四国南部・土佐の一領主に過ぎなかった長宗我部元親は、1560年代後半からその領域を広げ、かつての天下人・阿波三好家との激戦をも制し、元亀元年(1573年)には讃岐を除く四国のほぼ全域を統一するに至った。
だがここで、畿内にて勢力を伸ばしつつあった尾張の大名・織田信長が台頭。
元親の義父にして新たな臣下となった篠原長房の有する摂津の領地を狙い、元亀三年(1575年)に長宗我部家へ宣戦布告してきたのである。
織田、そしてその同盟国・徳川の精強なる連合軍に対し、元親は西国の雄・毛利と結びこれに対抗。
決戦は摂津・神崎川近辺で繰り広げられ、両軍ともに凄惨なる犠牲を出しながらもこの戦いは長宗我部・毛利連合が勝利を果たした。
その直後、阿讃でも3年前に打ち倒した三好存康が蜂起。
織田徳川との戦いに苦戦する長宗我部の背後を突くつもりだったようだが、神崎川の鮮烈なる勝利にて猶予を得た元親はすぐさま討伐の軍を四国に寄越し、引田の地でこれを撃滅。
結果、三好存康は四国から追放され、ついに長宗我部は四国の統一を果たしたのである。
元親は新たな都を讃岐・野原(高松)の地に築り、戦争に依らない豊かなる国造りへと邁進することを志向する。
とは言え、戦国の世は決して、長き平穏を彼に与えるつもりはなかった。
Crusader Kings Ⅲ Shogunate AAR 「長宗我部」編第3話。
戦乱の世は収まるどころか、より激しさを増し、巨大なる戦いに四国の狗鷲を巻き込んでいく。
目次
※ゲーム上の兵数を10倍にした数を物語上の兵数として表記しております(より史実に近づけるため)。
Ver.1.12.4(Scythe)
Shogunate Ver.0.8.5.5(雲隠)
使用DLC
- The Northern Lords
- The Royal Court
- The Fate of Iberia
- Firends and Foes
- Tours and Tournaments
- Wards and Wardens
- Legacy of Perisia
- Legends of the Dead
使用MOD
- Japanese Language Mod
- Shogunate(Japanese version)
- Nameplates
- Historical Figure for Shogunate Japanese
- Big Battle View
- Japanese Font Old-Style
前回はこちらから
大包囲網
元亀八年(1580年)。
元親は弟の吉良親貞の領国である北宇和の地を訪れていた。昨年九州より始まった疫病の猛威が、この地にも訪れていたため、その視察としてやってきていたのである。
「死者はすでに百名を超えると見られる」
親貞の言葉は、目の前の惨状と合わさり、元親の心を暗くした。家々は閉ざされ、いくつかは焼け落ちた跡があった。道端には、病に倒れた者たちが横たわっている。
「人々は先来の毛利元就殿の死とこの病とを結びつけているようだな」
「ああ。元よりこの地には毛利家への畏れや怨みが強いものも多く、齢80まで生きた元就公を天魔の如く形容し、その死の際にも死にきれぬ思いが怨霊となって災厄をもたらしていると吹聴されている」
親貞の言葉に、元親は苦々しい表情を浮かべる。
「素朴な民の心情は分からないでもないが、無根拠な話で下手に両家の関係を拗らせるのも具合が悪い。今後の情勢を鑑み、毛利との関係は必要不可欠だからな」
「ああ。兄者の言うとおり・・・実際、今回の件に関し、長毛の間を引き裂く意図を持った間者が働いている可能性もある。そこはしっかりと探らせよう。
いずれにせよ、疫病の広がりには兄者も十分に注意して頂きたい。疫病は海を渡り沿岸部を中心に広がっており、高松の近くにも忍び寄ってきていると聞くからな」
「ああ・・・注意するよ。弥五良も、くれぐれも注意を。お前が先に病に斃れでもしたら、我が夢を半ばで潰え兼ねぬ」
元親は弟に別れを告げ、伊予を発った。
その足は次に畿内へと向かう。
この疫病の広がりに合わせ、混乱が予想される地に向けて。
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摂津国武庫郡、越水城。
そこはかつての三好家家臣であり、現在は元親の家臣となっている義父・篠原長房の居城であった。
「お加減は如何か、義父上」
元親の言葉に、長房は小さな笑みを浮かべながら答える。
「体の具合は問題ありませぬ。ただ、目の光は戻りそうにはありませんな」
「我が息子も視力は保ってはいるものの、人に見せられるような容貌ではなくなってしまいました」
「実に恐ろしいこと・・・」
元親は渋い表情で応える。
「我らが国は死者の数で言えばまださほど多くはありません。殿が主導で進めた早期予防策が功を奏したと言えるでしょう」
「しかし同時に北陸地方では、広く天然痘も流行してしまい、そちらではより多くの犠牲者ーーそれこそ、東国の上杉謙信公までもが、その犠牲となったと聞きます」
「とかく、世は末法かの如く荒み、不穏が満ち満ちております。
その中で、畿内の政治においても不安定さがいや増しておるようで」
「うむ」
元親も深刻な表情で頷く。
「織田信長が将軍宛に書いた十七条もの意見書は私も確認した。全国各地の有力大名にも配られているようで、近く奴が将軍に牙を剥く前触れと見るのが正解だろう」
「・・・更なる混乱は避けられませんな。より多くの村が焼かれ、寺社も掠奪され、ただ罪もない人々だけが苦しみを味わうこととなる」
「そうはさせぬ」
はっきりと、力強く、元親は告げる。
「民の平穏を守ることが我が務め。これを蔑ろにしようとする者がいれば、私はこれを抑え込むことに全力を費やそう。
そしてもしこれを止めること能わねば、そのときは我が軍才を再び揮うことも厭わぬ」
長房はもはやその表情を窺うことはできなかったが、それでもその声だけで、彼は強い安心感に包まれるのを感じていた。
この御仁であれば、きっと能うのであろう。
この長き戦国の世を終わらせ、恒久の和平をもたらすことが。
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元亀九年(1581年)2月。
信長は京に入り上京を焼き討ちしつつ、最終的には槙島城に立て籠った足利義昭を打ち倒し、これを追放。250年にわたり続いた室町幕府を崩壊させた。
3月には信長は元号の変更を天皇に奏上。元より前年の疫病の流行により変更を準備していた朝廷も、この信長の意向とその財政援助を元に変更を実現。
このときより元号は「天正」となり、名実共に天下の担い手が足利将軍家から織田家へと移り変わったことが明らかとされた。
しかし、その中で元親は着々と準備を進めていた。
この傍若無人たる大鯨を捕らえるべく、屈強なる鯨組を組織するための準備を。
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天正元年(1581年)5月6日。
三河国・岡崎城。
織田・武田の両雄に挟まれし困難窮まる立場にあった徳川家康はこの日、四国の雄・長宗我部元親を迎えていた。
「わざわざこのような地まで御足労頂き、恐悦至極で御座います」
家康は深々と頭を下げ、元親に礼を尽くす。元親も静かに頭を下げ、これに応える。
「こちらこそ、本日はお招き戴き感謝申し上げる。そして、我が息子と貴殿が娘との婚約を許可して戴き、有り難く存じます」
「ええ――これにて、我々は深き結びつきを確認致す。5年前、確かに一度は刃を交えたこともありましたが、これからは共に恒久の和平を願い給いましょう」
家康の言葉に、元親は小さな笑みを浮かべながらもその瞳の奥を覗き込もうとする。今川・織田・武田・・・あらゆる強大なる隣国に囲まれる中、その立場を巧みに変え続け生き残り続けてきたこの男がその奥底で何を考え、何を為そうとしているのか、元親はしっかりと見抜く必要があった。
だが、どれだけその瞳を覗き込んだとしても、そこに一欠片の野心も見えず、ただ底知れぬ正直さだけがあるように思えた。
少なくとも、この瞬間においては。
「しかし貴殿は織田家との同盟も結んでいた筈。我々と結ぶということは、必然的に彼らとの関係の変化を意味することになりますが、それはよろしいので?」
元親の言葉に、家康はフ、と笑みを浮かべながら応える。
「我々と織田家との結びつきは、あくまでも我が嫡男・信康と織田家の娘との婚姻に拠るもの。その信康が先達て哀しくも討ち死にした今となっては、その関係を継続する意味は持ちませぬ」
「それに」と、家康は続ける。
「我々と織田とは対等な関係の筈であった。しかし日増しにその勢力を伸ばしていく彼らは、やがて我々を蔑ろにし、従属国のように扱うようになっていった。終いには、彼らは我らが仇敵たる武田家と、その一部とはいえ同盟を結ぶほどの始末」
「我々も領国を護るべく、身の振り方を適切に考えねばならぬと思い至ったわけで御座います」
家康の言葉に、元親は頷く。その理屈に何も間違ったことはない。
「では――」
と、元親も前のめりになり、本題を切り出すこととする。
「我々の構想する鯨組――すなわち、織田信長包囲網の一角として、御協力戴くと判断して構わぬな?」
家康は頷く。その目は、真っ直ぐに元親に向けられていた。
「すでに包囲網の一角を成している本願寺家とも、我々はすでに同盟を結んでおります。今や畿内は織田という火種によっていつ燃え盛る炎に吞み込まれてもおかしくはない情勢。これを囲み、万一に備えるという宮内殿の御考えに、我も賛同致しまする」
元親は頷く。
これにて――完成した。
総兵力五万の強大なる織田信長に対抗するための、毛利・長宗我部・徳川・本願寺四大勢力による総勢十万を超える大包囲網が。
この包囲網に参加する諸将は互いに起請文を交わし、包囲網に参加する何れかの勢力が織田による攻撃に晒された際には、残る勢力は直ちに織田に対し宣戦を布告し、これに参戦する、と盟約した。
これにて、秩序が保たれれば良いのだが――もちろん、元親でさえも、その理想を信ずるほどには、甘くはなかった。
包囲網は、より大きな戦いへの助走に過ぎなかった。
天正二年(1582年)、いよいよその大乱は幕を開ける。
大坂本願寺合戦
天正二年(1582年)8月。
信長はその拡張への欲望を留めることを知らず、紀伊国守護の畠山氏を攻め滅ぼし、紀伊半島をほぼ統一した。
さらに、同年10月。
今度は信長の最大の同盟国である浅井家が、南近江の六角家に続き、滋賀郡一帯に影響力を持ち、包囲網の仲介役も担っていた比叡山延暦寺を襲撃。その座主である応胤入道親王を追放し、琵琶湖周辺を完全なる支配下に置いた。
浅井家当主・浅井長政は信長の妹・お市の方を妻に娶っているが、この永禄十年以来の同盟関係を包囲網下においても決して崩さぬ意志を、この戦いによって証明してみせたのである。
近江一帯の完全喪失は、包囲網側にとっては北陸地方の本願寺勢力との連絡を絶たれることを意味する。
戦いのときは近い。誰もがそのことを理解する中――
10月17日。
ついに、織田信長は包囲網の一角かつ中枢たる毛利家へと攻撃を仕掛けたのである。
「始まったか」
元親は高松の居城にて、机上に広げられた各種の報告文を見渡しながら、呟く。
「まずは第一手――大坂、本願寺だ」
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「ーー今こそッ! 我ら本願寺の宿願、果たさるるべき時ッ!! 長島では我らが同胞が数多く凄惨たる最期を迎えさせられた! そして比叡山でもまた、無数の僧侶が炎の中で無念の死を遂げたのであるッ! 今や織田・浅井は仏門共通の大敵也!」
大坂・本願寺。高櫓に立った法主・教如は喉を涸らさんばかりに叫び、眼下の無数の門徒たちを扇動する。
信徒たちもまた、鬼気迫る勢いでこれに応える。それは大坂に住む町民たちだけでなく、全国各地で食うに困り畑を捨てた者、あるいは戦の中で逃散し、あるいは敗走の上に依る辺もなくなった農民兵・元武士たちの集合体でもあり、あらゆる者がこの戦国の世に対する怨嗟で魂を燃え滾らせていた。
「我らは決して死を怖れることはない! この悪虐非道なる仏敵共に、天罰を下するぞッ!!!」
「ーー件の如し、本願寺門徒一斉蜂起との由」
伝令の報告を受け、織毛国境に位置する黒井城の包囲に取り掛かっていた織田信長は、いつもの無表情の中にもわずかな焦りの影を薄く浮かべつつ指令を下していく。
「調子に乗りおって、生臭坊主共めが」
「我と奇妙丸はここを動くことはできぬ。畿内に待機している三七を総大将とし、サルと五郎佐に補佐させてこれを撃滅せよ」
は、と伝令は首肯し、すぐさま発とうとする。そこに信長は言葉を付け加える。
「くれぐれも油断するな、と三七らに伝えておけ。敵は門徒兵だけではない。その背後には長宗我部、そして徳川もおるのだから」
翌天正三年(1583年)4月。
前年末より始まった本願寺門徒による一斉蜂起に対抗するべく、織田信長三男の織田信孝は、同盟国・浅井の兵も含めた総勢7万もの兵を連れて大坂本願寺の包囲を開始していた。
敵兵は決して多くはないが、その背後には四国の王となった長宗我部家や、かつての同盟国である三河の徳川家が控えていることは理解しており、織田家の命運をかけた重責を前にその緊張は日増しに高まりつつあり、ここ最近はあまり眠れない夜を過ごすほどであった。
そして、そんな信孝の不安を頂点に至らしめる報告が、軍議の場にて届けられた。
「大坂より丑寅の方角、飯森山城近辺にて、長宗我部・本願寺・徳川連合軍6万の姿を確認」
「間もなくして、大坂方面へと侵攻してくることとなるでしょう」
「――本願寺は、まだ陥ちぬか」
信孝が拳で机を叩く。居並ぶ家臣たちもまた、びくりと肩を震わせる。
その中で平然とした表情を崩さぬ男が、口を開いた。
「ご不安は尤もで御座います、信孝様。しかし総大将たるもの、泰然となされよ」
木下藤吉郎秀吉――織田家中最大の出世頭の一人にして、柴田勝家亡き今、明智と並びその頂点を狙いうる才人。信孝はともかく、この秀吉を送り込んだことこそが、信長がこの本願寺を最も重要なる決戦の場であると考えたことの証左であった。
「この大坂の地勢は事前に調べ尽くしております。信孝様は後方にて泰然と構え、前線は我らにお任せあれ。必ずや、華々しき勝利をお届けいたしましょう」
「あ、ああ――」
秀吉の言葉に、信孝も落ち着きを取り戻す。
「分かった・・・この戦いは貴殿らに託そう。必ずや、織田に勝利を」
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「――相も変わらず、恐ろしき人たらしの才だな」
陣幕を出て戦場に向かう途上、秀吉と共にこの本願寺戦の指揮を任された丹羽五郎左衛門長秀は横に並ぶ秀吉に声を掛ける。
「貴殿がその心の内を読むことのできぬ者など、この世にはいないのではないかと思う程だ」
「何を仰る――」
長秀の言葉に、秀吉は笑いながら応える。
「読めぬ相手などいくらでもいる。例えば、これから対峙せねばならぬ、四国の猛禽などもな」
「・・・長宗我部元親のことか? 会ったことがあるのか?」
「いや、対面したことは一度もない」
秀吉の回答に、長秀は理解に苦しむような表情を見せているが、秀吉は肩をすくめただけでそれ以上何も言いはしなかった。
――会わなくとも、大抵の人物の器量は分かる。
しかしそれでも、長宗我部元親という男については――秀吉にとっても、あまりにも未知数な存在であった。
いずれにせよ、奴はここで止めねばならぬ。
そうでなければきっと――織田家にとっては、あまりにも悲惨な結果をもたらすことになるだろうから。
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4月29日、払暁。
いよいよ、長宗我部・本願寺・徳川連合軍6万は、その兵力をすべて率いて大坂の本願寺周辺を取り囲む織田・浅井連合軍7万に向けて進軍を開始した。
対する織田・浅井連合軍は、本願寺包囲に織田信孝の部隊8千を残し、中央に木下秀吉隊2万5千、その両脇に丹羽長秀隊1万2千と浅井長政隊2万1千を配置。長政隊には支援部隊として、名人久太郎こと堀秀政の部隊4千と、元伊勢国司の北畠具教率いる3千の部隊とが付いている格好だ。
一方の包囲網軍については、中央に長宗我部元親率いる1万2千と吉良親貞率いる1万の計2万2千の長宗我部軍。その両脇に、浅井軍に対峙する形で徳川軍1万8千と、丹羽軍に対峙する形で本願寺軍2万とが配置されることとなった。
この本願寺軍を率いるのは、本願寺軍随一の軍事指揮官たる下間頼廉。
それぞれの軍の最高指導者が揃う、総勢13万にも及ぶ一大決戦が今、幕を開けようとしていた。
最初に動いたのは織田・浅井連合軍の左翼、浅井長政隊であった。
「――臆して退いた徳川とは違う。我々浅井こそが、天下を獲る義兄者・・・織田信長の右腕とならん! その為にこそ、勇名名高い長宗我部家の右腕の首を獲り、天下にその名を轟かせんッ!」
長政の部隊は湿地帯をものともせずに真っ直ぐに突き進み、吉良親貞隊1万に向けて突進していく。
これを防ぐべく徳川家康隊1万8千が救援に動こうとするが、そこに長政の部隊の背後についていた堀隊と北畠隊が一気に襲い掛かる。
「――誇り高き我ら北畠家が今や尾張の地方豪族の家臣たる憂き目に遭っている。だが、ここから我らは這い上がらねばならぬ・・・それだけの武功を重ねることによって! 徳川家康、相手にとって不足なし。その首、貰い受けるッ!!」
「――猪武者ばかりに従うのは容易ではないが、その勢いは場を混乱させるには十分。木下殿が我々をこの場に置いたのは、この混乱に乗じて敵将が首を効率良く獲ること。しかと働き給えよ、監物」
「ええ――仰せの通りに。殿」
浅井軍・北畠軍の怒涛の猛攻により吉良軍、徳川軍はすぐさま混乱せしめられる。さらには的確な動きで徳川軍の横腹を突き、徳川軍の中心的な役割を担っていた大久保忠世・忠為兄弟が次々と負傷。
さらには浅井家家臣の脇坂安治の突撃により、吉良軍もほぼ壊滅しかかり、その指揮官たる吉良親貞も負傷する程の勢いであった。
だが、徳川軍も負けてはいなかった。
家康重臣の一人、本多正信が勇敢にも自ら前線に踏み出すと、徳川軍は再び勢いを取り戻し全軍で前進。最も勢いのあった敵北畠隊を壊滅させ、北畠具教の次男である長野具藤を討ち取ることに成功。
さらに親貞の部隊に属していた安富盛茂*1も長政隊に果敢に切り込んでいき、長政の嫡男である義政*2に重傷を負わせるなど、次第に包囲網軍有利に情勢が傾き始めていた。
そして、ここで元親が動く。
「――良いな、貴殿ら」
元親の言葉に、馬廻り衆を率いる精鋭たちは一斉に頷く。
「槍の親家」と称される歴戦の戦巧者・江村親家。
その勇敢さゆえに重傷を負い、仮面で容貌を隠す必要に迫られながらも、なおもその勇猛さを失わない、親家の甥にあたる吉田俊政。
「元親の最も誠実なる家臣」と称され重用されていた久武親信。
そして、勇名名高い福留親政の嫡男にしてその才を存分に受け継ぎ、長宗我部家最強の武人と謳われる福留儀重。
今や、四国のみならず天下最強と称されることとなる長曾我部元親の本隊が、一気呵成に木下秀吉隊へと襲い掛かった!
「――藤吉郎、これは・・・持ち堪えられぬぞ」
秀吉の盟友にして、その軍事的な主柱であった蜂須賀正勝の弱気な言葉に、秀吉は舌打ちをする。
「浅井軍の猛攻に、少しは動揺するかと思うたが・・・全く動じることなく、その上2倍の兵相手に真正面からぶつかってくるとはな・・・
事実、こうしてワシらは押されているわけだ。この軍才、上様か・・・あるいはそれ以上――」
言いかけたそのとき、前衛で声が挙がり、兵が次々と反転しこちらに向かってくる様子が見える。
「――もう来たのか! かくなる上は、信孝様の御命だけは守り通す!」
元親馬廻り隊の福留儀重の部隊が突出し、秀吉隊の中心を次々と打ち崩していく。
最終的にはそれは秀吉本陣にまで届き、その身に矢傷を与える程となった。
だがそこにさらに食い込む前に、木下軍最強の武人・福島正則がその前に立ち塞がり、儀重の進軍は停止。
その間に木下軍の残党は本願寺包囲中の信孝の元にまで撤退する。
「――右翼の丹羽軍に対しても本願寺軍が猛攻を仕掛け、長秀殿が討ち死にとの由」
衝撃の報せに心を震わせる余裕もなく、秀吉は急ぎ信孝のもとへと駆けていく。
「――信孝様、すぐにこの場を逃れよ。織田の血族を絶やすことなく、後世へと繋ぐために」
戦況はほぼ決していた。あとはどれだけの追い首を得られるかというほどであった。
そのとき、これまで前線に立つことが許されなかった男が、自らの活躍の場を求めて元親に進言する。
「――御父上、我にこの戦いに身を投じる許しを戴きたく。あとはいかに敵兵を屠るかという段。最後まで何もせず後方に留まるだけなど、私には耐えられません」
男の名は長宗我部信親。元親の嫡男であり、彼としては元親の軍事的才能ではなく、平和な世界に相応しい内政的な才を伸ばしてほしいと考えていた男だ。
しかし、結局のところ血は争えないのか。彼もまた、父と似た軍事的才能と血気盛んさを育むこととなったのである。
そのことを快く思ってはいなかった元親は、息子のその申し出に渋い顔をした。しかし「元親様が何かを言える権利は御座いませぬ。貴公も20年前、初陣の時には誰もを不安にさせる無謀な戦いを仕掛けたではないですか」と江村親家に諌められたことで、何も言えなくなった。
最終的には儀重と共に行くことを条件に、信親の「初陣」を認めることとなった。
そして右翼でも左翼でも、それぞれの敵を打ち破ることに成功した包囲網軍は、圧倒的優勢にて織田・浅井連合軍を追い詰めていく。友軍の活躍に意気を得た教如率いる本願寺籠城軍も、城を出て包囲軍に打って出るようになり、織田軍残党は更なる混乱へと陥ったのである。
その中で、信親率いる長宗我部軍の追撃が、織田軍残党に襲い掛かる。
信親は果敢に馬を走らせ、混乱する敵軍へと突っ込んでいく。儀重も慌ててこれを追いかけるも、誰よりも先に、信親は信孝を守ろうとする守備兵たちに切り掛かっていったのだ。
「無駄な抵抗は止めよ! 命惜しければ、刀を置き跪け!」
立ち塞がる敵兵を次々に切り伏せていくその姿は、確かに鬼若子の血を受け継いでいることを納得させられるものであった。
そのまま本陣への道を切り開き、その背後からは儀重たち精鋭たちも駆け付ける。いよいよ、目の前に敵大将たる織田信孝の姿を目にした。
「――いざ、尋常に勝負!」
駆け付ける信親。信孝も刀を取り出し、応戦する。
「舐めるなッ! 我は織田信長の血を引くものぞッ!」
「ならば私はその信長を滅ぼす者の血を引くものだ!」
信親の刀の切先が、信孝を捉える。
だが、その首を獲るよりも先に、陣内に大量の織田兵が入り込んできた。いずれも精巧な鎧を身につけ、機敏なるその動きは、織田の正規兵であることを示していた。
「若ッ! すぐさま退却です! 若の実力は確かに見届けました!」
儀重の言葉に、目の前の信孝の姿を見下ろし一瞬の迷いを生ずるも、これもまた父譲りの的確な判断力でもって、すぐさま踵を返す。
そして儀重率いる精鋭部隊にて織田正規兵軍を迎え討ち、やがて後方より長宗我部本隊が到着するまでその膠着状態は継続。その間に信孝は戦場を離脱することとなったのである。
いずれにせよ、この大坂本願寺の戦いは長宗我部軍の圧勝に終わった。
勝利後に包囲網軍は周辺の敵支城の陥落を進め、戦況は確実に包囲網軍側に傾きつつあった。
あとはこのまま、信長を降伏にまで追い込むだけーー
そう、思っていた、そのとき。
「――注進! ご注進ッ!」
顔面蒼白の伝令が軍議の場に飛び込んできて、包囲網軍諸将の表情に緊張が走る。
「――武田が、織田と正式な同盟を締結」
「武田軍は直ちに動き出し、この畿内へと進軍中との由ッ!」
「――よくぞ三七の退却を成功させたな。大義であったぞ、サル」
主君の言葉に、木下秀吉は跪き、平伏する。
「五郎佐のことは残念であったが、仕方あるまい。奴らのことを甘く見ていた儂の失点だ」
「だが、これ以上の横暴は許さぬ。我自ら参陣し、武田と共にこれを討たん」
いよいよ、頂上決戦が幕を開ける。
竜田の戦い
9月5日夜。
久通は亡き父の代より織田信長に仕えていたが、今回の本願寺蜂起とこれを鎮圧しようとした織田浅井連合軍の敗北を受け、旧領たる大和国を取り戻すために反乱を開始。
包囲網軍に同調し、その拠点・信貴山城を明け渡すことになったわけだが、包囲網軍にとってもこの城の戦略的重要性は高かった。
武田軍が甲賀を通り大和盆地を南下する見通しが伝えられている中で、和泉方面へと流れた織田・浅井連合軍との合流を阻む上で、この山城は最適な場所に位置していたのである。
「武田軍は筒井城を後背の拠点とし、そこから前進した位置にある、矢田丘陵と大和川とに挟まれた隘路にて陣を構えるようだ。ここは竜田と呼ばれる地で、ここを大和川沿いに下ると、河内国との国境に位置する亀の瀬に辿り着く」
地理に詳しい久通が広げた地図の上で説明する。父と共にこの場所で何度も、大和国支配者である筒井氏と戦っていただけに、戦略的な要地などは十分に知り尽くしていた。
「儂はこの城を守り、河内から救援に駆けつけるであろう織田軍を牽制しよう。貴殿らは数的優位を活かし、奴らが来る前に武田軍を殲滅して頂きたい」
久通の言葉に、吉良親貞、下間頼廉、徳川家康、そして長宗我部元親らは皆、頷いた。
この竜田の地が――決戦の地となることは疑いない。
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翌朝。
信貴山城を出た包囲網軍4万4千は、竜田に陣を築いた武田勝頼軍3万6千と対峙した。両者の間には竜田川という小さな川があったが、大和川よりはずっと小さく、精強なる両軍の進軍の阻みとなるものではなかった。
故に、包囲網軍は仕掛けることに躊躇いはなかった。とにかく、織田軍がやってくる前に、決着を付ける。
「ーー行くぞ」
先の本願寺戦と異なり最前線に立った元親が号令を発すると、中央の四国勢が一気に前進。合わせて両翼の本願寺軍、徳川軍も一気に前進を開始した。
戦況は間違いなく包囲網軍が優勢。
武田家当主・勝頼の弟である武田清信も討ち取られるなど、武田軍は崩壊一歩手前まで追い詰められていった。
しかし、その時、竜田の北方より織田軍が近づいてくるとの報せが各部隊に届けられる。
「――何と・・・南河内の方からではなく、迂回して北河内から山を越えてきたというのか?」
報せを受けた本多正信は、狼狽えたように呟く。
しかし傍らの徳川家康は、落ち着いた様子で返した。
「いや――おそらくは、信長公本人だろう。総大将自ら、西国から取って返して来たのだ。あの御仁なら・・・十分にあり得る」
想定を超えた速度で竜田川沿いを下り、武田軍と向かい合う包囲網軍の背後を取る織田信長軍。
「――今こそ勝機。全軍、投命の志にて突き進むべし」
武田家当主・四郎勝頼は、後方にて鋭く下知を飛ばす。
3年前、父・武田信玄亡き後、国内では反乱が頻発し、その統治は思うように進まぬ中で、拡張を続ける織田家に半ば隷従するような立場を強いられつつあった。
だがここで、武田の威光を復活せしめることで、再びその栄誉を取り戻すことができるはずだ。
「御旗楯無、御照覧あれ――今こそ武田の強さを、思い知らせてやるべきときだ!」
織田の援軍の到着により勢いを取り戻した武田軍は一気に反撃に出る。とくに挟み撃ちの形となった左翼の徳川軍は総崩れに近い形となり、重臣の酒井忠次も負傷するほどの劣勢に。
その勢いは中央の武田信豊・甘利信康隊、そして左翼の三枝昌貞隊も同様で、親貞は負傷、先の本願寺の戦いで丹羽長秀を討ち取った本願寺顕尊は今度は自らが討ち死に。
形勢は逆転。包囲網軍は壊滅の危機に瀕することとなった。
――かのように、思われていたのだが。
「――ようやく来たな、織田信長」
長宗我部隊の最後尾につけていた元親は、馬上で向きを変える。その視線の先には、徳川軍を包囲する織田軍の姿。
「備後、市佐、内蔵助、隼人佐――そして、千雄丸」
元親の言葉に、馬廻衆の面々、そして信親もまた、頷く。
「この戦いを終わらせる上で、これは最大の好機だ。
――あわよくば、信長のその首、貰い受けるぞ」
元親は武田軍の対応を吉良親貞に任せ、自らは馬廻り衆を引き連れて徳川軍を囲い込もうとした織田信長軍に向けて真っ直ぐに突撃していった。
「――初めからこれを狙っていたのか? しかし、そんな僅かな手勢でこちらを打ち崩せると?」
襲い掛かる元親軍約6千。迎え撃つ信長軍は総勢約2万。
普通ならば敵うはずのない相手に、元親の馬廻り衆も次々に傷つき、兵が失われていく。
だが、それでも元親の部隊は足を止めることをしない。仲間が倒れても、また別の仲間が恐怖を振り切り、前進して敵を討ちにかかる。
次第に、その情勢は変化していく。
「――これほどとは」
圧倒的大差にも関わらず、次々と剥がれ落ちていく自軍の様子を目の当たりにしつつ、信長は20年前自身が成し遂げた桶狭間のことを思い出していた。
「成程・・・鳥なき島の蝙蝠と蔑んだときもあったが、撤回しよう。
狗鷲よ。貴殿は我が宿敵に相応しい。隠居も考えていたが、まだまだ死ねぬようだな」
戦いは、終わった。
徳川軍を包囲仕掛けていた織田信長軍は突如反転した長宗我部元親軍によってまさかの撃退。
さらにこれで息を吹き返した徳川軍・本願寺軍・そして吉良親貞軍が、元々数的優位であった武田軍を再び押し返し始め、有力な将兵たちを封じ込め始めたのである。
「――退却だ」
状況を見た武田勝頼は、冷静に下知を下した。
「我々のやるべきことはやった。勝てぬ中、味方の犠牲をこれ以上増やす必要はない。全軍、速やかに、最小限の犠牲でもって撤退を果たせ」
織田軍にとっては乾坤一擲の反撃の機会であったこの「竜田の戦い」は、長宗我部元親というあまりにも異才なる戦術家の手によって、2倍近い戦力差をひっくり返して勝利するという劇的な結末を迎えた。
このタイミングで、毛利軍も畿内に到着。
全体的な数的差も逆転し、包囲軍はいよいよ織田浅井武田連合軍を追い詰め始める状況となっていった。
そして、織田軍による毛利侵攻開始から1年1ヶ月。本願寺一斉蜂起から11か月。
ついに、織田信長より、和睦の締結を求める書状が、長宗我部元親のもとに届けられた。
伏見殿会談
11月2日。
正親町天皇の仲介で、京都南部の桃山丘陵に位置する伏見殿にて、その会合は開かれた。
対面するのは、今や取次同士などではない。
そこには、まさにそれぞれの陣営の実質的な総大将が対峙し合う格好となった。
すなわち、包囲網軍の実質的中心人物、長宗我部元親。
そして、包囲網の対象たる、天下の支配者「であった男」織田信長。
かつては観月の名所とされ、平安期の後白河上皇によって壮麗な離宮を建造したものの、室町末期から戦国の動乱を経て荒れ果て、殆ど人の寄りつかなくなったこの場所で、今まさに天下の趨勢を決める会談が行われようとしていた。
「――我の目的は唯一つだ」
互いの従者が部屋を辞し、暫しの沈黙が漂った後、最初に口を開いたのは元親の方であった。
「ただ、泰平の世を創り上げること。尾張守殿、貴殿にはこれ以上の領土拡張や戦乱を生み出すことを禁じ、それを受け入れてもらいたい」
元親の言葉に、信長は暫し沈黙で返す。その口元には、どこか愉し気な笑みが浮かんでさえいた。
「――もちろん、口約束だけでは信頼し得ぬ。保証として、かつて貴殿が将軍義昭公より簒奪したこの北畿内の地を、手放して頂くこととする」
「良かろう。確かにそうすれば、貴公を無視して毛利に仕掛けることもできなくなる。それに貴公も命を賭して戦いに赴いた者たちへの恩賞が必要だろうが、畿内の地であればそれは十分に与え得る。当然の要求だな」
淡々と信長はその要求に同意する。その表情から余裕さは未だ失われてはいない。
「――加えて、和平保証がための人質を要求する。貴殿と、また浅井家、その両方からの」
「それも必然だな。良いだろう、受け入れよう。我が家からは、四男の於次丸を差し出そう。実に利発で、貴殿の役にも立ち得る人物であろう」
「――要求は、以上か?」
信長の言葉に、元親は無言で頷く。
「そうか。では続いて私からも一つ、質問させてもらおう。
此度の戦乱、互いに死力を尽くしたものとなったが、如何だったかな?
――中々に、楽しめたと言えるのではないか?」
元親は眉をしかめた。
「楽しめたか、だと? どれだけの兵が斃れ、どれだけの村が焼かれたと思っている?」
ククク、と信長は嗤う。
「取り繕わなくともよい、狗鷲よ。我は貴公を認めているのだ。そして、理解している。恐らくは、この世の誰よりも。
――言葉にせずとも、貴公も理解しているだろう?」
そう言うと、信長はすっくと立ち上がった。
元親はそれを無言で見上げる。
「――人間五十年と、そう思い生き続けてきた。嫡男の信忠に全てを譲り、自身も愈々孫の顔を見て笑う好々爺となるのだろうと思っていた。
だが、そうではないと、貴公の御陰で悟ることもできた。感謝しておるぞ」
そのまま信長は、踵を返し部屋を出て行こうとする。
元親は、それを止めるべきだったのだろう。だが、何も言葉は出てこなかった。先ほどの信長の言葉に、自身を揺るがされる思いをどこか感じてさえいた。
「――また戦ろうぞ。その時はより、手強き相手となることを誓おうではないか」
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天正三年(1583年)11月2日。
長宗我部元親と織田信長との間で和睦が結ばれ、京を中心とした畿内一帯はすべて長宗我部家の統治下に置かれることが定められた。
さらに、浅井家からは三女の江、そして織田家からは四男の於次丸をそれぞれ人質として迎え入れることに。
織田家からの人質である於次丸については、元親の養子とすることで、織田家に対する優位性をより強調することとなったのである。
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天正四年(1584年)2月。
元親は新たに手に入れ、直轄領とした銘泉地の有馬に、義父の篠原長房を招いていた。
「――どうだ、義父上。少しは、身体が楽になりそうか」
「ああ・・・中々に良い湯ですな。ずっと浸かっていれば、この目も再び見えるようになるやもしれませぬ」
長房の冗談に、元親もクックと笑う。
畿内確保後の国分け、朝廷への挨拶、その他諸々、戦争終結後も殆どじっとしていられる時間のなかった元親にとっても、久々にリラックスできる瞬間を得ることができていた。
「しかし、実に有難いことです。大した働きもできぬ中で、新たな土地を与えてもらえたばかりか、この摂津の大名職まで与えて頂き」
「これだけ良くしてもらえれば、安心して息子に任せ、極楽へと旅立つこともできるように思えますな」
その言葉には、元親も笑うことはせず、口を閉ざす。
「義父上、そのようなことを仰らず。これからも義父上の経験と知識とを、我が統治への輔けとして頂きたい」
「そうしたいのはやまやまですがね。しかし私ももう60を超えた身。ただでさえこの身体の具体でままならぬ中、いつお迎えが来たとしてもおかしくはありません。それこそ、来月にでも、ね。
私は十分に満足できる生涯を送れたと思っております。一度は天下将軍に楯突き、大逆を犯した身でもありました。しかしこうして殿と縁を作り、その壮大なる夢のほんのわずかでも共有できたことは、実に誉れ高く、光栄なことに思っております」
元親は黙したまま義父の言葉の続きを待った。
「どうか、殿。夢の続きを決して諦めることなく。時に、この戦乱の世は果て無く、終りなく、まるですべての努力が無駄であるかのように感じるときもあるでしょう。
しかし、決してそんなことはないのです。殿、殿の強い意志と力には、この世を変えるだけの可能性がある――」
その一ヶ月後。
まさに、彼自身が予言していた通り、篠原長房は永遠の眠りにつく。
天下を握りし絶頂の時代の三好家を陰で最も支えた能吏にして、史実では叛逆を疑われ非業の死を遂げることとなった英傑。
その彼も、この世界では長宗我部元親という英雄と関わることにより、六十四年という立派な生涯を終え尽くすこととなったのである。
そして、新たなる時代が始まる。
それがまだまだ、恒久の平穏とは程遠いことを、元親は理解していた。
しかしもう、彼は悩み、惑うことはなくなった。
彼の夢を阻むものが立ち塞がるのであれば、彼はその才に導かれるままに、これを止め続ける。
それは、あの織田信長が述べたような欲望とは、必ずや異なるものであるはずだ、と――。
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「ーー畿内には、なかなか面白い者がおるみたいだな、兄者」
男はからからと快活に笑う。まるで平和な一日に縁側にて語り合うかのような長閑さで彼は笑うが、その足元には無数の兵士の死体が横たわっていた。
「一回、戦り合ってみたいものだ。そうは思わんか、兄者?」
「ーーフン、儂をお前と一緒にするな、又七郎。
だがまあ、敵に回るのであればーー全力でこれを、叩き潰すのみだ」
戦いは、新たなる舞台へと移る。
次回、第四話。
「戸次川の戦い」編へと続く。
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