フランス王家の落胤とも、古きフランク王国の血の末裔とも噂される出自不明のフランス人、ルイ・ド・ルナールがドイツ辺境の地で創始したルナール家。
異教徒たちを殲滅し、ブランデンブルク辺境伯領やポンメルン王国を創始しつつ、四代目のオトゲル(戦争王)の代には神聖ローマ皇帝の地位すらも獲得する。
戦争王の後は三代目ゲロ慈悲王の弟ルートヴィヒ寛容帝が後を継ぎ、彼の代にコンスタンティノープルやアンティオキア、アレクサンドリアまでを支配し東西教会の統一まで実現するなど、帝国は最盛期を迎える。
寛容帝の嫡子アルブレヒトは「哲人帝」と称される程に聡明で学識高く、新たなる帝国首都コンスタンティノープルは世界首都としての輝かしい発展を遂げる。
ザクセンとギリシャの文化が統合され新たなヘレニシェ文化が花開き、帝都では両文化が参加する盛大な競技会が開かれるなど大きな文化的達成が実現したこの治世であったが、一方で本国ドイツと皇帝との心情的距離感は開いていき、少しずつその安定にひびが入り始める。
そして1168年。
アルブレヒトの嫡子ヴィヒベルト及び次男のエジプト王ルドルフが宮廷内で同時に暗殺されるという事件が発生。
続け様に姉妹や妻を失ったアルブレヒトの精神は崩壊していき、同族のシュタイアーマルク公を捕らえ証拠不十分でこれを獄死させるなど、次第にその統治に対する不満が諸侯の間で広まりつつあった。
そのままアルブレヒトは1183年まで生きながらえるも、その晩年はもはや正気は保っておらず、ここまで築き上げてきたルナール一族の権威が崩壊する結果を招くこととなった。
そしてその後継を巡る選挙では、その高潔さで評価を集めていたエッシェンローエ伯が諸侯の支持を集め新たな皇帝として即位。
アルブレヒトの後を継ぐ嫡孫ヴァルベルトは、この地の底に落ちた一族の栄誉を取り戻すことができるのか。
栄光に満ちたルナールの血は、再び復讐と陰謀の運命へと回帰していく。
Ver.1.10.2(Quill)
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目次
第五話はこちらから
ヴァルベルトという男(1183)
ヴァルベルト・フォン・ラーヴェンスベルクは、ルートヴィヒ帝時代の末期、1140年3月14日に旧首都ヴィスマールで生まれた。
前年に曽祖父のルートヴィヒ帝がギリシア帝国(ビザンツ帝国)との戦争に勝利し、コンスタンティノープルを獲得。帝都をそちらに移設していた為、ヴィスマールの統治は彼の嫡男であるアルブレヒトに任されていた。
そのアルブレヒトの統治の補佐役として滞在していた嫡男ヴィヒベルトと、かの「十字軍騎士」クライン辺境伯の娘ウルスラとの間の子として、ヴァルベルトは生を享けたのである。
彼は幼い頃から、色々と問題を抱えていた。突然奇声を上げることや癇癪を起こすことも多く、周囲の人々は彼を悪魔つきだと噂し始めていた。
さらに彼は常に何かに怯えているようだった。ある時は何者かに突然殴られたと祖父に訴え、祖父アルブレヒトは誰にやられたのか繰り返し尋ねたものの、彼は頑として口を割らなかった。宮廷の人々はそれも、悪魔に殴られたのだと噂した。
この経験もあり、彼は疑心暗鬼の性格を備えるようになっていった。
彼は益々世間から自らを遠ざけるようになっていってしまったのである。
それでも、彼はアルブレヒト帝の嫡孫であり、将来の後継者候補であった。アルブレヒト帝は自ら1156年にポーランド王女で将来の王位継承候補筆頭であったユディタとヴァルベルトとの婚姻を決める。
アルブレヒトにとっては一族の未来の更なる繁栄に向けての考え抜かれた一手ではあったが、この婚姻がヴァルベルトに更なる不幸をもたらすこととなる。
ユディタは良き女であった。性格はやや傲慢なところはあるものの気前は良く、他人に対し理由のない好意を向けることを自然に行える人格であった。
だが、人一倍疑り深いヴァルベルトにとって、それは非常に相性の悪い性格であった。
彼はユディタが自分に対して見せる親切、愛を、常に疑い続けていた。それは警戒心の棘となって彼女の自尊心を大きく傷つけ、やがて二人の心が絶望的なまで離れていくまでに、そう時間はかからなかった。
そして、悲劇は起こった。
1176年2月4日。
ヴァルベルトがデルタ公爵位を授けられ、ポーランドの宮廷を後にしていた隙に、当時すでに女王となっていたユディタは一方的にヴァルベルトとの関係を終わらせることを宣言。
そして新たにハンガリー人のドナートという男との結婚を果たしたのである。
この出来事は、ただでさえ壊れやすく繊細であった彼の心を大きく傷つけ、そして彼は一度、その命を自ら投げ捨てようとまでしたのである。
このことを心配した弟のポフヤンマー公が、遠路はるばる*1エジプトにあるヴァルベルトの宮廷を訪れたものの、自暴自棄になっていたヴァルベルトはこの好意すらも拒否してしまうほどであった。
そしてこの話もまたすぐに世の中に広まり、やがて彼は男としての魅力も足りず、能力も足りずとして「不足公」と呼ばれるようにさえなっていった。
そんな彼も、アルブレヒト帝の後継者筆頭候補であった父ヴィヒベルトが何者かに暗殺されたことで、否応なく家督の継承者として擁立されることとなる。
本来であればアルブレヒト自身がリーダーシップを取り、「相応しくない」王であるヴァルベルトではなく、生き残った三男のオストファーレン公やヴァルベルトの弟のポフヤンマー公を後継者指名するべきであったのかもしれない。
しかし、愛する息子を同時に二人失い、立て続けに妹も妻も喪ったアルブレヒトの精神は耐えきれず崩壊。
晩年はほぼ正気を失っており、政務能力を失った祖父の代わりに、ヴァルベルトがコンスタンティノープルの玉座に座り、皇帝代理としての任務を果たすこととなる。
誰もが、これまでと同様に、彼を侮っていた。
中には公然とオストファーレン公やポフヤンマー公こそが皇帝代理に相応しいと口にする者までさえ現れていた。
宮廷内ですらそのような状況であるが故に、ドイツ本国では尚更であり、すでに諸侯の間では「アルブレヒト帝亡き後」の新皇帝に誰を据えるか、という話で持ちきりになっていた。
だが、その時は誰もが気づいていなかった。
この、「取るに足らぬ」と侮られし男ヴァルベルトが、長きに渡る懊悩と屈辱、絶望の中で、少しずつその「芯」を育みつつあったことを。
彼が疑心暗鬼であったことは誰もが知っていた。一方で皇帝代理として玉座に腰掛けた彼が思わぬ「穏和さ」を持っていることに驚いた者たちも多かった。
彼は、自分には自分も含め誰も味方はいないという心情の末に、一種の「悟り」の境地へと到達していた。
そして1183年10月17日。
哲人帝と称された皇帝アルブレヒトは79年の生涯を終え、崩御。
これにてヴァルベルトが正式にコンスタンティノープルの主となり、その莫大な財産を手にすることが決まったわけだが、報告を受けたドイツではすぐさまヴァルベルト不在の中で選帝侯会議が開催。
高潔さで評判が良かったエッシェンローエ伯が新たな工程に推挙され、3代に渡り続いたルナール朝は断絶を迎えることとなったのである。
だが、この報告に「不足王」ヴァルベルトは動じなかった。むしろ、単なるイェルサレム王に成り下がった彼は、コンスタンティノープルの玉座に腰掛けたまま、不敵な笑みを浮かべたという。
宮廷の誰もが、彼の真意を図りかねていた。それはいつだって、そうだった。
しかし同時に彼らは、不思議な安心感をこの王の傍らで感じてもいた。
ルナール王朝は今、絶頂期を越えて落ち目に入り始めていた。
そんな時にむしろ頼れる存在は、この不思議な迫力を持つ異様なる男なのではないだろうか、と。
アルブレヒト帝に最大級の信頼を寄せられていた王室家令グレゴラスは、そのように考える男の一人であった。
「陛下、こちらが件のリストでございます」
密偵頭のヴァリネヒンが持参したリストを手に取り、ヴァルベルトはいつもの仏頂面でそれを眺める。
そこには、国内における反乱勢力の一覧を表すリストであった。
「アプリア公爵にサヴォ公爵、モンフェッラート伯・・・これら遠方の諸侯の反発はよく分かる。彼らにとって皇帝ですらない主君に仕える理由などこれっぽっちもないのだろう。新皇帝に媚びを売る準備を進めていたとして驚くに値しない。
が、カリポリス伯・・・こいつだけは解せんな。武勇に優れているわけでもない、単なる建築屋が、下級貴族の出であるにも関わらず、寛大なる祖父が伯爵位を与えてやったというのに・・・」
「ええ、元来カリポリス伯は野心的な性格だったと聞きます。恩義あるアルブレヒト帝亡き今、その本来の性格が表に出てきたと見るのは容易いでしょう」
「いずれにせよ帝都の喉元に位置する要所たるカリポリス。放置するには危険なところも御座います」
しばらくの間、リストを眺め、思案するヴァルベルト。次にどんな言葉と行動が出てくるか予想できず、ヴァリネヒンも思わず身構える。
「・・・出立の準備をせよ。フンフリエドを呼べ」
「は?」
「カリポリスへと向かう。どんな歓迎をしてくれるか、こちらから出向いて確かめてやろう」
そう言って玉座から立ち上がり、不敵な笑みを浮かべて歩き出すヴァルベルト。ヴァリネヒンも慌ててその背後に従いつつ、側近に向けて旅の世話役のフンフリエドをすぐさま招聘するよう命を飛ばした。
1183年11月。
ヴァルベルトは数名の従者を引き連れてカリポリスのグレゴラスの許に赴く。彼がほとんど武装せずにこの街に来たことに、グレゴラスは少なからず驚いていた。
「我が主君」
初日の夜に行われた歓迎の為の祝宴の翌日、グレゴラスはヴァルベルトを自身の軍隊の訓練場へと連れてきていた。彼はその中央の広場に辿り着くと振り返り、ヴァルベルトに向けてとある提案をした。
「我々は、あなた方ルナールの一族の偉大な武勇を多く耳にしてきました。この兵士たちに本物の訓練がどのようなものかを見せる機会を頂けませんか?」
そう言ってグレゴラスが連れてきたのは、彼が自身の元帥だと紹介した男、プロコピオスであった。彼はいかにも勇ましそうに右腕の剣を振りかざし、やる気満々の様子でこちらを威嚇してくる。
正直なところ言えば、ヴァルベルトは幼い頃から喧嘩の類は得意ではなく、それは成人してからも同様であった。王たるもの、武術の訓練はしないわけではないが、好き好んでやることはなかったし、それを彼に強制しようとするものも周りにはいなかった。
だから、ヴァルベルトの従者たちは誰もが、彼が護衛のシャアバーンに代役を務めさせようとするか、あるいはこれを拒否するかのどちらかだと考えていた。
だが、ヴァルベルトは迷いなく答えた。
驚く従者たちを無視してヴァルベルトは自らの木刀を持ち、プロコピオスに対峙する。
鋭い緊張感が辺り一面を包み込み、誰もが固唾を呑んで見守る中、やがてプロコピオスが威勢よい雄叫びと共に足を踏み出し、一気にヴァルベルトとの間合いを詰める。
その一撃がヴァルベルトの脳天を捉えるより早く、彼は身を翻しプロコピオスの背後を取り、そして二度、三度その後頭部へと打撃を叩き込んだ。
それだけでプロコピオスは大地に倒れ伏し、そしてそのまましばらく動かなくなった。
一瞬の空白ののち、周囲は大歓声と拍手で包まれることとなった。
「とんだ茶番を用意してくれたな」
周囲に誰もいなくなったのを見計らって、ヴァルベルトはグレゴラスに声をかけた。
「はて、何のことでしょうかな?」
「しらばっくれるな。あの男・・・プロコピオスはお前の元帥でも何でもないだろう。事前に調べはついている。奴はただの家令・・・行政官であり、大した武勇もない。いくら俺でも、勝つのは造作ないことであった。演技派ではあり、誰もが騙されたようだがな」
「なるほど・・・用意周到ですね。私の家臣は皆、調査済といったところですか?」
「お前だけではない。俺の封臣の主要な役職者は概ね調べきっており、すべてこの頭の中に入っている」
そう言ってヴァルベルトは自身のこめかみを指でつつく。
「お前の秘密も知っているぞ。女騎士バルバラとの間に不義の子がいるだろう? たとえお前が反乱を起こそうとしても、すぐさまその罪を使って周囲を切り崩し、逮捕・所領剥奪まで追い込むことは十分に可能だ」
「それはそれは・・・恐ろしいことですな」
言いながら、少しも怯えている様子は見せず、むしろ楽しそうに笑うグレゴラス。
「何がおかしい?」
「いえ・・・やはり血は争えないものと思いましてね。あなたは確かにあの大帝ルートヴィヒ、そしてアルブレヒト哲人帝に連なる御方だ。不足王などと言う者もおりますが、とんでもない」
そこまで言ってグレゴラスは少し遠い目を見せる。何かを懐かしんでいるかのような表情であった。
「貴方の祖父・・・前帝アルブレヒト様は、貴方様の教育を手ずから行った上で、このように述べておりました。常に利口であり、そして自らの才能と、それが及ぼす影響とをよく理解している子供であったと」
ヴァルベルトは静かに苦笑する。
「祖父の言う通りだ。俺は昔から、周囲がすべて敵であるかのように感じ、そのために常に安全な計画を立てようとしてきた。その結果、自分以外の人間に対する興味を失い、彼らを傷つけることを厭わない、そんな人間にもなっていた。
かつてはそんな自分を忌み嫌い、この世から消してしまいたいと思ったことすらあった。が、今では違う」
グレゴラスは沈黙したまま、続きを促した。ヴァルベルトはそんな彼を見据え、言い放つ。
「俺のこの性質が、危機に陥りつつある我が一族を救う手段となりうるのであれば、こんな俺を王座に据えた神の御意思も理解できるというもの。
俺は緻密な戦略を立てよう。一族の手から転げ落ちた栄光を再び掴み取るために。カリポリス伯よ、お前には俺の駒になってもらいたい。できるな?」
グレゴラスは微笑んだ。彼が敬愛したアルブレヒト帝とは全く違う。しかし、確かなラーヴェンスベルクの血筋と、その才覚。
「良いでしょう、喜んで貴方の駒となります。
そして早速始めましょう。『きつね』の逆襲を」
ボヘミア王による皇帝ヤーコプに対する反乱戦争が勃発したという報がヴァルベルトの許に届けられたのは、そのわずか4か月後のことであった。
帝国の分裂(1184-1192)
そもそもエッシェンローエ伯ヤーコプが新皇帝に推戴された理由は3つ存在した。
1つ目は彼が「高潔」であること。ただしそれはあくまでも表向きの理由に過ぎない。
より重要なのは2つ目。彼がバイエルンの小さな所領しか持ち合わせていない弱小君主であったということ。
いわば、単なる神輿に過ぎず、帝国内の有力諸侯らは彼を推戴した後にいくらでも圧力をかけて自分たちの意のままに操れると信じていたのである。
3つ目の理由が、彼がすでに50代の後半、老境に差し掛かっており、先が長くないであろうということ。
おそらく数年の間に再度の皇帝選挙が行われるだろうから、それまでのこの「意のままに操れる」期間に自分たちの影響力を拡大し、自らが次の皇帝の座を手に入れようと考える有力諸侯たちも多かったのである。
しかし、諸侯らのこの思惑は見事外れることとなる。
まず、この弱小皇帝は自分たちの言い分をいくらでも受け入れるだろうと考えていた諸侯たち――その筆頭は帝国内最大勢力を誇るボヘミア王――は、早速1184年3月16日に、皇帝に対し自分たちの権限増大を迫る過大な要求を突きつけた。
当然、皇帝ヤーコプはこれをすぐさま受け入れるだろう、と彼らは考えていたわけだが、ヤーコプはこれをまさかの拒絶。
引っ込みのつかなくなったボヘミア王たちは、皇帝の横暴への抵抗という名目で武力蜂起を起こさざるを得なくなったのである。
とはいえボヘミア王に同調した勢力はマイセン女公、アンハルト公、アウクスブルク女公、ヘルレ女公、ヴァルベルトの従兄弟のバイエルン公にカイロ女公までも加わった総勢3万4千弱で、対する皇帝軍は1万4千強。
多少乱暴な手を使うことにはなったものの、当初の目的を果たすことはできるだろう――そう思っていたボヘミア王たちであったが、彼らは第二の誤算を味わうこととなる。
すなわち、いくらなんでも数年は持つだろうと思われていた皇帝ヤーコプが、その即位からわずか1年、開戦からわずか2か月後の1184年5月12日に崩御してしまったということ。
一族の遺伝病とも言うべき巨人症の影響で、常人よりもその寿命が短くなっていたことを、ボヘミア王たちは失念していたのである。
当然、こんな内乱状態の中で選帝侯会議など開けるわけはない。ボヘミア王たちは一時の休戦を申し出たものの、ヤーコプの息子で彼の摂政も務めていたフーゴはこれを拒否。臨時的措置として選帝侯会議なしでの自らのローマ王即位を宣言する。
その後ろ盾には反乱に加わらなかったロタリンギア王の存在があり、彼の支持の下、その勢力圏内にあるケルンにてドイツ王としての戴冠式も無事終わらせ、事実上の神聖ローマ帝国皇帝としての即位を完了させた。
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「早速、ドイツは混乱の極みにあるようですな」
グレゴラスの言葉に、ヴァルベルトは頷く。
「戦況は劣勢。ボヘミア王たちは難なくこの戦争には勝利し、当初の目的通り自分たちの権利拡大には成功するだろう。
だが、すでに次の皇帝の地位を狙うと言う目的は失われてしまっている。それこそ、ロタリンギア王をも巻き込んで全面的な帝位簒奪戦争を巻き起こすか、あるいは『別の手』を使わない限り」
「奴らにそこまでする度胸はないでしょう。しばらくは皇帝フーゴを間に挟んで帝国内の諸勢力均衡状態が続くかと」
「我々の付け入る隙も十分にあると言うわけだな」
不敵に笑うヴァルベルト。そのヴァルベルトのもとに使者が現れ、パレスチナ公の来訪が告げられる。
「よく来たな。久しぶりだ、パレスチナ公」
案内されて入ってきたパレスチナ公を見るなり、ヴァルベルトは立ち上がり、両手を広げて彼を迎え入れる。かつての彼であればこのような応対はできなかっただろうに――とグレゴラスは思う。皇帝となって、陛下は完全に目覚めたのだな。
「陛下こそ、息災のご様子で」
パレスナチ公は宮廷内にも関わらず兜までしっかりと身に着けた軍装で、そのマントの端々には砂埃すらついており、ついさっきまで領地のイェルサレムの砂漠地帯にいたのではないかと思えるようないで立ちであった。
パレスチナ公は元イェルサレム「鷹王」ケルステンの孫にあたる人物で、王位を簒奪したラーヴェンスベルク家との折り合いは決して良くないはずのルナール=ヤッファ家末裔であった。
しかし、現当主ケルステン2世は、政治よりも遥かに戦争が好き、という狂人であり、ヴァルベルトはそんな彼に王国元帥の地位を与え、常に最前線に立たせることを約束した。
そして今回は、その約束を果たすべく、彼をコンスタンティノープルにまで呼び寄せたのである。
「それは皮肉か? パレスナチ公。今にも我がコンスタンティノープルは、逆賊の手によって攻め入られようとしているというのに」
「ほう? その割には随分とご機嫌のようではないですか」
「ああ、そうだな。何しろパレスナチ公、貴公の類稀なる軍略と武勇とを、この目で見ることのできるチャンスなのだから。これほど楽しみなことはない」
ヴァルベルトの言葉に、パレスナチ公の口角も思わず上がる。
そう、帝国本土の内乱状態に付け込む形で、現在、ギリシア帝国(ビザンツ帝国)諸侯の一部であるアルメニアコン公、カッパドキア公、クレタ専制公による「トラキア公領*2請求戦争」が勃発していたのである。
「全く、舐められたものだな。我らルナールの一族にどれだけ煮え湯を飲まされてきたのか、忘れるほど古い話ではないだろうに」
ヴァルベルトは嘆息する。それを見てパレスナチ公は愉しそうに笑った。
「何、我が軍のウォーミングアップには丁度良い相手となるでしょう。それでは陛下、行って参ります」
「ああ、武運を祈っている」
事実、何度もラーヴェンスベルク家に敗北しているギリシア帝国の、そのさらに一部でしかない侵攻勢力は帝国の殻を脱ぎ捨てたイェルサレム王国にとってさえも決して敵ではなかった。カリポリス伯領にまで侵入した敵主力をライデストスの平原で包囲し、これを殲滅。
壊滅し、敗走する敵兵を、帝国の誇る2,000超の騎兵軍団によってさらに蹂躙していき、以後組織的な反抗を行えなくなるほどの戦意喪失をこの一戦だけで成し遂げたのである。
その後は侵攻勢力の各拠点を次々と包囲。
1187年10月27日には敗北を認め、全面的に降伏。賠償金を支払うと共に当地域への請求権を全て放棄する旨の約定を取り交わすこととなった。
ギリシアは問題なし。但しドイツでは、そういう訳にはいかない。
トラキア公領請求戦争終結の約1か月前、籠城していたアーヘンの城を陥とされ、皇帝フーゴがその身柄を拘束される。
帝位剥奪とまではいかないものの、ボヘミア王たちの要求を全面的に認めることを条件に解放され、皇帝は即位直後に大きな敗北を喫することとなる。
さらに、この混乱に乗じ、帝国の終焉に位置していたポンメルン王国とスウェーデン王国――いずれもルナール宗家――およびロンバルディア公国が帝国からの独立を宣言。
さすがに反乱勢力に加えてこれらの巨大勢力たちを敵に回すわけにはいかず、皇帝の後ろ盾であったロタリンギア王も要求受諾を皇帝に「助言」。若き皇帝フーゴは成す術もなくこれを受け入れる他なかった。
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ギリシアの戦争の後処理を終えたヴァルベルトは、このドイツの状況も確認したうえで、コンスタンティノープルを出立する。
目的地はアーヘン。宮廷におわす、傷心の皇帝フーゴへの謁見である。
「陛下、このような困難な時期に、陛下の御側に仕えることができておらず、大変申し訳ございません」
かつての皇帝の子息であるヴァルベルトが片膝をつき、深く首を垂れているその姿を見て、彼よりも一回りも若い皇帝フーゴはややうろたえた様子を見せる。
彼は父譲りの精悍な巨体を有してはいたものの、内向的で謙虚な性格の持ち主であり、突如与えられたこの皇帝という重責と、自らを明らかに侮りながら傀儡にしようとするロタリンギア王からの圧力、そして先の戦争に対する敗北とに押しつぶされそうな不安な心を抱きつつあった。
「あ、頭をお上げください、イェルサレム王。其方が東方にて我が帝国への攻撃者に対する防衛の責を担っていただいたことは聞き及んでおります。貴公のお陰で、少なくとも東方においては、帝国の土地と威厳は守られました。その後処理も済んでいないであろうこんな時期に、遠路はるばる足を運んでいただいたこと、大変嬉しく思います」
「勿体なきお言葉・・・しかしやはり、陛下を御守りできなかったことは私にとって痛恨の極みで御座います。
以後、陛下の剣となってこの身を振うことをここにお約束致しましょう」
フーゴはヴァルベルトのその言葉に感銘を受ける。少なくとも彼にとっては、ヴァルベルトの言葉は裏表のないまっさらな真実の言葉であると感じられたようだ。
「ありがとう・・・ヴァルベルト殿、貴公は私にとって、この帝国における唯一の友です。周囲は敵だらけで、いつその寝首をかかれるか分からない。どうかこれからも、私と帝国を御守りください」
ヴァルベルトは思わず口元に笑みが浮かびかけるのを必死で制した。すべて、彼の思い通りに運ぼうとしていたのである。
ゆっくりと顔を上げたヴァルベルトは、まっすぐと皇帝を見据え、告げる。
「ええ、承知いたしました、皇帝陛下。陛下の仰る通り、私は陛下とこの帝国を御守りいたします。
――差し当たっては、先だって愚かにも帝国の臣下としての立場を捨て、独立を果たしたスウェーデン王国領ブランデンブルクの『奪還』を、お任せいただければと思います。当地は我らがルナールの源流でもあり、我がラーヴェンスベルク家の旧都ヴィスマール(メクレンブルク)にもほど近い領地。ここが帝国外に存することを、ルナール王朝の当主として許容するわけにもいきません」
「成程――確かに、帝国から奪われた領地の奪還は急務。其方の仰る通りです。しかし、スウェーデン王もまた同じルナール王朝の者。同族同士争うこと、抵抗はないのですか?」
「構いません。むしろ、同族だからこそ、正すべきところは正さねばならないと思っております。
陛下、ご安心ください。帝国の秩序は私が御守り致します。陛下は安心して、宮廷にて帝国の統治をお進め頂ければと思います」
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「それで、これからどうされるおつもりですか?」
コンスタンティノープルに戻ったヴァルベルトに、留守を任されていた家令グレゴラスは尋ねる。
「もちろん、最終目標は皇帝位の奪還だ。何としてでも俺の代のうちに、再びラーヴェンスベルクに皇帝冠を取り返さないといけない。そのための手段はいくつかあると思うが、最も穏当な手段を取ろうと思う」
「と、言いますと?」
「もちろん、皇帝選挙だよ。真っ向から選挙に挑み、これに勝利する」
ニヤリ、と笑うヴァルベルト。グレゴラスは重ねて尋ねる。とは言え、彼にはすでにヴァルベルトの考えていることはある程度理解しており、これはあくまでも確認のための問いかけであった。
「しかし、現在帝国領域内に所領を直接持たぬ陛下は残念ながら皇帝選挙における投票権を持ちえません。選挙権がない状態で皇帝選挙に勝利するのはなかなか困難を極めるものと予想されます」
「ああ、だからまずはその選挙権を得る必要がある。すなわち選帝侯になる、ということだが、選帝侯になるための条件は特定の所領を得ることだ。そして、ブランデンブルクはその特定の所領の1つとなっている」
「成程。確かにルナール王朝で最初に皇帝位に就いた戦争王殿も、このブランデンブルクの地を有していたからこそ、選挙権を獲得し選挙に勝利することができた。今はルナール=レーニン家の手にあるこの所領を得ることで、再び選帝侯の地位を取り戻すことが、皇帝への第一歩となるわけですね」
「ああ。あの青二才の皇帝陛下も、その意味はよく理解していて、今回のブランデンブルク獲得成功の暁には、選帝侯への就任を確約してくれている。奴は俺が『友人』として、奴の息子のローマ王就任を後押ししてくれると思っているんだろうが、とんだお人好しだ」
「そもそも、まだ30になったばかりの皇帝陛下であれば、普通に考えれば陛下よりも先にこの世を去るとは思っていないのでしょうがね」
「ああ、普通に考えれば、な」
そう言って再び笑みを浮かべるヴァルベルト。
「とはいえ、相手はかのスウェーデン王。単独で戦うには少しばかり手間取る相手のようにも思えます」
「ああ、だから有力な同盟相手が必要だと思っている。
スウェーデン王にも負けぬ武名を誇り、これに匹敵する国力を持ち、かつスウェーデン王領にも近い位置にある国・・・ルナール宗家当主、ポンメルン王マグヌス3世」
「・・・成程。今や帝国北東ポンメルン王国領のみならず、南西のブルグント王国領、帝国の中心部西フランケン公領、そしてイタリアに及ぶまで、帝国内随一の勢力を誇っていた彼らであれば、対スウェーデン王戦争における同盟相手としては申し分ないでしょう」
「ああ。すでに我が息子ティートマールとポンメルン王の娘ゲイラとの婚約の話を進めつつある。これが成立し同盟が結ばれることで、スウェーデン王に対するブランデンブルク公領請求戦争を開始することができるだろう」
「ただ――」と、ヴァルベルトは付け加える。
「ポンメルン王はもう一つ、条件を付けてきているようだ。私の叔母であるウルフヒルドを担ぎ上げての、『ロンバルディア公領請求戦争』への参戦を、こちらに求めてきている」
「ロンバルディア――ただでさえ強大なポンメルン王が、北イタリアの地まで押さえるとなると、今後に向けてやや厄介ではありますね」
「まあ、それに対しては手立ても考えている。今はかの『狼王』の要求に応えつつ信頼を勝ち取り、ブランデンブルクを奪取することを優先しようではないか」
不足王ヴァルベルトの「逆襲」のための戦いが、いよいよ幕を開ける。
ルナールの戦争(1192-1195)
ロンバルディア戦争
1192年2月。
先だっての帝国内紛に乗じ、帝国からの独立を果たしたロンバルディア公は、帝国領に残存するパルマやブレシアといった領土を求め、皇帝に対するさらなる戦争を仕掛けていた。その占領域を広げ、バイエルン公やエッシェンローエ伯*3といった援軍も駆けつけてくれる中で、その報を耳にすることとなった。
「閣下、ポンメルン王が我が国に対し宣戦布告を致しました。曰く、閣下の曾祖母であられます元ロンバルディア女公エレネ様の血を引くラーヴェンスベルク家のウルフヒルド様の継承権を主張しているとのこと。これについては、ラーヴェンスベルク家のイェルサレム王も同調しているとの由」
報告に、ロンバルディア公ルドルフの側近たちは一様にざわつき始める。弱小たる皇帝のみならばまだしも、そこに強大なるポンメルン王、および元皇帝一族のイェルサレム王まで加勢するとなると、形勢はかなり不利。一同の不安も最もであった。
だが、報告を聞いたルドルフの表情は至って冷静であった。
「戦争王の末裔に、不足王か。帝国からの独立の際の協定をいとも簡単に破りおって。やはり奴らは血に飢えた獣の一族であり、下賤極まりないな。
狼狽える必要はない。すでに対帝国戦争では有利な状況となっており、我が軍においては十分にその戦力を余らせている。ポンメルン王とイェルサレム王の軍勢は確かに脅威だが、イェルサレム王についていえば遥か東方のギリシアから兵を送り込む故、時間がかかるか、あるいはごく少数の先遣隊を順次投入するほかないだろう。慌てず落ち着いて情報収集し、各個撃破していくのみだ」
主君の冷静な様子に、周囲も次第に落ち着きを取り戻していく。そう、このルドルフはこの30年の治世においてその領域を着実に広げ、現在は中部イタリアのアンコーナにまでその勢力圏を伸ばしてきている。
その手段を問わないやり方で「冷酷公」と綽名される男ではあるが、臣下にとってみればこれほど頼りになる男はない。
ロンバルディア公の言葉に従い、各部隊はそれぞれの持ち場へと戻っていく。それを見て安心したロンバルディア公は、自ら率いる1万超の主力軍を、帝国領の北イタリア最後の拠点たるモデナに向けて発進した。
だが、そこで彼は信じられない報告を受けることとなる。
「か、閣下! モデナにすでにイェルサレム王軍が駐留していることが判明いたしました! その数・・・1万超!」
「何だと・・・! どうやって、それほどの大軍をこの短期間で・・・早すぎる!」
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「ご協力、感謝申し上げます」
ヴァルベルトが恭しく頭を下げると、その男は豪快な笑い声と共にこれを制する。
「いえいえ、我々も陛下のお陰で大きな利益を頂いております。これくらいのこと、いくらでもお力にならせていただければと思います。イタリアの安定は、我々にとっても重要な要素ですからね」
そう答えたのはヴェネツィア共和国主権総督(ドゥージェ)カルロ。イタリアの付け根に位置する、伝統ある商業共和国のトップである。
ヴェネツィアは旧来より東地中海地域での海上交易をその経済の柱に据えてきていた。
そのために異教徒が占拠するアレクサンドリア、ビザンツ帝国が支配するコンスタンティノープルとの関係は彼らの関心事の大きな部分を占めていたわけだが、ラーヴェンスベルク家がその2拠点を共に支配し、東地中海世界に安定をもたらしたことは、彼らヴェネツィア商人たちにとってはこの上ない「利益」であった。
そして欧州随一の海運能力と経済力を有する彼らを味方につけることは、ラーヴェンスベルク家にとってもその繁栄の大きな鍵となり、両者の関係はラーヴェンスベルク家が皇帝位を失ってもなお継続していた。
そしてこの度、そのヴェネツィアの海運力をもって、通常の国家であれば不可能な規模での海上動員を実現。ロンバルディア公の想像しえなかったタイミングで一足先に北イタリアの地に主力を送り込み、その軍勢を迎え撃つことに成功したのである。
「どうされますか、閣下」
ロンバルディア公の側近が不安気に主君に問う。
「狼狽えるな。数的には同格。騎兵の数もこちらの方が多いと聞いている。平地におびき寄せ、そこで蹂躙せしめよ」
ロンバルディア公の言葉通り、モデナの平原に展開されたロンバルディア軍の両翼には1,200弱の軽騎兵の姿。十字軍にも参加した傭兵団「星影隊」も加わった、盤石の布陣である。
一方のイェルサレム王軍の両翼の騎兵の姿はロンバルディア公軍の3分の2程度。敵軍前衛に陣取る重装歩兵の数はロンバルディア軍をわずかに上回るも、遠距離からの弓兵の一斉射撃と両翼で主導権を握った騎兵たちによる側面攻撃とで、殲滅を図れるだろう。
問題ない、勝利の天秤は確実に我が方に傾く。ロンバルディア公は確信し、全軍に攻撃の命を下した。
戦闘の序盤は概ねロンバルディア公の狙い通りに進んだ。両翼の軽騎兵たちはイェルサレム王軍のそれと対峙し、数の有利を活かして次々とこれを敗走せしめていく。
この戦果に気を良くしたロンバルディア公は続けて中央の歩兵部隊に前進を命じる。
弓兵たちに援護射撃を行わせつつ、前進していくロンバルディアの重装歩兵たち。平原の中央でいよいよ両軍が激突しようとした――そのとき。
イェルサレム王軍の先頭に陣取っていた重装歩兵たちが両脇に分かれたかと思えば、その奥に見慣れぬ姿が立ち並んでいた。
ロンバルディア公軍の前衛兵士たちは最初、それが巨大な怪物であるかのように感じた。やがて、それが騎兵の一種であることを理解したものの、その騎兵は彼らが知っているそれとは全く異なるものであった。
それは、騎乗する兵士のみならず軍馬の前面にまで装甲を施した重武装騎兵であり、巨大な鉄の塊であった。
「カタフラクト隊、出るぞ――!」
部隊の中央に陣取っていたヘレニシェ人の騎士リュディガー・ロストックが叫ぶと、一斉にその鉄の塊は近づいていたロンバルディア公軍目掛けて進軍を開始した。
ロンバルディアの兵士たちにとって、それはまさに、黒き死神のように思われた。土煙と轟音と共に近づいてくるそれは、わずかに触れるだけでも一溜りもないものであると、本能的に理解した。
戦場は絶叫と混乱に支配された。ある兵士は反転し、死に物狂いで戦場からの離脱を図った。またある者は勇敢に武器を構え対峙しようとするも、反転してきた友軍に押し倒され、そのまま味方の足に踏みつけられて命を散らした。そして多くの兵が何も決断できぬまま、生と死を分かつ無慈悲な奔流に飲み込まれ、その人生の最後の瞬間を味わうこととなった。
部隊の後方に陣取っていたロンバルディア公は、突如現れたこの災厄と崩れ落ちる自軍を目の当たりにし、ただ呆然とする他なかった。
戦いは、わずか4時間ほどで、決着がついた。
3,000名以上の兵士が物言わぬ屍となったロンバルディア公軍に対し、イェルサレム王軍の犠牲者はそのわずか4分の1に過ぎなかった。戦闘の趨勢を決めたカタフラクトだけで敵の犠牲者の3分の1以上を稼ぎ出す程であり、このギリシアの重装騎兵はイタリアの地で絶大な戦果を挙げることとなったのである。
大敗を喫したロンバルディア公は全速力でその居城ミラノへと逃亡する。
すでにイェルサレム王軍がまっすぐとこちらに向かってきており、その途上では同盟国軍がさらなる大敗を喫し壊滅したとの報せも受け取っていた。
「何、この堅城ミラノであれば次の冬まで持ちこたえることもできる・・・。この地の冬の厳しさを奴らも知るまい。一度奴らが撤退あるいは消耗した隙を狙って、反撃に出ることができれば――」
その時、轟音が城中に響き渡る。この世の終わりを告げる鐘の音のようなその響きに、城内の兵士たちは一様に竦み上がった。
「――何だ、何の音だ!?」
「て、敵の新兵器のようです! 見たことのない巨大な攻城兵器が城外に並べられており、そこから放たれた石が次々と城壁を破壊――」
再び轟音が響き渡る。部下たちの静止を振り切って窓際に立ったロンバルディア公は、眼下に並べられた100を超える巨大な攻城兵器たちの威容を目の当たりにすることとなった。
「トレビュシェット、と」
「ええ、弾力を利用したそれまでのバリスタやオナガーと異なり、岩石を詰めた箱の重量を利用し、それまでとは比べ物にならない投擲威力を実現するに至った新兵器です」
ゴホゴホと咳き込みながら、グレゴラスが説明する。すでに体の動きもままならず、杖を突きながらヴァルベルトの傍らに控えている。コンスタンティノープルにて待機するよう繰り返し命じたものの、自らの発明の成果をどうしても最後に目にしておきたいと言ってきかず、ここまでやってきたのである。
「これだけの数のトレビュシェットがあれば、ミラノの陥落も時間の問題です。そうなれば戦いは決するでしょう」
「陛下・・・おそらくは陛下が再びラーヴェンスベルクに帝位を取り戻すまでこの身が持つことはないでしょう。しかし陛下のその意思と能力については存分に思い知ることができ、陛下が帝位を取り戻すことはもはや確信しております。
私の賭けは間違っていなかった。陛下、どうか、その帝位の奪還と共に、我が主、アルブレヒト様の名誉をも、何卒取り戻していただけますよう――」
グレゴラスの言葉は致命的な響きをもつ咳によって中断された。傍らに立つ妻ベアトリクスに肩を支えられながら、その口元から鮮血を吐き出しつつある忠臣の姿を眺めながら、ヴァルベルトは返答する。
「ああ。貴様の願いは必ず叶えてやろう。我が祖父も、我が一族も、そしてこの俺自身をも侮り続けた世界に対する復讐を、俺は必ず成し遂げて見せる」
安堵した表情を見せながら、その場を立ち去ったグレゴラスは、その冬の間に永遠の旅路へとつくこととなった。享年68歳。おそらくは、アルブレヒトと同じ場所へと、彼は旅立つことができたであろう。
グレゴラスの見立て通り、数か月以内にミラノは陥落。ロンバルディア公とその妻子はかろうじて逃げ延びたものの、侵入してきたポンメルン王国軍や、息を吹き返した皇帝軍の反撃に遭い、最終的には1193年5月4日に降伏を宣言。公位を剥奪され、ポンメルン王は思惑通り広大な北イタリアの領土を獲得することとなった。
「さて、それでは約束を守っていただく番ですよ、ポンメルン王」
「ああ、勿論だ。――狐による、狐狩りの時間の始まりだ」
前哨戦は終わった。
ついに、ルナールの一族同士が激突する、「ルナールの戦争」が開幕する。
ブランデンブルク戦争
現スウェーデン王が属する「ルナール=レーニン家」は、1150年に当時のスウェーデン王マティアスによって創設されたルナール家の分家である。
マティアスは「戦争王」オトゲルの三男にあたり、当時は北イタリアのヴェローナ公領を父から与えられた。
さらに彼は、兄マグヌス1世が「不可解な死」を遂げ、その嫡子マグヌス2世がその遺領を継承したのち、この甥のマグヌス2世よりブランデンブルク周辺の土地を分け与えられた。
家名の「レーニン」とは、このとき与えられたブランデンブルク近郊に位置する村の名前である。
そして、このマティアスはさらなる勢力拡大を実現する。
すなわち、1160年に弟のバイエルン公ダゴと共同して起こした、従兄弟のスウェーデン王エステンからのスウェーデン王位請求戦争*4。
この成功により、ルナール=レーニン家は帝国の領域を超えて、北欧にその勢力圏を築き上げることに成功した。これはまさに、ポンメルンに王国を形成した慈悲王ゲロに匹敵する偉業であったと言えるだろう。
だが、そんなルナール=レーニン家の3代目当主アレッサンドロは、今まさに窮地に立たされていた。ルナール宗家のポンメルン王と、王朝内最大の実力を持つラーヴェンスベルク家のイェルサレム王の双方が手を組み、ブランデンブルクの地をイェルサレム王に「返還」することを求めているのだという。
勿論、アレッサンドロはこの要求に屈するつもりはなかった。スウェーデンとヴェローナの地は安堵し続けると言われたものの、祖父の代より続く一族の誇りを自らの代で失うわけにはいかなかった。
イェルサレム王側にはポンメルン王他、名だたる同盟国たちが並び、脅威ではあるものの、それでもアレッサンドロはこれに抵抗することを決めた。
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「そうか、スウェーデン王は要求を拒絶する、と」
宰相ハムダーンの持ってきた情報を受け、ルピーンの城内に待機していたヴァルベルトは嘆息した。ブランデンブルクから北に100㎞。まさに今回の戦争における最前線ともいうべき位置だ。
「状況を鑑みれば、無駄な抵抗としか思えないのだがな・・・まあ良い。予想していたことだ。そうと決まればすぐに兵を出せ。敵の主力はバルト海の先。奴らが十分に動くことのできない冬の間に決着をつけるぞ」
ヴァルベルトの言葉通り、北ドイツの地に結集させたイェルサレム王軍の主力がブランデンブルクの諸城を次々と包囲。北イタリアから運んできたトレビュシェットも活用し、一気にカタをつけるつもりだ。
が、2月27日。思いの外ずっと早く、スウェーデン王軍主力がポンメルンの北海岸に上陸。その数は傭兵団含め1万2千超。
さらに南方からはスウェーデン王の同盟国として参戦したボヘミア王の軍8千が北上してくるとの報告を受ける。
「ボヘミア王・・・同じ帝国の臣下であるにも関わらず、邪魔立てするとはな。大方、こちらの狙いを理解し、ブランデンブルクの獲得を防ごうとする魂胆か」
「いかがいたしますか」
「スウェーデン王軍とボヘミア王軍の合流は避けたい。その前に、各個撃破できるのが理想だ。このブランデンブルク周辺には同盟国の軍も多く集まっているしな。各包囲部隊は最低限の兵だけを残し全軍をテンプリンの平原へ結集させよ」
「数的に劣るシワ伯の部隊が先行して接敵することになりそうですが、タイミングをずらしますか?」
「いや、そんなことをしている間に逃げられかねない。
構わぬ、シワ伯の軍は先行させよ。奴も、自分がその命を賭してでも戦わなければならないことはよく理解しているだろう」
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「と、言うことですが・・・」
伝令の話を聞いた副官の説明に、シワ伯ドメニコは怒りに震えそうになる我が身を必死に抑える。
イェルサレム王は、自分に対し死ねと言っているようなものだ。その命を賭して、王国の勝利に貢献せよと。
一方で、自分がその命に従わざるを得ないのもまた、事実であった。
元エジプト王ルドルフ(アルブレヒト哲人帝の次男)の子らは、「呪われた兄弟」であった。長男のバイエルン公アダルベルト2世は実母との近親相姦を犯し、破門までされている。
次男のアダルベルト3世は、かつてアルブレヒト哲人帝がその王位を剥奪した元エジプト王ワルタルドを処刑し、同族殺しの汚名を着せられている。ワルタルドが王位簒奪の反乱を起こしたからとは言え、残虐な行いだったと非難されている。
さらにドメニコの弟であるルドルフも、ドメニコの子を殺すという大罪を犯しながら、「犯罪者」アダルベルト3世の宮廷においてのうのうと生きている。
この「呪われた兄弟」の一人であったドメニコは、自分だけは違う、と主張していた。ゆえに彼はエジプトを離れ、この北方の地にまでやってきたのだ。
彼はここで何としてでも戦果を挙げ、「呪い」から解き放たれる必要がある。そのためには、この命すらも擲つ覚悟でなければ――。
「全軍、行くぞ! 帝国に対する裏切り者、ボヘミア王をこの手で打ち滅ぼす! 主よ、我らを御守り給え――」
戦いは圧倒的劣勢から始まった。騎士の数も常備兵の数も劣っており、ただ重装歩兵の数だけは相手よりも上手なため、押し込もうとする敵兵を何とか留めよるべく全兵がその場で踏ん張り続ける。
それでも、時と共に着実に押されていく・・・
「堪えよ! ここが正念場であり、これを耐え抜けば、我が軍は確実に勝利する――」
ドメニコが前線に立ち、兵たちを鼓舞する。彼の言葉に兵も沸き立ち、その場から逃れようとする兵士は殆どいない。
そして、3時間ほどが経過したとき――
援軍が、ついに到着する。
形勢は逆転。数的不利を押し返し、戦場に到着したパレスチナ公率いるカタフラクト部隊が戦場を支配し始める。
だが、このタイミングで、今度は上陸してきていたスウェーデン軍がテンプリンへと到着する。
両軍の全兵力が激突することとなったこのテンプリンの戦いは、双方1万超えの大戦力により削り合いに。
だが最後には、カタフラクトの圧倒的突破力により、勝敗は決した。
最終的には双方2万超の兵力がこの戦場に投じられ、合計1万以上の兵士がその命を散らす結果となった。ルナールの血を引く一族同士による激戦は、十字軍以上に多くのキリスト教徒たちの血を奪うこととなったのである。
もはや、スウェーデン王に立て直す余裕などなかった。南方からはハンガリー王の軍が新たにイェルサレム王の同盟国として1万超の兵を送り込んできている事実も、彼の戦意を失わせるのに十分な材料であった。
かくして、1195年2月5日。ついにスウェーデン王アレッサンドロは敗北を認め、ブランデンブルク公領をすべてヴァルベルトに差し出すことを認めた。
こうして「ルナールの戦争」は終結。
無事、ブランデンブルクの地もイェルサレム王国の領有となった。
そして――。
「おめでとうございます、イェルサレム王殿。帝国としても、貴公の活躍により、失われた旧領の奪還を一部成し遂げることができました」
「約束通り、貴公にも次回の皇帝選挙における選帝侯の地位をお預け致します。その際は何卒・・・」
「ええ、分かっておりますとも、皇帝陛下。私は陛下の忠実な家臣であると共に友人で御座います。現在、皇帝選挙においては陛下の御子息エレンハルト様がやや苦戦しておられることは十分に承知しております。我が一族の繁栄も大事ですが、それ以上に陛下とその一族をお支えすることこそが我が使命。お約束しましょう。次回の選挙の際には、陛下の御子息に投票し、その勝利を後押しすることを」
「ところで――」
と、ヴァルベルトは鋭い視線でフーゴを射抜く。
「先だって、陛下よりお出しになられた、私の密偵頭解任の報せについては――」
フーゴは明らかに狼狽した様子を見せ始める。
「いや、違うのです、イェルサレム王殿。これは、ボヘミア王を私の弱みを握って半ば脅迫してくるが故、仕方なく・・・何も他意は御座いません。ご理解頂ければと思います」
「――まあ、いいでしょう」
ヴァルベルトは再び表情を緩ませる。
「陛下より頂いた選帝侯の地位についてはしっかりと活用させて頂きます。共に、帝国の繁栄を築き上げましょう」
踵を返し、宮廷を後にするヴァルベルト。皇帝フーゴは彼を信じる他なかった。少なくとも彼には、それ以外の選択肢はなかったのだから。
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「おかえりなさいませ、陛下」
コンスタンティノープルに戻ったヴァルベルトを、黒い影が出迎える。男の名はジクヴァルト。亡きグレゴラスの知人であったと告げるその男は、ヴァルベルトの知らぬ数多くの秘密と情報を手にし、自らの有用性を強く主張したことで、数か月前から彼の新たな「側近」として活躍し始めていた。
「陛下の留守中、ギリシアの皇帝から援軍依頼が来ておりましたが、いかがいたしますか? 前皇帝カリストスが3年前に亡くなられてから、新たにルナール家に属するメギンヘルが新皇帝に即位しましたが、これに不満を持つカリストスの親族が反乱を起こしているようです」
「多忙故、今は助力できぬと返しておけ。今は一度帝位を奪われたとしても、後ほど必ずそれを取り返すから安心しろ、とも。
但し、それはルナール王朝の手に取り戻すという意味であり、それを持つべき相応しい人物の手によって、ではあるが、と*5」
「承知いたしました。まあ何か色々文句をつけてくるでしょうが、それは何とでもしておきます。
それで、これからどのようにされるご予定で? 無事選帝侯の地位は得られたようですが、それだけでは選挙権を勝つには厳しいかと推察しますが」
相変わらず、直接伝えてはいない情報もあらかじめすべて把握している男だ。故にこそ、役に立つ。
「ああ、その点に関してはすでに策は打ってある。お前にもいろいろ手伝ってもらうぞ。
いよいよ、失われた帝冠を取り戻すための、最終段階へと移ろう」
逆襲のとき(1196-1200)
「ルナールの戦争」を経て、イェルサレム王ヴァルベルトは選帝侯の地位を手に入れた*6。しかし、ただ投票権を得ただけでは、「不足王」と呼ばれるヴァルベルトは決して票を集めることはできず、勝利への道のりは遠いままであろう。
そのために、ここから票を集める努力をする必要がある。それは、「弱みを握る」ということ。
そしてその為の方法を、ヴァルベルトと彼の「側近」ジクヴァルトは知っている。
もし、握れるような弱みが存在しないのであれば、それを「作れば」良い――。
ノルトガウ公アマデウス。選帝侯の一人。決して個人的な恨みはないが、その脇が甘いのが罪と言える。
1196年6月。彼が「たまたま」裸でいたところに、ヴァルベルトが手配した「曲芸師たち」を乱入させる――それは混乱を巻き起こすが、そこにこれもまた「たまたま」使用人たちを鉢合わせることで、そこには存在しえなかったとある「醜聞」が発生することになるだろう。
これでノルトガウ公はヴァルベルトの意のままとなった。
もちろん、一人では意味がない。
さらなる「投票者」を得るべく、今度はユトレヒト大司教に適切なスパイを送り込む。
・・・が、事態は少しだけ想定と違う方向へと動くこととなった。
「噂話」を広めようと活動していた途中に、どうやら「噂話」では済まない事実がそこに隠れているらしい、ということが判明してきたのである。
そう、彼は隠された「性的倒錯者」であった。
早速この秘密を使って彼を脅迫し、何でも言うことを聞くように仕立て上げたのである。
これで2票目を獲得した。実に順調だ。
さらに、相手を不快にさせるだけが策略ではない。その逆の方法もまた、ありうる。とくに異性に対しては。
これらの手段を通じ、ありえなかったはずの票を集めていったヴァルベルト。
ついに、1196年の暮れ頃には、次回の皇帝選挙で十分に勝利できるだけの目算が立ち始めていた。
あとは、最終段階だ――。
1197年春。
悲しい報せが、帝国全土に広くもたらされた。まだ40にも満たない若き皇帝フーゴが、その旅の途上で突如、屈強な強盗団によって襲われ、命を落としたという。
たまたまそこに皇帝がいることをその危険な一団は知っており、たまたまその瞬間は皇帝の周りの護衛が同時に持ち場を離れ、手薄になっていた瞬間であった。
報せを聞いたヴァルベルトは、悲しそうに呟いた。
「さようなら、陛下。貴方は私にとって良き友であり続けた。その、最後の瞬間まで」
そして、アウクスブルクで次期皇帝を巡る選挙が行われた。
ノルトガウ公、ユトレヒト大司教、ザクセン女公、そしてブランデンブルク選帝侯の地位を持つヴァルベルト自身が票を入れたことで、次期皇帝の座は再び、ラーヴェンスベルク家のもとにもたらされることとなった。「おめでとう」と叔父のオストファーレン公ディーデリクは称賛の言葉を口にする。その言葉とは裏腹の感情が宿っていることはその目を見れば分かる。
かと言って、彼に何かができるわけではないだろう。
何しろ今や私は、皇帝なのだから!
だが、まだ、成すべきことがある。
1199年9月。
神聖ローマ帝国の新皇帝ヴァルベルトは、アーヘンの地においてとある饗宴の場を開いた。ボヘミア王やオストファーレン公、チューリンゲン公に嫡男のポーランド王――そしてもちろん、ポンメルン王。
帝国内の臣下たちと近隣の有力諸侯らを招いた、今後の帝国の永遠の繁栄を祝う会である。
「お招きいただき、光栄だよ、皇帝陛下。そして、遅ればせながら、皇帝就任おめでとう」
ポンメルン王も複数の従者たちを引き連れて饗宴にやってきた。その手には空のゴブレットが掲げられ、頬は朱色がかっており随分楽しんでおられるようだ。
「こちらこそ、お越しいただきありがとうございます。この度の私の成功は、貴公のお力添えなければ不可能なものであった。これからも、同じルナールの一員として、手を取り合い世界の安定と繁栄に協力して参りましょう」
ヴァルベルトの言葉に、ポンメルン王の目つきがやや疑わし気なものへと変わる。だが、その警戒心も、酩酊の波によってじきにかき消されてしまったようだ。
「陛下の御言葉通りですな。これからもぜひ、我々は信頼しあえる同盟国同士として――」
そう言って彼はいつの間にか注ぎ足されていたゴブレットを口に運び、一気にそれを喉奥へと流し込んだ。次の瞬間、その双眸は見開かれ、ゴブレットが床に落下した音が一面に響き渡った。
驚いて振り返ったポンメルン王の側近たちが目の当たりにしたのは、苦しそうにその喉を押さえる主君の姿であった。そして次の瞬間に彼らは気づく。この部屋に、自分たち以外は誰も――善良な客人たちは、という意味だが――いないということに。
――――――。
蠟燭の光で、血は床に敷き詰められたビロードのタペストリーのように見える。騎士の綺麗になった剣を見て私は再び息をつく。彼は静かに私に頷く。
私は、召使いの一人に、ドアを閉めるよう合図をする。私は客人に別れを告げる。「本当に残念だ・・・」
ポンメルン王の悲劇の死は王国に混乱を巻き起こした。王位はすぐさま嫡男のサンボルが継承することが宣言されたものの、その所領の一部であったブルグント・ロンバルディア・西フランケン・カプアなどはバラバラになって独立。
そして彼らは旧主君たるポンメルン王には無断で、皇帝に対する臣従を申し出始めたのである。
かくして、帝国は本来の姿を取り戻す。
さらに、皇帝ヴァルベルトは「約束通り」ギリシアの帝国を一族のもとに「取り返す」べく、ギリシア皇帝に宣戦布告。
圧倒的な戦力差でもってギリシア兵たちは駆逐されていき、わずか1年後の1200年9月19日にはこれを降伏させた。
4世紀末に東西に分裂した偉大なるローマ帝国は、800年の時を経て、今、再び統合された。
それを成し遂げたのが、辺境より出でし「きつね」の一族。
ここにおいて、そのルナールの名は「神話的」な一族の名として、人々の記憶に永遠に刻まれることとなったのである。
――だが、それは本当に栄光に満ちた名であったと言えるのか。
少なくとも、それを成し遂げた立役者であるはずのヴァルベルト帝自身は、人々にとって偉大なる皇帝といよりも「恐怖」の皇帝として知られることとなる。
たとえば彼は、ギリシアの帝位を巡る戦争において数多くの戦争捕虜を捕え、これを拷問しその命を奪い取り続けていった。
このことで確かに彼を「不足王」などと呼ぶものはいなくなった。彼はこの世で最も恐ろしい存在として知られ、帝国内で彼に刃向かおうとする者はいなくなったのである。
しかしそれは逆に言えば、きっかけさえあればいとも簡単に崩れ去る不安定な基盤の上に成り立つものでもあった。
そしてその「きっかけ」は、外部からもたらされることとなる。
第4回十字軍(1201-1203)
それは、ギリシア皇帝位簒奪戦争の末期に始まった。
カトリック内部での「内乱」の隙を突く形で、中東のイスラーム勢力が、聖地の1つであり主教座の置かれた地でもあるアンティオキアを征服。
この勢力は中東一帯を支配するスィルハーン朝の臣下であり、これはかつての大帝国を率いていたアッバース家の分家スィルハーン家に率いられたイスラーム王朝であった。
古のアッバース帝国を完全復活させた英雄スィルハーン・イブン・スィルハーンは、総兵力2万5千弱を有し、神聖ローマ帝国と肩を並べる大勢力の頭目であった。
そんな彼らがカトリックの聖地アンティオキアを奪い取ったのである。
当然、ヴァルベルトがこれを黙って見ているわけはなかった。
ギリシアの皇帝との戦いを終わらせた後、彼はすぐさま皇帝グレゴリウス7世をけしかけ、アンティオキア=シリア奪還を目指す第4回十字軍を発動させる。
スィルハーン朝率いるイスラーム軍も総勢11万を動員したものの、カトリック軍はこれを上回る18万の軍勢を動員。
キリスト教徒の誰もが、この第4回十字軍もまた、カトリック側の圧勝に終わると信じて疑わなかったのも無理もないことであっただろう。
たとえば1202年2月18日から3月29日にかけて繰り広げられたアンティオキア南方のトリポリの地における大激戦。
当初、数的有利に立っていたのはイスラーム軍であったが、すぐさま「ローマ帝国」軍2万超が救援に駆け付け、さらに沖合からも援軍が続々とトリポリ入り。
最終的にはカトリック軍11万弱vsイスラーム軍4万という圧倒的物量差でこれを押しつぶし、十字軍側も9千近い犠牲者を出したものの、その2倍以上の異教徒の血を流させる大勝に終わった。
だが、調子が良かったのはここまでであった。
同年6月。トリポリでの圧勝の勢いをそのままに、いよいよ聖地アンティオキアの解放を、と意気込んだ十字軍の一部が突出して単独でこれを包囲。しかしそれは敵軍の罠であり、突如湧いて出てきた5万の異教徒軍がただちにこの舞台を取り囲み、総攻撃を開始した。
最終的には十字軍側も8万の兵がこの戦線に投入されるが、戦力の逐次投入の愚を犯したことにより、兵数差にも関わらず多大な被害を出して敗北。
この敗北により十字軍側の兵力は分散し始め、逆に統率の取れた動きを取るイスラーム軍は十字軍勢力の各個撃破を開始。
同年11月にはトリポリの地における2度目の戦いが繰り広げられ、今度は緒戦の真逆、あるいはそれ以上に酷い形での大敗北を喫することとなる。
それでも十字軍側はなんとか立て直しを図り、兵力を再結集。
この戦いの最大の目標であるアンティオキアで最終決戦が繰り広げられる。
十字軍側の総指揮官を務めるのは聖ヨハネ騎士団オビッジーノ。すでに60の高齢だが、歴戦の強者であり、その純粋な信仰心の強さと合わせ、私利私欲に満ちた寄せ集めの諸侯たちからも信頼を置かれる人徳者である。
対するイスラーム軍は総大将のスィルハーン自ら陣頭指揮を執り、敵軍もここを決戦の地とする意気込みであったことが窺える。
互いの総力をかけた大激戦は連日続き、日を追うごとに双方の後詰めが合流。戦闘の規模は雪だるま式に膨れ上がっていく。
だが、どれだけの異教徒たちをその大地に切り伏せようとも、奴らは次々と湧き出るようにして増えていく。
次第に、十字軍側は劣勢に陥りつつあった。
実はこのとき、このアンティオキア北方のエデッサ伯領周辺には、3万近いカトリック軍が待機していた。彼らがアンティオキアの地にまで駆け付ければ、十字軍側の逆転勝利も十分に可能な状況であった。
しかし、彼らは動かなかった。その中心に立ち、5千の兵を率いていたノルトガウ公は、逸る部下たちに向けてこう語った。
「これは正義の戦いである。たとえ目の前の異教徒たちに敗北しようとも、内なる邪悪に打ち勝つこともまた、正義の形である」
そして、1203年5月19日。
アンティオキアでの決戦は、8万弱の兵を率いたスィルハーン軍による圧勝で終わり、十字軍7万弱はほぼ全滅。指揮官であったオビッジーノも囚われの身となってしまった。
これはすなわち、第4回十字軍の敗北を決定づける結果であった。
この報せをコンスタンティノープルで受け取ったヴァルベルトは、たちまち哄笑し始めた。いつまでも止むことのないその笑いは、あまりにも不気味で理解しがたく、人々は彼の「悪魔付き」が再び発症したのかと疑い始めた。
やがて、永遠とも思える時が過ぎたのちに、彼は玉座に座り直し、誰に聞かせるでもなく呟いた。
「実に満足のいく人生だった。我が身にはとても余るほどにな」
その年の7月16日。
「不足王」と侮られ、その人生の終盤においては「恐怖帝」として恐れられたルナール朝で最も「期待されなかった男」は、一族最大の栄誉と怨嗟とを一身に受けながら、満足気にこの世を去った。
遺された皇族たちは果たしてこの混乱を収束しうるのか。
そして「きつね」の一族の命運は。
次回、「きつね」の一族の物語、最終回。
「尊厳者リィマーの義務と永遠の帝国」に続く。
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過去のCrusader Kings Ⅲプレイレポート/AARはこちらから
*1:ポフヤンマーは現在のフィンランドに位置する遥か北方の都市。
*2:コンスタンティノープルとその周辺一帯。
*3:現皇帝フーゴの兄。自分ではなく弟が新たな皇帝に指名されたことに対し不満を持ち、兄と対立するロンバルディア公と組むことを決めた。独善的で冷笑的な男。
*4:マティアスやダゴの母(戦争王の後妻)が現スウェーデン王の伯母であった。
*5:王朝の者に帝国の統治権を与えることのメリットがここにある。王朝の主であれば、一族から称号を奪うことは造作もない。
*6:実はブランデンブルク公位を得ただけでは選帝侯の地位は得られなかった。その後、ケルン選帝侯の地位を持っているであろう下ロレーヌ女公から公位を奪い取ったことで、ようやく選帝侯の地位を取り戻すことができた。そこはテンポが悪くなるのでAAR上では省略している。しかし、選帝侯のルールは、いまいちよくわからない・・・。