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【CK3】四国の狗鷲⑤ 天下分け目の合戦編(1594-1602)

 

それは、天に二つの太陽が在るが如しであった。

一方の太陽は長宗我部元親。20代の頃より家督を継承し、土佐一国のみならず瞬く間に四国全土を統一した、恐るべき「四国の狗鷲」。

もう一方の太陽は織田信長。こちらも20代の頃より尾張一国から美濃・伊勢・そして京の足利将軍をも支配下に収め、ついにはこれを追放。唯一無二の天下人となった傑物であった。

そらに二つの太陽はゆるされない。

故に、その衝突は必然のものであった。

 

一度目は元亀三年(1575年)。

摂津平定を目指した信長が長宗我部に斬りかかり、返り討ちにされた。

二度目は天正二年(1582年)。

足利将軍を追放し、元親主導の「信長包囲網」が形成される中、信長はこれに果敢に挑んでいき大敗を喫した。

 

だが、それでも彼は諦めない。

むしろその勢力をさらに一段と拡げ、三度目の戦いへと意気揚々向かいつつあった。

 

故に、長宗我部元親も、これに全力で対抗する必要があった。

 

戦いは、文禄八年(1594年)に幕を開ける。

 

それは、天下を二分する、史上最大の戦いへと発展していくこととなるのである。

 

 

目次

 

※ゲーム上の兵数を10倍にした数を物語上の兵数として表記しております(より史実に近づけるため)。

 

Ver.1.12.4(Scythe)

Shogunate Ver.0.8.5.5(雲隠)

使用DLC

  • The Northern Lords
  • The Royal Court
  • The Fate of Iberia
  • Firends and Foes
  • Tours and Tournaments
  • Wards and Wardens
  • Legacy of Perisia
  • Legends of the Dead

使用MOD

  • Japanese Language Mod
  • Shogunate(Japanese version)
  • Nameplates
  • Historical Figure for Shogunate Japanese
  • Big Battle View
  • Japanese Font Old-Style

 

前回はこちらから

suzutamaki.hatenadiary.jp

 

開戦前夜

文禄八年(1594年)3月。

元親は大商業都市・を訪れていた。目的は彼の友人であり、そして今や堺の会合衆の指導者にもなっている今井宗薫に会うためだ。

「何とか会合衆全体の支持を取り付けました。以前からの約定通り、堺は全面的に長宗我部家を支援致します」

「有難い。本願寺が此度の戦いに参戦し得ない以上、大量の鉄砲の調達には苦慮していたが、堺が味方になるとなればその問題も解決され得る」

堺の軍勢2万7千(ゲーム上表記は2,700)のうち実に1万が「精鋭鉄砲兵」である。さらに堺には鉄砲足軽を含む弓兵タイプの攻撃力を10%増加させる補正もついているため、数字以上の軍事力を有しているというわけだ。

 

「何。友人の苦境は助けてこそ。元親殿とは父の代からの誼ですからな。

 と、言うのは綺麗な方便にて、我々としては長宗我部殿、貴殿らに賭けるべしとして意見が一致したというわけです。何卒、勝利の暁には――」

「ああ。北陸から畿内・瀬戸内に跨る水運交易における利権、そして土佐浦戸を中心に展開予定のルソンとのイスパニア交易――それら全てについて、貴殿ら堺商人が関われるよう手配致そう」

「有難し」

宗薫はニヤリと笑う。その表情は、単なるお人好しの友人のそれではなく、商魂逞しい大商人の棟梁としての不敵さが浮かんでいた。

「長宗我部殿が勝利を掴めるよう、堺商人一同、全力を尽くしましょう」

それは、元親にとっても実に頼もしいことこの上ないものであった。

 

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同年4月。

京、蓮光寺。

長宗我部元親が京滞在の折によく利用するこの寺院に、一人の来客があった。

「この度はお越し頂き、誠に有難う御座います」

元親の丁寧な対応を受けるのは、幼少の頃から信長に仕え続けていた忠臣・前田利家であった。

「それでは、我らと共に、織田に反旗を翻す覚悟は出来されたと考えてよろしいですね?」

元親の確認に、利家は一瞬、断ち切れぬ迷いの色を表情に浮かべたが、その次の瞬間には決意に染まった瞳で頷いた。

「うむ――今、大殿が向かわれている道は、決して正しい道とは思ってはおらぬ。柴田も居らぬ今、最も長く仕えてきた家臣の一人として、正すべきところは正さねばならぬ」

「――心強いお言葉。貴殿に加え、亡き池田恒興殿の御子息であられます元助様も我らの幕下ばっかに就くことをお決めになられました*1

「今や、織田家はその急速な拡大と引き換えに、支柱に大きな歪みを産みつつあります。貴殿ら忠臣及びその御血族らが、不当な扱いを与えられぬよう、我々は力を尽くす限りで御座います。

 その証として、織田との決戦に勝利した暁には、若狭国を前田殿に差し上げること、約束致しましょう」

元親の言葉に、利家は満足気に頷き、盃に手を伸ばした。

 

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「前田殿は首尾よく、我らの元についてくれるようですな」

「ああ。引き続き、同様に不満を持つ者たちへの切り崩しを進めるよう、よろしく頼むぞ」

「ええ、弟の非有とも連携し、各諸勢力に遣いを出していきます」

「また、安芸に向かわれていた親泰様からも書状が届いており、無事、毛利隆元様との同盟の締結に成功したとの由」

「うむ。先達て輝元殿が急死なされ一度は同盟がどうなるか気を揉んだものだが、何とかなりそうだな」

何かよく分からないが輝元は旅行中のイベントか何かで?不慮の死を遂げたようだ。

 

「島津の動きはどうなっている?」

「は。義久殿が亡くなられた後、これを追うようにして大友宗麟殿も逝去」

「同盟状態にあった大友・相良との間にも再び緊張状態が生じ、いつ開戦してもおかしくない状態に。最終的には島津が勝つでしょうが、暫くは身動きが取れないかと思います」

「よし――九州をほぼ統一することになるであろう島津は引き続き警戒を要する相手だが、織田に対しての動きを行うには今が最大の好機。

 仕掛けるぞ。泰平の敵を討ち倒し、天下に真の平和を生み出すために」

 

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同年8月10日夜。

翌日には高松の居城を発ち、京に向かおうとしていた長宗我部信親は、側室の一人を部屋に招いていた。

彼女の名は。かつて、浅井長政からの人質として長宗我部家のもとに送られていた彼女は、元親の命により信親の室に入れられていた。

そんな彼女が、強張った表情で信親の部屋の中に入ってきた。

信親はその表情を見やりつつ、静かに口を開いた。

「――江。我々はこれより、織田に向けて宣戦を布告する。それは即ち、其方の家に向けて刀を向けることになる」

「――構いませぬ。元より、今の浅井の主は我が弟を追放し、簒奪した者。これを退かせることに、感謝はすれど恨みなど持ちようがありませぬ」

「ならば、なぜそのような顔をする?」

信親の言葉に、江は迷いの表情を見せながら、答える。

「――これより始まる戦いは、あまりにも大きく、犠牲も多くなるであろうもの。九州の陣での出来事も聞いております。

 それ故に、もしも貴方様が、この戦いで万が一のことがあれば・・・私はそのことをただ恐ろしく感じております」

「なるほど」

信親は優しく笑う。

「有難う。心配してくれて。だが、私は其方が私を心配するのと同じくらいに、父のことを心配しているのだよ」

「侍従様の?」

「ああ。父は勇壮かつ果断たる天下の将と看做されているが、その一方で心優しく、迷うことも多い御仁だ。

 きっと今頃、この時代の大きなながれの中に呑み込まれつつ、やるべき責務と自身の中の本性との葛藤に、苦しんでいるに違いない。

 私はそれを傍らで助けてやりたい。それが私にできる父への恩返しであり、その先に、いつか来る私の四国の王となるべきときに向けた、大きな準備となるであろうから」

信親の言葉に、江は頷く。その表情にはもう不安はなく、温かな笑みが彩られていた。

これは悲惨な戦いではない。多くの血が流れ、多くの命が失われる戦いであることには違いないがーーそれを為す男たちの胸には強い希望と責務とが輝いている。

これを見送る女にできることは、彼らの帰りを待ち、その労を労うことだけだ。

 

 

そして。

8月14日。

 

いよいよ、その大いなる戦いが、幕を開ける。

 

 

文禄八年の戦い

文禄八年(1594年)8月14日。

京に集まっていた長宗我部軍4万は夜半に逢坂の関を越え、近江国西端に位置する大津城を包囲した。

ここは亡き浅井政元の遺児である政之(つまり江の従弟)が城主を務め、かの高名なる画家・狩野永徳の嫡男・光信が摂政を務める城。

頑強な包囲を敷きつつも親泰を中心に説得を進め、開城を迫ろうと試み続けていた。

その元親らのもとに、早馬が報告を届けに来る。

「――三河より援軍に来たりし徳川軍、蒲生の地にて織田勢7万と会敵の恐れ有り!」

報せを受け、すぐさま元親は包囲を吉田俊政に任せ、自ら先頭で馬を駆って蒲生の地に駆けつける。

これを見て、徳川軍に迫りつつあった織田軍は引き返し、撤退。

元親は同盟軍の危機を救うことに成功した。

 

――だが、元親は更なる動きを諸将に命じる。

「徳川軍と共に、この織田勢を追いかけるのだ」

深追いは禁物。まずは大坂からの堺軍や中国からの毛利軍と合流してから、という弟の吉良親貞の言葉にも、彼は首を振る。

「敵軍は総勢18万とも伝え聞く。奴らが合流するよりも先に、各個撃破にてその兵力を減らす必要がある。ここが好機だ」

元親の言葉に長宗我部軍はもちろん徳川軍も二もなく従い、総勢6万の連合軍は織田勢を追いかけ、ついに相楽の地でこれを追い詰める。

かくして、相楽の戦いが勃発。

途中、大津城包囲にも参加していた堺軍2万6千も加わり、この相良の戦いは長宗我部・徳川・堺連合軍=西軍の圧勝に終ったのである。

 

戦勝に沸く軍営に、二つの報せが届く。

一つは、ついに狩野光信が開場に応じ、大津城が陥落したこと。

そしてもう一つが、その直後に湖西より突如現れた武田軍本隊が、包囲軍に襲い掛かろうとしていたことである。

 

「――市佐様! 敵は総勢5万超の大軍! そしてこの先鋒を担うのは、武田軍きっての猛将・真田信綱と聞き及んでおります! 正面からぶつかるのは余りにも危険。ここは大津城を放棄し、撤退するのが良策かと――」

側近の的確な助言に、市佐こと吉田俊政は静かに首を振る。

「確かにその通りだろう。しかし、我々はここを捨てるわけにはいかぬ。何、すでに相良の地にて御屋形様が織田軍主力を打ち破ったと聞いておる。間も無くしてその後詰めがやってくる。我々が為すべきは、それまでこの城を護り、持ち堪えることのみだ」

勇猛なる長宗我部四天王の一角・吉田俊政の意気は包囲軍1万の全軍に伝わり、寡兵でもって勇壮たる武田軍5万の猛攻を凌ぎ続ける。

その間に、相楽から急ぎ北上してきた西軍主力が大津に到着。

さらに中国地方からは毛利軍も合流し、一気に形勢逆転。

12万を超える圧倒的兵数によって武田軍を押しつぶし、これを敗退せしめるに至ったのである。

 

「――良くぞ大津を護りきった、市佐よ。大義であった」

「は――勿体無きお言葉。とは言え、無理な防戦により、多くの兵を失うことにもなりました」

「うむ。計画通り織田・武田両軍の主力を各個撃破至らしめたものの、まだまだ敵総兵力は此方を上回る。無傷の北条軍が合流することで、更に敵軍の勢いも増すことになろう」

「春が来れば、一領具足たちも土地に戻る必要が出てくる。なんとか冬の間に決着をつけておきたいところだが――」

 

元親の言葉通り、短期決戦を狙う西軍は次々と近江の諸城を包囲。

先の戦勝と合わせ降伏を迫る書状を織田・武田にそれぞれ送りつけるも、反応はなし。

そして、年が明けて文禄九年(1595年)。

ついに、北条軍が畿内へと到着した。



愛知川の戦い

「ーー遅れてすまぬな、尾張殿。何分国内の状況もなかなか落ち着かぬもので」

北条家当主・氏直の言葉に、織田信長は鷹揚に頷く。その口元には敗戦の連続にも関わらず、薄い笑みが浮かんでいた。

「何、まだいくつかの前哨戦を終えたのみ。本番はこれからだ」

「西軍は決着を焦る余り、近江に兵を薄く展開している。武田は先の敗戦からまだ立て直せてはいないものの、ここを急ぎ我らで急襲する利はあるだろう。
 いけるな? 忠三郎」

「は」

主君の呼びかけに、織田軍最強の指揮官と誉れ高い蒲生氏郷が姿を表す。その表情は強張り、強い決意の炎が宿っていた。

「先達ての相楽の戦いにおける敗北の汚名を、この戦いにて必ずや雪いでみせます」

「意志高きは歓ばしきこと。しかし、固くなりすぎるのも能くはないぞ」

氏郷をからかうような柔らかな響きと共に、一人の偉丈夫がその背後から現れる。

北条氏、そして坂東最強の猛将と謳われる八王子氏照*2である。

「我が率いる北条軍も蒲生殿の傘下に入り、共に戦おう。必ずや西国の勇士たちの血を流し、尾張殿を存分に愉しませてみせようぞ」

酷薄な笑みを浮かべながら告げた氏照の言葉に、信長は満足そうに頷いた。

 

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そして2月25日。

佐和山城を包囲していた元親率いる長宗我部軍本隊2万のもとに、突如として織田・北条連合計9万の軍勢が現れる。

これを察知した元親はすぐさま兵を後退させ、愛知川を渡らせる。

しかしそこから蒲生の地にまで撤退し、安土城を包囲中の7千の兵と合流するには、迫る東軍の速度は速すぎるものであった。

「ーー殿軍を犠牲にすることで本隊は逃げ延びることはできるかもしれぬ。野洲に陣取る3万の兵との合流も果たされるだろう」

「ふむ」

吉良親貞の報告に、元親は暫し、思案する。

「全軍、この地で敵を迎え撃った場合の勝算は?」

「ーー愛知川を前にして敵兵の動きを阻害することになるだろうが、それでもさすがに数的不利は覆しようがない。ただ、すでに野洲や甲賀の同盟軍たちには後詰めの要請を飛ばしている。三辰刻ほど持ち堪えることができれば、あるいは」

弟の言葉に、元親は頷く。

「冬のうちに決着をつける。そのためには、殿軍を犠牲にするのではなく、我々自身の命を捧げるつもりで戦いに挑む必要がある」

親貞も、頷いた。彼もまた、此度の決戦こそが、長らく続く動乱の終わりを掴むための最も重要な戦いになることを覚悟していた。

「全軍に伝えよ。この愛知川の此岸にて陣を張り、敵軍を迎え撃つと。敵方には一騎当千の豪傑もいるであろう。万夫不当の英雄も控えているであろう。だが私は確信している。貴殿ら長宗我部の一領具足こそ、この世の誉れ最も高き天下無双のつわもの共であることを!」

元親の号令に、四国の兵たちは両手を挙げて地響きが如く鬨の声を挙げる。

ここまで、長きに渡り戦ってきた。四国全土を動き回り、畿内、九州、そして今は東西の境目にまでやってきた。

ここが天下分け目の地。

大いなる決戦、愛知川の戦いが今、幕を開けるーー。

 

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軍議の場で、元親と共に戦い続けてきた長宗家一の猛将・吉良親貞と、まだ若き、しかし父の才覚を見事に受け継いでいることが誰の目にも明らかな長宗我部信親が、真剣な表情で戦略論を交わしていた。

その姿を目にし、元親は決戦直前の緊張に満ちた時間にも関わらず、どこか微笑ましい思いと共に口元に微笑を浮かべていた。

我が子は、こうして逞しく育っている。一時は、彼が理想としていた平和のための才ではなく、戦いの才をこそ花開かせたことに落胆する思いもあったが、こうして戦場で肩を並べ、信頼する弟と共に戦略を議論できることが、この上なく幸せな思いであった。

もしもーーと、元親は思いもする。

もしも、この戦いで何か無理が祟り、自分が討ち取られるようなことがあったとしても。

この弟や息子がいれば、必ずやこの国は安泰でいられることであろう。

そして自分の夢を、彼らが継いでくれるはずだーー。

 

束の間の幸福の思いを味わっていた元親のもとに、緊張感に満ちた伝令の報せが届く。

「ーー東軍総勢9万、動き出しました! 弓兵による射撃と共に、一斉に敵軍前衛が愛知川を渡り始めました!」

 

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元親の言葉通り、織田北条連合軍は猛者の集まりである。それぞれが一国の主力精鋭に等しき軍勢が、大名級な指揮官に率いられ、長宗軍の弓鉄砲による抵抗をものともせず、大河を渡り長宗軍へと迫っていく。

ある程度の軍勢は削りつつも、やがて敵軍の多くが渡河を完了させ、愛知川の此岸では乱戦が開始される。

 

「右太郎――これしきの軍勢、恐るるに足らぬな?」

「孫兄! もちろんだ!! 弥三兄にばかり良い格好はさせられぬ! 我々とて長宗我部元親の子であるとこの地で示そうぞ!」

長宗我部元親の三男・長宗我部親忠と、四男・長宗我部盛親。彼らもまた、兄・信親に負けず劣らずの勇将らであり、迫り来る織田の名だたる将兵らを次々と押し戻し、討ち取っていく。

だが、やはり多勢に無勢。いくら長宗軍の抵抗が激しくとも、時と共に渡河を完了させた敵兵の数は増えていき、やがて長宗軍を取り囲むようにして敵兵が展開されていく。

「ーー侮り難し四国の狗鷲共よ! 我が武性の全力を以てこれに挑まん!」

「く――耐えろ、崩れるな、ここは何としてでも守らねばーー」

織田北条軍の中心たる蒲生氏郷隊はこの好機を逃すまいと長宗軍中央に切り込んでいく。時間が経てば西軍の後詰めが到来し、形勢は逆転する。時間との戦いであることを彼は理解しており、故にその身を犠牲にしてでもここで敵将の首を取る必要があった。

そして、その先端が、長宗軍の中心、元親のもとへと届かんとしていたーー

そのとき、これに横槍を入れる一団が現れる。

「ーー尾張の泥鰌なまず共め、ただの一撃で我らが屋形に触れられると自惚れるな! 我こそは長宗我部信親、若輩に敗れる屈辱を味わい給え!」

「ーーう、ぬぅぅぅぅ!」

蒲生隊の勢いはそこで止められ、逆に長宗軍の只中で包囲される危機に陥る。

「――残り半辰刻。間も無く、後詰めがやってくる。さすれば我らの勝ちだ」

吉良親貞は、西に傾きかける太陽を見上げながら、一息を吐く。

だが、そこで。

織田北条軍最大の「山」が、動き出し始める。

 

 

「――ハハ。蒲生殿のかような勇猛ぶりを見せられて、何も感じ入ることができぬのであれば、戦場に立つ資格も何もないな」

「同感だ、兄上。畿内とは比較にならぬ戦国の地であった坂東武蔵の無頼者たちの轟乱ごうらん、見せてやろうぞ!」

それまで織田軍の後背にて構えていた北条軍の中から、ひときわ勇壮さを誇る一団が猛然たる様子で長宗軍へと迫る。

その矛先は、蒲生隊を追い詰めつつあった、信親隊の横腹へと到達せんとしていた。

「ーー遺憾いかん

気づけば、彼は味方の兵たちを押し除けて、真っ先に馬をはしらせていた。

部下たちもそれに気づき、これを追いかけるも、長宗我部軍随一の猛将は誰よりもはやく、誰よりも勇敢に、危険極まりないその「山」へと突進していった。

「ーー兄者」

風の中で、彼は笑う。

「ーーここまで共に歩めたこと、心嬉しく思う。その夢の果てまで共に旅することは叶わねど、その思いは千雄丸に託したぞ」

「弥五良ーー」

その姿を、元親もまた目の前でその瞳に刻むこととなった。

 

吉良親貞隊の大将自ら先陣を切る勢いの横槍は、大将軍の命と引き換えに、織北最強の部隊の歩みを止めた。

そして、その刹那、愛知川原の戦場に、徳川・堺・毛利の援軍が姿を表す。

これにて、形勢逆転。

長宗我部軍随一の猛将の首は獲れど、それ以上の戦果は得られぬまま、織北軍は多大なる犠牲を出しながら再び愛知川の向こうまで撤退していった。

かくして、西の山々に日が沈みかけつつあった夕刻時に、その「愛知川の戦い」は決着と相成る。

だが、元親の当初の見立て通りの、決戦とはいかなかった。長宗軍も親貞の討ち死にに動揺した面もあり、即座に整然たる撤退を始めた東軍の追い首を獲ることは十分に成し得なかった。

 

まだ、決着はついていない。

 

いよいよ戦いは、最後の舞台へと移っていく。

 

 

関ヶ原の戦い

文禄九年(1595年)8月14日。

開戦から丸一年が経過した頃、南近江一帯は西軍による完全制圧下に置かれていた。

元親は弟で取次頭の香宗我部親泰を通して東軍方に降伏を持ちかけるも、応じる気配はない。

その理由は、結局のところ東軍への壊滅的勝利を達成しきれていないこと。未だにその勢力は西軍を上回る精強さを残していた。

そのために、先の愛知川の戦い以上の「決戦」を行う必要があると、元親は理解していた。

 

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「ーー侍従殿、此度は伊予殿の件、お悔やみ申し上げます」

そう言って元親に近づいてきたのは、若き毛利家当主・毛利隆元であった。

「これはこれは、安芸殿。お心遣い有難う御座います。安芸殿も御父上がお亡くなりになられた大変な中、こうして助力頂けること、忝く思います」

「先達ての九州役の際は、見返りなく我らをお助け頂いた侍従殿たちの為です。少しでも役に立てば幸いです」

ところで、と隆元は話を変える。

「貴殿にお会いしたいという者がいまして・・・我々が雇用する中国の傭兵団の頭領なのですが」

そう言って隆元の背後から姿を現した人物を見て、元親は驚きの表情を浮かべる。

「久しいな。こうして顔を合わせて話をする場面は殆どなかったが」

言いながら、不適な笑みを浮かべるその男は、かつて元親が四国の覇権を巡り相争った宿敵であった。

「三好・・・存康と言ったか? まさか傭兵団の棟梁になっているとはな」

「ああ。――言っておくが、あの時のことを怨んでいたりはしない。

 あの時の俺は、あまりにも若く、未熟であった。かつて天下を手中に収めんとした三好を継ぐ者としての気負いから、器に合わぬ無理を働き、多くの兵を死なせてしまった。

 今は、こうしてわずかながらの仲間たちを率いる立場にまでなった。今の俺は、こいつらを食わせる為だけに、戦う。家名も何もなく、ただ、それだけだ」

存康――存保と改名――の言葉に、元親は頷く。少しばかり、羨ましくも思う。大名として、今や天下の覇を競い合うほどの大大名として、余りにも多くの命の責を握り、血を分けた兄弟の死に涙するいとまさえない。

だが一方で、彼は彼の使命を心地よくも思っていた。

弟がその命を賭して守ってくれた我が息子のために、平穏なる世を遺していく必要があるのだから。

 

その時、伝令が一つの報せを持ってくる。

「――近江より美濃へと至る不破の関の先、垂井城近辺に織田軍主力5万が集まりつつあるとの報。近くに他の東軍の姿は見えません!」

「――そうか」

報告を受け、暫し思案した後、元親は覚悟を決めた表情を見せる。

「殲滅の好機だな。これを破り、そのまま岐阜城へと侵攻する。

 当地の地形は?」

「はーー」

元親の問いに、傍らの将が地図を広げる。

「ーーいくつかの丘陵に囲まれた狭い盆地となっております。地元の者はこの地をこう呼んでいます。

 ーー関ヶ原、と」

 

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「西軍が動き出しました。西方より長宗我部・堺軍5万、南方より毛利・徳川軍4万」

「うむーー先ずは、第一段階の突破か。あとは十分に敵を引きつけた上で、作戦を開始する」

「蒲生殿は先の戦で重症を負い、今や戦場に立てる勇士の数は多くはない。その中で勝機を得るには、知略をもって当たる他ないだろう。

 覚悟せよ、仇なす侵略者共め。この関ヶ原の地に貴様らの墓標を打ち立ててやろう」

 

「――関ヶ原北方より、敵勢新たな軍が出来! 約3万の北条兵が突如、姿を現しました!」

闇夜の中今須峠を越え、不破の関を前にして長い隊列で関ヶ原へと至ろうとしていた長宗我部軍の大将のもとに、青ざめた顔をした伝令がやってきて早口に報告する。

しかしこれを受ける元親はいつも通りの涼し気な顔を崩しはしなかった。その傍らにいる、信親も同様に。

「――慌てるな。言ったであろう? これは殲滅の好機だと」

冷静な元親の言葉に、伝令もまた、次第に落ち着きを取り戻し始める。

「おそらくは、武田もここに来る。

 この地こそが、真なる決戦の場だ。全軍、心してかかれ。これまでの全ての戦いを、この地にて清算する。

 最後の一兵たりとも、天下が為、勝利を投げ出すことなく立ち向かうのだ」

 

そして、朝日の到来と共に、その決戦の地に長宗我部、堺、毛利、徳川の西軍8万6千が揃う。

これを前にして、織田・北条の東軍8万もまた、垂井城を出てこの地に布陣した。

 

最初、数的にも、そして勇壮なる将の数的にも、西軍が優勢に戦況を進めることとなる。

「く――四郎兄も倒れたか・・・! 良かろう、我が命、捧げるつもりでこれに挑まん。我が名は北条三郎景虎! 天下に号する武勇たる者と覚悟せよ!」

「――良かろう。我もまた、天下に名を遺す三好を継ぐ者! 今やその名を追い求めるつもりもないが、それでも我が誇り高き不屈の兄の夢をたすくるがため、その糧となり散るが良い!」

 

「――苦しいな」

弟たちの敗戦の報せを受けながら、東軍の実質的総司令官を務める八王子氏照は、常日頃の余裕に満ちた表情も今やなく、丸山の高台から戦況を見つめていた。

「すでに東軍と西軍との戦力差は2対1にも及んでおり、このまま瓦解するのも時間の問題かと」

側近の言葉を受けて、氏照は首を振る。

「ならぬ。全力で持ち堪えるよう指示を出せ。間もなく――間もなく、奴らがやってくるはずだ。そのとき、状況はまた逆転する」

 

氏照のその言葉は真実となった。

太陽がそのそらの中心にかかる頃合い。

東軍を押し込む西軍の背後を取る形で、この舞台における最後の主役が姿を現した。

 

「御屋形様! 背後より・・・武田軍4万が!」

「――間に合わなかったか。全軍、反転してこれに備えよ。

 今よりこの戦いは更なる――死闘へと変ずる!」

「――我は真田左衛門尉信綱。遅れて参陣した借り、敵方が首級の数にて返さんが為、只今より慈悲もなき修羅となろう――!」

精強さを誇る武田軍の中でも随一の武名を誇るその豪勇は、陣羽織を大量の返り血によって赤く染めながら敵軍の中を一気に突き崩していく。

「――く、父上・・・!」

「存長――」

「――御屋形様、若様を護れ! 全兵、命を惜しむな! 奴を止めろ――」

三好存保の嫡男・存長も戦いの中で討ち取られ、長宗我部元親馬廻り衆にて最強の武名を誇る福留儀重も、その猛将の前に打ち崩されていく。

「ーー敵は実に勇壮。

 これを阻み、そして我らが父上の夢を護る為にはーー孫次郎、命を賭す覚悟はあるな?」

「勿論だ、兄者。

 長宗我部元親の子としての意地、この地にても再び見せようぞ!」

まさに、両雄鎬を削る激戦。

互いに一歩も引かず、動かぬ者はただ屍のみという有様。

すでに日は西に傾きつつあるべき時なれど、その紅鏡はなおも中天にて輝き続けている。

「く・・・殿・・・お逃げなされ――!」

 

もはや、戦場にまともに立っている者はごくわずか。

それぞれの大将の周りに供回りのみ残し、睨み合っているような状態。

死屍累々の中、それでも闘志を絶やさない二人だけが、最後に刀を手に取った。

 

「――実に満足のいく闘いだった。そうは思わんかね?」

信長は口元に薄く笑みを浮かべながら、周囲の凄惨たる様子に眉一つ顰めることなく、その手に得物を掲げる。

元親はそれに応えることなく、彼もまた刀を手に取り、一気に信長に向けて足を踏み込んだ。

「――結局のところ、最後に行きつくのはこうした命の奪り合いだ。我が覇道の始点においても、我は雨の中、同様に死を常に目の前にぶら下げた中での一瞬を過ごしていたのだ」

「だが、あのときの好敵手はあの戦いの中で喪ってしまった。我はその喪失を埋め合わせるべく、ここまで多くの戦いを繰り広げてきた。

 だが、やはり最終的には自ら刀を振るわねばならぬ。それも、貴様のような、かの今川に匹敵する、偉大なる覇王を前にするのであれば、な」

「――分からんな」

「何?」

「貴様がこの戦国の世において生まれるべくして生まれた存在であることは理解した。貴様によって旧きものは破壊され、新しい世が創生されていったことは確かだろう。

 だが、もう終いにすべき時だ。まもなく、新しい時代をこの国は迎える。

 貴様は生きすぎたのだ、織田信長。

 私が引導を渡してやる。戦国の時代と共に、滅びよ――!」

 

「――なぜ、終らそうとするのだ?

 我には分かる。貴様もまた、これを愉しみうる人間であったということを。

 にも拘らず、なぜもう刀を仕舞おうとする?」

膝をつき、戦意を失った信長を見下ろし、元親は答える。

「――もう、夕刻の時間だ。すでに太陽は西の山々に沈まんとしている。

 童子でいられる時間は終わりだ。俺も、お前も。

 新しい時代はやってくるのだ。次の世代に、我々は託すべき時だ」

 

この戦いの決着をもって、東西総勢20万の兵がぶつかり合った史上最大の「関ヶ原の戦い」は幕を閉じた。

 

そして翌文禄十年(1596年)2月には岐阜城を陥とし、ついに信長は降伏を受け入れることとなった。


戦いは終わった。

30年前から始まる、長宗我部元親の、長い、長い戦いが――。

 

 

エピローグ

2年後の文禄十二年(1598年)。関ヶ原の戦い以降、一気にその闘志を失い、実質的な隠居状態となっていた織田信長が死亡。

すでに信長生前に嫡男の織田信忠が病に倒れていたこともあり、織田家当主の座は嫡孫の幼君・織田信栄に継承されることとなった。

織田・武田・北条による同盟もこれで破棄され、東国はそれぞれの勢力が拮抗し合う状況に。

戦時中に島津が動き出していた九州も、相良を飲み込み大友の一部も併合したのちに停戦。長宗我部が島津・大友双方に遣いを出し、島津としても再度彼らに介入されるのを嫌った結果、一時の平穏を取り戻すこととなった。

全国各地、まだまだ恒久の平和を、というわけにもいかないであろうが、少なくともかつてのような、戦に次ぐ戦、という状況は、回避できるようになったと言えるかもしれない。

その中心に、朝廷の権威と莫大な軍事力とを併せ持った長宗我部元親という存在がいたこともまた、この秩序の大きな要因であることは間違いがなかった。


「ーーいやはや、これにて、夢の完遂、と言ったところですかな」

「いや、忠兵衛殿。完遂というには、まだまだその道のりは長い。そしてそれを完遂するには、我が残された時間もあまりにも不足しているように思えるよ。今はまだ各勢力大人しくしているものの、いつあの織田信長のような存在が出てくるか分からない」

「ハハーーまあ、そうですな。いっそのこと殿が新たな幕府を開くか、あるいは関白にでもならない限り、惣無事というのは難しいかもしれませんな」

元親の最も信頼すること家宰にて、長きにわたる親友たる谷忠兵衛忠澄は、差し出された酒を口にしつつククと笑う。

「それでもーー例え、束の間の夢であろうと、こうして平穏がもたらされる様は心地よいものですな」

「うむ。高松の地も港市場共に活性化し、大きな富を産み人々の生活も津々浦々改善していると聞く」

「まだ、理想に至ったとは言えねど、能う限りの夢の切れ端を、集められたように思う。

 あとはそれを、我が有能なる息子たちへと、託していきたいと思う」

「そうですな。夢は人一人の命より永く、悠久に繋がれ得るもの。殿の意志を受け継ぎ、いつか必ずや、長き平和の時代は訪れることでしょう」

そこまで言って、忠澄は少し表情を真剣なものに変え、元親を見据える。

「ーー殿、私は少しばかり、申し訳なさを感じてはいるのです。かつて、心優しく、戦いを決して好ましいと思ってはいなかった殿を、果てなき戦乱へとけしかけたのは他ならぬ私ですから。殿の才の行く末をこの目で見てみたいという、単なる我心が故に」

本当に申し訳なさそうに目を伏せ呟く彼を見て、元親はいかにも可笑しそうに声を上げて笑う。

「そんなことを気にされてたのか、忠兵衛殿。別段、私は気にしてはおらぬ。この道は決して苦しみの道だけではない。むしろ・・・」

そこまで言いかけて、元親も少し表情を消す。

「ーーむしろ、私もまた、この道しか歩むことはできなかったのだと思う。それが戦国大名としての、私の宿痾だったのだろうからな」

言いながら、元親も酒を手に取る。

「忠兵衛殿。私は我が人生を、決して悔いてはいない。むしろ、心より充実し、そして満足のいくものだったと思っている。忠兵衛殿や弥七郎、弥五良、息子たち、そして我が四国の民々のお陰でな」

「ーーそれは祝着至極。人生たるもの、快に始まり快に終われば、極楽に逝くが如き心地なり」

忠澄も杯を掲げた。

 

 

そして文禄16年(1602年)11月8日。

長宗我部元親はその63年の生涯を終える。

後を継いだ信親もその意思を継ぎ、父の築いたこの日ノ本の平和を恒久のものとすべく努力していくことになるだろう。

 

長宗我部元親。

史実とは異なる人生を送ったその男の、果たされなかった夢の一つの可能性が、ここに現出した。

それが17世紀の日本にどのような影響を及ぼしていくことになるのか――それは、また別の物語での、お話となるだろう。

 

 

Crusader Kings Ⅲ Shogunate AAR「長宗我部家」編。

「四国の狗鷲」――完。

 

 

 

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*1:なお、ゲーム上においては、利家も元助もいずれも、普通に戦闘で捕縛した者を雇用して傘下に加えている。

*2:北条氏直の叔父・北条氏照のこと。居城・八王子城から名を取り分家を創設した。