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【CK3】異聞戦国伝・捌 天正乙酉の大乱編(1585-1586)

 

1576年の織田信長の死後、征夷大将軍の座は存命の次男・織田信雄の手に渡った。

まだ若年の信雄を支えるのは、信長時代からの重臣で各方面軍を担当していた丹佐秀吉佐々成政丹羽長秀浅井久政の「織田四天王」。

しかし1578年には久政が謀反の末に敗れ、処刑。1581年には長秀が死去し、残った実力者は秀吉と成政の二人だけとなった。

さらに秀吉は三好の残党を駆逐すべく、淡路、四国と順調にこれを征伐。

四国の地も丸ごと手に入れ、織田家内の実力としては随一のものとなりつつあった。

これに危機感を覚えていた成政、そして信雄の同年の弟としてその権力を得られずにいることに不満を持っていた織田信孝が中心となり、新たな戦乱の火種が燻り始めていた1585年。

 

織田家は、そして丹佐秀吉は、大きな運命の岐路に立たされようとしていた。

 

 

目次

 

※ゲーム上の兵数を10倍にした数を物語上の兵数として表記しております(より史実に近づけるため)。

 

Ver.1.12.5(Scythe)

Shogunate Ver.0.8.5.6(雲隠)

使用DLC

  • The Northern Lords
  • The Royal Court
  • The Fate of Iberia
  • Firends and Foes
  • Tours and Tournaments
  • Wards and Wardens
  • Legacy of Perisia
  • Legends of the Dead

使用MOD

 

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宣戦布告

1585年夏。

出雲国・月山富田城

この地を訪れていた丹佐たんざ秀吉は、古くからの織田家との同盟国であり、中国地方を毛利家と二分して相争う尼子家の当主・尼子義久と面会していた。

「――これはこれは、遠方よりわざわざお越し頂き、忝い」

「いや何、貴殿も毛利との境目争いがいつ何時起こるかも知れず、そう領国を留守にもできまい。お気遣い不要ですぞ」

信長と盟友関係を結んでいた義久の父、晴久は10年以上前に既に亡く、新たな当主となった義久に秀吉は妹のを嫁がせ、新たに個人的な同盟関係を結ぶことに成功していた。

義久にとっては毛利との挟撃を未然に防ぎ、かつやがて来るであろう毛利との決戦の際の心強い軍事同盟相手として、勢力伸長する秀吉の存在は重要であった。

そしてまた、秀吉にとっても――。

「何せ、此度足を運んだのは他でもない、義久殿の御力をお貸し頂きたく考えてのことですので」

「ほう」秀吉の言葉に、義久は不敵な笑みを浮かべる。

「・・・ついに、織田家も割れるか。七年前の浅井の謀反はすぐさま鎮圧されたが、今回はそれ以上のものになると」

「ええ。仔細は申せぬが、間もなく大乱が巻き起こりまする」

秀吉は声を潜め、義久を見据える。

「御心配なさらずとも、御嫡男の奥方の実家たる信房殿はすでに我々の側につくことが決まっております」

「そして何より、我々は他のどの勢力よりも、貴殿の御味方であり続けます。今後の中国の安定、そして日ノ本の静謐が為に最善の道を取ることをお約束します。どうか、お力をお貸しくだされ」

秀吉の言葉に、義久は迷いなく頷く。将軍と言えど、いまだこの日ノ本の半分も支配しえていない織田家への忠誠など、義久にあるはずもなかった。

すべては自身の利益のため――そしてそれを最も尊重するのがこの丹佐という御仁であることを、彼は十分に理解していた。

こうして、秀吉は後背を守り、重要な戦力となる強大な同盟を確保することに成功した。

あとは、その瞬間を待つだけ――。

 

そしてそれは、間もなくして訪れる。

 

1585年7月29日。

北陸方面軍総司令官にして、信長の尾張時代からの重臣であった佐々内蔵助成政が、将軍・織田信雄の弟たる織田信孝、その叔父たる織田信広、さらには氏家直昌高山重友といった複数の織田重臣たちと共に一斉に蜂起。

その軍勢、およそ6万超。信孝という正当性も手に入れた反乱軍の勢いはかつての浅井による謀反の時よりも遥かに大きく、まさに織田家を二分する大内乱となったのである。

当然、信雄からは秀吉に向けて、挙兵の催促が届けられる。同時に信孝の側からも、呼応することを期待する書状が連日届けられることに。

だが、いずれの誘いにも、秀吉は静観を決め込んだ。彼は状況の推移を見守りながら――やがて、12月23日。

彼は、主君の側につくでも、謀反の側につくでもない、「第3の選択肢」を選び取ることとなったのである。

 

即ち、この幕府=織田家の混乱を治め、真に天下を統治し得る存在が何者なのかということの証明を叩きつけるべく――

丹佐秀吉は、主君にして征夷大将軍、織田信雄に宣戦布告を果たしたのである。

 

 

鮟鱇の計

「――意味が分からん」

畿内にて暴れ回る佐々・信孝軍を討伐すべく北近江にまで兵を出していた将軍・織田信雄は、憤懣やる方なしという様子で吐き捨てる。

「信孝が反旗を翻すのは理解できる。佐々もまた、奴に唆されたとしても納得はできぬが意味は分かる。しかし、丹佐だと・・・? あれほど好き勝手にやらせてきて、あらゆるものを与えてやったというのに・・・外道めが!」

「――落ち着かれよ、主計殿」

信雄の背後から、冷静な声を掛けたのは武田義信。9年前に没した武田信玄の嫡男として、その後を継いだ現武田家当主である。

「確かに丹佐の行動は人道に悖る行い。一方でいつかは明らかになったであろうその野心が、この機会にて詳らかになったのは幸いと言えること」

義信はにこりと笑う。かつて織田家の同盟でありながら信長包囲網の一角としてその背を突き、その後も信長死後の混乱に乗じ織田の同盟相手であった越後の新発田氏を滅ぼして領土を拡張するなど、常に敵対的であった織田家最大の脅威にして宿敵、武田家。

しかしその武田家も信玄を喪って後の混乱と東の北条の脅威に対抗すべく、改めて織田家との婚姻関係と同盟関係の締結に動いていたのである。

「――義信殿は随分と落ち着いておられるな。貴殿がそこまで胆力のある御仁だとは、思いもよらなかったが」

信雄の言葉に、義信は微笑で応える。信玄死後、数多もの国内の混乱に立ち向かい、ときに父の死を招いた首謀者と疑われることもありながらも、これら全てを捩じ伏せ、あまりにも巨大過ぎる武田家を崩壊させることもなくここまで保ち続けてきたその実力は、対外的な拡張という派手な実績はないながら、ある意味で信玄以上の傑物と言われる所以でもあった。

「すでに丹佐軍は淀川を上り、京の各地を制圧しつつあるとの由」

「とまれ、京はここから程近い。我々でもって速やかにこれを鎮圧して参りましょう。主計殿は佐々軍を牽制しつつゆっくりと追いかけてきてくだされ」

「う、うむ――」

義信の言葉と静かな迫力に、信雄はやや気圧されながらも頷く。

「・・・貴殿に任せるぞ、義信殿」

信雄の軍に見送られながら、義信は自らの軍勢を率いて京へと向かう。

あの岩村城の戦いに、義信も参加していた。

当時戦国最強と謳われていた武田軍が、真正面からの対決で敗北を喫したあの屈辱。

その後も積極的に領土を拡張し、領国の繁栄においてあの敗戦がもたらす影響はほぼ皆無と言えたが、それでも武田家中の武士たちにとって、それは決して拭いきれぬ影の如きトラウマであった。

今でこそ、織田宗家とは同盟関係にあるものの、その織田家において実質的に最強といえる丹佐の軍を相手取る好機チャンスが巡ってきたのだ。

――この戦いに勝利し、武田としての誇りを取り戻す。そしてその時こそ、我が本当の意味で父を超えたというべき瞬間となるのだ。

強い決意を胸に、義信は決戦の地へと向かう。

 

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1586年3月25日深夜。

武田軍5万は夜の山道にも関わらず統制の取れた動きで小関峠を越え、京都に侵入する。

数時間前に武田軍の接近を察知していた丹佐軍は慌てて撤退の動きを見せていたものの間に合わず、撤退するその背後を武田軍が容赦無く襲いかかっていく。

結果として1万以上の犠牲を出し、丹佐軍は敗退。武田軍は勝鬨を挙げ、全軍でこの勝利を喜んだという。

そしてこの報せを受け取った織田信雄も、負けじ劣らじの喜色を浮かべ、勢いづく。

「流石だな義信殿! 我も行くぞ! 京を焼かれた意趣返しに摂津を略奪し、我が手に返して貰うぞッ!」

逃げる丹佐軍を追う形で信雄の軍は淀川を南下。摂津にまでその兵を進めさせた。

「殿、武田より書状が。河内方面より信孝軍が北上する構えを見せた故、この撃退に向かうと。殿については大坂にて陣を構え、突出することなきよう留まれたし、とのこと」

側近に渡された書状を開き、しばし読み進めていた信雄。しかし何やら難しい表情をしたかと思えばすぐさまそれを丸め、投げ捨てる。

「何を莫迦なことを。先の敗走で混乱し、疲弊している今こそ奴らを叩くべきときだ! 我々の力を見せつけ、謀反を起こしたことを後悔させることで、必要以上の血を流すことなく降伏もするであろう。義信殿には心配無用と伝えておけ!」

そう言うと信雄は自らの軍を率いてさらに摂津の奥深くへと進んでいった。

だが、これは秀吉の罠であった。

「元より信雄・武田の両軍を同時に相手取るのは無理がある。必要なのは各個撃破。そして、一度の戦いで完膚なきまでに壊滅させる勝ち方だ。

 そのためには懐にまで入り込ませる必要がある。あの信雄うつけの行動原理を考えれば、一回敗けた振りをすれば簡単にそれも叶うというのは明白であった」

秀吉はその瞬間に向けてせわしなく動き回る諸将らを見やりながら、得意気に解説する。

「いわば、鮟鱇あんこうの計、とでも言おうか。お前の父のように鮮やかではないが、少しは近づけたかもしれぬな」

そう言って秀吉が視線を向けたのは、彼の傍らを歩いていた若者。丹佐秀門と名乗るその青年は、元は信長の参謀役であった竹中重治の嫡男。

友人でもあった重治死後、まだ幼き彼を、実子に恵まれなかった秀吉は自らの養子とし、元の重門という名を秀門に改め、自身の後継者として養育してきたのである。

実父に似て才気を放つ彼を秀吉も大いに気に入り、今回も戦場に引き連れ、自身の戦略戦術を間近で見せることに余念がなかった。

「なるほど、見事で御座います、御父上。後は引き寄せた敵を狙い通り全滅させることが肝要ですが・・・相手は織田宗家で御座います。歴戦の強者たちが溢れている中で、それだけの戦果を果たして出せるのでしょうか」

「分かっておる。だからこそ、ここまで時間をかけて兵を集めてきた。長政、吉太、三好との戦いの中で捕らえ味方につけた島左近という男。さらには尼子にも『山陰の麒麟児』と呼ばれる豪傑がいると聞く。これらの勇者たちを結集せば、織田の精兵たちもその刀を折るであろう。

 ――さあ、来たぞ」

秀吉の言葉通り、遠くから兵士たちの迫る地響きのような音が聞こえてくる。「敗走」する丹佐軍を追って武庫の地にまで辿り着いた信雄軍は、遠征の飢えを癒すかのようにその地を略奪して回っていたが、そこに明石方面から丹佐軍が迫ると同時に、山の向こうからは尼子軍5万弱も迫ってきていた。

信雄軍に逃げる暇などなかった。

「仕えるべき主君を見誤ったか? ――いや、苦境こそ、我が栄達の糧。我が名をこの戦いにて再び輝かせん!」

『尾張の猛牛』と呼ばれた藤堂平八郎高虎が巨大な槍を振り回し、果敢にも敵軍の只中に突っ込んでいく。その先にいたのは丹佐軍――いや、日ノ本最強の男。

「ほう――その意気や良し。儂自ら相手してやろうッ!」

熊のような巨体で飛び掛かる高虎を、さらに一回り大きな巨漢にて迎え撃つ長政。両雄の激突は周りも手出しできないほどに迫力に満ちたものであったが、やがて衝撃で得物を取りこぼした高虎が追い詰められ、長政の刀の切っ先が高虎に眼前に差し出された。

「――その武才、殺すには勿体ないな」

長政はそう言うと、刀を腰に戻す。

「どうだ、猛獣の如き男よ。その命、儂に預けてはみんか?」

長政の誘いに、高虎は暫し迷う素振りを見せた後に、頷いた。

 

そして、決着がつく。わずか三辰刻程の戦いであったという。

 

この報せを、義信は河内国若江郡にて八尾城を包囲中に受け取った。

「――そうか」

信雄の愚行をなじるでもなく、義信は冷静にこれを飲み込み、そして下知を発した。

「総員、直ちに信濃へ撤退せよ。このまま会戦したとて、我々に勝ち目はない」

「――またも、我々は戦い尽くすことなく逃げ帰るというのか」

義信の指示に、弟の勝頼が抗議する。

「かつて同盟を裏切り織田の背を突き、此度また結んだ同盟を、こちらの都合で切り捨てる――武田の名誉は、ひたすらに穢れていく一方だ」

義信は勝頼をじっと見つめる。彼の言うことも尤もであるし、それが家中の総意であることも理解していた。そして何よりも、義信自身が同じ悔しい思いを抱いていた。

だからこそ、義信は冷静な判断を下す必要があった。この武田を守り抜くこと。そのために必要な正しき判断を。

「我が指示に変更はない。総員、信濃へ向けて撤退せよ。これ以上の犠牲、敗戦、蛮勇は認めぬ」

義信の再度の言葉に、勝頼も含め抵抗する者はそれ以上現れず、武田の軍は統制の取れた形で撤退していく。

 

これを受けて、すでに自軍を壊滅させられている織田信雄も、敗北を認めざるを得なかった。

1586年6月11日。伏見で開かれた秀吉との会談にて、信雄は秀吉に臣下の礼を取ることを認め、ここにおいて丹佐秀吉による下剋上が完遂する。

 

1586年8月29日。

織田信孝が抵抗を続けていた河内国飯盛山城が陥落。その身柄を確保する。

翌月2日にはそのまま秀吉によって切腹を命じられ、彼は簒奪者・秀吉とこれに降った兄・信雄に対する怨嗟を漏らしながら腹を割り、中の臓物を床の間の掛け軸に投げつける壮絶な最期を遂げたという。


同年10月。丹後国まで逃げ延びていた佐々成政を追い詰め、これを撃破。

成政は秀吉の前に髪と髭とを剃り上げた姿で現れ、服従の意志を示すこととなった。

 

これで、1585年から続く一連の騒乱は終わりを告げ、新たな天下人として丹佐の名が日ノ本に翻ることとなった。

 

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「ーーこの度は、無事織田家乗っ取り成し遂げられましたこと、祝着至極に存じ奉ります」

大坂城の一室に招かれた天台宗の僧は、相変わらず不敵な笑みを浮かべながら恭しく頭を下げる。

「して、いかがですかな。かつての主君と同じ立場に座られた、現在の御心待ちは」

「正直、まだ実感が湧かぬ」

秀吉は僧の言葉を特に訂正するでもなく、素直にその心を打ち明けていく。

「ここまでずっと、必要と思えることを、確信をもってやってきたつもりであった。それはこの下賤な身の上から自分を虐げてきたような奴らを見下し、上に立ってやろうとする思いであったり、自分がやらなければ誰かに自分がやられてしまう、そんな危機意識から確信的に選択してきたつもりであった」

秀吉は目の前の男を見ながら、一方でその向こうにある何か別のものを見据えているかのような目つきで言葉を続ける。

「ーーだが、ここにきて、そんな確信が揺らぎつつある。本当に儂は、自分で自分の意思で選択し、実行してきたのだろうか。それよりも、もっと大きな何かに急かされ、誘導されてきたのではないか、とーー」

「それが天下人、というものです」

秀吉の言葉を、僧は微笑を浮かべながら引き継ぐ。

「天下人とは、常人とはあらゆる意味で異なります。それは決して個人の欲望がためだけに生きる存在ではなく、その名の如し天下万民の意思と願いと欲望とを引き受け、これを体現する存在にて」

自身の居城に招いているにも関わらず、秀吉はひどく居心地の悪さを感じ始めていた。そして南禅寺のときのように、この場からあらゆる音が消えてしまったように感じられていた。

「並大抵のものは、これに耐えられずやがて自滅していきます。かつての三好長慶はそうしてその政権をわずかな期間で失うこととなりました。織田信長は、これを受け入れる力がありながらも、最後には彼自身の自我と欲望との相克において自我を選び、天下人たることを捨てました」

天海の最後の言葉に、秀吉は目を見開いた。天海は笑みを深くし、秀吉を覗き込むようにして上体を近づけた。

「秀吉殿は、いかなる道を選ぶか。

 人間として、自我を突き詰める道を選ぶか、それとも神となってーー天下を一統する道を選ぶか」

秀吉は暫し、沈黙する。

三好、信長の辿った運命。

そして自らのこれまでの人生と、目の前に横たわる、未来への道。

悠久にも感じる時を経た後、秀吉は静かに目を開け、天海を真っ直ぐに見据えた。

「儂は、神にも・・・天下の一統にも・・・ましてや万民の幸福などにも・・・さして興味はない。

 ただ・・・そうーー信長を、超ゆることのみ、儂は追い求めてきたのだ。

 信長が為し得なかったこの先の道――それが天下人たる、ということであれば、儂はそのみちを突き進もうではないか」

秀吉の言葉に、天海は笑う。

「良いでしょう。さすれば私も、そのお助けを最後まで差し上げたく存じます」

 

天下人、丹佐秀吉。

その、天下統一に向けての最後の戦いが幕を開ける。

 

次回、第玖話。

天下統一」編へと続く。

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