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【CK3】織田信雄の逆襲⑧(最終回) 天下統一編(1618-1627)

 

1582年。本能寺の変、勃発。

天下統一を目前としていた織田信長が嫡子・信忠と共に自害。

天下は千々に乱れ、混乱は極みに達した。

 

1585年。妹背山の戦い

信長次男・織田信雄が三男・信孝に対し、伊勢国領の所有権と当主・三法師の後見役を巡り宣戦を布告。その後ろに東海の徳川、中国の羽柴が付き、一方の信孝側には四国の長宗我部、北陸の柴田が付いたことで、外部勢力も巻き込んだ巨大な織田家中内乱へと発展した。

信雄・徳川・羽柴陣営はこれに勝利し、勢力を広げた信雄は羽柴・柴田と並ぶ織田家中第三勢力へと躍進。

1593年に勃発した柴田家内紛に介入し、関ヶ鼻の戦いの勝利に貢献したことから、柴田家と織田家(信雄)との結びつきも強固なものとなり、同じく勢力を西に拡大しつつあった羽柴も少しずつ両者との対立関係を深めていく。

 

そして、1604年。大坂の陣

上杉をも味方につけた織田・柴田陣営と、織田の同盟国であった徳川を味方につけた羽柴陣営との、天下分け目の最大決戦。

これに勝利し、さらに直後の羽柴討伐戦争にも勝利したことで、織田家は再び、その家中の支配権を確実なものとした。

続く中国・毛利攻めを成功に収め、返す方による四国・長宗我部攻めにおいては羽柴家残党による反乱にも見舞われ一時窮地に陥るも、織田信雄の謀略によってこの危機も回避されることとなる。

 

1616年には九州の役が勃発。鍋島家の救援という名目で南九州・島津氏を攻め滅ぼすが、その途上で次男・高雄を喪うことに。

それでも織田の覇権はついに西国の端にまで及び、今や日ノ本の半分は織田の手中に納まることとなった。

 

そして、1618年。

織田への臣従を拒む大大名は関東の北条のみ。

齢60。すでに父・信長の没年をも遥かに超えし生涯を送りつつある信雄は、父が目前で果たせなかった夢――すなわち、天下統一を、その手で果たすことはできるのだろうか。

 

Crusader Kings Ⅲ AAR/プレイレポート第6弾「織田信雄の逆襲」。

その最終幕が、いよいよ開帳致す――。

 

Ver.1.10.2(Quill)

使用DLC

  • The Northern Lords
  • The Royal Court
  • The Fate of Iberia
  • Firends and Foes
  • Tours and Tournaments
  • Wards and Wardens

使用MOD

  • Japanese Language Mod
  • Shogunate(Japanese version)
  • Nameplates
  • Historical Figure for Shogunate Japanese

 

目次

 

前回はこちらから

suzutamaki.hatenadiary.jp

 

小田原征伐

1618年3月23日。

九州征伐完了から3ヶ月後。

織田信雄は自ら将軍職を辞し、朝廷に嫡男・秀雄への将軍宣下を行わせた。

そして大坂城を秀雄の居城とし、自らは父・信長の居城であった安土城へと移動。

本能寺の変直後、原因不明の出火により一部焼失していたこの城を、藤堂高虎主導で再改築するよう命じる。

この将軍職譲位は、織田家が今後も将軍職を世襲していくことを示すと同時に、畿内・西国を中心とした統治を秀雄に任せ、未だ十分に統治が完成しきれていない北陸および東国の統治・外交に信雄が集中できる環境を整えるためでもあった。

天下統一。

亡き父の夢を果たすべく、その最後の仕上げとして、信雄は関東の北条に狙いを定めていた。

 

------------------

 

4月11日。

秀雄の将軍職継承にあたり、大坂城に朝廷の勅使や公家衆、そして全国各地の大名たちを招いて祝賀の儀を行った。能楽も行われるなど、盛大かつ煌びやかな祝宴となり、ここには徳川秀忠柴田正勝上杉憲業*1はもちろん、毛利秀包鍋島勝茂(高齢の直茂の代理)、島津勝久(高齢の義久の代理)といった西国の大名たちも招かれ、共に秀雄の将軍就任を祝福した。

しかし、招待をしたはずの北条家当主・直氏の姿は、そこにはなかった。

 

 

「直氏公に、臣従の意思はない、と」

「ええ、それどころか、小田原城の大規模な改修に乗り出していると聞きます。三里にも及ぶ総構に、城下を取り囲む堀や石垣、土塁の数々」

幕府の外交を取り仕切る取次頭、細川忠興。現将軍・秀雄の岳父でもあり、幕府内にて絶大な権力を誇る。

 

「戦る気は十分、というわけだな」

忠興の言葉に、信雄は微笑を浮かべる。全ては思惑通りに事が運んでいる。

「北条、及び諸大名に書状を発せよ。直氏、天道の正理に背き、帝都に対して奸謀を企つ。何ぞ天罰を蒙らざらんや。勅命に逆らう輩は早く誅伐を加えざるべからず、と」

 

かくして1618年5月5日。

織田信雄は天下統一に向けての最後の戦い――小田原征伐を開始した。

 

8月27日。

徳川領より侵攻を開始した井伊直政率いる織田軍先発隊は、まずは徳川・北条国境付近の富士川にて最初の決戦と相成る。

毛利秀包率いる後詰め軍の助けも受け、最終的には圧倒的な戦術力の差でもって北条軍を圧倒。

元武田氏家臣にして後に北条家に降った内藤昌月が嫡子・直矩も討ち死にするほどの激戦は織田方が見事勝利。

そのままの勢いで9月23日、北条領西端の要衝である伊豆山中城の包囲へと着手。

名将・北条氏勝の守るこの堅城さえも、70台もの大筒と8,000もの兵を抱えた織田家の猛攻の前に、わずか1か月程度で落城することとなった。

10月26日。山中城を陥落させた織田軍は、少兵を氏勝が逃げ込んだ河津城へと向かわせ、残りの兵を小田原城包囲に向かわせる。

そして11月14日。陸海から同時に攻め込む形で、小田原城を完全封鎖。

かつて上杉謙信、武田信玄らが攻めあぐねたこの難攻不落の小田原城も、半年も持たずして陥落することが予想されていた。

 

「新九郎様、幻庵殿が参られました」

「通せ」

北条家当主・北条直氏の前に、一人の男がやってくる。名を北条長綱、あるいは幻庵宗哲と称し、後北条氏初代・北条早雲こと伊勢新九郎入道宗瑞が末子にして、北条家六代にわたり仕え続けてきた家中(のみならず天下)最長老の御仁である。

「・・・幻庵殿。万智を有すると謳われる貴殿が、まさか早々に織田の軍門に降るとは。それほどまでに、我が身はこの北条を名乗るのに不相応な男だというのか?」

「何を仰います、菊千代丸殿」

幻庵は諭すようにして直氏に向き直る。

「貴殿は幼くして先代・氏直様を喪われ、それでもこうして二十年来に渡り北条の地を護り続けておられる。私がこれまで見てきた御当主様方に引けを取らぬ偉大さで御座います」

「そんな偉大な一族を、我が今まさに潰さんとしているのだがな」

直氏は皮肉げに吐き捨てる。

「かの謙信公、信玄公でさえ、攻め落とせなかったこの城を、我はかようにも簡単に落とされようとしている。春さえも待てぬほどに。これが愚かでなくて何だというのだ。

 ・・・それとも、あの織田信雄という男が、かの英傑たちをも超ゆる存在だとでも言うのかね?」

「――あるいは、その通りかと」

冗談混じりに呟いた直氏の言葉を、真っ直ぐに受け止めた幻庵の返答に、直氏も口元の笑みを消し、姿勢を正した。

「かの御仁は、ある意味で人理を超ゆる存在かと」

「それほどに、か」

直氏は驚き、背筋が凍る思いを感じ始めていた。

「・・・だとすれば、これ以上の抵抗は誠に無意味と言わざるを得んな」

嘆息する直氏。彼は再び幻庵に向き直り、尋ねる。

「幻庵殿はどう見る? これが、戦国の世の終わりなのか? 家祖・宗瑞公が拓いたこの戦国の世は、北条の名と共に終焉を迎える定めだというのだろうか?」

幻庵は何も語らず、ただ沈黙のままに頷いた。

そうか、と直氏は呟き、微笑する。

 

「それならばそれでよい。天下静謐がために我が首を必要というならば、いくらでも呉れてやろう」

 

かくして、1619年2月14日。

小田原城の陥落と共に、北条直氏は降伏を宣言。自らの命と引き換えに、領国の民の安寧を求め、織田信雄はこれを受け入れた。

これにて関東も織田の従属下に加わり、日ノ本の大勢力はすべて織田の家臣か同盟国となったのである。

 

いよいよ、天下統一は目前。

織田信雄は、その夢をついに果たさんとしていた。

 

 

戦国の終わり

1619年3月6日。

北条氏の降伏から半月余り。

兼ねてからの信雄の要求に従い、北条氏の同盟国であった伊達家当主・伊達忠宗が上洛。安土城に参殿する。

北条氏の同盟国として先の小田原征伐においては北条側として参戦。一時は突如伊勢に上陸しこれを制圧せしめんとするなど奇抜な動きで織田方を驚かせていた。

父・伊達政宗公も随分と奇怪な人物と噂されていたが、この忠宗という男も只者ではないことは間違いない。

その忠宗が、北条の降伏を受けて臣従を申し出てきたわけだが、それにしても、あまりにも遅い決断であった。その意図を問うべく、信雄は彼を安土に呼んだのである。

 

「――して、恭順がかくも遅れた理由は如何に?」

信雄の問いかけに、忠宗は悪びれる様子もなく応える。

「迷って、おりまして」

「迷う? 何にだ?」

信雄の重ねての問いに、忠宗はちらりと信雄の表情を窺う様子を見せる。まるで、こちらを値踏みするかの如く。

「この戦乱の世を、華々しき享楽の世を、果たしてもう畳んで仕舞うべきなのか、否かと」

忠宗の言葉に、周囲に座する側近たちは理解し難いとばかりに騒然とし始める。その中で、信雄は真っ直ぐとこの若造を見下ろし、その生意気な双眸を睨みつけた。

「ーーでは、結果として、恭順を選んだ、その理由は?」

その問いに対して、今度は忠宗はニヤリと微笑い、回答した。

「先日、伊勢に『お邪魔した』とき、大御所様の領国の『銭の巡り』に感銘を覚えましたが故」

忠宗の答えに、信雄は沈黙で先を促す。

「それを見た時、拙者は理解したのです。父上の代までの、戦乱による享楽の時代はもう、終わりだと。これからは、この、銭の巡りを巡る狂宴の時代であると」

そこまで言ったとき、忠宗は突如それまでの不遜な態度から一変し、額を畳に擦り付けるようにして平伏し始めた。

「大御所様。拙者を是非とも御使い下さいませ。拙者は父上や、戦国の世の華々しき英傑と比ぶれば武勇の類においては誇れるものは御座いませんが、こと銭の使い途においては右に出るものは居ないと自負しております」

「大御所様が拙者に投資して頂ければ、決して損はさせぬと、我が命に賭けてお誓い致しましょう」

成る程。結局は、単なる臣従ではなく、できるだけ対等な、所領安堵と共に奥州における支配の優越権を勝ち取るための、パフォーマンスだったと言うわけだ。

そう思いつつも、信雄は更なる問いを重ねた。

「ーーして、その際の、貴殿の利益とは? 何が目的だ?」

暫しの沈黙。その後、忠宗はゆっくりと顔を上げ、信雄に向き直り、口を開く。その顔には先程からずっと、不遜な笑みが張り付き続けていた。

「先程も申し上げた通り、拙者は戦乱に代わる享楽の種を探し求めておりました。この銭の巡りにおいてこそ、戦国を上回る欲望と暴力の熱が渦巻いていると確信したが故、そこに飛び込むことを最大の愉しみだと、理解致しました。

 大御所様も、同様の思いをお持ちではないかと、僭越ながら思料しておりますが」

忠宗の言葉に、信雄もニヤリと笑いながら応えた。

「そうかもしれんな。戦も銭も、全てひっくるめて、儂はこの戦国を愛しておった。その戦国を、儂が終わらせる。だが、人の業はそう簡単には変わらん。新たな舞台で、新たな欲望による能楽を、愉しませてもらうつもりで、あるのじゃろうな」



 

そしてーー。

 

1625年。

 

 

関東・小田原征伐より6年。

伊達を始めとした奥州各勢力も次々と織田家に対し恭順の意を表明し、さらには実質的な臣従下にあった各同盟国も、実際に織田家の領国下に編入されることとなった*2

これを受けて、織田信雄は正式に「天下の一統」を宣言。

大御所・織田信雄は、名実ともに「天下人」として世に知られることとなったのである。

 

 

「ーー永き、人生であった」

尾張国・萬松寺。

織田信雄はこの地にて、病床に伏せる寺沢広高の見舞いに訪れていた。

「もう、三介殿に仕えて、40年ほどが経ちますかな・・・本当に、数多くのことが、ございました」

「我も貴殿を振り回し過ぎたかの。お陰で、これほどまでにやつれさせてしまい、申し訳なく思っている」

言いながら、苦笑する信雄。広高も小さく笑いながら、答える。

「そうですね・・・ですが、とても充実した日々でした。私自身は信長様にお仕えしたことはございませんが、もし信長様にお仕えするようなことがあれば、このような心地だったのだろうな、と思うことも多々ありました」

広高の言葉に、信雄は沈黙しつつ微笑にて応える。

それを見て、広高も目を細めて言葉を続ける。

「それにしても、三介殿の変わりようは、家中皆一様に驚いておりました。特に信長様が本能寺の変にて倒れられたときから、まさしく人が変わったが如くと。私自身はその直後から仕え始めた身ですので、そのように家内が囁いている、としか聞いてはおりませぬが。

 ・・・時折、思うのです。もしやかの信長公が、本能寺の炎の中から魂だけ抜け出して、御子息様に乗り移られたのではないか、と」

ハハッと笑う信雄。

「そのような戯けた話、あるわけがなかろう。儂は儂じゃ」

「勿論、私はそう、思っております」

咳き込む広高。信雄は優しくその背中を支えた。

「とはいえ、儂も時折、そのように感じることがある。父の死後、何かにせっつかれたようにして、儂ではない儂がこの儂の身と心を追い立て、あるいは引っ張っていくような心地が。それはもしかしたら、我が父上の無念の思いが、儂をせき立てていたのかもしれんな、と」

信雄は遠くを眺めるようにして呟いた。

「だが、その人生も間も無く終わりだ。天下は一統され、父も思い残すことはなかろう。まさか、我が子にまだ乗り移るとは、思ってもおらぬが」

苦笑する信雄。誠にその通りですな、と同じく笑う広高。

「さてーー」

信雄は立ち上がる。

「すまんな、忠次郎。儂はもう、行かねばならぬ」

頷く広高。

「この人生が最後に燃え尽きるそのときまで、この天下において為すべきことを為し切らねばならぬ。この人間、夢幻の如くなりとは言え、それにしても人間がこそ為し得ることもまた多くある。今後の世における民が為に、統治者としての責務を果たそうぞ」

 

 

織田信雄。英雄・織田信長の次男として生まれ、凡愚として侮られながらもその才を発揮し、天下に名を轟かせる。

その晩節には乱世を終わらせ、永きにわたる泰平の世を実現。享年69歳。その最期は実に安らかなものであったという。



 

 

最後に、関係する者たちのその後について少しだけ語る。

 

信雄が嫡子・秀雄は、2代目の織田将軍として、偉大なる父の後を継ぐという重大な責務を背負わされることとなった。

彼は天下統一の最後の仕上げとし、奥州において未だ反抗的な態度を取り続ける南部家に対する征伐軍を立ち上げる。

その際に活躍したのが、弟・高雄の長男である織田信繫。かの本多忠勝の血も引く、まさに英傑たる男である。

さらに軍奉行としては亡き井伊直政が嫡子・井伊直孝が就いており、父に劣らぬ軍略の才によって秀雄の軍をよく援けてくれることとなった。

また、秀雄の妹の京姫に婿入りしていた真田信繫の嫡子・真田幸昌も、大坂幕府の有能な武将として、数々の武功を打ち立てていくこととなる。

そして内政においては、細川忠興に代わる取次頭として、徳川秀忠を任命。温厚かつ堅実、公正な人柄から多くの人々に好かれ、同年代の秀雄にとって、最も信頼のできる忠臣であり、また友であることは間違いがなかった。

 

かくして、織田将軍家による新たなる時代――「大坂時代」は、若き世代を中心に、大いなる歴史の海原へと船を漕ぎ出したのである。

その先に、いかなる困難が待ち受けているかは、誰も知らず。

願わくば、その織田の魂が、以後も永く、永く残り続けんことを。

 

 

 

 

 

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*1:上杉景勝嫡子。1607年に没した景勝に代わり現上杉家当主に。

*2:柴田・上杉・徳川・鍋島各同盟国も、天下統一エンディング達成のため、実際に攻撃して支配下に置いている。が、物語上ではその辺りはすべて割愛。