「奇跡」を現実のものとし、実現に至ったサヴォイア朝イタリア王国。 しかし、その立役者であったヴィットーリオ・エマヌエーレ2世とカヴール亡き後、混乱の時代が訪れることとなる。 まず政治的主導権を握ったのは「民族主義者」ガブリエーレ・ダンヌンツィ…
ナポレオンの侵略以降、民族主義と自由主義に目覚めた「イタリア」の国民は、数々の弾圧に耐えながらもその「統一」に向けた火を絶やさず燃やし続けていた。 そして1860年に即位した国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世と首相カヴールに率いられたサルデー…
ウィーン体制以降、反動的な保守政権による支配が復活しながらも、自由と民主主義を求める民族的運動が度々巻き起こっていた19世紀のイタリア。 北西部ピエモンテ州に首都を置くサルデーニャ=ピエモンテ王国でも、1830年代から国王カルロ・アルベルトの下、…
イタリア。 それは、ヨーロッパの起源たるローマ帝国の中心地でありながら、その崩壊後はゲルマン人、東ローマ帝国、イスラーム勢力などの侵入を許し、中世以降は神聖ローマ帝国やスペイン、フランスなどの列強国の代理戦争の舞台として、分割と支配の憂き目…
1834年にわずか8歳で即位した第24代朝鮮王・憲宗(ホンジョン)は、20代で崩御した史実の運命を乗り越え、改革派の王族・李是応(イ・ハウン)と実業家出身の領議政(首相)・文相璜(ムン・サンファン)と手を組み、旧態依然とした両班の支配権を奪う改革を…
1834年に即位する第24代朝鮮王・憲宗(ホンジョン)の時代は、史実においては彼の外戚である安東金(アンドンキム)氏が政権を壟断する勢道政治の時代を迎えており、国内外の混乱に対して何もできぬまま23歳で没するという暗黒の時代であるはずだった。 しか…
1836年。 14世紀末から400年以上にわたって存続し続けていた朝鮮国は、その末期を迎えつつあった。 当時の国王・憲宗(ホンジョン)はわずか10歳の幼帝。その政治の実権を巡り、祖母の純元王后(スンウォンワンフ)が属する安東金(アンドンキム)氏と実母の…
1820年代。 この国は長きにわたるスペインの支配からの独立を果たし、国家としての自由を手に入れた。 1830年代から1850年代。 独立の痛みを味わうかのように、英雄アントニオ・ロペス・デ・サンタ・アナ将軍による専制政治がこの国を支配し、国民の自由は抑…
独立後の「サンタ・アナ時代」を終わらせたメキシコ合衆国。 その立役者となったベニート・フアレスを中心とした自由主義勢力は、革新的な改革と積極的な外交政策、そして対アメリカ戦争での実質的な「勝利」と、政治的な成功を重ねていった。 だが、そんな…
1821年にスペインからの独立を果たしたメキシコ合衆国。 しかしその後は自由主義派と保守派との対立が激化し、クーデターが頻発するなど混乱の一途を辿った。 その中で頭角を現してきたのが独立戦争の英雄アントニオ・ロペス・デ・サンタ・アナ将軍。 自らの…
1821年にスペインからの独立を果たした新興国家「メキシコ」は、その最初の数十年間を混乱の中で過ごした。 その中心に常にいたのが、独立戦争の英雄アントニオ・ロペス・デ・サンタ・アナ将軍。 独立以後、何人もの皇帝や大統領を生み出してはこれを挿げ替…
1078年にイングランド王位を再びアングロ・サクソンの手に取り戻したモルカル王は、1092年に狩猟中の事故により唐突に命を落とした。 あとに残されたのは当時わずか9歳の息子エルヴガルであり、これを受けてこれまでモルカルの支配下に置かれていたノルマン…
1066年に巻き起こった第1次イングランド王位継承戦争は、フランスのノルマンディー公ウィリアムの勝利によって幕を閉じた。 しかしこのとき敗北したハロルド2世の臣下であったノーサンブリア公モルカルは復讐を誓い力を貯め、ウィリアム死後混乱したノルマン…
1066年。 エドワード懺悔王死後に巻き起こった三つ巴のイングランド王位継承戦争は、フランス人のノルマンディー公ウィリアムが勝利し、ノルマン朝イングランド王国が成立した。 一方、グレート・ブリテン島中央部にはマーシア公とノーサンブリア公を兼任し…
1066年。イングランドは動乱の時代を迎えていた。ウェセックス王アゼルスタンの統一により成立したイングランド王位は、その後侵入してきたデーン人の手により一度奪われ、エドワード懺悔王のもとで再びこれをアングロ・サクソンの手に取り戻したものの、世…
前回のケープ植民地編(虹の旗の下で 喜望峰百年物語)でこのブログにおけるVictoria3プレイレポート/AARは11本目となりました。 今後、新DLCなどが発売後もAARを作成していく予定ですが、その今後の方向性を定めるにあたっても、過去の11本の中から「最も面…
19世紀前半にイングランドの植民地として再スタートを切ったケープ植民地。 しかし彼らは次第に本国政府から切り離された「南アフリカ人」たちの自治国家としての自立を志向し、様々な改革を行っていた。 エドムンド・フェイン、アベル・マクレガン、アレク…
最初にその街を建てたのはオランダ人であった。 オランダ東インド会社の艦隊司令官ヤン・ファン・リーベックによって1652年に建設されたその街は、内陸部への開拓の前哨地として発展し、オランダ系移民(ボーア人)たちは先住のコイコイ人たちを迫害しながら…
ナポレオン戦争で一度国として滅びたあと、欧州の緩衝国家として復活させられた「小国」ネーデルラント連合王国。 しかし彼らはかつての栄光を取り戻し、世界最大の帝国となることを夢見て、その権益の拡大に努めた。 19世紀末の2度の大英蘭戦争を経てオース…
19世紀後半。 世界を我がものが如く支配する英仏に対抗すべく、オランダーーすなわちネーデルラント連合王国は、手始めにポルトガルの属国化とネーデルラント統一という形で勢力の拡大に努めた。 続いて英仏が清に攻撃を仕掛ける隙をついて自らもその地での…
ナポレオン戦争後に成立したネーデルラント連合王国は、1830年に南部諸州の独立を経験するも1855年に第2代国王ウィレム2世のもと再統一が成し遂げられ、以後は海の玄関口としてのアムステルダムと金融の中心地ブリュッセルの2大都市圏による繁栄の時代を迎え…
19世紀前半、ナポレオン戦争後に成立したネーデルラント連合王国は、当初南北ネーデルラントを統一する国家として生まれた。 しかし宗教も言語も歴史も全く異なるこの2国が統合され続けることには限界があり、やがて1830年に南ネーデルラント(ベルギー)人…
18世紀末、ナポレオンによる侵攻でネーデルラント連邦共和国は崩壊した。 最後の総督オラニエ公ウィレム5世は息子のウィレムと共にイギリスに亡命し、その後もプロイセン軍に混じってフランス軍と戦うが、1806年に祖国解放を果たせぬまま異国の地で没する。 …
ロマノフ朝ロシア帝国第13代皇帝ミハイル4世は、地涌主義的な政策を推し進めた父アレクサンドル2世への反発から、反動的な統治政策と引き換えに、諸外国からの反発と戦争に伴う国民への負担を増大させていった。 そのツケは1900年に発生したフィンランド独立…
ロマノフ朝第12代皇帝アレクサンドル2世は、父ニコライ1世の始めた近代化改革を継承し、農奴解放や軍制改革、経済改革などを積極的に推し進めていった。 1880年代に入るとその経済成長は著しいものとなり、英仏を抜いて世界最大の経済大国へと台頭。 それに…
19世紀。 ナポレオンの侵攻を食い止めたロマノフ朝ロシア帝国は、第11代皇帝ニコライ1世の下、積極的な対外政策によってカザフ平原、ペルシア高原、コンスタンティノープル、そして中国北東部の征服を実現していった。 この政策を継承したアレクサンドル2世…
2月8日に公開されたVer.1.2オープンベータ。 事前に出されていた情報以上にかなり大量の改善が行われており、(すべてが予定通りに進めば)3月13に予定されている正式版のリリースが待ち遠しく思える。 今回はこのオープンベータで反映されている新要素の紹…
2023年2月8日。Ver.1.2オープンベータがリリースされた。 今回はその内容を、変更点の紹介に重点を置きながらテストプレイしていこうと思う。 使用国家は「ロシア」。すでにロシアは「大地主経済」でプレイしているが、そのときはあまりにも特殊なプレイだっ…
Victoria3発売から3か月。 すでに600時間以上プレイし、大小様々な8つの国でプレイしている立場から、現環境における取得を推奨する技術を中心とした「独断と偏見による技術解説」を記していきたいと思う。 多少なりとも参考になれば幸いであるし、「この技…
1856年に君主制を廃止して成立した「グレートブリテンおよびアイルランド連邦共和国」。 最初期こそ元女王ヴィクトリアとの約束により、その配偶者であったザクセン=コーブルク=ゴータ公弟アルバートを与党・民主進歩党の党首および首相に据えたものの、直…