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【Vic3】南の巨像 第三話 新政権とペルー・ボリビア戦争(1898-1936)

 

1825年のポルトガルからの独立以降、ブラジルは数多くの苦難に直面し、これを乗り越えてきた。

1831年から始まった幼帝ペドロ2世を支える摂政時代の混乱は、最終的に主導権を握ったアンドラーダの手によって1840年のペドロ2世親政開始という形で幕を閉じた。

その後、彼の後を継いだマウア男爵イリニューはスペイン人自由主義者フアン・メンディザバルと協力のもと奴隷制廃止を実現させ、この過程で生じた内戦も、フランス帝国の力を借りて無事解決を果たした。

その後はほぼ独占的な権力を手に入れたマウア男爵による急速な経済成長時代「マウア・エラ」を現出させ、その間に帝政の廃止という重大な出来事も発生した。

しかし初代大統領となった元ブラジル皇帝ペドロ・デ・ブラガンサは、その理想的すぎる政策ゆえにすぐに議会の支持を失い、早々に辞任。新たに行われた選挙で勝利したマウア男爵が大統領として再び政治の実権を握り、「マウア・エラ」はさらなる進行を見せることに。

その20年間は、確かに繁栄の20年間であった。GDPは2倍以上に拡大し、国威は大いに発揚された。

だが、経済成長の代償として、犠牲になる人びとも増えていた。

この状況を変えるべく、立ち上がったのは農民派の急進主義者イザイアス・ロペス

そしてかつてはマウア男爵の盟友ながら、元皇帝陛下とその理想主義を厚く信じる現陸軍大臣のポルト・アルグレ伯マヌエル

彼らが政界からの引退を決めていたペドロを再び立ち上がらせ、新たに急進党を設立。

1879年選挙にて、マウア子爵率いる自由貿易党を打ち破り、政権交代を実現させたのである。

改めて大統領となった元皇帝のペドロ。ロペスや元サルデーニャ王のヴィットーリオ・エマヌエーレやドイツの思想家ブルーノ・バウアーなどの力も借りつつ、次々と民主主義的・自由主義的な改革を進めていく。

悲願であったアフリカ系ブラジル人たちの差別を撤廃する法律も制定し、奴隷解放以来、夢見続けてきた「自由なブラジルの同胞たち」の世界を、彼は実現することができたのである。

 

そして、1898年9月2日。

20年にわたる長期政権を築き、人びとからも愛された「大統領陛下」。

彼はその生涯の最後の瞬間まで改革のために力を尽くし、そして議場にてその最期の時を迎えた。

 

激動の19世紀を乗り越え、大きく飛躍したブラジル。

果たして、この「南の巨塔」は、20世紀にどのような姿を見せ、どのような結末を迎えるのだろうか。

 

Victoria3 AAR/プレイレポート第17弾「ブラジル」編。

いよいよ、そのフィナーレが出来する。

 

Ver.1.5.10(Chimarrao)

使用DLC

  • Voice of the People
  • Dawn of Wonder
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目次

 

前回はこちらから

suzutamaki.hatenadiary.jp

 

新政権(1898-1904)

1898年9月3日。

前日に議場で倒れた「大統領陛下」ペドロ・デ・ブラガンサは、医師の懸命の治療の甲斐虚しく、日が昇る頃にはその生涯の幕を閉じることとなってしまった。

午前中のうちに国民に伝えられたその訃報は、多くの国民の涙を流させ、そして多くの諸外国からの弔電を招くこととなった。

 

だが、政治を止めるわけにはいかなかった。

ペドロの代理として、副大統領であったルイ・バルボーザがひとまずの大統領に就任。

元々の予定通り1899年1月1日の選挙は行われることとなり、自由党の代表は現陸軍大臣ベンジャミン・コンスタントの弟でもあるエミーリオ・コンスタントが務めることとなった。

だが、常に謙虚な姿勢を忘れなかったペドロと異なり、権威主義的で傲慢なところのあるエミーリオの国民人気は決して高くなく、この選挙では勝利はしたもののその得票率においては大きく下げることとなってしまった。

ともあれ、新大統領に就任したエミーリオ。

彼は失った影響力を取り戻すべく、自由貿易党との連立を形成。

ペドロ時代の栄光があっという間に失われていくこの状況に、多くの急進党支持者たちが失望し、政治の流れは再び混沌へと向かいつつあった。

 

そんな中、「国外」においても、数十年ぶりの混乱が巻き起こりつつあった。

 

マウア大統領時代から投資などを経て固い同盟関係を結んでいた隣国ペルー・ボリビア連合。そこに、突如として、列強の一角であるオーストリア=ハンガリー帝国が襲いかかる。

彼らはすでにエクアドルをブラジルから奪い、自らの関税同盟の中に組み入れていたが、今回に関しては抵抗するペルー・ボリビア連合に対し、力づくで保護国になるよう要求しているようだ。

当然、ペルー・ボリビア連合のイラリオン・サパタ大統領からは、コンスタント大統領に対し救援依頼が寄せられる。

しかし、長きにわたる平和と、イギリスやアメリカ合衆国からの「守護」的態度に甘え軍備を疎かにしていたブラジルに、彼らを救う手立てはなかった。

結果、同盟国を見捨てる形となったブラジル合衆国。最終的にペルー・ボリビア連合はオーストリア=ハンガリー帝国の屈強な部隊によって蹂躙され、間も無く降伏。その傘下に入ることを決定した。

当然この事態に対し、国内では政権に対する批判が噴出。軍備の不足は現政権の責任とは言い難いが、自由貿易党との連立やコンスタント大統領自身に対する不人気も合わさり、政権は早くも風前の灯火と言った状況に陥っていた。

 

その中で、注目を集めていた勢力がいた。

その一つは「民族解放同盟(Aliança Nacional Libertadora, ANL)」と称するグループで、1880年代頃から、少しずつ力をつけつつあった都市労働者たちを中心に結成された政治集団である。

彼らは、マウア・エラに代表される資本家たちの支配の犠牲者であり、彼らに対する怒りを有していたことはもちろん、ペドロの標榜する理想主義的な自由平等主義、博愛主義に対しても拒否感を覚える一団であった。

若者を中心とした彼ら「虐げられた人びと」は、自分たちの境遇が社会の変革、すなわちペドロら急進党によって促進された移民の増加や急速な工業化によって引き起こされたものと理解し、共感する者同士の連帯を形成し、ペドロ亡き後の政治の混乱に常じ、その勢力をさらに拡大させていったのである。

その中でも特にカリスマ的な人気を誇ったのが、フロリアノ・ロンドンという名の労働者階級出身の男であった。

彼は軽快な語り口と刺激的な言葉選びで、混乱する政治と「南アメリカの平和を崩す帝国主義の尖兵」たるオーストリア=ハンガリー帝国に対する好戦的な言説を繰り返し支持を集めていた。

そして、彼ら都市労働者たちと共に、ブルジョワ知識人政府を批判し拡大する勢力がもう1つあった。それが、地方の農村で生活する素朴な保守主義者たちを中心に支持を集める「保守共和党」である。

その中心に立っていたのが、19世紀末のパイーア州で起きたカヌードス戦争に取材し出版した『セルトーエス』と呼ばれるルポルタージュで人気を博していたジャーナリスト、エウクレイデス・ダ・クーニャ

その文学的な扇動によりこの農村民単独政党は小さいながらも拡大し、やがて、ロンドン率いる民族解放同盟がこのクーニャ率いる保守共和党に合流する形で統合。

コンスタント大統領率いる急進党に対し、この2つの党は連合することで、これに対抗しようとする姿勢を明確にしたのである。

この事態に、危機感を覚えた急進党・自由貿易党政権。

自由貿易党の党首であるシルヴィアノ・サントスは、ただちにコンスタント大統領に対し「富裕者投票」制度を復活するよう強く要求する。

だが、政権内で密かに進められようとしていたこの政策が、クーニャの勤めるサンパウロの新聞社によって公にされたことによって、国民の大多数が怒りを爆発させる。

慌てたコンスタント大統領はすぐさまその意思はないことを表明する事態に追い込まれ、さらに議会多数派であった急進党内でも政権に失望し、離脱する層が少しずつ増えていくこととなった。

 

そして、1903年1月1日。

投開票の末、都市労働者と地方農村民とが連合した保守共和党は見事勝利。

過半数とはいかないまでも、急進党・自由貿易党が連合してもギリギリで勝てない得票数を得たことで、見事第一党・政権の獲得に至った。

そして、フロリアノ・ロンドンがブラジル合衆国第5代大統領として就任。

合衆国史上、最年少での大統領就任となり、新たな時代の幕開けを感じさせる出来事となったのである。

 

全く新しいイデオロギーによって成立した新政権。

まずは政治の混乱と実業家集団の反対によって遅々として成立にこぎつけることのできていなかった公立学校制度を制定。

さらに彼らの支持基盤である下層民たちに選挙権を与えるためのさらなる選挙制度改革も推し進める。

当然、この性急な改革に対しては守旧派を中心に強い反発が見られることとなったが、そこで先の「富裕者投票」騒動において急進党内でコンスタントに反旗を翻し新派閥を作っていたフランシスコ・エスコバルが党内での主導権を獲得。

彼は保守共和党の中心の一人であったクーニャの親友でもあり、そして労働者たちへの強い共感を示す「社会民主主義者」でもあった。

このエスコバルの協力もあり、1904年7月8日に「普通選挙法」が制定。財産制限は撤廃され、一定年齢以上のすべての男子に選挙権が与えられる、先進的な制度がこのブラジルに導入されることとなった。

これでブラジルオリジナル実績「ペドロに票は入れていない」を解除。

 

急進党から名を変えたエスコバル率いる「自由共和党」と連立を組み、フロリアノ・ロンドン大統領の政権は盤石な体制を築き上げることに成功したのである。

 

すべての準備は整った。

いよいよ、その時はやってくる。

ロンドン大統領の、真の目的を果たすべき時が。

 

 

「その時」に向けて(1905-1910)

リオデジャネイロ・フラメンゴ地区にあるカテテ宮殿。それは1897年に建設された新しい大統領官邸であり、その2階にある大統領執務室の隣に位置していた陸軍大臣の執務室に、ロンドン大統領と自由共和党党首エスコバルが訪れていた。

部屋の中央には木製の机が置かれ、そこには数冊の本と地図、時計、ペンといった必要最低限のものだけが置かれており、部屋の主の生真面目さと神経質な性格を象徴する様相であった。

その男は椅子には座っておらず、窓際に立ち、そこから見える宮廷の庭園とリオデジャネイロの街並みを眺めていた。

「大臣、お忙しいところ、お時間を頂き申し訳ない」

ロンドンの言葉に、男は今初めて来客に気付いたかのようにゆっくりと視線を向ける。

「忙しいなんてことは何もない。退屈で仕方ないくらいだ。少なくとも、今はな」

振り返った男はきっちりと整えられた身なりに胸元の勲章が輝き、威厳と国家への忠誠心を強く感じさせた。

「弟が、世話になったな。奴も悪い人間ではないのだがな。昔から人の上に立ちたがる男で、実際に立つところまでは大概上手くやるのだが、立った後がどうにも上手くやれない男でな。君のような後継者が出てきてくれて私も安心しているよ」

本気とも冗談ともつかない口調と共に視線を向けられたエスコバルは、「恐縮です」とだけ短く述べ、小さく頷いた。

「まあ、座り給え。君たちがどういう話をしたくてやって来たのかくらい、私にも予想はついている。隣国、ペルー・ボリビアと、そしてオーストリア=ハンガリー帝国のことだろう?」

男――陸軍大臣ベンジャミン・コンスタントの言葉に、ロンドンは頷き、そして壁際に置かれた椅子を手元に引きよせ、腰を下ろした。

 

そうーー彼はいよいよ、手を付けるべきときが来たと確信していた。

すなわち、ブラジルが盟主として君臨すべきこの南アメリカに土足で踏み込んできた憎むべき帝国主義者、オーストリア=ハンガリー帝国に対する「復讐」を果たすべき時が。

 

「――と、言うことで、我々としては大臣のお力を全面的にお借りしたく考えております」

ロンドン大統領の説明を一通り聞き終えたコンスタント大臣は、伏せていた瞼を開け、真っすぐと大統領を見据えた。その深く、すべてを見透かすかの如く強い視線を、若きロンドンもしっかりと受け止め、向き合う。

「我々軍部としてはもちろん、この国の代表たる閣下に対する協力を惜しむことはない。先だっての公立学校制度の導入にあたっても、軍部の要求通りのカリキュラム導入を認めてくれた借りもあるしな」

「だが、分かっているとは思うが、現状のブラジル軍はまだ列強と渡り合うには十分とは言えない。数年前よりは確実に少しずつ強化は進めてはいるものの、まだまだオーストリア=ハンガリー帝国に敵うような状況とは言えないだろう」

「それは理解しております。では、大臣、その準備が十分に整うまで、果たしてどれくらいの時間が必要でしょうか」

ロンドンの問いに、大臣は沈黙し、思案する。こういうとき、この男は十分に信頼に値する、とロンドンは考えていた。大学で工学を学び、土木及び軍事技術者として軍隊でのキャリアを積み重ねてきたベンジャミン・コンスタント大臣は、徹底した理性主義者であり、迎合や感情を廃し冷静な判断を下すことにかけては右に出るもののいない存在であった。

十数秒に及ぶ沈黙の後、大臣は慎重に言葉を紡ぎ出した。

「5年――いや、4年は必要だ。大々的に準備を整えるわけにもいかず、迅速かつ慎重に、情報収集と技術精査、そして資材の収集を多方面で進めていく必要がある。私が使えるリソースを全て使ったとしても、それが限界だろう」

「分かりました」

頷くロンドン。ちらりとエスコバルの方を見やるも、彼もまた同意を示す頷きを見せた。エスコバルもまた、大臣に劣らぬ智慧者であり、下層階級出身のロンドンにはない判断力を信頼していた。

「一方で、我々軍部だけではない。政府にも、外交面において協力してもらう必要もあるだろう」

大臣の言葉に、ロンドンは再び頷いた。

「ええ、分かっております。その点についてはすでに動いており、先日もフランスに赴き、ポナパルト猊下にお会いしてきました」

一度ブルボン王家によって帝位を奪われていたポナパルト家だったが、その後ルイ=ナポレオンの三男で枢機卿となっていたこのフランソワが更なる革命を起こし、再びフランスの支配権を取り戻し、「神権制」国家を作り上げていた。


「フランスは帝国主義的行動を繰り返すオーストリア=ハンガリー帝国に対する明確な敵意を持っており、我々が行動を起こすときには協力してくれる旨の密約はすでに取り付けております」

「なるほど、さすが、行動が速いな。君のことはどこぞのチンピラ風情と侮っていたが、大統領としての器は十分に持っているようだな」

珍しく笑顔を見せるコンスタント大臣。

「――君の父上のことも良く知っている。一度決めたら譲らない頑固さは父譲りだとも、ね」

いいだろう。我々も全面的に政府に協力し、『4年後』に向けて、最高の軍隊をご用意することをお約束しよう」

「――有難う御座います、大臣」

ロンドンは深く頭を下げ、傍らのエスコバルも同様に頭を下げた。

これで、歯車は動き出した。

『4年後』に向けて、決して止められない運命の歯車は。

 

 

1907年1月15日。

新技術としての手動クランク式機関銃の開発が完了。ただちに全軍に配備され、ブラジル軍全体の火力の向上に貢献することとなった。

同年9月には海軍の新兵器たるモニター艦が実戦投入可能な状態となる。

これらの開発には陸軍大臣コンスタントの全面的な協力と共に、海軍におけるベテラン提督クストーディオ・デ・メロ海軍少将の力添えも大いに役立った。彼は軍部所属で立場上はコンスタント大臣と共に野党・ミナス共和党を支持していたものの、実際には普通選挙制度を含む昨今の急進的改革への共感を持つ人物であった。

さらに、軍備・装備の充実だけでなく、作戦・戦略的観点からの改革も推し進められた。

1908年代中にはコンスタント大臣配下の若き秀才たちが研究を重ね、「軍事統計」学が一定の完成に到達する。

軍全体の効率化を図ると共に、この知見に基づく現場レベルの戦術指導においても、西欧列強に引けを取らない最新式のものを導入することができるようになった。

そして、1910年代に入るころには、ついに、英仏米の最上位列強国では本格導入されつつあった最新式の「塹壕戦術」を導入することに成功。

こちらの戦術を導入した最新式の「塹壕歩兵」へのアップグレードを各部隊急ピッチで進めていくこととなる。

 

そして、軍部が全力で「その時」に向けて準備を進めている間、政治の側もその体制に向けての万全の構えを取るべく動いていた。

その鍵となるのが、長期の戦争に耐えうるだけの財政基盤を構築するための秘策――新税制制度の構築である。

当然、これは資本家や大農園主などの既得権益層たちからはもちろん、将来的な増税にも怯える中産階級たちからの反発も招きかねない政策変更であった。

ロンドン大統領とエスコバルの連立政権は、一時的な減税策をセットで提案することによってなんとかこの反対を回避。

将来的な大きな利益のために、目の前の不利益を覚悟で改革へと突き進んだ結果、1907年の7月にはこの比例課税制度が制定され、大きな経済的余裕を生み出すことに成功したのである。

なお、新バージョンになり、施設が余剰利益を生み出しにくくなった。これまではほぼ無際限に存在していた投資プールなどもかなり弱体化しているが、合わせて余剰利益への課税システムであった累進課税も大きく弱体化している印象。おそらく国有化も以前のような莫大な利益は出せなくなっているはずだ。

 

そして、いよいよ「その時」が迫りつつある中。

ロンドン大統領は最後の仕上げとして、その国へと赴くこととなった。

 

 

ペルー=ボリビア戦争(1910-1914)

1910年10月。

アメリカ合衆国首都ワシントン.D.C.はすっかりと色づいた木々の隙間から寒風が吹きすさび、母国と比べると体感気温では10℃以上の差があるのではないかと思われる程であった。

その大統領官邸ホワイトハウスへと招かれたロンドン大統領は、そこで恰幅の良い一人の男に迎えられる。

現アメリカ合衆国副大統領、セオドア・ルーズヴェルトである。

「遠路はるばる、よくぞお越しいただいた。大統領がお待ちかねだ」

ルーズヴェルトの案内に応じ、ロンドンは執務室の中へと入室する。本日は大統領、副大統領の2名体制での面会となるわけだ。

基本的には何事にも動じない性格のロンドンにとっても、さすがに緊張を覚えないわけにはいかなかった。

「君がロンドン大統領か。お会いできて光栄だよ」

執務室の奥、美しく磨き上げられた象牙の机の前に腰かけていた男が、こちらに振り返る。

今やイギリスに次ぐ世界第2位の大国となっているこのアメリカ合衆国を率いる大統領、アビジャー・ギャリソン大統領である。

ロンドンと同様に、労働者階級出身という経歴を持ち、その先進的な政策を次々と打ち出し、ブラジルに先駆けて普通選挙制度や公立学校制度を制定。現在は労働者や女性の権利の拡大に向けて国内の対立を乗り越えながら改革を進めていっているという。

この、労働者代表のギャリソン大統領と、農村民の支持を集めるルーズヴェルト副大統領とコンビは、現在のブラジルの状況にもかなり近しいものがあった。

そして、この2国は共に、新世界の南北をそれぞれ代表する大国でもあり、旧世界の列強国に対しては共通する思いを抱きうる間柄でもあった。

 

「こちらこそ光栄です、ギャリソン大統領。しかしこれを機にじっくりと互いの親交を深め、信頼を築いていくための時間は、残念ながらそう多くは残されておりません」

ロンドンの言葉に、ギャリソンは頷く。

「ああ。すでに、事態はそうのんびりと待ってはいられない状態になっていることは理解している。先だっての英墺戦争の結果、我々と国境を接するカナダがオーストリア=ハンガリー帝国の自治領となったことは、これまで以上に危機的な状況が生まれつつあることを意味している。しかも彼らは、そのカナダとの関係を現在意図的に悪化させており、近々、その自治権をより縮小させるつもりであることは明白だ」

「もちろん、4年前のペルー・ボリビア連合に対するオーストリア=ハンガリー帝国の侵略は許しがたい行為であると理解している。私はできる限り余計な戦争は起こすべきでないという意見を持ってはいるが、彼らが先に手出しをするのであれば、その限りではない。なあ、ルーズヴェルト君」

「ええ、大統領。我々は普段は穏やかに話すことを心掛けてはいますが、必要となれば、その手の棍棒を力強く振うことを厭いません。今がその時である、と、私と大統領との間ではすでに同意が取れておりますよ、ロンドン大統領」

ギャリソン大統領の言葉を引き継いで語られたルーズヴェルト副大統領の言葉と視線に、ロンドンは安堵の溜息を吐いた。

「ただし、もちろん、条件はある」と、ギャリソン大統領。親子ほどの年の差があるロンドン大統領を、じっと鋭い視線で見据える。

「今回は我々が軍事支援を差し出す側ではあるが、来るべき時においては、逆に君たちに支援をお願いすることがあるだろう、ということだ。その時には、同盟国としての適切な対応を、お願いさせてもらおう」

「ーー私たちの軍隊でお力になれるならば、何なりと」

ロンドンは頭を下げ、これをすぐさま受け入れる。「しかし、何か計画されていることがあるということでしょうか?」

「それはまだ言えん。だが、その時こそ、我々南北の『アメリカ』は、真の独立を達成することになるだろう」

 

1910年11月。

帰国したロンドン大統領はすぐさま声明を発表し、オーストリア=ハンガリー帝国の外交官を追放すると共に、ペルー・ボリビア連合の「返還」を要求した。

当然オーストリア=ハンガリー帝国はブラジルのこの突然の要求に対し全面的な拒否を示し、この横暴を非難する。

しかし、フランスおよびアメリカ合衆国がブラジルを支持する声明を出し、オーストリア=ハンガリー帝国に対し攻撃を仕掛けることを発表。オーストリア=ハンガリー帝国と同盟関係にあるオスマン帝国がオーストリア=ハンガリー帝国側で参戦を表明するも、総兵力数においてはブラジル同盟側が圧倒的優位に立つ状況であった。

それでも、オーストリア=ハンガリー帝国は抵抗することを諦めず、1911年3月4日。

ついに、ペルー・ボリビア戦争の幕が開く。

軍隊の移動もすべて可視化されるようになり、今回もまた、世界各国から南米に向けて兵が集まってくる様子が見て取れるようになった。結構楽しい。なお、この時点ではエジプトもオーストリア=ハンガリー帝国側について参戦しようとしていたが、開戦までの間に撤退している。

 

最初の戦いは、ウマワカ峡谷の南端に位置するフフイで繰り広げられた。

アメリカ合衆国軍のジェイコブ・ピーボディ准将が2万の兵を率いて突破を試みるも、オーストリア=ハンガリー帝国側は皇帝ルートヴィヒ自ら前線に立ち、強固な塹壕陣地を構築することで鉄壁の防衛線を築き上げていた。

だが、縦に長く伸びた戦線上では一気に4つの戦闘が巻き起こっており、ブラジル同盟側はアメリカ軍を中心に、この同時多方面侵攻によって突破口を開こうと試みていた。

ついに実装された、同一戦線での同時複数戦闘。次から次へと戦闘が巻き起こり、戦争の推移は非常にスピーディーになったが、プレイヤー的には1個1個の戦闘を把握していくことができないほどの速度になったような気もする。


そのうちの1つである、北のパスタサのジャングル地帯では、フランス軍のアンリ・ボスケ准将が、オスマン帝国軍の防衛部隊を押し込む姿勢を見せつつある。

そこに今度はブラジル軍のフェデリーコ・ビタンクール大将が、榴散弾砲を並べて一気にオーストリア=ハンガリー帝国軍の砦を強襲し、これを制圧する手柄を立てることに。

新バージョンでは戦闘により、州の一部をプロヴィンス毎に取ったり取られたりするのではなく、州の「何割」取ったかが表示されるようになった。イマイチ違いがよく分からないが。


さらに、ペルー沖の海上でも双方の海軍が一堂に集結し、同時に4つの海戦が繰り広げられる。

ブラジル海軍のジョアン・ダ・カマラ提督も、オーストリア=ハンガリー帝国海軍の妨害を見事跳ね除け、彼らの遠征軍に対する補給を次々と破壊する任務を成功させていった。

矢張り数的には圧倒的に優勢にあるブラジル・アメリカ・フランス連合が勝ち星を重ねつつある、そんな状況ではあった。


が、その年の10月になる頃には、少しずつ戦線が膠着していくこととなる。

米仏両軍共に、少しずつ敵の軍勢を押し込む力が弱まりつつあったのである。

一度奪った土地も、敗北によっていとも簡単に取り返され、戦線は一進一退。

これを打開するために海上における敵輸送船も次々と襲撃し、敵の補給割合を0%にすることはできている。

が、それでも上陸してきている敵の兵士の士気は下がることなく、万全の体制で防衛網を構築されてしまうのである。

旧バージョンであればこのように補給を0%にすることで、敵遠征軍を軒並み無力化できていたのだが、なぜかそうならない。これはもしかしてバグ?*1


開戦から1年半。1912年も終わりに差し掛かろうとする中でもなお戦線は膠着状態が続き、ただ徒に両軍の死傷者が積み重なっていくだけとなっていた。


「――実に凄惨な戦いだな」

前線に視察に来たコンスタント大臣に声を掛けられ、指揮を執っていた南部軍司令官マルコ・アントニオ・ロンドンは思わず敬礼し、これを迎え入れる。

「ええ、本当に。この国は長らく平和を享受していただけに、衝撃は計り知れないものとなります。その中で、政府が送って下さっている補給物資には助けられています。戦場の兵たちにとって、ひと時の休息となっているようです」

新バージョンでは「補給物資」や「輸送」などを細かくカスタマイズできるようになった。ゲーム的な戦略性が向上すると共に、RPの面においても魅力的な改変である。鉄道輸送により編成速度アップといった効果もとてもこの時代「らしく」良い。

 

「とはいえ、このまま意味もなく長引かせるわけにはいかぬ。策を練る、必要がある」

コンスタント大臣の目が鋭く光る。既に70を超えている男とは思えぬ迫力であった。

「ロンドン中将、我が軍きっての『勇敢』なる貴公だからこそ、頼めることである」

大臣の言葉に、中将は頷く。「何でしょう。国家の為、私にできることがあれば尽くさせていただきます」

「ありがとう。・・・現在、知っての通り戦線は膠着し、ブラジルとボリビアの両国間の国境には、無数の兵士たちが陣取っている」

「その通りですね。長大な国境線すべてを埋め尽くすが如く」

「ああ。実際、我々と米仏の110万を超える兵に対抗するために、すでにオスマン帝国も撤退してしまった敵連合軍側にとっては、その全兵を国境沿いに貼り付ける必要があると言ってよいだろう」

「だが、これは逆に言えば、国境とは反対側――すなわち、『背中』にあたる海岸線側ががら空きであると言ってよい」

「――成程」

大臣の言いたいことを理解するロンドン中将。

「度重なる開戦での勝利によって、我がブラジル海軍はすでにペルー海の制海権を完全に手中に収めている。そこで、我らが第一海軍を率いるカストロ提督の協力を得て、敵背面を突く強襲上陸作戦を実行するのだ」

「もちろん、味方の支援なく敵の本陣近くに単身乗り込む形となる。おおよそそこに敵軍の姿がないであろうことは調べがついているとはいえ、何があるか分からない。ある意味、無謀なる作戦とも言えるが、中将、いけるか?」

大臣の眼差しを、ロンドン中将は真っ直ぐに受け止める。

その瞳はブラジル軍全体を統括する者としての責務に燃えていると共に、戦友を死地かもしれないところへと送り出すことに対する迷いによって揺れてもいた。

ロンドン中将はそんな尊敬しうる上官に対し、はっきりと頷き、答えた。

「もちろん、喜んで引き受けさせていただきます。大臣、私は、かつて妻と子を捨て、自らの名誉と権利のためだけにこの人生を生き抜くことを決意したときがあります」

「――ああ、聞いている。ロンドン大統領は、君のことを決して快く語ろうとはしていなかったな」

「ええ。あの時の私は、私こそが国のために貢献できる存在であり、妻も子も、その私の義務の為には邪魔になるだけだ、などと思い上がった考えを持っておりました。

 それが間違いだと気づいたのは、恥ずかしながら、我が子が大統領として、多くの国民の希望と期待を背負って立ち現れたときでした。

 すでに妻は亡く、後悔しても仕切れません。大臣、此度の指令は、私にとって、その罪を償う、最も最適な機会で御座います。ぜひとも、志願させてください」

 

かくして、1913年2月。目論見通り敵兵の姿がほぼ見えなくなっていたペルー・ボリビア連合の「裏口」タラパカへと上陸。

アリカ、ピサグア、ウンベルストネといった沿岸の街をあっという間に占領し、内陸の敵首都ラパスに向けて進軍を開始していく。

敵軍も慌ててこの迎撃に兵を移動させ、アンデス山中にてその主導権を巡る激戦が繰り広げられていくこととなる。

 

――そして、更なる動きが巻き起こる。

先のオーストリア=ハンガリー帝国に対する屈辱的な敗戦と隷属。そして今もまた、その宗主国に従い自らの国土を荒廃させる長期的な戦禍に巻き込まれる中、国家としての財政も破綻し、いよいよ進退窮まってきたこの国の惨状に、国民の一部が怒り、蜂起した。

ブラジル軍が支配下においていた北部アマゾン州でも先住民による反乱が巻き起こり、ペルー・ボリビア連合からの分離独立を宣言。

これら多方面での状況変化に対応せざるを得なくなったペルー・ボリビア・オーストリア=ハンガリー連合軍は混乱。ついに、その首都ラパスを占領し、均衡が、破られた。

そして、開戦から3年以上が経過した1914年6月。

国境近くにあるブラジルの街クイアバで和平協定の締結が進められ、オーストリア=ハンガリー帝国はブラジル連合側の要求を全面的に受け入れる形でこの講和条約の受諾を認めることに。

そして6月24日。長い、長い戦いが、ついに終わりを迎えたのである。

 

 

エピローグ -南の巨像-

「ロンドン中将、此度は大役、見事で御座いました」

戦勝式パレード、その一幕にて、戦争勝利の最大の貢献人として讃えられたロンドン中将は、大統領の手ずからその勲章を与えられることとなった。

「有難きお言葉。国家の為、この身が役立ったこと、光栄の極みで御座います」

恭しくこれを受け取るロンドン中将。

「惜しむらくは、コンスタント大臣にこの報を届けられなかったこと」

中将の言葉通り、コンスタント大臣は終戦に先立つ1913年9月24日にこの世を去っていた。

「我が身捨てる覚悟で挑んだ戦いでしたが、その中で生き残った以上、まだ私にもやるべきことが残っているということだと思っております。大臣と、そして戦場で散っていった数多くの仲間たちの為にも」

言いながら顔を上げ、中将は大統領を真っ直ぐに見つめた。

大統領は頷き、応える。

「ええ――我らがブラジルは、中将ら軍の活躍により、南米の巨像としての地位を確立させることができました。これからも、あらゆる帝国主義に対する防波堤として、このアメリカ大陸の平和と安定の維持の為に、力を尽くして頂きたく存じます。

 我々ブラジルの民は、そして南米の民は、皆一つの家族であります。中将、貴公はその父として、引き続きお力を貸して頂きたく」

大統領もまた、真っ直ぐと中将を見返した。その場に集う多くの観衆、そして軍人・政府関係者たちは皆、万雷の拍手でもってその場を包み込んだ。

 

大統領の言葉通り、以後のブラジル合衆国は中南米の平和と安定の守護者としての地位を守り続けた。

1915年にはエルサルバドルで内乱が起き、防衛協定に基づきこの支援へと赴く。

1917年には同じく中米のグアテマラで内乱が起き、支援を求めてきたためにこれに応じることに。

さらに国内でも、労働者保護法の制定、老齢年金制度の開始、そして女性参政権を認めた憲法の制定など、社会的弱者を徹底的に保護する諸改革の実現に邁進していった。

そして1922年には、ブラジル独立100周年を記念してリオデジャネイロ郊外のコルコバードの丘に、高さ30mの巨大なキリスト像が建立されることとなった。

 

これはこの国が、実に偉大な国家となったことなったことを象徴する出来事であった。

 

 

一方で、輝かしいことだけが起きたわけではない。

1919年には、中東東端沿岸部のマクランを狙ってアメリカ合衆国が仕掛けた対外戦争に巻き込まれることに。

アメリカ合衆国はすでにオマーンを直接支配しており、アラビア海沿岸における存在感を高めるべく今回の行為に及んだわけだが、当地はペルシアと共にロシアが自らの関税同盟の中に収めている地域。当然、ロシアもこれを許すはずもなく、米仏と共に全面戦争の構えとなっていた。

先のペルー・ボリビア戦争における「借り」が残っている以上、ブラジルもこれを断るわけにはいかない。

ロンドン大統領は南北アメリカ大陸の強固な結びつきこそが以降の平和と安定を約束するものであり、我々は同盟国と共にあらねばならない!と力強く演説。国民はこの対外戦争への派兵に対しても概ね支持する様子を見せた。

ただ、間の悪いことに同時期にペルー・ボリビア国内でも、労働者たちが中心となった反乱が勃発。

同じ南米の同胞を相手取ったこの戦いに虚しさを覚えつつも、兵士たちは国家とその秩序の安定のために、全力を投じてこれに臨むこととなった。

そして混乱は、ブラジルに関わらないところでも巻き起こっていた。

1920年に勃発した、イギリス国内での大規模な内乱。

2年間続いたこの内戦の末に、最終的には労働者たちによる評議会共和制国家「イギリス共和国」が成立することとなったのである。

この新しい政治形態に対する動きは、ブラジル国内でも盛り上がりを見せ始めていく。

特に与党・民族解放戦線及び自由共和党の支持基盤である農村民や知識人たちの間で、この動きが活発化しつつあることに、ロンドン大統領は危機感を覚えてもいた。

そして、この極左的な運動に対抗する形で、今度は反共産主義的・民族主義的・ファシスト的な新政党「ブラジル統合主義行動」が結成される。

この政党を率いたのは、ペドロ・デ・ブラガンサの娘イザベルの子であり、名をブラガンサに戻した上でブラジル海軍へと加わったヴィタル・デ・ブラガンサ

偉大なる「大統領陛下」ペドロの孫というブランド力を利用したこのブラジル統合主義行動は、国内に浸透しつつある左派的な思想への危機感を持った人々の支持を少しずつ集め、その過激な思想は暴力的行為へと繋がり社会不安を巻き起こしつつもあった。

この左右の対立もまた、今後のブラジル合衆国の未来に影を落とす出来事であることは間違いないだろう。

 

 

果たして、この「南の巨像」は、その栄光を永久に維持することはできるのだろうか。

それとも、混沌とする世界の中で、この国もまた、過酷な運命と直面することになるのだろうか。

 

例え後者だとしても、この国の民はその困難を乗り越えていくことになるだろう。

この、美しき巨像が見守るこの国で。



Fin.

 

 

 

最後に、1835年12月31日時点の各種状況を確認していこう。

最終的にブラジルは、米国に次ぐ世界2位の超大国となった。

GDPではフランスに負けて世界3位(2億600万ポンド)。但し米仏と比べ人口が圧倒的に少ないため、1人当たりGDPでは圧倒的に1位となっている。

人口は最終的に世界9位の2,942万人。ジャーナル「アメリカへの入植」達成のための3,450万人を目指したかったが、残念ながら届かなかった。多文化主義制定のための人道主義者たちが現れなかったのが残念。無政府主義者を使うのは手だったか。

さてGDPでは3位だったが、代わりに生活水準は世界1位であり、これも2位のアメリカ合衆国を大差で突き放している。労働者政権で老齢年金や労働者の保護を通していたことが効果を発揮したか?

経済面では高級家具・ゴム・コーヒーが世界1位の生産量。

新バージョンで需要が増しバンバン売れるようになった自動車生産ではアメリカ合衆国に次いで2位。ここでも南北アメリカの覇者が世界を牛耳る様を見せつけている。

職業別人口と政治力は下記の通り。普通選挙の労働者政権だが意外と資本家の力が残っている。そして農業も盛んなため、農家の力も強い。

文化状況はこのような形に。当初は最大の人口を誇っていたアフリカ系ブラジル人も、差別がなくなったことでブラジル人として「同化」が進み、国民の約半数が「ブラジル」人。国家に誇りを持ち、真に統合されつつあるといった状況か。

ブラジル人の最大多数POPは「コリエンテスの占領農家で働くカトリック労働者」。

一方で、原住民や純アフリカ系に対する差別はまだまだ残っており、この国の課題となっている。

現地人でありグアラニー人の最大多数派POPは「コリエンテスの市街地で働く精霊信仰労働者」であり、生活水準はいまだ「貧困」を指している。


まだまだ残る課題を解決しつつ、さらなる飛翔を遂げる姿を、夢みたいところである。

 

 

 

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*1:どうやらバグらしい。https://x.com/nekotei_m/status/1733470786139402552?s=20 近い将来直ってくれているといいのだが。