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【Vic3/Victoria3】世界で最も豊かで幸福なスイスの作り方③ 最後の改革(1876-1896)

 

ナポレオン戦争後、暫くは旧来の国家連合形式を復活させそれを継続させていたスイスも、1830年代より少しずつ自由主義改革が進展。

1855年選挙では急進主義者ヨーゼフ・フランツ・カール・アムルヒンを中心とする自由民主党が政権を獲得し、改革を進めていくこととなった。

改革を進める中で内部の対立などがありながらも、アムルヒンは国民の自由と民主主義の進展、そして経済発展を進めていき、1863年には非ヨーロッパ人にも市民権を認める「文化的排斥」法を制定。

税率も下げ海外から見ても魅力的な州としたことにより、1871年にはついに最初の大規模移住が発生。スイスは保守的な閉ざされた国家から、開かれた先進的な国家としてスタートすることを決めたのである。

多くの犠牲を払いながらも改革を推し進めたアムルヒンは1874年に引退。その4年後に78年の生涯を閉じる。

 

そしていよいよ19世紀最後の20年が始まる。

アムルヒンなき後の政界の激震、そして欧州全体を包む混乱を前にして、スイスはいかにしてこれを潜り抜けていくのだろうか。

 

 

Ver.1.5.13(Chimarrao)

使用DLC

  • Voice of the People
  • Dawn of Wonder
  • Colossus of the South

使用MOD

  • Japanese Language Advanced Mod
  • Visual Leaders
  • Historical Figures
  • Japanese Namelist Improvement
  • Extra Topbar Info
  • East Asian Namelist Improvement
  • Adding Historical Rulers in 1836
  • Interest Group Name Improvement
  • Western Clothes: Redux
  • Romantic Music
  • Cities: Skylines
  • Beautiful Names
  • ECCHI

 

目次

 

前回はこちらから

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最後の改革① 開かれたスイスへ

1875年11月13日選挙では引き続き自由民主党が勝利し、アムルヒンの後継者として指名された国防軍総司令マンフレッド・ネフが連邦議会議長の座を継続することが決まった。

一方で同年5月に労働組合代表ガストン・ベルリオーズが結党した社会民主党が大きく票を伸ばし、自由民主党に迫るほどの勢いに。

ネフはこの社会民主党の政権入りも認め、共にアムルヒンの偉業を継承する改革を進めていくことを要請した。

一方、アムルヒン時代の末期には自由民主党と手を組み連立政権を形成していた実業家集団主体の自由貿易党は、この社会民主党の要望により政権から放逐。

その勢いもかつてのものを失い、準主流派へと落ちるなど、情勢は着実に変化しつつあった。

 

そしてこの自由民主党・社会民主党連立政権において、改革は進んでいく。

まずは知識人層の請願を受けて1878年12月15日に「完全分離」を制定。非キリスト教徒にも開かれたスイスの完成と相成った。

1880年3月17日には世界に先がけて女性参政権を実現。女性の社会進出を進め、共働きを奨励するこの改革は、労働力人口確保というアムルヒン時代からの重点政策の継承深化でもあった。

そしてさらに、政権は重要な法律を通そうとしていた。

それは、国家の在り方を大きく変えうる法案。すなわち、建国以来ヘルヴェティア共和国時代を除き連綿と続いてきた国家連合形式を改め、強固な権力を持つ大統領の下に統治される中央集権的な政治体制――大統領制の制定である*1

ゲーム的には、自由化を進めていく中でどんどん失われていく権力を多少でも取り戻すべく、議会共和制からの切り替えを狙うこととなった。

 

「これは由々しき事態だ」

スイス首都ベルンの郊外に立つ豪奢な邸宅の一室で、農業党党首レオ・リッチーは苛立った様子で呟く。

「ガストン・ベルリオーズ――奴がこの法律を推進していると聞く。奴はこの国の君主にでもなったつもりか? 我らがスイスの伝統ある州の独立を犠牲にし、権力を独占しようなどと。これを許せば、この国は自由も民主主義も失うのだぞ」

「全くもってその通りです」

と、答えたのは、自由貿易党党首のハインリヒ・コロディ。5年前に起きた縫製工場火災の責任を取り辞任したオスヴァルト・ヴィスの後任である。

「我々もまた、この改革には歴然と反対致します。仰る通り、州の独立はスイスの国是。これを蔑ろにするべきではありませぬ」

「フン・・・貴殿らは中央政府が地方の商売に口を出してくるのが嫌なだけだろう。だが、同じく奴らに反対するならば、今は手を携えるときであるのは間違いない。

 社会民主党を引きずり下ろすぞ。あまりに性急な改革には歯止めをかけるべきだ」

 

自由民主党・社会民主党連立政権――とくに社会民主党党首ガストン・ベルリオーズに対する激しいネガティブキャンペーンが、貴族や資本家たちの息のかかったマスメディアを通じて広く展開された。

例えば前回の選挙戦において、ベルリオーズがベルギーの前衛党から支持を受けていたことが、資本家寄りのジャーナリストによって暴かれた。

権力の集中を好む前衛党との繋がりや、ベルリオーズ自身の「権威主義者」的性向から、彼が自身の権力を極大化し、挙げ句の果てには選挙制度を廃止して専制政治を敷こうとしているのではないかと、批判者たちは盛んに喧伝した。

それは確かな効果を持っていた。

1881年頃に入った頃にはベルリオーズ率いる労働組合の支持はわずかに下がり、そして実業家集団の支持も少し回復していくこととなったのである。

 

「このまま放置しておくわけにはいくまい」

ベルンのヴァイセンシュタイン通り39番地に位置するスイス社会民主党本部。その一室に、複数名の党幹部が集まっていた。党の主要なメンバーが揃う中、唯一いるべくしていないのは党首のベルリオーズくらいであった。

「このまま奴を頭に据えていては、次の選挙での敗北は必至。となれば、ネフ議長も我々を見捨てるであろう。せっかく手に入れた国政への影響力、捨てるにはあまりにも惜しい」

「となれば、次の党首は誰が適任で――?」

別の幹部の言葉に、一同は沈黙する。

ベルリオーズがもたらした党に対するマイナスイメージを払拭できるような正反対の存在であり、そして国民からの人気も高い人物・・・

「ムンツィンガー氏はどうか」

幹部の一人の言葉に、ざわめきが生まれる。

「最近名を馳せているベルンの活動家か。確かに、人気は申し分なく、我々社会民主党に好意的な人物であるには間違いないが――」

党員ですらない男を新たな党首として推認することに、さすがの戸惑いが室内に広がる。

「しかし、彼はかのヨーゼフ・ムンツィンガー氏の御子息であられる。長男のヴァルター氏は保守的なカトリック教会法弁護士、次男のヴェルナー氏はスイス国内のことよりもアフリカのことに現を抜かしている中で、後妻の子であるアルベルト氏のみが、父君の崇高なる自由の精神を受け継いでおられる」

「確かに・・・彼であれば、それこそ現行の自由民主党支持者の票すらも、一部奪い取れるかもしれぬな」

結論は定まった。

翌日、社会民主党は党首ガストン・ベルリオーズの解任を宣言し、合わせて活動家アルベルト・ムンツィンガーを新たな党首に据えることを宣言した。

このあとのとある「改革」に必要不可欠な人道主義者イデオロギーを持つ彼が出現した瞬間、迷いなく「主導権を付与」することに決めた。

 

社会民主党幹部の思惑通り、ムンツィンガーの語る理想的な社会の姿は、アムルヒン亡き後の自由民主党とネフ議長に失望を覚え始めていた一部の自由民主党支持者をも惹きつけ、1883年選挙ではついに社会民主党が第一党に躍り出た。

これを受けて連邦議会議長に就任したムンツィンガーは、広くスイス国民に語りかける。

改めて、スイス連邦の改革を実行に移すべきであると。

「改めて、皆さんに信を問おう。我々は、やはりこの改革を前に進めるべきだ。それは決して、スイスの伝統と誇りを打ち砕こうとしているわけではない。それは決して、私がこの国の権力を独占しようとしているわけでもない。

 私は、真に我々の理想とする自由と幸福を追求するために、この体制が必要であると信じている。今や、我々はこのアルプスの山奥に閉じこもり、他者を排斥するべき時代ではない。小さな州に閉じこもり、外を見ようとしないことは愚かなことだ!

 もちろん、皆さんの州の自治は私の名にかけてしっかりと守る。しかし、合わせて州の垣根を超えた統一された理念と理想とを、私は皆さんにしっかりと届けるべく、信念をもって皆さんを牽引していきたいと思う。

 我々は脱却するべきだ。古くからの、「閉ざされた国家連合」という形から。

 そして、我々は始めるべきだ。この、「開かれたスイス連邦」という形でもって!」

1884年5月18日。

ついに、スイスはそれまでの盟約者同盟という形を脱ぎ去り、新たな連邦国家としての再スタートを切ることとなった。これまでは連邦議会議長という名で呼ばれてきた行政の長を「大統領」とし、各州の自治をある程度認めつつも、統一された国家としての権限を明確にしたのである。

そして、アルベルト・ムンツィンガーは、そのスイス連邦の「初代大統領」となった。

 

ここから、ムンツィンガーの改革が始まる。

それは、この国を「最も豊かで幸福な国」とするための、まさに最終段階とも言える改革であった。

 

 

最後の改革② 抵抗と妥協

今回のプレイの目的である「一人当たりGDP」と「生活水準」を世界最高峰にするためには、最終的に労働者を中心とした政権を作り、彼らの好む改革を成し遂げていくことが必須となる。

その中でも重要な法律が4つ。「累進課税(比例課税)」「老齢年金」「労働者の保護」そして「公共健康保険」法である。

累進課税は比例課税でも良いし、施設の収益を上げづらくなったver1.3以降はその方が国家収益が増す傾向にはあるのだが、今回のプレイでは最終的に累進課税の方が収益は大きかった。比例課税との違いとしては、全階層から徴収する所得税率がより低くなり、その分「持ち株」を持つ主に上流階層から徴収する利益配当税率がより高くなり、「上流階層への傾斜的課税」の意図が明確となっているため、国全体の平均生活水準を押し上げる。

老齢年金は就業率を下げるデメリットもあるが、被扶養者POPの所得を直接上げてくれるのでやはり国家全体の生活水準は上がりやすい。

労働者の保護法は危険な労働環境で無駄に人口を減らすことなくかつ最低賃金も押し上げ、ストレートに低所得者を豊かにする。

そしてver.1.5で改良された健康保険制度。人口を大きく減らす汚染を抑え込むほか、直接的に生活水準を改善する効果も併せ持ち、有用性は一気に上がった。できる限り最大レベルにしてしまおう。

これらの法律は全て労働組合が支持し、逆に労働組合だけが支持することが多いので、労働組合の影響力をひたすら上げるか、社会民主主義者やコーポラティストを政権に入れていくことが必要になる。

 

一方で、これらの性急な改革を良しとしない者たちもいた。

自分たちの権益を脅かそうとする改革者たちに対し、彼らはいよいよ「実力行使」へと踏み切ろうとしていた。

 

「状況を説明してくれ」

「は」

1886年6月27日。スイス連邦首都ベルン大統領府内の会議室にて、アルベルト・ムンツィンガー大統領の指示に内務相のマルティン・ヴォシェが頷き、説明を開始する。

「自由貿易党党首ハインリヒ・コロンディは、影響下にあるベルンの工場におけるストライキを支持しております。取り急ぎ彼らの影響下にない企業と提携し、急ぎ新工場の建設に取り掛かっておりますが、生産量の減産は避けられないものと思われます」

「さらに自由民主党のネフ将軍が、交渉を仕掛けてきております。次回選挙における選挙協力。そしていくつかの法律の制定を要求してきているようです」

「ネフ将軍は国防軍総司令官でもある。彼の下には軍部も控えており、敵には回したくない・・・ある程度の妥協は認めよう。しかし自由と民主主義に関わる法にだけは、決して妥協するな」

「また、各地で暴動も発生しているようで、先日はバーゼルで連邦国立銀行が革命勢力によって襲撃を受けました。ルツェルンでは武器庫を襲撃されたとの報告も」

「治安部隊はどうなっている」

「予算を上げ対応に力を注いでおりますが、自由主義改革の結果、国民に対する監視や統制は十分に機能しておらず、抑制には限界があります」

「状況は最悪だな・・・」

口元を抑え、表情を歪めるムンツィンガー。そこに、ノックの音と共にさらなる悪い報せが届けられた。

「大統領閣下。急報です。隣国フランスで大規模な反政府革命が勃発。これを率いるのは『パリ・コミューン』を名乗る無政府主義勢力です」

 

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「――善良なるスイス国民よ、今こそ目を覚ますべきときだ。

 諸君らを唆し、改革の名のもとにこの連邦の伝統を破壊し、外国人による支配を推し進めようとした社会民主党政権は、隣国フランスでまさに国家を破壊しつつある共産主義者たちの仲間である。彼らは一足先に隣国で本性を現した。

 聞いているだろう、奴らの残虐さを。これは対岸の火事ではない。奴らと同じ思想をもった者たちが今このスイスの政権を支配しているのであり、やがて同じ暴力が諸君らを襲うようになるのだ!」

 

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フランスにおける共産主義革命を、社会民主党政権に対する批判者たちはここぞとばかりに利用した。

彼らは大げさに共産主義者や無政府主義者たちの恐怖を煽り、それをスイスの現政権に重ね合わせ、政権の打倒を呼び掛けた。

そして、一度は妥協を手に入れ社会民主党政権にすり寄ろうとしていたネフ将軍率いる小ブルジョワ勢力も、コロンディら自由貿易党に合流する道を選び、自身の息のかかった新聞社を利用してフランス・コミューンと共産主義者たちに関する「あることないこと」を広め始めた。

政権は必死にこれを否定する。

だが、その振る舞いもまた、「凶悪なるフランス・コミューン」に対する擁護としてとらえられ、それがさらなる政権へのダメージとなっていった。

 

ゆえに、それは仕方のないことであった。

ムンツィンガーは議会にて宣言した。自分たちがフランスの共産主義者たちとは関係がないこと。そして、このフランスの政権を公的に非難することを。

ムンツィンガーは忸怩たる思いではあった。もちろん、彼は何よりも暴力を嫌った。それでも、労働者たちのために、そしてすべての国民の幸福のために武器を取ったコミューン勢力のことを、決して心の底から否定するつもりはなかった。

しかしそれでも、ムンツィンガーは所詮は「祭り上げられた党首」でもある。彼は党のために信念を曲げ、コミューンを批判した。

だがそれが結局党内の分裂を加速させ、結果的に党の勢力を大きく減衰させることにもなる。

1887年11月13日。

選挙の結果は、かろうじて社会民主党の勝利。だが、小ブルジョワ勢力を吸収した自由貿易党が間近に迫ってきており、薄氷の勝利であることは間違いがなかった。

 

このまま、ムンツィンガーの改革は挫折を迎えることとなるのか。

 

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1888年10月14日。

ベルン北東、ゾロトゥルン州のザンクト・ニクラウスにあるカトリック教会の墓の前で、アルベルト・ムンツィンガーは一人、立ち尽くしていた。

「・・・改革は容易ではない。このまま結果が出なければ、私もこの地位を下ろされることになるだろう。私は信念を持ってここまで突き進んできたが、それを望まぬ者もこの国にはまだまだ多いことを知った。

 しかし父上。父上の時代には――アムルヒンやルートヴィヒ・フォン・ケラーの時代には、より多くの困難や抵抗を前にして、これに立ち向かっていたことを私は知っている。私はそのことを深く考え、父上たちがどのようにして、その勇気を得られていたのか知ろうとした。

 そして、一つの結論に達した」

背後で、枯れ草を踏む音がした。ムンツィンガーは振り返る。

「ムンツィンガー大統領閣下。まさか護衛もつけずに来られるとは・・・確か閣下は、プロテスタントではなかったか」

「ええ。ただ、父や兄はカトリックを信仰しておりました。あまりここには来ることはないのですが」

ムンツィンガーは微笑を浮かべ、その男を迎える。

男の名はポール・サイエ。農業党に所属しつつも、ムンツィンガーら社会民主党に近い政策を掲げ、低所得者層を中心に人気を博している活動家だ。

「自らの身の安全も、信仰も、すべて捧げるつもりでお越しになられたのですね。そのように信頼を頂き、光栄であります」

恭しく礼をするサイエ。伏せられた目が再び上がるとき、その眼光は鋭くムンツィンガーを貫いた。

「私もその信頼に応える必要もあるでしょう。我らが党首レオ・リッチーは今や自由貿易党の傀儡。真に国民のための政治を行うつもりもない。なれば、私がこの国の農民たちのために、正しい政治を志向するつもりだ。

 そのためには、閣下。約束通り社会民主党への合流を行います。我々が国民に真の光をもたらしましょう」

サイエはそう言って右手を差し出す。ムンツィンガーはそれを固く握った。

「かつて、この国の自由主義の旗手ヨーゼフ・フランツ・カール・アムルヒンは、フリードリヒ・ルートヴィヒ・ケラーやエルンスト・アウグスト・デーラーと結び、三頭政治と呼ばれる改革を行った。私もまた、一人ではこの国のための最後の改革を行うことはできない。サイエ殿、お力をお貸しください」

「ええ、もちろんです、閣下。

 ただし閣下。かの英雄たちが3人必要だったように、我々もまた、もう1人の仲間が必要でしょう」

サイエの言葉に、ムンツィンガーは眉を上げる。

「実はもうここに来てもらっております。自由民主党党員ですが、近く新政党を立ち上げるつもりのようですが、志は我々に近いところがある男です」

そう言って振り返ったサイエの視線の先から、一人の男が現れた。

「ガストン・ゴノドだ。私が求めるのは徹底した自由。その意味で、必ずしも貴方がたの政策の全てに同意するつもりはないが、同じ敵を相手にし、共通の目的を達するためには一時的な協力を結ぼう」

男のやや不遜な態度にムンツィンガーは苦笑する。しかし、これまで決して心を許せる者たちばかりではなかった党内や、政敵たちに囲まれる議会と比べ、ずっとここは心地が良かった。

かつて自身が、より自由な立場から理想に向けて歩き出し始めた頃を思い出す。そう、私は権力者ではなく、改革者だ。何も恐れることはない。こうして、志を同じくする仲間たちもいるのだからーー。

 

「よし」

とムンツィンガーは呟く。

「それでは、始めよう。我々の、スイス国民のための、最後の改革を」

 

 

最後の改革③ 改革の完遂

実業家集団と小ブルジョワ勢力が結びついたことで窮地に立たされた社会民主党勢力であったが、折よく社会民主主義者の農村民扇動者が出現。

これに「主導権を付与」させて利益集団の指導者としたことで、次回選挙では社会民主党に合流し圧勝することができるはずだ。

また、知識人指導者が「無政府主義者」になったことも大きい。このイデオロギーはムンツィンガーの人道主義者と同様に「多文化主義」に強く賛成してくれる。

これで、いよいよ改革は最終段階に。

今や、スイスは世界のあらゆる人種・宗教・階層が差別されることなく暮らす地上の楽園となり、早速アマーズィーグベドウィンマシュリクといったアフリカ・中東のムスリムたちも、混乱する遠き故国を離れスイスへとやってくるようになる。

課題となっていた人口問題も随分改善され、一時は縮小していた建設局も増やし、その分の鋼鉄やガラスの需要も伸び、再びスイスは大きな経済的成長を実現していくこととなった。

当然、この好景気に対し、社会民主党政権に対する国民の支持は再び拡大傾向を見せ、次の選挙での勝利は確実視されていく。

焦った自由貿易党のコロディは、引き続き共産主義勢力と社会民主党政権とを同一視するキャンペーンを加熱させ、最終的にはフランス・コミューンへの武力介入を熱烈に呼びかける。

だが、それはさすがに現実的ではなかった。コロディの荒唐無稽な主張を、有権者の多くは冷ややかな目で眺めるだけであった。

さらに1891年5月15日にネフ将軍が急死したことにより、彼の支持者たちも自由貿易党から離脱する動きを見せ始める。

結果、1891年選挙では社会民主党が圧倒。

ゴノド率いる「無政府主義社会」とも連立政権を組み、ムンツィンガーは盤石な政権を形成することに成功したのである。

 

かくして、スイスはその「改革」を完遂した。

各種法律は先進的なものが揃い、自由で民主的であらゆる階層の権利が認められた理想国家としての姿を見せつけている。

1896年時点の生活水準についても、2位のベルギーを圧倒しての1位を記録。

あらゆる人種・階層の人々が、幸福で豊かな生活を送れるような国となりつつあった。

GDPも当然、人口当たり世界1位。

この20年においても、2倍以上の拡大を見せることとなった。

人口も1.8倍と飛躍し、最低税率ににしているにも関わらず所得税収入も1.4倍に膨れ上がった。

 

もはや、スイスの理想は達成された。アムルヒンとルートヴィヒ・ケラーから始まり、アルベルト・ムンツィンガーとポール・サイエへと継承されたその理想は、20世紀を前にして完成に到達したのである。

このままさらなる拡大と繁栄を、この国は享受していくのだろうか。

 

――いや、世界の混乱は、決してそれを許さない。

 

 

「――大統領閣下。たった今、急報が入りました。リヨンの大使館に駐在していた我が国の外交官が、フランス・コミューン政府によって追放されました」

「彼らは、我が国の土地を狙っております。その牙が我々に向けられるのも、もはや時間の問題でしょう」

大統領補佐官の言葉に、ムンツィンガーは頭を抱える。

「――そうか・・・ある意味、コロディの言葉が現実のものとなってしまったというわけか」

「ジョセロン元帥」

「は」

「――総動員令を発令する。ただちにスイス全土から徴兵を行い、国防軍を組織せよ。

 これは我らの自由と理想を守るための、最後の戦いだ。これを踏みにじろうとする全ての敵を国境で押し留め、我らの街に指一本触れさせるな」

 

 

次回、最終回。

祖国防衛戦争」へと続く。

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*1:イメージは1848年に制定された連邦憲法。史実でもここから大統領制が始まった。