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【CK3】異聞戦国伝・拾壱 天下二分の大乱編(1597-1598)

 

百数十年にわたり続いた戦国乱世を平定した天下人・豊臣秀吉が、この世を去った。

遺された幕臣たちに課されたのは、この傑物が築き上げた静謐の世を維持し、後世に継承すること。

しかし、あまりにも偉大過ぎた存在の喪失は、この遺された政権に必然的に混乱をもたらすこととなる。

 

1467年の応仁の乱以来続く戦国時代。

その終わりが、間も無く訪れようとしていた。

 

目次

 

※ゲーム上の兵数を10倍にした数を物語上の兵数として表記しております(より史実に近づけるため)。

 

Ver.1.12.5(Scythe)

Shogunate Ver.0.8.5.6(雲隠)

使用DLC

  • The Northern Lords
  • The Royal Court
  • The Fate of Iberia
  • Firends and Foes
  • Tours and Tournaments
  • Wards and Wardens
  • Legacy of Perisia
  • Legends of the Dead

使用MOD

 

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suzutamaki.hatenadiary.jp


嵐前静寂

1597年3月17日未明。大坂城。

「――兄上・・・」

長き人生、その底から頂点に至るまでを共にしてきた唯一の兄弟の死を、豊臣秀長は見届けた。

「実に安らかな、最期でしたな」

秀長の背後から声をかけるのは、秀吉の側近でもあった天台宗の僧、天海

「しかしこれからが大変ですぞ、宰相殿」

「分かっておる」

天海の言葉に、秀長は神妙に頷いた。

兄の死を受けて、やらねばならぬことはあまりにも多くあった。

「まずは、泥沼化したから入り、これを止めねばならぬ」

 

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1594年から始まった「から入り」正確にはその途上でしかなかったはずの朝鮮出兵は、明軍の想定を超える兵力の介入によって、1597年現在も膠着化していた。

現地では補給もままならず、士気は劣悪。このまま徒に戦いを長引かせても、得るものはなく失うものだけが日増しに増えていく一方であることは明らかであった。

 

朝鮮出兵の停止と渡海軍の撤退。

これは速やかに為すべき、新政権の最初の課題であった。

 

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「かくして、これより評定を開始する。太閤殿下の御遺訓に従い、我ら年寄衆と貴殿らとの合議にて政策を決定し、関白秀門様のご承認を得るものとする。異論はありませぬな?」

秀長の言葉に、集まったその大名衆は皆、静かに頷く。

亡き秀吉が定めた、秀吉没後の政権運営の方法ーー有力な五つの大名、いわゆる「五大老」と、秀長らいわゆる奉行衆(年寄衆)との合議制にて若年の関白・豊臣秀門を支えるという体制ーーに基づき、大坂城に件の大名たちが集められた。

先ずは正二位内大臣織田信雄

続いて従二位大納言尼子義久

従二位権大納言北条氏直

そして従三位権中納言大友親家

これに加えて渡海軍を率いる従四位左近衛中将浅井長政の5名が、秀吉によって指名された「五大老」である。

今回は長政を除く四大老が大坂城に集まり、目下の課題を解決すべく、秀長ら奉行衆と最初の評定を行うこととなったのである。

「まず、後継者問題について。現状、関白は秀門様が務めているが、その後継者として、生前の太閤殿下は秀門様実子ではなく、太閤殿下の実子たる鶴松殿を指名されております。その形で進めること、一同異議は御座らんか?」

四大老は再び同意の頷きを示す。ここまでは問題ない。いよいよ、本丸だ。秀長は咳払いを一つして、話を続ける。

「では続いて、から入りについて。まずはこの継続は益少なく労多し、直ちに和睦のち撤退するという方針で異議は御座いませんな?」

一同、頷く。

「問題はその方途・・・確実無事な撤退が為には、太閤殿下の死は秘匿し、交渉にこぎつけねばならない。その交渉役として、これまで通り渡海軍総大将の浅井中将殿にお任せしたいと思うが、異論は御座らんな?」

一同、頷く――かと思いきや、そこで、大友親家が異議を申し立てる。

「――確かにこれまで、征明軍の総指揮権は中将殿にお任せをしておりました。しかし、中将殿はいささか血気盛んに過ぎる所があり、交渉を無事に終わらせるにはやや役不足ではないかと思料するが、如何に?」

大友親家――元九州探題・大友宗麟の次男にして、兄の吉統がその愚鈍さゆえに父に廃嫡されて後、その家督を継承することとなった人物。

明敏かつ博識、学者気質もあるこの親家の言葉は理路整然としており、たちまちのうちに各大老・奉行衆をも納得させ得る論理を展開していった。

「で、あれば寧ろ――奥州探題・伊達輝宗殿がより適任かと存じます。武勇においても中将殿にもひけを取らず、敵軍を適切に威圧しつつ、かつ柔和な面も見せつつ冷静に交渉を進めることもできるはずです」

「むう――確かに」

秀長は親家の言葉に反論もできず、そして他の大老たちも皆、何も答えずもこれに同意する様子が見受けられた。

「――然らば、権中納言殿の仰る通りで進めよう。交渉使は伊達輝宗殿とし、速やかなる撤退が為、和睦交渉を行うこと。そして・・・渡海衆の無事帰陣の折は、その犠牲に報いるだけの恩賞が与えられぬこと、我々一同誠意をもってこれを『謝する』旨、異議は御座らんな」

最後に告げた秀長の言葉に、今度こそ一同同意の意を示す。

かくして、亡き太閤殿下のその生涯最後の野望たる「朝鮮出兵」に、風呂敷が畳まれることとなった。

 

 

――が、その交渉成立の間際。

秀吉の死が、敵方に伝わってしまうという不運が発生。

これに勢いづいた明・朝鮮連合軍残党26万が、蔚山城ウルサンソンに陣取っていた豊臣軍10万に向けて、一気に包囲殲滅の為の軍を差し向けたのである。

だが、ここでも浅井長政はその武勇の限りを尽くした。

圧倒的劣勢にも関わらずこの大軍を見事壊滅させ、明軍の最後の反撃の意志を挫いてみせたのである。

これで、中断するかと思われていた和睦交渉も締結へと至ることに。

3年に及んだ長い戦いは、両者何も得ずという形での「白紙和平」と相成った。



――そして。

1597年4月10日。

長政を筆頭とする渡海衆が全軍撤退が、無事完遂さるる。

 

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1597年4月25日。大坂城。

痛めつけられたその身を休め、身支度を整えた「五大老」最後の一人にして渡海全軍の英雄たる働きぶりを見せた浅井左近衛中将長政が、遅ればせながら新たなる主君・関白豊臣秀門へと出仕する。

「――此度はご挨拶遅れたこと、お詫び申し上げまする」

普段の武勇、鬼の如き戦果の数々からは想像もできないほど丁重に、敬意をもった態度で若き主君にこうべを垂れる浅井長政。

「頭を上げよ、中将。此度の武功、聞き及んでおる。実に大儀であった」

しかし、な、と秀門は言いづらそうに表情を歪めながら、口を開く。

「貴公らが命を賭して唐入りから戻ってきたにも関わらず、その犠牲に報いるだけの恩賞がないのだ」

長政は僅かに目を見開く。その激情が爆発するのではと恐れ、秀門の傍らに控えていた秀長も身を固くする。

しかし長政はふ、とその表情を緩め、僅かに頭を下げる。

「斯様な気遣い賜りし事、有り難く存じます。我は唯、亡き太閤殿下の御意志に沿うためにこそ、身を投じたまでで御座います。我が武威により豊臣の威光が保たれたことを慶ぶばかりであり、恩賞など、望むべくも御座いませぬ」

ただ、と続けながら長政は顔を上げる。その双眸からは涙が流れ落ちており、秀長は思わずぎょっとする。

「ただひとえに、太閤殿下の旅立つ折にお傍に居られなかったこと、そればかりが拭いきれぬ心残りで御座います」

何たる忠義、と秀門は感銘を覚えたように声を挙げる。「その忠孝に報いるべく、我も出来る限りのことを尽くそう」と、思わず事前に取り決めのないことまで口走ってしまう。

「ーー勿体なきお言葉で御座います。忠義を尽くすべく主君の最期に御目通り願えなかった分、その後継者たる殿下にこそ、我が身命を賭した忠孝を尽くす所存で御座います」

平伏する浅井長政。

その姿を、秀長は恐ろしいものを見る目で睨み続けていた。

 

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かくして、武功第一位の浅井長政が「加増なし」を受け入れたことで、その他の渡海衆もまた、この沙汰を受け入れざるを得ない状況に立たされていた。

とはいえ、それを納得できるかと言えば、そうではない。その不満の渦は、力を持った者の意志一つあれば、容易に無視し得ぬ塊へと糾合することが能う状況にあった。

そして、その意志を持つ力ある者がいた。

 

「ーー皆々方の意見、至極尤も。現政権において封殺され兼ねぬ貴殿らの思い、大老衆の一角として身共が責任をもって引き受けよう」

そう高らかに宣言するのは、五大老の一人、先の撤退に関する評定においては交渉役を長政から伊達輝宗に変えることを提言していた大友親家

その後、和平交渉の失敗と、長政の活躍による撤退成功という運びになったことで、政権内での肩身を狭くしつつあったこの男は、政権中枢と長政に対するやや八つ当たりに近い怨みを抱いてもいた。

「――心強し。今や、豊臣政権と言えど、その実態は少数の限られた文官と大名共が日ノ本を牛耳る歪な形。今一度、この国が、この平穏が、誰によって護られているのかを理解させ、我々一同差別なく政権に参加できるよう、働きかける必要があると言えるだろう」

親家を援護するのは、彼によって交渉使を任されながらも、秀吉の死の事実の漏洩という不運により面目を潰された形となった伊達輝宗。彼もまた、親家同様、長政たちに対する逆恨みを抱いてもいた。

「同心致す! 元より我々、未だ豊臣の傘下に着くことを納得してすら居らぬ! 寧ろこの際に再びその実力の程を見せつけ、新たな将軍に誰がつくべきか、問い直す必要さえあるものと断ずる!」

威勢よく吠えたてたのは、伊達と同じ渡海組である大崎義隆。しかしさすがに苛烈過ぎるその意見に冷静なる一声を挙げたのが、同じく渡海組の中でも特に武勇の誉れ高き一族の長。

「即ち倒幕と成るには余りにも正当性が無く、無用な混乱を招く許りであり、賛同致し兼ねる」

「我らとて豊臣に武力により臣従せしめられた身なれど、その豊臣の武威により、この日ノ本が百年の戦乱から脱し、泰平の世に向かいつつあることは認めざるを得ぬ事実」

島津義弘ーー戦国最強の士気を持つ軍勢を率いる総大将を前にして、さしもの荒くれ者共も意見することもできず押し黙る。

「あくまでも我々の目的は、現状の不公平なる政権の『改善』にある。その責任を果たすべき者が果たし、我らの意見が適切に通るようになれば、政権の打倒までは求めぬ。良いな?」

義弘の言葉に、残る大名衆も一通り同意の頷きを返す。この結論に、親家は満足気に笑みを溢す。

この勢力による恫喝を通して現政権を揺るがし、主導権を握る。このままあの猪大名にそれを奪われるわけにはいかぬのだ。

 

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「この度は祝着至極に」

長政を迎え入れたその男は、徳利を掲げ、長政の盃に酒を注いだ。

「無事御帰還召されたことで、江姫殿も大層お慶びになられたとの事。是非とも此度、一度お顔をお出し下され」

「ーーハッハ。あやつはとんだお転婆娘だからな。顔を出しても憎まれ口を叩かれるばかりと予想するが」

「いえいえ。私も何度か顔を合わせるも、そのようなところは微塵も見せず、御淑やかで礼儀正しく礼節に富んだ姫君で御座いましたぞ。秀忠わがむすこには勿体無いとさえ思えるほどに」

「ほう、それはそれは。屹度きっと三河殿のところでの教育が実に行き届いていたのでしょう。有難いことです」

そう言って長政は自身も徳利を手に持ち、その男ーー徳川家康の盃に酒を注ぐ。両者は長政の娘・江が家康の嫡男の秀吉に嫁ぐ形で同盟を締結していた。

「ところで、浅井殿」

家康が真面目な表情を作り、声を顰めて長政に顔を近づける。

「何やら、渡海衆の周りで少し騒がしい動きがあるとの由」

「ーーええ。我が耳にも届いております。殿下のご威光の下、漸く実現したこの泰平の世を、自ら打ち砕かんとするその心意気は理解でき兼ねるが」

「・・・して、浅井殿は如何様に?」

家康の問いに、長政は無表情に家康を見返す。

「浅井殿もまた、恩賞を得られぬは同じ立場。中将殿がそれで良くとも、中将殿の御一族や家臣たちはそうもいくまい。道理がある程度騒乱側にあるとすれば、そこについたとして中将殿が咎められることがあろうか」

「ーー三河殿はそれを望んでおられるのか?」

長政の問いに、家康は薄く笑みを浮かべながら首を振る。

「いやいや。拙者は中将殿の同盟相手おみかたであるからにして、中将殿の選ばれる道をいずれにせよお助けする所存で」

ハッハッハと家康は笑う。

「謂わば、義を取るか、利を取るか」

「勿論、義だ」

長政は即答する。

「義こそ、この戦国の世にて望まれる唯一にして最大の美徳なればこそ。そも我が身は亡き太閤殿下の温情にて生かされし身。それを思えば、太閤殿下とその御一族により創られし現行の秩序を乱す者あらば、たとえ家族たろうと迷わず刀を振る所存」

「――成る程、成る程」

家康は感心したように頷く。

「其れが、貴殿の芯であられるのだな。理解した。それならば私も約束通り、貴殿の進む道に助力致そう」

盃の酒を飲み干し、杯を置いた家康は、最後に一つ、長政に問いかけた。

「ところで浅井殿。ここに、一羽のなかなか鳴かぬ杜鵑ほととぎすがいるとしよう。貴殿ならば、どのようにしてこれを鳴かす?」

唐突な問に、長政は少し驚きながらも、やがて微笑を浮かべて答えた。

「そうですな・・・もしかしたら儂は、真心を込めて、杜鵑の前でこれに鳴くよう説き願い続けるやもしれぬな。何か手練手管を考えるのも、じっと待ち続けるのも、苦手な所存にて」

少しはにかんだ笑顔で、長政はそのように告げたのであった。

 

 

そして、その時はやってくる。

1597年11月20日。

天下を二分する、壮大なる大乱が巻き起こる、その時が。

 

 

天王寺口の戦い

発端は、長政と家康の耳にも届いたという、渡海組の不満の存在が、秀門や長秀ら政権中枢の耳にも届いたことであった。

首謀者と目される親家を含む大老衆を呼ぶわけにもいかず、秀門と奉行衆のみで集まり、秘密の評定が設けられた。

「彼らは渡海失敗の責を、奉行衆筆頭としての宰相殿に被せようと画策しております」

「奴らの言い分を全て遠さば、政権は奴らに牛耳られることとなり、今後の安定した運営に支障が来たされることとなるでしょう。かと言って拒めば、それこそ全国の武将たちによる蜂起という最悪な形に帰結しかねません」

「まさに、正念場ですな」

奉行衆の一人、京都所司代の天海は、同じく奉行衆の一人である細川忠興の言葉に、どこか楽し気な口調と表情とで返す。ここに続いたのは、槍玉にあげられた秀長ではなくーー将軍・秀門であった。

「序列を踏まえて責を問うならば、参議の叔父上でなく、内府殿であろう」

と、内大臣・織田信雄を名指しする。

「領地が与えられず不満を持つというのであれば、より大きな領地を持つ者から取り上げて、皆んなで配れば公平ではないか。内府殿は御父上が存命の頃、武田征伐の後に現在の美濃尾張から三河遠江への移封を要求するもこれを拒否した前例もある。減封ないし改易の口実は幾らでも作れよう」

秀門の言葉に、一同は互いに顔を見合わせるなど、言うべきことを求めて視線を彷徨わせていた。

「し、しかし殿下。内府殿が今回の『不満之徒ふまんのと』と手を結び、共に蜂起に至るという恐れも・・・」

「そうであれば、纏めて打尽すれば良いだけ。配り得る土地が増え、より好都合ではないか」

さても冗談の御積りか、と秀長は秀門の顔を覗き込むも、その目は何一つ笑ってはいなかった。

「御父上の最大の失敗はから入りではなく、この織田内府を政権に残したことだと思っておる。奴は危険だ。本人にその意思があろうとなかろうと、その存在はあらゆる面において豊臣に仇なす可能性を秘めている。早い段階で、手を打っておかねばならぬ。それに与同しようとする者共もろともな」

秀門は父の宿敵でもあった信雄に対する強烈なライバル感情を抱いており、物語中には登場させていないが、その暗殺を企図(未遂)したことさえあった。

 

「しかし、全国の渡海衆の一斉蜂起も合わせれば、その軍量は恐ろしきものとなることは容易に想像がつきまする。そして大老衆の内、権中納言殿と内府殿とが敵に回るとなれば、果たして、敵いまするや」

「中将がおるではないか」

と、秀門はこともなげに言い放つ。

「確かに、浅井殿の武勇が日ノ本随一であることはかの唐入りの際にも証明されております。しかし、の者もまた、渡海衆の一員であることに代わりはなく。果たして、信用足り得るでしょうか」

「叔父上は、分からぬのか?」

秀長の慎重な物言いに、秀門は呆れたように返す。

「あの男の忠義は本物だ。私には分かる。叔父上は余りにも権謀術数に長ける御父上の傍で政治に携わり過ぎたが故に、人を疑うことが身に染み付いているのだろう。私はかの丹佐秀吉とは血が繋がってはおらぬが、その薫陶を受けつつ、かの竹中重治の血をも分けし身なれば、常人にはあらぬ目も持つと自負しておる」

尊大だが、それだけに不思議な安心感を与える言葉のように、秀長は感じた。確かにこの男は、兄秀吉とはまた異なる。かの信長公の傍らで参謀を務めたという軍師・竹中重治の実子たる才能を、確かに受け継いでいるのかもしれない。

あるいはその竹中殿が、誰よりも近くで接することができたであろう、かの織田信長公そのものの何かをも。

ふと視線を向ければ、天海も満足そうな目で秀門を見つめていた。

「中将が我らにつかば、尼子も北条も我らに利ありと見て裏切るようなことはするまい。決して楽な戦いではないが、この一戦にて、豊臣の政権を盤石たるものとする。未来永劫、永久に続く政権とすべく、な」

秀門の言葉に、一同は揃って同意を示す。

 

賽は振られた。

かくして、天下二分の大乱が、間も無く幕を開ける。

 

 

1597年11月20日。

豊臣秀門が織田信雄の改易を命じたことに反発し、信雄が主君・秀門に対して挙兵。

ここに元々叛乱を企図していた大友・伊達などが与同し、総勢24万超の「叛乱軍」が生まれることとなった。

そして彼らは、さらなる助力を求めて各大名へと書状を飛ばす――。

 

「――此度の誘い、如何なるお積りで?」

長政の実弟にして彼の「懐刀」でもある浅井治政は、織田・大友派から届けられた書状を広げて眺める兄の背後から声をかけた。

長政がこの日ノ本で最も強く、そして最も「正しい」人間であると信じて疑わない治政は、いかなる返答が来ようともそれに従う腹積もりであった。

そして、長政の回答は、治政にとっても最も受け入れ易いものであった。

「無論、『拒絶』だ。我らが付き従うは豊臣であって、織田ではない」

「では――」

「ああ」

長政は手際よく戦支度を整えながら、弟に不敵な笑みを浮かべる。

「まだ泰平の世は遠くにあるようだ。だが――こういうやり方の方が、儂の性にはあっているのかもしれんな」

浅井長政が関白側に着くことを表明し、残る大老衆である尼子・北条も関白支持を明言。五大老中三大老が味方に着いたことで関白側の軍勢も敵方に等しい24万に達する。

まさに天下を二分する大乱と相成ったのである。

 

しかし、開戦と同時に、秀門方には思いも寄らぬアクシデントが舞い込む。

なんと、五大老の一角であり最も兵力を有していた山陰の尼子義久に、突然の死が訪れたのである。

嫡男が若くして病没しており、後を継いだのはわずか4歳の幼君。

この家督相続を巡り国内が大混乱に陥り、豊臣の内乱にかまけている場合ではなくなってしまったのである。

想定外の事態はさらに続く。

渡海衆の一員ではないはずの安房の大名・里見義重までもが反乱に加担し挙兵。

後背を突かれる形となってしまった北条もこれで足止めを喰らわされる結果となり、尼子・北条の二大老勢力の助力を失う形となったのである。

 

残るは幕府軍と秀門が雇用した傭兵団、そして浅井の軍の合計20万。

すでに秀門の座する大坂城は15万の兵で包囲されており、北方からは伊達の3万の兵が更なる後詰として近づいているような状況。

時間はない。直ちに大坂城解放のための「決戦」を仕掛ける必要があった。

 

「浅井殿」

戦場に赴く長政の背後から、声がかけられる。振り向くと、そこには豊臣の宰相の姿があった。

「此度は協力、誠に感謝致す。貴殿の増援が無くれば、我らの今の状況は有り得ぬのだから」

秀長は神妙な面持ちで続ける。

「唐入りでは大変な苦労を掛け、それに値する恩賞も与えられず・・・にも関わらず無私の心持ちで我らを助くること、正直申さば一度はその裏を疑うことさえあり申した」

「無理からぬことです」

長政は微笑を浮かべて応える。

「それだけ、太閤殿下より頂いた温情は計り知れぬということです。私は執念深く、受けた恨みはなかなか忘れぬれど、逆に戴いた恩も決して忘れぬ性質たちで御座います故」

「いずれにせよ、この豊臣家存亡に関わる一戦に勝利してこそ、我が恩を返し切れるというもの。必ずや、勝利を掴んで見せましょう」

「ーーああ。期待しておるぞ」

秀長を見送り、長政はいよいよ決戦の刻を迎える。本陣に向かうと、頼れる仲間たちの姿が待ち構えていた。

弟の治政

逞しき息子の秀政直政

そしてかつての武庫戦役以来、長政の親衛隊として無類の活躍を見せ続けている「尾張の猛牛」こと藤堂高虎

「ーー行くぞ、皆の者。此度は我ら浅井の、一世一代の大勝負となろう。勝てば永劫の栄光、敗ければ一族の族滅。まさに丁半の賭けの如き試みとなろうが、大変申し訳ないーー儂は今、正直、心が躍っておる」

主君の言葉に、家臣らは思わず吹き出した。

「結局の所、儂はこの戦国を愛しておった。戦場においてこの力を存分に振るい、命の遣り取りをすることにこそ、生き甲斐を感じておった。恐らくは、この場にいる多くの者もまた、同じように感じでいるだろう。何せ、こんな儂に付いてきてくれるような奴等なのだからな」

ハッハッハ、と高らかに笑う長政。家臣らもその表情を柔らかくしていく。

「ーーそんな時代も、間も無く終わる。一抹の寂しさも確かに有ろうが、しかしそれは望まれるべき時代であることもまた、確かだ。さあ、我ら、戦場にこそ輝き、生き甲斐を感じ得る者たちの、最後の宴を開きに行こうぞ。この命、華やかに輝かせ、永劫にその名を語り継がれるような闘いぶりを見せてみようぞ!!」

長政の言葉に、一同は大きく手を振り上げ、鬨の声を挙げる。

戦国の幕を閉じる最後の戦いが、今、開かれようとしていた。

 

 

「ーー浅井、長政」

その男は大坂城南の茶臼山に陣を構え、天王寺南門前から岡山に至るまでの平地に展開された自軍15万の兵と、南方より迫り来る20万の浅井・豊臣軍とを見渡していた。

「ーーかつての九州陣で我ら島津を完膚なきまでに打ち倒してくれたその男と、まさかこうして再び敵同士矛を交える時が来るとは、思いも寄らず」

「叛乱軍」総指揮官を任されていた義弘は不敵な笑みを浮かべている。

「このような機会を与えてくれた天に感謝せねばな。さあ、存分にやろうぞ、浅井長政よ。世の行く末など知ったことではない。我が弟の仇と、そして武人としての意地を掛け、この一戦、死に物狂いに興じ切ろうではないか!」

 

1598年5月18日。

世に言う天下分け目の大決戦、「天王寺口の戦い」が開幕する。

まさに、一進一退の攻防戦。途中より伊達軍の後詰めも合流し、数の上ではほぼ互角。それでも、武勇において優れる浅井・豊臣軍がやや優勢にて戦況は推移していた。

その差は、刻が進むごとに顕著になっていき、疲弊した敵軍に浅井豊臣の勇将たちが追い討ちをかけ、敵将を負傷させ戦線離脱を試みつつあった。

所詮は烏合の衆であった「叛乱軍」からは逃散兵が後をたたず、日が西に傾き始める頃には、その数はすでに1万をも切る程度にまで減少していた。

最終的に、伊達軍合わせて18万にも及んだ「叛乱軍」はその3分の1の兵を喪って撤退。対する20万の浅井豊臣軍もその4分の1の兵を喪うと言うことで、両者共に犠牲の大きい一戦となった。

とまれ、勝利は勝利である。あの絶望の朝鮮での戦いにおいて奇跡のような武功を遂げていた軍神・長政の存在があればこその勝利であり、これでその叛乱への意志を挫くことができていれば幸いなのだがーー

 

そんな風に思っていた長政のもとに、急を知らせる伝令が飛び込んでくる。

「ご、ご注進・・・城内にて、殿下の護衛を任されていたはずの稲葉典通が謀反ッ・・・・! 殿下の身柄を捕らえたとの由ーー」

 

 

結末

「ーー戦場にて正々堂々と決するでもなく、このような形で騙し討ちとは、何たる醜悪さよ。勇敢さの誉高い貴殿の祖父殿が知ったらどのように思うことか」

「何とでも言いなされ。殿下が内府様を改易に処すという悪行を為さなければ、我も畜生の如き所業を選ぶことはなかったものを。我ら稲葉家が忠誠を誓うは豊臣に非ず、織田にこそ有り。我の行いは一族の誉れであると確信しております」

フン、と秀門は鼻を鳴らす。

「そも命など初めから惜しくも何ともないが、ここで無駄死にしようと結末は変わらぬ。良いだろう、我は降伏致す。貴様らの好きなように要求するが良い」

 

かくして、まさかの総大将捕縛という一発逆転を果たした「叛乱軍」側が勝利。

織田・大友を中心とした彼らの要求に沿い、関白秀門は退位させられ、合わせてその叔父で参議の秀長も家督を若き息子に譲り隠居を迫られることに。

その他、天海や細川忠興といった旧来の奉行衆は殆どがいとまを出され、天王寺口での戦勝もあり秀門側についた諸大名の領地が削減されるなどの処置は取られなかったものの、秀吉が遺した統治体制は完全なる崩壊を迎えることとなる。

 

極め付けは、退位させられた秀門の後を、遺言で厳命されていた秀吉実子・鶴松ではなく、秀門の子の秀孝に継がされたこと。

当然ここには、豊臣の血を遺さず、秀長ら旧勢力の影響を完全に消し去ろうとする大友や織田の思惑が存在していたが、これを遺言違反であると異を唱えられる者も政権には残っていなかった。

豊臣政権は完全に、叛乱勢力の傀儡となり果てたのである。

 

 

そして、3ヶ月後の8月16日。

太閤となっていた豊臣秀門が、「不審な死」を迎える。

元々大友らの勢力によってほぼ軟禁状態にあった秀門が、復権を狙って秀長らと連絡を取ろうと画策していた中だったと聞くが、真相は闇の中である。

 

これが、この世界における戦国時代の結末となるのか?

 

 

ーーいや、そんなこと、この男が赦すわけがない。

 

「最後の戦い」は、まだ残されているようだ。

 

次回、最終回。

泰平乃世」編へと続く。

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クルキ・タリナ(1066-1194):フィンランドの一部族「クルキ家」の物語。

四国の狗鷲(1568-1602):Shogunateプレイ第5弾。1568年信長上洛シナリオで、のちの四国の大名・長宗我部元親でプレイ。四国の統一、そしてその先にある信長との対決の行方は。

アル=マンスールの一族(1066-1141):後ウマイヤ朝崩壊後、タイファ時代と呼ばれる戦国時代に突入したイベリア半島で、「バダホスのアル=マンスール」と呼ばれた男の末裔たちが半島の統一を目指して戦いを始める。

北条高広の野望β ~上杉謙信を3度裏切った男~北条高広の野望β ~上杉謙信を3度裏切った男~(1567-1585):Shogunate Beta版プレイ。単発。

明智光秀の再演(1572-1609):Shogunateプレイ第4弾。信長包囲網シナリオで、坂本城主・明智光秀でプレイ。その策謀の力でもって信長と共に天下の統一を目指すはずが、想像もしていなかった展開の連続で、運命は大きく変化していく。

江戸城の主(1455-1549):Shogunateプレイ第3弾。「享徳の乱」シナリオで関東の雄者太田道灌を中心とし、室町時代末期から戦国時代中期までを駆け巡る。

正義と勇気の信仰(867-897):アッバース朝末期の中東。台頭するペルシア勢力や暗躍する遊牧民たちとの混乱の狭間に、異質なる「ザイド教団」とその指導者ハサンが、恐るべき大望を秘め動き出す。

織田信雄の逆襲(1582-1627):Shogunateプレイ第2弾。本能寺の変直後、分裂する織田家を纏め上げ、父の果たせなかった野望の実現に向け、「暗愚」と称された織田信雄が立ち上がる。

「きつね」の一族の物語(1066-1226):ドイツ東部シュプレーヴァルトに位置する「きつね」の紋章を特徴とした一族、ルナール家。数多もの悲劇を重ねながら七代に渡りその家名を永遠のものとするまでの大河ストーリー。

平家の末裔 in 南北朝時代(1335-1443):Shogunateプレイ第1弾。南北朝時代の越後国に密かに生き残っていた「平家の末裔」による、その復興のための戦い。

イングランドを継ぐもの(1066-1153):ウィリアム・コンクェスト後のイングランド。復讐を誓うノーサンブリア公の戦いが始まる。

モサラベの王国(867-955):9世紀イベリア半島。キリスト教勢力とイスラーム勢力の狭間に息づいていた「モサラベ」の小国が半島の融和を目指して戦う。

ゾーグバディット朝史(1066-1149):北アフリカのベルベル人遊牧民スタートで、東地中海を支配する大帝国になるまで。