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【Vic3/PAX HISPANICA】帝国の終焉【復活のヴェネツィア帝国③】

 

スペイン帝国がその権威と権勢を失うことなく存続し続けている世界。

千年の歴史を誇るヴェネツィア共和国もまた、史実におけるナポレオン戦争での消滅という運命を回避し、19世紀後半においてもなお、その命脈を保っていた。

それでも、すでに国際貿易における存在感を失い、その衰退は誰の目にも明らか。早急な改革が求められる中、就任した若き元首ドージェニコラ・ベルティは貿易の活性化と産業の奨励によって、次なる元首ドージェピエトロ・ファルクィ・ペスはフランスの関税同盟内にて武力による領域拡大を推し進め、その権威の回復に努めていった。

しかしフランスの対外戦争による海洋交易路への悪影響はヴェネツィア経済の崩壊に繋がり、国内にはペス政権への不満が限界を迎えることに。

1865年8月1日。

共和国第二の都市ヴェローナで、海軍提督シルヴィオ・カベラが先導する革命が勃発。ペス政権は打倒され、革命政府はただちに選挙制度の改革、官僚制度の改革、そして共和国の伝統として続いてきた元首の制度を廃止。国民によって広く選ばれた議会の多数派政党の党首が首相として国政の最高責任を担う議会共和制が発足した。

その初代首相として選ばれたのは革命の英雄シルヴィオ・カベラ。

彼は現在の共和国の苦境の原因たるフランスの関税同盟からの脱却を図り、これと対立する世界の覇者スペインと手を結ぶことを選択。

1867年11月14日。

フランスとスペイン・ヴェネツィア連合軍との間で「ベニン戦争」が幕を開ける。

そしてこの戦争は、わずか半年で決着。勝者スペインは当初の予定通りベニンを自身の保護国にしたほか、フランス南部の土地も獲得。

そしてヴェネツィアは晴れて「独立」を果たし、さらに自らの独自勢力圏「晴朗きわまる所セレニッシマ」の設立を果たす。

 

ここから、ヴェネツィアの新たなる物語が始まる。

果たしてこの「旧き帝国」は、その繁栄を取り戻し、20世紀を迎えることができるのか。

 

目次

 

Ver.1.7.6(Kahwah)

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  • Voice of the People
  • Dawn of Wonder
  • Colossus of the South
  • Sphere of Influence

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前回はこちらから

suzutamaki.hatenadiary.jp

 

シルヴィオ・カベラの政策

内政を重視したベルティ、外征を重視したペス。

過去の2人の指導者に対し、シルヴィオ・カベラとその政権がまず重視したのは「外交」であった。

先達てスペインに独立を支援してもらったのもカベラ自らがスペイン王に面会し、その信頼を勝ち得たことによるもの。スペインはそのまま、ヴェネツィアの独立の維持を保証してくれた。

さらにカベラはフランスを公的に非難。

この宣言により、フランス王国を敵視する諸外国との関係も「敵の敵は味方」の論理で改善。

その一環として、ヴェネツィアと隣接するオーストリアからも独立保証を受け取れるほどの外交的改善を図ることができた。

フランスとオスマン帝国、及びフランスの影響を受けている「トスカーナ共和国」以外とは悪くない関係を保てている。

 

このことは長らく親フランス派であったカトリック教会や貴族勢力を不満にするものであった一方、カベラは教皇庁との関係改善も進め、貿易協定も締結。

これで教会勢力の不満もある程度押さえ込み、国内の運営にも大きな支障がない状況を作り出すことができていた。

 

外交で一定の成果を上げたのち、ヴェネツィアは次いでペス政権が推し進めた外征政策も再開する。

外敵に脅かされず独立を維持するためには、他人任せのままではいけない。何が起こるか分からないこの帝国主義時代を生き抜くために、外交で味方を作り安全を確保しているうちに、勢力を拡大させねばならぬのだ。

よって、まずはオスマン帝国に対し再びの領土要求を画策する。

問題はそのオスマン帝国をイギリスが独立保証していることだが・・・

1872年4月。そのイギリスの支配下に置かれていた13植民地が独立を求めて蜂起。

ここにカナダ諸邦や英領フロリダも同調し、その背後にはフランスの存在も。

これで、世界の目は大西洋に向けられることになるだろう。イギリスも中東の病人に構っている場合ではないはずだ。

同年6月28日。

ヴェネツィアはオスマン帝国に対し、大量の領土と賠償金を要求して宣戦布告。第2次ヴェネツィア・トルコ戦争が開幕した。

もちろんこれは、共和国の敵ではない。ヴェネツィア軍はあっという間にバルカン半島の占領地を広げていく。

翌1873年4月にオスマン帝国は降伏。

ヴェネツィアはバルカン半島の西半分を勢力圏に加え、大きな躍進を遂げることとなった。

しかし、この度重なる敗北を受け、オスマン帝国は内部で大きな動揺が発生。地主勢力による大内乱が発生する。

これは最終的に反乱勢力が勝利するも、成立した新政権を今度はフランス、ロシア、北ドイツ連邦*1が独立保証。

これ以上この地域で暴れれば、特に同じく同地域に関心を持っているロシア帝国を刺激することにもなり、危険と判断。これ以上のバルカン半島侵攻は断念した。

なお、13植民地独立戦争は結局全兵力をこれに投入した英軍によって鎮圧され、彼らは逆に自治権を縮小され、「自治領」へと成り下がってしまった*2

1873年の選挙では、エンリコ・セラ率いる知識人勢力が自由貿易党から抜け左派勢力を形成するも、引き続き自由貿易党が圧勝。

信任を得て首相を続投することとなったカベラはオスマン帝国以外の「標的」を探し始める。

モロッコはフランスが、ポルトガルは北ドイツ連邦が、ペルシアはスペインが独立保証をつけており、仕掛けるのは難しい。

そうなると次の目標は・・・極東の島国、大日本帝国ジャッポーネ。まだどの列強も干渉しておらず、世界7位の人口(3,680万)を誇るこの国に条約港を設置することができれば、ヴェネツィアは大きな経済的利益を得ることができるだろう。

とは言え、それだけの規模の国だけあり、その総兵数は徴兵含めると10万近くになり、一筋縄ではいかない。

よって、まずはこの極東の島国に対する侵攻をより確実に成功させるべく、アフリカ大陸東岸のザンジバル・スルタン国を征服。アジア遠征の橋頭堡とする。

海軍における距離の概念ができたことにより、遠方の国への上陸を基軸とした作戦を展開する際には、対象国により近い位置にこのような「橋頭堡」を築くことは重要になった。あらかじめ陸軍海軍をこの場所に集結させておくことで、開戦後の上陸作戦自体にかかる時間の短縮はもちろん、上陸戦後、速やかに後詰の軍を送り込むこともできるようになるのだ。

 

さらに東南アジアでこれも列強の影響力が及んでいなかったシャムを保護国化。

その上で日本侵攻に備え、一度に大量の上陸を実現させるための海軍の充実を図っていく。

上陸戦では-25%という非常に大きなペナルティがかかるため、質の差は簡単にひっくり返されてしまう。数において最低でも同等以上を一度に上陸させるために、今回の日本で言えば100艦隊は用意しておきたい。実は一度50艦隊くらいでチャレンジして普通に撃退され、白紙和平してしまっている。上陸戦が複数回の成功が必須になったことで、より確実な準備が肝要となった。

 

この軍拡の準備を進める間に、カベラは内政面において浮上してきた「課題」への対応を迫られることとなりつつあった。

 

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「カベラ殿、ここにおられましたか」

一人の男が官邸の廊下を小走りに近づいてくる。彼の名はエミリアーノ・ロベルティ。若いながらも才能あふれる男であり、シルヴィオ・カベラの腹心として活躍していた。

「どうした、急いで」

「急ぎますよ、それは。先来よりカベラ殿が推進しておられます農業の株式会社化に関する法令。これに猛反発した農民たちが激しい抗議行動を起こしているのですから」

「この運動自体は、蜂起にまで至る恐れはありませんが、一方でこの農民たちに同調する形で貴族や労働者たちまでもが合流し、農業党を結成。その勢力を拡大させております」

「今更貴族を敵に回しても恐ろしくはないですが、労働者たちの存在は非常に厄介です。彼らを怒りと共にストライキを平気で起こし、産業の発展に明確な害悪をもたらしております」

労働組合の不支持ペナルティは建設力を純減させる非常に嫌らしいもの。本プレイは資本家を重視しがちで労働組合を怒らせやすい環境だったため、常にこれに苦しめられ続けていた。

 

「先日はヴェローナで反政府系の新聞が発刊され、堂々と今回の法改正を批判する論調を乗せており、これを支持する意見の高まりが見られます。さらにコリントスでは、反対派の手によって推進派が銃撃されるという事件も――」

「ほう」と、カベラは振り返りロベルティに向けて鋭い視線を向ける。「それは確かに反対派による反抗か?」

「え、ええ」突然興味を示したカベラにロベルティはやや狼狽えながら応える。「すでに身柄を拘束しており、彼らが労働組合の一員であることに調べはついています」

「それならば都合が良い。その情報をメディアに売り込み、法案反対派がいかに野蛮な者共か、ということを喧伝させろ。そうすれば同情票も集まり、法案の制定は容易になるだろう」

カベラの言葉にロベルティは一瞬言葉を失う。それを見てカベラは小さく息を吐きながら応える。

「お前の気持ちも良く分かる、エミリアーノ。しかし、我々は非情にならねばならぬのだ。

 今、我々の政権が保たれているのは資本家たちの支援があってこそだ。その彼らに資する法律を制定することは、政権を維持する上で必要な手段だ。

 一方で反対者たちを宥めるための方策も考えてはいる。先日労働組合が中心となって起こしたストライキは公立学校制度の制定を求めるものだったな」

「農業商業化法の制定の後は、これを推し進める。そうすれば奴らも少しは落ち着くだろう」

「それは、そうかもしれませんが・・・」

「――この20年、崩壊の危機に直面していたこの国を回復させてきたのは私と資本家たちによる政権だ。今やGDPも20年前の3倍にまで回復し、勢力圏は世界中に広がり、ついには列強と認められる地位にまで登り詰めた」

「当然それに伴い、国民の生活も豊かになっていった。しかし、それが故に、恐れのない改革を志向する勢力よりも、現状を維持することを重要視する勢力の力が、少しずつ増し始めているんだ。

 エンジニア、国営機関に勤める事務員・公務員、そして取引所や街中の各中小商店を切り盛りする商店主たち・・・共和国やそれを支える企業を運営する重責など知る由もない無責任な小ブルジョワたちが、その利益を『おこぼれ』で得て豊かになる中で、自らの権利を他の誰かに分け与えることさえ拒み、意見を急進化させつつある」

「特にヴェネト周辺に住むイタリア人たちは、拡大し増えつつあるギリシャ人やアルバニア人たちが同等の権利を持つことにさえ不寛容になりつつあり、国境の閉鎖さえ求めつつあるのだ」

「そのような改革に対する『後退』を許すわけにはいかぬこと、お前にも分かっているだろう、エミリアーノ」

「・・・ええ、分かっております」

頷くロベルティ。それを見てカベラも安心したような表情を見せ、踵を返す。

「上手く改革が成功すれば、最後は選挙制度の改正も視野に入れている。それが実現すれば我々の政権が揺るがされることはないだろうからな」

そう告げて、カベラはロベルティを置いて廊下の向こうへと消えていった。

その姿が完全に消えるのを見送っていたロベルティの背後から、一人の男が声を掛けた。

「ーーかつての革命の英雄は、その成果すらも自ら握り潰してしまうのか」

ロベルティは振り返る。そこにいたのはヴェネツィア海軍の総司令官にしてーーカベラの危惧する小ブルジョワ勢力の旗頭でもある、ジローラモ・ボーナ提督であった。

「かつての改革者は、変わることを知らなければ、時の流れと共に既得権益に固執する守旧派と成り果てる。しかも、本人がそのことに気がつくことなく、ね。いかなる時代においてもその構図は変わらない」

「しかし民族差別の助長や国境の閉鎖は私としても望ましい政策とは思えませんが」

「確かにそれらを主張する勢力が私の支持者にいるのは否定しない。大きな塊の中には常に急進的な存在はいるものだ。しかし政権を担う者がそれらを無責任に取り入れることはしない。

 大事なのは、本質を見抜くことだ。資本家たちがこの国を発展させてきたことは疑いようのない事実だが、今や発展しきったこの国は新たな主役を求めている。それは施政者も同じ。

 元首制を取り除いたにも関わらず、20年も同じ施政者が統治を続けているようなこの状況は、決して健全とは言えないだろう?」

ボーナの言葉に、ロベルティは押し黙る。その目はボーナをじっと見つめ、疑念の色も浮かべられていた。

「――安心したまえ。私とて、カベラと同年代。例え政権を手に入れたとして、そこに長く居座るつもりもなければ、時間もない。

 国家を動かす勢力が新たな主役を求めているように、国政を担う個人もまた、代替わりが求められている。これからのこの国を引っ張っていくのは、ロベルティ、君のような人材だということは理解している」

ボーナはニヤリと笑う。

「いずれにせよ、もう少しばかり、私は一軍人としての責務を果たせなばならぬだろう。近日中に、最新鋭の蒸気機関艦船を進水させる予定だ。その後、いよいよ極東戦役へと赴き――共和国に、大きな土産を持ち帰ってみせよう」

「――その後には、新たな時代が訪れること、期待していてくれ」

それだけ言ってボーナもまた、足早にその場を立ち去っていく。

ロベルティは二人の英傑が去った先を見据えながら、時代の行く末に思いを馳せていた。

 

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1886年11月。

増強した海軍は80隻に達し、陸軍についても常備軍だけで9万超、徴兵含めれば12万弱にまで膨れ上がったところで、いよいよ大日本帝国への「要求」の時を迎える。

カベラは外交的にも友好関係にあったロシア帝国にも声を掛け、サハリンの獲得を餌にこれを引き入れることに成功。

その圧倒的な戦力差を目の当たりにした日本国首相・伊藤博文は無条件降伏を受諾。

無駄な血を流すことなく、ヴェネツィアは神戸の港を租借地として手に入れることとなった。

神戸に入港したボーナ提督は、しかし折角用意した艦隊を実戦で使用できないことを些か残念がってもいた。

そうして彼は密かにロシア極東司令部のオレグ・メシチェールスキー元帥と会合。

ロシア帝国内の政権中枢にも顔が利く彼と示し合わせ、翌1887年6月11日に清国に対して宣戦布告。

半年も経たぬうちに戦略目標である山東全土と外満州地域の制圧を成し遂げ、1887年2月にこれを降伏へと追い込んだのである。

かくして、1887年~1888年の極東戦役はジローラモ・ボーナ提督の独断により、望外の戦果を遂げることに。特にこれまで英西仏がそれぞれ権益を獲得していた中国大陸に、ヴェネツィアもまたしっかりと権益を掴み取ることができたことは、実態の利益以上に大きな成果だったと言える。

もちろん、この報告を受け取ったカベラは烈火の如き怒りを顕わにした。しかし彼が報告を受け取ったときにはすでに清は降伏間近という情勢であり、その成果が間違いないものであった以上、成す術はなかった。

国民はこの「新たな英雄」の存在に湧いていた。まだ政治的影響力の強い資本家たちは引き続きカベラを支えていく意向を持ちつつも、その立場が怪しくなりつつあることは明白であった。

そんな中、ついにカベラの基盤を完全に打ち砕くような事件が巻き起こる。

1891年10月14日。

「世界最強の国」イギリスが、ヴェネツィアに対して最後通牒を突きつけてきたのである。

 

 

帝国の終焉

緊急招集された閣僚たちは皆、騒然としていた。今、この共和国が直面している事態。それをどう乗り越えるべきか、喧喧諤諤に言い合っていた。

それを制するかのように、中央に座るカビラが鋭く言い放つ。

「――ニッコリーニ大臣、状況の説明を」

「は」

指名された陸軍大臣イラリオ・ニッコリーニはすっくと立ち上がり、閣僚たちも沈黙する。

「・・・英国インギルテッラの要求は我らが保護国としているオマーン・スルタン国の、首都マスカットを中心とした中核的領土の割譲です」

「これを失うことで当国が滅びるわけではありませんが、ペルシア湾北岸に残る僅かな領土だけとなってしまうでしょう」

大臣の説明を受けて、閣僚の一人が口を開いた。

「――オマーンは別段、我々にとって必要不可欠な存在ではない。一年前、たまたま内乱を起こしていたところを支援する代償として保護国となることを認めた相手に過ぎん。それが領土を奪われたとして、どんな不都合が我々にあろうか」

外務大臣のジャコモ・ボン・コンパーニ・ディ・モンベッロ。左派勢力の領袖でもある彼は、自由貿易主義者の集まる現政権に対しては批判的であり、勢力圏の拡大よりも自国の権益の保護を優先すべきと度々進言していた。

「それよりは英国を敵に回す方が遥かに厄介である。奴らは今やスペインを超え、世界最大の帝国と化しているのだ。

 特にその海軍は世界一の陣容を誇り、我らのゆうに4倍を超える」

「開戦すればすぐさま制海権を奪われ、我らは海に閉ざされるエッセレ・チルコンダート・ダル・マーレことになるだろう。あの30年前の悲劇を繰り返したくはあるまい」
モンベッロの言葉に、カビラは心を動かされる。彼こそがまさに、その30年前の悲劇によって国を「変える」決断をした、まさにその当事者だったのだから。

一方で、この「消極派」の意見に意を唱える者もいる。

「――そうやって、我らは我らの守るべき同胞を簡単に見捨てる、脆弱なる偽りの帝国であることを世に知らしめるというわけか」

ヴェネツィア大司教イラリオ・トレッリ。右派の一角を占める教会勢力の指導的人物であり、政権を担う小ブルジョワ勢力や実業家集団と共に徹底した「反イギリス」姿勢を明確にしていた人物でもある。

「それに、モンベッロ殿、貴殿は先ほど、我らが海に閉ざされる、と仰られていたが、それは些か我らが『英雄』に対する失礼な言い回しではないかね。

 そうであろう――提督」

トレッリが振り向いた先に、この場において首相カベラに次いで影響力のある男が座っていた。彼は激しい議論の最中もただじっとそれを見つめ、沈黙を保っていた。

「提督の誇るサン・マルコ海軍であれば、英海軍もまた、恐るるに足らぬでありましょう」

司教の言葉に応える代わりに、提督は対面に座るカベラの表情をじっと見つめた。

「――私は首相の意向に従うのみでありますので」

先の極東戦役ではそのまさに対極とも言える対応を取ったというのに――カベラは自身を脅かす宿敵のその発言に、頭に血が上るのを感じていた。

カベラは勢いよく告げる。

「私はモンベッロの意見に同意する。我々にとってオマーンは国民の犠牲を支払ってまで守るべき相手でもなく、また英国との対立によって背負いうる損害は無視できない。

 我々はこの英国の要求を受け入れることとする。これが結論だ」

「――首相、貴党の意向はそのようなものではないはずだ。冷静に・・・」

トレッリは思わず腰を浮かせ抵抗しようとするが、その前に激しい音を立てて椅子を蹴りカベラが立ち上がったことで、議論の終了が明確に示されることとなった。

結論は決まった。

ヴェネツィアは英国の要求を呑み、オマーンの中心的領土の割譲を受け入れた。

しかきこのことは結局、トレッリ司教の言葉通り党内からの批判を招き、カベラの求心力は急速に失われていくこととなる。

最終的には彼が彼の政権を維持するために犯していた汚職が明るみになり、党は自らを守るためにカベラの切り捨てを決断。

直後の1893年選挙では小ブルジョワ勢力が中心となった右派が大勝利し、ボーナが新たな首相として就任することとなった。

そして「新たな英雄」ボーナは、国民の期待に応えるように、宣言した。

「――我々は今や、100年前のようないつ歴史から姿を消してもおかしくない小国などではない。我々はすでに、英西仏墺などの諸列強と肩を並べうる存在なのだ」

「故に、もはや、我々はそれらの国々の顔色を見て怯えて過ごすべきではない。たとえそこにどんな犠牲があろうとも、我々の誇りと尊厳を護るべく、傲慢な脅しに対しては立ち向かうべきなのだ。

 とは言えもちろん、我々施政者たちのエゴイズムだけで、あなたたち国民を苦しめるつもりはない。我々は我々の戦いを成し遂げる上で、その犠牲を最小限のものとするための準備を徹底することを約束しよう」

海上封鎖によって輸送船団が破壊され経済的に締め殺されるのを少しでも防ぐべく、輸送船団の数をひたすら増やしていく。

 

「これらの準備の上で、我々は立ち向かう。我々は次は決して逃げぬ。我々がこの百年で取り戻してきた、この国の『帝国』としての威容は、決して崩壊させはしない!」

力強いボーナの演説は国民を熱狂させた。その傍らには、カベラに代わり実業家集団の指導者となったエミリアーノ・ロベルティの姿もあった。

 

そして1897年4月6日。前回の「要求」から5年半。

再び、英国はヴェネツィアにそれを突きつける。今度は、ヴェネツィアの保護国であるシャム王国の領土を求めて。

 

「――当然、返答は否、だ。このときを我々は待っていたのだからな」

ボーナの言葉に、会議室に集まる面々は誰一人反論することなく頷いた。

「モンベッロ、すぐにスペインと教皇庁に連絡を取ってくれ」

「すでに完了している。そして、色良い返事を得られているよ。さらにペルシアもまた、我々側に協力することを約束してくれた。彼らは中東の英国領と国境を接しており、良い撹乱先となるだろう」

外務大臣のジャコモ・ボン・コンパーニ・ディ・モンベッロは得意気な顔で応える。カベラ政権のときにはボーナたちと対立していた彼も、今や手の平を返したかのようにボーナにすり寄り、その外交的手腕を発揮していた。

「さすがだな。であれば、我々もより積極的に戦いに挑める。ただ負けないだけでは無意味だ。それ以上なものを手に入れよう。トレッリ」

「は」

ボーナに指名され、参謀長のフェデリコ・トレッリが立ち上がる。

「ーー英国が戦争目標に掲げているシャム王国が最大の激戦地となることは間違いないでしょう。我々も主力をその地に集中させるわけですが、その際に彼ら英国が占領し直轄領としている大南へと攻め込むことを狙います」

「最終的にはこの大南を解放し、我々の勢力圏へと組み入れていく。ヴェネツィアのアジア支配はより強固なものになると同時に、英国のそれを大きく後退させることになるだろう」

トレッリの言葉を引き継ぎ、ボーナが説明する。列強の中の列強、今やスペインを凌ぎ世界最強の国家となった大英帝国に対し、ヴェネツィアは今まさに戦いを挑まんとしているのだ。

「しかし、当然、全てのリソースを極東に注ぐことは危険を伴うことになる。英国はインドシナ半島で戦況が悪いと見るや、地中海を横切りこのヴェネツィア本土へと侵攻してくる恐れはあるだろう」

「そこで、私が自ら出る。サン・マルコ海軍を率い、地中海にて大英帝国海軍を打ち破る」

ボーナの言葉に、一同は騒然とする。国家の長たる首相自ら、戦場に出るというのだ。

ボーナは薄く笑みを浮かべながら、傍らの男を指し示す。

「その間、首相の座はこのロベルティに託そうと思う。元々、私ももう随分とおいぼれであり、いつまでもこの地位にしがみつくべきではないと思っていた。

 これからの時代を担う若き才能に、この国を託そう。そして老兵は、彼らに道を示すために、戦場にて散るつもりだ」

ボーナの言葉を受けて、男は前に出る。少し前までは単なる若造のように思えていたその男は、毅然とした様子で一同を見渡した。

ロベルティは口を開く。

「――総員、心してかかれ。我々はこの大洋に浮かぶ唯一無二の帝国だ。たとえ新しき帝国が我が物顔で立ち塞がろうとも、この海の支配を渡してはならぬ。

 30年前、カベラ提督の手によって、我々は『独立』を果たした。しかしまだ、我々はそれを成し遂げきってはいなかったのだ。今再び我々はここに『独立』する。そして、我々の偉大なる帝国を真に復活させようではないか!」

ロベルティの言葉は、その場に並ぶ閣僚たちの胸を例外なく打った。彼らは一斉に手を挙げ、叫び声を挙げた。

戦いが始まる。

世界「最強」へと挑む、その世紀の戦いが。

 

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1897年8月17日。

開戦と同時に大南戦線に駐留していた英国軍が一斉にシャム王国領へと侵攻を開始。

待機していたヴェネツィア陸軍・シャム陸軍は各戦線でこれを迎撃していく。

2ヶ月程英軍の猛侵攻を耐え抜き続けると、次第に敵軍の勢いが失われていくことに現地将校らが気づく。

これを反撃の好機と捉えた参謀本部は、ヴェネツィア第2軍司令官のジュゼッペ・サンナ少将に12万の兵を率いさせ、一気にアンナン山脈を越えての越境侵攻を行わせる。

敵は塹壕を掘り、徹底した防御体制を構築している。突撃するヴェネツィア陸軍は次々と銃撃を叩き込まれ、屍の山を築いていくが、サンナ少将は気にすることなく強行軍で突撃命令を繰り返す。

1万人の砲兵部隊が次々と火を噴き、塹壕に籠る敵兵を吹き飛ばしていく。

最終的に4万近い死傷者を出しながらも勝利。

その後も合流したスペイン軍の力も借りつつ、同地域での勝利を重ね、占領地を広げていく。

同時期に地中海にも英海軍が侵攻を開始。

スペイン本土への上陸を果たそうとする彼らを、ジローラモ・ボーナ提督率いるサン・マルコ海軍が迎撃していく。

敵海軍はこちらの輸送船を破壊・拿捕し、インドシナ方面への補給や経済基盤たる通商路の壊滅を狙ってくるが、これもボーナ提督の働きによってその大半を妨害することに成功する。

世界に誇る「最強」の英海軍。しかし今、ヴェネツィアの伝統ある海軍がこれを、敗退せしめているのだ。

 

「ーーこの瞬間を、最期に味わえたことは、この上ない至福であるのは間違いない」

旗艦の甲板に拵えられた椅子に背を預けながら、ボーナは満足そうな表情を浮かべる。その顔は青冷め、こめかみめには脂汗が浮き出ていた。

「提督、敵艦隊は完全に沈黙し、暫くは出てきません。すぐに船内へ・・・近隣のスペインの港に向かいますので、それまで安静にしてください!」

部下たちが慌てた様子で上司を動かそうとするが、ボーナはそれを手で振り払う。

「構わぬ。すでにカベラも逝ってしまった。私ももう長くないことは私自身が一番よく分かっている。だからこそ、この場から無理やり引き剥がそうとするな。私はヴェネツィアの提督だ。誇り高き、その頂点に立つことを許された男だ。かつての元首ドージェたちは海と結婚したという。ならば私も、指輪は投げ入れてはいないが、海と結婚した男となりたい。私の最期は、この海の上でこそ、迎えたいのだ。ーー分かるだろう?」

尊敬すべき英雄にそのように言われ、なおも彼を無理やり連れて行こうとする者は、ここには誰一人いなかった。

1898年1月17日。

海を愛し、海に愛された男、ジローラモ・ボーナ。その77年の生涯を終えた。

 

ボーナが亡くなった後も、地中海ではヴェネツィア・スペイン連合艦隊が英海軍を封殺していた。

一方でインドシナ戦線では新たに13植民地軍が到着し、こちらが獲得した大南の領地を奪い返されていく場面も。

大南戦線は膠着状態。このまま決着が長引けば、経済的負担も危険領域へと達しかねない・・・

懸念する参謀本部のもとに、その情報がもたらされたのは1898年の8月。

ヴェネツィア海軍の活躍もあり英海軍の脅威を気にせずに制海権を得ていたスペイン海軍が、ついに英本土への上陸を果たしたのである。

急速に失われていく英国の戦意。

そしてついに、1898年10月1日。

スペイン首都マドリードにて、英国の全面降伏を意味する和平条約が結ばれる。

この条約により大南は独立を取り戻し、イギリスの傀儡国であったコンゴはスペインの直轄領となり、その上で英国はヴェネツィアに対して莫大な賠償金を支払うこととなった。

その金額は5年間の総額で2,472万£。単純計算はできないが現在の価値に直すとおよそ494億£。日本円でいうと9兆4,000億円だ。

なお、日清戦争の賠償金2億両は英ポンドに換算すると3,800万£近いという話もある。少なくとも当時の日本の国家予算の4倍とのことで、今回の時点でのヴェネツィアの週間収入が24万1,000£。年間で言うと1,157万£。その4倍というと4,628万£ということなので・・・いかに日清戦争の賠償金が莫大だったかというのがよく分かる。

とにかくも、今回のこの賠償金によって国家財政は一気に黒字に。

30年前から常に最高水準だった税率を標準に戻してもなお黒字という健全財政を手に入れることとなった。

 

だが、ボーナ亡き後、正式に首相の座についたロベルティはこれで「終わらせる」つもりはなかった。

この黒字は、あくまでも賠償金支払い期間である5年の間だけの一時的なもの。

この期間に、この財政を元手に、本質的な「躍進」を遂げる必要があることを、彼は理解していた。

彼は一部の閣僚たちに、その意図について打ち明ける。

すなわちーー5年間で再び増強させた軍備を利用した、英国に対する復讐戦ーー帝国の終焉作戦オペラツィオーネ・フィネ・デッリ・インペーロの発動について。

 

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1903年1月。

前回の戦いの終結から5年。

英国からの賠償金支払いも間もなく終わり、停戦も解除されようとしていたちょうどその時、英国が大日本帝国に対し自身の保護国となることを強要していた。

神戸租借地を通じてその情報をいち早く獲得したヴェネツィアは、すぐさま英国の軍事情報や「我々が背後から突く」ということを大日本帝国側に伝達。

そのまま青島租借地を通して北京にも同様の情報を与え、清国の介入を約束させた。

これはヴェネツィアにとっても千載一遇のチャンスであった。ロベルティはすぐさま外務大臣のモンベッロを通してオーストリア、ロシアに連絡を行い、共に英国に対して行動を共にすることの同意を得る。

かくして1904年4月5日。

ヴェネツィアはついに、世界最強の国家イギリスに自ら宣戦布告を果たした。

そして、今度の戦略は実にシンプルだった。まずは国境を接する東アフリカ植民地にアフリカ植民地軍やアジア植民地軍、同盟国の軍を集中かけて敵兵を誘い込む。

その隙に、主力軍10万を載せたサン・マルコ海軍がヴェネツィア本土を出発。

1904年5月7日。イギリス海峡に突如現れたヴェネツィア海軍を前にして、英国海軍はなす術もなく敗退。

これで邪魔する者もいなくなったヴェネツィア主力軍は一斉に上陸し、敵首都ロンドンに向けて前進を開始する。

この戦いは36日間を経てヴェネツィア陸軍の勝利に終わる。

さらに第二陣、第三陣と、ヴェネツィア陸軍は次々に波状攻撃を仕掛けていく。

これらのヴェネツィア陸軍に対しては、政府があらゆる物資を約束し、万全の体制を整えている。

金に糸目はつけない。短期決戦で終わらせ、英国を完全に沈黙させるーーその狙い通り、1904年10月26日についに英国の防衛線は瓦解し、上陸に成功。

雪崩を打って乗り込んでいった40万超の連合軍によって、占領地はさらに拡大していくこととなる。

戦いは、わずか1年も経たずに終わりを告げた。

ロンドンを追われた英国王室はそのまま北部マンチェスターへと逃れるが、ここももはや包囲され逃げ場がなくなったことを悟ると降伏を決断。

1905年2月19日。

ローマの地で結ばれた講和条約によって、英国はその中心地であるホームカウンティ(ロンドン)とミッドランド(マンチェスター)をヴェネツィアに割譲し、さらにスコットランドとウェールズを独立させるというあまりにも屈辱的な条件を呑み込まざるを得ない状況となった。

すでに独立させられていたアイルランドとアルスターと合わせ、英本土は実にカラフルな分裂状態へと陥ることとなった。

 

ロベルティも正直、安堵に胸を撫で下ろしていた。万全の準備を整えて挑んでいたとはいえ、やはり英国との全面戦争は大きな海上交易路の破壊を伴い、経済への大ダメージは避けるべくもなかった。

これだけの超短期での戦争終結が果たされなければ、政権存続にも悪影響が及びかねないーーそんな状況であったのは確かだった。

それでも、なんとか成し遂げた。

世界最大の繁栄を遂げた都市ロンドンとマンチェスターの獲得という、あまりにも大きな成果を提げて。

 

 

――だが、まだ終わりではない。

 

「――たった今、報告が届きました。ミラノにて共和派の政府が蜂起。宗主国スペインに対し、反旗を翻しました!」

サン・マルコ共和国となっているが当然それは本来ヴェネツィアを中心として生まれた史実の反乱軍。この世界ではヴェネツィアとは別にミラノを中心に反乱を起こしているため、物語としては以下、「ロンバルディア共和国」と呼称する。

 

5年前の時点で、そこまで考えてはいなかった。

しかし英国による大日本帝国侵攻の直前に起きたスペイン内部での共和派による反乱。

前王フェリペ5世が前年に崩御し、わずか16歳の「権威主義的」なフェリペ6世が即位したことをきっかけにカタルーニャ人将軍プランドリトが引き起こしたこの反乱は、北ドイツ連邦の支援なども受けつつスペイン王室を脅かす驚異的な事態に発展。

これを受けて、ロベルティは英国への宣戦布告前に工作を開始。

ミラノ、そしてナポリ。イタリア各地の民族主義者たちを焚きつけ、スペインに対する反乱を引き起こさせたのである。

1906年1月にはミラノに続いてナポリでも同様の反乱が発生。

ロベルティはすぐさま彼らに対する支援を表明し、かつての盟友スペインに対する刃を突きつけることとなった。

 

「これが、帝国の終焉作戦オペラツィオーネ・フィネ・デッリ・インペーロの最終段階だ」

ロベルティは執務室に届けられる情報を眺めながら、自らの成し遂げつつあることを噛み締めていた。

「19世紀の幼き帝国も、16世紀からたかだか400年程度の歴史しか持たぬ若き帝国も、あらゆる偽りの帝国は引導が渡されることになるだろう。

 再びこの世界の海に羽ばたくのは、真なる帝国、最も歴史ある帝国ーー我らがヴェネツィアのみだ」

 

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1906年11月17日。

スペイン王室はロンバルディア共和国と両シチリア共和国の独立を認める。

先の内乱は何とか鎮圧できたものの、続いてワロン地方でも反乱が起こり、新大陸諸国も一気に独立を求める大戦争が勃発するなど、もはやスペインに抵抗の術があるはずもなかった。

これで、大英帝国に次いで、長らく世界の覇権を握り続けていた大スペイン帝国もまた、終焉を迎えることとなった。

ヴェネツィアはその両国を越え、世界の頂点に――。

 

――まだ、倒すべき敵が残っていた。

ヴェネツィアと共に、この世界では20世紀に至るまでその命脈を保ち続けてきた、ヴェネツィアに次ぐ歴史を誇る、大いなる帝国――神聖ローマ帝国サクロ・ロマーノ・インペーロ

 

その最後の戦いを制し、ヴェネツィアは真に帝国の復活の瞬間を迎えることはできるのか。

 

最終回に続く。

 

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*1:トルコ戦争の裏でプロイセンが統一戦争を開始。ロシアもプロイセンに協力し統一は完了。北ドイツ連邦となった。なお、このときの首相は「好戦主義的」なアルフレード・クルップ

*2:なお、承認国の従属国タイプとしては保護国→自治領→傀儡国という順で自治能力を失っていく。保護国は外交的自由もあり宗主国への上納金も発生しないが、自治領になると外交的自由はあるものの上納金が発生(収入の25%)し、輸送船団の供給割合も保護国より高くなる(保護国は25%に対し自治領と傀儡国は50%)。傀儡国になるとさらに外交的自由を失い上納金も収入の30%となる。また、非承認国の従属国タイプは「朝貢国」と「属国」の二つだけで、朝貢国は外交的自由はあるものの収入の20%を宗主国に与える必要があり、輸送船団も25%を供給する。属国は外交的自由を失い、宗主国の上納金も収入の30%に、輸送船団も50%を供給する義務が生まれ、傀儡国と同等となる。同君連合は保護国の下、傀儡国の上に位置し、外交的自由はなく輸送船団供給率は50%だが、上納金は存在しない。