1582年の本能寺の変以降、織田家中における内紛が暫く続くこととなった。
まずは信長を殺した男、明智光秀を1585年に羽柴秀吉が討ち取り、同年に清洲会議にて一旦の「信長後」体制について取り決めが行われる。
が、その取り決めもすぐさま反故にされ、同年末からは長宗我部や徳川といった外部勢力を巻き込んだ信雄・信孝兄弟による実質的な「家督継承戦争」が勃発。
さらにこの後ろ盾についていた羽柴秀吉・柴田勝家による織田家中二大勢力による激突も同時に巻き起こっていた。
2年間続いたこの戦いは、最終的に信雄・羽柴陣営が勝利。
伊勢は信雄が獲得し、羽柴は明智から奪い取った山城と近江をそのまま保持。そして介入していた徳川も尾張を獲るなど漁夫の利を獲得し、ようやく本能寺の変以降の混乱に対する一先ずの落ち着きが取り戻されることとなった。
もちろん、これで天下が平穏になったわけではない。
新たな野望、新たな思惑を胸に、「静かなる戦い」が幕を開けることとなるのである。
Ver.1.10.2(Quill)
使用DLC
- The Northern Lords
- The Royal Court
- The Fate of Iberia
- Firends and Foes
- Tours and Tournaments
- Wards and Wardens
使用MOD
- Japanese Language Mod
- Shogunate(Japanese version)
- Nameplates
- Historical Figure for Shogunate Japanese
目次
前回はこちらから
柴田と羽柴
1587年12月。
雪で埋まる北ノ庄城を、織田信雄は供回りを連れて訪れていた。これを迎え入れたのは城主・柴田勝家。しかしその表情にはあからさまな苛立ちが混じっていた。
「で、本日はどのような御用向きで? 敗北者を嗤いに来たのか、それとも勝利を祝われて欲しいのか」
「残念ながらそのどちらでもない。貴殿の嫡男、庄左衛門殿はまだ未婚と聞いておる。我が妹・藤との結婚を申し出に来たのだ」
思いもよらぬ言葉に、勝家は目の前の男を値踏みするかの如く睨みつける。
敬愛する信長公の次男でありながら、その才は凡愚で失態も多いと聞いていた。だが、信長公亡き後のこの男の動きはまるで別人になったかのようであり、徳川とすぐさま同盟を組み、紀州を制圧し、そして長宗我部と組んだ信孝公を打ち倒して伊勢全土も平定したのである。
今や、織田家中では羽柴、柴田に次ぐ第三勢力であると見て間違いはないだろう。
「派閥としては敵対関係にあるはずの我々と婚姻ーーすなわち同盟を結ばれると? 此度の戦いでは所領安堵されたものの、やがてまた羽柴は我らを攻め、領土を奪い取りに来るに違いない。我ら柴田家は今や風前の灯とも言える存在だというのにか?」
「だからこそ、だ」
信雄は勝家を真っ直ぐと見つめる。勝家はその眼差しに、どこか懐かしさを覚えた自分に動揺していた。
「このままではあのサルめが、貴殿の領地も全て平らげてしまうだろう。そうなれば、奴の増長も益々止まらなくなる。その先にあるのは、奴による、織田の乗っ取りだ」
「ーー信雄殿は、それを止める意志があると?」
「当たり前だ。信孝が失脚した今、現実的な織田家当主はこの我なのだからな」
平然と言ってのける信雄のその態度に、思わず勝家は姿勢を正してしまう。この男に対する評価を、変えなければならなそうだ。
「故にこそ、権六、お前には羽柴に対する東国の『壁』となってもらう。お前と、徳川と、そしてこの我と。近江より東に巨大な壁が3つもあり、しかもそれらが互いに連携しているとなれば、さしものサルも手出しは出来まい。逆にそこに僅かな罅が入ってしまえば、たちまちのうちに織田という巨木は倒れ、雪の下に埋もれてしまうだろう。
権六、お前はそんな風になる織田家を、見たくはないだろう?」
『権六、来いーー天下を共に取ろうぞ』不意に、懐かしき声が脳裏に閃いた勝家は、思わず涙腺が綻びかけてしまう。勝家は頭を振り、真っ直ぐに信雄を見返した。
「ええ・・・拙者もそのような織田家を見たくはありませぬ。この身は何よりも織田家の為に、そして全ては上様の為に尽くすと誓いました。最後まで、その命が尽きるまで、これを賭すことを誓いましょう」
そう言うと、勝家は身命に頭を下げ、信雄に平伏した。
かくして、柴田家の家督継承者である庄左衛門勝里と信雄の妹である藤姫との婚約が定められ、両家による同盟が結ばれた。
翌1588年夏。
信雄は今度は加古川城に滞在していた羽柴秀吉のもとを訪れていた。
「伊予攻めも佳境となる中、邪魔立てしてすまんな」
「とんでもござりません。こちらこそ、このような乱雑な場所にわざわざお越し頂き、恐縮です。どうせでしたら、もう少し落ち着いたときにこそ、お越し頂けたら良かったのに」
「暫くは落ち着かせるつもりはないのだろう? 伊予攻めは貴殿の本命ではなく、これが終われば返す刀で今度は阿波に攻め込むと睨んでおる。讃岐の十河存保も長宗我部との対立が続いて疲弊しており、攻めるなら今のうちだろう」
「ハッハッーーいやあ、全てお見通しですな。さすが上様の御子息殿。その聡明さを見事引き継いでおられると見える」
貼り付いたような笑顔を見せながら、得意のおべっかを繰り返す秀吉。信雄はそんな彼の態度を鼻で笑いながら続ける。
「それに、あまり顔を出さずにいれば、貴殿が何かあらぬ疑いをこちらに向けるとも限らん。――安心せい。我の行っていることはひとえに織田の安定の為。貴殿に逆心など、あろうはずもない」
「ぎゃ、逆心などと――」
こちらの内心を見抜かんばかりの鋭い視線を前にして、秀吉もわずかばかり怯む。3年前、自ら秀吉の前に姿を現し、秀吉方と徳川を引き込んでの信雄方による二面作戦による信孝・柴田押さえ込み戦略を考案してきたのはこの信雄の方からであった。秀吉も似たような絵図を描いていたとは言え、大国をいくつも巻き込んだこの戦略構想を、若手ながらも成し遂げてしまう器の大きさは、それまで知っていた「大うつけ」とは異なる印象であった。
そして今、今度は徳川との同盟に柴田をも加え、秀吉を牽制しようとしてきている。口車に乗って柴田を押さえ込みさえすれば家中はすべて掌握できると睨んでいたが、ここに来てまさかの伏兵が姿を現すとは――。
「――今や、織田の当主は実質的に信雄殿と拙者も見ております。我が身も当主殿の駒の一つ。織田家繁栄の為、拙者は西国で粛々とその威光を広げさせていただくのみで御座います」
言葉こそ変わってはおらねど、その表情からはいつものヘラヘラとした不快な笑みは消えている。羽柴山城守秀吉――時代の寵児が、今ついに信雄のことを真剣に対応すべき相手と認めた瞬間であった。
「それで――信雄殿は、どのように?」
秀吉の問いに、信雄は薄ら笑いを浮かべながら答える。
「ああ、西国を羽柴殿、東国を徳川と柴田殿が押さえているのであれば――我は、未だ独立心が強く混沌としている南国を平定しようかの」
大和攻め
紀伊半島の中央に位置する大和国――古代王朝発祥の地であると同時に、今も数多くの寺院が立ち並ぶ神聖なる寺社勢力国家として兼ねてより独特な存在感を放ってきた。
現在の支配者たる筒井順慶も、早くから信長に臣従の意向を見せ、大和の与力を合わせると45万石とも言われるその兵力は容易に手出しできない存在でもあった。
だが、それ故に――この勢力を何とか手中に収めなければ、織田家中で羽柴・柴田と並び立つ存在にはなり得ない。そのことをよく理解していた信雄は攻撃の隙を窺っていたが、その機会は思いもよらぬ形で現れた。
信雄の与力である志摩国衆・九鬼嘉隆が、自領に隣接する吉野郡との国境を巡って諍いを起こし、侵攻を開始したのである。
単純な兵力では筒井に敵うはずもない九鬼だが、南海交易で得た豊富な資金力でもって傭兵を雇用し、対等に渡り合っているようだ。
当然、この狼藉に対し筒井は信雄に抗議を送るも、独立した諸侯のやることゆえ、手出しできずと回答。筒井は続いて羽柴にも書簡を送ったものの、これもまた「詮無きこと」と取り合わない旨の回答しか返ってこなかったという。
それでもやはり大和の勢力は侮れない。山林の中でのゲリラ戦術も相まって、さしもの九鬼も苦戦を強いられており、戦いは2年を超え3年にも達せんとしていた。
だが、この筒井の劣勢を好機と見た三好笑岩が嫡子・三好康俊がここに横入。
長く続く戦についに折れ、1591年1月には筒井も降伏。九鬼は目論見通り吉野の地を丸ごと獲得し、主産業の良質木材の供給地かつ神宮-有田をつなぐ陸上連絡路を得ることとなった。
このことを祝し、信雄はこの新たな領地・熊野の地にて、九鬼や重臣たちを引き連れての狩りに出向くこととした。
「南蛮人より伝わるこの狼狩りというのは、実に危険な演目であると同時に、偉大なる試みとして持て囃されているとのことです」
狩猟頭の鈴木重朝――かの鈴木「雑賀」孫一の嫡子にして、我が人質――の説明に、信雄は頷く。
「望ましい限りだ。鷹狩りなどと言う、平和じみた行為は老後にでも取っておけば良い。何しろ我は、現世においても凶悪な狼共と対峙せねばならぬのだからな」
「ええ、その通りですね――おや、頃合いですね。それでは行きましょう」
我が人質、鈴木孫一重朝の合図が、林に響き渡る―
狼の群れがここから遠くない窪地に身を寄せている。
私たちが近づくと、獣たちは一斉に動き出し、警戒して吼えているし、青々しい茂みの中へ逃げていき、牙を剥き出しにしている。
我々は逃げる銀の害獣を追跡し、集団で一番大きな一匹に狙いを定める。これからが本当の追跡だ!
何時間も走り続け、我々はついにこの狡猾な獣を追い詰める。我々の追跡は無駄ではなかった!
疲れたのやら抗う気なのやら、狼はとうとう足を止めて我らに向き直り、吼える。
猟師たちがすぐにうなる動物を取り囲むと、それはむき出しの牙を泡立たせて唾液を垂らしながら、私を睨みつける。
私は槍を手に持ち、疲れ切った獣へと慎重に近づいていく。
私は慎重に瞬間を選び、刃を深くその心臓に突き刺すのだ!
「お見事です、上様。まさか御自ら挑まれるとは思いも寄りませんでしたが、見事なる腕前で御座いました」重朝が称賛の意を真っ先に示し、周囲もそれに合わせ拍手を加える。
「いや、孫一の巧みな指示と、そして何よりも――九鬼よ、貴殿の勇敢なる一番槍のお陰ぞ」
そう言って信雄は斃れた獣から剥ぎ取った牙を、そのまま九鬼に手渡す。
「あとは貴殿らが整えてくれた食膳を、我が平らげるだけだな」
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1592年10月4日*1。
既に度重なる侵攻でボロボロになっていた筒井順慶に対し、大和国の明け渡しを要求して宣戦布告。柴田も羽柴もこれを黙認し、信雄の兵が次々と大和盆地へと雪崩れ込んでいった。
多門山、龍王山、信貴山といった名城を次々と包囲。抵抗する構えを見せた寺院には容赦なく火をかけ略奪を許可するなど苛烈な姿勢を見せたことで、周辺の支寺も間もなく降伏を宣言し、侵攻は実に順調に進んでいった。
最終的には1593年6月14日に順慶も降伏。信雄は彼の大和からの追放を命じ、その領国すべてを支配下に収めた。
これで、紀伊半島全域を支配する大大名としての地位が確立されることとなり、名実共に、羽柴・柴田に並ぶ織田家中筆頭勢力に上り詰めることができた。
とは言え、まだまだこれを凌駕するのは難しい。
織田家かつ信長の実子という権威はあれど、未だ戦国の世において、権威と実力は拮抗しており、実力なき権威ではどうにもならないことはすでに信長の代にて証明されている。
羽柴を凌駕する実力を得るまで、時を待つ必要がある。幸いにも、奴らよりもずっと、この我には時が残されているのだから――。
そのことを証明する出来事が発生する。
すなわち、信長旗下最大の実力と勢力を誇り、その名を轟かせていた豪勇・柴田勝家の死の報せである。
関ヶ鼻の戦い
「庄左衛門殿、お悔やみ申し上げる。貴殿の父は、最後まで天下に二人といない傑物であった。偉大なる星がまた一つ消えたことを、我も実に口惜しく思うばかりだ」
「中将殿、勿体無きお言葉。我が身も少しでも父に近づけるよう、努力するばかりと考えております」
勝里の返答に、信雄は満足気に頷く。もとより、彼の家督継承前より、このときのことを睨んで懐柔を重ねてきていた。今後も重要な同盟相手として、徳川と共に羽柴に対する牽制の一角となってくれるだろう。
ただ、少しばかりか、気になる噂も耳にしている。
勇敢なだけでなく謙虚でもあった父・勝家と異なり、この勝里は勤勉なのは良いのだが周囲にも理想が高く、少しでも気に入らないことがあればすぐに怒り、苛烈な処罰を下す悪癖があったという。
そして、事件は起こる。
勝家の死後、わずか半年後に。
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発端は、敦賀・金ヶ崎城を勝家から与えられていた田丸貞盛なる人物が、些細なことで勝里を激昂させ、その改易を命じられたことであった。
元より北国と畿内との玄関口となる重要拠点であったこの金ヶ崎。ここを自らの直轄領としたいという勝里の思惑もあったのだろうが、これは大きな悪手であった。
先代ではありえないこの暴挙に対し、家内の反発が急速に高まり、その筆頭に立ったのが柴田家筆頭家臣であった前田利家。
戦国大名随一の「思いやり」を持つ前田利家は、勝家の名を汚すが如き愚息の行動を許してはおけなかった。
ここに同じく寵臣であった金森長近や佐久間勝政らが加わり、総勢2,900弱の兵を挙げて勝里に対する反乱を巻き起こしたのである。
勝里はすぐさま救援の依頼を義兄・信雄のもとへと送る。
それを見て信雄は珍しく表情を歪ませたが、「仕方あるまい。今ここで柴田に脱落されるわけにはいかんのだからな」と、援軍派遣を決定する。
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1594年2月頃に伊勢を出立した信雄軍は、北国街道を北上しただちに金ヶ崎・杣山を制圧。杣山城主の不破直光とその子・秀長の身柄も拘束する。
続いてその年の秋の暮れには金森長近居城・大野城をも攻め落とし、順調に平定へと向かっていた。
だが、未だ反乱軍主力とは接敵していない。その折、大野城を包囲していた信雄・勝里連合軍のもとに、北ノ庄城が包囲されたとの報が入る。
すぐさま花山峠を抜け、一乗谷を通って北ノ庄へと向かう信雄・勝里連合軍。
しかし彼らがそこについた時にはすでに敵連合軍は北ノ庄を去って南下しており、一度信雄軍に奪われていた杣山城の解放へと着手していた。
ここから勝里の軍と行動を共にし、奴らを追いかけるのは容易い。
だが、そうすればまた、奴らを目の前で取り逃がし、好き勝手されてしまうことだろう。
ならば、勝里を待たずして少兵にて先駆けて敵陣に挑みかからん。
元・信孝の家臣にして、信雄の伊勢征服に際し新たに信雄の家臣となった名将・関盛信はそのように考え、機動力のある少数の兵のみで挑みかかった。
「フン・・・信雄殿はまたも老将の無謀と嗤うかもしれんが――老練にこそ為し得ることもあるということを、しっかりと見せてやらねばならぬな。彼奴もいつか、老境に至るのだから」
盛信軍の突出を見て、勝里も慌てて全軍に命を飛ばす。
「急げ! 中将殿の勇将の義を無碍にする訳にはいかん! 全軍全速力で杣山へと向かえ!!!」
かくして、1594年12月15日。
世に謂う「関ヶ鼻の戦い」が開帳する。
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杣山は北ノ庄・越前から日野川を上った先にある鎌倉時代以来の山城である。
この杣山を包囲していた反乱軍計2,200に対し、盛信は700弱の手勢でもってまずは一番槍を仕掛ける。
前田はこれを罠と見做し、その背後に勝里軍主力が控えていることを警戒し、先の北ノ庄同様に速やかに城を棄て退却すべしと提言。
だが、これを拒否したのが反乱軍頭目の中でも最若手、佐久間勝政であった。
「又佐殿の仰ることも分かる。だがッ、そうやって逃げ延び続けて、結局は何になるんだね? 時間が経てば勝てるという訳でもない、いつまで経っても正面から戦わず、鼠のように山林の中を駆け巡るばかりでは、兵たちの士気も下がるばかり。敵は眼前に少兵のみ。これを叩かずして、いつ好機が訪れようかッ!」
勝政の気勢に若手の将兵たちも其うだ其うだと賛意の合唱。その中には今回の反乱の首謀者でもある田丸の姿もあった。
「況してや、目の前の杣山城には、我らが同胞不破殿が未だ囚われの身となっておられる。これを救わずして退却しては、たとえ戦に勝ったとしても末代までの恥とならんッ!」
様子を窺っていた金森長近も若手たちの勢いにたじろぎ、どうしたものかと前田を窺う。前田も、この流れをどうにもできぬことを悟った。
「相分かった。打って出よう。但し、速やかに敵兵を打ち倒したのちはすぐさま杣山を攻め落とし、ここに籠城すること。攻め落とすのが間に合わなければ我の令に従い、速やかに退却すること」
前田の言葉に、一同は頷く。
反乱軍は杣山城を包囲する最低限の兵のみを残し山を下り、盛信軍を迎え撃つこととなった。
だが、盛信軍の速度は、反乱軍たちの予想を遥かに超えていた。
彼らが山を下り平地にて陣を展開しようとしたときにはすでに、丘と川との間の隘路「関ヶ鼻」を盛信軍が押さえており、寡兵にて敵を迎え撃つ準備を整えていたのである。
もたもたしていれば、背後の勝里軍がやってくる。
反乱軍は犠牲を覚悟で川を渡り、盛信軍に仕掛ける必要があると判断。一気にこれに攻めかかった。
戦いは苛烈を窮めるものであった。
戦いの中でまだ僅か19歳でしかなかった信雄の弟・信好も討ち取られる程であった。
それでも盛信軍はよく耐え、これが瓦解するよりも前に、反乱軍の横腹を突く形で、勝里軍3,000が襲来する。
その一番槍を担ったのが、佐久間勝政の実兄・「鬼玄蕃」こと佐久間玄蕃盛政であった。
自ら先頭に立って馬を駆り、敵兵へと突撃を繰り出す鬼玄蕃に従い、柴田軍が総力をかけて反乱軍へと襲い掛かる。
戦況は完全に逆転。あとはもう、反乱軍に残された手立ては混乱し統率を失う兵たちをなんとか纏め上げ、できる限り犠牲のない撤退を敢行するだけであった。
かくして、雪深い冬の峠道にて繰り広げられた「関ヶ鼻の戦い」は、信雄・勝里連合軍の勝利に終わった。
前田らが統率の取れた撤退を見せたことで討ち取れた敵兵の数は少ないながらも、前田利家の弟をはじめ数多くの重要な敵士官を討ち取ることに成功し、さらには佐久間勝政を生け捕りにすることにも成功した。
これで、反乱軍側の勢いが失われたのは間違いがなかった。
春には前田利家が居城能登七尾城を包囲。
この戦いにも勝利し、利家の身柄を拘束したことにより、勝敗は完全に決することとなった。
5月16日には反乱の首謀者・田丸貞盛も降伏し、1年半続いたこの「能登殿の乱」は、柴田家当主勝里の圧勝という形で幕を閉じたのである。
酒宴・縁談
「御祝着に、伊勢中将殿。南畿を纏め上げ、北陸の内乱をも鎮圧するとは。中将殿が東を固く守って頂けるお陰で、手前も西方にて安心して動けるというもの。助かっておりますわい」
相変わらずの貼り付けたような笑みで、信雄の盃に酒を酌む羽柴山城守。
「おっと、今や南畿一帯を治められる身。伊勢中将という呼び方は聊か失礼でしたかな」
「いや、構わん。もとより、まだ三七めが和泉・河内から撤退しておらぬが故、纏めきれているとも言えんしな。まあ、これも時間の問題だ」
「ですな。そのまま大坂や堺にまで手を出してしまいかねない勢いですな」
「大坂はともかく、堺はなかなかに厄介だからな。十分な準備をしたうえで臨む必要もあるだろう」
「それより貴殿の方はどうだ? 次は毛利か、長曾我部か」
「そうさな・・・中将殿はいかがお考えで?」
「フン・・・長曾我部攻めへの足掛かりとして伊予・阿波を攻め取ったのだろうが、まだこの地の統治は十分に完了できていないとも聞く。それよりかは、瀬戸内の水軍をよく手なずけているとも聞くに、次は毛利を狙っているのではないか?
最近、奴らも内乱によって家内ゴタゴタしており、現当主はまだ幼少だろう? 付け入る隙は多そうだが」
「さすがですな、中将殿。中将殿と共にあれば、このまま天下を一統するのも夢ではない・・・」
目を細め、カッカッと笑う秀吉。信雄はそれを鋭い目つきで見つめたまま、口を開く。
「で、御用向きはそんな話をするためだけではないだろう?」
信雄の言葉に、秀吉の表情がスッと真剣なものとなる。
「ええ、実は中将殿に一つ、お願いしたいことが御座いまして・・・中将殿の妹君であられます三の丸殿を、我が室に迎え入れたく」
思ってもみなかった秀吉の申し出に、信雄はわずかばかり躊躇いを見せる。
これまで、徳川や柴田とは結びつつも、羽柴とは頑なに同盟の類は結ばずにいた。それは暗に信雄の姿勢が対羽柴であることを同盟国たちにも明確に見せるものでもあり、事実常にその機会を窺い続けてきた。
だが、自軍の勢力拡大のペースに比して、羽柴の勢力はより一層の拡大を見せており、これが今後毛利、長曾我部と続けば猶更である。
すでに、柴田家とは今回の反乱鎮圧を通じ絶対の信頼を勝ち取ることに成功しているし、淡々と勢力を拡大しつつその真意を読めずにいる徳川に対しての牽制も必要ではある。
「良いだろう。その縁談、認めよう。これより貴殿と我とは、義兄弟とならん」
「有り難きこと。ではこの盃は我らの永遠の友愛と、織田家の永劫の繁栄に捧げよう!」
果たしてそれは本当に永劫の契りとなるのか?
思惑と野心が渦巻く中、いよいよ時代は運命の「1604年」を迎える。
次回、第四話「大乱前夜」編へ続く。
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*1:小国ゆえ、侵攻の為の金と威信のリソースが常にカツカツで、暫くは新たな侵攻ができず時が過ぎるのを待つばかりの時期が続いた。管理ライフスタイルなども取りながら何とか搔き集めたお金を使用して前述の通り狩りを行うなどして威信を集めてようやくこのタイミングで仕掛けられたというわけだ。