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【Victoria3プレイレポート/AAR】永遠の大韓帝国 第2回 閔氏の専横と開化派の反撃(1870年~1898年)

 

1834年に即位する第24代朝鮮王・憲宗(ホンジョン)の時代は、史実においては彼の外戚である安東金(アンドンキム)氏が政権を壟断する勢道政治の時代を迎えており、国内外の混乱に対して何もできぬまま23歳で没するという暗黒の時代であるはずだった。

 

しかしこの世界では運命は大きく変わる。1849年に23歳を迎えた憲宗は生来の病弱さを失い堂々とした男に成長しており、政治に対しても積極的な姿勢を見せることとなった。

彼は改革派の王族・李是応(イ・ハウン)*1と手を組み、安東金氏の政権からの追放、及び議政府の復活党派門閥を問わない人材の登用土地改革(「農奴制」の廃止)、汚職の撲滅(「伝統主義」法の改正)、両班への課税(「人頭課税」法の制定)など、数多くの改革を重ねていった。

憲宗と李是応が党派門閥を問わない人材の登用の例として領議政(首相)に任命したのがこの実業家出身の男文相璜(ムン・サンファン)。旧来の思考に囚われない自由な発想で次々と改革を進めていった。

 

これらの改革の結果、朝鮮は奇跡的な経済成長を遂げ、1868年末には世界7位のGDPを記録するほどに。

このまま、繁栄は永遠のものとなるかと、思われていたが・・・

 

1868年、日本が海の向こうの大国によって領土を切り取られたのを皮切りに、東アジアに「危機の時代」が訪れる。

1869年3月には清で大規模な農民反乱が勃発。

同年10月には改革に反対する両班たちが安東金氏の金龔を首謀者として武装蜂起(己巳事変)。

この2つの反乱は、主に清の優秀な漢人将軍たちの活躍で何とか鎮圧に成功するも、その軍部の中心人物であった聶王(ニー・ワン)が皇帝留守の紫禁城を襲撃し、清朝の終焉と五族共和による中華民国の建国を宣言する(庚午革命)。

中国各地の軍閥もそれぞれ独立を宣言し、中国は一気に離散状態に。

この影響はこれまで清の巨大な市場の恩恵を受けてきた朝鮮経済に大きな影響を与え、GDPは6分の1に縮小。各工場は原料不足により操業停止を余儀なくされ、町中には失業者で溢れかえることとなった。

まさに「危機の時代」を迎えることとなった朝鮮国。

果たして憲宗はこの危機を乗り越え、再び朝鮮を栄光の大国へと成長させることができるのだろうか。

 

Ver.1.3.3(Thé à la menthe)

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~ゲームルール~

  • 「プレイヤーに対するAI挙動」設定は「無情」
  • 「AIの敵対行為」は「高い」

 

目次

 

第1回はこちらから

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これまでのプレイレポートはこちらから

革命と改革のメヒコ100年史:新DLC「Voice of the people」で遊ぶメキシコ編

虹の旗の下で 喜望峰百年物語ケープ植民地編。完全「物語」形式

パクス・ネーエルランディカ:オランダで「大蘭帝国」成立を目指す

1.2オープンベータ「ロシア」テストプレイ

MOD『出版産業の興隆』で遊ぶ大英帝国RP重視プレイ

強AI設定で遊ぶプロイセンプレイ:AI経済強化MOD「Abeeld's Revision of AI」導入&「プレイヤーへのAIの態度」を「無情」、「AIの好戦性」を「高い」に設定

大インドネシア帝国の夢

大地主経済:ロシア「農奴制」「土地ベース課税」縛り

金の国 教皇領非戦経済:「人頭課税」「戦争による拡張なし」縛り

コンゴを自由にする

アメリカ「経済的支配」目標プレイレポート

初見スウェーデンプレイ雑感レポート

 

Crusader Kings Ⅲ、Europe Universalis Ⅳのプレイレポートも書いております!

 

アンケートを作りました! 今後の方向性を決める上でも、お気に入りのシリーズへの投票や感想などぜひお願いします!

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閔左根の改革

1870年9月2日。

宗主国であった清の崩壊に伴い危機を迎えた朝鮮経済。この立て直しのため、領議政の喬李(キョ・イ)*2は各施設の製法の変更(ダウングレード)、必要資源の輸入などを進めて対応しようとするも、かつての生産性の高さにまでは戻すこともできず、さらに財政立て直しのための一時的な処置として認めさせていた各種増税も解除される見込みもないことから、国内では政府に対する不満が頂点に達しようとしていた。

清崩壊直後から多少は立て直してはいるものの、全くかつての水準にまで戻る気配はない。

製法をダウングレードするも資源の供給と商品の需要は共に伸びず、生産性は非常に低い状態となっている。

税率は最大。消費税も付けられるだけつけてはいるものの、それでも財政は赤字を叩き出し続けている。

結果、急進派の数が凄まじいことに。各州における社会不安も高まりを見せており、再び内乱が起こったとしても何も不思議ではない状態に。

 

1873年3月。

この状況を受けて、憲宗は喬李を罷免。

新たな領議政として、自身の妻・閔妃*3の義兄である閔左根を任命し、改革を命じた。

かつて憲宗らが追い落としをかけていた両班階級出身ではあるものの、すでにその中の守旧派は先の内戦で撲滅しており、「市場自由主義者」であるこの閔左根とその一派も、両班の中では改革派として知られていた。

 

筋金入りの事大派でもある閔左根は、兼ねてから独立を主張していた喬李ら開化派を批判しており、今回の経済再建失敗もまた、彼らを批判し自派を擁護する絶好の材料となっていた。

もちろん、彼ら事大派が宗主国として仰いでいた清はもはや存在しない。そこで彼らが次に目をつけたのは北方の大国ロシアである。

東アジアに影響を及ぼそうと食指を伸ばしてきているオーストリアフランスなどの欧米列強への牽制の意味も込めて、彼らは新たな事大先として列強3位ロシアとの接近を図ったのである。

列強2位オーストリア帝国、そして列強4位フランス帝国*4も、先の日本侵略を断行したアメリカ主権連合国に続き東アジアの日本、中国、そして朝鮮へとその帝国主義的まなざしを向けようとしていた。

 

そして同年5月。

交渉の末、ついにロシア帝国は朝鮮をその関税同盟の枠内に収めることを承諾(露朝修好通商条約)。

清の人口と比べるとどうしても見劣りはするが、それでも資源も需要も再び豊富に供給されたことによって各種工場の生産性が回復し始める。

1位のイギリス市場とは大きく水を開けられているが、それでもロシア市場は世界2位の規模を誇っている。

ロシア市場の状況。資源などは全体的に不足気味のようだが、高級衣類・家具の需要が清のときほどでないことは割と痛手である。あと、硫黄がないのも残念。

 

改革開始から3年後の1876年には3,310万ポンドと、清帝国傘下のときの水準にまではまだ達していないものの、順調に経済回復が進んでいることが窺えた。

税率も下げ、消費税も縮小。国民の生活水準も随分回復しつつある。

 

内政が安定してきたこともあり、元々内戦前に計画していたものの一時延期していた選挙制度の導入を実現。

1875年7月に行われた第1回選挙では、農民の支持を集める農業党が勝利するも、閔左根の属する自由貿易儒家たちを支持基盤とする保守党とが手を組み連立政権を形成。閔左根は引き続き自身が領議政を務めることを憲宗王に要求した。

これが最も正当性を稼げる組み合わせである。

 

改革の成功が紛れもなく閔の手柄である以上、その要求を憲宗も李是応も拒否することはできず、なし崩し的に承認。

権力を確保した閔左根はさらに専横を極め、自身の一族の要職への登用など、かつての安東金氏らが行った勢道政治への回帰かと思えるような動きを見せていった。

憲宗と閔妃との間の子・李坧(イ・チョク)は当然王世子(次期国王)として認められており、「国王の母」として閔一族がさらなる権力基盤を手に入れることも約束されていた。なお、ランダム生成にも関わらず史実の閔妃の子と同名の子が産まれたのはびっくり。

 

もちろん、憲宗も李是応も、この状況は決して面白くはなかった。

とは言え、経済回復の功労者であり、国民の人気も高まりつつある閔左根をすぐさま引き下ろすことは不可能に近く、彼らはただ「機会」を待つほかなかった。

そしてその「機会」は、7年後に訪れることとなる。

 

 

開化派の反撃

1883年2月。

閔左根による改革が始まって10年。

その間に国内の産業化はさらに進展。国内には縦横無尽に鉄道が走り、関北や両西で採掘された石炭や鉄や鉛を乗せて清津の港からロシアのオホーツク港へと運ばれていく。それはさらにシベリア鉄道を通ってモスクワやサンクトペテルブルクへと運ばれるのだろう。

鉄道は旅客用としても重宝され、ロシア人の富豪が観光としてよく訪れるようになり、都市部でも更なる増設が求められている。

閔左近は繁栄するこの鉄道の国有化も進め、莫大な収入を得ることに成功していた。

国庫収入22万6千ポンド/週(年間1,085万ポンド)のうちの実に4分の1以上の割合をこの鉄道からの収入が占めている。もはや、国有化を解除することができないほどに依存している。

 

その富がさらに開発に使われ、1883年時点では清の傘下に留まっていた頃を越える世界6位のGDPにまで成長していた。

 

だが、そんな閔の政策は彼にとって裏目に働くことにもなる。

 

国有化された鉄道は(閔の所属する自由貿易党の主な支持基盤である)資本家ではなく、公務員たちによって運営される。

憲宗と李是応の改革によって近代化され科挙試験を通し、西洋の技術文化知識を身につけた若き公務員たちは、新進気鋭の「知識人層」を形成し、影響力を増しつつあった。

課税キャパシティを賄うためにこれも数多く建設している行政府でも多くの公務員が採用されており、その政治力は着実に増しつつあった。

 

さらに先の内乱以降、新たな兵曹判書として登用されていた洪栄(ホン・ギョン)*5もまた、欧米の思想を取り入れるにつれ、より広い自由と民主主義とを求める思想へと変わりつつあった。

内乱時代に先頭に立って反乱軍を打ち倒し、その武功を認められて兵曹判書に任命された。その思想は先進的すぎるもので、その内心では王政の廃止すら秘めているものでもあった。

 

彼の影響を受けた軍部の多数派が、知識人層が支持していた開化派の「自由党(チャユダン)」に合流。

1883年選挙に向けてその勢力は拡大し、第一党を狙えるほどの規模に達していた。

閔左根は自身の自由貿易党を支援すべく資金提供を行うも、それでも得票率予想では届かない。

自由党が公約として書院の整理を掲げており、儒学者たちの利権を大幅に減滅させようとしていたことから、儒学者を支持基盤とする保守党は強硬に自由党への反対キャンペーンを展開。

しかしそれが暴力的なものへと変わっていく中で、逆に民衆の支持を失う結果ともなっていた。

そして1883年7月21日。第3回選挙の結果、自由党が第一党として勝利。

閔左根は自由党党首・鍾曹(チョン・チョ)に接近し、彼らの意向を大幅に政策に取り入れることを約束する代わりに、自由貿易党も連立政権として残り、領議政の座も閔に残すことを求めた。

鍾曹も国を二分する内乱になることを避けるため、閔左根の要望を呑み、連立政権を形成。引き続き閔左根が領議政となることも認めた。

閔は自由党と対立する保守党を切り、政権から追放した。自由党と同盟を結べた以上、彼らは用済みであった。

自由党・党首の鍾曹(チョン・チョ)。戦国時代の宋の桓公に由来する由緒正しい家柄の男であったが、李是応と繋がりを持ち、その革新的な思想を継承し、開化派の頭領として若手の知識人たちをまとめ上げていった。

 

そして約束通り、自由党の求める政策の1つである「信条の自由」を制定。全国に800ある書院を47にまで絞り込みすべて廃止し、その特権の多くを剥奪した。

腐敗した書院と儒家利権の解体は、彼らの搾取に苦しんでいた民衆にとって自由党を支持する大きな理由となった。

忘れがちだが「市街地」「行政府」「大学」の「世俗主義」製法をすべて「非宗教的~」に変更する。これで聖職者の仕事を奪い事務員や学者の仕事を増やすことで、聖職者の影響力を下げ知識人の影響力を上げることができる。

儒学者たちの指導者である神宗尹は猛反発するも、彼らの腐敗はもはや国民の我慢の限界を超えており、「大衆の敵」となっていた。

 

さらに書院に代わる教育機関として各地で知識人たちによる私塾を開かせ、国全体の識字率の向上にも努めていく。

そして現在の検閲制度を廃止して集会の権利を保障する法律の制定も公約にしたことで、1887年の選挙では全体の半分近い議席を獲得するほどの圧勝を収めるに至った。

さすがの閔左根も危機感を覚えていた。

そして儒学者の特権廃止はともかく、検閲権すら奪おうとする自由党の横暴に対し、何ら抵抗もできない閔に対する支持基盤の両班層からの突き上げも激しく、彼の政治生命も風前の灯となっていた。

 

とはいえ、実力行使に出るのはなかなか難しい。この自由党の背後に、憲宗王と李是応が控えているのは間違いがなかった。ここで武力に訴えるような真似に出れば、彼らが閔たちを国賊と指定し、鎮圧にかかることだろう。かつての安東金氏のように。

 

よって、彼が選んだのは「賄賂」による「買収」であった。

先だって集会の権利のための演説を打っていた開化派の施亨九(シ・ヒョング)を賄賂で自陣営に引き入れた上で、次の選挙に向けての買収を指示していった。

朝鮮生まれの扇動者・施亨九(シ・ヒョング)。元々は開化派に所属していた経歴を活かし、自由党支持の実業家たちに近づき、「袖の下」を渡していった。


だが、それは李是応の狙い通りであった。

彼は内通者を通じてこの賄賂の証拠を収集し、然るべきタイミングで暴露した。

これで、閔左根の政治生命は終わった。罪に問われた彼はただちに拘束され、政界からの追放が決定された。

この事件の影響もあり、直後の1891年選挙では自由貿易党がさらに後退。自由党は単独で過半数議席を獲得し、ついに単独での政権獲得と相成った。


思えば、憲宗王のその治世は、常に勢道政治との戦いであった。

祖母の安東金氏の専横を打倒し、次いで経済的混乱の中で頭角を現した妻の閔氏一族による支配も覆した。

彼は一人の君主であると共に、この朝鮮という国を国民のための国家、国民が幸福になるための国家として、育て上げる責任を感じ続けてきた。

 

おれは、その責任を果たせただろうか。

名君・世宗や曾祖父の正祖に劣らぬだけの実績を、果たして出せたと言えるだろうか。

50年以上に及ぶ、歴代の李氏朝鮮王で最長の治世を振り返りながら、彼はこの国の未来が希望に満ちていることを強く望んでいた。

 

 

そして7年後の1898年6月12日。

憲宗こと李烉(イ・ファン)は70年の長い人生と62年の長い治世を終え、永遠の眠りへと就いた。

 

後を継いだのは予定通り閔妃との間の子、李坧(イ・チョク)。朝鮮国第25代王としては「純宗(スンジョン)」を名乗った彼は、閔氏政権末期に分断された開化派と事大派との間を取り持つ役として期待されていた。

しかし、憲宗と共に幾多もの苦難を乗り越えながら改革を進めてきた盟友・李是応も同年2月に旅立っており、1895年選挙では労働者を中心とする新たな勢力である社会民主党が勢力を伸ばしつつあるなど、政治を巡る状況は決して明るい見通しばかりではなかった。

その中で、新時代の中心人物となろうとする男の姿も――。

 

いずれにせよ、それはあくまでも「これからの時代」の話。

まずは、憲宗がこの60年で成し遂げたもの、この「朝鮮国」の1898年の姿を見ていこう。

 

 

1898年の朝鮮国

まずはGDP

閔政権が終わってからも開化派の指導の下、積極的な投資は継続しGDPは右肩上がり。1898年時点では1億2,800万ポンドで世界第3位のGDPを誇るほどとなった。

並み居る列強たちを押しのけて、世界3位のGDP。威信ランキングでも実質8位の数値である。生活水準も列強上位国の中ではイギリスに匹敵する数値を叩き出している。

 

 

職業別政治力ランキングではまだまだ資本家が圧倒的な力を持ってはいるものの、公務員や学者・事務員といった知識人層たちがしっかりと存在感を示している。

また、まだまだ数多くいる百姓や、稲畑や蚕園で稼ぐ農家たちが意外と財力と力を持ちつつある。

このことが、新たな時代を動かす糧となりそうだ。

 

世界の状況に目を転じると、1870年の大分裂以来、軍閥が割拠する状況が続いている中国だが、その混乱に乗じて欧州列強が次々と勢力を進出しつつある。

まずは1883年の革命で王政が打倒され成立した列強7位「スペイン共和国」が、中華民国政府統治下であった台湾に租借地を獲得。

その他、安徽軍閥の勢力圏内であった福建の地をポルトガルが丸ごと占領し、広東はロシアが、山東半島とその南の江蘇州はフランスがその勢力下に置いた。

市場データで見るとこんな感じだ。

 

当然、欧州列強は発展する朝鮮にも興味を示しているのは間違いない。

事実、1884年には帝政フランスが一度朝鮮に攻め込んできており、このときは宗主国ロシアとその同盟国オーストリアハンガリーの助力があり、事なきを得ている。

この先もまた、彼らの動きには注視していく必要があるだろう・・・。

 

 

いよいよ、20世紀を迎えることとなる朝鮮王国。

今のところ、史実のような消滅の危機を迎える可能性は高くないように思える。

しかし、何が起こるかわからないのもまた、歴史である。

憲宗と李是応亡きあと、果たして朝鮮はどんな運命を迎えることとなるのか・・・。

 

第3回に続く。

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*1:史実では興宣大院君となる男。

*2:黄金時代の改革を推し進めていた文相璜(ムン・サンファン)はすでに65歳を迎えて政界を引退しており、この喬に後継を譲っていた。

*3:憲宗の1番目の妻・孝顕王后(憲宗が幼い頃に母・純元王后が選んだ安東金氏の娘)が子を残さないままに没したのち、1866年に15歳で輿入れをした憲宗の2番目の妻。彼女が選ばれた理由としては、李是応の妻が同じ閔一族の出身であることと、閔妃自身の父がすでにおらず、外戚による影響は少ないと判断したからである。

*4:このときフランスはアルトワ家による第2帝政の真っ最中であった。

*5:ゲーム上では栄洪となっているが一般的に栄が苗字として使われることはほぼなく、洪が苗字のパターンは非常に多いため、今回はこの順番で処理する。似たようなパターンは他にも多い。