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クルキ・タリナ⑤ 危機の時代(1145-1164)

 

フィンランドの一部族から一気にその勢力を拡大し、ついにはスカンディナヴィア半島全域を手中に収める大帝国を築き上げたクルキ家。

しかしこれを実現させた初代皇帝アンリ・クルキは、その晩年に異教徒との結婚や残虐な振る舞い、そして帝国統一期に為したとされる「弟殺し」の悪評が祟り、その評判を一気に落とすこととなっていた。

そしてそのアンリは1145年12月25日に、突然の発作を起こしてこの世を去った。

後に遺されたのは、統一されながらも不安定の種を大きく抱える腐り始めた巨木のみ。

そして、この帝国に早くも「危機の時代」が訪れることとなる。

 

目次

 

Ver.1.12.5(Scythe)

使用DLC

  • The Northern Lords
  • The Royal Court
  • The Fate of Iberia
  • Firends and Foes
  • Tours and Tournaments
  • Wards and Wardens
  • Legacy of Perisia
  • Legends of the Dead

使用MOD

特殊ゲームルール

  • 難易度:Extreme
  • ランダムな凶事の対象:プレイヤー含め誰でも

 

前回はこちらから

suzutamaki.hatenadiary.jp

 

謙虚なるヨハネス

1146年1月1日。

スカンディナヴィア帝国帝都ルンドに、新年を祝うような雰囲気は一切存在し得なかった。

何しろ、帝国における絶対君主、皇帝アンリが崩御してからまだ一週間足らず。スティン・ブラグデ率いる親衛隊の面々が厳格に帝都を巡り、何とか秩序を保ってはいるものの、いつ暴動や混乱が巻き起こってもおかしくはなく、事実帝国の辺境ではそのようにして騒乱に溢れているとは聞いていた。

それでも、この事態を収束させるべく、帝国の各地から有力諸侯たちが集まり始め、いよいよこの帝国の行く末を決める会議が開かれようとしていた。

「まずは、アンリ様の後を受け継ぐ皇帝の座についてであるが」

と、会議の仕切りを任されたのは、帝国内最大の領域と軍事力を誇るベルグスラーゲン公。その威厳はまるでこの帝国の真の支配者は彼なのではないかと余人に思わせるだけの迫力を持ち合わせていた。

「生前のアンリ様のご意向に沿い、ヨハネス様を推戴することで一同異論はないな?」

ベルグスラーゲン公の言葉に、並び立つ諸侯らは互いに顔を見合わせるなどはしつつも、明確に反対の意思を示すものは居なかった。

実際、これに反対することなどできるはずもなかった。対抗馬として考え得るのはアンリの弟ヴォイットの遺児リクなどであろうが、彼を推戴しようとしていた勢力は先の反乱においてあらかた壊滅させられており、力を有してはいなかった。

だが、面と向かっては反対はせずとも、そこに注釈をつける者はいた。

「皇帝の座をヨハネス様にお渡しすることには全面的に同意します。しかし、ヨハネス様はまだお若く、あまりにも広大な帝国全土を治めるというのは、やや荷が重すぎるようにも感じられます」

帝国第二の実力者であり、かつて元帥マルサルカも務めたユヴベンの孫でもあるギェマヨフカ公は真っ直ぐにベルグスラーゲン公を見据え、決して怯むことのない堂々とした様子で告げた。表情は穏やかなれど、その手堅さ・実力の高さは帝国諸侯の誰もが認める存在でもあり、ベルグスラーゲン公に対抗し得る唯一の存在であると言えた。

このギェマヨフカ公の言葉に、ポフヤンマー公やカレリア公なども同意を示す頷きを見せ、彼らがあらかじめ示し合わせていたことをベルグスラーゲン公に気付かさせた。

「では、ギェマヨフカ公。貴殿はどのような統治の仕方をお考えで?」

不快感を露わにするベルグスラーゲン公に対し、ギェマヨフカ公は何も気にしていないかの様子で淡々と説明を開始する。

「まず、帝位はそのままヨハネス様に。一方、その実質的な支配領域はこのスコーネやスウェーデン、ノルウェーなどの西部地域に限定し、フィンランドやサプミなど東部地域は弟君様のラウリ様にお任せするのが良いかと。ラウリ様は歴としたアンリ様の御子であり、兄弟の統治はアンリ様のご遺向に敵うものとなるでしょう」

ギェマヨフカ公の言葉に、帝国西部の諸侯らの間からは疑念に満ちた呟きが漏れ出してくる。それはそうだ。ラウリは確かにアンリの御子息であることは間違い無いが、まだわずか2歳。そんな彼を王に据えるなどということは、別の思惑があるのは間違いない。

「ラウリ様の摂政には、アンリ様の長女チューリタル様の婿であるミエモ・ヤーッコラ殿を就けるのが望ましいかと。帝国随一の武勇を誇る伝説的な闘士であり、ラウリ様が成人されるまでの間の後見人としては申し分ないかと」

もちろん、彼ら「東部諸侯」らの魂胆は、幼帝と威信はあれど権力は乏しい摂政を置くことで、この帝国東部を諸侯らの間で実質的に支配しようというものである。

だがそれは「西部諸侯」らも同じ。ベルグスラーゲン公やウプーランド公ら帝国西部の有力者たちもまた、若き皇帝ヨハネスを実質的な傀儡とする思惑を持っていた。実際ヨハネスの妻アールフリドはベルグスラーゲン公の姪であり、ウプーランド公もヨハネスの実姉を后に迎えるなど、それぞれがクルキ家に対する影響力を保持していた。

かつてミッコが願い、そしてアンリが実現した帝国の統一はもはやなく、そこには無数の諸侯らがそれぞれの権益を巡って相争う混沌の渦となりつつあった。

そして本来の権力者である「皇帝ケイサリヨハネスは、これら諸侯の取り決めたことの「結果」だけを、全てが決まった後に渡されることとなった。

だがヨハネスは、それを不満に思うことなど――少なくとも表に出すことは――一切、しなかった。彼は大人しくこれを受け入れ、そして諸侯らに感謝を述べ、皇帝などという過分な役割を受け取った責務を粛々と果たすべく、諸侯らの協力を全面的に請い願った。

その態度に、最初は単純に力でもってこれを屈服させようとさえ考えていた諸侯らの中にも、心からの敬意を示す者たちも現れ始めた。

謙虚なるネウラヨハネス」。それが若き新皇帝に与えられた渾名であった。

 

しかし、ただ単に謙虚なだけの、従順な主君、というわけではなかった。

むしろそれは彼がこの混沌の中で生き残るための術でしかなく、その神髄は心の奥底に眠るウコヌスコ信仰への熱き情熱と、そして偉大なる祖父ミッコから受け継ぎし軍事的才能であった。

1146年11月13日。

ヨハネスの従兄弟の北アイルズ公ウルホを筆頭に、ウップランド公リク、ヴァレンド伯アルヴォ、ダール伯アートスといった帝国西部の諸侯らが、リクの弟であるペンッティをスウェーデン王に推戴するための反乱を巻き起こした。

その総兵力は大したことはないとはいえ、外部の同盟勢力を作れていないヨハネスにとって、帝国の中心部に湧き出てきた反乱軍の存在は脅威であることは間違いない。

さらに直後、この弱り目を叩くかのように、半島中心部に残るカトリック勢力が一斉に蜂起。帝国に対する「聖戦」を仕掛けてきた。

加えて国内ではさらなる反乱の存在も目されているという。

帝国はまさに危機に瀕する――が、ヨハネスは至って冷静であった。

彼は自ら4,000の兵を率いると、味方の軍勢との合流も待たずして果敢に敵軍へと打って出た。

それはまさに激戦と言うべき戦いであった。この戦いで帝国軍の負った損害は大きいものではあったが、それでも反乱軍を敗退せしめたことは、兵たちの士気を相当に上げるものとなった。

さらに10月にはヴェステルイェートランドの地で反乱の首謀者たる北アイルズ公の本隊を襲撃。

圧倒的な兵力差で反乱軍を押しつぶしたヨハネスは、そのまま北アイルズ公の身柄を確保。

そして反乱勃発から1年で、これを見事に鎮圧してみせたのである。

その鮮やかな手つき、そして自ら先頭に立って敵陣へと斬り込む勇敢なる姿は、人々に彼をして「英雄ミッコの再来」と言わしめるほどの名声を集めた。

その謙虚さに代表される人の好さ、そして信仰の篤さも相まり、皇帝ヨハネスは人びとの期待を集める理想の皇帝としてその存在感を高めつつあったのである。


――だが、皇帝の権威の復活を、望まぬ人びともいる。

 

1147年12月29日。

父アンリの死から2年。ヴェステルイェートランドの勝利からわずか2ヶ月足らず。

夜の町中で、彼は突如戦慣れした強盗たちの手によって、その命を亡き者とされたのである。

 

混乱の時代はまだまだ終わりには至らぬ。

むしろここからが、本番の始まりである。

 

 

勇敢なるヴァイノ

1147年12月30日。

ヨハネスの死を受けて、その嫡子であるヴァイノが新たな皇帝として即位。

わずか4歳であるため、摂政を母のアールフリドが務めることとなるが、その実権はアールフリドの叔父にあたるベルグスラーゲン公が握る形となった。

ベルグスラーゲン公はすぐさま兵を元帥マルサルカアズル・ランキネンに任せ、北方で蜂起していたカトリック勢力を打倒させる。

一方で同じく反乱を準備していたウプーランド公らとも妥協を図り、彼らの要求していた皇帝権力の削減を受け入れることに決めた。

要職はベルグスラーゲン公の腹心や有力諸侯らによって固められ、帝国はいまや彼ら諸侯らの傀儡となったことは明白なものに。

その状況は帝国東部でも同様であった。当初ラウリを擁立し実質的な東部の独立を果たしていたギェマヨフカ公も、仲間であったポフヤンマー公やカレリア公らと権益を巡り対立。

その結果彼は、グアラダト族長マイニオと太祖ミッコの娘との間の子ソーヤを新たに擁立し、彼女をサプミ王としてフィンランド王から独立させるに至ったのである。

帝国はベルグスラーゲン公が実質支配する西部・ギェマヨフカ公が実質支配する北部・ポフヤンマー公とカレリア公が実質支配する東部に分断された。

 

さらに残されたフィンランド王国内でもポフヤンマー公*1がその王位を要求して反乱を起こし、この混乱に乗じてかつては同盟国でもあった帝国東方のビャルマランド王が国境の土地を求めて侵攻を開始。

クルキの帝国は今や、見るも無残な状況へと変貌しつつあった。

 

そして1152年10月。

サプミ女王ソーヤ(その後見としてのギェマヨフカ公)は、完全なる独立を目指し、「帝国の解体」要求を皇帝ヴァイノに突きつける。

ベルグスラーゲン公は当然これを拒否。直ちにアズル・ランキネンに兵を率いさせ、サプミ女王とその支持者たちに対して各個撃破を仕掛けさせる。

翌1153年春にはサプミ女王の軍が帝都ルンドに上陸し、これを包囲。

だが平城とは言え強固な要塞を築いていたルンドはそう簡単には陥ちることはなく、囲んだ女王軍も徒に時間を費やすのみ。

その間に駆けつけた帝国軍によって、スコーネの戦いが勃発。

この戦いは帝国軍が見事に勝利。

敗走する女王軍を追ってその本拠地たるビトンを陥落させたことで、1154年1月10日に白紙和平を結ぶことに成功した。

 

しかし、一息つく暇もない。

1154年8月にはかつてミッコ王が征服した聖地ヒーウマーとその周辺を狙い、エストニア族が宣戦布告。

さらに11月には西方よりイースラント連邦を名乗るノース人の一派が襲来。

帝国は今まさに落日の時を迎えようとしていた。

 

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この状況を、ベルグスラーゲン公とその周辺によって政治から遠ざけられながらも、皇帝ヴァイノは確かに理解しつつあった。

彼はまだ幼い身でありながら、その心の奥底には勇敢なる心と燃え滾る野心とを併せ持っていた。

その素質を、かつて父アンリの「伝説」編纂にも携わった祭祀長のサンポ・アクセリ、そして密偵長のタパニ・スエンサーリは認め、彼らは密かにヴァイノを「真の皇帝」として養育していくことを目指していくことになる。

スエンサーリは早速、帝室内のあらゆる情報を収集し、密かに「真なる主君」へと伝達していった。

その中には、父の死の真相に関する衝撃的な事実も含まれていた。

さらに母が元帥のアズル・ランキネンとも関係をもっており、その間に生まれたであろう「弟」のビルイェルを使って、彼らギスキン家が帝室を乗っ取ろうとしているであろう事実をも、掴む。

もはや、彼らのこれ以上の専横を許すわけにはいかぬ。

勇敢なるウルヘア」ヴァイノは帝国の、そしてクルキ家の栄光を取り戻すための戦いへと、その身を投じることを決意する――

 

――が。

 

 

混乱は、更なる加速を見せていく。

それはこの帝国に、修復不可能なほどの傷を負わせかねないものとなっていく。

 

 

少年帝ジグルト

ヴァイノの次の皇帝は弟のジグルト

父ヨハネスの死に際しその有していたスウェーデン王位を継承していたが、こちらは元スウェーデン王ヴォイットの息子の一人であるペンッティによって簒奪されている。

とは言えクルキの分家に属するペンッティも独立した力を持っていたわけではなく、その配下で最大勢力を有するノールランド公に実質的には支配されている状態。

結局、相変わらず帝国は各諸侯による権力分立状態が続いていたというわけである。

 

もちろん、ジグルト自身も。

摂政は引き続き、ギスキン家のアールフリド。ジグルト自身の母ではないものの、もはや彼女と彼女の叔父であるベルグスラーゲン公によって帝室は完全に支配下に落ちていた。

そしてジグルトは、父ヨハネスや兄ヴォイットが持ち合わせていたような皇帝としての力強い素質は持ち合わせてはおらず、常に心の奥底に自らを沈み込ませ、何かを思考することにのみ集中するような特性を持っていた。

それはベルグスラーゲン公たちにとっては望ましいものであった。叛逆の兆しを見せていた祭祀長も密偵長もすでに葬り去っており、「都合の良い」皇帝を手に入れている状態はギスキン家にとっては実に望ましい展開であった。

 

とは言え、状況は決して良くはない。

ヴォイットの死の直前に攻め込んできていたノース人たちは、1156年の春にルンドを包囲。

かつてサプミ女王軍に包囲された際はその強固な守りによって耐え抜いたこの要塞も、屈強なノース人たちの前には抵抗しきれず、補給の道も閉ざされてしまったことで1年後の1157年3月に降伏を受諾。

ノース人たちが欲しがっていたブリタニア北部の土地を割譲すると共に、多額の賠償金を支払ってルンドの解放を実現させることとなった。

東のエストニア族の侵略も、こちらはフィンランド王(すなわち実質的にこれを支配するカレリア公とポフヤンマー公)に任せていたが、これも敗北したようで、聖地ヒーウマーは異教徒の手に落ちることとなった。

帝国は確実に弱体化しつつあったが、とりあえずは落ち着きを取り戻すことにはなった。

 

しかし、1158年1月。

ジグルトが病気に罹る。

医師を呼ぼうにも、すでに連続する反乱や侵略への対応に追われ、帝室には十分な資金は残ってはいなかった。

よって、まともな医療を施されることもなく、その年の暮れにはジグルトは病没。

わずか3年の治世の後、何一つ成し遂げることも亡く速やかにこの世を去った哀しきジグルトは、死後に「少年帝ポイカケイサリ」という名を贈られることとなった。

皇位はさらにその弟のボルクウァルドに継承されることとなった。

あまりにも悲惨な状況の続くスカンディナヴィア帝室。

混乱の終焉はまだ見えない。果たしてそれは、可能なのか。

 


気高きボルクウァルド

ボルクウァルドが即位し、引き続きギスキン家のアールフリドの摂政は継続する。

しかしかつて隆盛を誇ったアールフリドの伯父ウールヴルはすでに亡く、ベルグスラーゲン公位はその息子のジグルトが継承。

このジグルトとアールフリドとの間で対立が起きたことで、ギスキン家による支配には翳りが見えつつあり、そこを突く形で帝国西部第二の実力者たるウプーランド公が再び皇帝権威の弱体化、そして諸侯の自治権拡大を求める要求を突きつけてくる。

アールフリドもこれを受け入れざるを得ず、帝国はさらなる分裂をきたすこととなったのである。

反乱鎮圧時の称号剥奪も不可能になり、皇帝権力は完全に形骸化したものとなった。

 

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「陛下、今最も重要なことは、帝室の安定と保全に他なりません」

ギスキン家の弱体化に伴い、政権の実質的支配者の立場もウプーランド公の手中に収まりつつあった。ヴァイノ政権時代から宰相を務め続けていたウプーランド公は、皇帝ボルクウァルドに直接、その政策についての提言を行えるほどになっていた。

「きっと陛下の御身にも、これまで同様凶刃が差し向けられる恐れも御座います。実際、先達ては何者かによる恐れ多き計画が進行していた事実も掴んでおり、警戒をより強めていく必要はあるでしょう」

「そのために私は暫くは外交行事を中断し、内政に重点を置くことで諸侯らの陛下への忠誠心を高めることに腐心いたします」

成人するまでは懐柔ができないため、臣下からの評価を徐々に上げていく「内政」業務でこれをカバーする。Extreme難易度はデフォルトで-10の評価ペナルティがある他、「短い治世」ペナルティの期間が長くなるなど、低評価に対する対処がよりシビアになっている。

 

「また密偵長には外からの暗殺者や密偵の侵入に対し最大の努力をするよう指示を出しております。何か怪しい者を捕まえることができたら、これを拷問し、その首謀者を見つけ出し、国賊として弾劾するのです」

さすがに暗殺が多すぎるので本腰を入れて対策を練る。護衛も用意したいが、評価改善が間に合っておらず逆に危険なので雇用はしていない。早急に改善を図る。

 

「陛下、ご安心ください。我々セップ家は全力でクルキ家と帝室を御守りする意向で御座います。どこかの逆賊たる一族と違って、ね」

にやりと笑うウプーランド公の言葉に、ボルクウァルドは無表情に頷く。彼にとって、ギスキン家もセップ家も大した違いはない。いずれにせよ、皇帝たる我が身を利用し、その権威を欲しいままにするだけ。自分もまた、死のうが生きようが、大した違いはない、とさえ思っていた。

それは父譲りの謙虚さと呼ばれることもあったが、彼の場合は父のように謙虚の裏側に野心を秘めているなんてことはなく、ただただこの世に対する諦念の現れでしかなかった。

それでも、ウプーランド公の警戒故か、すでに即位してから5年。1163年を迎えており、ボルクウァルドは成人の日を迎えることができていた。

二人の兄は果たせなかったこの瞬間を得られたことは、否応なく彼に皇帝としての責務を認識させることに繋がっていた。

為すべきことを、為さねばならぬ。

 

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「ウプーランド公」

「は」

珍しくボルクウァルドから声を掛けられたことにウプーランド公はやや驚きを見せつつ、表向きは従順な姿勢でもってこれに応える。

「今、我々に必要なことは、皇帝としての威厳を見せつけ、実際に実力を増していくことだと考えている」

「なるほど」

ウプーランド公は皇帝の考えていることを探り当てるべく、静かに先を促しつつ頭の中を巡らせていた。

「ここ十数年、帝国内の混乱につけ込む形で、ビャルミア族やエストニア族の侵攻が行われ、帝国の不可分なる領土が奪われ続けてきた。その代償を得なければならぬ」

ウプーランド公は頷く。目の前の男の瞳に、熱にうなされたような炎がたぎっているのを確認する。

「とは言え、東の諸部族に攻め込むことはあまり現実的ではないだろう。そもそもそちらは、フィンランドスオミ王の領分だ。

 故に、我々が攻め入るべきは、西――過去二度の戦いにてその領土を奪いとっているデンマークタンスカ王に、再度の聖戦を挑むべきだと思うが、いかがか?」

「なるほど」

ウプーランド公は思案しつつも、その提案が決して悪いものではないことを認める。

「確かに、現在のデンマーク王は七年前から続く英仏の戦争に巻き込まれており、財政的にも苦しい状態が続いていると聞きます」

「今攻め込むことで、その領土を奪うことは難しくはないでしょう。良いでしょう。こちらで兵は用意いたします。その後の処遇と合わせ、お任せください」

ウプーランド公の言葉に、ボルクウァルドは頷く。

まずは一手目。これを成功させた暁には、さらなる戦いが待ち受けているであろう。それに勝てる自信があるわけではない。

それでも一手一手、着実に、自身の権力を取り戻していくための戦いを進めていくしかない。

それが「ウッコの擁護者」の血を引く、スカンディナヴィア皇帝としての責務なのだから。

 

「いいのか? 徒に皇帝の所領を増やし、せっかく押さえ込んでいたその力を再び取り戻させることに繋がりかねぬが」

帝国西部第三の実力者――ギスキン家弱体化により、実質的に第二の実力者となった――イェムトランド公が、ウプーランド公に声をかける。

ウプーランド公は苦笑しつつ応える。

「構わぬよ。少しは好きにさせてやらねば、変な動きをされても困るからな。それに、この戦争に勝利しシュレースヴィヒスレスウィを得たとして、少し脅せばその権益は我々の手に収まることにもなる。飴と鞭を与えつつ、適切に我々の下で管理するのが吉だ」

まあそうだな、とイェムトランド公は残忍な笑みを浮かべつつ同意する。

それよりも、とウプーランド公は続ける。

「そんな『大事な』皇帝陛下だ。これまでのように悪党共の好き勝手にさせることは許すなよ」

「ああ――ギスキン家はもちろん、その他皇帝を仇なそうとする手合いについては常に警戒を怠っていない。以前の暗殺未遂の首謀者が未だ判明していないのは望ましからぬことだが・・・」

イェムトランド公の言葉に、ウプーランド公は頷く。

「混乱の時代は、そろそろ終わりにしなければならない。帝室の安定と権威の維持は、帝国の存続に必要不可欠である。もしもクルキの王にそれが務まらぬのであれば、別の方法を考えるしかあるまい」

 

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1164年4月20日、夜。

ボルクウァルドは書斎にて遅い時間まで調べ物をしていて、気がつけばすでに廊下は暗く、静まり返っていた。

その日は新月で、月明かりすらまともに入ってこない。そしてそんな暗闇の向こうに、ボルクウァルドは死神の姿を認めた。

「ーーそうか、俺もまた、この運命を受け入れねばならぬのだな」

ボルクウァルドは自嘲気味に口の端を開く。

「この命、すでに惜しくとも何ともない。だが、心残りはこの先のクルキの行く末だ。俺は無様であろうとも生きながらえることで未来における一族の栄光を保てると信じてやってきているが、この凶刃に斃れることでその微かな未来さえも絶たれることが口惜しい」

「ーーご安心めされよ」

死神が口を開いた。

「我が刃はまさに、そのクルキの命脈を保つための導きの刃。貴方と貴方の兄、父たちのすべての命が、クルキの栄光の未来を導く糧となるのです」

今から自分を殺そうとする男から発せられるものとは思えぬ穏やかな声に、ボルクウァルドは怪訝な表情を浮かべる。

「貴殿の、主君の名は?」

ボルクウァルドの言葉に対する死神の回答を耳にして、彼は驚きと共に目を見開いた次の瞬間には、何かに合点がいったように優しく微笑んだ。

「そうかーー分かった。ならば我が身命は大人しく犠牲に捧げよう。貴殿の主君には、くれぐれもよろしく伝えておくように」

「ええ――気高きヤロボルクウァルド様の最期、確かにお伝え申し上げます」

言葉と共に死神はボルクウァルドの懐に近づき、その短剣を彼の胸元に差し込む。

ボルクウァルドは抵抗することもせず、満足気な表情を浮かべながら、そのまま力無く暗き廊下へと斃れ落ちた。

 

ボルクウァルド・クルキ、その16年の生涯と6年の治世を終え、トゥオネラへと旅立つ。

こうして第2代皇帝ヨハネスの子らは皆、精霊界へと旅立つことに。

代わって次期皇帝として招聘されたのは、ヨハネスの年の離れた弟であり、フィンランド王を任されていた「聡明なるアルカス」ラウリ。

 

この男の下で、20年に及ぶ混乱の時代に、終止符を打つことはできるのか。

 

第6話に続く。

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過去のCrusader Kings Ⅲプレイレポート/AARはこちらから

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*1:彼の母もミッコ王の娘であった。