバーベンベルク朝の分家、ルイトポルト=エッシェンローエ家を創設したエッシェンローエ伯ヤーコプ。「高潔伯」とまで呼ばれるこの男は、勢力として決して大きくはないが、ラーヴェンスブルク家による独裁を防ぎたいと考える諸侯の思惑により、今や最大の支持を集めることとなった。

 

「私は確かにコンスタンティノープルは大きくはした。しかしその結果はどうだ? 帝国における我が一族の信頼を失墜させ、ひいてはその帝位も奪い取られようとしている。どうしようもない大罪人だよ、私は。

 母も言っていた。私の父もまた、罪を犯し地獄へと向かったと。母は私は違うと言ってくれていたが、そんなことはない。私もまた、地獄へと向かうほかないのだ!」

「地獄か。もしそうだとしても、それは中々、旅のしがいがありそうな場所だな」

懐かしい声が私の言葉を遮り、私は思わずゆっくりと目を開けた。そこに立っていたのは懐かしき友人――ゲロであった。

「すまんな、大変なときに近くにいてやれなくて。少し遠いところにいて、戻ってくるのに時間がかかった。

 なあ、アルブレヒト。お前はお前自身のことをそうやって責め続けてはいるが、それはあまりにも自分に厳しすぎやしないか。お前がこれまで精一杯、皇帝として、この世界の支配者として十分にやってきたことは、俺もよく分かってるし、お前のことをよく知る者たちは皆、お前のことを讃えている。

 自分に誇りを持て、アルブレヒト」

「だが・・・私はお前の弟のことも・・・」

私の言葉に、ゲロはにこやかに笑った。

「さあ、どうだろうな。私は気にしないよ。何しろ俺は『お人よしのゲロ』。何かを奪われたら、旅に出ればまた新しい何かを見つけられる。そうやって俺はこれまでもこれからもやってきているんだ」

「そうか・・・」

 

アルブレヒトは涙を流していた。20年前、母を亡くしたとき以来の、息子たちの死を聞いたときでさえ流せなかった涙が、今とめどなく溢れてくるのを感じた。

 

「そうか・・・ゲロ・・・私も・・・お前の旅に、連れて行ってもらえないか・・・?」

 

アルブレヒトの言葉に、ゲロは再び笑顔で返した。

 

「ああ。今度は共に行こう。そして第七の丘から帝国の行く末を共に見守ろうじゃないか」

 

 

アルブレヒトは、これまで自分の全身を覆いつくしていた重苦しい影が一挙に吹き飛ぶ様子を感じた。

彼は皇帝に即位してから初めて、心の底から安心することができたように思っていた。それはあのグランドトーナメントの成功のとき以上の、安堵感であった。

 

私は、間違っていなかったのか?

私は、やり遂げることができたのか?

 

ああ――我が孫ヴァルベルトよ。あとはお前に託した。

どうか、我が一族、我が帝国を、再び栄光への道へ――。そのために、力なき祖父の、できるだけの精一杯を、遺したつもりなのだから――。

1183年10月17日。

類稀なる智慧を持ちその帝国首都を永遠に残る都へと発展させ、数多くの先進技術を帝国にもたらした「哲人帝」は、その長い生涯を終え新たな世界へと旅立った。

「戦争王」オトゲルの代から3代にわたり続いてきたルナール朝は一旦の終わりを告げ、帝位は再びバーベンベルクの血筋へ。

 

ルナール朝の当主を引き継ぐは、「不足王」の異名で知られることとなるヴァルベルト。

果たして、「きつね」の一族はこのまま没落の一途を辿るのか。

それとも、そこに「逆襲」の芽はあるのか――。

 

 

第六話へ続く。

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*1:ゲーム上ではカロリング王朝の分家。史実におけるアルデンヌ伯ヴィゲリヒを祖とするアルデンヌ家のことを指すものと思われる。

*2:マティアスやダゴの母は「戦争王」オトゲルの後妻であったスウェーデン王女カタリーナであり、彼女は現スウェーデン王であるエステンの伯母であった。つまり、マティアスやダゴは現スウェーデン王とは従兄弟の関係にあったのである。

*3:戦争中に不慮の事故で亡くなった女王アーデルハイトの遺児。

*4:当初、ハドリアヌス4世は同じカトリックのモルダヴィアを標的にしていたが、それをアンダルシアへと変更させている。