時は室町時代末期。 天下は八代将軍・足利義政の代であったが、嘉吉の乱以降の混乱により既に幕府の権威は地に堕ちており、地方では地場の有力諸侯がほぼ独立した権力を握り始めていた。 ここ関東も例外ではなく、関東管領に任ぜられた山内上杉家が関東一帯…
1825年のポルトガルからの独立以降、ブラジルは数多くの苦難に直面し、これを乗り越えてきた。 1831年から始まった幼帝ペドロ2世を支える摂政時代の混乱は、最終的に主導権を握ったアンドラーダの手によって1840年のペドロ2世親政開始という形で幕を閉じた。…
登場人物紹介(886年時点の年齢) ハサン・イブン・ザイド(56)・・ザイド教団の指導者。 ダブヤ・アイユーブ(39)・・ザイド教団の大宰相(ワズィール)。 ザイド・イブン・ハサン(15)・・ハサンの嫡男。 ロスタム・カーリンザデー(41)・・ザイド教団…
19世紀前半。ブラジル帝国はポルトガルからの独立を達成したものの、その後の政治の主導権を巡る内部対立と、独立を求める周縁部の共和主義者たちとの外部対立とで、激しい混乱状態に陥っていた。 最終的に財務大臣のマルティン・フランシスコ・リベイロ・デ…
登場人物紹介(876年時点の年齢) ハサン・イブン・ザイド(46)・・ザイド教団の指導者。 アブドゥッラーフ・イブン・アル・ムフタディー(24)・・ワーシトおよびバグダードの太守。ハサンの娘婿。 タナズ・ビント・ハサン(19)・・ハサンの娘。ワーシト…
1825年にポルトガルからの独立を達成したブラジル帝国は、その初めから危機的な状況に陥っていた。 独立を勝ち取った初代皇帝ペドロ1世は、自由主義的な思想を持っていた先進的な皇帝であったが、より急進的な自由主義を信奉する議会勢力と対立し、やがてこ…
登場人物紹介(869年時点の年齢) ハサン・イブン・ザイド(39)・・ザイド教団の指導者。 ムハンマド・イブン・ザイド(37)・・ハサンの弟。 タナズ・ビント・ハサン(12)・・ハサンの娘。 ムウタッズ・イブン・アル・ムタワッキル(22)・・アッバース朝…
登場人物紹介(867年時点の年齢) ハサン・イブン・ザイド(36)・・ザイド教団の指導者。 ムハンマド・イブン・ザイド(35)・・ハサンの弟。 ロスタム・イブン・カーリン(21)・・ハサンの臣下。マーザンダラーンの領主。 ワフスダン・ジュスタン(32)・…
1582年。本能寺の変、勃発。 天下統一を目前としていた織田信長が嫡子・信忠と共に自害。 天下は千々に乱れ、混乱は極みに達した。 1585年。妹背山の戦い。 信長次男・織田信雄が三男・信孝に対し、伊勢国領の所有権と当主・三法師の後見役を巡り宣戦を布告…
1604年、天下分け目の大決戦「大坂の陣」に勝利した織田信雄は、最大の敵、羽柴を服属させ、日ノ本の最大勢力へと伸長する。 その後、毛利をも服属させ、西国への影響力を存分に高めた織田家であったが、その前に立ちはだかったのが、かつて妹背山の戦いで信…
本能寺の変以降の混乱を収拾し、旧織田家領内の勢力争いを制したのは、史実の羽柴秀吉でも、柴田勝家でもなく、織田信長が次男、織田信雄であった。 1604年冬に巻き起こった「大坂の陣」にも勝利し、最大の敵であった羽柴家と徳川家の双方に勝利したことによ…
織田信長の死以来、統一されることなく分離し続けていた旧織田領。 その最大勢力を担うのは「明智討伐の最大武功者」羽柴秀吉。次いで筆頭家老柴田勝家の一族が担っていたが、そこに「織田家当主」織田信雄が第三勢力として存在感を示しつつあった。 そんな…
少しずつ、歴史に歪みが生まれつつあった。 まずは、3年間続いた明智光秀討伐戦争。これを制し、織田家中最大勢力を握ったのが羽柴秀吉という点は史実同様であったが、その後彼が柴田や徳川を下し織田家を乗っ取る・・・という図は、この世界では描かれるこ…
1582年の本能寺の変以降、織田家中における内紛が暫く続くこととなった。 まずは信長を殺した男、明智光秀を1585年に羽柴秀吉が討ち取り、同年に清洲会議にて一旦の「信長後」体制について取り決めが行われる。 が、その取り決めもすぐさま反故にされ、同年…
1582年6月21日(天正10年6月2日)。 天下統一を目前としていた織田信長が、突如として家臣の明智光秀に討たれる「本能寺の変」が勃発する。 中国地方にいた羽柴秀吉、北陸地方にいた柴田勝家の両方がそれぞれ敵対していた勢力(毛利、上杉)との二正面作戦を…
16世紀後半。 100年前の応仁の乱以降進展し続けていた「戦国時代」は、いよいよ収束の時を迎えつつあった。 その立役者として最も期待されていた男が織田信長。将軍・足利義昭を追放し室町幕府を滅ぼした後、畿内を中心に随一の影響力を誇り、その有能な家臣…
リィマー・フォン・ラーヴェンスベルクは――世界の多くの人がそうであったように――父ヴァルベルトのことを好きではなかった。 むしろ彼は、父が憎んでいた母ユディタのことを強く慕っていた。彼は彼女の影響を強く受け、寛大な心を養い、育んでもいた。 だか…
フランス王家の落胤とも、古きフランク王国の血の末裔とも噂される出自不明のフランス人、ルイ・ド・ルナールがドイツ辺境の地で創始したルナール家。 異教徒たちを殲滅し、ブランデンブルク辺境伯領やポンメルン王国を創始しつつ、四代目のオトゲル(戦争王…
神聖ローマ帝国の辺境に現れた無名の下級貴族「ルナール家」は、その後半世紀の間に帝国北東端の異教徒たちを駆逐し、キリスト教のポンメルン王国を建国するほどとなった。 初代ポンメルン「慈悲王」ゲロの嫡男オトゲルは、度重なる戦争の果てに勢力を拡大し…
「きつね」の紋章を特徴とするルナール家は、神聖ローマ帝国の東の辺境、ラウジッツ辺境伯領のさらに辺境に位置する小村シュプレーヴァルトから発祥した。 その創始者ルイの嫡男オトゲルは、一族の復讐を果たしたのちに北方の異教徒たちを平定し、かつて存在…
かつて、ノルトマルク(北方辺境伯領)と呼ばれていた地は、カール大帝および東フランク王ハインリヒ1世とその後継者オットー1世らによって平定され、ドイツ人による支配が確立していたものの、10世紀末頃からスラヴ人による反乱が多発し、いつの日かこの地…
11世紀半ば。ドイツ東部ラウジッツ辺境伯領内に位置するシュプレーヴァルトの領主オトゲルは、「きつね」の紋章を特徴とするルナール家の一員であった。 生まれた直後に双子の弟を殺され、その5年後にも父を殺された彼は、まずは復讐の為にその首謀者であっ…
ドイツ東部「シュプレーヴァルト」。低地ソルブ語で「沼地」を意味するこの地域は、現代の国境においてはポーランドに接する辺境であり、シュプレー川によって育まれた氾濫原と泥炭地は特有の景観を生み出し、ユネスコの生物圏保護区に指定されるほどの自然…
平家――平氏の中でも特に平正盛に連なる血統――は、壇ノ浦の戦いにおける敗北を経て平頼盛を除き全滅し、事実上の滅亡を迎えた。 その頼盛の血統は史実においてははっきりとした記録が残ってはいないものの、その一つの可能性として語られるのが、越後の山奥・…
12世紀末、平安の終わりと共に滅亡した「平家」。その生き残りが、池と名を変えて越後の山奥、古志の村に存在していた。 彼の名は池成清。南朝の総大将であった新田義貞の家臣として、討幕軍の中にもその名が記録されている男である。 彼自身は33歳の若さで…
平家――平氏の中でも伊勢平氏、とくに平清盛に代表される権勢を振るった平正盛の系統のことを狭義にそのように呼ぶ。 この意味での平家は、壇ノ浦の戦いにより実質的に滅亡した。ただ一人、清盛の弟の1人であった平頼盛を除いて。 平家の残党による都落ちに同…
江戸幕府・大日本帝国編を終え、次のVerアップデートまで中途半端に期間が空いてしまった為、話題の冷戦MOD「Cold War Project」をプレイしてみた。 steamcommunity.com これはArcady氏によって作成された大型MODで、その名のとおり冷戦時代を舞台としたVict…
19世紀日本。 限界を迎えつつあった江戸幕府は、寺内護久や二宮尊徳、小栗忠順といった「改革者」たちによって、何とかその命脈を保とうともがいてはいたが、やがて1875年、平岡宗悦や津田真道を中心とした「公議派」たちの手により、ついにその息の根を止め…
19世紀日本。 2世紀以上にわたり続いてきた徳川家による統治は今まさに終わりを告げようとしていた。 破綻へと向かう財政を持ち直そうと、新たに老中首座に任命された水野忠邦は「天保の改革」と呼ばれる一連の財政再建策を開始。 しかし農民に対しても過酷…
1836年。 開府から200年以上が経過し、経年劣化を見せ始めていた江戸幕府による統治は限界を迎えつつあった。 1787年(天明7年)に即位した第11代将軍・徳川家斉の治世の前半においては、白河藩主・松平定信による寛政の改革が行われ財政の再建が図られるも…