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【Vic3】南の巨像 第二話 共和国宣言と「大統領陛下」(1854-1898)

 

19世紀前半。ブラジル帝国はポルトガルからの独立を達成したものの、その後の政治の主導権を巡る内部対立と、独立を求める周縁部の共和主義者たちとの外部対立とで、激しい混乱状態に陥っていた。

最終的に財務大臣のマルティン・フランシスコ・リベイロ・デ・アンドラーダが中心となった自由党勢力によって、幼帝ペドロ2世の早期の親政が開始されると混乱は一定の落ち着きを取り戻すが、この自由党が貿易のあり方をめぐって分裂すると、今度は奴隷解放を旗印に掲げた自由主義勢力が台頭。

これに反発する保守派が蜂起する形で、ブラジル内戦が巻き起こった。

この内戦は最終的に自由主義勢力の勝利で終わり、奴隷制度の撤廃も果たされる。

だがそれは、この帝国にもたらされる試練の最初の1つに過ぎなかった。

 

「南の巨像」は果たしてその足を支えることはできるのか。そしてそのとき、その支えているイデオロギーは果たしていかなるものか。

激動の「19世紀」を紐解いていく。

 

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目次

 

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共和国宣言(1854-1868)

1861年8月3日。

フェイジョに代わり自由主義者たちの旗手として活躍し、外国人でありながらブラジルの未来と誇りのために最前線で戦い続けてきた男、フアン・メンディザバルが71年の生涯に幕を閉じた。

すでに、同じく奴隷制廃止という目的のために戦ってきた南アンデス人の活動家ルペルト・ルイス=タグレも、ブラジル内戦終結直後の1854年の7月に亡くなっており、時代は少しずつ、しかし明確に変化しつつあった。

その中で、メンディザバルと二人三脚で政策を進めていた自由貿易党党首イリニュー・エヴァンジェリスタ・デ・ソウザマウア男爵)がただ1人生き残る形となり、競争相手もいない中、選挙でも単独で過半数の得票を得るなど、他を圧倒する勢力を誇っていた。

この支持を背景に、マウア男爵は次々と資本家本位の政策を実行に移していく。

まずは1862年3月に関税を撤廃し輸出入を活発化する自由貿易法を制定。

1863年4月には労働力確保のため、移民受け入れにおける国籍条項を撤廃。

さらには企業経営における国家の関与の幅を極端に減らし、全土での開発を促進するレッセ・フェール法を1864年に制定していった。

かろうじてこれに抵抗しようとしていたのが、上院議員のベルナルド・ペレイラ・デ・ヴァスコンセロスであった。彼はマウア男爵の自由貿易党と連立を組む自由党の一員ではあったが、大資本家寄りのマウア男爵の政策に対し中小商人の権利を擁護し、無制限の移民受け入れに難色を示した。

だが、圧倒的過ぎるマウア男爵と資本家勢力の力の前に結果を出すことはできず、1864年10月に失意のままこの世を去ることに。

本格的に敵のいなくなったマウア男爵の天下はさらに続くかのように思われていた。

 

 

しかしこの状況に水を差す出来事が起こる。

1865年9月1日に起きた、皇帝ペドロ2世の嫡子エドゥアルド・デ・ブラガンサの死である*1

これを受けてペドロ2世の後継者は彼の娘のイザベルと定められたが、このイザベルが元フランス王ルイ・フィリップの孫ガスタンとすでに婚姻を結んでいたことが問題となった。

ペドロ2世自体は国民から愛される君主であったが、彼の死後、フランス人の王配によって国が乗っ取られるのではないかという不安が、国民を覆いつつあった。

ペドロ2世自身が娘の皇后候補としての養育に消極的であったこともまた、国民の不安を助長することとなったのである。

これを受けて、主に排外主義的な中所得者階級が、大々的な反帝政キャンペーンを展開。

ここに、奴隷解放以来経済的な打撃を受けていた地方の大土地所有者たちとが結託し、無視することのできない規模へと拡大しつつあった。

地主たちはもはや「君主制」を支持せず、共和制を志向するようになっている。

 

「厄介なことになったな」

リオデジャネイロにあるサン・クリストヴァン宮殿内執務室で、1860年に亡くなったバレット大臣の後を受け陸軍大臣となっていたポルト・アルグレ伯爵マヌエル・マルケス・デ・ソウザは、首相のマウア男爵に水を向ける。

彼自身は野党・保守党に属する身ではあったが、奴隷制に対する姿勢はマウア男爵と共通するものであり、盟友とも言える間柄であった。

 

「今や、貴殿の政権は帝政と一体。帝政への批判は政権への批判と軌を一にするだろうが、対策は何か考えているのか?」

「ええ」

ポルト・アルグレ伯の言葉に、マウア男爵も頷く。

「このまま彼ら反政府集団の勢いを放置していれば、近い将来、破滅的なクーデターという形で、帝政ごと我らが政府も転覆されかねません」

史実における軍事クーデターによる帝政崩壊を再現した特別ジャーナル「高潔なる君主」。実は奴隷解放が罠で、これを行うことで帝政は崩壊へと一気に駒を進める。

 

「そこで、重要なのは、奴ら敵対勢力の間に楔を打ち込むことです。奴らは同じ意見を持っているように見えて、その実、必ずしも全ての意見において一致しているわけではありません。例えば奴隷制復活を掲げているのは地主層だけ。中産市民層は都市生活者であり、むしろ我々の進める都市開発重視政策により恩恵を受ける層と言えます。

 では、我々が譲れぬ政策は何でしょう?」

「もちろん、奴隷解放の堅持だ。理念だけではない。先だって、奴隷制廃止を訴える勢力との内乱を勝ち抜き、奴隷制を維持することを選んだアメリカ合衆国が、イギリスからその廃止を求めて開戦されるという事件も起きている。もはや、奴隷制の復活は安全保障上のリスクにすらつながりかねないのだ」

「その通りです。では、地主層との妥協は不可能でしょう。となれば、中産市民層が求めているものは?」

「帝政の廃止。共和制の制定」

「果たしてそれは我々が妥協できないものでしょうか」

「・・・つまり」

ポルト・アルグレ伯は息を呑む。マウア男爵は頷いた。

「そうです。我々が取るべき道は一つです。小ブルジョア連中と手を組み、帝政を打倒。真に正しく発展する新たなブラジル国家を、我々の手で創り上げるのです」

但し、とマウア男爵は付け加える。

「何も、フランスのように野蛮な方法を取る必要はありません。極めて穏当に、陛下には退位して頂く。そのための道筋を我々が用意するのです」

「そうだな・・・」

ポルト・アルグレ伯も、納得したように呟いた。

「亡きバレット大臣やカシアス侯には申し訳ないが、このままではいずれにせよ、陛下にとってはお命すら危うい可能性もあり得る。理解して頂くしかないだろうな」

「ええ。それが、陛下の為でもあり、何よりも、陛下が愛するこのブラジルの民の為でもあります」

 

 

1865年11月2日。

1人の男が、サン・クリストヴァン宮殿に招かれていた。男の名はキンティーノ・ボカイーバ。リオデジャネイロで共和主義思想の強い冊子「A República」を発行し、人気を博していた男だ。

事前にマウア男爵とポルト・アルグレ伯の手配によってペドロ2世には説明がなされており、その上で、このボカイーバより、共和制への移行についてその必要性への理解を求める話を御前にて行わせたのである。

帝政は終わり、共和制へと移行する。但し、その初代大統領の地位はペドロに与えられ、彼は平和裏に君主制を廃した王としての栄誉を得る――その言葉が、ペドロ2世にとっても、この難しい決断を支持することになる最後の一押しとなったようだ。

「高潔なる君主」ジャーナル失敗が明らかになり絶望していたプレイヤーに与えられた唯一の希望であった。

 

帝政の廃止を皇帝自らが同意する。この事実がブラジル社会に与えたインパクトは非常に大きく、そこにさらにボカイーバが自らの編集する冊子にてセンセーショナルにこれを喧伝し続けたことで、この「共和制ブーム」は現政権への高い支持をもたらすものとなったのである。

さらに、マウア男爵はダメ押しの施策を投じる。13年前、皇帝爆殺未遂事件の犯人として証拠不十分ながら捕らえられ、今に至るまで服役させられていた革命家軍人フランシスコ・サビーノを釈放。名誉回復させると共に、共和制運動の旗頭として活動してもらうことに。

さらに大陸で共和主義運動を展開し追放されていたコンラート・アイヒェルバウムを招聘。サビーノと共に共和制制定に向けて国民の意識を底上げしていくこととなる。

政権のみならず国民をも巻き込んだこの一大キャンペーンによって、元々帝政打倒を第一に志向していた小ブルジョア勢力を切り崩したのはもちろん、地主勢力の中からも、奴隷制復活を絶対視するグループには属さない、共和主義重視のグループを分裂させて体制側に取り込むことにも成功。

もはや政府に反発するのは君主制を強く支持するカトリック勢力くらいとなり、彼らは結託して蜂起の準備を進めることになるが、その勢力は大したことはなく、10年前の内戦の再来とはならなかった。

そして1867年9月28日には「共和制憲法」が制定され、初代大統領に現皇帝ペドロ・デ・ブラガンサが就くことが明記された。同時に、共和制移行後3年以内に最初の大統領選挙が実施されることも、ここで約束されることとなった。

そして、1868年10月7日。

ついに、その時がやってくる。

 

 

だが、その栄光は長くは続かない。

すべては、自らが真に安定した権力を握ることを画策する、マウア男爵の思惑の中であったのだから。

 

 

マウア・エラ(1868-1878)

皇帝としてではなく、「ブラジル合衆国」における初代大統領としてのキャリアを開始したペドロ2世もといペドロ・デ・ブラガンサ。

これまでは皇帝とは言うものの、実際の政治の大半を閣僚評議会議長(首相)たるマウア男爵によって主導権を握られ続けていた。

しかしこれからは彼から独立した大統領として、その統治の責任を真の意味で担うこととなる。そのことを踏まえ、彼は皇帝時代には為し得なかった彼自身の理想の実現を目指し「改革」に着手し始める。

副大統領として、「ペドロ大統領」と志を等しくする軍人・ベルガルデ将軍を就任させることに。彼はペドロ大統領を支持する知識人層の指導的地位にも就いていた。

 

まずは、この国の人口の実に4割を占めていながらも、根強い差別が続けられ、その生活が不当に侵害されている元奴隷のアフリカ系ブラジル人たちに対する救済を進める必要があると判断。

それこそが、ペドロ自身強く望んでいた奴隷解放の真の意味での達成になると信じており、それゆえに奴隷反対派のマウア男爵らもこれには賛同してくれるだろう、とペドロは確信していたのである。

だが、この改革に対し、保守派のカトリック教会や、農村部での安い労働力が失われることに反発する農場主たちのみならず、ペドロの帝政廃止を強く支持し盟友関係になっていたはずの小ブルジョワ層までもが反対。さらに危機的なことに、議会内最大勢力でありもっとも影響力を持つマウア男爵麾下の資本家勢力たちも、この政策に対し断固無視の構えを取ったということである。

ボカイーバ率いる小ブルジョワ勢力は、ペドロらの行き過ぎた改革志向を強く非難。彼らが求めたのは理想的な理念の実現ではなく、地に足の付いた、確かな経済基盤と「国民」の安定であった。

 

国内ではカトリック教会・農場主らが結託し再度の「反乱」への動きを見せ始め、首都では大規模な反体制派パレードまで計画されているという。

副大統領のベルガルデ将軍は軍隊を動員しこの「守旧派」の一掃を行うことを大統領に提言するも、「国民のため」の政治を行うつもりであったペドロ大統領は、それが結果として内戦に繋がるなどもっての外であるとこれを拒絶する。

それが今度はそれがベルガルデ将軍を支持する知識人層からの失望を招くこととなり、いよいよペドロ大統領はその政権の初期段階において、誰も味方がいなくなるという状況に陥ってしまったのである。

ここに来て、ペドロは完全に心を折ってしまった。

彼は改革の中止を宣言。

そして同時に、自ら大統領の職を辞し、改めて選挙にて新たな大統領を選出することを宣言した。

「私は国民と共にある。その国民の為にも、私は適切な方法で適切にこの国の指導者を決定するべきであるという結論に至った。国民よ、私は良き指導者ではなかったかもしれないが、それでも最後のこの私の決断を、何卒支持してもらいたい」

宮殿のバルコニーでそのように語りかけた大統領に対し、その支持者たちはこれを熱狂的に歓迎し、称賛した。

しかしその人数は、彼が初代大統領に就任し、そのための演説を同じ場所で行った2年前と比べ、明らかに減少していた。

それでもペドロは一定の満足を得た上でその場を後にし、そして生まれてこの方、過ごし続けてきたこの愛する帝国宮殿との別れを告げることにしたのである。

 

かくして、1870年7月1日。

半年後の投開票に向けて、ブラジル合衆国第1回選挙にして初めての大統領選出選挙が行われることとなる。

だが、その選挙制度は帝国時代と変化なし――すなわち、非常に厳しい財産制限が課せられたものであり、投票可能な国民は全体のごくわずかに過ぎず、それも多くがマウア男爵の政策に賛意を示す資本家たちによって占められていたのである。

この選挙制度に対し、知識人層中心の自由共和党を支持するフランシスコ・サビーノは、選挙の不正と投票活動への棄権を「良識ある人々」へと訴えるなど、懸命な努力を尽くしてはいた。

それでも大勢は覆すことできず、1871年1月1日に確定した第1回合衆国選挙の結果は、マウア男爵率いる自由貿易党の圧勝。

ついに、マウア男爵は真にこの国の支配者の座を手に入れることに成功したのである。

途中の共和制騒動によって、随分と遠回りさせられる格好にはなったが、これでようやく、彼の「改革」を再開させることができるようになった。

しかし遠回りの結果、彼は帝政時代よりも遥かに大きな権限を手に入れることができるようになり、さらに大胆な政策を実現できるようになったこともまた事実であった。

 

まず、マウア男爵は自らがすでに設立していたリオデジャネイロ貴金属工業に加え、サンパウロ鉄道株式会社とリオデジャネイロ製材工業という2つの会社を新規設立。いずれも自身の資本のみならず国家の資本も導入した半国営企業として優遇措置を与えた。

今後の鉄道拡大に向けた鉄道建設コストの削減と、リオデジャネイロ製材工業の「繁栄度ボーナス」によるインフラへのボーナスを期待しての設立。木材・ゴムの生産量へのボーナスも魅力的だ。


さらに、獲得した資本を使用して南米の諸外国への投資を拡大。とくに隣国で戦略的にも重要な存在であるペルー・ボリビア連合に対しての投資と関係改善を重点的に進めていく。

このペルー・ボリビア連合のみならず、南米の各諸国――パラグアイ、チリ、ヌエバ・グラナダ、エクアドル、そしてかつて敵対したアルゼンチンも含め――に対しても資金援助を進め、その代償として次々とブラジル主導の関税同盟への加入を進める。

1876年時点では南米のほぼ全域を「ブラジル市場」の中に収める、南部共同市場(Mercado Comum do Sul, MERCOSUL)を設立する。

スペイン市場を超え、世界第7位の市場へと急成長を果たはた。


もちろん、小国を中心に加入させているこの共同市場は、その経済的利益単独で見れば単純なブラジルへの利益は大きくはない。

但し、マウア男爵はこの協定において「労働力の移動に関する制限の撤廃」という条項を差し挟んでいた。

その結果、より魅力的な仕事と報酬を求め、南米の各地からブラジル国内に大量の移住が発生する事態に。

その産業の中心地であるミナスジェライスにもタラパカ、アントファガスタ(いずれもボリビア)、コスタリカ、パナマ、エクアドルなど南米各地から数多くの移民が毎週訪れていた。

 

この政策の結果、ブラジルの経済は飛躍的に向上。GDPは20年前、マウア男爵が政治における主導権を握る直前と比較すると2倍以上にまで拡大することとなった。

共和制への移行を挟む、この20年間の経済的成長は「マウア・エラ」と呼ばれ世界的にも注目を集めることとなった。

この栄誉を称え、彼は議会の議決によってvisconde com grandeza(偉大な子爵)の称号を与えられ、マウア子爵と呼ばれるようになるなど、彼の絶頂期を迎えることとなったのである。

ただ、もちろん物事には常に光と影がある。

国家としての経済的基盤の拡大には確かに大きく貢献した一方、資本家重視の彼の政策は、その中に大きな「歪み」を生むこととなる。

たとえば、ペドロ大統領が解決を目指しつつも挫折した、被差別人種の問題はより一層大きな問題となって足元の社会不安を生み出しつつあった。

それは都市部だけでなく、辺境の農村部でも、むしろより大きな問題として残存していた。

例えば、マウア政権下において周辺国との条約締結により領地の獲得を進め、拡大した「アマゾン」地域においては、その開発を急ピッチで進めるために現地の貴族や資本家たちの手によってかなり無理のある施策が行われた結果――「地上の地獄」が出現しつつあった。

同様のことは、都市部の工場でも行われていた。急速な産業化の結果、労働者の安全を度外視したオペレーションは数々の悲劇を生み出し、そしてそれはもみ消されていった。


だが――決してそれは、隠しきれるものではない。

多くの人々が経済的に豊かになり、国家全体の余裕が生まれていく中で、少しずつ彼らがそれまで見過ごしていた問題――人道的な問題に対して、目を向ける余地が生まれつつあったのだ。

 

そしてそれは、かつて挫折したペドロ「元大統領」にとって、その理想を実現するための好機が再び訪れることを意味していた。

 

 

「大統領陛下」(1878-1898)

1878年6月18日。

リオデジャネイロ郊外にあるペドロの邸宅に、久々の来客があった。あの栄光の大統領就任から既に10年。完全に政界から引退していたペドロは早くも年金生活を始めており、娘イザベルもフランスへ行ってしまった後、広い屋敷の中を良き妻テレサと数名の使用人たちとのみ、何をするでもない日々を過ごしていた中で、改めて彼を訪れようとする者は久しくいなかったのだ。

ましてや、それが現職の陸軍大臣であり、かつ非公式の極秘の会合としてセッティングされたのだから、それは間違いなく只事でなかった。

「久しぶりだな、伯爵」

ペドロの言葉に、ポルト・アルグレ伯爵マヌエル・マルケス・デ・ソウザは頭を下げる。

「本当はもっと早く、お伺いするべきでした。しかし、軍部内での協力者たちを、十分な数密かに集めるだけでも、相当のお時間がかかってしまい、これだけのお時間を費やしてしまいました」

「何の話だ」

ペドロは眉根を寄せ、目の前の男を睨みつける。

「まさか、クーデターでも起こそうと言うんじゃないだろうな。そういうことに、私を利用しようとするならば、すぐにでも帰ってもらう。私はもう、政治には関わるつもりはない」

「いえ、そのような暴力的な手段に出るつもりはありません。但し、政治には、関わって頂きたい。私たちにとって、それが今唯一の希望なのです」

顔を上げ、まっすぐにペドロを見つめるポルト・アルグレ伯の視線を受け止め、しばし沈黙する。

「・・・話を聞かせてもらおうか。伯爵は、マウア子爵の盟友だと考えていたが」

「ええ・・・確かに、10年前、帝政の廃止については、それが陛下のため、そしてこの国家のために最善と考え、私はマウア子爵と行動を共に致しました。しかしその後、彼は初代大統領となった陛下の・・・いえ、閣下の苦境を助けるでもなく、ただ自らの権力と派閥の為だけの政治に終始することになりました。

 勿論、彼は彼なりのやり方で、この国を強く、豊かにするべきと考え行動していたのでしょう。彼が信念を持ち、私欲以上に国家のことを考えていることは、私も信じております。但し、それでも、その役割は、閣下のものであるべきであった。この国は閣下の父が生み出し、そしてそれを継承した閣下が育ててきた国なのです。これを蔑ろにすることは、私自身も我慢なりませんし、その為に尽くしてきたバレット大臣やカシアス侯に申し訳が立ちません。

 今からでもまだ遅くはありません。私の命はもう長くはありませんが、全身全霊をかけて閣下をお助け致します。閣下、もう一度、お立ち下さい。閣下の理想とする、国民のための政治を、再び」

ポルト・アルグレ伯の熱のこもった言葉と瞳に、ペドロは失われていた情熱の火が再び灯り始めるのを感じていた。

だが、と彼は口を開く。

「私の理想はあまりにも現実離れし過ぎていた。そして独善的でもあった。国民のためと言いながら、その国民の代表たる農民たちにも愛想を尽かされていたのだ。もう一度立ち上がったところで、誰もついて来ることはない」

「その点については、問題ございません。そろそろ、来る頃でしょう」

ポルト・アルグレ伯の言葉に合わせるようにして、使用人が現れて来客を告げる。

通されたその男はペドロの知らない人物であったが、若く、そして活力に満ちた瞳をしていた。

「こちらはイザイアス・ロペス。まだ若いが、サンパウロのコーヒー農園をほぼ独占的に経営し成功を収めている秀才で、ブラジルの農業組合のリーダーを務めている人物だ」

「以後、お見知りおきを、閣下」

小さく頭を下げるロペス。遅参の詫びもなく、その横柄な態度は少しだけ気になったが、一方で何一つ無駄な迎合も余計な飾りもないその姿勢は、実力に伴う自信の現れのようにも感じた。

そして、ポルト・アルグレ伯の紹介の中で気になった言葉があった。

「全国農業組合の、代表と」

「ええ。正式な議長は別の人物が兼ねておりますが、会計と人事部門長を兼ねている私は、実質的に組合をコントロールしております。私の意向で組合員たるブラジルの農場経営者の殆どを同じ方向に向けることも可能です」

そう言ってロペスは不敵に微笑んだ。

「成程・・・だが、私は10年前、君たち農村民をも敵に回したのだ。私の非現実的な理想によって、君たちの生活を蝕む元凶として」

「時代は変わったのです。閣下」ロペスは力強く否定した。

「今や、このマウア・エラによってブラジルは世界に誇れる経済大国へと成長し、数多くの移民が、欧州各地からも訪れるほどとなっております」

「もはや、人を人として見做さぬような非人道的な政策に頼ってまで労働力を必要とする時代ではなくなりました。むしろ、現在のイリニュー政権こそ、人を人たらしめぬ悪とさえ成り果てています。先の工場事故だけでなく、農村部で凶作が起き農民が苦しんでいても、彼らはろくに支援を寄越そうともしない」

「イリニュー大統領は確かに国家を見てはいるのかもしれません。しかし、国民一人一人を見ているわけではありません。失礼ながら、あの時、あのタイミングで、閣下の政権が倒れられたことは必然であり、必要であったかもしれません。そしてその後の10年において、イリニュー大統領の政策が必要だったことも確かかもしれません。その功績は認めつつも、この先の新たな10年に必要なのは、閣下、あなたの政策なのです」

ペドロは涙が溢れ落ちそうになるのを必死で堪えた。彼は、物心ついた頃には既に皇帝として即位させられており、以後、40年近くに渡りこの国の頂点に君臨しながらも、何一つその意思を通すことができずにいた。いざその機会がもたらされたときには、その意思は全て徹底的に否定され、彼はその長い人生の全てを無に帰されたかのように思っていた。

それが今、この年になって初めて、自分が生きた証を認められたような思いを抱いていた。そして、この先においても。

「私は・・・必要とされているのか」

ロペスは頷く。傍らのポルト・アルグレ伯も頷いた。

「陛下・・・今一度、お立ち下さい。全てのブラジル国民のために。もう一度この国に、平和な革命を起こしましょう」

 

1878年7月4日。

半年後に控えた第3回合衆国大統領選挙に向けた選挙活動が開始されると同時に、ペドロ元皇帝・大統領を党首に据える新党「急進党」の立ち上げが発表された。

その党員として名を連ねるのは全国農業組合の代表と副代表、そしてそのナンバースリーだが実質的な最高権力者として知られるイザイアス・ロペスの名があり、ブラジル全土のコーヒー農園や砂糖農園、葡萄農園の裕福な農場主たちがこの新党を支持することは確実視されていた。

さらには現役の陸軍大臣たるポルト・アルグレ伯もペドロと新党の支持を発表したことで、軍人の支持も一定以上集まることが十分に期待できる状況であった。

さらに、ロペスは業界紙はもちろん、都市部の有力な新聞を用いて大々的な急進党応援キャンペーンを展開。

20年間に及ぶマウア・エラの功罪について広く知れ渡りつつある中で、確かに一度失敗はあったものの、それでも今なお国民に愛される元皇帝ペドロに対する同情と支持は着実に増えつつあった。

この事態に危機感を覚えたマウア子爵は、側近を引き連れてペドロの邸宅を訪れる。

「閣下、かつてと同じく、今一度、共に手を携えませんか。私も私の為すべきことを終え、私の政治における問題点を直視すべき時が来ました。その時、閣下の掲げる理想は、私では思いつかない適切なものであると理解しております。私もまた、かつて閣下の望む奴隷解放を主導し、実現した男なのです。どのように吹き込まれているか分かりませんが、私もまた、閣下同様に、国民に対する愛と人道に対する理想とを信じる一人の人間なのです。

 どうか、共に手を取り合いましょう」

マウア子爵の言葉に、ペドロは小さく首を振った。

「私は不器用でね。君のように器用であれば良いんだが・・・どうしても私には、現実のために理想を妥協することができない人間なんだ。だから君とは、共に政治を行うことはできないし、するべきではないんだ」

不首尾に終わった会合の帰り道、マウア子爵は馬車に同乗していた側近に小声で零した。

「俺も油断をしていた。何たる失策。操られることに関しては類稀なる才能を発揮する人形を、雑に倉庫に放り投げてしまっていた。誰かにそれを奪われるなんてことを考えもせず。しかしポルト・アルグレ、あの裏切り者め。いや、それだけあのロペスという男がやり手なのか・・・」

 

その後もマウア子爵陣営の反撃策は効果を発揮できず、富裕者投票という制度の中にも関わらず、1879年1月1日、投開票の結果、急進党の勝利が確定する。

こうして、マウア子爵イリニュー・エヴァンジェリスタ・デ・ソウザは、2期8年間の任期をもって大統領職を辞し、ペドロに後を譲ることとなった。

ペドロは8年ぶりに、今度は選挙を通して自らの手で、大統領に返り咲くこととなったのである。

 

「おめでとうございます、閣下」

祝賀会の場で、ロペスはワインを掲げ、ペドロを祝福する。

「惜しむらくは、この場にポルト・アルグレ伯がいないこと。共に勝利を味わいたかったが、仕方ありません。我々でそのご遺志を、叶えねばなりませんね」

ロペスの言葉通り、勝利にギリギリ間に合わない形で、ポルト・アルグレ伯はこの世を去っていた。

現職陸軍大臣としてペドロら急進党の支持を表明していたことで、軍人の多くも急進党に流れてはいたが、後任のベンジャミン・コンスタントは現状では保守派のミナス共和党の支持を表明しており、次回の選挙で軍部が急進党を支援してくれるとは考えづらい。

「閣下、この勝利に合わせ、改革を進めたいところですが、そのためには時間が必要です。その時間を十分に確保するためにも、まずは基盤を固める必要があります」

「ああ――いずれにせよ、今の選挙制度では、真の意味で国民の意思を政治に反映させることはできない。これもまた必要な改革だ」

ペドロの言葉に頷くロペス。

「ですが、既得権益を大きく侵害するこの改革は、強力な抵抗が存分に予想されます。マウア子爵も再戦のために全力を傾けて来るでしょう。こちらも相応の対応が必要ですが・・・」

「うむ。それに関しては、一つ考えていることがある」

 

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ベルナンブーコ

ポルトガル植民地時代のカピタン領を起源とする、ブラジルで最も歴史のある地域の1つ。

現在は欧州・アジアとの交易の玄関口として、無数の取引所が建てられ、日々数多くの人と物とが行き交う忙しい街であった。

ここに、欧州から一人の男がやってきた。商品でも商人でもない。仕事を求めてやってきた移民でもない。いや、ある意味ではそうかもしれないが、しかし彼は一般庶民とは明らかに異なる気品と威厳とを持っていた。

「サヴォイア殿ですな?」

ペドロが声をかけると、男は柔和な笑みを浮かべた。

「おお、貴公がブラガンサ殿か。お初にお目にかかる」

男は手を広げ、二人は抱擁する。

男の名はヴィットーリオ・エマヌエーレ・ディ・サヴォイア。かつて、サルデーニャ・ピエモンテ王国の王であった男だが、1869年に母国で起きた共和革命の末に国を追われ、シチリアで余生を過ごしていたところを、両シチリア王フェルディナンド2世の妹でもあるペドロの妻テレサの伝手を借り、数年間に及ぶ文通を経て友人関係に至っていた。詳細は異なれど、共に退位させられた元君主同士、話の合う所も多かった。

そんな彼がこの度、ペドロのたっての願いを受け、シチリアからこの南米にまでやってきてくれたのである。

「まずは大統領復帰おめでとう。手紙で知った時は貴公の大法螺かと思い信じなかったが、その後いろんな方面からそのニュースを聞いたものだから、びっくりしたよ」

「ありがとう。だが早速困難に直面しており、貴方の助けを借りたいと思っていたのだ」

「遠慮なく言いたまえ。私も長らくシチリアに留まっているとやることもないし、後ろめたさもあった。あの場所を離れる口実ができて実に助かるよ」

快活に笑うイタリアの元国王。

「で、何を手伝って欲しいんだ?」

ペドロは頷き、説明する。

「我が国で今、より民主的な選挙制度改革を進めようとしている。そのキャンペーンに、貴方の力を借りたい。議会と協力し、民主的な改革を進めた君主として」

「それは皮肉かね? 結局、その議会に最後は裏切られ、このように追放されている身なのだから・・・」

国王を追い出し、民主共和制を開始したサルデーニャ=ピエモンテ。

 

「いや、そういうわけでは」ペドロは慌てて言い繕おうとするが、それをヴィットーリオは笑って遮る。

「分かっている。貴公は言いづらいだろうが、要はその上で、帝政は廃止しつつもこのように元皇帝に大統領としての権利も与えているブラジル国民の先進性を称賛しつつ、これを真の民主主義だと讃えれば良いのだろう。母国には怒られるだろうが、何、私も何かしらの復讐をしたい気持ちはあったので、丁度いいさ」

「すまないな」

「いずれにせよ、シチリアは出る必要があった。余生を友の近くで過ごせるのであれば、これほど幸せなことはない。このブラジルも、来てみると確かに良い土地だしな」

 

かくして、急進党による選挙制度改革キャンペーンが始まる。元イタリアの国王もそこに参戦し、ブラジルの先進性を褒め称えたことは、少なからず欧州にコンプレックスを抱いてもいたブラジル国民にとっては刺激的なものとなった。

もちろん、これは外国による内政干渉の一環であり、これがペドロの手口だと、保守派を中心に批判も高まるが、それもまた彼ら守旧派の狭量さを批判する自由主義勢力の口実となった。

このペドロの動きに並行し、農村民の支持を一手に引き受けるイザイアス・ロペスは、選挙制度改革を盛り込んだ新しい憲法案を大々的に発表し、これもまた熱狂的な支持を集めるに至る。

これらの甲斐あって、1882年8月10日には無事、財産権を大幅に緩和した新たな選挙制度が発足。

この制度の下で行われた1883年の第4回大統領選挙においては、これまで投票したことのない中産階級以上の国民が投票所で長蛇の列を作り、結果として急進党は全体の実に7割の票を得るという大勝利を達成することとなった。

これで信任を得た急進党政権は、次々と改革を着手。

まずはブラジルを訪れていた思想家ブルーノ・バウアーの力を借りて、政教の完全分離を達成。

さらに1887年にはこれも資本家勢力が嫌っていた子供達の義務教育制度も完成させる。

そしてより自由で開かれた民主主義社会を実現するべく、言論の保護の必要性について、ペドロ自ら民衆の前で堂々と演説。

1889年4月11日には、この言論の保護法についても可決されることとなった。

 

そして、いよいよペドロは悲願を達成する。

すなわち、彼が夢見た、アフリカ系ブラジル人たちへの差別を包括的に禁じる「文化的排斥」法の制定である。

これにより、アフリカ系ブラジル人たちは少しずつではあるがその生活を改善させていく。

そして、この自由と繁栄の南アメリカを求めて、欧州からもさらなる移民が集まりつつあった。

「文明化の使命」技術の獲得(その他にも色々条件はあるが、ほぼ自動で達成されるものばかりで、基本はこの技術が鍵となる)によって出現するジャーナル「アメリカへの入植」によって、権力の消費と引き換えに西欧からの大規模移民を定期的に生じさせることができる。

 

政府を支持する農村民も、同じく政府を支持するようになった地主層も、この海外からの移住促進に全面的に協力し、ブラジルは一躍世界の労働力を惹きつける理想の国家となった。

ブラジルの農村民、地主の高支持ボーナス。知識人が持つ移住力ボーナスが消えた代わりにこの二つの利益集団に与えられ、合計+25%と非常に強力。新バージョンでは国家ごとに個性的な利益集団ボーナスが作られるようになったが、このようにブラジルでは自然と農業を重視したくなるようなデザインにするのはとても良い。なお、ファゼンダとはコーヒー豆の大農園のことを指し、イビカバはサンパウロにある地名。

 

この結果、ブラジルのコーヒーは世界に誇る輸出品となり、大きな経済的繁栄をもたらした。

新たな産業としての「ゴム」はアマゾンの森林の中から発展し、その中心たるマナウスは新たなブラジルの商業中心地として栄えることとなった。

この結果を受けて、19世紀末のブラジルの人口は20年前のマウア・エラの頃と比べても2倍近い1,200万人を超えるほどに成長。

そしてGDPも20年前のさらに2倍となる大成長を遂げたのである。

 

まさに、理想と実益とを共に実現した、「ペドロ大統領」の治世。

途中、盟友イザイアス・ロペスが汚職事件によって引退を余儀なくされ、急進党(自由共和党と一時的に改名。のちにまた戻す)から農村民グループが離脱するという事態も巻き起こりつつも、ペドロは自らの支持者たちだけで引き続き勝利を重ね、実に5期20年間の長期政権を続けるようになったのである。

それはまるで、かつての君主制の如き体制ではあったが、それでも彼はそこに驕ることなく、正義と博愛とをもって、この多民族国家ブラジルを能く治め続けていた。

いつしか、人びとは彼のことを敬意を込めて次のように呼ぶようになっていった。

 

大統領陛下」と。

 

 

 

1898年9月2日。

半年後にペドロの6選目を目指す選挙が迫る中、彼は議会で力強く新法案の必要性について訴え続けていた。

彼はかつて摂政フェイジョが通そうとして断念していた公立学校の制度を進めるつもりでいたのだ。国民が栄え、差別もなくなった今、次は未来を育む時である、と。手振りを交えながら興奮して議員たちに語りかけていた。

しかし、その途中、彼は突然咳き込んだかと思うと、咳は止まらず、そのまま机に倒れ込んでしまった。

誰もが騒然とした。そして直ちに彼は病院へと運ばれたが、医者の懸命な努力にも関わらず、翌日には永遠に還らぬ人となってしまった。

 

 

元ブラジル皇帝ペドロ・デ・ブラガンサ。

激動の19世紀を駆け抜け、国家のために尽くし、翻弄されながらも、最後までこの国の国民のことを思い続けてきた「大統領陛下」。

その手腕により、今やこの国は世界に名だたる大国の地位を明らかなものとしていた。



 

その死は、果たしてこの「巨塔」を、どのような運命へと誘うことになるのだろうか。

 

 

第三話へと続く。

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*1:ゲーム上、実際には1850年に起きた出来事。物語の都合上、ここではこのタイミングで起きたことにしている。