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【Victoria3プレイレポート/AAR】革命と改革のメヒコ100年史 第2回 ベニート・フアレスの改革と米墨戦争(1856年〜1880年)

 

1821年にスペインからの独立を果たしたメキシコ合衆国

しかしその後は自由主義派と保守派との対立が激化し、クーデターが頻発するなど混乱の一途を辿った。

その中で頭角を現してきたのが独立戦争の英雄アントニオ・ロペス・デ・サンタ・アナ将軍。

自らの思い通りに皇帝や大統領の首をすげ替え、1835年には独立時に制定された連邦共和制を規定した1824年憲法を廃止し、議会の解散とともに中央集権的な独裁体制を築こうとしていた。

 

これに対抗したのが、サンタ・アナと共に独立戦争を戦ってきた英雄の1人であるフアン・アルバレス将軍。

彼は南米に滞在していたイタリア人自由主義者ジュゼッペ・ガリバルディを招聘し、彼の力も借りて改革を推し進めていった。

サンタ・アナ将軍も地主・教会・軍部の保守勢力を結集し対抗。

両者の緊張が高まりつつあった。

 

状況に楔を打ち込んだのが、1854年、ときの米民主党ジョン・カルフーン政権によって行われた、メキシコ共和国に対する「テキサス・ユタ・コロラドの割譲」要求である。

完全に寝耳に水のこの事態に、対抗する術を持たず屈服するしかなかった保守政権。

この成り行きに、これまで保守政権を支持していた人びとの多くがアルバレス将軍およびガリバルディを中心とした自由主義勢力へと傾いていき、政策の主導権は彼ら自由主義派が握ることとなった。

 

亡命していた元オアハカ州知事ベニート・フアレスも合流し、保守派の勢力切り崩しを図るべく「完全分離」法の制定へと舵を切る自由主義勢力。

この状況を打破すべく、保守派は武力蜂起を敢行。メキシコはついに内戦へと突入した。

ガリバルディも自ら軍を率いて自由主義勢力と共に戦い、この内戦は1年後の1856年6月19日に決着。サンタ・アナ将軍は亡命し、残った保守派は降伏し、自由主義勢力の完全勝利に終わった。

 

まずは混乱の「サンタ・アナ時代」を終わらせることのできた自由主義陣営。

彼らの改革はこの国を正しい方向へと導いていくのか、それとも。

 

Ver.1.3.2(Thé à la menthe)

使用DLC

  • Voice of the People

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~ゲームルール~

  • 戦争による拡張をしない(旧領奪還を除く)。
  • 「プレイヤーに対するAI挙動」設定は「無情」
  • 「AIの敵対行為」は「高い」
  • その他デフォルト設定

 

目次

 

第1回はこちらから

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これまでのプレイレポートはこちらから

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アメリカ「経済的支配」目標プレイレポート

初見スウェーデンプレイ雑感レポート

 

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ベニート・フアレスの改革

1857年憲法

1856年9月25日。

内戦終結直後から体調を崩していたフアン・アルバレス将軍が、静かに息を引き取った。

自由主義勢力の旗頭として数十年に渡りこの国の改革に力を尽くしてきた彼の死を盛大に悼んだ上で、陣営は新たな指導者としてベニート・フアレスを選んだ。

史実ではナポレオン3世の干渉により成立したメキシコ第二帝政を打倒し、共和制を復活させた上で先住民として初のメキシコ大統領となった「建国の父」。

 

そしてこのフアレスが内戦前に成立させようとしていた「完全分離」法を取り込んだ「1857年憲法」を制定。

この憲法は独立直後の1824年憲法を復活させるものでもあり、そこで謳われていた(そして1835年以降サンタ・アナ将軍によって停止させられていた)連邦共和制も復活。国号を再び「メキシコ合衆国」に戻すこととなった。

 

フアレスとその仲間たちはさらに改革を進めていく。

まずは政教の完全な分離に基づき、適切な教師による「公立学校」の制度導入を目指す。メキシコの識字率の低さは問題であり、アメリカの脅威に対抗するためには早期の技術革新が必要不可欠であった。

急速に全国に公立学校を整備していくためにも、全国の農民たちの中から適正のある者たちを登用していく必要がある。一部の農民層たちからは非難されるものの、国家の発展のためにフアレスはこの政策を断行した。

1861年8月10日に公立学校法は無事通過。

早速制度に投資を進め、技術発展スピードを加速していく。

着実に国内改革を進めていくフアレス。

そして彼は、国内だけでなく外交の舞台でも、大きな改革の必要性を認識し、行動に移そうとしていた。

 

外交政策

1850年代以降、世界の富を支配する列強諸国の中では主に2つの大きな軸が存在した。

1つは大西洋を跨ぐ英米アングロ・サクソン同盟。一時の同盟関係までは継続していないものの、いまだ貿易協定などで深く結びついている。

そしてこれに対抗するのが、イギリスの宿敵であるフランスとロシアとが結ばれた大陸同盟

どんなに軍備増強したところで、あまりに強大なアメリカ合衆国を単独で相手取るのは不可能に近い。

フアレスは英米に対抗するため、仏露同盟への接近を決断した。

 

もちろん、国力の差からいきなり同盟を結ぶことは難しい。

よって、サンクトペテルブルクを訪れたフアレスは、彼らから条件として提示された彼らの「関税同盟」への加入を決めた。

ロシア帝国が主導する関税同盟は、清をも取り込んだ世界最大の市場となっている。

経済的な従属下に置かれるという屈辱はあるものの、メキシコの小さな単独市場では存在し得ない莫大な需要が用意され、国内の産業従事者の富は着実に増大していった。

さらに市場が統一されたことで数多くなロシア人がメキシコに移住。限界が見えつつあった人口問題への大きな解決にもつながりつつあった。

そしてフアレスは、もう1つの重要な同盟国候補、フランスへと赴く。

 

1859年8月10日。

フアレスはサンクトペテルブルクから鉄道を使ってモスクワ、ワルシャワ、ベルリンを経由しながらパリへと向かった。途中、何度か査証や関税の手続きで足止めを食らったが、その都度西洋の先進国家の街並みや制度を目の当たりにし、フアレスは母国メキシコに取り入れるべきものを漏らさず吸収してやろうと考えていた。

そうして5日間の旅程を終え、パリに着いたフアレスはそのままの足でエリゼ宮へと向かった。

待ち受けていたのは、1852年のクーデターによって権力を握り、フランスの第二帝政を開始したナポレオン3世ことルイ・ナポレオン

英国に次ぐ世界第2位の国力を誇るこの超大国の助けを得られるかどうかが、今回のフアレスの外交ツアー全体の成否に関わるものであった。

 

「まずは反乱の鎮圧おめでとう。我々も必要に応じて助力する準備もできていたが、不要だったようだ」

フアレスの対面に腰掛けたルイ・ナポレオンは、開口一番そのように述べた。

「そのときはお申し出、ありがとうございました。しかし私たちも自分たちの国のことは自分たちで何とかしないといけないと思っておりましたので。ただ、武器弾薬を輸出していただいたことは助かりました。感謝申し上げます」

内乱の際、確かにフランスはフアレスら自由主義勢力を助け出兵する用意があると連絡を寄越していた。しかしそれを安易に受け入れれば、その後の彼らによる実質的な支配を受け入れざるを得ない恐れもあった。また、フランスに敵対するオーストリアが反乱軍側につく口実を与えかねないこともあり、アルバレス将軍とフアレスはこれを丁寧に断っていた。

「ああ、貿易についてはこれからも深い関係を築き続けるようにしよう。そういえば先日、君たちはロシアの関税同盟に入ることに決めたようだね。ロシアにとっても、豊富な資源を持つ君たちを勢力圏に入れることができたのは大きなプラスになっただろう」

すでにその話は耳に入っていたか。ルイ・ナポレオンの鋭い眼光がフアレスを貫く。その言葉の裏には、メキシコはロシアにつくのか、フランスにつくのか、そう尋ねている。両者は共に同盟国だが、共通の敵を打倒できた後はライバルとなる存在であることは変わりない。

フアレスにとっても、それは賭けであった。正直、フランスの政治基盤はまだ安定しているとは言い難い。抑圧的な政策を取っているとはいえ安定はしているロシア帝国と経済的な結びつきをより強めた上で、フランスとは別の形で同盟を結ぶつもりでいた。

そしてフランスに対しての外交カードは持っていた。

「私たちにとっても、ロシアとの同盟は安全保障の上でも重要なものでした。ご存じの通り、我々の隣国アメリカ合衆国は我々の領土に対する野心を強く持っており、5年前、彼らによっていくつかの土地を奪われております。そして、最近またその動きがアメリカ内部で活発化しているとも聞きます。彼らが再び我々に牙を向いたとき、これにメキシコ1国で対抗できるとは到底思えず、協力してくれる国の存在が必要不可欠なのです」

「それはその通りだ。だから市場を受け入れることを条件に、ロシアに安全保障の約束を取り付けたわけだ。では、我々に同じことを希望するのであれば、代わりに何を差し出す?」

ルイ・ナポレオンの視線がより一層強くなった。

「差し出せるものは、ありません」

フアレスの言葉に、ルイ・ナポレオンは怪訝な表情を見せる。

「ただ、今後アメリカの要求を全面的に受け入れることになれば、彼らは太平洋岸までその領土を広げることになるでしょう。そうすれば彼らは、アジアへの道を手に入れることになる。それはあなた方にとっても、望ましいことではないのでは?」

ルイ・ナポレオンは顔色一つ変えず、続きを促す。

「逆に我々とロシアが太平洋を取り囲み勢力を維持し続けることができれば、その同盟国たる貴国は安心してフランスの勢力圏をアジアに伸ばすことができます。最近ではプロイセンがフィリピンを手に入れたとも聞きますし、皇帝陛下もこの地域は捨て置けない重要拠点となるでしょう」

「それはその通りだ」

ルイ・ナポレオンは嘆息する。結局、メキシコをフランスの属国にできないのであれば、せめてアメリカの属国にしないようにするしかない。メキシコは自らの命を天秤に乗せて、大国フランスに交渉を仕掛けてきたのである。必要なコインを乗せろ、と。

「だが、そうであるならば、我々の助力は限定的なものに留めるつもりだ。欧州での戦争にも備えなければならない。総兵力の2割程度しかそちらに割くつもりはないし、犠牲が増えればすぐ撤退する。また、これはオープンな形での防衛協定として結ぶこともできない。アメリカ合衆国がメキシコに攻撃を仕掛けたとき、我々が救援に出向くという約束は『密約』の形で結ばさせてもらう。それでもいいか?」

「もちろんです。十分に心強い。あとは、継続的に関係を深め、より強固な同盟関係を築いていけるようにしましょう」

十全ではないが、不十分でもない。元々分が悪い賭けを、ここまで持ってこれただけでも十分だ。

両者は立ち上がり、握手を交わした。フアレスは自身の外交成果に手応えを感じながら、メキシコに帰国することとなった。

 

そして、運命の日は訪れる。

 

米墨戦争

1865年5月2日。

アメリカ合衆国はメキシコに対し再びその領土の割譲を要求してきた。

当時の大統領は民主党パルメタス・ロッジ

しかしフアレスは前政権と異なり、屈服の道は選ばなかった。代わりに経済的宗主国ロシア帝国がただちに参戦を決めたほか、密約に基づきフランス帝国もメキシコ側につくことを宣言した。

両者妥協せず、対立は決定的となり1865年8月30日。アメリカ合衆国の宣戦布告により、ついに米墨戦争が勃発した。

見た目の総兵数では墨露仏同盟側が優勢に見えるが、実際にはロシア軍は15万、フランス軍は5万しか新大陸に派遣しなかったため、戦線上ではやや劣勢。

さらにアメリカ軍の侵攻部隊を指揮するウィリアム・テカムセ・シャーマン少将が「エキスパート攻撃的計画立案者」持ちの精鋭であり、彼らの猛進撃によってネバダの山岳地帯を守っていた防衛部隊は次々と陥落していくこととなる。

それでも、メキシコ軍は必死の抵抗を行っていく。
兵数こそ少ないものの、各地で徴兵も行いかき集めた2万の兵を率いて、オアハカ生まれのポリフィリオ・ディアス准将が決死の防衛線を築いていく。

カリフォルニアの海沿いにまで追い詰められていたメキシコ軍だが、そのギリギリの淵、サンアンドレアス断層にてゲリラ戦を展開していくディアス准将。

アメリカ軍側も限界だった。
2年以上にわたるメキシコ軍の抵抗によって長期化した戦争は彼らの財政を確実に食いつぶし、その影響は前線の兵士たちに供給される武器弾薬の量・質にも確実に影響を及ぼしていた。

フランス軍も、5万の兵とは言え2年以上付き合ってはくれたものの、いよいよ撤退を決める。

ここが潮時。
フアレスはアメリカ側に白紙和平を提案し、20万人以上の死者数を生み出しているアメリカもこれを了承せざるを得なかった。

かくして1867年10月17日。

テキサスのオースティンで開かれた講和会議によって、双方の要求はすべて破棄する白紙和平条約を結ぶこととなった。

フアレスは勝利した。
旧領奪還までは叶わなかったものの、10年前はサンタ・アナ将軍らが戦わずして敗北を認めた強大な相手に対し、引き分けにまで持っていったのだから、これは大きな成果であった。
国内でのフアレス人気は絶頂に達し、1870年の選挙では実業家集団と組んだ「自由貿易党」が半数を超える得票率を獲得し、その人気は不動のものとなった。

「建国の父」ベニート・フアレスは、まさに国家の英雄としてその名を轟かせていったのである。

 

しかし、人は決して永遠ではない。それがたとえ、英雄と呼ばれるような存在であっても。

1872年7月18日。

フアレスは、2日前から体調を崩していた中で、予兆なく心臓発作に襲われ、急逝した。享年66歳であった。

翌日、メキシコシティでは、偉大なる人物の死を悼むための15分おきの砲撃の轟音が鳴り響いた。

 

 

新たな英雄の時代

フアレスの死を受け、彼と連立を組んでいた実業家集団の指導者ラファエル・マンジール・イ・メンディビルが一時大統領を務めるが、元来が保守主義者でありすでに80を超える高齢であった彼に大きな求心力はなく、その後の選挙で農業党が躍進。

その党首であったモイセス・ウトリラメキシコ合衆国第14代大統領として就任した。

「改革論者」の彼の指導の下、児童労働の制限など、さらなる改革を推し進めていくメキシコ合衆国

しかし5年間の休戦期間を経て、みたびアメリカ合衆国がメキシコに対して領土の割譲を要求してきたとき、ロシアはオーストリアとの戦争中、フランスはパリで革命が起きているという最悪のタイミングで仕掛けられてしまったこともあり、今度はどこも助けには来てくれなかった。

結局、ウトリラ政権はこのアメリカの3度目の要求を受け入れざるを得ず、金鉱山の眠るアリゾナの地を奪い取られてしまう。

当然、政府のこの弱腰に対し国民の不満は増大。

その不満の受け皿となったのが、栄光の米墨戦争の英雄となっていたポルフィリオ・ディアスであった。

軍部内でも発言力を高めつつあった彼の提言によって合衆国軍の増強が急速に進展。

1878年時点の常備軍数は20万超にまで膨れ上がった。

1856年時点では支出全体における軍事費(軍事物資代金+軍隊賃金)の構成比率がわずか4.37%だったのに対し、1878年時点では34.83%にまで上昇。

1856年時点の支出総額から1878年時点の支出総額への推移表。構成比率では単独の項目で見ると建築資材に次いで公務員給与が高くなっているが、「政府商品」と合わせた行政費全体の構成比率より、軍事費全体の構成比率の方が高くなっていることがよく分かる。


アメリカは必ずまたやってくる」のスローガンの下、ディアス将軍を中心とした軍部の求心力が着実に増しつつあった。

 

そして実際に、彼らはやってきた。

1878年3月19日。アメリカ合衆国による、4度目となる領土割譲要求。

ロシアは引き続きすぐさま支援に回ってくれたが、フランスはパリ革命の鎮圧に失敗したルイ=ナポレオンが退位させられ、帝政を維持したままブルボン家の末裔が皇帝に即位するという謎の事態に陥っており、メキシコを助けに来るどころではない様子。

スペイン人・・? ブルボン朝の復活を願うレジティミストたちがスペイン・ボルボン王家からわざわざ招聘してきたのだろうか。

 

だが、今回はメキシコが自前で20万の兵を用意してある。

今度こそ、旧領奪還を!

 

まずはニューメキシコの最前線で防衛戦。

アメリカ史上屈指の名称と謳われるロバート・E・リー将軍の猛進を、ディアス将軍の鉄壁の防衛陣で撃退していく。

一方、こちらが攻撃をする側となれば、同じく攻め切ることはできず、戦線は膠着。

このまま同レベルで殴り合っていても、最終的に待っているのは前回同様、白紙和平。

打開策を考える必要がある。

 

そのために、10年前からディアス将軍が補強してきたのは陸軍だけではなかった。

それまでは1隻も存在しなかったメキシコ海軍。未だ帆船ではあるものの55隻を揃えたこの合衆国唯一の艦隊が、英米間の武器・弾薬輸送を行う輸送船団を次々と撃沈していく。

この結果、アメリカ市場における各種武器弾薬は供給不足に陥り、時間が経つにつれてアメリカ軍は着実に弱まっていくこととなる。

武器弾薬の不足によって本来30ポイントあるはずの散兵や榴散弾砲の攻撃が3分の2にまで落ち込んでいる。さらに前回同様、破産したことによるペナルティも。・・・なんでそんな財政がギリギリのときにいつも仕掛けてくるかなぁ。

 

これで敵の防衛陣も突破できる・・・と思っていたが、なかなかしぶとい。

何しろ、伝統的に「国民民兵」の軍事制度を採っているアメリカは、とにかく予備役の数が多い。アメリカ全土からかき集められた義勇軍が集結し、敵側の総兵力は77万弱にまで達している。

正面からの突破は難しい・・・となれば、「裏口」を使うしかないだろう。

 

 

1879年7月。

1年以上に及ぶ「第2次米墨戦争」において、日々激戦のニュースが報じられていたワシントンD.C.の市民たちは、その戦争の行方を巡って、喧々諤々の議論を繰り広げていた。

彼らにとって、遠い西部での戦争は現実感に欠けていた。すでに9万人のアメリカ人が死んでいるというが、このワシントンD.Cからはほとんど戦地に送られた者はいないというし、数少ない配備兵たちも軒並み出払っており、戦争の話題は愛国主義者たちと反戦主義者たちと物知り顔な知識人たちとの間の言論的娯楽の種にしかなっていなかった。

 

そんな彼らの目を覚ますか如く、街中に鳴り響いた鐘の音。それは、敵襲を知らせる合図であったが、この街の人びとがそれを聞くのはもう60年以上も昔の米英戦争以来であった。

チェサビーク湾に姿を現したイェルモ提督の戦列艦55隻は、次々と砲弾をバージニア・ビーチやセントメアリーズ・シティの要塞に撃ち込んでいき、ほとんど守備隊の残っていない米国首都を一瞬にして制圧した。

本来首都を防衛するはずだった米海軍は、ロシアのヴァシリー・ザヴォイコ提督による襲撃に遭い、機能を停止していた。


無事上陸を果たしたメキシコ強襲上陸部隊10万を率いるイグナシオ・サラゴサ将軍は、指揮官もおらず残されたのは現地のまともに訓練していないような予備役たちばかりのウェストヴァージニアの荒野を駆け抜け、その占領地を次々と広げていく。

こうなってしまえば、もはやアメリカ市民たちに継戦意志が残されているはずもなく、アメリカ側の戦争支持率がマイナスに突入した直後、こちらの要求をすべて無条件で受け入れる和平条約への締結を申し出てきた。

かくして1879年12月30日。アメリカ・ワシントンD.C近郊の街ボルチモアで結ばれた和平条約によって、これまでアメリカがメキシコから奪い取ってきたすべての領土の返還と、総額619万ポンドの賠償金支払いをアメリカは約束することとなった。

ついに、メキシコは完全なる勝利を掴んだ。

25年以上に渡り失われてきた旧領をすべて取り戻し、メキシコは、その誇りをも、取り戻すことに成功したのである。


サンタ・アナ将軍による独裁体制を打ち倒した「レフォルマ革命」から24年。

メキシコは苦難を乗り越え、改革を進め、今や世界有数の経済大国となっている。

ロシアの関税同盟下に入っているため列強にはなれないが、すでに列強の一角である両シチリア王国を上回る威信を持ち、宿敵アメリカ合衆国とは大きく水を開ける実力を有するに至った。


このまま、「メヒコ」は栄光の20世紀を迎えることができるのか。

 

それとも――。

 

 

第3回へと続く。

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